【10】NO?

 

~鏡の中の僕~

 

 

 

「お腹いっぱいですね」

 

 

民はテーブルの上に散乱した食器やナプキンを、一か所にかき集め始めた。

 

 

「帰りましょうか、リアさんが待ってますよ」

 

 

スパイシーなおつまみとアルコール、生温かい空気で、民のおでこが汗で光っている。

 

 

「うーん...」

 

 

チャンミンの浮かれた気分がしゅんとしぼんだ。

 

 

「ピリ辛チキン美味しかったですね。

リアさんにテイクアウトして帰りませんか?」

 

 

「いらないって!」

 

 

チャンミンの鋭い口調に、民はびくっと肩を震わせると、ゆっくりチャンミンの方を振り向いた。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

民は目元に落ちた前髪をささっと耳にかけると、リュックサックを背負った。

 

 

「私ってば、人との距離の取り方が下手なんです。

馴れ馴れしかったですね。

ごめんなさい...」

 

 

(しまった!

思わずキツイ言葉を発してしまった)

 

 

民の口からリアの名前が出ることに、リアのことを気遣うことに、チャンミンは苛立っていた。

 

 

(リアのことに触れて欲しくない。

リアの話題が出ると苦々しい気持ちになる。

今の僕は、リアのことで惚気られない)

 

 

チャンミンの後ろをとぼとぼと歩く民をふり返った。

 

 

「僕こそごめんな。

リアは脂っこいものは食べないんだ。

気を遣ってくれてありがとうな」

 

 

民はうつむいたまま、こくんと小さく頷いた。

 

 

気まずい雰囲気のまま二人はエレベーターに乗り込んだ。

 

 

「そうですよね。

リアさんは綺麗な人だから...。

スタイルキープが大変なんですね。

私みたいなオトコオンナと同じように考えちゃダメですよね」

 

 

小声で話す民は、頭上から吹き付ける空調の風が寒いのか二の腕をさすっている。

 

 

鳥肌の立った民の腕は、体毛がなくすべすべしていて、チャンミンは肘までシャツをまくり上げた、自身の腕と見比べてしまうのだ。

 

 

「オトコオンナだなんて、そんな言い方しちゃ駄目だよ?

初めて会ったとき...正直に言ってしまうけど。

民ちゃんのことを、男にも、女にも見えなかったんだ。

鏡から出てきた僕かと思ったんだ」

 

 

2人はデパートを出て、チャンミンの自宅へと並んで歩きだした。

 

 

「民ちゃんもそう思わなかった?」

 

 

「はい。

私の場合は、『非常に似ている』って予備知識があったので...チャンミンさんほどではなかったと思います。

でも、ここまで似ているとは予想をしていなくて、目ん玉ぶっ飛ぶくらいびっくりしました」

 

 

「ぷっ...目ん玉って...」

 

 

チャンミンは吹き出すと、隣を歩く民に目を向けた。

 

 

(綺麗な横顔をしている...)

 

 

チャンミンはもう、心の中で民を称賛することイコール、自画自賛とは思わなくなってきた。

 

 

 

 


 

 

「民ちゃんを褒める」イコール「僕を褒める」といった単純な図式じゃない。

 

民ちゃんは僕そのものだ。

 

まるで僕のものみたいに触れてしまう一方で、

 

可愛い仕草や表情をする民ちゃんは、僕とおんなじ顔をしてても「イコール僕」にはならない。

 

民ちゃんと僕は「別物」だ。

 

 


 

 

「こんな風にジロジロ見てしまって、ごめんな。

視線を感じるだろ?」

 

 

「いいえ。

そうだったんですか?」

 

 

横を向いた民とチャンミンとの目が、バチっと合った。

 

 

一瞬目をそらしたチャンミンに対して、民の眼差しはまっすぐだった。

 

 

2人の身長はほぼ同じなため、人の目線はお互い真正面からぶつかることになる。

 

 

「何世代も前へ遡ったら、私とチャンミンさんの先祖は一緒だったかもしれませんね。

遺伝子のいたずらってわけです。

減るものじゃないので、ジロジロ見てても構いませんよ。

その代わり、私も遠慮なくチャンミンさんのことをジロジロ見させていただきます。

ふふふ」

 

 

「?」

 

 

民の視線がチャンミンを通り越したところに注がれていて、チャンミンは横を向く。

 

 

ショーウィンドウにディスプレイされた夏物が気になっているらしい。

 

 

「いいなぁ...」

 

 

ノースリーブのサマーニットに、ペールイエローのフレアスカート。

 

 

「こんなに可愛い洋服...私には似合いません。

女装しているみたいになります。

第一、   サイズがありません」

 

 

「民ちゃん...」

 

 

高すぎる身長、平らな胸に小さなお尻、太め眉の男顔。

 

 

「さっきの話の続き。

昨日、民ちゃんをジロジロ見ていた時に、思ったことなんだけど」

 

 

生温かい風が吹いて民の左目を隠した前髪に、チャンミンは人差し指を伸ばして耳にかけてやった。

 

 

驚いた民の瞳がかすかに揺れて、チャンミンは胸が詰まった。

 

 

(僕と同じ顔をしているのに、どうして男じゃないんだよ。

どうして民ちゃんは女なんだよ)

 

 

「僕の目には、民ちゃんは女の子にちゃんと見えているよ」

 

 

「...ホントですか?」

 

 

民の表情がみるみるうちに輝いてきた。

 

 

「そんな風に言ってもらえたの、今日で2回目です」

 

 

「へえ」

 

 

チャンミンは、民の知り合いがこの街にいたことを意外に思う。

 

 

「美容師さんです、私の髪を染めてくれた人です」

 

 

「よかったね」

 

 

「実は私、1着だけワンピースを持っているんですよ。

それを着て出かけたことは、未だありません」

 

 

「例の好きな人とのデートで着ていったらどう?」

 

 

「そんな日が来るといいですね」

 

 

気付けばチャンミンは、ふふふと目を細めて笑う民の頭を撫ぜていた。

 

 

チャンミンの手の平に感じる民の柔らかい髪。

 

 

「本当のお兄ちゃんみたいですね」と照れる民の赤い頬。

 

 

(今日の僕は、民ちゃんに触り過ぎているな...)

 

 

「実はもう一個、びっくりすることがあったんです」

 

 

「へぇ。

どんなこと?」

 

 

「今はまだ内緒です」

 

 

「気になるなぁ」

 

 

「ふふふ」

 

 

 

 

2人はマンションのエントランスでエレベーターを待っていた。

 

 

チャンミンは舌打ちをした。

 

 

「どうしました?」

 

 

「いや、何でもないよ」

 

 

チャンミンの携帯電話に、リアからの不在着信が入っていた。

 

 

着信時刻を確認すると、民とビールを飲んでいた頃だ。

 

 

昼間民との通話後、リアへ電話をかけたがリアは出ず、午後3時にリアから着信があったが、打ち合わせ中で出られなかった。

 

 

直後、『どういうこと?』と一行だけのメールが送られてきた。

 

 

(民ちゃんのことをリアには伝えていなかったし、民ちゃんのことを僕だと間違えていたのに、『どういうこと?』とはどういう意味だろう?)

 

 

駅前で民を待つ間にリアへ折り返した時もリアは出なかった。

 

 

そこで民と連れだって帰宅する前に、簡単な説明だけはしておこうとメール文を打ちかけた。

 

 

かなりの長文になってしまったことと、『大事な話をメールで済ませるってどういうこと?』とリアを不機嫌にしてしまう予感がしたので、言い回しに気を遣ったメール本文を削除してしまった。

 

 

(すれ違いばかりじゃないか)

 

 

チャンミンは、ため息をついて携帯電話をポケットにしまった。

 

 

「緊張しますね。

ドキドキします」

 

 

マンションのエレベーターの中で、民は胸を押えて言った。

 

 

「チャンミンさんは、ご兄弟はいらっしゃるんですか?」

 

 

「うん、妹がいる」

 

 

「リアさんには、私のこと『妹』だって紹介するんですよね」

 

 

初対面の時に感じたリアの印象を、民は思い出していた。

 

 

(リアさんはちょっと怖い人。

でも、昼間からあんな風に迫るくらいだから、チャンミンさんと仲良しなんだなぁ)

 

 

「大丈夫ですか?

妹が一人増えることになりますが、つじつま合わせできますか?

チャンミンさんの結婚式の時にバレちゃいますよね。

あらチャンミン、あの大きな妹さんは?って。

あの子は一体何者だったのー!って挙式直前に喧嘩になってしまったりしたらどうしよう...。

でも、一か月くらいしか私はいないんだから、リアさんも忘れてくれますよね。

うん、それなら大丈夫だ」

 

 

「ストップストップ!」

 

 

突っ走る民をチャンミンは止めた。

 

 

「民ちゃん、落ち着いて」

 

 

エレベーターがチャンミンの部屋の階にとまった。

 

 

「正直に、友人の妹だって紹介するよ。

民ちゃんは僕の妹じゃないだろ?」

 

 

(つづく)

 

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【9】NO?

 

 

「行こう行こう」

 

僕はぐいぐい民ちゃんの手を引っぱって、エレベータに乗り込んだ。

 

照れ隠しで、必要以上に引っぱった。

 

操作ボタンを押す時になって、「ああ、ごめん」と、クールさを装って手を離した。

 

手を握ることくらいどうってことないさ、大人の男だから、ってな風に。

 

「いえ...」

 

真っ赤な顔をした民ちゃんが、僕に握られていた手を開いたり閉じたりしている。

 

伏せたまつ毛が、赤らめた頬に影を作っていた。

 

(ヤバイ...可愛い...)

 

民ちゃんのTシャツの胸元に目をやって、僕は安堵した。

 

(よかった...ブラを付けてる)

 

今朝見たノーブラ民ちゃんが、ぼわーんと頭に浮かんできてしまって慌てて打ち消した。

 

続けて、民ちゃんの脚の付け根あたりに視線を移した。

 

ぴたっと細身のデニムパンツのそこは、当たり前だけど真っ平だ。

 

第三者から見れば、民ちゃんは男の子だ。

 

内股気味の膝頭と足先。

 

メンズサイズのスニーカーなのに、でかい足なのに(民ちゃん、ごめん)、可愛らしく見えるのは、民ちゃんが確かに女だという証を、僕が無意識に探しているから。

 

じっくり観察しているから、ほんのささいな事柄に気付くんだ。

 

「チャンミンさん...大丈夫ですか?」

 

「え?」

 

「顔が赤いです。

汗がだらだらです。

具合が悪いのですか?」

 

じーっと民ちゃんに顔を覗き込まれて、僕の心拍数が急上昇した。

 

「!」

 

額に手を当てようとするから、「大丈夫だって」って制しようしたら、つかんだ手首が細くて、たまらない気持ちになった。

 

ポーンという音と共に扉が開いた時、蒸し暑い空気と軽快な音楽、がやがや楽し気な喧噪に僕らは包まれた。

 

さあ、ビールを飲もうか!

 

 

民ちゃんは、お酒があまり強くないみたいだ。

 

ビールジョッキ2杯目の時点で、顔は真っ赤で目付きがとろんとしている。

 

でも、食べっぷりが僕以上だった。

 

ぴり辛ソースを絡めたチキンバスケットの中身は、ほとんど民ちゃんが平らげた。

 

よほど美味しかったらしく、もう一皿オーダーしていた。

 

民ちゃんの口の中に、美味しい料理が次々と吸い込まれていく。

 

それなのに、食べ方がきれいだった。

 

ひと口サイズに(民ちゃんのひと口サイズは大きい)箸で切り分ける。

 

あーんと口に運んで、もぐもぐとしっかり咀嚼する。

 

飾り野菜も食べてしまうから、お皿の上には食べかすひとつ残っていない。

 

僕のジョッキが空になる前に、「ビールでいいですか?」とお代わりのオーダーを。

 

新しい料理が届くと最初に僕の取り皿に、たっぷりとよそってくれるのだ。

 

軟骨まできれいにこそげた骨が、空いた器に山となっている。

 

3杯目、4杯目とジョッキを追加しながら、僕は民ちゃんをぼーっと眺めていた。

 

リアとの外食は、僕ひとりだけ食べていて、リアはちんまりとしか食べない。

 

リアはモデルだから仕方がないのだけれど、一緒に食事をしているのに、独りで食事をしているかのようだったな。

 

「チャンミンさん、もうお腹いっぱいなんですか?

いらないのなら、私がもらっちゃっていいですか?」

 

僕の取り皿の上のチーズコロッケを、物欲しげな目で見る民ちゃんの唇にケチャップが付いていて、やっぱり可愛いと思ってしまった。

 

「駄目、あげない」

 

「あっ!」

 

コロッケをひと口で食べてしまったら、民ちゃんは心底残念そうな顔をした。

 

頬をふくらまして紙ナプキンで口元を拭う民ちゃんに、

 

「民ちゃんのその色、ホントに似合うよ」

 

と青みがかった深い鈍色の髪を褒めた。

 

僕はほろ酔いで、普段だったら照れくさくて難しいこと、つまり女性を褒めることができてしまう。

 

「嬉しい、です」

 

はにかむ民ちゃん。

 

「チャンミンさん、かっこいいですー。

リアさんが羨ましいです。

私も、チャンミンさんみたいな彼氏が欲しい、です」

 

民ちゃんの言葉に照れたところをバレないよう、微笑みだけで流した僕は、民ちゃんに尋ねる。

 

お約束の質問。

 

「民ちゃんは、彼氏はいないの?」

 

「いません」

 

民ちゃんは眉を下げて、泣き真似をした。

 

「嘘!ホントに?」

 

(と、驚いたふりをしたけど。

民ちゃんを傷つけてしまうから絶対に言えないけど。

民ちゃんが、男の人と並んで歩くシーンを想像できない。

ごめんな、民ちゃん)

 

「好きな人は?」

 

民ちゃんの顔がふにゃふにゃになる。

 

「いますー」

 

「えー、どんな人?」

 

「年上です」

 

「それだけの情報じゃ分かんないよ」

 

「チャンミンさんより年上です。

密かな片想いなので、これからちょっとずつアピールしていくつもりなんです」

 

「へえ。

ってことは、近くにいるんだ?」

 

「ふふふ。

そうなんですよ」

 

民ちゃんは両手で顔を覆って、身をよじっている(ヤバイ...可愛い)

 

「もしかして、民ちゃん!

彼を追いかけてきたの、ここまで?」

 

「!!!」

 

ぼっと民ちゃんの顔と耳が真っ赤っかになった。

 

「ま、まさか~」

 

目が泳いでいて、民ちゃんは分かりやすいと思った。

 

そっか。

 

民ちゃんが田舎を出て、ここに越してこようと決めた理由が、「男」だったとは...。

 

兄Tはこのことを絶対に知らないはずだ。

 

酔ったはずみに、分身ともいえる僕だったから、ポロっとこぼしてしまったんだろうな。

 

「Tには内緒にしててやるよ」

 

「はい、お願いします」

 

「民ちゃんの片想い、応援するよ」

 

「ありがとうございます、うふふふ」

 

左右非対称に細められた目を、昨日に続き見ることができた。

 

友人がSNS投稿した写真の中で、僕も同じ表情をして笑っていた。

 

民ちゃんが可愛らしく見えるのは、僕くらいかもしれない。

 

男としての自分の顔を知っているから、自分との違いが良く分かるんだ。

 

男っぽい容姿はハンデかもしれないけど、民ちゃんは僕の目には、十分女っぽく映っているから。

 

民ちゃんの片想いの彼が、民ちゃんの魅力にちゃんと気付いてくれることを願うよ。

 

この時の僕は、民ちゃんの恋を応援してやろうと思う余裕があった。

 

見た目は僕と瓜二つだけど、民ちゃんは僕とは別物だ。

 

僕にはこんな笑顔は作れない。

 

 

 

 

「もう一回、乾杯しましょう」

 

「かんぱーい」

 

ガチンとビールジョッキを合わせた。

 

ジョッキを持つ指が細かった。

 

「チャンミンさん」

 

「うん?」

 

目尻を赤く染めた民ちゃんが色っぽくて、目をそらす。

 

「安心してくださいね」

 

「安心って?」

 

「アレの時は、私イヤホンして音楽聴いてますから」

 

「アレ?」

 

意味が分からず首をかしげていたら、民ちゃんはふんと鼻をならした。

 

「セックスです」

 

(ミミミミミミミミンちゃん!!!)

 

「リアさんとチャンミンさんがセックスするときです。

 

イヤホンして、大音量で音楽聴いてますから。

 

私に遠慮せずに、いつも通りセックスしてくださいね」

 

「......」

 

民ちゃん...何を言い出すかと思えば...!

 

不意打ちの民ちゃん発言に驚かされて悔しくなった僕は、意地悪をしたくなった。

 

「民ちゃんこそ、つけようね」

 

「ツケル?」

 

「ブラ」

 

「!!!!」

 

民ちゃんがパッと胸を隠した。

 

「僕らは兄妹じゃないんだよ。

僕はいちお、男だから。

目のやり場に困るんだ」

 

民ちゃんは、消え入るような声で「はい」と答えた。

 

 

僕らはセックスレスなんだよ。

 

それどころか、この数か月間は、まともに会話すら交わしていないんだ。

 

僕が誘ったときにリアがその気じゃなくて、深夜遅く帰宅したリアがベッドに滑り込んだ時、背中から抱きしめたら、腕をはねのけられた。

 

そんな夜が続けば、「もういいや」って諦めてしまう。

 

リアと喧嘩をしたことがない。

 

「仕事が忙しすぎやしないか?」

 

「もっと早く帰ってこられないのか?」

 

「たまには一緒にでかけようよ」と、リアに言えればよかったんだけど。

 

リアと衝突したくなかったのが理由だとしたら、僕は臆病者なんだろうな。

 

同棲を始めた当初、僕はリアに夢中で、彼女と共にすること全てが幸せだった。

 

けれど、今は違う。

 

リア、僕らの家はホテルじゃない。

 

僕は君と、「生活」がしたかった。

 

もう「留守番役」は沢山なんだよ。

 

リアが僕のことをどう思っているのかは、分からない。

 

そろそろ、何かしら決着をつけなければならないなと思っていた時の民ちゃんの登場。

 

いかにリアとの生活がむなしいものだったのかが、はっきりしたよ。

 

 

(つづく)

 

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【8】NO?

 

 

「いかがですか?」

 

大きな鏡に映る自分をみて、民の顔は笑顔ではじけた。

 

「はい、気に入りました」

 

頭を右へ、左へ向けて、揺れる髪に民は満足感でいっぱいだった。

 

民は黒髪を、アッシュ・ブルーにカラーリングしてもらったのだ。

 

(チャンミンさんと見分けがつかないと、リアさんが困るだろうから、ね)

 

「お客様は色が白いですから、アッシュカラーがお似合いです。

ですが、お客様の肌色ですと、レッド系の方がなじむかと。

ブルー系は顔色がくすんで見えがちなのです」

 

預けていたバッグを受け取った民は不安そうに眉をひそめた。

 

「似合い...ませんか?」

 

担当スタイリストは首を振った。

 

「お客様は、学生ですか?それとも会社員?」

 

なぜ職業を聞かれるのか疑問に思いながら、民は答える。

 

「えっと...求職中です」

 

「では、平日の昼間は空いていますか?」

 

「今のところは、はい」

 

「カットモデルをやっていただけないでしょうか?」

 

「カット...モデル?」

 

民の頭に、新人容師の実験台にされて、無残な頭になってしまう自分が思い浮かんだ。

 

「ヘアコンテストのモデルのことですよ」

 

うつむいて黙り込んでしまった民を安心させるように、彼は言った。

 

「大きなコンテストが再来週に行われるんです。

コンテストとは、美容師の腕と感性を競う大会で、大手化粧品メーカーが主催しているものが多いのですが。

毎年、テーマが出題されて、そのテーマの世界観をヘアスタイルとメイク、衣装で表現するのです」

 

彼は美容雑誌を広げて民に見せた。

 

「第一予選は写真審査。

ここで数千人から約3百人までに絞り込まれます」

 

小さな写真が数ページにわたって並んでいる。

 

「第二予選は、全国5か所で行われました。

制限時間45分で審査員と観衆の前でカットからスタイリングまで仕上げます。

ここで50人に絞り込まれます」

 

「はあ」

 

「私は写真審査も第二選もありがたいことに突破しました」

 

「うわぁ!

すごいですね!」

 

 

「ありがとうございます。

 

ところがひとつ問題が発生しました。

 

モデルに使っていた子が転職をして、平日に行われる大会に出られなくなってしまいました。

 

ファイナルでは、カラーリングと衣装が重点的に審査されます。

 

第二選と同じモデルをつかうのが通例です。

 

あなたの場合、前のモデルの子と同じくらい細いですし、髪質も色がきれいに入りそうです。

 

どうですか?

 

やっていただけないでしょうか?」

 

「でも...」

 

民は口ごもって、気になっていたことを質問した。

 

「モデルって...男性モデルとしてですか?

こう見えて...私は女なんです」

 

高身長過ぎて制服のスカートが合わず、特別にスラックスを履いて登校していた民だった。

 

女性らしいファッションをすることは諦めて、自分に似合うものを身につけるようにしたら、ますます男性に見られるようになって、外出先の手洗いにも苦労していたのだ。

 

「それはそうでしょう」

 

彼は、民に向かって微笑した。

 

「あなたは女の人そのものですよ。

男性だなんて、一度も思いませんでした」

 

民は嬉しさのあまり、目の前の彼に抱きつきたいくらいだった。

 

(こんなこと言われたのは、生まれて初めて!)

 

「では、早速で申し訳ありませんが、今週末に来ていただけませんか?

お店が終わってからなので時間は遅くなります。

何度か衣装合わせにご協力いただく必要があるのです」

 

「はい」

 

「衣装は、私たちの手造りなんですよ」

 

「すごいですね!」

 

民の眼がキラキラと輝いてきた。

 

「大会当日は、丸一日拘束されます。

もちろん、謝礼は差し上げます」

 

「いいんですか?」

 

「当然です。

ビジネスですから」

 

その男性スタイリストは、マロン色に染めた髪をふわふわにパーマをかけた、20代半ばから後半頃。

 

ドロップショルダーの白いトレーナーに、カラーリング剤がところどころシミをつけている。

 

「紹介が遅れました。

私はこういう者です」

 

差し出された名刺を両手で受け取った民は、

 

「Kさんですね。

了解です。

私は民といいます」

 

と、深々と頭を下げたのだった。

 

 


 

 

チャンミンは駅前のモニュメント前で民を待っていた。

 

ワイシャツ姿で、スーツのジャケットは脱いで腕にかけていた。

 

改札口を出る人並に目を凝らす。

 

(なぜか、わくわくどきどきする

民ちゃんとは昨日であったばかりなのに、強烈な親近感を抱くのは、瓜二つの容姿のせいなのかなぁ)

 

蒸し暑くじとりと汗ばんでいた。

 

首の後ろに手をまわして汗で濡れた後ろ髪に触れた時、昨夜目の当たりにした民のうなじを思い出した。

 

(毛の生え方も一緒なんだもんなぁ...)

 

毛の流れに沿って指を滑らせていたら、ポンと肩を叩かれた。

 

「わっ!」

 

顔を上げたら、目の前に民が立っていてチャンミンは飛び上がった。

 

「チャンミンさん...。

そこまでびっくりしなくても...」

 

ぼそりとつぶやいて、民は眉を下げて膨れる。

 

(分かってはいても、不意打ちは心臓に悪い)

 

黒い髪だった民の髪色が、明るく変わっていた。

 

「民ちゃん、髪を染めたんだ」

 

「はい」

 

(くるりと回って見せる仕草が、可愛いな。

民ちゃんはやっぱり、女の子なんだな)

 

「リアさんが区別がつくように、と思って」

 

「それだけのために?」

 

「イメージチェンジも兼ねてます」

 

鼻にしわを寄せて笑う民の目元に、長い前髪がはらりとかかった。

 

「!」

「!」

 

民の澄んだ瞳に、チャンミンが映っていた。

 

とっさにチャンミンは、民の前髪に指を伸ばしていたのだった。

 

「ごめん!」

 

チャンミンは腕をひっこめると、やり場を失ったその手で自分の前髪をかきあげた。

 

(またやってしまった。

つい自分自身のもののように触れてしまう。

危ない、危ない。

髪を明るくしたせいか、それも鈍色なせいか、民ちゃんに中性的な妖しさが加わった気がする)

 

「チャンミンさん。

ほら」

 

民がチャンミンの腕をつんつんと突いた。

 

「!」

 

肘までまくり上げていた腕に、民の指が直接触れてチャンミンの産毛が逆立った。

 

「屋上ビアガーデンですって」

 

「へぇ」

 

「いいですねぇ。

行きたいですねぇ」

 

デパートの屋上が、ラティス格子で囲われていて、提灯の赤い灯りが連なっている。

 

見上げる民の伸びやかな首筋に、チャンミンはドキリとした。

 

(細くて長い首は僕のとそっくりだ。

でも...。

喉ぼとけがない...)

 

その事実が、チャンミンの胸を甘く切なく締め付けた。

 

その時のチャンミンには、この切なさの正体が分からなかった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

 

デパートの屋上を見上げる民ちゃんの喉から目が離せなかった。

 

 ビールをごくごく飲む民ちゃんを見てみたいと思った。

 

どうした、チャンミン?

 

「民ちゃん」

 

突如沸いた、素敵な思いつき。

 

「ビール飲もうか?」

 

「え?」

 

「ビアガーデン、行こう」

 

「今から?」

 

「もちろん」

 

「リアさんは?」

 

民ちゃんに指摘されて、僕は顔をしかめた。

 

「リアのことは、いいから」

 

「でも...」

 

民ちゃんと飲むビールは、美味しいに決まっている。

 

逡巡する民ちゃんの手をとった。

 

「え、え、え?」

 

民ちゃんの手をとるまでは、躊躇する隙のない自然な動きだった。

 

ところが、僕の手の中におさまった彼女の、自分のものより幾分小さく薄い手の平を意識したら、ぼっと身体が熱くなった。

 

はたから見たら、大人の男二人が(一人はサラリーマン、もう一人は大学生)手を繋いでいるという、ちょっとした注目を浴びる光景だったと思う。

 

(こんなこと、絶対に民ちゃんに言えない)

 

女性の手を握ることに、今さらドギマギするような年じゃない。

 

でも、民ちゃん相手だと違う。

 

民ちゃんは女性だけど、女性じゃなくて、やっぱり女性なんだけど。

 

手を触れたらいけない気にさせられる。

 

そんなことを思いながらも、ちょくちょくと民ちゃんに触れてしまっているのだけれどね。

 

 

(つづく)

 

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【7】NO?

 

 

「それは、びっくりしたよな。

申し訳ない」

 

『別にいいですけど。

心配なのはリアさんですよ。

ベッドで裸になってみたら、彼氏に付いていたはずのものがなくなってるんですよ。

もしそんなのを目にしたら、リアさん、気絶しちゃいますよね』

 

「!!!」

 

(ミミミミミミミンちゃん!

可愛い顔して、なんて大胆なことを淡々と言うんだ...っておい!

僕は可愛くないけど、民ちゃんは可愛い...っておい!)

 

「......」

 

『夕方までどうしましょう?

リアさんに見つかりたくないので、家に居られません』

 

「う~ん」

 

 

(リアが、恋人の僕だと間違えるほど似ている民ちゃんだ。

 

そんな民ちゃんの口から、ここに居る事情を説明し始めたら、リアはパニックになるだろう。

 

その前に、民ちゃんは『チャンミンではない』ってことを証明することの方が大変だ。

 

僕らの違いはただひとつ。

 

付いてるか、付いていないか、だ。

 

それ以外の方法は...遺伝子検査?)

 

 

チャンミンはブンブンと首を振った。

 

『チャンミンさん!』

 

「う、うん」

 

事態の収拾方法に考えを巡らすチャンミンには、ベストな方法が思いつかない。

 

(よーし、頭を整理しよう!

 

その1

僕とリアが同棲する部屋に、友人の妹、民ちゃんが1か月ほど寝泊まりすることになった。

 

その2

民ちゃんの容姿が僕と生き写しだった。

 

その3

その1と2の説明をする前に、リアと民ちゃんが顔を合わしてしまった。

 

その4

案の定というべきか、リアは民ちゃんのことを僕だと間違えてしまった)

 

 

チャンミンは頭を抱え込んでしまった。

 

昼食を終えた社員たちが、ベンチで項垂れるチャンミンの前を通り過ぎていく。

 

(すべては僕が悪い。

 

リアと面と向かって相談をする時間がないことを理由に、ぐだぐだと先延ばしにしていた僕が悪い。

 

リアが納得するように、言葉を慎重に選ぶ手間すら面倒になっていた。

 

リアのご機嫌取りに疲れていた)

 

 

「ごめんな、民ちゃん。

夜まで、どこかで時間を潰せるかな?

家へは一緒に帰ろう」

 

2人揃って登場した方が、リアの理解は早いかもしれないとチャンミンは考えたのだった。

 

『うーん...。

いいですよ。

なんとかしてみます』

 

「本当に申し訳ない」

 

『チャンミンさん』

 

「ん?」

 

『謝らないでください。

チャンミンさんは悪くないですよ。

彼女さんがいるチャンミンさんのところに、転がり込んだ私が悪いんです。

お二人の邪魔をしたくないので、ここを出ますね』

 

「駄目だって!」

 

チャンミンは大声を出していた。

 

自販機コーナーにたむろしていた者たちが、一斉にチャンミンに注目する。

 

それに気づいたチャンミンは、立ち上がって男子トイレへ移動した。

 

「民ちゃん。

リアのことは気にしなくていいから。

僕のところを出たら、行くところはあるの?」

 

『ホテルに泊まります』

 

「それじゃあ、お金が続かないだろ?

僕が誰と住んでいようと、本当に気にしなくていいんだよ」

 

僕は必死だった。

 

民ちゃんに出て行ってもらいたくなかった。

 

他人事じゃないのは、民ちゃんが僕そのものだから?

 

電話越しに僕の言葉を聞く民ちゃんの姿を想像するのは易かった。

 

手洗い場の上の鏡に、携帯電話を耳にあてた僕が映っている。

 

直線的な眉の下の丸い目がまばたきをしている。

 

僕の前髪は額を隠しているけど、民ちゃんの前髪は真ん中で分かれていた。

 

『ホントにいいんですか?』

 

男にしては高く、女にしては低い民ちゃんの声が聴こえる。

 

「民ちゃんには、居て欲しいんだ」

 

鏡の中の自分と目が合う。

 

鏡に映る僕が「居て欲しい」と口を動かしていた。

 

『居てもいいんですか?』

 

「民ちゃんに居てもらったら、僕は楽しいんだ」

 

『嬉しい、です』

 

電話の向こうで、ふふふっと民ちゃんが笑うから、僕もつられて笑った。

 

鏡の中の僕は笑みを浮かべていて、鏡の向こうで民ちゃんも笑みを浮かべている。

 

気が遠くなりそうだ。

 

鏡に映っているのが、僕なのか民ちゃんなのか、分からなくなってきた。

 

 

 


 

 

「どうしよっかな...」

 

チャンミンとの通話を終えた民はつぶやいた。

 

 

(邪魔をしたくないからチャンミンさんとこを出る、なんて言っちゃったけど、行くところなんて、全然なかったんだよね。

 

お兄ちゃんのところは論外だし、かといって実家に戻るなんて嫌。

 

私は、人生を変えるためにここに来たのだから。

 

『民ちゃんには居て欲しい』だって...ふふふ。

 

チャンミンさんに引き止めてもらえてよかった。

 

チャンミンさんって優しいな)

 

 

強い日差しが、半袖の腕をじりじりと焼いている。

 

昨日、チャンミンと待ち合わせたモニュメントの前に民はいた。

 

夕方までの6時間ばかりをどこで過ごそうかしばし考えた末、民の中に素敵な思いつきが浮かんだ。

 

早速、携帯電話でめぼしいところをネット検索し始めた。

 

「ここにしよう!」

 

ウキウキとした足取りで、民は表示された地図を頼りに歩き出した。

 

 


 

 

チャンミンとリアのベッドはとても大きい。

 

186㎝のチャンミンと172㎝のリアがのびのびと寝られるようにと選んだベッドだ。

 

几帳面なチャンミンによって、しわ無く整えられたベッドにダイブしたリアは、小一時間ほどまどろんでいた。

 

外は眩しくて暑いのに、寝室の中は遮光カーテンを閉めてあるから薄暗く、26℃設定のエアコンで快適だ。

 

迫ったのに激しく拒まれたことに腹を立てたリアは、民をリビングに残して寝室に閉じこもっていた。

 

(今までのチャンミンだったら、私の誘いを断らないくせに!)

 

まどろみながらも、リアの心中は苛立っていた。

 

ドアの向こうはことりとも音がしない。

 

(出かけたのかしら?

いつもだったら、『何か欲しいものはない?』って顔を出すのに。

しばらくチャンミンのことを放置していたから、怒っているのかしら?)

 

化粧をしたままなことを思い出したリアは、シャワーを浴びることにした。

 

(今夜は優しくしてあげよう。

チャンミンもその気になるかもしれない)

 

ファスナーを下ろすと、着ていたワンピースがすとんと足元に落ちた。

 

リアは、形の良い自分の脚を気に入っていた。

 

この脚が、キスの雨で愛撫されたことを思い出すリア。

 

(チャンミンのぎこちないものと違って、『あの人』のは凄い)

 

太ももの内側に赤い痕が2つある。

 

 

(『あの人』ときたら、一晩だけで私を解放するなんて!

 

いつもだったら、2晩も3晩も私を離さないのに!

 

持て余した熱を、チャンミンに慰めてもらおうとしたのに、チャンミンは拒むし!

 

『あの人』は、新しい『専属』を見つけたのかしら...。

 

そんな!

 

...そんなはずはない。

 

イライラして疲れているから、悪い方に考え過ぎてるだけだわ。

 

あれ?)

 

 

寝室の隅にうず高く積み上げられたものに、リアは驚いた。

 

収納ケースを開けると、畳まれたリアの洋服が詰まっていて、ファッション雑誌は紐でくくられていた。

 

(どういうこと?)

 

リアは買い物をするたび不要になったものを、空き部屋に放り込んでいた。

 

(私の物を片付けてしまうなんて...どういう意味)

 

焦燥と不安でいっぱいになったリアは、寝室を出てリビングを横切り、空き部屋のドアを開けた。

 

「え...」

 

足の踏み場がないほどリアの物で溢れていた部屋の中が、きれいに片付けられていた。

 

そしてリアを驚かせたのは、三つ折りに畳んで積まれた布団一式。

 

(お客さん?)

 

布団の横に、段ボール箱が5つ。

 

いけないと思いながら、リアは箱の中を覗いた。

 

最初の箱には、トレーナーやパーカー、細身のパンツなど洋服類。

 

(チャンミンのと同じくらい大きいから...男性もの)

 

2番目の箱には、書籍。

 

(小難しい本を読むのね...チャンミンみたい)

 

3番目の箱には、男物の靴が入った靴箱と、文房具、化粧水のボトルが1本。

 

(最近の男の人は、お肌のお手入れをするみたいだし)

 

4番目の箱を開けた時、リアの手が止まった。

 

「嘘でしょ...」

 

黒いブラジャー。

 

箱の中をさらにあらためてみると、黒のボクサーパンツも前スリットのない女物だ。

 

最後の箱を開けると、白い小花が散った黒のロングワンピースと鮮やかなブルーのポシェットバッグ。

 

胸にあててみると、床を擦るほど大きく長い。

 

(嘘でしょ)

 

リアはよろよろと立ち上がると、リビングに戻ってソファにどさりと座った。

 

(あの荷物の持ち主は、女装家なのかもしれない...!)

 

 

 

(つづく)

 

 

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【6】NO?

 

 

リアはダイニングテーブルの上をちらっと確認した。

 

(今日も用意されていない...)

 

チャンミンがリアのために作った料理が、ラップをかけられてテーブルに用意してあるのが常だった。

 

用意してあったからといっても、万年ダイエッターのリアがそれを口にすることはほとんどない。

 

口にすることはなくても、チャンミンがリアのことをちゃんと待っていたという証を確認できる安心材料だった。

 

3か月ほど前から、テーブルの上に何も用意されない日が出現した。

 

自分への関心が薄れてきたのではと、リアは不安に陥る。

 

(そっか...今日の場合は3日帰らないって連絡を入れたんだった)

 

安堵したリアは、2人で選んだ大きな黒革のソファに長々と横向きで眠る人物に気付く。

 

(珍しい...今日は仕事が休みなんだ)

 

細長くて骨ばった身体、小さなお尻、長過ぎる脚。

 

この日のリアは、むしゃくしゃしていて、虚しさと小さな怒りを抱えていたから、チャンミンのぬくもりを必要としていた。

 

「チャンミ~ン!」

 

リアは寝息を立てる背中に勢いよく飛びついた。

 

(びっくりした?

あなたが愛するリアさんよ。

チャンミンったら、痩せたのかしら。

私のお気に入りの筋肉の弾力がない、肩が薄い。

寂し過ぎて、食事が喉を通らなくて痩せたのかしら。

こんなに長い髪をしていたかしら。

久しぶりだからって、そんなに身体をこわばらせないでよ!)

 

リアは民(ミン)の首筋に頬をぐりぐりっとこすりつけた。

 

耳の中に舌を忍ばせて、ふっと息を吹きかけた。

 

ビクッと民の肩が震えた。

 

(チャンミンったら、こうされるのが好きなのよね。

くすぐったそうにしてるうちに、“その気”になってくるはず)

 

「ひやぁっ!」

 

寝たふりをしてやり過ごそうとしていた民は耐えきれずに、悲鳴を上げた。

 

デニムパンツの中に、リアの手が忍び込んできたからだ。

 

民は力いっぱいリアの腕を振りほどいて、ものすごい勢いで飛び起きた。

 

リアは、民の拒絶っぷりにショックを隠せない。

 

「チャンミン...そんなに驚かなくたっていいじゃないの...。

酷いわ...。

いくら久しぶりだからって...」

 

(リアさん...すごい美人!

綺麗過ぎ!)

 

ゆるいウェーブをかけた長い髪に、濃い目の化粧に負けない彫りの深い目鼻立ち。

 

グロスが塗られた唇はぽってりとしていて。

 

こぶし位に小さな顔は細い首に支えられていて、細い腕、細いウエスト、細い白い脚。

 

民は口をぽかんと開けて、リアに見惚れていた。

 

心底驚いた顔で、何も言わない民の様子に、リアはムカッとしてきた。

 

まばたきを繰り返して、目の奥に力を入れていると、じわっと涙がにじんできた。

 

(私を拒否するなんて、許せない。

反省させないと!

チャンミンは私の涙には、とことん弱いから!)

 

充血した目で泣き出しそうなリアを前にして、民の内心はパニックになった。

 

(どうしよう!

私のことをチャンミンさんだと、間違えている!

チャンミンさんが跳ねのけたんだと誤解して、リアさんが悲しんでいる!

どうしよ、どうしよ!)

 

「ごめん...なさい」

 

おろおろとしている民をみて、リアは心の中でニヤリとした。

 

「...チャンミン」

 

「はい(チャンミンさんじゃないけど)」

 

「私、その髪型は好きじゃない」

 

「え?」

 

「前髪が長すぎる。

私は、短い方が好き」

 

リアはくるっと背を向けた。

 

「疲れているから、一日起こさないでね」

 

そう言いおいて、リアは寝室のドアをバタンと勢いよく閉めてしまった。

 

リビングに残された民は、しばらく呆然としていた。

 

(リアさんって...ちょっと怖い人?

うまくやっていけるかなぁ...)

 

リビングの隅に置かれた鏡に、全身を映してみた。

 

(やっぱり私って、男にしか見えないのかなぁ。

そうだよね。

こんなに大きいし...)

 

ピンポーンとチャイムが鳴った。

 

民が実家から送った荷物が届いたようだ。

 

「はいはーい!」

 

小走りで玄関に向かう民は、思い至る。

 

 

(私って、チャンミンさんの妹設定だったっけ?

 

なぜ、わざわざ『妹』にしないといけないのか、ちゃんと考えるべきだった。

 

『友人の妹をしばらく預かるよ』ですんなり通らない関係性が、2人にはあるんだね。

 

私みたいなでっかい『おとこおんな』相手に、リアさんがヤキモチ妬くはずがないのに...。

 

あ、そうだった!

 

チャンミンさんは昨日初めて会うまで、ここまで私たちが激似だってことを知らなかったんだ。

 

私はチャンミンさんじゃないって、リアさんにどうやって説明しよう...。

 

ここはやっぱり、チャンミンさんの妹、もしくは弟ってことにしておいた方が、混乱を招かずに済むかもしれない...)

 

悶々と悩みながら、民は届いた段ボール箱を荷ほどきしたのだった。

 

 


 

 

チャンミンは社員食堂で昼食をとっていた。

 

壁に取り付けられた大型TVは昼のバラエティ番組を流し、食事をとる社員たちでがやがやと騒がしい。

 

「先輩って、相変わらず大食いですね。

見るだけで腹がいっぱいになりそうっす」

 

きつね蕎麦だけをトレーに載せた後輩Sは、チャンミンの正面の席についた。

 

「午後に備えて栄養をとらないと」

 

午後には気が重くなるアポイントが入っている。

 

「それだけで足りるのか?」

 

「昼に腹いっぱい食べると、眠くなるんです。

先輩はそうならないんすか?」

 

「全然......。

ん?」

 

テーブルに置いたチャンミンの携帯電話が、電子音と共に震えた。

 

発信者を確認したチャンミンは、席を立って食堂を足早に出た。

 

自販機コーナーのベンチに座ると、通話ボタンを押す。

 

「もしもし?」

 

『民です』

 

女性にしては低く、男性にしては高い声。

 

電話越しの民の声を聴いて、チャンミンの胸にほっとするような、わくわくするような気持ちが広がった。

 

『今、お時間よろしいですか?』

 

「うん、昼めし時だったから。

荷物はちゃんと届いた?」

 

『荷物は届きました』

 

「それはよかった。

冷蔵庫に作り置きのおかずがあるから、レンジで温めて食べるといいよ」

 

『私は今、外にいます』

 

「そうなんだ。

近所にいい感じのカフェがあるんだ。

女子が好きそうなランチを出すんだって。

教えようか?」

 

『お昼は牛丼屋で食べました』

 

「そう」

 

きっと大盛りを食べたに違いない。

 

昨夜の民の食べっぷりを思い出して、チャンミンはくすりとした。

 

『リアさんが帰ってきました』

 

「リアが!?」

 

チャンミンの背筋が一瞬に伸びた。

 

(帰りは明後日だったはず。

撮影の日程でも変更になったのだろうか。

参ったなぁ。

民ちゃんを驚かせてしまった。

あのリアのことだから、キツイことを民ちゃんに言ったに違いない)

 

チャンミンは、恋人の反応より民の心配をしていた。

 

「ごめんな。

民ちゃん...大丈夫?

じゃないか。ハハハ」

 

『......』

 

「リアは?」

 

『寝ると言って、寝室にいます。

起こすなって言ってました』

 

「そっか...」

 

チャンミンはため息をついた。

 

『私のことをチャンミンさんだと、思い込んでいました』

 

「!」

 

(そうだった!

民ちゃんは普通じゃなかったんだ!)

 

チャンミンは民に言われるまで、自分と民が瓜二つだという事実を忘れていた。

 

(リアが間違えるのも当然だ。

当人同士でさえ凍り付くほどの、そっくり度なんだから!)

 

「...で、どうだった?」

 

『チャンミンさんも呑気な人ですね。

私、リアさんに襲われるところでした』

 

「襲われる?」

 

『リアさんは...多分、ベッドに誘うつもりだったんだろうと思います。

耳を舐められました』

 

その光景が目に浮かんで、チャンミンは「あちゃぁ」と、額に手をやる。

 

(リアときたら...。

この数か月間セックスレスだったのが、今日になって...)

 

 

 

(つづく)

 

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