~シヅク~
「えーっとですね」
ダイニングテーブルについたチャンミンは、あらたまった様子で言う。
「今日は、シヅクへのお礼として用意しました」
チャンミンは、グラスにビールを注いでくれる。
「ありがとう」
磨き込まれたグラスに、チャンミンの性格がうかがえた。
「さぁ、食べよう」
「そうだね」
乾杯のつもりで、クラスをチャンミンのものと合わせようとしたが、チャンミンは既に、グラスを空けていた。
(もしか、乾杯を知らんのか?)
「食べてよ、シヅク」
「う、うん、ありがとう」
私も一気に飲み干して、テーブルに並べられた料理を見渡した。
(なんというか...圧巻というか...)
10種類はあるだろう、チーズの盛り合わせ、
巨大なガラスボウルの山盛りのサラダ、
直径30センチはあるレアチーズケーキ、
積み上げられた、テニスボールサイズのおにぎり。
そして、冷たい食べ物ばかりの中、湯気を立てるグラタン。
(一生懸命、準備したんだろうなぁ)
「...おかしかった?」
チャンミンは、眉を下げて不安そうな表情だ。
(我が子の成長を見守る親の気分だよ、全く)
「全然!いっただきまーす」
サーバースプーンで、チーズがとろけるグラタンをすくって、取り皿に盛った。
「火傷するから、気を付けて...ほらっ、言ったそばから!」
「シヅクは大食らいだろうから、沢山用意したんだ」
「あのなー」
「野菜も食べて。シヅクの年こそ、ビタミンを摂らないと」
「なんだと!」
「おにぎりも。初めて炊いたから、やわらかいかもしれない」
「中身は?......え...これ全部、塩むすびなの?」
「ワインを開けようか?」
「いいねー」
私も相当、飲み食いしたが、チャンミンもよく食べ、よく飲んでいる。
見ていて気持ちがいい食べっぷりだ。
「そろそろデザートはどう?
このケーキはレビューがよかったから注文してみたんだ」
「ごめん...チャンミン...限界...腹がはち切れそう」
「意外にシヅクは、小食なんだ」
「んなわけないだろ。どう見ても、5人前以上はあったぞ」
「じゃあ、後で食べよう」
チャンミンは、ケーキのお皿にラップをかけると、冷蔵庫にしまった。
(ニコニコしてて、楽しそう)
楽しそうなチャンミンを見ていると、私も勿論、楽しい。
~シヅク~
「美味しそうな匂い!」
「グラタンだよ」
チャンミンは、パッケージを見ながら答える。
「ほぉ、グラタンなんて凝ったものを」
「焼くだけだから」
白いキッチンカウンターの上は、オーブンと真新しい炊飯ジャーのみ置かれていて、スッキリとしている。
(チャンミンっぽいなぁ)
私は、キャビネットの扉を開けたり、冷蔵庫の中を覗き込んでいると、チャンミンは
「シヅクは邪魔だから、あっちに座ってて」
と、私の背中を押した。
「はいはい」
リビングのソファに座って、キッチンに立つチャンミンを眺める。
(一週間前は、むっつり、モジモジ君だったのに、この変わりようは!)
ボヤキながらも、私はチャンミンに見惚れていた。
(カッコいい奴やな)
実際、チャンミンは通り過ぎる人が思わず振り向いてしまうくらい、美しい容姿の青年だった。
ドームの中で、もの思いにふけっているチャンミンを見かけた時も、そう思っていたが、
今は、身近な存在になったからか、よりリアルに彼の美しさが分かる。
手足が長く、動作も冴えている。
鼻梁の額から伸びるラインが美しい横顔。
何度もオーブンを開け閉めしてみたり、冷蔵庫から飲み物を取り出して、テーブルに並べたりする動作が微笑ましい。
グラタンのパッケージを読むくそ真面目な目元、
眉根を寄せて、タブレットを取り出し調べ物をしながら、つぶやいているところ、
グラタンの焼き具合をチェックして、「よし」と口に出してるところ。
それから、「不法侵入」をした私に腹を立てて怒った表情。
チャンミンの気持ちが、表情に現れているところを見ることができて、幸せだと思った。
明らかに、彼の中で変化が起こったらしい。
嬉しくもあり、同時に「寂しい」と思った。
チャンミンに渡す予定の、お土産の入った袋を意識した。
(チャンミン、ごめんな)
心の中で、彼に謝った。
チーズの焦げる、いい香りが漂ってきた。
「シヅク、火傷するから、そこどいて!」
チャンミンの手には、タオルに包んだ焼きあがったグラタン。
グツグツと音をたてるマカロニグラタン。
一生懸命、私をもてなそうとしているチャンミン。
テーブルに並べられた、2人分には多過ぎるお皿、料理とお酒。
何もかもに...、
感動するんですけど...。
シヅクは、艶消しアルミのドアの前に立っていた。
(待ちきれない)
時刻を確認すると、約束より15分早い。
(チャンミンのことだ、頓着せんだろう)
荒くなった呼吸を整える。
(よし!)
チャイムのボタンを押す。
(......)
インターホンの応答がない。
もう一度押す。
(......)
「ったく、またかよ」
舌打ちをしてシヅクは、さらに3回チャイムを鳴らし、きっかり1分ずつ待つ。
(何やってんだか!)
在宅ランプが灯っているので、部屋にいるのは確か。
(...今日も...風呂か?)
シヅクはニヤリとする。
(出てこないチャンミンが悪いのだ)
チャンミンは、洗面ボウルの縁にかけた手に体重を預け、ゆっくり呼吸した。
洗面所の鏡の前で、髪を整えようとした直後だった。
(まただ...)
視野が暗くなって、耳鳴りがする。
(もうすぐシヅクが来るのに...)
チャンミンは強く目をつむって、大きな深呼吸を繰り返した。
(!)
チャンミンは、自分の肩の上に、重みを感じた。
「わっ!」
肩の上の手の持ち主は、シヅクだった。
激しく収縮した体の力を抜いて、深く息を吐き、チャンミンは
「お願いだから...」
シヅクを睨む。
「お願いだから...」
「もっと『普通に』入ってきて下さいよ!」
チャンミンは、怒鳴っていた。
チャンミンの剣幕に驚くシヅクは、白いブラウスに黒のジャケットを羽織っていて、いつもよりフォーマルなファッションだった。
(出張だったから、スーツを着てるんだ)
シヅクに対して腹をたてつつも、冷静に彼女の全身を観察していた。
(珍しい、ピアスを付けている)
シヅクの耳には、小さな赤い石が光っている。
腹を立てているチャンミンの様子にも、シヅクは悪びれることなく、
「だって、チャンミン出ないんだもの。
心配だったからさ。...」
クスっと笑って肩をすくめた。
「僕の風邪はもう治ったよ!」
「万が一ってことがあるじゃないの」
すっとチャンミンの目は細くなる。
「違うね!
シヅクは、僕を驚かせようとしたかっただけだと思うな!」
「バレた?」
チャンミンはシヅクを見下ろす。
「シヅクの行動パターンは、なんとなく分かりかけてきた」
シヅクは、ふっと真剣な表情になる。
「ねぇ」
「何?」
チャンミンはまだ不機嫌な声だ。
「あんた、大丈夫?
気分が悪かったんじゃないの?」
シヅクは、先刻チャンミンが洗面所でうつむいていたのを案じていた。
「頭が痛いの?」
赤のグロスを塗ったシヅクの口元から、目をそらしながらチャンミンは、
「平気だって、ただの立ちくらみだよ!」
チャンミンは苛立っていた。
この時のチャンミンは、シヅクの気遣いが、少しだけ、少しだけうっとおしく思えた。
「それなら、いいんだけど...さ」
「ところで、シヅク!」
チャンミンは、リビングへ向かおうとするシヅクの腕をつかんだ。
「な、何?」
チャンミンから、触れてくることは初めてだったから、シヅクは、つかまれた腕を強く意識してしまう。
「僕はシヅクに聞きたいことがあるんだ!」
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「あと30分!」
(リビングOK、注文した食材は届いた)
チャンミンは、仕事後大急ぎて帰宅し、準備で大忙しだった。
グラスも食器も1つずつしかなかったから、それも注文した。
(シヅクがうちに来る!)
チャンミンは嬉しくて仕方なかった。
(自宅に誰かを招くのは、初めてだ)
(それも、女のひとを)
(ところで...)
ふと手を止めて、考える。
(うちまで訪ねて欲しい、と言ってはみたけど、おかしかっただろうか?
人と、どう接して、どういった会話が正解なのか、僕にはわからない。
特に、相手が女性だとなると、ますます分からない。
手順が分からない)
29歳のチャンミンは、何もかもが初めてだった。
自分の経験を元に行動してみようと、記憶をたどろうとすると決まって、意識が遠のくような気がして出来なかった。
霞がかかったようで、曖昧なのだ。
(経験不足なのか、単に覚えていないのかを追及することは、後回しだ)
仕方なく、ネットの情報を頼りにして、チャンミンは必死だった。
チャンミンは、リビングを見渡して「よし」と頷く。
「次は...着替えないと!」
チャンミンは、外出着のままなことに気づいて、クローゼットに向かった。
シヅクは、地下10階から上昇するエレベーターに乗っていた。
地上に到着し、ドアが開くのも待てずに飛び出し、駆け出す。
(急げ急げ!)
会議の閉会式が長引き、撤去作業もずれ込んで、チャンミンとの約束の時間まで、あと1時間だった。
(忘れちゃいかん!チャンミンへの土産!)
シヅクは、自室のあるマンションにいったん寄り、あらかじめ注文しておいたものをピックアップする。
チャンミンのマンションまで、徒歩15分の距離だったが、迷わずタクシーを呼ぶことにした。
「ふぅ」
タクシーのシートに座ると、シヅクは息を整える。
(チャンミン、ごめん)
シヅクは膝の上の、チャンミンへの土産が入った袋を抱え直した。
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~シヅク~
で、結局、だらだらと、2時間も話してた(私が)。
(そろそろ、電話切ろうかな、もう12時やないの)
あくびが出る。
(明日も早いんだよなぁ...)
「それじゃ、そろそろ寝るわ」
会話を打ち切ろうとしたら、まさかのチャンミンの爆弾発言。
驚き過ぎて、ソファから転げ落ちたもんね。
(チャンミンの奴、結局、雑談だけのために電話してきたんかなぁ?)
『シヅク』
チャンミンが、私の名前を呼ぶ。
「はいはい」
(さすがにしゃべり疲れた...)
『明日終わるのって、何時頃、ですか?』
「うーん、片付けがあるから、6時くらいかなぁ」
(すきっ腹に、酒はいかん、酔ってきた)
4本目のビールを飲んでいた。
(トイレに行きたい...)
『えっと...』
(眠い...寝たい...風呂に入らんと)
『明日、うちに来てください』
「ぶはっ!」
ベタな反応だったけど、本気で吹き出してしまった。
「なんやって?」
『明日、僕のうちに来て欲しい』
私がソファから転げ落ちたのは、このタイミングだ。
「ななな、なんやって?」
『シヅクに、来てもらいたいんだ、うちに』
全くの予想外のチャンミン発言に、全身から汗が噴き出してきた。
「なんでぇ?」
(馬鹿!
男から誘われたら、理由をはっきり聞いちゃあかんのに)
『シヅクに用があるからだよ!
シヅクは出張でいなかったし、
職場じゃ、ゆっくり話せないし』
「そっかー...」
『...無理なら、いいです』
「わかった」
『嫌ならいいよ』
「行くよ」
チャンミンが「すっ」と、息を吸う音が聞こえる。
『いいんですか?』
(なぜ、敬語?)
チャンミンの声が明るくなった。
「出張から戻ったら、まっすぐ寄るよ」
『よかった!』
(めちゃくちゃ嬉しそうじゃないの)
「うーんと、六時頃かなぁ...いい?」
『じゃあ、夕飯を用意しておくよ』
「美味しい物買っていくから、いい子でな」
(なんだよ、このやりとりは、男女が逆じゃないか!)
『子供扱いは、止めてくれないかな、シヅク』
電話を切った後、ソファに寝ころんでぼんやりと考える。
この数日の間で、チャンミンの中で何が起こったんだ?
客観的に見ると、間もなく三十路になる男にしては、言動が中高生レベルで、十分過ぎるほどキモイ。
でも、チャンミンならセーフ。
なぜだかは、分からないけど。
照れることをスルっと発言できちゃうあたりが、単なる「ウブ」でもないわけで。
なかなかどうして、興味深いキャラクターだ、チャンミン君。
チャンミンの「やる気スイッチ」を押してしまったのか?
「やる気スイッチ」って、なんのやる気だよ!
先日のミーナとの会話を思い出す。
『チャンミンのプライベートって凄そう、こわーい』
チャンミンが隠している「素の姿」はすごいんだろうか...?