(31)TIME

 

 

~シヅク~

 

 

「えーっとですね」

​ダイニングテーブルについたチャンミンは、あらたまった様子で言う。

「今日は、シヅクへのお礼として用意しました」

チャンミンは、グラスにビールを注いでくれる。

「ありがとう」

磨き込まれたグラスに、チャンミンの性格がうかがえた。

「さぁ、食べよう」

「そうだね」

乾杯のつもりで、クラスをチャンミンのものと合わせようとしたが、チャンミンは既に、グラスを空けていた。

(もしか、乾杯を知らんのか?)

「食べてよ、シヅク」

「う、うん、ありがとう」

私も一気に飲み干して、テーブルに並べられた料理を見渡した。

(なんというか...圧巻というか...)

10種類はあるだろう、チーズの盛り合わせ、

巨大なガラスボウルの山盛りのサラダ、

直径30センチはあるレアチーズケーキ、

積み上げられた、テニスボールサイズのおにぎり。

そして、冷たい食べ物ばかりの中、湯気を立てるグラタン。

​(一生懸命、準備したんだろうなぁ)

「...おかしかった?」

チャンミンは、眉を下げて不安そうな表情だ。

(我が子の成長を見守る親の気分だよ、全く)

「全然!いっただきまーす」

サーバースプーンで、チーズがとろけるグラタンをすくって、取り皿に盛った。

「火傷するから、気を付けて...ほらっ、言ったそばから!」

「シヅクは大食らいだろうから、沢山用意したんだ」

「あのなー」

「野菜も食べて。シヅクの年こそ、ビタミンを摂らないと」

「なんだと!」

「おにぎりも。初めて炊いたから、やわらかいかもしれない」

「中身は?......え...これ全部、塩むすびなの?」

「ワインを開けようか?」

「いいねー」

私も相当、飲み食いしたが、チャンミンもよく食べ、よく飲んでいる。

見ていて気持ちがいい食べっぷりだ。

「そろそろデザートはどう?

このケーキはレビューがよかったから注文してみたんだ」

「ごめん...チャンミン...限界...腹がはち切れそう」

「意外にシヅクは、小食なんだ」

「んなわけないだろ。どう見ても、5人前以上はあったぞ」

「じゃあ、後で食べよう」

チャンミンは、ケーキのお皿にラップをかけると、冷蔵庫にしまった。

(ニコニコしてて、楽しそう)

​楽しそうなチャンミンを見ていると、私も勿論、楽しい。

 

 

(30)TIME

 

 

~シヅク~

 

 

「美味しそうな匂い!」

「グラタンだよ」

チャンミンは、パッケージを見ながら答える。

「ほぉ、グラタンなんて凝ったものを」

「焼くだけだから」

白いキッチンカウンターの上は、オーブンと真新しい炊飯ジャーのみ置かれていて、スッキリとしている。

(チャンミンっぽいなぁ)

私は、キャビネットの扉を開けたり、冷蔵庫の中を覗き込んでいると、チャンミンは

​「シヅクは邪魔だから、あっちに座ってて」

と、私の背中を押した。

「はいはい」

リビングのソファに座って、キッチンに立つチャンミンを眺める。

(一週間前は、むっつり、モジモジ君だったのに、この変わりようは!)

ボヤキながらも、私はチャンミンに見惚れていた。

(カッコいい奴やな)

​実際、チャンミンは通り過ぎる人が思わず振り向いてしまうくらい、美しい容姿の青年だった。

​ドームの中で、もの思いにふけっているチャンミンを見かけた時も、そう思っていたが、

今は、身近な存在になったからか、よりリアルに彼の美しさが分かる。

手足が長く、動作も冴えている。

鼻梁の額から伸びるラインが美しい横顔。

何度もオーブンを開け閉めしてみたり、冷蔵庫から飲み物を取り出して、テーブルに並べたりする動作が微笑ましい。

​グラタンのパッケージを読むくそ真面目な目元、

眉根を寄せて、タブレットを取り出し調べ物をしながら、つぶやいているところ、

グラタンの焼き具合をチェックして、「よし」と口に出してるところ。

それから、「不法侵入」をした私に腹を立てて怒った表情。

チャンミンの気持ちが、表情に現れているところを見ることができて、幸せだと思った。

明らかに、彼の中で変化が起こったらしい。

嬉しくもあり、同時に「寂しい」と思った。

チャンミンに渡す予定の、お土産の入った袋を意識した。

(チャンミン、ごめんな)

心の中で、彼に謝った。


チーズの焦げる、いい香りが漂ってきた。

「シヅク、火傷するから、そこどいて!」

チャンミンの手には、タオルに包んだ焼きあがったグラタン。

グツグツと音をたてるマカロニグラタン。

一生懸命、私をもてなそうとしているチャンミン。

テーブルに並べられた、2人分には多過ぎるお皿、料理とお酒。

何もかもに...、

感動するんですけど...。

(28)TIME-

 

シヅクは、艶消しアルミのドアの前に立っていた。

(待ちきれない)

時刻を確認すると、約束より15分早い。

(チャンミンのことだ、頓着せんだろう)

荒くなった呼吸を整える。

(よし!)

チャイムのボタンを押す。

(......)

​インターホンの応答がない。

もう一度押す。

​(......)

「ったく、またかよ」

​舌打ちをしてシヅクは、さらに3回チャイムを鳴らし、きっかり1分ずつ待つ。

 

(何やってんだか!)

​在宅ランプが灯っているので、部屋にいるのは確か。

(...今日も...風呂か?)

シヅクはニヤリとする。

(出てこないチャンミンが悪いのだ)

 


チャンミンは、洗面ボウルの縁にかけた手に体重を預け、ゆっくり呼吸した。

洗面所の鏡の前で、髪を整えようとした直後だった。

(まただ...)

視野が暗くなって、耳鳴りがする。

​(もうすぐシヅクが来るのに...)

チャンミンは強く目をつむって、大きな深呼吸を繰り返した。

(!)

チャンミンは、自分の肩の上に、重みを感じた。

「わっ!」

肩の上の手の持ち主は、シヅクだった。

​激しく収縮した体の力を抜いて、深く息を吐き、チャンミンは

「お願いだから...」

シヅクを睨む。

「お願いだから...」

​「もっと『普通に』入ってきて下さいよ!」

チャンミンは、怒鳴っていた。

チャンミンの剣幕に驚くシヅクは、白いブラウスに黒のジャケットを羽織っていて、いつもよりフォーマルなファッションだった。

(出張だったから、スーツを着てるんだ)

シヅクに対して腹をたてつつも、冷静に彼女の全身を観察していた。

(珍しい、ピアスを付けている)

シヅクの耳には、小さな赤い石が光っている。

腹を立てているチャンミンの様子にも、シヅクは悪びれることなく、

「だって、チャンミン出ないんだもの。

心配だったからさ。...」

クスっと笑って肩をすくめた。

「僕の風邪はもう治ったよ!」

「万が一ってことがあるじゃないの」

すっとチャンミンの目は細くなる。

「違うね!

​シヅクは、僕を驚かせようとしたかっただけだと思うな!」

「バレた?」

​チャンミンはシヅクを見下ろす。

「シヅクの行動パターンは、なんとなく分かりかけてきた」

シヅクは、ふっと真剣な表情になる。

「ねぇ」

「何?」

チャンミンはまだ不機嫌な声だ。

「あんた、大丈夫?

​気分が悪かったんじゃないの?」

​シヅクは、先刻チャンミンが洗面所でうつむいていたのを案じていた。

「頭が痛いの?」

赤のグロスを塗ったシヅクの口元から、目をそらしながらチャンミンは、

​「平気だって、ただの立ちくらみだよ!」

チャンミンは苛立っていた。

この時のチャンミンは、シヅクの気遣いが、少しだけ、少しだけうっとおしく思えた。

「それなら、いいんだけど...さ」

「ところで、シヅク!」

​チャンミンは、リビングへ向かおうとするシヅクの腕をつかんだ。

「な、何?」

​チャンミンから、触れてくることは初めてだったから、シヅクは、つかまれた腕を強く意識してしまう。

​「僕はシヅクに聞きたいことがあるんだ!」

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(27)TIME

 

 

「あと30分!」

(リビングOK、注文した食材は届いた)

​チャンミンは、仕事後大急ぎて帰宅し、準備で大忙しだった。

グラスも食器も1つずつしかなかったから、それも注文した。

(シヅクがうちに来る!)

​チャンミンは嬉しくて仕方なかった。

(自宅に誰かを招くのは、初めてだ)

(それも、女のひとを)

(ところで...)

ふと手を止めて、考える。

(うちまで訪ねて欲しい、と言ってはみたけど、おかしかっただろうか?

人と、どう接して、どういった会話が正解なのか、僕にはわからない。

特に、相手が女性だとなると、ますます分からない。

手順が分からない)

29歳のチャンミンは、何もかもが初めてだった。

 

自分の経験を元に行動してみようと、記憶をたどろうとすると決まって、意識が遠のくような気がして出来なかった。

霞がかかったようで、曖昧なのだ。

(経験不足なのか、単に覚えていないのかを追及することは、後回しだ)

仕方なく、ネットの情報を頼りにして、チャンミンは必死だった。

チャンミンは、リビングを見渡して「よし」と頷く。

「次は...着替えないと!」

チャンミンは、外出着のままなことに気づいて、クローゼットに向かった。

 


シヅクは、地下10階から上昇するエレベーターに乗っていた。

地上に到着し、ドアが開くのも待てずに飛び出し、駆け出す。

(急げ急げ!)

会議の閉会式が長引き、撤去作業もずれ込んで、チャンミンとの約束の時間まで、あと1時間だった。

(忘れちゃいかん!チャンミンへの土産!)

シヅクは、自室のあるマンションにいったん寄り、あらかじめ注文しておいたものをピックアップする。

チャンミンのマンションまで、徒歩15分の距離だったが、迷わずタクシーを呼ぶことにした。

「ふぅ」

​タクシーのシートに座ると、シヅクは息を整える。

(チャンミン、ごめん)

​シヅクは膝の上の、チャンミンへの土産が入った袋を抱え直した。

 

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(26)TIME

 

 

~シヅク~

 

 

​で、結局、だらだらと、2時間も話してた(私が)。

(そろそろ、電話切ろうかな、もう12時やないの)

あくびが出る。

(明日も早いんだよなぁ...)

「それじゃ、そろそろ寝るわ」

会話を打ち切ろうとしたら、まさかのチャンミンの爆弾発言。

驚き過ぎて、ソファから転げ落ちたもんね。

(チャンミンの奴、結局、雑談だけのために電話してきたんかなぁ?)

『シヅク』

チャンミンが、私の名前を呼ぶ。

「はいはい」

(さすがにしゃべり疲れた...)

『明日終わるのって、何時頃、ですか?』

「うーん、片付けがあるから、6時くらいかなぁ」

(すきっ腹に、酒はいかん、酔ってきた)

4本目のビールを飲んでいた。

(トイレに行きたい...)

​『えっと...』

(眠い...寝たい...風呂に入らんと)

『明日、うちに来てください』

「ぶはっ!」

​ベタな反応だったけど、本気で吹き出してしまった。

「なんやって?」

『明日、僕のうちに来て欲しい』

私がソファから転げ落ちたのは、このタイミングだ。

「ななな、なんやって?」

『シヅクに、来てもらいたいんだ、うちに』

全くの予想外のチャンミン発言に、全身から汗が噴き出してきた。

​「なんでぇ?」

(馬鹿!

男から誘われたら、理由をはっきり聞いちゃあかんのに)

​『シヅクに用があるからだよ!

シヅクは出張でいなかったし、

職場じゃ、ゆっくり話せないし』

「そっかー...」

『...無理なら、いいです』

「わかった」

『嫌ならいいよ』

「行くよ」

チャンミンが「すっ」と、息を吸う音が聞こえる。

​『いいんですか?』

(なぜ、敬語?)

​チャンミンの声が明るくなった。

「出張から戻ったら、まっすぐ寄るよ」

『よかった!』

(めちゃくちゃ嬉しそうじゃないの)

「うーんと、六時頃かなぁ...いい?」

『じゃあ、夕飯を用意しておくよ』

「美味しい物買っていくから、いい子でな」

(なんだよ、このやりとりは、男女が逆じゃないか!)

『子供扱いは、止めてくれないかな、シヅク』


 

 

電話を切った後、ソファに寝ころんでぼんやりと考える。

この数日の間で、チャンミンの中で何が起こったんだ?

客観的に見ると、間もなく三十路になる男にしては、言動が中高生レベルで、十分過ぎるほどキモイ。

でも、チャンミンならセーフ。

なぜだかは、分からないけど。

​照れることをスルっと発言できちゃうあたりが、単なる「ウブ」でもないわけで。

なかなかどうして、興味深いキャラクターだ、チャンミン君。

​チャンミンの「やる気スイッチ」を押してしまったのか?

​「やる気スイッチ」って、なんのやる気だよ!

先日のミーナとの会話を思い出す。

​『チャンミンのプライベートって凄そう、こわーい』

​チャンミンが隠している「素の姿」はすごいんだろうか...?