(7)僕らが一緒にいる理由

 

 

「アオ君のこと、内緒にする必要は何にもないじゃん」

 

「確かにな...」

 

「『親戚の子が近所に引っ越してきたんだ。心細いだろうから手伝ってやることにした』とかさ、普通に言えばよかったじゃん」

 

「その通りだ」

 

僕らはコンビニエンスストアでコーヒーを買うと、それを飲みながら夜道を歩いた。

 

唇や舌を火傷しないよう、カップに口をつける時は減速した。

 

「なぜチャンミンに会わせたくないと思ったかというと」

 

「かと思うと?」

 

「絶対にチャンミンはアオ君を気に入ってしまうと思うんだ」

 

「凄いいい子じゃん...って言っても、まだよく知らないけどさ。

いい子に決まってるじゃん。

いい子オーラがいっぱい出てた」

 

「『いい子』ってだけじゃなくってさ、ほら。

モロ好みだろ?」

 

「う~ん...。

否定はできない...けど?」

 

と、言ってみたものの、アオ君は強い印象を与えるほどの顔立ちはしていなかった。

 

「だってユノが基準だから」と惚気なくても、アオ君はなんて言うかのかな...エロスの欠片も感じない、好ましい顔...としか言いようがない。

 

親戚関係だと言うだけあって、夫の面影をアオ君は持っていた(夫は母親似だから、アオ君は母方つながりなのかな?)

 

「いい顔してるよね」

 

「だろ?

アオ君に心奪われてしまわれたら困るなぁ、と思って」

 

「それって...嫉妬?」

 

「ん~...そうだね」

 

通行人を見つけるたび僕らは繋いでいた手を離し、通り過ぎると再び手を繋いだ。

 

「僕がアオ君を!?

あり得ないよ。

子供じゃないか」

 

「子供って言っても、もう17歳なんだぞ?

来年には学校を卒業するし、大人の仲間入りだ」

 

「アオ君は恋愛対象に十分な年齢だからって...ユノはそんなこと心配していたの?

やだなぁ。

いくら僕が外界から閉ざされた生活をしているからって、男を見るたび見境なくなるなんて、思ってないよね?」

僕は夫のふくらはぎを軽く蹴ってやった。

「あの子は多分、ストレートだと予想する」

 

そう言うと、「チャンミンもそう思った?」と夫はにやりとした。

 

「僕らのこと、どんな目で見ているんだろうね?

話に聞いているのと、直に会うのとでは印象が違っただろうね」

 

「さあ。

本人に聞いてみないと、それは分からない」

 

「聞かれたことないの?

男同士って...どんな感じなんですか?って」

 

「ない。

興味はあったんだろうけど、遠慮していたんだと思うよ」

 

僕は夫の指輪を指でくすぐった。

 

「これからも餌付けは続けるの?」

 

「餌付けってなぁ...言い方に毒がある」

 

「ふん、黙っていた君らが悪い。

僕はそこまで心は狭くないし。

僕がアオ君に惚れるかもしれないから、それが怖くて紹介できなかったってのは嘘だね」

 

「嘘じゃないさ。

『惚れる』にも、いろんなパターンがあるじゃないか」

 

「例えば?」

 

「『男が男に惚れる』...みたいな?」

 

「アオ君はそういう感じじゃないなぁ。

...可愛がってやりたいタイプ?

しっかりしていそうなのに、どこか抜けてるところがあるんだ」

 

「ほらな。

『チャンミンのことだから、献身的にお世話しそうだった。

それが怖い」

 

「それの何がダメなの?

ユノばっかりズルい!

僕もアオ君と仲良くなりたい!」

 

「ほらな?

チャンミンは男を駄目にする男。

俺なんて、チャンミンに全てを握られているだろ?

胃袋も下半身も金も寝床も。

もちろん心も。

...甘やかされ放題の男だよ」

 

夫の言葉が胸にくすぐったい。

 

そう言われてしまうと、日頃心にくすぶる小言はちょっとの間忘れられる。

 

「チャンミンはアオ君に夢中になってしまいそうだった。

それが怖くて、チャンミンに言えなかったんだ」

 

夫の言う『夢中』とは、恋愛がらみの意味ではない。

 

「アオ君は物怖じし無さそうな風に見えて、一緒にいるとよく分かるけど、自分に自信がないところがある。

17歳で未熟だ。

手助けしてやりたい。

でも俺は子供と接した経験がない。

加減が分からないんだ。

俺はチャンミンと居る時は、チャンミンに甘えっぱなしだからな。

いざ、頼られる立場になるとどうしたらわからない」

 

「そんなの...僕だって同じだと思うよ」

 

少しずつ飲んでいた紙カップの中身もあとわずかで、温かいうちに、と僕は残り全部を飲み干した。

 

「あの子は常識がありそうで無いんだ。

米の炊き方も知らないし、スーパーで上手に買い物もできない。

美味そうだったからって、肉を1キロ買ってきてしまう男なんだぞ?」

 

「冷凍庫に保存すればいいじゃないの?」

 

「アオ君ちには冷蔵庫はあるが、ホテルにあるみたいなちっこいやつしかない。

加えてまな板と包丁もない。

肉のせいで一か月分の食費のほとんどを費やしてしまった」

 

「それってさ、常識の有無じゃなくて、生活能力の高い低いの話じゃないかな?

そんなの、覚えればいいじゃん。

僕が教えてあげるよ」

 

「そうくると思ったんだよ。

チャンミンに甘やかされてる俺が、アオ君に生活術を教えてやれるわけがないからな」

「分かっていたなら、さっさとアオ君を紹介してくれればよかったんだよ!」

 

「そのつもりだったんだよ!」

 

「え?

そうだったの?」

 

「ああ。

最初はちょろっと、話し相手になってやる程度のつもりだったんだ」

 

どおりで、謎の外出にもっともらしい言い訳の用意がなかったわけだ。

 

「親や友人に言いづらい悩みとかさ...いろいろあるじゃん。

離れた立ち位置にいる者の方が、客観的に話を聞いてやれる。

全くの他人じゃないってところもポイントだと思う」

 

「分かる気がする」

 

「ハンバーガー奢ってやったり、今夜みたいにコンビニで弁当を買ってやったり。

昼間は学校があるし、俺も仕事だ。

どうしても夜中心になってしまう」

 

「いつもは適当に出かけてるのに、どうして今夜は急いでいたの?

すんごい下手くそな嘘までついて?

家に仕事を持ち帰らないといけないほど忙しいんだって?

あははは」

 

「俺はもともと嘘が下手くそなんだよ」

 

夫の足蹴りをお尻に食らった。

 

「いってぇな!

ユノ!!」

 

仕返しの蹴りはあっさりかわされてしまった。

 

「夕飯の前に電話があっったんだ。

風呂場にデカい虫が出たんだと」

 

「それっぽっち?」

 

「それっぽっちのことでも、アオ君にとっては大事件なんだ。

チャンミンだって虫が苦手だろ?

Gだぞ?

退治してやるために、コンビニで殺虫剤買って行ったんだ」

 

買い物袋の中身は、弁当と殺虫スプレーだったのか。

 

「言っただろ?

見た目とキャラは大違いな子なんだって。

つまり...わりと面倒くさい子なんだ。

チャンミンは面倒くさい奴を前にすると、ハッスルする。

『僕が何とかしてあげなくっちゃ!』って。

...で、ズブズブとアオ君の沼にはまっていってしまうのである」

 

「僕のこと、よく分かってるじゃん」

 

「何年一緒にいると思ってるんだ?

どうせ沼にハマるのなら、2人で一緒にハマろうと思ったんだ」

 

夫は僕から手を離しポリポリと頬を掻いたのち、再び僕と手を繋いだ(照れ隠し?)

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(6)僕らが一緒にいる理由

 

 

 

「あなたがチャンミンさんですか」

 

「へ?」

 

アオ君...とかいう少年が発したこの言葉に、ビックリ仰天だった。

 

「僕のことを知っているんですか!?」

 

「今さっき、ユノさんがあなたを『チャンミン』って呼んでいましたよ」

 

「あ...そうだったね」

 

アオ君のごもっともな指摘に、僕は赤面するしかない。

 

(状況把握に躍起になっている僕は、新たなデータ...夫がアオ君から『ユノさん』と呼ばれている...を入手した)

 

アオ君は人見知りしないキャラクターなのだろう。

 

僕の乱入に驚いていたのもわずかな間だったらしく、今じゃニコニコ顔になっていた。

 

その悪びれた感じが全くないところも、浮気説を否定していた。

 

次に僕がやるべきことは、抱えた疑問をひとつ残らず解消してゆくことだ。

 

僕は夫に「どういうこと?」と目で問いただすと、彼は「今から説明するから、落ち着けよ」と口をパクパクさせた

 

浮気の可能性が消えたとしても、『僕に内緒』で『若い男』と会っていた事実にむしゃくしゃしていた。

 

夫は僕のご機嫌取りのエキスパートであるはずなのに、動揺から抜け出せないせいで、何から説明したらよいか言葉を探しているようだった(夫は嘘も下手だが、言い訳も下手だったことを思い出した)

 

この場で最も落ち着いていたのが、高校生のアオ君だった。

 

目と表情で会話をする僕らに、アオ君は「こんな所じゃなんですから」と上がり框から身をひいた。

 

「部屋に上がってください」

 

「でも...」

 

「自己紹介も途中ですから...ね」

 

夫を尾行していた間、僕の中で立てていたプランはこうだ...現場を押さえ泣きわめき、夫にビンタをし、浮気相手に罵詈雑言を吐いたのち、自宅まで連れ帰る。

 

...つまり、夫が会っていた件の人物の自宅に上がる予定など、全くなかったのだ。

 

ついさっき夫は浮気などしていなかったことが判明した(彼僕の直感が保証する)

 

でも、件の人物がアオ君という男子高校生だと分かった今、夫が彼の存在を内緒にしていた理由が知りたい。

 

「上がらせてもらおうか?」と、夫は僕の背を押した。

 

僕はとにかく不機嫌極まりない顔をしているけれど、真相が分かったおかげで張りつめた気持ちがほどけたのは確かだ。

 

ほっとしたことで、寒空の下夫を尾行してきた身体が、とても冷え切っていたことにようやく気付けた(興奮と緊張は寒暖の差を分からなくさせるらしい)

 

アオ君の背後に見える電気ストーブで暖を取りながら、「温かいものを飲みたいなぁ」なんて思ってみたりして。

 

「それじゃあ...」

 

僕と夫は靴を脱ぎ、アオ君に次いで室内へ上がった。

 

 

極端に物が少なく、がらんと寒々しい部屋だった。

 

アオ君は「引っ越したばかりなんです」と言った。

 

「引っ越したばかり?」

 

「はい。

学校の寮に居たんですが人間関係でいろいろあって...寮を出ることにしたんです」

 

「そうだったんだ」

 

「引っ越し作業やいろんなことを、ユノさんに手伝ってもらっていたんです」

 

「へぇ...」

 

アオ君は夫から買い物袋を受け取ると、「立ちっぱなしもなんですから、座ってください」と言って、カーペット敷の床にあぐらをかいた。

 

僕と夫は上着を脱ぐと、アオ君に倣ってその場に座った。

 

夫のコートはぞんざいに丸めただけだったため、僕は内心で舌打ちをしながら、彼のコートを裏返した。

 

「えーっと。

ユノとアオ君はどういったご関係で?」

 

せっかちな僕は、彼らのどちらかが紹介を始めるのが待てなかったのだ。

 

「行きつけの店のバイト生だったのかな?」と予想してみた。

 

夫の交友関係に口を出すような夫にはなりたくないけれど、今の僕は口を出さずにはいられずにいる。

 

それほど長い間、新たな人間関係を築く機会が夫にはなかった、というわけだ。

 

だから知り合いに10代の男の子がいると分かった今、僕は興味津々、謎を解きたいワクワクと、隠し事をしていた夫への苛立ちで感情的になっていた。

 

ユノばっかりズルい!...これが本音だ。

 

「ユノさんと僕は親戚です」

 

「!」

 

すとんと納得できる回答だった。

 

「そう!

そうなんだよ。

俺の...従兄弟の子どもだ」

 

何度も頷いてみせる夫が、若干嘘くさく見えた。

 

「へぇ...。

こんなに大きな子供がいる従兄弟がいるんだ」

 

「ああ。

チャンミンは会ったことないと思う」

 

「...なるほど」

 

すとんと納得できる回答だった。

 

僕らの結婚は親戚縁者から祝福を得たものではないため、親戚付き合いそのものがほとんどない。

 

もし、僕らをよく思わない彼らの中に、アオ君の両親が含まれているとしたら...。

 

こういった複雑な心境を前提にすれば、夫の消極的な態度も納得がいった。

 

「コーヒー...冷めてしまいましたね」

 

アオ君は紙カップの蓋をあけ、目を閉じてコーヒーの香りを嗅いだ。

 

カップを持つ細くて長い指は、すべすべしていた。

 

 

「おやすみなさい!」

 

アオ君はドアの外まで出て、帰宅する僕らを見送ってくれた。

 

アパートメントの門柱の辺りで振り向くと、アオ君は僕らの姿が見えなくなるまで見送るつもりらしく、彼のシルエットが手を振り続けていた(外灯の光量が貧弱で、階段の隅に居る小人を蹴っ飛ばしそうになってしまった)

 

僕は僕のマフラーを、夫は夫のマフラーをそれぞれ首に巻き、僕ら夫夫は帰路についた。

 

アオ君のアパートメントが完全に見えなくなった時、ダウンジャケットのポケットに、夫の手が忍び込んできた。

 

「やだね」と、少しだけ抵抗してみせた後、僕の片手は夫によってポケットから引き出された。

 

手を繋いでぽくぽくと、コンビニエンスストアの明かりに向かって坂道を下っていった。

 

「......」

 

夫の不自然な外出の行き先は判明したけれど、もうひとつ解けていない疑問がある。

 

「親戚の子なら、どうして僕に内緒にする必要があるんだ?」

 

アオ君の前では訊ねにくかった質問をしてみたら、夫はこう答えた。

 

「それは...恥ずかしいから言いにくいなぁ」

 

「そりゃあ、ますます僕に説明しないとね」

 

僕は握った指に爪を立てた。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(5)僕らが一緒にいる理由

 

「......」

 

外階段を上ってゆく夫の姿を、僕は茫然と眺めていた。

 

僕の脳内で、『浮気確定!』の黄色いランプが回転始めていた。

 

素早くアパートメントを観察した。

 

そのアパートメントが新しくもなく古くもなく、中流の学生や独身者が住んでいそうな佇まいだったら、リアル過ぎて落ち込んでしまっただろう。

 

その真逆のカントリー感とメルヘン感が凄い、絵本に登場しそうな建物だった。

 

いかにも小人が住んでいそうな...住んでいた!

 

丸石を敷き詰めたアプローチ沿いに、陶器製の小人が1体、2体、3体...6体で終わりかと残念に思って、外階段のステップ上に7体目がいた。

 

パステルカラー(暗くて分かりにくいけれど、多分ピンク色)の羽目板張りの壁に、格子窓、各部屋のドアもパステルカラー(多分、ミントグリーン)

 

外階段と外廊下の手すりには蔦植物のつるが巻き付いていて、真冬の今は枝だけだが 真夏の頃は旺盛に葉が茂るのだろう。

 

見上げると、暗さに目が慣れたおかげで三角屋根をしていることが分かった。

 

ここに煙突があれば完ぺきだった。

 

門扉の陰に潜む僕にこれっぽちも気付いていない夫は、ずんずん外廊下を進み、ど真ん中の部屋の前で立ち止まった。

 

両隣の各2部屋の住人は帰宅していないのか就寝後なのか、窓の向こうは真っ暗だった(つまり、夫が目指した部屋だけ灯りが点いていた、ということ)

 

両手が塞がっている為、夫は右手の紙カップを外廊下の手すりに置いた(当然、僕は頭を引っ込めた)

 

そして空いた右手でインターフォンを押す。

 

僕の体内の温度はぐんぐん上昇して頭へと駆け上がり、ついには沸騰したヤカンのごとくつむじからぴゅーっと蒸気が吹きあがった(あくまでもイメージ)

 

プツン、と切れた僕は気づけば階段を駆け上がっていた。

 

そして、外廊下をダッシュし、閉まりかけたドアの下に足を突っ込んだ。

 

「待て!」

 

僕は叫び、ドアの隙間から肩をねじ込んだ。

 

「!?」

 

僕のすぐ間近に見慣れたコートの後ろ姿があった。

 

夫は振り向いた先に居る突然の乱入者に、虚を突かれた表情をしていた。

 

そいつは鬼の形相をしているのだ。

 

例えば、いつもより早い時間帯に帰宅してみたら、行為の真っ最中だった夫と間男を目撃してしまった、まさにその時の表情だ。

 

「...チャンミン」

 

僕は内心で狂犬のように「う~」と唸っていた。

 

「......」

 

夫は言葉が出てこないらしく、口をポカンと開けて僕を見つめるばかりだった。

 

「何してるんだ、ユノ?」

 

僕は質問しながら、夫と対面する人物に視線を向けた。

 

ちょうど紙カップを手渡す瞬間だったらしい。

 

夫とその人物の手は、ひとつの紙コップを手にしている。

 

若い男だった。

 

彼もあっけにとられている。

 

年の頃10代後半。

 

オーバーサイズの細身で背は高い方だが僕と夫よりは低いようだ。

 

色彩感覚が乙女なアパートメントに反して、彼の服装はモノトーンにまとめられている。

 

BL作家の端くれであっても、その表情は浮気を押さえられた者たちにしては、危機感が足りないと見抜くことができた。

 

何て説明すればいいのかな。

 

「あちゃ~、しまった~」と苦笑している表情っていうのかな。

 

どこかでバレるだろうと見込んでいたのか、どこかでカミングアウトするつもりだったのか。

 

もっと深掘りしてみれば、いつか僕に探られるのを待っていた可能性も捨てきれない。

 

いずれにせよ、『浮気(不倫)』の可能性は消えた。

 

夫からの説明を聞く前に、僕の直感と観察力、BL作家の経験値から読み取れたのだ。

 

でも、僕に内緒で逢瀬を重ねていたのは事実だ。

 

この点については、こってりとお説教する必要がある!

 

「チャンミン、まさか尾けてきたのか?」

 

「そうだよ、その通りだよ。

じゃなきゃ、僕はここに居ないよ」

 

「だよな」

 

「で...誰?」

 

可能な限りの低音で、凄みをたっぷり込めた目で睨みつけた。

 

「え~っと...」

 

夫は僕の方に向き直ると、後ろ髪をかいた。

 

「最初に断言するが...浮気じゃない」

 

「分かってるよ。

若いツバメを持つにはユノはまだまだ若すぎる」

 

「!」

 

「冗談だよ。

で、誰?」

 

僕はあごをツンと上げ、腕を組んだ。

 

「彼は...」

 

夫は許可を得るように、背後を振り返った。

 

若い男は「いいよ」と頷いた。

 

「アオ君っていうんだ」

 

「アオ君...ね」

 

僕は夫の肩ごしに、アオ君とやらを見た。

 

「いくつ?

大学生?」

 

玄関のすぐ側に台所シンクがあることから、ぱっと見る限りこのアパートは単身者用の間取りのようだからだ。

 

「高校生」

 

「一人暮らししてるんだ、凄いね」

 

「ええ...まぁ...そうですね」

 

困り顔になったアオくんは、ぽりぽりと首筋をかいた。

 

片耳に光るものはピアスだ(今どきの高校生はおマセさんだ。校則で許されているのかな?)

 

「アオ君が高校生ってことは分かった。

どういう関係なの?」

 

アラサーの夫が高校生男子と接触する機会は、一体どこで生まれたのだろう?

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(4)僕らが一緒にいる理由

 

「くしゅん!」

夫は大きなくしゃみを1つすると、再び歩き出した。

「なんだ、くしゃみか...」と、僕は胸を撫でおろした。

柔らかで温かい僕のマフラー(マーキングのつもりで貸した)があるから、夫が風邪はひかないだろうけど。

 

(その完璧は後ろ姿は僕だけのものだったはずなのに、今は浮気相手と共有しているのか...)

 

(やだなぁ、どうして自分を落ち込ませるような自虐的なことを思ってしまうんだろう?)

 

(きっと、最悪のパターンを想定しておけば、いざ現実のものとなったときのショックを和らげられる、と逃げているんだろうな)

 

(僕に内緒で野良猫の世話をしているとか?

猫より犬派の僕を気にして、「飼いたい」と言い出しにくく、こっそり餌をやっているとしたら?)

 

(もし野良猫を引き取りたいと言われたら、確かに僕は渋るだろう。

でも、飼うのは難しいとしても僕らのことだから、引き取り先を真剣に探すだろうに。

内緒にする必要はないじゃないか。

野良猫ではない)

 

(男かな?

それとも女?

どちらであっても、嫌だなぁ。

どこで知り合ったんだろう?

えっ!?

 

まさか同じ町内会の人とか!?)

 

町内会メンバーを思い浮かべながら、そのほとんどが既婚者であることから、W不倫を疑う必要がありそうだった。

 

(早合点するなよ。

そもそも、夫が浮気するハズがないじゃないか!

浮気を疑ってしまう僕にこそ、心にゆらぎがある証拠だ。

疑心暗鬼な僕に問題が大ありだ!)

 

(それならば、どうして夫は中途半端な時間に、中途半端な外出をするんだ?

嘘が下手なのは、罪悪感を生じさせるような行為=浮気などしていないから巧妙な嘘を用意する必要がないんだ。

...ではなくて、平和ボケした僕ならば気付かないだろうと、甘く見ているだけなんだよ)

 

頭の中は、言い争いをしている天使と悪魔で興奮状態にもかかわらず、夫を見失わないよう 適切な距離を保てる冷静さが僕には備わっていたようだ。

 

「!」

 

悶々と考え事にふけっていたせいで、夫の姿が消えたことに気付けなかった。

「そういうことか」

夫は道沿いのコンビニエンスストアへ入店していったらしい。

まさか、店内まで追いかけるわけにもいかず、店先で待っていたいところだけど、通りは店頭と店内の照明で昼間のように明るいため、やっぱり見つかってしまう。

「どうしよう...」

コンビニエンスストアに近づくこともできず、ぐずぐずとしていたところ、自動ドアが開いた。

「!」

僕は慌ててしゃがみこみ、スニーカーの靴ひもを締め直すふりをした。

(つま先が茶色く汚れていた。先週末、夫と近所を散歩したんだっけ。その時、テイクアウトしたココアをこぼしたんだっけ)

スニーカーから前方へ視線を戻した時、夫が店から出てきた。

夫は飲み物の紙カップを手にし、パンパンに膨らんだ買い物袋を腕にぶら下げていた。

紙カップの中身がコーヒーなのかカフェラテなのかは興味がない。

甘党の夫のことだから、たっぷり砂糖を入れているだろうこともどうでもいい。

大問題なのは、紙カップを両手にひとつずつ持っていたことなんだ!

 

買い物袋の中身は推測するしかないけれど、量感から判断するとお弁当とペットボトル飲料(野良猫説はこれで消えた。野良猫にあげるのなら、ホットコーヒーや弁当ではなくキャットフードだから)

夫はつい15分前に夕飯を終えたばかりだ。

 

...じゃあ?

 

苦しい。

 

苦しい、胸が苦しい。

 

このまま廻れ右して自宅に急行し、布団にもぐり込んで泣きたくなった。

けれども、2つ目のカップは誰の為のものなのか見届けたい。

泣くのなら、夫の目的地まで追い、黙ってその場から立ち去るのではなく、2人が一緒にいるところを押さえ、さらに夫の頬をビンタして、泣きわめいてからでも遅くはない。

「よし!」

僕は自身を励まそうと大きく頷き、夫の尾行を再開した。

 

 

コンビニエンスストアを通り過ぎたあたりから登坂になる。

幾度か通った道のりらしく、夫の足取りに迷いはない。

彼の影となってひたひたと追っかける僕の存在に全く気付く様子がないあたり、罪悪感の欠片も感じられない。

1歩1歩、僕の心は暗く冷たい沼に沈んでいった。

「はあはあ...」

万年運動不足の僕の呼吸はすぐに荒くなってきて、でも夫に聞かれるわけにはいかないから、出来る限り息を殺さないといけなかった。

 

 

どれくらい歩いただろうか。

家を出てから20分くらい?

電信柱の住所表記板は、ここが隣町であることを示していた。

坂道の勾配がぐんと急になった。

さすが、夫の歩くスピードは変わらない。

ピカピカの革靴は、ドーナツ型の凹みが規則正しく付いた地面をリズム乱さず踏んでいる。

見失わないよう、追いかける僕は必死だ。

「!」

目的地は飲み物が冷めない距離のはず...と予想した通りだった。

夫の姿はある建物の中に吸い込まれていった。

そこは、窓の数をカウントすると各階5部屋ほどの2階建てのアパートメントだった。

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(3)僕らが一緒にいる理由

 

20歳で学生結婚、かつ同性婚をした僕ら。

僕らの日々は、決まりきった1日いちにちの連続で成り立っている。

夫より30分前に起床し、朝食とお弁当を作る。

朝の情報番組を横目に、浅い会話を交わしながら朝食を摂り、玄関で夫のネクタイを直してやる。

 

白状してしまうと...退屈だった。

同性同士だからと特別しなくても、結婚生活とは実際こういうものなのかもしれない。

けれども、僕は夫以外の人と結婚したことはないし、知り合いに同性カップルはいないから比較することもできない。

中庭に放置したままだったミニトマトの鉢をひっくり返し、カチカチの土の塊から死んだ根っこを掘り出した。

汚れた鉢をタワシで洗いながら、僕はふと思うのだ。

「家庭に入る」とはよく言うもので、結婚以来、僕の世界はこの中庭...ネコの額ほどの広さ...程度に狭くなってしまった。

例えば、料理番組で「これは」と思ったレシピをメモし、夜の食卓で夫に披露する...僕の楽しみはせいぜいこの程度だ。

出来た夫は美味いを連呼して完食し、久しぶりに一緒に入浴して、そのままベッドへなだれ込む。

行為の流れは変わり映えはしないけれど、小さなサプライズがあった日の快感は強烈で、全裸のまま眠りに就く。

夫に抱かれた翌朝、僕は日記帳に行為の回数を記入する。

 

...なんだ、とても幸福な光景ではないか。

僕は小説家で日々誰とも会わず、自宅に籠りきりの僕に限らず、夫も同様だと思う。

夫も毎日社会に揉まれていてもそれは仕事上におけるものに過ぎず、僕が観察する限りでは、新たな交友関係を築く機会は少ないようだ。

休日は僕と過ごすばかりなのは、一日家に籠りっきりの僕を気遣っているのだ、きっと。

口に出さないだけで、「飽き」がきているのかもしれない。

僕も夫も。

 

僕らは共に健康で、暮らしは正常に機能している。

ボールペンで書く手が止まり、僕はハッとして日記帳のページを遡る。

...おいおいチャンミン、2週間前も昨日も似たようなことを書いていないか?

勢いよく椅子から立ち上がり、押し入れから過去の日記帳を引っ張り出してきた。

それらには、起床時間、食事や買い物の内容、休日の過ごし方、夫が発した面白い言葉...つらつらと暮らしの記録で埋め尽くされている。

そして、昔も今も、同じことばかり書いていることにショックを受けた。

「はあ...」

結局のところ僕が言いたいのは、...2人だけの平和な暮らしに倦んでいる、ということだ。

その感情に浸食されるようになったのは、全て夫の不審な外出のせいだ。

夫だって似たような思いでいるに違いない。

刺激が欲しくなったんだ、きっと。

割烹着を着て大根を切る、所帯じみた僕の後ろ姿にため息をついているんだ、きっと。

 

 

玄関ドアが閉まるや否や、僕はダウンジャケットと帽子を身に着けスニーカーを履いた。

ドアを開けるとぴゅ~っと冷たい空気が吹き込んできた。

薄着は風邪の元だ、僕のマフラーを夫に貸してしまった代わりに夫のマフラーを巻いていくことにした。

門柱の陰から通りの左右を覗き見ると、小走りで遠ざかる夫の後ろ姿を発見!

遅れをとるまいと夫を追いかけながら、僕は暗い気持ちになった。

夫が向かっているのは、駅とは逆の方角だったからだ。

冷え込みがきつい証拠に夜空には雲ひとつない。

 

(浮気?

いやいや、まさか。

僕に内緒で習い事をしているかもしれないし)

 

(マンネリ化した毎日を嘆き、ワクワクが欲しいなんて寝ぼけたことをチラッとでも思った自分の馬鹿バカ!)

 

映画やドラマで仕入れた尾行術をおさらいしながら、隠密行動中のスパイになったつもりで夫を追った。

夜半過ぎの住宅街の人通りはほとんどなく、足音が目立つ。

スニーカーを履いてきて大正解だったようだ。

気配で気取られるよう息を詰めていたが、夫はまさか尾行があるとは疑いもせず、すたすたと目的地に向けて長い脚を動かしている。

 

(言い訳が下手くそ過ぎるのも、正々堂々と不審な外出をするのも全部、後ろめたいことをしている意識がないからだ。

つまり、浮気なんてしていないんだ!)

 

「!」

突然、夫の足が止まった。

 

(つづく)

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]