義弟(5-2 )

 

 

~チャンミン15歳~

 

毎週日曜日、午前9時からの2時間、義兄さんのアトリエでモデルを務めることになった。

 

それ以外の6日間は、義兄さんのことばかり考えていた。

 

学校での僕は孤立していたから、思う存分物思いにふけることができて幸いだった。

 

今では義兄さんは、僕のことを「チャンミン」と呼ぶ。

 

君付けが嫌だった僕は、「その呼び方...止めてください」と。

 

困ったクライアントについて面白おかしく話していた義兄さんは、一瞬口をつぐみ、「わかったよ」と言って、ニカっと笑った。

 

綺麗な白い歯と細めた目が、30過ぎのおっさんのくせに無邪気で、僕の胸は苦しくなった。

 

「チャンミンも、俺のことを『ユノ』と呼んでいいよ」

 

義兄さんはそう言ってくれたが、僕は首を振った。

 

呼び捨てで名前を呼ぶ気安い関係にはなりたくないと、考えを改めたんだ。

 

意に反していたけど、夕食に誘われて義兄さんと姉さんの家を訪ねたことがあった。

 

2人が暮らす部屋は、白と黒に統一された生活感ゼロの空間に仕上げられていて、居心地が悪かった。

 

家具も電化製品も、名前の分からない観葉植物も、僕が手にしたグラスもきっと、高価なものに違いない。

 

「本業の絵よりも、副業の方が忙しくてね。

俺の才能もこの程度ってことさ」

 

義兄さんは謙遜していたけれど、彼の絵がびっくりするような価格で画廊のショウウィンドウを飾っていたのを、僕は知っている。

 

ファストファッションを身につけた自分が、みすぼらしく思えた。

 

来るんじゃなかった。

 

校内で僕に憧れる女子が沢山いようと、ここでの僕は中学男子に過ぎないのだ。

 

悔しいことに、大人な二人には叶わない。

 

ベージュのニットワンピースを着た姉さんと、同じくベージュのニットを着た義兄さん...この2人にとって、僕は『弟』に過ぎないのだ。

 

不愛想で無口な僕に慣れてしまった義兄さんは、「もっと食べなさい」と料理をすすめてくる。

 

僕も話したいことなんて何もなかったから、目の前のものをひたすら口に放り込むことに専念した。

 

テーブルにずらり並んだ、色とりどりの料理。

 

姉さんが料理上手だなんて知らなかった。

 

「チャンミンは太らないの、羨ましい」

 

僕はムッとして、姉さんを睨みつけた。

 

「やだ、怒らないで。

痩せの大食いって、チャンミンのことを言うのよね」

 

痩せっぽっちの身体はどうしようもできない。

 

男の僕は、柔らかそうな身体にはなれないのだ。

 

体重を増やしても、脂肪を醜くまとうだけで、アトリエで見た女たちのような曲線は作れない。

 

悔しい。

 

僕はどうすればいい?

 

義兄さんの愛情を独り占めしている女。

 

葉っぱばっかり齧っていないで、テーブルの上のもの全部食べて、ぶくぶくに太って醜くなればいいんだ。

 

義兄さんに飽きられればいいんだ。

 

「俺はスリムなチャンミンが、気に入っているんだ」

 

翌週、アトリエでそう義兄さんに言われた僕は、返答に困ってしまって俯くしかなかった。

 

嬉しかった。

 

でも、悔しい。

 

でもやっぱり、嬉しい。

 

両耳が熱い。

 

赤くなった耳が義兄さんにバレてしまっているに違いないことも、悔しかった。

 

 


 

 

~ユノ32歳~

 

いきなり全裸になったチャンミン。

 

恥ずかしがる素振りが一切ない潔い行動に驚いた。

 

若い女の子のものだったら、少しはドキッとするけれど、頭の中が作品作りでいっぱいな俺には、性的欲求は起こらない。

 

そういう対象で見ない。

 

だが、俺も男だからその主義が揺らぐ時もある。

 

例えば、心惹かれ合う人と出会ってしまった時...Bだ...のように。

 

「どんなポーズをとればいいですか?」

 

チャンミンの声に、物思いにふけっていた俺はハッとする。

 

ひょろ長い身体を見せつけるように、チャンミンは頭の後ろで両腕を組んでいた。

 

わずかに見せてくれた笑みは消えてしまっていて、残念だったけど、安堵もしていた。

 

なぜなら、唇の端だけで見せたあの微笑は、子供がするものじゃない...あれはいけない。

 

裸になってみせたのは、俺がどんな反応をみせるのかを、試そうとしているんだよな。

 

ほら、俺を睨みつけることを忘れてしまっているよ。

 

俺の反応を見逃さまいと、目をキラキラさせちゃって、...興味津々なことはバレバレだよ。

 

妻の弟なんだからと、気安くモデルを依頼した自分の甘さを反省しかけたが、作品制作に意識を戻す。

 

現在、2作品を並行して手掛けているところで、そのひとつは大学生の女の子をモデルに描いている。

 

在学中から精力的に展覧会に出品し続け、それなりの賞を次々とさらっていくから、展覧会荒しだと友人たちからたしなめられたくらいだ。

 

それなりに認められて、それなりの価格で、それなりの数が売れるようになった。

 

来年のY展の出品を見据えて、テーマを探していたところに、チャンミンが目に留まった。

 

このタイミングでの出逢いに、ちょっとした運命を感じた俺は大げさかな。

 

ところが、裸の男を描くのは学生時代以来。

 

男を描くつもりは全くなかった。

 

チャンミンだから、描きたくなった。

 

画家の目でチャンミンを見る。

 

ソファの肘掛けに頭を預け、背もたれに片腕をだらりと乗せている。

 

喉をのけぞらせて、うつろな眼差しの先はどこでもない宙。

 

必要最小限の筋肉の上に、うっすらついた体脂肪。

 

あばらの浮いた薄い胸、平らな腹へと、なだらかに凹凸なく繋がっている。

 

体毛のない滑らかな肌。

 

骨っぽい脚は、生まれたての小鹿のように細く長い。

 

男でもない女でもない、大人でもない子供でもない。

 

立てた片腿で、ちょうど肝心なところが隠れていたから、余計にそう見えた。

 

欲情を抱いたら罰があたってしまう。

 

それくらい、神聖さを漂わせた美しい身体、だと思った。

 

チャンミンに声をかけてよかった。

 

半年後じゃ遅かった。

 

今しか目にすることができない肢体なのだから。

 

ついひと月前まで、同じソファで裸体を横たえていたBを描いていた。

 

そして現在、Bの弟が一糸まとわない姿で、同じようなポーズをとっている。

 

おかしな気分になって、くらりと眩暈がした。

 

なんだ、この感覚は。

 

今の俺はいけないことをしているかのような気分になった。

 

 

(つづく)

 

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義弟(5-1)

 

~ユノ32歳~

 

 

裸になるには肌寒い気候。

 

チャンミンの肌は鳥肌がたち、胸の先端が縮こまって小さくなっていた。

 

子供のものなのに、色気を感じた。

 

慌てた俺は視線を下に反らしかけたが、その先に黒々としたものがあったため、視線をチャンミンの顔へと戻した。

 

この子は15歳だけど身体は大人に近いんだ、と安心していた。

 

何に安心しているんだ?

 

その時は分からなかった。

 

この子を侮っていたらいけない。

 

この子に操られてはいけない。

 

突き刺すように俺を見る目で分かる。

 

面白半分、かつ真剣に俺を試そうとしている目だ。

 

これまでの年長者の余裕が、あっという間に剥がされてしまった。

 

気を引き締めてかからないと。

 

突っ立ったままの俺をよそに、チャンミンはソファに横たわった。

 

「早くしてください」

 

そう言ったチャンミンの微笑が、妖しかった。

 

 


 

 

~チャンミン15歳~

 

恥ずかしくなかったか、って?

 

さあ...別にどうってことない。

 

少々痩せすぎているかもしれないけれど、顔同様とまでは言えないだろうけど、悪い身体付きじゃないと思う。

 

11月のがらんとしたアトリエは寒々としていて、全身が粟立った。

 

僕は今、義兄さんに見られている...。

 

義兄さんの視点が、僕の顔、胸、腕、腰、脚と、僕の身体を舐めていく。

 

いつの間にか鳥肌は消えてしまい、身体の芯が熱くなってきて...なんだ、これ?と思った。

 

脇の下が汗ばんでくるし、前が膨れてくるし。

 

僕は片膝を立てて、義兄さんに気付かれないよう、それを隠した。

 

素肌をさらした僕とスケッチブックとを、視線を往復させていた義兄さん。

 

祖父母の家に飾ってあった陶器製の女神像を思い出しながら、義兄さんの目がスケッチブックに移った瞬間を狙って、彼の姿を観察した。

 

伏し目にした時の、黒いまつ毛が縁どる上瞼のライン。

 

息が詰まるほど美しいって、こういうのを言うのだろう。

 

義兄さんに見惚れていた...悔しいことに。

 

細い鼻筋と色白だから余計に目立つ、紅くふっくらとした唇。

 

この唇で姉さんにキスをしているのか。

 

最初に目に飛び込んできた、あの絵画...姉さんの裸を描いたのだという...なんだよ、あれは。

 

実物の3倍増しに美人になった姉さんが...今の僕みたいに...上半身を起こした状態で寝そべっている。

 

義兄さんの絵筆を通すと、あそこまで姉さんは綺麗になるのか。

 

つまり、あの絵は義兄さんの目に映る姉さんの姿なのだ。

 

絵の中の姉さんと目が合う。

 

口元をひと房のブドウで隠していて、余計に目元の印象が強まった。

 

ついひと月前に仕上がったと義兄さんは説明していた。

 

結婚式の頃、まさに制作途中だったんだ。

 

裸の姉さんを描いて、結婚式を挙げて、また姉さんを裸にして...。

 

僕が知らない、二人の関係。

 

モヤモヤと重苦しいものが湧いてきて、胃の辺りが不快だ。

 

初日に裸になるつもりは全然、なかった。

 

けれども、あの絵を目にしてしまったら、もう...。

 

こうでもしないと、僕は負けてしまう。

 

負けるって誰に?

 

 

脱ぎ捨てた服を身につけていると、背後から義兄さんの喋り声が聞こえてきた。

 

僕に話しかけているのかな、と目だけを後ろに向けてみたら、なんだ、電話中だったのか。

 

素っ裸になった僕に、義兄さんはもの凄く驚いていた(当然か)。

 

義兄さんの電話は未だ終わらない。

 

さっさと帰ってしまってもよかった。

 

義兄さんのことなんて、何とも思っていなくて、むしろ嫌っている素振りを徹底するには、帰るべきだった。

 

でも僕はそれが出来ずに、アトリエ内を手持ち無沙汰にぶらついて、義兄さんを待っていた。

 

帰り際にひと言ふた言、話したいと望む軟弱な自分が情けない。

 

ちらっと事務所の様子をうかがう。

 

通話に集中している様子の義兄さんを確かめる。

 

壁に立てかけてあるキャンバスを、順に見ていく。

 

「ただのエロ親父じゃないかよ...」

 

ほとんどがヌード画で、中には着衣のものもあったけど、はっきり分かったのは、描かれているのが皆、女であること。

 

そのうち何枚かは同じ女を描いたものだったり、僕と同じ年ごろのものもあった。

 

さっきまで寝そべっていたソファを振り返った。

 

これまで何人の女が、あのソファの上で、義兄さんに裸をさらしたのだろう。

 

あの上でいやらしいことをすることもあったのだろうか。

 

きりきりと胃が痛んだ。

 

うまく呼吸ができなくなった。

 

悔しいことに、描かれたどの女も綺麗だった。

 

義兄さんが描けば多分、どんな女も美人になれる。

 

僕は男だ。

 

女ばかり描く義兄さんが、なぜ僕を描こうと思いついたんだろう?

 

「...Bが好きな方を選んでいいよ...」

 

はっとして事務所の方を振り向く。

 

姉さんと電話中の義兄さんの顔...なんだよ、あの顔は。

 

弓型に細められた目も声の調子も丸く、優し気だ。

 

何がそんなに可笑しいのか、くすくすと笑っていた。

 

脇に垂らした両手をぎゅっと、こぶしに握った。

 

姉さんとの電話に、顔を緩ませる義兄さんに失望した。

 

デレデレして、カッコ悪いと思った。

 

夫婦なんだから当然だけど、義兄さんは姉さんのことが好きなんだ。

 

悔しい。

 

義兄さんの目は曇っているのか?

 

僕を見て、なんとも思わないのか?

 

悔しい。

 

僕が女だったら色仕掛けで迫れるのに。

 

トレーナーの下の、平べったい胸と腹を撫ぜた。

 

僕は男だし、こんな身体で義兄さんを煽ることは難しい。

 

「あはははは」と、義兄さんの笑い声に僕はビクッとする。

 

これ以上、ここに居るのが辛くなって、僕はバックパックをつかむとつかつかと玄関に向かう。

 

義兄さんはスマホを耳に当てたまま 出ていく僕に気付いて慌てた風。

 

「チャンミン君...!」

 

僕は義兄さんの呼びかけを無視して、ひっかけただけのスニーカーを引きずって外へ出た。

 

胸が苦しい。

 

ぐちゃぐちゃな頭の中を整理しないと...!

 

 

(つづく)

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義弟(4)

 

 

~ユノ32歳~

 

ベッドに入って2時間も経つのに、一向に眠気が訪れなかった。

 

「ううん...」と、脇から寝言交じりの妻Bの吐息が。

 

寝返りをうったBは、俺の二の腕に腕をからめてきた。

 

俺はその腕をとって、布団の中に入れてやる。

 

Bの可愛らしい仕草に、夫婦でいる幸福感に満たされるはずが、今夜の俺はそうじゃなかった。

 

Bの寝顔を見たくなり枕元灯を点けた。

 

眩しそうに顔をしかめたが、目覚めることなく寝入ったままでホッとした。

 

俺は子細にBの寝顔を観察する。

 

姉弟だけあって通った鼻筋や高い額など、共通するものがある。

 

Bは美人の部類に入るが、チャンミンには大敗だ。

 

チャンミン...。

 

昼間の出来事のせいで、頭が冴えて眠れなかった。

 

今日初めてチャンミンをデッサンしたのだ。

 

アトリエに現れた時から、デッサン中、俺の質問に渋々といった風に答える声、そして、バッグパックを右肩に背負って帰って行った後ろ姿などを、繰り返しプレイバッグしていたのだった。

 

その中でもハイライトは、チャンミンのとった驚くべき行動だった。

 

あれは普通じゃなかった...あの光景が目に焼き付いている。

 

あの子は普通じゃない。

 

 


 

「モデルになってくれないか?」と依頼した俺に、チャンミンの答えは「いくらです?」だった。

 

「いくら欲しい?」と質問で返した時の、チャンミンの面食らった顔が可笑しかった。

 

「ヌードですか?」と切り返してきたから、「大歓迎だ」ととびきりの笑顔を見せてやった。

 

素直に頷くのが悔しくて、俺を動揺させようとしての言葉だったんだろう。

 

しばらく考え込んだのち、チャンミンは「お金はいりません」とぽつりとつぶやいた。

 

小さな抵抗を見せてみても、結局は素直に従うことになるあたり、子供らしさを感じた。

 

 

そわそわとアトリエ内を行ったり来たりしていた。

 

自分で思っている以上に、チャンミンの訪問を楽しみにしていたらしい。

 

約束の時間15分前にチャイムが鳴り、俺はインターフォンの応答無しにドアを開けた。

 

戸口に立っていたチャンミンは、突然開いたドアにびっくりして目を真ん丸にしていた。

 

瞳の下にひと筋白目がのぞかせた三白眼が、上瞼を見開くと実は大きな丸い目をしていることを知った。

 

そうか、チャンミンの顔はどちらかというと可愛い部類に入るのかもしれない。

 

そこが女性的に見えてしまう理由のひとつなんだと発見。

 

黒のスリムパンツに黒いトレーナーといった私服姿が珍しくて、まじまじと観察していたら、それを不快に思ったのかチャンミンは睨み目に戻ってしまった。

 

ドアを押さえてチャンミンを先に通すと、俺は前もって淹れておいたコーヒーをカップに注いで事務所に運んだ。

 

ここは俺の事務所兼アトリエで、自宅とは別に借りているテナントビルの一室だ。

 

キッチンとシャワールームもあるため、納期が迫っている時はここに泊まりこむ日もある。

 

ベッド代わりにもなる大型のソファの端っこに、チャンミンはちょこんと腰掛けていた。

 

それまできょろきょろと室内を見回していたのを、俺が戻ってきたのに気づいて慌てて姿勢を正していた。

 

約束の時間前に到着していたチャンミン。

 

凄んで見せてもチャンミンは未だ子供で、親に対してぶっきらぼうであっても、真面目な性格は隠せないのだ。

 

チャンミンの揃えた両膝を見ながらそう思った。

 

「せっかくの休日をつぶしてしまって悪かった。

直ぐに取り掛かろうか」

 

チャンミンは軽く頷いた。

 

「こっちがアトリエ」

 

事務所の隣がアトリエとして使っている部屋で、絵の具がこぼれても構わないように、全面にべニア板を敷き詰めている。

 

「完成品は壁に立てかけてあるよ。

もしよかったら、見てみるかい?」

 

訊いてみたところ、小さく首を横に振った。

 

興味はないらしい態度にがっかりしなかったのは、そのうち興味が湧いてこっそり見るだろうと分かっていたからだ。

 

この子はそういう子だ。

 

敢えて俺は、1枚を除いて全ての作品を裏向きにしておいた。

 

チャンミンの好奇心を煽るために、だ。

 

その1枚は、チャンミンの姉...俺の妻...のヌードを描いた100号サイズのものだ。

 

実姉のヌードを目の前に、チャンミンはどう反応するか。

 

アトリエに入ってすぐ視界に飛び込んでくるよう、真正面に立てかけておいた。

 

案の定、チャンミンは立ち止まり、彼の真後ろにつけていた俺と身体がぶつかった。

 

身長は俺の顎辺りに頭のてっぺんがくる位だった。

 

関節ばかり目立つ身体つきがいかにも背が伸びそうで、1年も経たずに俺の背を超えるかもしれない。

 

図体は大きくなっても、チャンミンは10代半ばの子供だ。

 

チャンミンの髪から安っぽいフローラルの香りがして、恐らく家族と同じシャンプーを使っているのだろうと想像してしまい、こういう点からも子供っぽさを感じてしまった。

 

「そこのソファに座ってくれるかな?」

 

アトリエの壁に沿うように置いたソファベッド...白いシーツをかぶせてある...を指した。

 

「......」

 

ちらちらとBのヌード画に視線を送りながら、チャンミンはバックパックをソファの足元に置いた。

 

アート作品であっても、15歳の思春期の少年には女の裸は刺激が強いだろう。

 

しかも、姉の裸だ。

 

愉快な気持ちになって、俺はスケッチブックを手に丸座のスツールに浅く腰掛けた。

 

ところがその直後。

 

チャンミンはトレーナーの裾を持ち、両腕をクロスさせた。

 

「チャ...」

 

裸の下腹から胸、肩へと順に露わになる。

 

素肌に1枚きりのトレーナーを脱いでしまうと、それをソファに投げ、続いてパンツのボタンを外しだした。

 

俺はチャンミンの元へ駆け寄る。

 

勢いよく立ち上がったせいで、俺の後ろでスツールがバタンと倒れた。

 

「裸になれとは言っていないよ」

 

チャンミンの手首をつかんで制した。

 

見た目通りの細い手首だった。

 

衣服を脱いだことで、チャンミンの体臭がふわりと香る。

 

子供とは言え10代半ば、脂っぽい若者の臭いだった。

 

「え...?

ヌードを描きたいんでしょう、義兄さん?」

 

それまで一文字に引き結ばれていた唇の両端が、持ち上がった。

 

チャンミンの笑顔を初めて見た瞬間だった。

 

それから、俺のことを「義兄さん」と初めて呼んだ。

 

三白眼はそのままに口元だけで笑ったチャンミンに、俺の背筋がぞくりとした。

 

俺の手が緩んだ隙に手首を引き抜くと、チャンミンは残りの衣服を脱いでしまった。

 

「義兄さん。

準備が出来ました」

 

チャンミンは一糸まとわぬ姿になった。

 

恥じらう様子が一切ない、堂々とした立ち姿だった。

 

 

(つづく)

 

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義弟(3)

 

 

~チャンミン15歳~

 

「ユ...ノ...」

 

人差し指に触れる唇の動きを楽しんでいた。

 

「ユノ...」

 

小声で発音してみて、「ノ」のところで舌が上顎に触れる感触や、音の響きを楽しんだ。

 

「ユ...ノ...」

 

制服のままベッドにダイブした僕は、かれこれ15分以上、あの人の名前を声にのせては喜ぶ遊びに夢中になっていた。

 

ユノ...。

 

呼び捨てで呼んで、生意気だって思われよう。

 

「はあぁぁ」

 

それはとてもとても、出来そうにない。

 

仰向けになり、両手で自分の顔に触れてみた。

 

『絵のモデルをやってくれないか?』だって。

 

『チャンミン君はいい顔をしている。

君を描いてみたい』だって。

 

僕がこうもとろけているのは、義兄さんに近づけるチャンスが到来したからだ。

 

近づけるチャンスなんて、実はあり過ぎるほどあった。

 

僕にはいくらでも、義兄さんに近づく口実はあるのだ。

 

だって、僕の姉さんの『夫』。

 

妻の『弟』である僕は、義兄さんの家に遊びに行くことくらい普通のことだ。

 

でも自分の方からは、絶対に接近しない。

 

声をかけるのは義兄さんの方だ、と決めていた。

 

姉さんが婚約者を紹介するからと自宅に義兄さんを連れてきた日、階段ホールの上から玄関を見下ろしていた僕は、初めて彼を見た。

 

「この人に決めた」って思った。

 

 

姉さんに恋人がいるとは知らなかった。

 

姉さんとは子供の頃は仲のよい姉弟だったが、今はいいとは言えない。

 

年が10歳以上離れている姉弟なんて、こんなものじゃないかな。

 

僕は両親とも必要最低限の言葉しか交わさない。

 

ぐれているのでもない、暴言を吐くこともない、学校にはちゃんと行っていた。

 

(思春期特有のものなのかな)中学に上がってから、オフィシャルな僕として始終不機嫌そうな面構えを心がけるようになった。

 

最初は努力が必要だったのが、仏頂面でいるのが常となった。

 

上目づかいで空を睨んでいれば、大抵の者は近づいてこない。

 

「なぜ?」と問われても、「分からない」としか答えられない。

 

何か凄惨な過去があったわけでもない。

 

僕の中の、ひねくれて天邪鬼な性質が、10代になって前面に出てきたのだと思う。

 

不貞腐れた表情の下、僕は他人を観察する目で見、「こいつはくだらない」、「頭が悪そうな奴だ」、「こいつはまあまあだな」とジャッジしては楽しんでいた。

 

多分...自分はとても優れた何かで、自分以外の者は皆劣った奴らばかりだと、小馬鹿にしていたのだろうな。

 

こうして一人きりになった時だけ仮面を脱いで、強張った頬をほぐして、初心な自分を解放する。

 

緩みきった顔は誰にも見せられない。

 

何がしたいのか、どっちが本当なのか僕にはわからない。

 

 

義兄さんをひと目見た時、「天使みたいだ」と思った。

 

ダークカラーのスーツを着ていたのに、真っ白な衣を身にまとった「天使」に見えた。

 

美人、とは義兄さんみたいな人を言うのだろうな。

 

姉さんみたいな凡人には勿体ない。

 

心中渦巻くダークな考えを整理したくて、階下から僕を呼ぶ姉さんの声を無視して自室にこもった。

 

「ごめんね、ユノ。

チャンミンは難しい子だから」

 

難しく見せていることを、どうして分かんないんだろう?

 

背中を丸めて横たわり、僕はくつくつと笑っていた。

 

決めた、あの人にしよう。

 

初めて義兄さんから声をかけられたとき、彼の眼差しから媚の色を見つけてしまって、心底幻滅した。

 

僕に好かれようとしている。

 

幻滅したけど、力関係は僕の方が優位であることが明らかになって、僕は満足だった。

 

やり過ぎなくらい、嫌悪感丸出しの視線を義兄さんに注ぎ続けた。

 

義兄さんはいずれ、僕のことを無視しきれなくなる。

 

接近をはかろうとしてくるはずだ。

 

そして結婚式からふた月経った今日、義兄さんから僕に依頼があった。

 

「絵のモデルになってくれないか?」と。

 

僕は胡散臭そうな表情を保ったまま、「いくらです?」と頷く代わりに質問した。

 

義兄さんは一瞬ぎょっとした風だったけど、すぐに笑顔を取り戻して「いくら欲しい?」と逆に訊いてきた。

 

その質問の答えは用意していなかったから、「ヌードですか?高いですよ」と答えた。

 

義兄さんは僕の答えにきょとんとした後、「あーはっはっは」と声高らかに笑った。

 

義兄さんの破顔と大きな笑い声に驚いてしまって、僕は黙り込むしかなかった。

 

「脱いでくれるんだ?

大歓迎だよ」

 

面白そうに僕を見下ろす義兄さん。

 

悔しい。

 

義兄さんは僕より背が高い。

 

西欧の人みたいに、全身のバランスが完璧だ。

 

悔しい。

 

これまでスーツ姿しか目にしたことがなかったから、Tシャツの上にジャケットを羽織り、チノパンといったラフな格好の義兄さんが新鮮だった。

 

手くるぶしに絵の具の青がこびりついていた。

 

義兄さんは画家なのだ。

 

「この人だ」と決めた理由。

 

義兄さんが完璧に美しいからだ。

 

僕以上に。

 

自分の容姿が抜群に優れていることを、12歳の時に自覚した。

 

ただの子供だと見下していた年上たちが、僕が成長するにつれ、僕を見る目が変わってきた。

 

鏡に映る自分を飽きもせず、顔を右に左にと傾けて観察した。

 

そうか、人はこの顔を見て僕に気に入られようとするのか。

 

ところが、僕を上回る人物に出会ってしまい、しかも17歳も年上の大人だった。

 

悔しい、でも近づきたい。

 

義兄さんをもっと間近で見て、触ってみたい。

 

笑顔は既に見た。

 

驚いた顔、困った顔、がっかりした顔...。

 

それから、苦痛に顔をしかめ、嘆き悲しんで涙を流す義兄さん。

 

あの綺麗な顔が、どれだけ醜くゆがむのかを確かめてみたい。

 

義兄さんを睨みつけながら、僕は彼が近づいてくるのを待っていたのだ。

 

義兄さんの名前を舌で転がす僕の内心に、喜びにとろける感情とどす黒い嫉妬の念が同居していた。

 

 

(つづく)

 

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義弟(2)

 

 

~ユノ32歳~

 

俺は女性だけを描く画家だ。

 

どの作品にもモデルがいて、直近では妻Bを描いていた。

 

俺は少し前まで美術系専門学校で講師を務めており、そこで事務員をしていたBと知り合った。

 

Bは二重まぶたの大きな目をした美人で、その目が少し離れ気味なのが魅力だった。

 

長時間アトリエで向き合っていれば、恋愛感情が湧くのは当然の流れ。

 

1年半の交際期間を経て、俺たちは夫婦の関係となった。

 

チャンミンを初めて目にした時、当然だが「さすが姉弟、似ている」と思った。

 

ほっそりとした体つきも似ていた。

 

ただし、陽性な性格と雰囲気をもつBに対して、チャンミンは根暗な雰囲気で、じとりと湿度の高い眼の持ち主だった。

 

陰気な眼で睨まれて、確かにいい気はしない。

 

けれども白目と黒目の境がくっきりと綺麗で、その濁りのなさにハッとさせられた。

 

俺をガンつけるのは、悪ぶって見せたがる子供らしい反抗心に過ぎない。

 

だから今のところ嫌われてはいるが、神経質に気にする必要ないな、と。

 

女性しか描かない俺がチャンミンを抜擢したのは、彼の中に女性的な華奢さを感じ取ったのが理由だ。

 

それがどこからくるのかは、現段階では説明できない。

 

披露宴の日、人混みから距離を置き、ラウンジの壁にもたれて俺を見ていた。

 

急に手足が伸びた証しとして、ブレザーから手くるぶしが覗いていた。

 

俺は頭の中でデッサンを始めていて、くるぶし骨が作る影を寝かせた鉛筆で塗りつぶしていた。

 

俺を嫌っていながら、ずいぶん熱心に俺を見るんだな。

 

未だ15歳というから、曖昧な...デッサン過程にある...姿形。

 

どんな姿に成長していくのか興味があった。

 

きっと、一か月後にはまた違った顔をしているだろう。

 

俺の隣で招待客たちに笑顔振りまく愛しいBと、血が繋がっているのか...。

 

この点も、俺の好奇心に拍車をかけた。

 

そんなことよりも!

 

ぞくりと背筋に寒気がたつほどの美少年っぷりに、絵筆をもってその美しさを再現してみたくてたまらなかったのだ。

 

 

「ユノさん!

ごめんなさいねぇ、チャンミンは未だ帰ってきてないの。

もうすぐだと思うんですけどねぇ」

 

「お時間取らせて申し訳ありません」

 

玄関口で俺を出迎えたチャンミンの母親に、俺は詫びをいれリビングに通された。

 

片付いてはいるが日用品がごちゃつく、ごくごく普通のLDKだ。

 

統一感のない家具が並ぶリビングをさりげなく見回しながら、こうも生活臭漂う部屋であの美少年が生活をしていることが想像しにくい。

 

レース模様のビニールクロスのかかったテーブルで、朝食を摂る姿を...背中を丸めて、長い指でぎこちなく箸を使うチャンミンを...想像してみる。

 

そのミスマッチさに色気を感じた。

 

これまでに数度この家を訪れていたが、毎回チャンミンとは会えずじまいだった。

 

だから、まともに対面したのは両家顔合わせの際のわずか数分だ。

 

そんな短時間に、俺はぐっと集中してチャンミンを観察していたのだろうな。

 

「Bは元気にしてる?

電話もなし、顔も出さないはで...元気な証拠よね」

 

と、お茶の用意をする義母さんの話しかけに、「そうですね」と相づちをうったり、世間話に笑ってみせたり、俺は以上のことをぼんやりと考えていた。

 

そして、チャンミンの母親の承諾を取るため、ある提案について語り始めた。

 

 

「おかえり!

チャンミンにお客さんよ」

 

「誰?」

 

義母さんの元気のよい声が玄関の方からして十数秒後、リビングの戸口から現れた。

 

ひょろ長い身体と、小さな頭。

 

紺のブレザー、えんじ色のネクタイ、白いシャツ。

 

ソファに座った俺と目が合う。

 

うすぼんやりとしていた表情が、ハッとしたように引き締まり、二重瞼の眼が一瞬大きく見開いた。

 

「......」

 

「やあ」

 

俺は笑顔でソファから立ち上がった。

 

「......」

 

チャンミンは予定外の来客に面食らったせいで表情が作れずに、あやふやな視線を彷徨わせている。

 

俺は内心、可笑しくてたまらない。

 

なんだかんだ言ってもまだ15歳、子供だ。

 

「あなたに用があるそうよ。

突っ立っていないで...座って!」

 

さすが母親、不愛想な息子に構うことなく、ソファを指さし座るよう促した。

 

「...さて、と」

 

ソファはひとつきりで、チャンミンは俺の隣に座るべきか迷っているみたいだった。

 

数秒ほど逡巡したのち、チャンミンはソファの一番端にすとんと腰を下ろした。

 

少しでも距離をとろうとする小さな抵抗に、笑みがこぼれてしまう。

 

チャンミンは真正面を向いたままだったおかげで、笑った口元が見られずに済んでよかった。

 

チャンミンは難しい性格のようだから、ここで機嫌を損ねてしまったら、俺の目的が果たせなくなる。

 

長めの前髪を斜めに流し、耳にかけていた。

 

白い衿から伸びる首の皮膚はキメが細かい。

 

「急に訪ねてきて悪かった。

チャンミン君に頼みたいことがあって、来たんだ」

 

横顔を見せたままのチャンミンに構わず、俺は話しかける。

 

「2足のわらじ状態だけど、俺が絵を描いていることを知ってるよね」

 

「......」

 

ブレザーの袖から突き出た手首が細かった。

 

「俺の絵を、見たことないよな?」

 

自身の指や爪に視線を落としているチャンミンからの返答は予想通りゼロで、それにも構わず俺は話を続ける。

 

確率的に、8:2かな。

 

今日のところは駄目でも、根気よく説得し続ければ首を縦に振ってくれると踏んでいた。

 

無関心さと不機嫌を装っているのは、多少なりとも俺に興味がある証拠だ。

 

隣に座るよう言われて、迷ったふりも数秒ほどしかもたず、素直に座ったんだ。

 

「作品を見てから判断してもらっても、構わないんだが...」

 

「そう親しくもないのに、急に頼みごとをしに来て申し訳ない」

 

チャンミンは顔の位置はそのままに、視線だけをこちらに向けた。

 

伸ばした手の平にのせた餌につられて、警戒心の強い野良猫が頭を落として近づいてくる...そんな感じだと思った。

 

「......」

 

つくづく綺麗な顔をしている。

 

全くの無表情に見えるが、こちらに向いた横目がキラリと光っていた。

 

「チャンミン君に頼みたいことがあるんだ。

返事は今日じゃなくていい。

君は未成年だからね、ちゃんとお母さんの許可は貰っている。

その点は安心していい」

 

「...で?」

 

声変わり途中の、高いような掠れ声だった。

 

「チャンミン君は、いい顔をしている」

 

「?」

 

片眉がぴくりと持ち上がって、チャンミンはゆっくりとこちらを向いた。

 

「絵のモデルになってくれないか?

君を描いてみたい」

 

俺の来訪に驚いた時以上に、目が大きく丸くなった。

 

だがそれも一瞬で、即座に無表情に戻った。

 

「......」

 

間髪入れずに「お断りします」と来るかと覚悟していたのに、俺の話をじっくりと検討している様子だった。

 

「いくらです?」

 

上目遣いで俺を睨みつけるチャンミン。

 

「いくらですか?」

 

全くの予想外の回答に、俺の表情が固まってしまった。

 

 

(つづく)