(41)チャンミンせんせ!

 

 

(せんせの馬鹿野郎!

俺の気持ちをどうして分かってくれないんだ!)

 

土砂降りの中、傘もささず、ずぶ濡れになって大泣きしている若い男。

前髪から水が滴り落ち、濡れた衣服を肌にはりつかせた美青年...極めて絵になる。

 

(馬鹿野郎、馬鹿野郎!)

 

斜め降りの雨に、すれ違う通行人たちは皆、傘を前方に深く傾けている。

 

(今の俺の姿...あの夜のせんせと一緒じゃん。

そっか...せんせはこんなに辛い気持ちを味わっていたんだな。

胸が張り裂けそうだよ...)

 

ユノは帰宅ラッシュの者たちをすり抜け、ぐいぐいと前に向かって歩いていたが、実際のところ、どこへ向かえばいいのかわからなくなっていた。

 

「さむ...」

 

腕に鳥肌がたっていた。

 

(早く身体を温めないと、風邪をひいてしまう。

明日は大切な卒検なんだ)

 

ぐちゃぐちゃな感情のまま、雨の中をやみくもに歩くのには、今は相応しくない時だ。

そう判断できるほど、ユノは冷静な男だった。

 

(せんせはこだわりに囚われているだけだ。

軽々しく付き合って欲しくない...そう言いたかっただけだ、きっと。

分かってるけど、やっぱりショックだったよ。

今はせんせに会いたくない。

頭を冷やして、学校を卒業してから会いたい)

 

体調を崩したことで、散々な検定結果になってしまったら困るのだ。

 

(せんせを悲しませてしまう)

 

チャンミンに『馬鹿野郎』と怒鳴ってしまったが、それで関係は終わってしまったとまでは考えていなかった。

カッカと頭に血が上っていたのが、あの場を離れて、雨に打たれているうちに冷静になってきた。

チャンミンがどんな意図をもってあんなことを言ったのか、分かったような気がしてきた。

 

(もしかして...)

 

ユノの感情は、思い煩ったり一気に突き進んだりとアップダウンが大きいが、本心を見失うことはない。

 

(それが、チャンミンの目を眩ませる、若さなんだろう)

 

冷静沈着に見えるチャンミンは、感受性豊かゆえに迷いと恐れで気持ちが揺れがちだ(その脆さがチャンミンの魅力でもある)

 

(はて...ここはどこだ?)

 

自転車は学校に置きっぱなしだから、バスか電車を使うしかない。

現在地を確かめもせず、チャンミンの車から飛び出してきてしまった。

最寄駅を調べようと後ろポケットを探った時、いやに身軽な自分に気づいた。

 

ユノの背筋がさーっと凍り付いた。

 

(NO~~~~~!!)

 

チャンミンの車に乗り込む時、確かに持っていたバッグが...ない!

ユノは手ぶらだった。

 

「マジ...マジかよ!?」

 

ユノは怒りと興奮で足元に置いたバッグの存在を忘れてしまい、そのまま車を降りてしまったのだ。

 

(せんせの車ん中だ!

どこかで落ち合って、持ってきてもらわないと!

それとも、せんせんちに直接行くか...)

 

「......」

 

(...無理だ、できない!!

今だけはせんせの顔を見られないし、俺の酷い顔を見られたくない。

『馬鹿野郎』って怒鳴られて、せんせこそ今は俺の顔を見たくないに決まってる!)

 

ユノは歩道からビルの軒下に移動すると、問題解決までの方法を思案し始めた。

バッグの中身は、財布、参考書、筆記用具とお菓子。

財布については幸いスマートフォンがあるから、大抵の支払いは済ませられるが、学生証が無いのはちょっと困る。

試験勉強は既に十分やってきたから、参考書は必要ない。

 

(大して慌てる必要は...ないかな?)

 

檻の中の熊のようにウロウロと、その場を行ったり来たりしながら、1つ1つ問題点を洗い出し、1つ1つ潰していった。

 

(んなことねぇ~~よ!)

 

最も無くてはならない物があった。

部屋の鍵だ。

自転車の鍵と一緒に、バッグの外ポケットに入れていたのだ。

つまり、ユノは自宅に入ることが出来ない。

 

(...これは非常に由々しき問題だ。

どうしよう...う~ん)

 

ユノはしばらくの間、腕を組んで唸っていたが、「決まりだ!」とうな垂れていた頭を持ち上げ。

 

(まるちゃんちに転がり込むしかないな。

俺って素晴らしい友を持ってるぜ)

 

ユノはマルちゃんのアドレスを呼び出した。

 

 

 

チャンミンはストレートに、心に巣食い始めた疑いと不安をユノに打ち明けていればよかったのだ。

 

『ユノと付き合いたいが、僕は沢山の不安を抱えている』と。

 

そうしたらユノは、口調は呆れた風だが、確実にチャンミンを安心させてくれる言葉をくれたはずだ。

 

「付き合ってもいないうちから、何言ってるんすか?

せんせは口に出していないだけで、心の中は心配ばかりでしょう?

俺はそう見ています。

当たりでしょ?

そんなんじゃ、禿げますよ?」

 

ユノの目にはチャンミンしか映っていないのに。

これまでのユノの行動を振り返ってみれば、チャンミンの心配は杞憂に終わるだろうに。

 

 

「ユノ...お前、酷い状態してんな」

 

ドラマCDを視聴していたまるちゃんは、本格派ヘッドホンをして出迎えた。

 

「いろいろあって...。

風呂貸してくんない?

服も貸して。

話は後でする」

 

「ったく、しょうがね~な~」

 

「宿泊費代わりにフライドチキンを買ってきた」と、揚げたてチキンの箱が入ったビニール袋をまるちゃんに手渡した。

 

 

「はあぁぁ、コタツはいいねぇ」

 

湯上りのユノは、ぬくぬくと顔半分までコタツにもぐりこんだ。

 

「おい!

コタツを揺するな!」

 

背中と膝を曲げてはいるが、長い脚がはみ出ている。

 

「腹減った。

肉食おう」

 

ユノはコタツから這い出ると、フライドチキンの箱を開けた。

 

「いいね、肉食おう。

クッキーの香りがする紅茶を手に入れたんだ。

淹れるよ」

 

「クッキーってお菓子のクッキー?」

 

「ああ、珍しいだろ?

いい香りなんだよ」

 

まるちゃんは湯を沸かし始め、ユノは小皿とカップの用意を手伝った。

食事の用意が整い、2人は「いただきます」と手を合わせると、いざ1本目のチキンレッグにかぶりついた。

 

「...フラれたのか?」

 

まるちゃんは、尋問を開始した。

 

「フラれてないよ」

 

「泣いてたじゃん」

 

「あれはな、哀しかったんだよ。

『男とヤレるか?』って俺に訊いたんだぜ?」

 

「『ヤる』!?

セックスのことか!?

単刀直入だなぁ」

 

「急にそんなこと言われたら固まるだろ?」

 

ユノは車内で交わした会話の内容を説明した。

 

「ヤレるかヤレないかが、付き合えるかどうかの条件じゃねぇ、って。

相手のことが好きならさ、その時になれば自然と出来るものじゃないの?

『けつの穴に挿れられないなら、僕とは付き合えませんよ』ってな感じの言い方だったんだ。

俺さ、すげぇムカついて、せんせに『馬鹿野郎』って言っちまった」

 

「やったじゃん」

 

「え?」

 

「よくぞ言った」

 

「なんで?」

 

まるちゃんに『先生に馬鹿野郎は無いだろう!?』と叱られるかと思ったら、真逆に褒められて、ユノはきょとんとしてしまった。

 

 

(つづく)

 

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(40)チャンミンせんせとイチゴ飴

 

ユノは閉店間際のレンタカーショップに飛び込んだ。

 

交付したての免許証を提示した時のユノは、どこか誇らしげだった。

 

このユノとチャンミンの努力の結晶は、事務所の蛍光灯を反射してピカピカ光っていた。

 

さくさくと手続きを済ませ、ショップを出たユノの車は、真っすぐ高速道路入口に向かうのではなく、アパートに寄った。

 

着替えの用意は1泊程度なら不要だったが、ユノにはどうしても持ってゆきたいものがあったのだ。

 

アパートの階段を1段飛ばしで駆け上がり、5分もしないうちに階段を駆け下りてきた。

 

そしていよいよ、ユノはチャンミンの元へと出発したのだった。

 

背もたれの角度、ハンドルを握る手の位置、バックミラーの傾き...すべてチャンミンの指導通りだった。

 

当然、スマートフォンはドライブモードに切り替えた。

 

 

深夜の高速道路はがら空きで、目安となる前方車もないせいで、ヘッドライト頼りの運転の疲労度は高かった。

 

頭の芯はしびれたような感じがするし、眼もかすんでいる。

 

(ここで事故ったりしたら、元も子もない!)

 

この状態で運転するのは危険だと判断し、サービスエリアで休憩を取ることにした。

 

 

深夜のサービスエリアの駐車場はがら空きで、時間調整中のトレーラーが専用駐車場を埋め、アイドリング音をとどろかせていた。

 

シャッターを閉めたスナックスタンド、自動販売機が放つ明かりの列、終夜営業のカフェテリア。

 

夕食を取り損ねていたが、先を急ぐユノにはカフェで食事をする余裕はない。

 

「...疲れた」

 

ユノは眉間を揉み、パンパンに張った太ももをほぐそうと屈伸運動をした。

 

長身のユノに対してこのレンタカーは狭すぎて、長い脚を伸ばすことができない。

 

眠気覚ましのブラックコーヒーが、疲れた舌に苦かった。

 

ユノの車はカーナビゲーションの案内通り、制限速度を守って走り続けてきた。

 

ルートは間違えていないし、夜間の高速道路は渋滞の心配はない。

 

ここまで順調と言えたが、免許取りたてのユノにとって、わずか2時間のドライブであっても負担が大きかった。

 

「...あれ」

 

スマートフォンを確かめてみると、着信が10件も入っていた。

 

いずれも発信者はまるちゃんで、着信時刻は22時から5分刻みで連続していた。

 

ちょうど高速道路走行中の頃だ。

 

「なんだろ?」

 

一番くじ協力要請だったとしても、この着信回数は執拗だった。

 

電話をかけるには遅すぎる時間帯だが、夜行性の親友相手ならば気にする必要はない。

 

まるちゃんは1コール目で出た。

 

開口一番が、『電話に出ろよ、ば~か』だった。

 

「出れるかよ。

取り込み中だったんだ」

 

『“取り込み中”...ね。

何かよからぬことをしてるだろ?』

 

「......」

 

『アホか!』と呆れられること100%だと分かっていたユノは、返答を控えることにした。

 

「俺に何か用事か?

何度も電話かけやがって。

行列に並ぶとか、今日は無理だからな」

 

『今回に限っては違う。

なあ...“取り込み中”って言ってたな。

先生がらみのことだろ?』

 

「...そんなとこ」

 

まるちゃん相手にしらを切っても、どうせ暴かれてしまうからと、早々に認めたユノだった。

 

『先生と連絡が取れずにいるんだろ?』

 

「どうして分かった?」

 

『お前のダーリンが俺に会いにきたから』

 

「は?」

 

『ユノに伝えたいことがあるってさ』

 

「せんせが!?」

 

『連絡つかなかっただろ?』

 

「ああ」

 

まるちゃんは以前、チャンミンから伝言を依頼されたことがあったのだ(『チャンミンせんせ!』より)

 

『スマホのバッテリーが切れてたとかなんとか言ってたな。

代わりに俺のスマホを貸してやったんだが、ユノ、お前電話に出なかったじゃん』

 

「あの着信はそうだったのか...!」

 

あの時のユノは、チャンミンと連絡が取れないことで気もそぞろ、「どうせ大したことじゃないだろう」と親友からの電話をまるで無視していたのだ。

 

「...せんせんちで、何か大変なことが起こったらしいんだ」

 

『何かあったのか?』

 

「詳しいことは分からん。

まるちゃんは何か聞いてるか?」

 

『実家に帰らないといけないと言ってた。

お前の心配をする余裕はあったみたいだから、最悪なことが起こった風には思えなかった』

 

「それならよかった...」と、ユノは安堵の深い吐息をついた。

 

悲観論者のまるちゃんが「大丈夫だ」と言うのだから、信じてよさそうだった。

 

「で、せんせは何て?」

 

会話を邪魔するエンジン音がうるさくて、ユノは狭いレンタカーに戻った。

 

『お前に謝りたいんだとさ

アナルビーズとかセックスとか、ごちゃごちゃ言ってたなぁ。

変態プレイをしかけてゴメン、って言いたかったんじゃないの?』

 

「へ、変態じゃね~よ!」

 

性具がなぜかバルコニーに転がっていたのは事実だった。

 

(初めてそれ...赤のシリコン製でイチゴの形状...を見た時、最近は可愛いものがあるんだなと感心してしまった)

 

「せんせは大人なんだって。

そういうグッズを持ってるからって、変態じゃね~よ」

 

『へーへー。

お前たちの間に何があったかは知らんけど、先生はお前に『ゴメン』って言いたかったってこと』

 

直接伝えられた言葉じゃなかったとしても、ユノの胸がじんじんと熱くぬくもってきた。

 

心配と不安のあまり浅かった呼吸も、身体の力が抜けたおかげで、久しぶりの深呼吸をつくことができた。

 

ユノはチャンミンに会うため、夜通し車を走らせるつもりだと打ち明けた。

 

『無茶するなよ』

 

「分かってる。

事故ったりしたら、せんせが悲しむ。

安全運転で行くよ」

 

『絶対だぞ』

 

「ああ」

 

まるちゃんとの通話を終えたユノは、バッグからあるものを取り出した。

 

アパートに一度寄ったのも、これを持ってゆきたかったからだ。

 

チャンミンからもらった手紙だった。

 

卒業検定を前にしたユノ宛に、励ましの言葉に愛の告白を忍ばせた手紙だった。

 

 

ユノさんへ

 

僕は出来のよい指導員じゃなかったと思います。

僕の教え方は淡々としていて、話し方も冷たくに聞こえていたでしょう。

でも、教えるべきところは全て教えたつもりです。

車は凶器です。

ハンドルを握ること=沢山の人の命を預かることです。

事故も違反も起こさないドライバーになって欲しかった。

だから、教習中はよそ見をしないよう、教習にだけ集中してもらいたかったのです。

ひとつ、ユノさんに自信を与える話をしましょう。

僕が初めて運転免許を取ったとき、落ちこぼれでした。

補習も沢山受けましたし、仮免も卒検も落ちました。

そんな運転が下手くそだった僕が、指導員になれたのです。

なぜ合格できたのだと思いますか?

練習を沢山したこともあります。

それ以上に、ひとつひとつの操作を丁寧に、安全確認を省略せずに運転することを心がけたからです。

そんな運転をユノさんに教えてきました。

深呼吸して肩の力を抜いて、運転してください。

―チャンミン

 

 

「...っ...」

 

文字のひとつひとつ噛みしめるように読み返した。

 

目尻にたまった涙を袖口で拭った。

 

ユノが着ているトレーナーも、チャンミンからの借りものだ。

 

「せんせ...分かってますって。

安全運転で急いでせんせに会いに行きます」

 

ぐぐっとこぶしを握った。

 

ダッシュボードに置いたスマートフォンが突如震え出した。

 

ディスプレイに表示された名前を目に、ユノの息が止まった。

 

(せんせ!!)

 

(つづく)

 

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(40)チャンミンせんせ!

 

 

チャンミンは、コンビニエンスストアの駐車場へ慎重に車を乗り入れた。

 

本降りの雨になっていた。

 

雨粒はフロントガラスに波紋を作って視界を遮り、濡れた路面にヘッドライトが反射して目を眩ませる。

 

雨の夜...特に日の入前後は運転がしにくい。

 

ユノはコンビニエンスストアの軒下で雨宿りをしていた。

 

ヘッドライトを消すと、たった今到着した車がチャンミンのものだと分かり、ユノは笑顔になって手を振った。

 

「せんせ!」

 

チャンミンは頷いて見せた。

 

(辺りは暗いし、外からは車内は見えにくいし、ユノは男だし、明日には卒業だし...)

 

チャンミンは心の中で沢山の言い訳をしていた。

 

チャンミンは助手席の荷物を後部座席へ移し、長身のユノのためにシートを後ろに下げた。

 

「お願いしま~す」

 

ユノは素早く助手席に収まると、「せんせの車だ~」とウキウキと、シートベルトを締めた。

 

「ユノさん、濡れてるじゃないですか!?」

 

「傘を持っていないんですから、濡れるに決まってるでしょ?

...あ、そっか!

せんせの車ん中を濡らしちゃいましたね、すんません」

 

「車のことはどうでもいいのです。

ユノさん、寒くないですか?

暖房を入れましょう」

 

ユノを学校から乗せてやるわけにはいかず、わずか2、300mに過ぎない距離であっても、大雨の中を歩かせてしまった。

 

今の季節にしては肌寒い気候で、明日検定を迎えるユノに風邪をひかせたらいけないのに。

 

ユノは、チャンミンが困ること...特定の教習生を特別扱いしていることがバレること...をさせたくなくてここまで歩いただけだが、チャンミンは罪悪感でいっぱいになった。

 

(つくづく自分が嫌になる。

この恋は、自分の心配しかしていない恋だ。

ユノの気持ちよりも、自分が傷つきたくないばっかりに、言い訳ばかりしている)

 

「え~っと、どこへ行きましょうか?」

 

(僕の部屋かユノの部屋か、どちらかなんだろうけど...)

 

チャンミンは「どこかで食事でも...?」と、誘おうか迷っていた。

 

誘い文句が引っかかった喉がむずむずした。

 

深層の不安と怯えを無視して、「ユノと一緒の時を過ごしたい」という本心が、時おり顔を出す。

 

ところが、ユノの答えは意外なものだった。

 

ユノは迷った素振り無く、「××駅まで...いや、〇〇駅まで送ってください」と言ったのだ。

 

「え?」

 

チャンミンは拍子抜けした。

 

ユノのことだから、「夕飯を食べてゆきましょう」「せんせんちに遊びに行っていいですか?」「俺んちまでお願います」とお願いしそうだったからだ。

 

「家まで送りますよ?」

 

「いえ。

駅まででいいんです」

 

「どうして?

送りますよ」

 

「じゃあ...お言葉に甘えます。

俺んちは、××駅の近くです。

××駅は分かりますか?」

 

「ええ」

 

(いつものユノと違う...)

 

チャンミンはぐいぐいこないユノが不満だった。

 

ちらりちらりと、ユノの様子を窺ったが、ユノはフロントガラスの向こうを見据えたままだった。

 

チャンミンの中で不安がむくむく膨らんできた。

 

(僕のことが、嫌になったのかな)

 

ユノは、先日のまるちゃんとの会話を意識していたため、自然と言葉控え目になっていただけだった。

 

ユノの心の中では、チャンミンに伝えたいこと、尋ねたいことが沢山ひしめいていた。

 

2人きりになったことでテンションが上がり、勢い余って失礼な言葉...チャンミンを傷つけてしまうような言葉を口にしてしまうことを恐れていたのだった。

 

(でも...やっぱり、2人きりになりたいんだよなぁ...俺)

 

Qとの会話を一方的に打ち切りその場を離れた後味の悪さが、チャンミンの姿を見た途端に消し飛んだ。

 

結果、「一緒に帰りましょう」と強引に誘ってしまったのだ。

 

晴れて恋人同士になったら、少しずつ1つずつ、お互いを知ってゆけたらいいな...ユノはそんな風に考えていた。

 

「ほら、明日って大事な日でしょ?

せんせんちに行ったら、俺、絶対にはしゃいでしまうと思うんす。

だから、体力と気力の温存です。

それに、俺んちは汚な過ぎて、今日は無理です、ははは」

 

「そうですね。

...お腹は空いていませんか?」

 

チャンミンは、「こう尋ねたら、『どこかで夕飯食べて帰りましょうよ』と、ユノは飛びついてくるはずだ」と見込んでいたが...。

 

「空いてますけど...せんせとご飯を食べるのは、試験が終わってからにします。

俺、せんせおススメの店に連れて行ってもらうのが、すげぇ楽しみなんです。

せんせ、車だから、アルコールを我慢しなくちゃいけないでしょう?」

 

「あ...!

そうだったね」

 

ユノからの告白の返事を先延ばしにしたのはチャンミンの方で、それとは裏腹に、気持ちばかり先走っていたのもチャンミンだった。

 

(攻めて欲しいのか、今は控えて欲しいのか、僕は一体どっちなんだよ。

ユノを待たせたのは僕の方じゃないか。

ユノならきっと僕の返事を待ってくれるだろうって、僕は甘えていたんだ。

...ったく、何をもったいぶる必要があるんだよ)

 

「俺もせんせも晴れて合格してから、美味いものを食いにいきましょう」

 

「そうだね」

 

(僕もユノのように、気持ちに素直に従って行動したい。

前の恋の時は、積極的だったじゃないか!

ユノが相手だとそれが出来なくて...。

きっと、僕はユノと恋愛する資格がないからだ)

 

ユノは好意を惜しげなく、恥ずかしげもなくチャンミンに向けて注ぎ続けている。

 

それにも関わらず、チャンミンの思考は後ろ向きになる一方だった。

 

ユノとの心の距離を、自ら遠ざけてしまっていることに、チャンミンは気づいていなかった。

 

チャンミン本人が思う以上に、ユノがノンケであることと12年の歳の差を気にしていたこと。

 

恋を始めたくても、その2つが邪魔をしていると思い込んでいたこと。

 

ノンケに捨てられた時の喪失感を、未だに色濃く引きずっていること。

 

それらに加えて、先ほどユノとQが顔を寄せ合っていた光景を目撃してしまったこと。

 

Qの嘲りの微笑みによって、ユノを間違った道へ引きずり込もうとしている罪の意識が湧いてしまったこと。

 

このように、チャンミンの気持ちをひねくれたものに変性させてしまった原因はいくつもあった。

 

 

チャンミンの車は停車した。

 

走行していた通りが、下水道工事のため片側交互通行中だったのだ。

 

「ユノさんは男を好きになるってどういうことか分かっているのですか?」

 

「え...?」

 

会話の流れを無視した唐突な台詞だった。

 

「こういうこと...出来ますか?」

 

チャンミンの顔がすっと近づき、ユノの唇すれすれで一時停止した。

 

(せんせ!

なんなんすか~~~!)

 

今喋ったら、唇同士が触れあう距離だった。

 

訳が分からず、頭が大混乱のユノはときめくどころではない。

 

チューブライトの点滅が、チャンミンの頬をぱかぱかと赤く染めているのを見つめるだけだ。

 

チャンミンはすっと、素早く顔を離してしまった。

 

わずか2、3秒のことだった。

 

「僕は女性ではありません」

 

「知ってますよ。

せんせ、急にどうしたんです?」

 

「ユノさんは僕を抱けますか?」

 

「えっ、えっ!?

急になんすか!?」

 

「僕らは子供じゃありません、大人です。

僕は恋人ができれば、裸で抱き合いたいと望む男です」

 

「俺だって...」

 

「ユノさんは男を抱けますか?」

 

「!?」

 

ユノの白い顔は、バルーン投光器の光でより青白く映し出され、その光を背中から浴びたチャンミンの顔は真っ黒に塗りつぶされている。

 

2人が乗った車は、雨音と工事の掘削音に包み込まれてうるさいはずなのに、お互いの掠れ声は不思議とクリアに聞えた。

 

「どうですか?」

 

ユノは大きく頷いた。

 

「僕は挿れられる方です」

 

「!!!」

 

「せんせー!

何だよ、その質問。

せんせ、どうしちゃったんだよ!」

 

「どういう意味か...分かりますよね?」

 

これまで見たことのないチャンミンの顔に...急変したチャンミンに、ユノは圧倒されていた。

 

「せんせ...なに言ってるんすか...」

 

チャンミンの質問は、とても冗談には聞こえなかった。

 

(せんせの質問は...マジだ!)

 

「......」

 

2人とも口をつぐんでしまうと、気にならなかった雨音がとてもうるさく感じられた。

 

ユノの身体は濡れたシャツで冷え切っていたのに、エアコンの温かく乾いた風が、暑苦しくて不快だった。

 

チャンミンはユノの答えを待っていたが、駄目押しの質問をした。

 

「ユノさんは挿れられますか?

...僕に。

僕は男ですよ?」

 

「俺を...」

 

ユノの掠れた震え声。

 

「俺を馬鹿にするな!」

 

「!」

 

ユノの怒鳴り声に、チャンミンは怯んだ。

 

「けつの穴に挿れられるかどうか、だって!?

そこを問題にする前に、裸で抱き合えるかどうかを訊いて欲しかったよ。

俺っ...せんせが望むなら、挿れられてもいいくらいだよ。

せんせと抱き合えるなら、穴とかどうでもいいんだよ」

 

「......」

 

「せんせ!

俺はね、男が抱きたいんじゃなくて、せんせを抱きたいの!

せんせを好きになるまで、男を抱くなんて想像したこともないし、抱けと言われても絶対に無理だったと思う。

でもね、俺はせんせがいいの!」

 

ユノの目が潤んで光っていた。

 

「ユノさ...ん」

 

「そりゃあ俺は、男とヤッたことはないから、ヤリ方は知らないよ。

これまで一度も男を抱いたことがないことと、せんせを抱けるかどうかは別の話だよ。

一緒にするな!」

 

「一緒になんて...!」

 

ユノはシートベルトを外すと、素早く車から降りた。

 

土砂降りがユノの髪もTシャツも、あっというまに濡らしてゆく。

 

「せんせの大馬鹿野郎!!!」

 

ユノはそう叫ぶと、ドアを勢いよく閉めた。

 

「ユノさん!」

 

チャンミンは慌てて車を降り、走り去っていくユノの背中に向かって叫んだ。

 

しかし、チャンミンの声は、ざーざー降りの雨音にかき消されてしまった。

 

後ろの車からクラクションを鳴らされ、ユノを追いかけることはできない。

 

ユノをフォローしたくても電話もかけられない、自宅の場所も分からない。

 

(あの時、素直に電話番号を教えてあげればよかった)

 

チャンミンは、ユノの純真な心を深く傷つけてしまったのだ。

 

(僕は何を守りたかったんだろう)

 

 

(つづく)

 

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(39)チャンミンせんせ!

 

 

「ユノはホモなの?」

 

Qからの質問に、ユノは「違う」と即答した。

 

「急に何だよ?」

 

誰のことを念頭に置いてなされた質問なのか、ユノにはすぐに分かった。

 

「ユノが言ってた『好きな人』って、男の人でしょ?」

 

「それが何か問題でも?」

と、ユノは否定しなかった。

 

「やっぱりホモなんじゃん」

 

「男が好きなだけで、『ホモ』なのか?」

 

「そうでしょう。

普通なら同性を好きになったりしないわ」

 

疚しい気持ちは全くなかったユノだが、Qの好奇と嫌悪に満ちた表情を前に、「やっぱり、普通じゃないんだな」と思った。

 

この恋を第三者で知っているのは、まるちゃんだけだ。

 

(まるちゃんはリアル世界では経験することは出来ない恋愛を、バーチャルの世界で無数に経験してきたせいなのか、同性を好きになることなど恋愛のバリエーションの一つに過ぎないと思っていそうだ。本人に尋ねてみないとわからないが)

 

今のユノは、まるちゃん以外の第三者...Qの目にさらされている。

 

ユノにとって、チャンミンが好きなことと、男が好きなこととは別物だが、それを説明したところで、Qには理解できないだろうと思った。

 

もうすぐ次の教習が始まるようだ。

 

送迎バスの発車時刻のアナウンスに、BGMがかき消されてしまっている。

 

「騒がしくて助かった」とユノは思った。

 

「俺がもしホモだったとしたら、何が問題なわけ?」

 

2人の会話は、混雑したこの場所でするには相応しくなかったが、Qは一向に介さなかった。

 

「私と付き合えなかった理由が、そうなのよ。

男が好きならば、女の私じゃ相手にならないんだもん」

 

ユノは「全然違うのになぁ」と内心呆れていた。

 

「相手はあの先生でしょ?

ユノの担任の先生...チャンミン先生。

だって、ユノったら気持ちが悪いくらいに先生にまとわりついていたじゃない。

怖いくらいにハイテンションで」

 

ユノは否定するのも面倒になってきて、「そうだよ」と認めた。

 

「ユノ...正気なの?」

 

Qは、ユノがあっさり認めたことに苛立ったようだ。

 

Qにしてみたら、自分をフッておいて、「男が好きだ」と悪びれもせず堂々としているユノが許せなかったのだろう。

 

「誘われたんでしょう?

あの先生ってホモなんだって噂だよ?

知らなかったの?」

 

「全然。

そんな噂があるなんて、知らなかった」

 

ユノが知っている限り、そんな噂は聞いたことはなかった。

 

「先生がユノを『そっちの道』に引きずり込んだんでしょ?

先生は好みの生徒がいると手を出しているんだって」

 

「『いるんだって』って...誰が言ってたんだよ」

 

「え~っと...ここの卒業生の知り合いの人。

試験センターで知り合った人の知り合い」

 

男なら、女子の吐息が耳に吹きかけられたら、ぞくりと感じてしまうものだが、ユノには不快なだけだった。

 

チャンミンを好きになったことで女子が苦手になったのではなく、チャンミンを揶揄するような言葉混じりの吐息が嫌だったのだ。

 

「あっそ」

 

自身に顔を寄せたままのQから避けるため、ユノは身を引いた。

 

辺りをはばかる小声でなされた会話であっても、公共の場ではふさわしくない内容だ。

 

特にチャンミンの名前は聞かれたくない。

 

「Qの話は俺には理解不能だ」

 

ユノは会話を打ち切り、席を立った。

 

 

 

 

同時刻、待合室前。

 

こちらはチャンミン。

 

(!!!!)

 

可愛い女子がまさに今、ユノの頬にキスしようとしている(いや、キスの後か?)

 

人目があるけど、ほっぺにチュッくらいならいいよねと...彼氏の隙をついて彼女からの可愛いイタズラ。

 

チャンミンにはそう見えた。

 

ぎゅん、と心臓を握られたような、痛みは無いが全身の血流が一瞬で止まった感覚を覚えた。

 

ラブコメのルールによると、ユノと一緒にいた女性は彼の『妹』であるべきだが、残念ながら今回は、チャンミンの誤解を解くことはできない。

 

なぜなら、ユノの耳元に顔を寄せたQは、ユノの妹ではないことをチャンミンはよ~く知っていたからだ。

 

片方は友人のつもりでいても、もう片方は恋愛感情を持っているのがラブコメのお約束。

 

恋愛に関するセンサーが鋭いチャンミンは、ユノを見るQから、恋の匂いをかぎ取っていたのだ。

 

(あれは、ユノの不意をついて、彼女が仕掛けただけの行為だ。

 

ほら、ユノは不愉快そうな表情をしている。

 

ユノは僕に嘘はつかない。

 

『彼女は友達です』と言っていたけれど、安心はできないのだけど...)

 

チャンミンは廊下から待合室の様子を窺っていた。

 

(なんだ...キスじゃなくて、ひそひそ話をしているのか)

 

さっきの立ち位置だと、角度的に頬にキスしている風に見えただけのようだ。

 

チャンミンはその場にい続けても不自然にならないよう壁にもたれ、スマホを耳に当てていた。

 

(ユノは否定していたけれど、僕のことを好きだと言ってくれたけれど、客観的に見て、ユノは彼女と...女の子と居た方が自然に見える。

 

でも...ユノは自分から言っていたではないか。

 

『俺はノンケで、女子が好きな男だ』って。

 

この台詞はきっと、『相当な想いがなければ、ノンケが同性を好きになれないよ』という意味なんだ。

 

自動車学校のように、密室空間で手取り足取りマンツーマンの指導を受けていれば、憧れ混じりの好意を指導者に抱いてしまってもおかしくない。

 

そして、ゲイカップルの修羅場を目の当たりしたショック体験。

 

これで、頭がおかしくなったんだ。

 

後になって冷静になった時、ユノは我に返るだろう。

 

あ~あ...僕って男は。

 

ユノの告白を受けたばかりなのに、もう彼の気持ちを疑うようになるなんて。

 

恋心を小出しして、肉体的な接触は手を繋ぐか軽いハグ、軽いキス...これくらいがユノの夢を壊さずに済む距離感だ。

 

僕も傷つかずに済む。

 

ところが、いよいよ恋人関係がスタートした時には、ほどよい距離感など保っていられなくなる。

 

ユノは、優等生風の仮面を外した僕を見て、引いてしまうだろう。

 

珍しさと、『男を好きになった俺』に酔っていただけだったノンケは、僕から離れていってしまった。

 

ユノは若い。

 

世間知らずで、恋の経験も僕よりも少ない。

 

(凄い『すけこまし』だったら話は違うけど...まさかね)

だからユノはきっと...)

 

数日前、ユノとプライベートな場所で、2人きりで過ごした時間がとてもとても楽しかった。

 

それなのに、今度の恋はなかなか警戒心を解きずらい。

 

「......」

 

チャンミンのスマートフォンは、いつの間にか耳から離れていた。

 

Qをその場に残して、ユノがベンチを離れたことにも気づいていなかった。

 

「せんせ?

こんなところで、どうしたんです?」

 

Qとの会話を切り上げ席を立ったユノは、待合室前でぼうっと立ち尽くすチャンミンを発見したのだった。

 

「ユノさん!」

 

チャンミンは、ユノが...思い煩う対象人物が、目の前に急に現れたものだから驚いた。

 

「あ~、もしかして...。

俺に会いにきたとか?」

 

「ばっ...違います!」

 

「『ば』って...『馬鹿』って言おうとしたでしょう?」

 

「ちがっ...違いますよ」と、チャンミンはユノにくるりと背を向けた。

 

ユノはチャンミンをからかっているつもりがないのだが、チャンミンはユノの言動全てに過剰に反応してしまうのだ。

 

なぜだか今、無邪気なユノに苛立ちを覚えた。

 

「あれ?

これからお帰りですか?」

 

ユノは床に置かれたトートバッグを見つけて、そう尋ねた。

 

「ええ。

ユノさんはこの後、模擬テストを受けるんですよね」

 

「受けるつもりだったっすけど、止めときます。

せんせと一緒に帰ります」

 

「ダメですよ!」

 

「今日の模擬を受けても、どうせ満点ですって。

俺、学科は優秀なんすよ」

 

「知ってます」

 

ユノが言う通り、学科試験については優秀だった。

 

「でしょう?」

 

ユノは正面玄関へと足を向けると、くるりとチャンミンを振り向いて、さも当然とばかりにこう言った。

 

「...ということなので、俺はせんせと一緒に帰ります。

 

行きましょう」

 

「僕は車通勤ですよ。

それに...」

 

「あー、はいはい。

生徒をマイカーに乗せるのは禁止だって言いたいんでしょう?」

 

「分かってるじゃないですか?」

 

「ご安心ください。

どこか途中で合流しましょうよ。

俺、せんせの車に乗ってみたいっす」

 

「自転車はどうするのです?」

 

「学校に置いておきます。

ほら、せんせ。

雨が降ってきましたし」

 

「本当ですね。

予報で雨になるなんて、言っていませんでしたよね」

 

ちょうど、雨が降り出したようだった。

 

アスファルトが濡れ始める匂いが、正面玄関の自動ドアが開閉するたび、漂ってきた。

 

傘が無くて空を見上げて、濡れて帰るかどうか迷う者や、髪と肩を濡らして、校内に駆けこんでくる者とで、周囲はがやがやと騒がしい。

 

「明日は?

検定があるでしょう?」

 

「電車と送迎バスを乗り継いでいくんで大丈夫ですよ。

なんとかしますから、大丈夫ですって。

ほ~んと、せんせって心配性ですね」

 

「明日、学校まで送っていきましょうか?」と提案しようか、チャンミンは迷った。

 

とその時、チャンミンはこちらに向かってくるQの姿を、ユノの肩ごしに見つけてしまった。

 

(...あ)

 

Qは自身に背を向けているユノではなく、明らかにチャンミンと目を合わせ、軽く会釈をしてみせた。

 

声には出していないが、「ど~も~」と言っているようだった。

 

「?」

 

チャンミンはマズいものを飲み込んだかのような顔で、ユノの肩向こうの何かに視線を奪われている。

 

ユノが後ろを振り向いた先に、こちらに向けて手を振るQがいた。

 

笑顔なだけに意味ありげだった。

 

「疑ってはいるけれど、確信は持てないでいる風だな」とチャンミンは思った。

 

チャンミンは長年の経験上、『そういう』視線には詳しかった。

 

(どうしたものか...)

 

Qとは手を振り合う仲ではないし、彼女の嫌悪感混じりの挑戦的な目に不快感しかない。

 

かといって、どう反応すれば彼女をやり込められるのかも思いつかないため、突っ立っているしかできない。

 

ユノはチャンミンの様子をちらりと覗うと、Qに負けない大きな笑顔で手を振り返した。

 

ユノの対応に、Qはたじろいだようだった。

 

バツの悪い顔を見せたくなかったのか、Qはつんと顔を背けると、階段を駆け上がってしまった。

 

(ふん)

 

ユノはチャンミンの耳元に囁いた。

 

「俺、校門横のコンビニにいるんで、そこで拾ってください」

 

「ユノさっ...!」

 

ユノはチャンミンの制止を無視して、正面玄関から外へと飛び出していってしまった。

 

 

(つづく)

 

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(38)チャンミンせんせ!

 

 

「今の調子なら受かるんじゃないかなぁ」

 

チャンミンとKは、大型トラックから飛び降りた。

 

チャンミンは翌日、講習・試験会場へ向かう予定になっている。

 

「Kには世話になった」

 

「お前には今年こそ受かって欲しいからな」

 

空き時間を利用して、チャンミンはKを隣に乗せて、大型自動車運転練習をしていたのだ。

 

次の時限から夜間コースが始まる夕暮れ過ぎで、場内コースは外灯で昼間のように明るい。

 

「チャンミンは運転に関しては問題ないんだよ」

 

「分かってる。

緊張しいだって言いたいんだろ?」

 

ユノのことを「緊張しい」だと言っておきながら、チャンミンは自分自身こそ本番に弱い男だった。

 

昨年の大型自動車教習指導員資格試験では、チャンミンは開始10秒で不合格が決定した。

 

出発してすぐに信号のある交差点を直進する際、緊張のあまり赤信号を見落としてしまったのだ。

 

直後、試験官が補助ブレーキを踏んだおかげで、検定車は急停車した(検定は場内コースで行われるため、事故の心配はない)

 

(ああ、やっちまった...)

 

あの時のシートベルトが腹に食い込んだ感じや、急ブレーキの反動で車体が揺れていたことなど、ありありと思い出せるのだ。

 

「はい、不合格~」

 

(あんなに練習したのに...)

 

練習の成果を発揮する以前に、信号無視という法律違反を犯してしまったのだから、自分のマヌケさに腹が立って仕方がなかった。

 

一緒に受けたKは、この試験に満点合格した。

 

半同棲中だった当時の恋人(あの夜の浮気男)は、どんより落ち込むチャンミンを鬱陶しがった。

 

 

 

「あのへったくそだったチャンミンがね~。

普通車の先生になっていること自体が凄いんだって。

大型車はオプションのつもりで、気楽でいろよ」

 

「うるさいなぁ」

 

運転が特別に上手いから指導員になれたのだと思われがちだが、実際はそうとも言いきれない。

 

指導員になる前、チャンミンの運転テクニックは中の下程度だったが、特訓に特訓を重ねて見事指導員資格をゲットしたのだ。

 

落ちこぼれの気持ちが分かるチャンミンだったから、ユノを焦らせないよう、彼の習得ペースに合わせて根気よく、急かさず指導してこられたのだ。

 

...もちろん、ユノへ密かに抱く恋心も、熱心さの動機(イコール下心)になっていたが...。

 

「あの子は明日、卒検だったよな?」

 

「あの子」とはユノのことである。

 

「ああ」

 

「当日、ここにいられないとは残念だったな」

 

「...ああ」

 

「せっかくなら試験前と後に声をかけてやりたかったよなぁ。

可愛がっていたからなぁ。

お前の気持ちを知ってる俺から見ると、師弟以上恋人未満、って感じだった」

 

「そうかもね」

 

2人は場内コースから車庫までの階段を下り、校舎へ向かって歩いていた。

 

背面からの明るすぎる照明で、2人の前に長くて濃い影ができている。

 

窓からは、夜間コースの教習生で混雑するカウンターや、多くの教習生たちがたむろす待合室がよく見える。

 

キャンセル待ち人数を告げる放送がここまで聞こえてきた。

 

「彼とは何か進展はあったのか?

野次馬根性で尋ねてしまって悪いけど?」

 

「あったかも...」

 

「へぇ...」

 

「真剣に考えてやらないとなぁ...」

 

ほとんど独り言のようだった。

 

「へぇ...」

 

チャンミンのその言葉に、Kはまじまじとチャンミンの横顔を見つめた。

 

「今日のチャンミンは素直だね。

前進するんだ」

 

「...まあね」

 

「へぇ...」

 

正面玄関に、夜間コースの教習生たちの乗った送迎バスが横付けされている。

 

「今から会いに行けば?」

 

「はあ?」

 

チャンミンは、思いがけないKの提案に驚きの声をあげた。

 

「会いに行って、頑張れって応援してこいよ」

 

「応援はもう済んでいるよ」

 

チャンミンは、ユノを部屋に招いた時と最後の教習の時のことを念頭に答えた。

 

「応援はいくらあっても嬉しいもんだよ。

ほれ、電話かけてみろよ」

 

「...番号なんて知らないよ」

 

「知らないって?

じゃあ、メアドかIDは?」

 

チャンミンは首を横に振った。

 

「まだ交換してないのか?」

 

あきれ顔のKにチャンミンはふくれっ面を見せた。

 

「...禁止されてるじゃん」

 

「なにトロ臭いこと言ってんだよ。

見極めが終わったんだから、もう卒業したもんさ。

電話番号をメモって来いよ」

 

「おらおら」とKから背中を押されたが、チャンミンは「無理だって」と意固地に抵抗した。

 

「お前ができないのなら、俺が行ってくるよ」

 

「おいっ!」

 

Kはもたもたしているチャンミンをその場に残すと、事務所へ走っていった。

 

ところが、1分もしないうちにKは戻ってきた。

 

卒検受検者として提出済のユノの教習簿は、施錠された棚に収納されてしまっている。

 

「ダメだった」

 

チャンミンは残念がる表情を必死で隠し、なんてことない風に、余裕ぶって「そうだろ?」と言った。

 

「『だろ?』じゃないさ。

チャンミンはもう上がりだろ?」

 

「ああ」

 

「学校に来てるかもよ。

見にいって来いよ」

 

チャンミンはこの後まっすぐ帰宅し、明日からの講習に向け、荷造りするつもりでいた。

 

「連絡手段無しに、ユノ君が卒業してしまったらどうするつもりでいたんだ?」

 

「...それは」

 

ユノとの連絡方法について、何の手立てをとっていないことに思い至った。

 

(でも、大丈夫だ。

僕らの試験が終了した頃、ユノなら僕の部屋まで訪ねてきてくれるだろう。

待ちきれなかったらあのコンビニで待っていればいい)

 

今夜、あのコンビニに行けばユノに会えそうな気がしていた。

 

 

同日同時刻のユノと言えば...。

 

卒業検定を翌日に控えて、ユノは学科試験の模擬テストを受けるため登校していた。

 

ユノは「せんせはいるかなぁ?」と事務所を覗いてみたところ、チャンミンのデスクは無人だった。

 

(あ~あ、残念)

 

がっかりしているユノに、事務兼受付のEさんは「チャンミン先生は場内にいるわよ」と声をかけた。

 

ユノがチャンミンに極端に懐いていることも、チャンミンがゲイであることは職場内では周知されている。

 

周囲には、ユノのチャンミンに向ける好意は、色恋がからまないからりとしたもの...例えば兄弟愛のよう...に映っていたようだ。

 

Eさんは時計を指さすと「あと10分もすれば戻ってくると思うわ」と言い添えた。

 

「ありがとうございます」

 

(今日のせんせは何時まで仕事かなぁ)

 

連絡を取りたくても、ユノはチャンミンの連絡先を知らない。

 

でも、ユノは慌てていなかった。

 

話がしたければ、あのコンビニエンスストアに行くか、チャンミン宅へ直接訪ねていけばいい。

 

それから、卒業しさえすれば、電話番号どころか気軽に家に招いてくれるだろう...とんとん拍子にコトが進むだろうと、楽観的でいたからだ。

 

(今夜、会いに行っちゃおうかなぁ...?)

 

ユノは模擬テスト開始時間まで復習勉強をしようと、待合所に足を向けた。

 

(げっ...)

 

待合室にQの姿を見つけてしまった。

 

ユノの足はそこで一瞬止まったが、意識していると思われたくなくて、空いている席にすとんと腰を下ろした。

 

斜め向こうのベンチについたユノの姿を、Qは見逃さない。

 

Qは先週中に卒業検定をパスしていたが、学科試験でつまずいているせいで、免許取得までに至っていなかった。

 

(※実技の卒検の後に、学科試験を受験する。卒検は各自動車学校で実施されるが、学科試験会場は免許センターだ。学科試験をパスするまで、自動車学校側は教習生をサポートする)

 

Qは席を立つと、ユノの隣に腰掛けた。

 

「ユノ、久しぶり」

 

このQの行動は予想通りだったため、ユノは無言で脇にずれ、彼女のためのスペースを開けた。

 

「元気にしてた?」

 

「ああ。

Qは?」

 

「元気よぉ」

 

幸い、この言葉は嫌味ではないようだ。

 

Qの顔色は良く、メイクもファッションも完ぺきだ。

 

Qはユノの手元を覗き込むと、「ユノ、卒検は?」と訊ねた。

 

「明日だよ」

 

ユノは膝の上の参考書に目を落としたまま答えた。

 

「Qは?」

 

「学科だけ」

 

「そっか。

頑張れよ」

 

「ねえ。

ユノは...例の好きな人とどうなった?」

 

(いきなりきたか...)

 

「ん~、まあまあ」

 

Qは、ユノの敢えてどちらとも取れる返答に興味はないようだった。

 

「ねぇ...もしかしてだけど...」

 

「何?」

 

Qは手招きして ユノの耳元に顔を寄せた。

 

「ユノって...実はホモ?」

 

 

 

 

(今夜は模擬テストがあったはず...)

 

チャンミンはダメ元で待合室を覗いてみた。

 

(ユノはいるかな...)

 

ここでチャンミンは、ラブコメの王道...誤解してしまうシーンを目撃してしまうのだ。

 

ここでポイントなのは、見られた側は何のやましいことはしていないのだ。

 

 

(つづく)

 

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