(7.最終話)甘い甘い生活

 

 

~チャンミン~

 

 

ふざけたユンホさんに、ベッドの上に放り投げられるかと思った。

 

ぽーいって。

 

「ひどい!」と憤慨した僕に、「びっくりした?」ってユンホさんは、おどけた笑いをしてみせそうで。

 

だってユンホさんは、たまーに不意打ちに、悪戯心を発揮して僕を驚かす人だから。

 

(あれ?)

 

ところが、真っ白なシーツの上に、お尻、脚、背中、頭と順にそっと、ゆーっくり下ろされて。

 

その時、僕の心にずんと、ユンホさんの愛情が響いた。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

ずっと我慢してきたんだろうな。

 

時間がかかってごめんな。

 

チャンミンと関係を深めることに怖気づき、自分が決めたのではない良識に縛られて、チャンミンが差し出した手を素直に握れなかった。

 

チャンミンと初めて会ったあの時も、心も体もガチガチに強張らせていた。

 

でも、チャンミンが時空を超えて残した一枚のメモで、せき止めていたものが消えた。

 

チャンミンの穏やかだけど、芯の熱い愛情に心も身体もほぐれたんだ。

 

チャンミンを包んでいたバスタオルをはがす。

 

仰向けになったチャンミンは、両腕をさし伸ばして俺を呼ぶ。

 

両膝で体重を逃しながら、ぴたりと肌と肌とを密着させた。

 

真下に迫るチャンミンの唇に、俺は顔を近づける。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

全身のすべての窪みと突起に、ユンホさんの細くて長い指が滑り込み、手の平で撫でられると、じんとした痺れが走る。

 

僕の反応を確かめながらの愛撫は、決して急がない。

 

全身くまなく、ついばむように吸われると、うずいて思わず声が出る。

 

「可愛い声」

 

そう言って、ユンホさんの手が僕の肌をさわさわとかすめながら、触れるか触れないかのタッチで下りていく。

 

繊細な指のうごめきに合わせて、腰が震えて浮き上がった。

 

僕の中を探りながら、内ももに口づける。

 

指と唇だけの愛撫だけじゃ物足りなくなってきたとき、僕の耳元に唇を寄せて「いい?」、と彼は囁いた。

 

僕は「うん」と答える。

 

僕はもう、ユンホさんとひとつになりたくて仕方がない。

 

じれったくなるほどゆっくりと、ユンホさんが入ってきた。

 

奥深くまで届くと、その圧迫感に悲鳴のような喘ぎがこぼれる。

 

ユンホさんの首に力いっぱいしがみついた。

 

腰の動きは最初はゆっくりと、次第に速度を増す。

 

ゆるゆると動かしていたかと思うと、深く突き立てられて、僕の目の前は真っ白になった。

 

ユンホさんの背中に僕の爪がくいこんだ。

 

ユンホさんも気持ちよさそうで、僕の心は幸福で満たされた。

 

熱くて湿った吐息が喉元にかかる。

 

大きく動くたび、ユンホさんの喉からかすれた呻きが漏れた。

 

背中にまわした手が、ユンホさんの汗で滑る。

 

ぐいっと腕を引っ張られ、あぐらをかいた彼の上にまたがるように乗せられた。

 

ユンホさんと向き合う格好になり、今度は真下から突き上げられる。

 

汗で濡れた互いの肌がぬるぬると滑り、吸い付くように密着した。

 

念入りな愛撫と、緩急つけた揺さぶりで、息ができない。

 

僕の中がユンホさんで満たされる。

 

ああ、酸素が足りない。

 

この人が好きだ、と心の奥底から思った。

 

僕はもう、とろとろです。

 

僕の背中に覆いかぶさっていたユンホさんのしなやかな腰がぶるりと痙攣したのち、

汗まみれの熱々な横顔が、僕の肩に降ってきた。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「チャンミン...タフだな...」

 

俺は胸を大きく上下させ、乱れた呼吸の合間に「俺は...3回が...限界...」と途切れ途切れ言った。

 

「『恥ずかしい恥ずかしい』って連呼してたくせに...ギャップが凄いな」

 

「今までの僕は、いろいろと遠慮してましたからね。

忘れてませんか?

僕らは『婚約中』なんですよ」

 

チャンミンは鼻の上までシーツに埋もれながら、こう言ったのだ。

 

「...そう言えば...!」

 

正直に言って、『プロポーズ』イコール『結婚』だと結び付けていなかった。

 

俺の過去も姪のあーちゃんも、全部ひっくるめて受け止める覚悟を、プロポーズという形で見せてくれた。

 

その心意気が後ろ向きな俺の心に喝を入れ、深い愛情がカサカサな心に注ぎこまれたおかげで、この恋に向かう姿勢を前向きにした。

 

今はまだ、実感がないだけ。

 

「ひどいですね」

 

『婚約中』の言葉に照れた俺は、チャンミンの鼻をつまんだ。

 

「やだ。

ブサイクな顔になる」

 

「イチャイチャしてるんだぞ。

ホントは楽しいんだろ?」

 

チャンミンの両ほほをにゅうっと、左右に引っ張った。

 

「今どきこんなカップルは滅多にいませんよね。

僕らときたら、全くもって...奥ゆかしいですよね」

 

「確かに」

 

チャンミンの頬から手を離して、クスクスと笑った。

 

「あーちゃんがいるから、こんな風にゆっくりイチャイチャできませんからね。

あ、誤解しないでくださいよ。

あーちゃんが邪魔って意味じゃないですから!」

 

「わかってる」

 

「たまにしかできないから、こういう時間は貴重です」

 

俺は身体を起こすと両脚を床に降ろし、ベッドに横たわったままのチャンミンを振り向いた。

 

「貴重ですよ...うんうん」

 

しみじみとした、チャンミンの言い方が可笑しかった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕の目前にさらされたユンホさんの背中に、見つけてしまった。

 

僕が爪立ててしまった、夜の気配漂うひっかき傷。

 

内緒にしておこう。

 

シャワーが沁みてヒリヒリしたら、どれだけ僕が満足していたのかを知ってニヤニヤしてね。

 

「喉が渇いたな。

チャンミンも喉がカラカラだろ?」

 

そう言ってユンホさんは立ち上がると、床に落ちたバスタオルを腰に巻いた。

 

「チャンミン、いっぱい声を出したからなあ?」

 

「恥ずかしいことを、口にしないでください!」

 

広い肩幅からぎゅっと引き締まった腰までのラインに、僕は熱い視線を注ぐ。

 

この人はなんて美しい人なんだろう。

 

その後ろ姿にあらためて、惚れた。

 

「...僕は、ユンホさんたちと一緒に暮らしたら、したいことがいっぱいあります。

僕はコーヒーを淹れるのが、下手みたいです。

ユンホさんが淹れてくれたコーヒーが、毎朝飲みたいです」

 

ベッドに滑り込んできたユンホさんは、僕のお腹に腕をまわし脇腹に鼻を押しつけた。

 

「俺がコーヒーを淹れるから、チャンミンは弁当を作って」

 

僕の脇腹に唇を押しつけたまま喋るから、くすぐったくてしかたがない。

 

「気が向いたら、海苔で名前を書いてあげますよ、あの時みたいに。

あーちゃんは嫌がるでしょうね、絶対に」

 

「嫌がるだろうね」

 

鼻にしわを寄せてユンホさんは、目を三日月形に細めた笑顔で僕を見た。

 

目尻がキュッと上がった、とても可愛い笑顔。

 

「泣きたい時があったら、また僕の胸を貸してあげますね」

 

僕はこぶしでとんと胸を叩いた。

 

「ただし。

あの時の僕とは違うから、襲いますけどね」

 

「襲うのは、俺の方」

 

膨れ上がった涙で、ユンホさんの顔がにじむ。

 

「あーもー。

チャンミンの方が先に泣いてどうするんだよ?」

 

僕の首の下にユンホさんの腕が滑りこんで、ちょっと強引に口づけられた。

 

「もう一回、襲わせて...」

 

こじあけられた隙間からユンホさんの舌が侵入し、僕は再び息ができなくなる。

 

力強い腕でウエストをさらわれひっくり返された僕は、仰向けになったユンホさんの上に乗っていた。

 

ユンホさんの目が潤んでいた。

 

「僕はあなたが大好きです」

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「俺はチャンミンが大好きだ」

 

チャンミンの火照った頬を、宝物を扱うかのように優しく包みこんだ。

 

甘い甘いキスを、ありったけの愛情を込めて。

 

未来からのチャンミンのメッセージを受け取らなければ、彼からのプロポーズに『NO』と答えていた。

 

あの頃、チャンミンと送った甘い生活を思い出していた。

 

どんなからくりを使って、俺の耳元に囁きにこられたのか。

 

「『YES』ですよ!」

 

不思議なことは、不思議なままにしておこう。

 

俺たちは「好き」の応酬をさっきから繰り返している。

 

 

甘いひととき。

 

甘い言葉。

 

甘いキス。

 

甘い未来。

 

今日という日。

 

2月18日。

 

俺たちの記念日。

 

俺とあーちゃん...そして大好きな大好きなチャンミン。

 

俺たちの甘い甘い生活が、これから始まる。

 

 

 

(おしまい)

 

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(6)甘い甘い生活

 

 

~チャンミン~

 

 

「約束を覚えてる?」

 

 プロポーズにYESと答えたユンホさんは、ニヤニヤ笑いを見せた。

 

 これまでの付き合いの間でどんな約束をしたっけ?と、頭を振り絞ってみたけど、全然思いつかない。

 

「その時が来たら、襲ってあげるって自分で言ったこと...忘れた?」

 

 「ああ!」

 

 傷ついて大泣きしたユンホさんに胸を貸してあげた時、僕が口にしたセリフだ。

 

 「今はその時じゃないから、襲いません」と一晩中、添い寝をしたんだった。

 

 思い出して赤くなっていると、「失礼」と断って、席を立ったユンホさんはどこかへ電話をかけている。

 

 すぐに戻ってきて「チャンミンに代わるね」と電話の相手に言って、僕にスマホを渡した。

 

 『あたし、おばーちゃんのとこにお泊まりするから、ユノさんをチャンミンに貸したげる』

 

  ユンホさんの愛姪あーちゃんの声が聞えてきた。

 

  目の前で何度も頷くユンホさんに促されて、「いいよ、行っておいで」と答えた。

 

 「...というわけで、俺たちもお泊りしよう」

 

 「えっ!」

 

 『お泊り』の意味が分かってドキッとしていると、ユンホさんは席を立って僕の手を取った。

 

 「行こうか」

 

 にっこり笑ったユンホさんは、カフェの精算を済ませると、ぼーっとしている僕の背中を叩いた。

 

 「お約束通り、チャンミンに襲われるよ」

 

 「僕の方がユンホさんに襲われるんじゃなかったの?」

 

 そう言い返したら、ハンドルを握るユンホさんの顔が真っ赤になっていた。

 

 

 

 

「用意周到だって笑うなよ」

 

 フロントでカードキーを受け取ったユンホさんは、照れ隠しなのか早歩きで廊下を歩くから、僕は小走りで彼を追いかけた。

 

 ホテルを予約していたなんて。

 

 豪奢なエントランスも、ドアマンも、分厚いカーペット敷きの廊下も。

 

 1泊いくらするんだろうと、心配になるくらいの部屋に通されて、ユンホさんがどれだけ今日を大事にしているかが伝わってきた。

 

 どう振舞ったらいいのか分からなくて、僕は部屋の中央で立ち尽くしていた。

 

 ユンホさんはカーテンを閉め、二つ並んだキングサイズのベッドに積まれたクッションを床に降ろし、ベッドスローをはがした。

 

 テキパキ動くユンホさんの顔はやっぱり赤くて、僕以上に照れているみたいだ。

 

 「恥ずかしいのは分かるけどさ、俺も恥ずかしいだぞ?」

 

 ミニバーの充実ぶりに感心していると、

 

 「今は飲んだら駄目だ。

素面じゃないと!」

 

 ユンホさんからブランデーのミニボトルを取り上げられ、代わりに炭酸水のボトルを手渡された。

 

 「飲むわけないでしょう?

 へぇって見てただけ!」

 

 そう抗議したら、ユンホさんはぴたりと動きを止めて僕を見た。

 

 「チャンミン...やっと喋ったね」

 

 胸がいっぱいになってしまって、気持ちが追い付かなかった。

 

 あれよあれよのうちに事が進んでいって、何を言って、どんな顔をすればいいのか分からなかった。

 

 ユンホさんはジャケットを脱ぐと、ソファの背にかけた。

 

 「お風呂にはいろっか?」

 

 「は!?」

 

 僕の素っ頓狂な声に、ユンホさんはハッとしたみたいで、くしゃくしゃと頭をかいている。

 

 「がっついてるみたいで、駄目だなぁ...ホント...緊張する」

 

 コホンと咳ばらいをしたユンホさんは、真っ白な大理石造りのバスルームに消えた。

 

 「湯船にお湯をためるよ。

 バスジェルがあるぞ...。 

いい匂いだなぁ。

おー!

 泡がもくもくで、雰囲気出るね」

 

 「ユンホさん...もしかして、一緒にお風呂に入るつもり?」

 

 「当然」

 

ひょっこりバスルームから顔を出したユンホさんは、きっぱりと言い切った。

 

 「そんな...恥ずかしいから...」

 

 「嫌だ」と言う前に、僕の口はユンホさんの唇にふさがれた。

 

 「いい加減、観念しろ」

 

 片手で腰を引き寄せられ、もう片方の手が首に触れ、背中と腰の間をゆるゆると往復した。

 

 手の平で凹凸を確かめるような、僕を煽るような官能的な感触で、膝の力が抜けそう。

 

 僕のシャツをウエストから引き抜くと、その下からユンホさんの手の平が素肌に触れた。

 

 ボタンがひとつずつ外され、ぱさりと足元に布地が落ちたときには、心臓が喉元までせりあがってきたみたいに苦しい。

 

 「やだ...見ないで。

 見ないで...」

 

 両手で顔を覆った。

 

 「仕方がないなぁ」

 

 腕を伸ばして照明を消すと、「これならいい?」と顔を覆う僕の手首をつかんで開いた。

 

 煌々とした灯りの元では、何もかもが露わになり過ぎる。

 

 開け放った入り口から漏れる淡い明るさが、僕たちにはちょうどいい。

 

 照れ屋な僕たちだから。

 

 「何度も言うけど、俺も恥ずかしいんだぞ?」

 

 僕も覚悟を決めた。

 

 ハートは全部、ユンホさんに差し出した。

 

次は身体を差し出す時だ。

 

 ユンホさんの頬を両手で挟んで、力づくで引き寄せて口づけた。

 

 「!」

 

 ええいっとばかりに下着を脱いで、バスタブに飛び込んだ。

 

 「チャンミン...!」

 

 たっぷりの泡が、身体を隠してくれる。

 

 「ユンホさんも...早く...」

 

 服を着たままのユンホさんの手を引っ張った。

 

 「待って...」

 

 と、ユンホさんはシャツを脱ぎ、ベルトを外してパンツを脱ぎ、最後に下着をとった。

 

 全裸になったユンホさんを直視できなくて、僕は両手で顔を覆ってしまう。

 

 男の人とそういう関係になるのは久しぶりで...ううん、それだけじゃなくて。

 

 大好きな人だから。

 

 大好きなユンホさんの、何も身に着けていない姿なんて。

 

ずっと見てみたかったのに、いざその時が来ると、猛烈な恥ずかしさに襲われてしまって...この気持ち、わかってもらえるだろうか?

 

 バスタブは広くて深くて、僕たちは端のこちらとあちらに向かい合わせに身を沈めていた。

 

 「こっちに来いよ」

 

 にゅうっとユンホさんの腕が伸びてきて、僕の肩をつかんだ。

 

 「わっ!」

 

 あっという間に、くるっとひっくり返された。

 

 「やっぱり...チャンミンは綺麗な首をしてるね」

 

 僕の膝ごと抱きかかえられて、ユンホさんの顎が僕の肩に乗った。

 

 「これは話したことなかったな。

 俺たちが初めて出会った、コーヒーの教室のこと。

 参加者の中で一人だけぴょんって頭突き出ててね。

 テーブルが低すぎて、チャンミンの背中が猫みたいに丸まってるの。

 後ろから見ててさ、『首長いなぁ』って思ってたんだ。

 緊張してただろ?

耳が真っ赤になってたんだ...可愛かったなぁ」

 

 ユンホさんの唇が首筋に押し当てられて、温かいお湯の中にいるのにぶるっと震えた。

 

 「会ったその時に...?」

 

 「そう」

 

 僕の背中いっぱいにユンホさんを感じた。

 

 背中にユンホさんの固い胸があたってるし、お尻にあたっているのは恐らく、そう。

 

 もう無理...苦しい。

 

 「お湯加減はどう?」

 

 僕の耳の下に軽く吸い付くと、その唇を首筋に沿って滑らせ鎖骨に到達した。

 

 ユンホさんの舌が触れる度、僕の肩が震える。

 

 「このままじゃのぼせてしまうから、出ようか?」

 

 言い終える前に、ざばりと泡の中から引きずり出され、抱えあげられた。

 

 「抱っこなんて...嫌!

 下ろして!」

 

 「仕方がないなぁ」

 

 ユンホさんはいったん僕を床に下ろすと、バスタオルで僕の身体をふわりと包んだ。

 

 「プロポーズに『YES』と言わせるために、あんなことができたんだろ?

 やっとでその時が来たんじゃないか?

 裸くらいで恥ずかしがり過ぎ!」

 

 一気に抱き上げられて、視線が高くなる。

 

 ユンホさんの足の運びに合わせて、僕の身体はふわふわと揺れる。

 

 熱めのお湯と、湯気と、薔薇の香り、それから緊張でくらくらになった僕はもう、どうにかなりそう。

 

 びしょ濡れのユンホさんの首にしがみつく。

 

 

(つづく)

 

 

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(5)甘い甘い生活

 

〜チャンミン〜

 

「チャンミンは、あたしたちと一緒に住まないの?」

 

あーちゃんは僕に問う。

 

「住みたいよ」

 

僕は即答する。

 

「じゃあ、なんで?」

「一緒に住む前に、きちんとしなくちゃいけないことが沢山あるんだよ」

 

僕と交際することだけでも躊躇していたユンホさんだ。

親を亡くした姪っ子の親代わり、婚約していた男が部屋を出ていった...そして、新しい男が出入りするようになった...第三者が抱くイメージの想像は容易につく。

僕は当事者だから、そんな輩の視線なんか全く気にしないし、ユンホさんに対してそんなこと全く思わない。

僕も頭が固い方だから、ユンホさんが気にしているものが何なのかよく分かる。

ユンホさんには、面倒を見なくてはならない小学生の女の子がいる。

恋に浮かれる姿を、多感な子供の前にさらすことに躊躇するのも分かる。

彼らの暮らす部屋に突如出入りするようになった新しい男の登場に、同じマンションの住人たちはどう見ていたのか...想像がつく。

これらのこと全部、よく分かっていたから、僕は彼らを驚かさないよう、少しずつ少しずつ距離を縮めていくことに尽力した。

1歩1歩手順を踏んで、性急にことを進めないようにって。

ユンホさんの部屋に泊まったことはないし、外泊もしたことはない。

大人の恋愛において、今どき珍しいほどの『清き関係』だ。

おマセなあーちゃんが指摘していたのが、この関係性のことだ。

ユンホさんはひとつの関係を終わらせたばかりで、疲労困憊なのだ。

男を信じられなくて、当分はこりごりだったんだろう。

新たな人間関係を結ぶには時期早々だと考えていたのに、「付き合って欲しい」という僕の告白に頷いてくれた。

あーちゃんが僕に懐いてくれたことが、ユンホさんの背中を押したんだろうと分析している。

 

 

「チャンミン、弱すぎ。

もっとユノさんを押して押して、押しまくらないと!」

 

「そうは言ってもね、ユンホさんは真面目な人だから」

 

あーちゃんはずずずっと音をたてて、クリームソーダーをストローで吸い込んだ。

 

「今のままじゃチャンミン、断られるよ」

 


 

先週、僕はプロポーズをした。

承諾してもらえる確率は30%だろうと見込んでいたくらい、確信が持てない博打のようなプロポーズだった。

 

「僕はこれくらい真剣なんですよ」って、僕の覚悟を見せたかった。

単なる独身者同士の恋とは違う。

ユンホさんの笑顔の側にいるには、彼の過去もあーちゃんも全部ひっくるめて受け止めなくちゃいけないのだ。

もちろん僕にだって、この年まで生きていれば当然、きれいじゃない過去がある。

僕が彼らの暮らしに転がり込んでくるような、そんな同居にはしたくなかった。

正々堂々とした同居にしたかった。

 

「考えさせて」

 

これがユンホさんの答えだった。

予想が半分当たった。

「YES」と答えるのを邪魔しているもの...それは、ユンホさんが恋愛に対して抱いている「恐怖心」だってことは、僕は全部わかっているんだよ。

僕は、ユンホさんもあーちゃんも全部ひっくるめて大事にしたいんだよ。

僕を信じて、寄りかかってよ。

 


 

「このままじゃ、ホントに断られるよ。

あたしたち...引っ越しちゃうよ」

 

あーちゃんの言う通りだ。

プロポーズに『NO』と言われそうだった。

僕もカップの中身を飲み干した。

ユンホさんが淹れてくれたコーヒーの方がずっと美味しい、と思った。

 

「魔法をかけてあげるから、行こう!」

 

そう言ってあーちゃんは席を立つと、ぽかんと口を開けたままの僕を置いてカフェを出て行ってしまう。

 

「あーちゃん、どこ行くの!」

僕は慌ててあーちゃんの後を追った。

 

「ユンホさんが心配するから早く帰ろう」という僕の言葉を無視して、あーちゃんが導いたのは団地の裏手にある小さな公園だった。

 

「ここなら誰もいない。

ねぇチャンミン。

ユノさんに電話して。

あたしたちはご飯食べてから帰るって」

 

「えっ?

えっ?」

「早くして!」

 

あーちゃんの言う通りにした僕は、芝生の上にあぐらをかいた彼女の隣に座った。

2月の夜の訪れはまだ早い。

辺りは真っ暗で、団地の窓から何百もの光が灯る。

 

「これはね、ユノさんが買ってくれたスカートなの」

 

あーちゃんは、お星柄のフレアスカートをひらひらさせた。

 

「よく似合ってるよ」

 

「いっぱい本を読んで調べたの」

 

あーちゃんは図書館で借りた分厚い本を膝に広げ、僕はスマホの灯りでページを照らした。

 

「欲しい男がいたら、ズルいことしてもオーケーなの」

「ズルいことって?」

 

あーちゃんが何をたくらんでいるのか、全然分からない。

 

「チャンミン!

あたしはユノさんが大好きなの!

ユノさんはチャンミンのことが大好きなの!

ユノさんったら、チャンミンのことばかり話してるんだよ?」

 

「あーちゃん...」

 

あーちゃんは、ゴシゴシと目をこすった。

 

「ユノさんは頑張りすぎる人なの。

チャンミンがユノさんを守ってくれなくちゃ。

あたしは子供だから、ユノさんのことをセットクできないの。

チャンミン、お願い。

チャンミンに頑張ってもらいたいの」

 

「うん、頑張ってるよ。

今までも、これからも」

 

僕はあーちゃんの頭を撫ぜた。

 

「それじゃ足りないの!

もっと頑張らなくちゃダメなんだってば」

 

あーちゃんはしゃがんだ僕の背後に立った。

空を見上げると、濃紺の空に無数の星屑が散らばって、そのいくつかが頼りなげに瞬いていた。

空気が冷たい。

 

「チャンミンに魔法をかけるから」

「魔法?」

 

子供らしい言葉に吹きだすと、あーちゃんは僕の腕をパシッと叩いた。

 

「あたしは大マジメなの!

コソクなシュダンを使うんだから。

キケンな魔法だよ」

 

「わかったよ」

 

「ユノさんのシンソーシンリにハタラキかけるんだよ」

 

「難しい言葉をよく知ってるんだね」と茶化したら、また腕を叩かれた。

 

「絶対に、自分のショータイをバラしたら駄目だからね」

「うんうん」

 

あーちゃんは、ごにょごにょと呪文を唱えだした。

紺色のスカートに散った白い星柄が、星空と溶け合った、と思った瞬間。

 

「あっちでもユノさんを助けてあげてね」

 

あーちゃんの凍えた小さな手が、僕の両眼を覆った。

 


 

出会って日が浅い僕の力だけじゃ、開ききっていないユンホさんの心を動かせなかった。

固い大人の心を説得するには、幼い子供の拙い言葉だけじゃ力不足だった。

9歳の女の子がかけた魔法に、僕はかかった。

目を開けた時、僕は1LDKの小さな部屋にいた。

整頓されてはいたが、どこか荒んだ空気をはらんだ部屋だった。

すぐに分かった。

ここはユンホさんの部屋だ。

 

「よし!」

 

僕は台所に立ち、湯を沸かし始めた。

深夜近く、ガチャっと鍵が開く音がして現れたのは、亡霊のような顔をした疲れ切ったユンホさんだった。

僕と出会う前のユンホさんが、目の前にいる。

20代のユンホさん。

 

「おかえりなさい」

 

僕はユンホさんの手からバッグを取り上げ、彼のジャケットを脱がせた。

突如現れた僕の存在に、驚かないほどユンホさんは疲弊しているらしい。

 

「くたくたでしょう」

 

倒れこむようにユンホさんは座り込んだ。

顔色が悪くても、ぱさついた髪をしていても、ユンホさんは綺麗でかっこよかった。

あーちゃん、僕に任せて。

あーちゃんが言う通り、ユンホさんのシンソーシンリにハタラキかけるから。

まずは、弱ったユンホさんの心身を癒やしてあげないと。

お風呂の湯加減を確かめながら、僕はよし、と大きく頷いた。

 

(つづく)

 

(4)甘い甘い生活

~チャンミン~

 

あーちゃんがいなくなった。

ある日曜の朝、友達と遊びにいくと出かけて行ったきり、夕方の5時になっても帰宅しない。

​父親代わりのユンホさんは真っ青になって、警察に連絡すると取り乱した。

心当たりがあった僕は、ユンホさんをなだめて、あーちゃんを探しに行くことにしたのだ。

あーちゃんは、気難しい。

事を大げさにするとヘソを曲げて、また家出をするかもしれない。

目指すは、電車で2駅先にある図書館だ。

あーちゃんは、まだ9歳のくせに小難しい本をいつも読んでいた。

読書家で小難しい言葉を使う、ちょっと(いやかなり)小生意気な少女だ。

 

 

1階の貸し出しカウンターの前を横切り、絵本コーナーの横の階段を昇る。

雑誌や新刊本、実用本が集められた2階も通り過ぎて、2段飛ばしで駆け上がる。

あーちゃんは、3階にいるはず。

日焼けを防ぐため、ブラインドが下ろされた3階は、薄暗くひなびた匂いが漂う。

並ぶ本棚を順番に見ていくと、やっぱり居た。

床に足を伸ばして座り込み、分厚い書籍に熱中していた。

 

「あーちゃん!」

小声で、彼女に呼びかける。

「な~んだ、チャンミンか」

 

あーちゃんは生意気な子だから、僕を呼び捨てで呼ぶ。

キッと僕を睨みつけると、立ち上がった。

紺地に白いお星柄のスカートのお尻を払うと、読んでいた本を僕に押し付けた。

 

「来るのが遅いよ。

クリームソーダが飲みたい」

 

​「一緒に帰ろうか」

 

​やれやれと僕はため息をつき、あーちゃんが借りたやたら重い本を抱えて外へ出た。

 


 

近くのカフェに入って、クリームソーダとコーヒーを注文すると、窓際の席に座った。

その間、あーちゃんはずっとだんまりだ。

あーちゃんが家出をするのは、今回が初めてではない。

​何か面白くないことが起きると、プチ家出をする。

それを迎えに行くのは、いつの間にか僕の役割になっていた。

ユンホさんに言えないことを、他人の僕になら話せることもあるのだろう。

注文したものが揃ったので、カウンターへ受け取りに行き、席に戻る。

 

「...何か、あったの?」

 

バニラアイスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜるあーちゃんに、問いかける。

 

​「別に...」

「僕に話すだけでも、気持ちが楽になるんじゃないかな?」

 

あーちゃんは、切れ長なのに大きな眼で僕をじっと見つめる。

 

「チャンミン」

​「うん?」

「チャンミンは、ユノさんとセックスした?」

「ぶっは!」

 

僕は派手に、噴き出してしまった。

 

「な、何を、突然!」

「ユノさんとセックスしたか、って聞いてんの!」

 

かーっと全身熱くなる。

 

「あーちゃん、声が大きい!」

 

僕はあーちゃんの口をふさぐと、周囲をキョロキョロ見回す。

 

「...『まだ』なんだ...ふうん」

「あーちゃん、そういう言葉は使っちゃいけないよ」

 

「どういう言葉なら使っていいの?

クラスの男子なんて、バンバンに使ってるよ」

 

「う...」

 

「男の人と男の人が、どうやってするのかも、あたし、知ってるもんね」

「あーちゃん!」

 

​僕は9歳の子供にからかわれてる。

 

「チャンミン。

ユノさん、引っ越しの準備してるよ」

 

「そう、みたいだね」

 

「次のおうちは、寝る部屋でしょー、居間でしょー。

あたしは、居間で勉強するの。

それから、台所とお風呂とトイレでしょー。

いいの、チャンミン?」

 

「......」

 

「チャンミンがお泊りしたくても、できないよ。

ユノさんとあたしは血が繋がってるからいいけど。

チャンミンみたいな『よそのおじさん』と同じベッドで寝るなんて、ヤダからね!」

 

「あーちゃん...」

 

僕とユンホさんは交際している。

ユンホさんは姪のあーちゃんと、二人暮らしだ。

輸入食料品店に併設したカフェで開催されていた『おいしいコーヒーの淹れ方』ミニ講座にて、僕とユンホさんは出会った。

コーヒーの淹れ方を教えてくれたのがユンホさんだった。

気恥ずかしくて気がすすまなかったけど、あまりに熱心にすすめられて「それなら、ちょっとだけ」と参加することにしたのだ。

ペーパーフィルターの折り方を間違え、コーヒー粉の分量を間違え、お湯を注ぐ手がぶるぶる震えていたのは、僕が不器用なせいなだけじゃない。

手を添えて根気よく指導してくれるユンホさんとの距離が近くて、ひどく緊張していたせいだ。

そう。

一目惚れに年齢は関係ないんだなと、心底驚いた。

30過ぎのお疲れ気味サラリーマンの僕以上に、ユンホさんも疲労の影が漂っていた。

かさついた肌や充血気味の目をしていたけれど、不良生徒の僕にイラつくこともなく丁寧に教えてくれた穏やかな声音や、「分かりましたか?」って僕を見る時の問いかけるような笑顔にぐらっときた。

僕は平均以上に背が高すぎるのに、真横に立ったユンホさんは僕と同じくらいだった。

捲し上げた白いシャツから伸びる腕が筋骨たくましくて、抱きしめられたらどんな風なんだろうって、淹れたてのコーヒーを飲みながら思った。

独り暮らしなのに、1日何杯飲むつもりなんだ?レベルのコーヒー豆を買って帰った。

それ以来、『コーヒーの美味しさにはまったんだけれど、淹れ方が分からず、それでもコーヒー道を極めたいサラリーマン』を装って、ユンホさんの勤めるお店に足しげく通った成果が、これだ。

さりげない好意の示し方じゃ伝わんない相手だな、って察した僕は、あからさまにアピールした。

お店のスタッフさんたちは、僕が訪れる度に「また来たよ、このお客は」って顔をしてたけど、ユンホさんは赤くなりながらも嬉しそうだったから、脈ありかなって自信が湧いてきた。

かなり早い段階で、僕はユンホさんに告白をしていた。

久しぶりの恋だった。

 

(つづく)