(3)君と暮らした13カ月

 

 

~冬~

 

 

「ミンミン!」

 

「今、起きたところ!」

 

ユノさんは私のことを『ミンミン』と呼ぶ。

 

蝉の鳴き声みたいであまり好きじゃない。

 

山のふもとに建つこの家に、初めて訪れたのは夏の盛りの頃だった。

 

蝉の声が頭の中でじゃんじゃんと鳴り響き、耳鳴りを疑う程のやかましさだった。

 

初めて会ったこの夏の日を記念して、ユノさんはふざけ半分で私を「ミンミン」と呼び、いつしかその呼び名が定着したのだ。

 

返事をしないとユノさんは、「ミンミンミンミン」とずーっと呼び続けるから、私は一回で応答するようにしている。

 

私はチャンミンを抱いて、寝室を出た。

 

 

「チャンミンにミルクをあげよう」

 

早起きのユノさんは既につなぎ姿で、朝食も終えていた。

 

飼育員の出勤時間は早いのだ。

 

私の為にテーブルには、牛乳とパン、ゆで卵が用意されていた。

 

餌をねだるタミーがユノさんの足元で、伏せの姿勢をとっている。

 

ストーブの上にミルクパンがあるのを目にし、「チャンミンは牛乳を飲むの?」と尋ねた。

 

「牛乳はお腹を壊したんだ。

ヤギのミルクがチャンミンの胃袋に合うみたいだ。

園からヤギ乳をもらってきたよ...冷蔵庫に入れてある。

それをひと肌に温めてあげるといい」

 

「あ!」

 

お腹の辺りがジワリと温かくなり、抱いたチャンミンから身を離すと...やっぱり!

 

パジャマがぐっしょり濡れていた。

 

「チャンミンがお漏らしした!」

 

「ははは。

そういえば昨夜からおしっこをしていなかったからね」

 

「トイレはどうしよう?

トイレの場所を覚えるかなぁ?」

 

「チャンミンならすぐに覚えるだろうよ。

頭が大きいから賢いだろうね。

でも、この子は未だ赤ちゃんだから、当分は無理だろう」

 

「おしめをすればいいかな?」

 

「それじゃあ、お尻が蒸れてしまって可哀想だ。

ぐるぐる歩き回り始めて、床をくんくん嗅ぎ出したら、おしっこのサインだ。

腰を落としたらウンチのサインだ。

チャンミンの様子をよく見ていれば、分かるよ」

 

「犬みたいだね」

 

ユノさんは私とチャンミンの頭を撫ぜると、弁当の入ったバッグを肩にかけた。

 

学校に通えない私は一日、家にいるから、チャンミンのお世話はちゃんとみられるのだ。

 

「いってらっしゃい」

 

ユノさんはとても背が高く、私の頭は彼の胸のあたりにある。

 

ユノさんが乗った真っ赤なトラックが見えなくなるまで、私は見送った。

 

チャンミンと二人きりの一日が始まった。

(タミーもいるけれど、彼は放っておいても大丈夫なのだ)

 

 

さて、どうやってチャンミンにミルクをあげようか、と考え込んでいた。

 

お皿に入れたミルクを、舌で飲むにはまだまだ幼過ぎるようにみえる。

 

ユノさんがミルクの与え方を教えてくれなかったのは、敢えてのことだ。

 

私はチャンミンのママなのだ。

 

警戒心が強いと聞かされていたけれど、実際のチャンミンは怖いもの知らずのようだ。

 

床にねそべったタミーの匂いを嗅いでいる。

 

チャンミンの黄金色の尻尾は太く短く、毛先だけが白い。

 

緊張と好奇心で、ぴんと水平に伸ばしている。

 

「チャンミン、おいで」

 

名前を呼ぶとパッと振り向いたところをみると、ちゃんと自分の名前を認識しているようだ。

 

チャンミンは短い脚でよちよちと、両手を広げ待つ私の元へと向かってくる。

 

短い尻尾をぷりぷり振っている。

 

チャンミンの爪が木の床を、カチカチと鳴らしていた。

 

「お腹が空いたでしょう?」

 

私の腕の中におさまったチャンミンは、肥満したモルモットより大きく、成猫より小さい。

 

太い脚は大きくなる証拠だと、以前ユノさんが教えてくれた。

 

太ももの間にチャンミンを後ろ向きに抱きかかえ、ミルクパンに浸した指をチャンミンの鼻先に近づけた。

 

間髪入れずチャンミンは、私の人差し指を咥え、ちゅうちゅうと吸った。

 

その吸引力に、よほどお腹が空いていたんだね。

 

ミルクで濡れた指を、何度もチャンミンに吸わせた。

 

チャンミンの2本の短い前脚は、私の手首を抱えている。

 

チャンミンの上顎のくぼみに私の指はぴったりフィットしていた。

 

もっともっと欲しいと口をパクパクさせている。

 

こんなやり方じゃ、お腹いっぱいにミルクを与えられない。

 

チャンミンをいったん床に下ろし、台所の戸棚を漁った。

 

「確かこの辺に...あった!」

 

目当てのものは注射器だった。

 

赤ちゃん動物を一時的に預かった際、ユノさんが使っていたものだった。

 

ミルクパンのミルクを吸い上げ、チャンミンに咥えさせた。

 

チャンミンのペースに合わせて、慎重にピストンを押していく。

 

ちゅっちゅちゅっちゅと一心不乱にミルクを吸っている。

 

注射器のミルクはあっという間に空になった。

 

チャンミンは私の手首を小さな足でふにふにと揉んでいる。

 

母親のおっぱいだと思ってるんだね。

 

あらたにミルクで満たされた注射器を、口元に持っていく。

 

すかさずチャンミンは咥えた。

 

これを何度も繰り返した。

 

吸いながら、チャンミンの眼はまぶたで半分覆われていった。

 

まぶたが落ちた途端、ハッとして眼を開ける。

 

ミルクは飲みたいし眠いし、その狭間でチャンミンは戦っているようだった。

 

ミルクパンが空になる頃には、チャンミンは完全に眠ってしまった。

 

長い長いまつ毛が震えていた。

 

そうだよね、チャンミンは赤ちゃんだから。

 

お腹がいっぱいになったら眠くなるよね。

 

脱力した身体を私に預け、健やかに眠るチャンミンが可愛いと思った。

 

 

本棚から動物図鑑を抜き取った。

 

これはユノさんのもので、子供向けではない専門書に近いものだった。

 

チャンミンと似た特徴の動物を探して、何ページもめくってみてもどこにも見当たらなかった。

 

私の膝の上でお腹を見せて眠っているチャンミン。

 

ピンク色のお腹は産毛程度しか生えておらず、呼吸に合わせて上下している。

 

「あ...!」

 

どうして今まで確かめてみようと思わなかったのか。

 

お腹の下あたりのつつましやかな突起を確認し、チャンミンは雄だと知った。

 

 

(つづく)

 

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(2)君と暮らした13カ月

 

 

~冬~

 

 

チャンミンを始めて見た者は、誰しも言葉を失うだろう。

 

あやふやな表情を浮かべるしかない。

 

ひと言で言い表せられない...不可思議な生き物だった。

 

 

窓ガラスに雪のつぶてがぱさぱさとぶつかる音、タミーのいびき、パチパチと木がはぜる音。

 

ユノさんはソファに横になって本を読んでいて、タミーはその足元でお腹を出して眠っている。

 

私とユノさんとは血のつながりはなく、遠い遠い親戚関係にあるだけ。

 

私の保護者となった経緯を話すと長くなってしまうが、一言で言ってしまうと私に両親がいないからだ。

 

それから、ある事件を引き起こしたせいもある。

 

保護者と呼んでいるけれど、ユノさんはまだ22歳なのだ。

 

実年齢よりも老成しているのは、10代にして家主となった責任感によるものだろう。

 

ユノさんの下で暮らすようになって、2年になろうとしていた。

 

テーブルにノートと教科書を広げ、私は単語の読み上げ練習をしていた。

 

「ユノさん...ここが分かんない」

 

声をかけるとユノさんは、背後から身をのりだして私が指さした単語を、素晴らしい発音で読み上げるのだ。

 

「もうそろそろ寝た方がいい」

 

「チャンミンは?」

 

「君がママなんだから、部屋に連れていきなさい」

 

そう言って、私のベッドの足元に急ごしらえの段ボール製寝床を作ってくれた。

 

その間、私はチャンミンを抱いていた。

 

私の腕はチャンミンの肋骨と背骨の凸凹を感じ取っていた。

 

力を込めたら、ポキンとへし折ってしまいそうな、小ぢんまりと細い骨だった。

 

毛布に鼻先を埋め、背中を丸めて眠るチャンミンを起こさないように、寝床に寝かせた。

 

朝までぐっすり眠りなさい。

 

沢山ミルクを飲んで大きくなりなさい。

 

ユノさんと私の家なら、安心して暮らせるからね。

 

 

カリカリいう音で朝方、目が覚めた。

 

太陽がほんのひとすじ顔を出した時刻で、室内は冷え込んでいる。

 

外はしんと静まりかえっており、吹雪はおさまったのだろう。

 

音の正体は、チャンミンがベッドをひっかいていたからだ。

 

後ろ立ちして背中を伸ばしても、小さなチャンミンの前脚はベッドの上まで届きっこない。

 

その上、チャンミンの四肢はダックスフントのように短いのだ。

 

「ごめんね、寒いんだね」

 

段ボールに古毛布を敷いただけの寝床じゃあ、寒さに震えても仕方がない。

 

そこまで気を配れなかった私は、チャンミンに謝るしかない。

 

チャンミンを抱き上げ、私の傍らに下ろした。

 

深刻な皮膚炎を起こしていたチャンミンの毛皮は、ところどころハゲになっていて、もっと寒かっただろうに。

 

よしよしと背中をこすってあげた。

 

私の体温で温もった布団をチャンミンの背にかけてやると、チャンミンの震えは次第にやんでいった。

 

私はチャンミンに顔を寄せて、じっくりと観察してみた。

 

チャンミンの特徴はまず、団扇のように大きな耳だ。

 

耳の先は尖っている(耳下の傷口は昨夜、ユノさんが軟膏を付けてくれた)

 

耳の裏っ側は黒い毛でおおわれている。

 

正面は真っ白な毛が周囲をぐるりと生えており、中はピンク色でつるつるしていた。

 

どんな音でも聞き漏らさないぞといった意志の感じられる、立派な耳だ。

 

豚とまでは言えないけれど、肌色の大きな鼻は濡れ濡れとしていて、始終ひくひくとうごめいている。

 

不格好なんだけど、どんな匂いも嗅ぎもらさないぞといった意志の感じられる、立派な鼻をしていた。

 

最も特徴的で、初めてチャンミンの全貌を目にした時、真っ先に吸い寄せられたのは眼だった。

 

不細工な顔の中で、チャンミンの眼ははっと息をのむほど美しかった。

 

大きな大きな眼だった。

 

あまりの大きさに、何かの拍子で目玉が落っこちるんじゃないかと、心配になるくらい大きな目をしていた。

 

密に生えた長いまつ毛に縁どられたまぶたに、目玉はおさまっていた。

 

さっきより顔を出した太陽と雪の反射で、窓の外は白くまぶしい。

 

窓から差し込んできた朝日の帯が、チャンミンの瞳を薄茶色に透かしていた。

 

チャンミンの瞳の瞳孔が、きゅっと小さくなる瞬間も見逃さなかった。

 

虹彩は緑がかった焦げ茶色だった。

 

目玉の表面は雫が滴りそうに潤っていて、ちゃんと私の顔が見えているのか疑わしいほどだった。

 

 

(つづく)

 

 

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(1)君と暮らした13カ月

 

 

~冬~

 

 

チャンミンと出逢った時、私は12歳だった。

 

ある吹雪の夜、この家の家主であり私の保護者でもあるユノさんが連れ帰ってきたのだ。

 

ユノさんは動物園で飼育員をしていた。

 

仕事着である灰色のつなぎ姿は、いつもケモノ特有の匂いを漂わせていた。

 

ユノさんが動物を連れ帰ってくることは珍しいことではない。

 

母親から育児放棄されたワラビー、仲間外れにされたミーアキャット、喧嘩の末、羽を骨折したオオコウモリ...。

 

狂暴で懐かなくても、糞尿で匂っても、あくまでも動物園の檻の中へ戻せるまでの期間限定のことだったため、イベントのひとつとしてそのお世話を私は楽しんでいた。

 

餌やりや檻の清掃、大型動物の保定といった力仕事で、ユノさんの腕は太く逞しい。

 

そんなユノさんの腕の中に、バスタオルにくるまれた『それ』はいた。

 

ラグの上に寝そべって本を読んでいた私は飛び起きて、ユノさんの腕の中のものを覗き込んだ。

 

私の傍らで眠っていた雑種の老犬タミーも、のそりと起き出してユノさんの足元へ寄ってきた。

 

タミーは一日中眠っているのに、大好きなユノさんが帰宅するとパチッと目を開けて、長い尻尾をゆっさゆっさ振るのだ。

 

その夜は、よそのケモノの匂いがするものだから、尻尾の振りがいつもより早い。

 

バスタオルの隙間から肌色の鼻がのぞいていた。

 

指を近づけると、匂いを嗅ごうとひくひくと蠢いた。

 

「噛みつく?」

 

「噛みつくだろうね」

 

私は慌てて指を引っ込めた。

 

「まだ歯は生えていないから、噛まれても痛くないよ」

 

「赤ちゃんなの?」

 

「生後2週間だ。

毛布をもっておいで。

この子を下ろすから」

 

『それ』を見下ろすユノさんの目は優しい。

 

生命を持つものに注ぐユノさんの眼は、とても優しい。

 

私を見つめる目ももちろん、優しい。

 

「寒いのかな。

...それとも怖いのかな」

 

「両方だろうね」

 

ユノさんの腕の中で『それ』はぷるぷると震えていた。

 

「もっと薪をくべようか?」の声に、私はストーブに太い薪を詰め込んだ。

 

今回はどんな動物のお世話をするのか、私はわくわくしていた。

 

バスタオルがのけられた時、私は絶句した。

 

「今日から君がママだ」

 

言葉を発せずにいる私に、ユノさんは肩を叩いて繰り返した。

 

「この子のママは君だ」

 

「...自分が?」

 

「そうだ」

 

「...変なの。

ねぇ、ユノさん。

この子は何ていう動物なの?」

 

「それが分からないんだ」

 

ユノさんは困りきった顔をして肩をすくめた。

 

「動物園にいたんでしょ?

それなのに、分かんないの?」

 

「アルパカの檻にいたんだ、ある朝突然。

誰にも知られずに妊娠していて、ひっそりと産み落とされた子ってことはあり得ない。

アルパカは全頭雄だし、見ての通りこの子はアルパカじゃない」

 

「...そうだね」

 

「母親が分からないんじゃ、正しい檻に戻すこともできない。

飼育員部屋で世話をしていたんだが、警戒心が強くてね、満足にミルクも飲まない。

このままじゃ衰弱死してしまうから、連れ帰ったんだ」

 

遠巻きに見ていた私は近寄って、毛布の上でふるふる震える小さな生き物を近くから観察した。

 

タミーは興味津々で、『それ』の匂いをくんくん嗅いでいる。

 

タミーはよく出来た犬だから、吠えたり噛んだり絶対にしないのだ。

 

「飼育員のひとりが試しに、子ヤギを産んだばかりの母ヤギにあてがってみたんだ」

 

「どうだった?」

 

ユノさんは首を振り、『それ』の耳の下を指で指した。

 

血が滲んでおり、ヤギの親子に拒絶されたんだろうと、ユノさんの説明がなくても察せられた。

 

「何を食べるかも分からないの?」

 

「今はミルクだね。

大きくなったら何を食べるんだろうね」

 

「ユノさん、調べてくれないの?」

 

「ママになった君の仕事だよ。

この子は何が好きで、何が苦手なのか、注意深く観察して見つけるんだ」

 

「名前を決めないとね」

 

私は何てつけようかなぁと、視線を彷徨わせかけたとき、

 

「名前はもう決まってるんだ。

『あの子』や『それ』じゃ不便だったから、俺が付けた」

 

と、ユノさんは言った。

 

名付け親になりたかった私はがっかりした。

 

「この子は『チャンミン』だ」

 

「...チャンミン...」

 

「ああ。

いい名前だろう?」

 

ユノさんはニコニコとご機嫌で、ストーブの上でしゅんしゅん音を立てていたヤカンを下ろした。

 

「バケツを持っておいで。

それからタオルも」

 

私は雪が吹きすさぶポーチへバケツを取りに行き、バスルームからタオルを抱えてリビングへ戻った。

 

ユノさんはぐらぐらに沸いたお湯をバケツに注ぎ、ちょうどよい湯温になるまで水を加えるごとに、指で湯温を確かめていた。

 

「よし」と頷いたユノさんは、タオルをお湯に浸してゆるく絞った。

 

ホットタオルでこの小さな生き物...チャンミンの身体を拭いた。

 

足先とお腹、尻尾についたウンチ汚れを拭き取った。

 

お湯を取り換え、別の綺麗なホットタオルでチャンミンの頭と背中をごしごし拭いてやった。

 

肋骨が浮き出るくらいやせ細っていて、頭ばかり大きく見えた。

 

チャンミンは気持ちよさそうに、まぶたを半分閉じている。

 

「チャンミンは君のことを気に入ったようだね」

 

「そうかな?」

 

「飼育員の誰にも心を許さなかったんだ。

歯のない口で噛みついたり、唸ったりしてさ」

 

「そっか...チャンミンにはママがいないんだね。

自分が何なのかも分からないなんて...。

可哀想だね」

 

チャンミンの頭に手を置いた。

 

私の手の平に、チャンミンの真ん丸の頭蓋骨がぴったりとおさまった。

 

 

(つづく)

 

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(7.最終話)甘い甘い生活

 

 

~チャンミン~

 

 

ふざけたユンホさんに、ベッドの上に放り投げられるかと思った。

 

ぽーいって。

 

「ひどい!」と憤慨した僕に、「びっくりした?」ってユンホさんは、おどけた笑いをしてみせそうで。

 

だってユンホさんは、たまーに不意打ちに、悪戯心を発揮して僕を驚かす人だから。

 

(あれ?)

 

ところが、真っ白なシーツの上に、お尻、脚、背中、頭と順にそっと、ゆーっくり下ろされて。

 

その時、僕の心にずんと、ユンホさんの愛情が響いた。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

ずっと我慢してきたんだろうな。

 

時間がかかってごめんな。

 

チャンミンと関係を深めることに怖気づき、自分が決めたのではない良識に縛られて、チャンミンが差し出した手を素直に握れなかった。

 

チャンミンと初めて会ったあの時も、心も体もガチガチに強張らせていた。

 

でも、チャンミンが時空を超えて残した一枚のメモで、せき止めていたものが消えた。

 

チャンミンの穏やかだけど、芯の熱い愛情に心も身体もほぐれたんだ。

 

チャンミンを包んでいたバスタオルをはがす。

 

仰向けになったチャンミンは、両腕をさし伸ばして俺を呼ぶ。

 

両膝で体重を逃しながら、ぴたりと肌と肌とを密着させた。

 

真下に迫るチャンミンの唇に、俺は顔を近づける。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

全身のすべての窪みと突起に、ユンホさんの細くて長い指が滑り込み、手の平で撫でられると、じんとした痺れが走る。

 

僕の反応を確かめながらの愛撫は、決して急がない。

 

全身くまなく、ついばむように吸われると、うずいて思わず声が出る。

 

「可愛い声」

 

そう言って、ユンホさんの手が僕の肌をさわさわとかすめながら、触れるか触れないかのタッチで下りていく。

 

繊細な指のうごめきに合わせて、腰が震えて浮き上がった。

 

僕の中を探りながら、内ももに口づける。

 

指と唇だけの愛撫だけじゃ物足りなくなってきたとき、僕の耳元に唇を寄せて「いい?」、と彼は囁いた。

 

僕は「うん」と答える。

 

僕はもう、ユンホさんとひとつになりたくて仕方がない。

 

じれったくなるほどゆっくりと、ユンホさんが入ってきた。

 

奥深くまで届くと、その圧迫感に悲鳴のような喘ぎがこぼれる。

 

ユンホさんの首に力いっぱいしがみついた。

 

腰の動きは最初はゆっくりと、次第に速度を増す。

 

ゆるゆると動かしていたかと思うと、深く突き立てられて、僕の目の前は真っ白になった。

 

ユンホさんの背中に僕の爪がくいこんだ。

 

ユンホさんも気持ちよさそうで、僕の心は幸福で満たされた。

 

熱くて湿った吐息が喉元にかかる。

 

大きく動くたび、ユンホさんの喉からかすれた呻きが漏れた。

 

背中にまわした手が、ユンホさんの汗で滑る。

 

ぐいっと腕を引っ張られ、あぐらをかいた彼の上にまたがるように乗せられた。

 

ユンホさんと向き合う格好になり、今度は真下から突き上げられる。

 

汗で濡れた互いの肌がぬるぬると滑り、吸い付くように密着した。

 

念入りな愛撫と、緩急つけた揺さぶりで、息ができない。

 

僕の中がユンホさんで満たされる。

 

ああ、酸素が足りない。

 

この人が好きだ、と心の奥底から思った。

 

僕はもう、とろとろです。

 

僕の背中に覆いかぶさっていたユンホさんのしなやかな腰がぶるりと痙攣したのち、

汗まみれの熱々な横顔が、僕の肩に降ってきた。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「チャンミン...タフだな...」

 

俺は胸を大きく上下させ、乱れた呼吸の合間に「俺は...3回が...限界...」と途切れ途切れ言った。

 

「『恥ずかしい恥ずかしい』って連呼してたくせに...ギャップが凄いな」

 

「今までの僕は、いろいろと遠慮してましたからね。

忘れてませんか?

僕らは『婚約中』なんですよ」

 

チャンミンは鼻の上までシーツに埋もれながら、こう言ったのだ。

 

「...そう言えば...!」

 

正直に言って、『プロポーズ』イコール『結婚』だと結び付けていなかった。

 

俺の過去も姪のあーちゃんも、全部ひっくるめて受け止める覚悟を、プロポーズという形で見せてくれた。

 

その心意気が後ろ向きな俺の心に喝を入れ、深い愛情がカサカサな心に注ぎこまれたおかげで、この恋に向かう姿勢を前向きにした。

 

今はまだ、実感がないだけ。

 

「ひどいですね」

 

『婚約中』の言葉に照れた俺は、チャンミンの鼻をつまんだ。

 

「やだ。

ブサイクな顔になる」

 

「イチャイチャしてるんだぞ。

ホントは楽しいんだろ?」

 

チャンミンの両ほほをにゅうっと、左右に引っ張った。

 

「今どきこんなカップルは滅多にいませんよね。

僕らときたら、全くもって...奥ゆかしいですよね」

 

「確かに」

 

チャンミンの頬から手を離して、クスクスと笑った。

 

「あーちゃんがいるから、こんな風にゆっくりイチャイチャできませんからね。

あ、誤解しないでくださいよ。

あーちゃんが邪魔って意味じゃないですから!」

 

「わかってる」

 

「たまにしかできないから、こういう時間は貴重です」

 

俺は身体を起こすと両脚を床に降ろし、ベッドに横たわったままのチャンミンを振り向いた。

 

「貴重ですよ...うんうん」

 

しみじみとした、チャンミンの言い方が可笑しかった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕の目前にさらされたユンホさんの背中に、見つけてしまった。

 

僕が爪立ててしまった、夜の気配漂うひっかき傷。

 

内緒にしておこう。

 

シャワーが沁みてヒリヒリしたら、どれだけ僕が満足していたのかを知ってニヤニヤしてね。

 

「喉が渇いたな。

チャンミンも喉がカラカラだろ?」

 

そう言ってユンホさんは立ち上がると、床に落ちたバスタオルを腰に巻いた。

 

「チャンミン、いっぱい声を出したからなあ?」

 

「恥ずかしいことを、口にしないでください!」

 

広い肩幅からぎゅっと引き締まった腰までのラインに、僕は熱い視線を注ぐ。

 

この人はなんて美しい人なんだろう。

 

その後ろ姿にあらためて、惚れた。

 

「...僕は、ユンホさんたちと一緒に暮らしたら、したいことがいっぱいあります。

僕はコーヒーを淹れるのが、下手みたいです。

ユンホさんが淹れてくれたコーヒーが、毎朝飲みたいです」

 

ベッドに滑り込んできたユンホさんは、僕のお腹に腕をまわし脇腹に鼻を押しつけた。

 

「俺がコーヒーを淹れるから、チャンミンは弁当を作って」

 

僕の脇腹に唇を押しつけたまま喋るから、くすぐったくてしかたがない。

 

「気が向いたら、海苔で名前を書いてあげますよ、あの時みたいに。

あーちゃんは嫌がるでしょうね、絶対に」

 

「嫌がるだろうね」

 

鼻にしわを寄せてユンホさんは、目を三日月形に細めた笑顔で僕を見た。

 

目尻がキュッと上がった、とても可愛い笑顔。

 

「泣きたい時があったら、また僕の胸を貸してあげますね」

 

僕はこぶしでとんと胸を叩いた。

 

「ただし。

あの時の僕とは違うから、襲いますけどね」

 

「襲うのは、俺の方」

 

膨れ上がった涙で、ユンホさんの顔がにじむ。

 

「あーもー。

チャンミンの方が先に泣いてどうするんだよ?」

 

僕の首の下にユンホさんの腕が滑りこんで、ちょっと強引に口づけられた。

 

「もう一回、襲わせて...」

 

こじあけられた隙間からユンホさんの舌が侵入し、僕は再び息ができなくなる。

 

力強い腕でウエストをさらわれひっくり返された僕は、仰向けになったユンホさんの上に乗っていた。

 

ユンホさんの目が潤んでいた。

 

「僕はあなたが大好きです」

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「俺はチャンミンが大好きだ」

 

チャンミンの火照った頬を、宝物を扱うかのように優しく包みこんだ。

 

甘い甘いキスを、ありったけの愛情を込めて。

 

未来からのチャンミンのメッセージを受け取らなければ、彼からのプロポーズに『NO』と答えていた。

 

あの頃、チャンミンと送った甘い生活を思い出していた。

 

どんなからくりを使って、俺の耳元に囁きにこられたのか。

 

「『YES』ですよ!」

 

不思議なことは、不思議なままにしておこう。

 

俺たちは「好き」の応酬をさっきから繰り返している。

 

 

甘いひととき。

 

甘い言葉。

 

甘いキス。

 

甘い未来。

 

今日という日。

 

2月18日。

 

俺たちの記念日。

 

俺とあーちゃん...そして大好きな大好きなチャンミン。

 

俺たちの甘い甘い生活が、これから始まる。

 

 

 

(おしまい)

 

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