(3)甘い甘い生活

 

~ユノ~

 

俺は迷っていた。

亡くなった姉の子供を引き取ったばかりで、俺ひとりで一人前に育てられるか不安な時期だった。

その子の登場が原因で婚約者が出ていき、それから3か月も経たないうちに、今の彼と出会った。

 

「あなたに子供がいようがいまいが、僕には関係ありませんよ」

 

自分には子供がいると打ち明けた時、彼は「それのどこが問題ですか?」と不思議そうな顔をしていた。

 

「安心してください。

ユンホさんも、ユンホさんのお子さんも僕が丸ごと守ります」

 

きっぱり言い切る彼の言葉に、素直に寄りかかれない自分がいた。

子供が懐かないかもしれない。

そして何より、自身の生活に誰かを受け入れて、裏切られる思いはたくさんだった。

彼からプロポーズされたとき、俺は即答できず時間が欲しいと伝えた。

飛び上がるほど嬉しい言葉だったのに。

断る理由をいくつも挙げている自分がいた。

壁に貼ったカレンダーを見やった俺は、ため息をつく。

彼に返事をする約束の日は明日だ。

俺は段ボール箱に本棚の本を詰める手を止めて、もう一度ため息をついた。

この部屋は、俺と姪の2人で住むには広すぎた。

引っ越しを控えていて、荷造りも佳境だった。

元婚約者が残した私物も多く、「いる」「いらない」を選別しながらの作業だったから、時間がかかっていた。

 

(懐かしい)

 

20代のころ、夢中になって読み漁っていた作家の本が出てきた。

そのうちの一冊を手に取って、表紙を開くと二つ折りにした紙が挟まっていた。

 

「?」

 

メモ用紙に走り書きされた文字の筆跡は、自分のものではない。

 

『ユンホさんへ。

素直になってください ― C―』

 

「C...」

 

コンマ1秒で俺は思い出した。

床に座って本を読んでいた彼。

彼は俺の本棚の本を、片っ端から読んでいた。

読書をしながら、俺の帰りを待っていたのだろう。

​ぼたぼたっと、開いたページに涙が落ちた。

 


 

 

待ち合わせのカフェに着いた時、既に彼はテーブルについていた。

約束の時間より30分も早い。

 

「ごめん、待った?」

 

彼はまぶしそうに眼を細めた。

 

「僕が早く来てただけです」

 

俺の顔をしげしげと見つめていた彼の目が、丸くなった。

 

「ユンホさん...やっと思い出しましたか?」

 

俺は頷いた。

 

「遅すぎますよ。

ユンホさんったら、忘れたままなんですから。

どれだけ僕がヤキモキしたか、分かりますか?」

 

俺に弁当箱を手渡した時のチャンミンより、歳を重ねた大人の顔のチャンミン。

 

「でも...。

僕の顔を思い出さなくても無理はないですよ。

あの時のユンホさんは、死にそうなくらい心が疲れていましたから」

 

チャンミンは立ったままの俺の背中を押して、向かいの席に座らせた。

ささいな動作ひとつひとつが、あの頃のチャンミンのそれと同じだった。

 

「僕がプロポーズしたとき、ユンホさんが迷っている理由もよく分かっていました。

ユンホさんが僕のことを好きな気持ちも分かっていました。

でも、ユンホさんは悩みに悩んで、『NO』と言う可能性が高かった。

でも僕は、どうしても『YES』の答えが欲しかったんです」

 

「...チャンミン」

 

俺は片手で口を覆ったまま、チャンミンの話を聞いていた。

 

「だから僕は、ユンホさんの耳に『YESって答えなさいよ』って囁きに行ったわけです」

 

言葉をきったチャンミンは、眉尻を下げて困った表情をした。

 

「ユンホさん、ずるい僕で幻滅しましたか?」

 

俺は、ぶるぶる首を振った。

 

「まさか」

 

つんと鼻の奥が痛くなってきた。

 

「ずっと忘れてて...ごめん」

 

チャンミンは手を伸ばして、俺の手を両手でゆったりと包んだ。

 

「若い時の僕はかっこよかったでしょう?」

 

チャンミンの言葉が可笑しくて、吹き出してしまった。

 

「ああ」

「若いユンホさんも、滅茶苦茶かっこよかったです。

...今もかっこいいです」

 

​チャンミンは、目を半月型にさせて笑った。

 

「本題に入りますよ」

 

チャンミンは咳払いをして、姿勢よく椅子に座りなおした。

 

「ユンホさん。

僕はもう一度、言いますよ。

返事をお願いします」

 

俺も椅子に座り直し、身を乗り出してチャンミンの手を握り返した。

大きく息を吸って吐いて、吸った。

 

「僕と...」

「俺と結婚してくれ」

 

言いかけた口をそのままに、ぽかんとしたチャンミン。

チャンミンの瞳に透明な膜が膨らみ、俺の視界も揺らめいた。

 

「僕の...台詞をとらないで下さいよ」

 

両眉を目いっぱい下げて、チャンミンはこぶしでゴシゴシと目を拭った。

 

「チャンミン。

お前の人生、俺が丸ごと面倒見る」

 

「ほらぁ...僕の台詞をとらないで下さいよ」

 

「チャンミンが俺にくれた言葉...丸ごとチャンミンにお返ししたいんだ。

俺はチャンミンに頼りたいし、チャンミンも俺に寄りかかって欲しい。

...返事は?」

 

「...はい」

 

「...よかった」

 

「僕にも言わせてください。

ユンホさん、僕と結婚してください。

...返事は?」

 

「もちろん。

『YES』だよ」

 

(つづく)

(2)甘い甘い生活

 

 

寒さ厳しい2月のある夜。

 

出迎えたチャンミンの表情が曇っていることに気づいた。

 

言葉少ない夕食を終えると、チャンミンが切り出した。

 

「ユンホさんに話があります」

 

チャンミンに促され、カーペット敷きの床に正座した彼の正面に、俺も正座した。

 

「僕の話すことをよく聞いてください」

 

「どうしたの、チャンミン?」

 

「時間がないから、端折って言いますよ。

ユンホさんのこれからの人生、いろんなことが起こると思います。

大変なときもあります。

でも、ユンホさんなら大丈夫です。

誰かと恋に落ちることも何度かあるでしょう。

想像するだけで、僕は嫉妬で苦しんですけど...」

 

チャンミンは、顔をしかめる。

 

「出会いがあれば、別れもあります。

悲しい別れの後、ユンホさんは苦しむと思います。

この先どうしようと、途方にくれる時もあるかもしれません」

 

「なんだか予言みたいで怖いよ」

 

「僕は...。

ボロボロになったユンホさんを見ていられなかった。

だから、お世話しにきました。

僕のおかげですね。

ユンホさん、カッコよくなりました。

あ...もともとカッコいいですよ!

その髪型も似合っています」

 

「そう?」

 

久しぶりにヘアスタイルを変えたのだ。

 

「話を戻しますよ。

失望感のあまり、誰も信じられなくなった時。

僕は...。

​僕は、ユンホさんもユンホさんの大事なものも全部。

全部丸ごと僕が面倒みますから。

ユンホさんは安心してください」

 

チャンミンが何を言おうとしているのか、さっぱり理解できなかった。

まっすぐに俺を見る濡れたように光る瞳から、チャンミンは真剣なんだということだけは伝わってきた。

 

「僕は、ユンホさんを幸せにしたくて来たんです」

 

「なんだかお別れみたいだな」

 

チャンミンは手を伸ばして、固く握りしめた俺の手をポンポンと叩いた。

 

うんと泣いた夜、俺が眠りにつくまで背中をポンポンと優しく叩いてくれた、チャンミンの手を思い出していた。

 

「ユンホさん、もう忘れちゃったんですか?」

​チャンミンは眉尻を下げて困ったような、呆れたような顔をした。

「あの夜言ったでしょう?

時が来たら、ユンホさんを襲ってあげるって、

その逆かな...ユンホさんに襲われてあげる、だったかな?

もう忘れちゃったんですか?」

 

​「忘れるわけないよ」

 

「ユンホさんは、周りの人との調和を考えて行動する人です。

自分の本心に蓋をして、笑ったフリができる人です。

目の前に分かれ道があった時、常識的な進路を選ぶ人です」

 

「チャンミン、何を言ってるのか、全然わかんないよ」

 

「要するに!」

 

チャンミンは、ぐっと身をのりだした。

 

「『YES』を選んでください、ってことです。

ユンホさんの本心に素直に従うんです。

​うーん、ユンホさんの場合、本能かなぁ...。

とにかく!

『YES』を選ぶんですよ!」

 

「イエス?」

 

「そうです!

絶対に忘れないでくださいよ」

 

チャンミンは俺の額を人差し指で、つんと突いた。

「時間です。

僕は出かけます」

チャンミンが立ち上がって、玄関ドアの向こうへ消えるまではあっという間だった。

 

​俺は初めてチャンミンを見送った。

 

​こうして、チャンミンとの生活は終わった。

 

(つづく)

 

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(1)甘い甘い生活

脚をひきずるようにして帰宅したある夜、部屋に彼がいた。

 

「おかえりなさい」

 

ソファの上で膝を抱えて座っていた彼は、立ち上がると俺のバッグを取り上げ、ジャケットを脱がせた。

 

「くたくたでしょう」

 

俺はあっけにとられていて、彼にされるがままで、気づけばお風呂上がりでポカポカで、冷たい缶ビールを手にしていた。

独身男のひとり暮らしの部屋とは言え、いきなり男がいたりしたら、それはもう事件だし、犯罪行為だ。

けれど、俺はあまりにも疲れ果てていたし、彼の邪気のない笑顔を見ると、露ほども恐怖は感じなかったのだ。

職場での理不尽な扱い、数年来交際していた恋人の裏切り、家族の死。

負の出来事がこの一か月の間立て続けに起こり、身体的にも精神的にもどん底で、毎日が精いっぱいだった。

いきなりの彼の登場に全く驚かないほど、思考力が落ちていた。

 

「僕の名前はチャンミンと言います」

 

彼が用意した料理をつまみに2本目のビールを開けた時、彼は自己紹介を始めた。

 

「今夜から僕がユンホさんのお世話をしてあげます」

 

彼が俺の名前を口にしたことも、彫刻のように整った顔も、何もかもが非現実的過ぎた。

俺はあまりにも疲弊していたから、彼の容貌を目にしても、全く惹かれなかった。

 

「これ以上はダメです」

 

3本目に手を伸ばす俺より早く、チャンミンはビールを取り上げた。

 

「明日に響きます。

二日酔いになります。

顔がむくんでブサイクになります。

僕が代わりに飲みます。

お酒はベストコンディションな時に、美味しく飲まないとね」

 

​チャンミンは、恨めしそうに見つめる俺に構わず、あっという間に飲み干してしまった。

 

「さあさあ、ユンホさん。

もう寝る時間ですよ!

​電気毛布を入れておいたから、あったかい布団で眠れますよ」

 

​ほろ酔い状態で、砂が詰まったかのような頭で、彼の言葉を聞いていた。

 

「明日は僕が起こしてあげますから、ぐっすり眠ってください」

 

部屋の照明が消され、明るいリビングからの逆光に、チャンミンのシルエットが浮かび上がっていた。

このようにして、俺とチャンミンとの生活が始まった。

 


 

 

チャンミンは優秀なハウスキーパーだった。

俺は毎朝チャンミンに起こされ、彼が用意した朝食を食べ、弁当を持たされ出社する。

 

「ユンホさんは、こっちの色の方が似合います」

 

いつの間にか身なりに無頓着になっていた俺。

存在をすっかり忘れていたミッドナイト・ブルーのネクタイを、クローゼットから引っ張り出して俺の首にしめてくれた。

上司と後輩の間に挟まれきゅうきゅうとし、疲労困憊して帰宅する。

 

「おかえりなさい」

 

チャンミンが玄関に小走りに出てきて、俺の手からバッグを取り上げる。

 

「ユンホさん、お疲れ様。

今夜は鍋にしました。

野菜も肉もたくさん入れたから、だしが出て美味しいですよ」

 

浴室から出ると、洗濯されきちんと畳まれたパジャマと下着が用意されていた。

 

「ユンホさん、下着を新しくしておきました。

ヨレヨレでしたから」

 

細やかな気遣いにじんと感動し、丁寧なもの言いの間に挟まれる毒舌にムッとしていると、その後のフォローに苦笑した。

チャンミンに大切に扱われているうちに、自分がかけがえのない大切な存在だと思えてきた。

朝はチャンミンが見送ってくれる。

家に帰ると、チャンミンが待っている。

何もかもやってくれて。

 

「今夜から僕が、ユンホさんのお世話をしてあげます」

 

チャンミンがやってきた夜、彼が宣言した通りだった。

俺の本棚からぬきとった一冊の本を読みふけるチャンミンを見つめた。

ソファにもたれて、長い脚を床に投げ出すようして座るチャンミン。

俺からの視線に気づくと、

「なんですか?」

目を半月型にさせて、にっこりと笑った。

 

「夜遅いですから、アイスはダメです、太ります」

 

チャンミンの笑顔に胸をつかれた。

 

「胃に優しいお粥を作ってあげますから、それで我慢してください」

 

いそいそとキッチンに立つチャンミンを目で追っていた。

彼がこんなに優しい目元をしているなんて、今さら気づいた。


 

別れた彼氏が新しい恋人を連れた姿を目撃してしまった日のこと。

​ベッドに横になった俺の隣に、チャンミンがスルリとすべりこんできた。

 

「僕が添い寝をしてあげますから」

 

ぎょっとしてチャンミンを見上げると、

「安心してください、襲ったりはしません」

 

チャンミンの言葉が可笑しくて、思わず吹き出した。

 

「襲って欲しいんですか?」

 

チャンミンはおどけた笑いを浮かべると、俺の頭を胸に引き寄せた。

 

「ダメです。

今はダメなんです」

 

​チャンミンの胸から、規則正しい鼓動が聞こえた。

 

「その時がきたら、ちゃんと襲ってあげますから。

あ...ユンホさんだから、『襲われてあげます』の言い方の方が正しいかな?

ゴールは同じですから、どっちでもいいですね」

 

チャンミンは、俺の背中を優しくポンポンと叩いた。

 

「僕が胸を貸してあげますから、泣いていいですよ」

 

チャンミンが言い終えないうちに、せきを切ったかのように目から涙があふれ、声を出して泣いていた。

​最後に泣いたのはいつだっただろう?

​こんなに泣いたのは、うんと久しぶりだった。

いつの間にか俺は、涙すら出せなくなっていた。

歯を食いしばってこぶしを握り、心を閉じた毎日を送っていた。

泣いてはじめて、そんな自分に気づいた。

 

翌朝、とっくに起きだして朝食を用意していたチャンミンは、俺の顔を見るなり大笑いした。

「ユンホさん...恐ろしいほどブサイクな顔してます」

 

むくれる俺に、チャンミンはいつものように弁当箱を手渡した。

「お弁当にサプライズがありますから、楽しみにしていてください」

 

​忙しさでずれこんだ昼休憩の時間、そそけだった心のまま弁当箱の蓋を開けた瞬間、慌てて蓋を閉めてしまった。

 

「もったいなくて、食べられないよ」

たっぷりと敷きつめられた炒り卵の上に、カットされた海苔で書かれた『ユンホ』の文字。

大きな手で海苔を切るチャンミンの姿を想像すると、微笑ましくてたまらなかった。

 

「なんて可愛いことしてくれるんだよ、チャンミン」

 


 

昼間、チャンミンはひとり何をしていたのだろう。

夕日が差し込む狭い1LDKの部屋で、チャンミンは洗濯物をたたみながら何を考えていたのだろう。

夕飯のメニューを考えながら、俺の帰宅を待っていたのだろうか。

うっすらとホコリをかぶっていた部屋はさっぱりと清潔に、曇った浴室の鏡も磨き上げられ、冷蔵庫にはおかずが詰まった保存容器が並んだ。

食卓に置いたグラスに活けられた2輪のダリアを目にしたある日、俺は泣きそうになった。

 

(つづく)

 

(続編)二人の添い寝屋

 

 

5日目。

 

本来なら、添い寝屋ユノとの、添い寝屋チャンミンとの契約が切れる日だった。

 

「お世話になりました」と言い合って、バイバイするはずの日だった。

 

でも、僕らは恋人同士になったから、バイバイする必要はないのだ。

 

嬉しすぎてくすくす笑っていたら、「チャンミンの笑い方がキモイ、エロい」と、ユノに髪の毛をぐちゃぐちゃにされた。

 

ユノの不眠が治ったかどうかは分からない。

 

僕らが1つになって交じり合って、1日も経っていないんだもの。

 

しわだらけのシーツに頬をくっつけて、まぶたを半分落とした僕はうっとり、満ち足りたため息をついた。

 

ぺちょりと濡れたシミがここに、乾きかけのシミがあそこに。

 

これらは全部、僕が出したもの。

 

放出されたユノのものは全部、僕の中で受け止めた。

 

ハートは満タン、肉体的にも潤った感に浸る僕。

 

温かくなった身体に慣れなくて、足元がふらついてしまい、さっと伸びたユノの腕に支えられる。

 

ユノの肩にもたれかかり、微熱程度まで下がった、乾いた彼の肌に口づける。

 

夕日でオレンジ色に染まったリビング。

 

ユノの均整のとれた肢体が長い影を作っている。

 

冷蔵庫の中を物色するユノの腰に腕を回した。

 

ユノの首の付け根の骨に吸いつくと、

 

「チャンミンがこんなキャラだったなんて...意外だな」と笑われてしまった。

 

「...だって」

 

自分でもびっくりだよ。

 

甘えんぼキャラだったなんて!

 

ユノの固く引き締まったお腹の下の、ふさふさを梳きついでに、中心から顔を出しているのをふにふにしてたら、「こら!」と怒られた。

 

「頼む...休憩させてくれ」

 

「ユノって強かったんじゃなかったっけ?

あんな程度なの?

な~んだ、がっかりだなぁ」

 

「半日で5回だぞ?

十分、強いだろ?

底無しなのはチャンミン、お前の方だ!」

 

「むぅ」

 

「5年もご無沙汰だったんだから仕方ないけどさ。

溜め込んだミルクタンクの中身を、慌てて空にする必要はない!」

 

「...だって」

 

目覚めた僕の身体は、性狂乱時代が証明しているように力がみなぎっていて、欲しくてたまらないのだ。

 

欲しいのはもちろん、『ユノ限定』だ。

 

「歩きにくいから、離れてくれ」

 

「やだ」

 

ユノは後ろにへばりついた僕を引きずって、リビングまで戻る。

 

ソファに座ったユノの隣に陣取り、パックから直接牛乳を飲むユノの、ごくごく動く喉仏に見惚れた。

 

全面窓から注ぐ光に、ユノの濃いまつ毛が際立ち、その下の瞳もつるんと光っている。

 

「僕も飲みたい」

 

「どっちのミルク?」

 

「へ?」

 

「......」

 

「?」

 

「はあぁ」とため息をつき、

 

「...ジョークだよ。

意味がわからない顔をまともにされると、俺の方が照れる」とユノは言った。

 

「ふふふ」

 

「なんだよ、分かってたのか?

からかうのは俺の役割。

からかわれるのはチャンミンって決まってるの」

 

「ふふふ」

 

ムッとしてるユノから牛乳パックを取り上げ、乾いた喉を潤していると...。

 

ユノったら、僕の脇腹をくすぐるんだ。

 

ぶはー!と牛乳を盛大に吹き出してしまった。

 

「ぎゃははははは!」

 

牛乳パックなんて放り出してしまって、くすぐり合っているうちに...ソファの上で第6ラウンドが始まってしまうのだ。

 

だから僕らは下着をつける間もなくて、今朝からずーっと全裸なのだ。

 

ユノの全身を...ぷりっとしたお尻や、脇腹からあそこへ斜めに走るライン、ぷっくり大き目の2つのピンクなんかを存分に眺められて、僕のドキドキは止まらないのだ。

 

 

 

 

僕とユノは5年前に、既に出逢っていたのだ。

 

出逢い、と言っても、当時は互いの顔かたちを認識し合う余裕もなく、名前も知らず、アソコとアソコを繋げただけの仲。

 

内で荒れ狂う色欲を発散させるための場なのだから、名無しで構わないのだ。

 

ユノは酒と媚薬で酔っ払った状態だった。

 

僕はチャイナドレスを身にまとい、メス化したあそこはとろとろで柔らかくほぐれていた。

 

女の人とやっていたと誤解したユノは、お気の毒さまだ。

 

あまりの相性の良さに、僕の中から引き抜くユノへと、僕の情熱が吸引されてしまった。

 

僕の熱をユノは持ち帰ってしまい、僕に残されたのはメーターがほぼゼロの肉体。

 

4日前、僕の前に添い寝屋兼客として現れたユノ。

 

ユノに触れられる度、そこから痺れが走りゾクゾクのし通しだった。

 

どうりで変だと思った。

 

世界で唯一の凸凹同士だったんだから、異常に反応してしまったのも仕方がないよね。

 

ユノの先っちょが僕の中にめり込んだ時、僕は肉体全部...血肉骨をもってして思い出したんだ。

 

「あの時の!」

 

ユノも同様で、「嘘だろ...」とつぶやいた後、絶句していた。

 

1回戦は記憶がないんだ。

 

衝撃が凄すぎて、早々と意識を手放してしまったらしい。

 

気付いた時にはコトの後で、僕は大の字になっていた。

 

うっすら目を開けると、間近にユノの優しい微笑みが待っていて、僕もつられて笑った。

 

 

 

 

夕飯はレトルトのスープを温めたものと、炒めただけの薄切り牛肉、といった簡単なもの。

 

(今朝、ユノが僕のためにブランチを作ってくれたのはいいんだけど、予想通りキッチンがえらいことになっていた。真っ黒になった外国製のフライパンに泣きそうになっていると、「俺が新しいやつを買ってやる」と言ってくれた)

 

「ユノが眠れるようになれるといいね」

 

フォークを皿に戻し、その手でテーブル向こうのユノの手に触れた。

 

「だいぶ平熱に近づいてきたね。

こもっていた熱が減ってきたから、少しは楽になったんじゃない?」

 

「そわそわと落ち着かない感じは、確かに無くなった。

でも...」

 

言いかけたものの黙ってしまったユノに、僕は席を立ち、椅子の背もたれごと彼を抱きしめた。

 

「ユノ。

仕事はどうする?」

 

「続ける。

チャンミンは?」

 

「続けるよ、もちろん」

 

「客がいい男だったり女だったりしたら、妬けるなぁ」

 

「僕だって同じだよ。

お客はみんな、ユノを好きになっちゃうんじゃないかって」

 

「俺の気持ちはしっかりしているから、心配しなくていいよ」

 

「ふぅん。

お客がユノに夢中になっちゃうってとこは、否定しないんだ」

 

膨れる僕の頭を、ユノは後ろ手にがしがしと撫ぜた。

 

「まあまあ。

チャンミンだって、可愛い添い寝屋さんだからモテるだろうね。

俺が止めて欲しいと言っても、チャンミンは今の仕事を辞めないだろ?」

 

「...うん。

ユノもでしょ?」

 

「ああ」

 

気だるげ添い寝屋を気取っていた僕でも、僕なりにプロ意識を持って5年続けてきたのだ。

 

「ユノはちゃんと仕事をやり遂げたよね。

でも、僕の仕事はまだ終わっていない。

ユノの不眠を治さなくっちゃ」

 

「治ってるかもよ。

今夜、分かるよ」

 

ユノはそう言ってるけれど、昨日の今日で、スイッチを切り替えたみたいにぐーぐー眠れるようになれるわけないと思う。

 

ユノの不眠は多分、根深い。

 

ユノの隣で僕が毎朝、確実に目覚めることで、安心させてあげるしかないのだ。

 

「いいこと思いついた」

 

「俺も」

 

「何?」

 

「チャンミンが先に言えよ」

 

「やだ。

ユノがお先にどうぞ」

 

ユノは椅子を後ろ前に座り直し、背もたれに顎を乗せて僕を見上げた。

 

上目遣いのユノは、僕の目には甘えた幼顔に映った。

 

へぇ...ユノのこんな顔、初めて見た。

 

「俺...チャンミンちに引っ越してこようかな」

 

「僕も同じこと考えてた」

 

僕はにっこり笑った。

 

「でね、この部屋でお客をとるの。

お客ひとりに対して、添い寝屋が二人なの。

でね、僕らはお揃いのパジャマを着るの。

超高級添い寝屋なんだ。

お客は、僕らに挟まれて寝るんだよ」

 

「贅沢だな...」

 

「でしょ?

他にはないよ、こんなサービス」

 

「俺は、いびきをかいて寝る客とチャンミンを見守る、ってわけ?」

 

拗ねるユノの鼻を突いた。

 

「そうだよ。

無理に寝ようとしなくていいんだ。

寂しくなったら、僕をたたき起こしていいからね。

僕は絶対に起きるから」

 

「俺はいつ寝るんだ?」

 

「朝になったら寝ればいいじゃないか。

夜は寝るものだってかたっくるしく考えているから、眠気が来ないんだよ。

ユノが寝てる間に、僕がご飯を作るから。

お昼になったら、僕が起こしてあげる。

ユノはキッチン、立ち入り禁止。

鍋もお皿も台無しにされたくないからね」

 

「...『彼女感』凄まじいな」

 

「彼女って言うな!」

 

僕はまるで夢みたいなことを語っているのではない。

 

これは明日の朝から、必ず実現するストーリーなのだ。

 

「僕はご存知の通り、底無しみたいだから、ユノはヘトヘトになるよ。

僕に搾り取られてクタクタになれば、否が応でも眠くなるよ」

 

僕はユノの手を引いて、寝室へいざなった。

 

換気のため開けておいた窓から、さぁっと涼しい空気が通り抜けた。

 

巨大団地の整列した白い点々、数珠つなぎになったテールランプの赤い点々。

 

二日前にも似たような夜景を共に見た。

 

今、目に映る景色はもっともっと、きらびやかに美しく僕の胸に迫る。

 

僕らは添い寝屋。

 

添い寝し添い寝され、僕らはみずみずしくなっていく。

 

幸福な二人の添い寝屋に挟まれて、客たちは満ち足りた寝息をたてるだろう。

 

 

(おしまい)

 

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