(14)19歳-初夜-

 

森暮らしの目に、アスファルトに照り返した光が慣れない。

 

俺たちはデパートに駆け込んで、揃いのサングラスを選んだ。

 

カウンターに置かれた鏡を前に、店員が次々と勧めてくるサングラスをかけていった。

 

ガラスケース内の商品はほぼすべて、試しただろうか。

 

チャンミンに似合うものは俺には合わず、俺に似合うものはチャンミンにはちぐはぐだ。

 

俺とチャンミンとでは、顔の造りのタイプが違うから、なかなかこれはという物に出会えない。

 

俺がすっきりとした目鼻立ちだとしたら、チャンミンは目鼻立ちがくっきりしている。

 

この顔立ちは、チャンミンというアンドロイドのために造られたオリジナルのものなのか、どこかにモデルがいるのか、どちらなんだろう。

 

唯一無二の顔だったらいいな、と思った。

 

もしどこかに、チャンミンのモデルとなった者がいるとしたら、チャンミンは彼のコピー扱いになるのだろうか。

 

(...ダメだよ)

 

考えが先に進みそうになるのを遮断して、紫レンズのサングラスを試着しているチャンミンに意識を戻した。

 

あまりの似合わなさに、笑ってしまった。

 

この類の思考は、四方八方に仮説や疑問の触手が伸びて収拾がつかなくなりがちだ。

 

または、ひとつの考えに囚われてループした結果、落としどころを見失ってしまう。

 

いずれにせよ、意識して遠ざけないと気分が落ち込むばかりのものだ。

 

途中で疲れてしまった俺たちは、お揃いは諦めて各々が似合うサングラスを選んだのだった。

 

 

チャンミンはペイズリー柄のシャツに淡い水色のデニムパンツ姿だった。

 

いつもの白シャツ黒パンツ姿とは雰囲気ががらりと変わり、とてもリラックスしている風に見えた。

 

「チャンミン、カッコいいよ。

とっても似合ってる」

 

チャンミンは整った顔と長い手足を持っているから、何を着ても似合うのだ。

 

「ユノから貰った服ですよ。

ユノのセンスが素晴らしいのです」

 

俺のお古だと言って、チャンミンにたびたび洋服を譲っていた。

 

「せっかく街に来たんだ。

新しい洋服を買おうか。

俺が見立ててあげる。

4階だって」

 

ところが、チャンミンはエスカレーター前で立ちすくんでしまったのだ。

 

「そっか...そうだよね」

 

エスカレーターが初めてのチャンミンの為に、俺は彼の手を握った。

 

「え...ユノ?」

 

不意に手を繋がれて驚いて、チャンミンは反射的に手を引いた。

 

「いーのいーの。

俺のタイミングに合わせて乗るんだよ」

 

エスカレーターを3回乗り継ぐ間、俺はチャンミンと手を繋いだままでいた。

 

紳士服売り場に到着するなり、チャンミンは手を離そうとするものだから、俺は逃すまいとさらに強く手を握りしめた。

 

「いーのいーの。

俺たちは恋人同士なの。

ずっと夢だったんだ...好きな人と手を繋いで歩くの」

 

「変な目で見られますよ?」

 

チャンミンはその場に立ち止まってしまった。

 

「変な目ってどんな目?」

 

「いろいろあります...。

ここは外じゃないです、お店の中です」

 

「恋人同士って、人目なんか気にせずいちゃいちゃしているじゃないか?

誰かに見られたとしても噂にもならないよ。

俺は屋敷に引きこもってたし、学校も寄宿舎生活だったから、顔は割れていない」

 

「学校のお友達に見られたら...?」

 

「見られるかもしれないけど、もうすぐ卒業して離れ離れになる。

今さら、隠し事はしなくていいんだよ」

 

彼らは、チャンミンがアンドロイドであることを知らず、俺の送迎を任された屋敷の使用人だと思ってる。

 

「...でも」

 

「でもでもって、何が気になるの?

男同士だから?」

 

「それもあります...」

 

チャンミンの語尾は消え入りそうだった。

 

世間では男と男の組み合わせは少数で、物珍しい視線は避けられない。

 

「『アンドロイドだから、なんとかかんとか...』の台詞は絶対禁止ね」

 

「でも...事実です」

 

アンドロイドの世界では、性別へのこだわりがない...男女の区別がない...いわゆる、バイが標準っていうの?

 

売り場の通路で会話する内容じゃないと判断し、俺はチャンミンをエレベーターホールへと連れてゆき、ソファに座らせた。

 

「前にも言ったことがあったと思うけど、俺は女を好きになることはない。

手を握ることもできない。

俺にとって、男と手を繋ぐことは...チャンミン以外の男はあり得ないからね...普通のことなんだよ」

 

俺は17歳まで閉じた世界で育ってきて、世の中の平均とは何なのかに疎い。

 

標準を知らないと、何が普通じゃないのか何が恥ずかしいことなのか判断がつかない。

 

だから、大衆とは何なのか知ってしまうことが怖い。

 

チャンミンが男だろうとアンドロイドだろうと、俺は全然構わない。

 

でも、初心でまっさらなチャンミンが世間を知ることによって、俺たちは『普通じゃない』と身を持って知ってしまうことが怖い。

 

俺は、努めて堂々と、チャンミンをエスコートしなければならないのだ。

 

「俺はチャンミンだから好きになったんだ。

チャンミンがアンドロイドだったから、俺たちは恋人になれたんだよ」

 

「?」

 

「チャンミンがアンドロイドだったから、俺たちは出逢えたんだ。

そうじゃなかったら、ひとつ屋根の下で暮らすことはできなかったんだよ。

そうだろ?」

 

本心と逆のことを言っているな、と不思議な気持ちになった。

 

チャンミンが人間だったらいいのに...ずっと願ってきた。

 

でも、チャンミンと出会うためには、彼がアンドロイドでなければならなかった。

 

より一層、頭が混乱してきた。

 

俺は彼と繋ぐ手にもっともっと力を込めた。

 

「ユノ...力持ちになりましたね。

凄い力ですね」

 

「寄宿舎に入ってから毎晩、筋肉を鍛える運動を続けているんだ。

強い身体になりたくてさ。

...チャンミンの為にだよ」

 

「ありがとうございます、ユノ」

 

「元気出た?」

 

「はい」

 

「手を繋いでもいいよな?」

 

「はい」

 

「よーし、服を選びに行こう。

チャンミンのバッグもいるね。

買い物が済んだら、アイスクリームでも食べようか?」

 

「欲張りですね」

 

くすくす笑うチャンミンがとても可愛い。

 

 

歩き回るのに疲れて、デパートの喫茶室でひと休憩することにした。

 

注文したのはアイスクリームで、外で食べる物の美味しいことといったら、屋敷ではもっと贅沢なものを食べてきているのに不思議だった。

 

下町の駄菓子屋で食べるアイスキャンディの方が、俺は好きだけれど。

 

最上階の喫茶室から、青い空と整然と並ぶレンガや石造りの建造物が見下ろせた。

 

均等に植えられた街路樹の緑、茶赤や青のサンシェードの色が、灰色や茶色の建物のいいアクセントになっている。

 

チャンミンの生まれ故郷である下町や、屋敷のある森林とは違った魅力のある世界だと思った。

 

高校を卒業したら、俺たちは都会に暮らすことになる。

 

今のうちに何度か街へ通って、お互いに慣れておこう...そんなことを、ぼんやり考えていた。

 

せっかちに食べ終えた俺に対して、チャンミンはひとさじひとさじ時間をかけてアイスクリームを舐めていた。

 

長い指で小さなスプーンを、ぎこちなく扱っている。

 

「美味しいですね」

 

「うん、美味しいね」

 

チャンミンの物足りなさそうな表情に、アイスクリームをもうひとつ注文してやった。

 

「ユノは?

僕ばっかりいいのですか?」

 

「いーのいーの。

この後、レストランに行くから」

 

「あっ...!」

 

チャンミンは口を丸く開けた。

 

「忘れてたでしょ?」

 

「はい。

忘れていました。

今日がとても楽しすぎて。

この後も楽しみが待っているなんて、僕は幸せ者です」

 

「チャンミンは食いしん坊だから、アイスのひとつやふたつ、空気みたいなものだよ」

 

「う~ん、そうかもしれませんね」

 

俺たちは顔を見合わせ、くすくすと笑った。

 

 

徒歩では荷物がかさばり過ぎて、ホテルまでタクシーを使うことにした。

 

途中、タクシーを待たせて薬局で買い物をした。

 

今夜のために必要なものがあったのだ。

 

チャンミンは、俺が薬局に寄った理由に見当がつかないらしく、買い求めてきた紙袋の中身に何の詮索もせず、涼しい顔をしていた。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(13)19歳-初夜-

 

 

ちりん、と受話器を置くと、チャンミンは脱力して椅子に腰を下ろした。

 

チャンミンは深いため息をつき、「緊張しました」と心臓のあたりを撫でさすり、「汗でびしょびしょです」と、パタパタとシャツの襟を扇いでいる。

 

レストランとホテルへ予約の電話をかけるだけのことでも、チャンミンにとっては重大なミッションなのだ。

 

なぜなら、俺を車で送迎する以外は、チャンミンは屋敷から出ることなく暮らしてきて、いわば温室育ちだ。

 

下界の者と接することは例え電話越しであっても、ほとんど無いと言ってもいい。

 

相手方が電話に出た時は、「えーっと、あのー」と用件を切り出せずにいたため、俺はチャンミンの手を握り、「大丈夫だ」の意を込めて何度も頷いてみせた。

 

チャンミンの視点は花瓶に固定され、受話器をきつく握りしめ、もう片方の指はくるくるコードを巻きつけていた。

 

チャンミンは人間に慣れていないだけで、接することができないわけではない。

 

「うまくできましたか?」

 

傍らに立つ俺を見上げるその顔...俺を心底信じ切っているその目...は、褒めて褒めてとねだっているように、俺の目に映った。

 

「さすがチャンミン。

すごいよ。

俺だったらしどろもどろになってしまってたよ」

 

ああ...今の俺は、まるで年下の者を褒めている年長者のようだ、と思った。

 

これまでの10年間は、俺はチャンミンから褒められる立場だったのに、俺がチャンミンを褒めることになるとは。

 

時が流れるとは、年を重ねるとはこういうことなのか。

 

俺の言葉に、チャンミンはそれは嬉しそうに目を細めて笑った。

 

 

昼過ぎには出発の用意が済んだ。

 

チャンミンはバッグが必要なところへ出かけた経験がないため、旅行バッグを持っていなかった。

 

そこで、彼の着替え等は、俺のものと一緒にひとつのバッグに詰めることにした。

 

よく畳みもせずバッグに放り込む俺を見かねて、チャンミンは「僕がやります」と俺の手からバッグを引き取った。

 

きっちり畳まれた衣服、洗面具を入れたポーチをベッドの上に整然と並べ、不足はないか指さし確認をしている。

 

チャンミンはふんふんと鼻歌を歌い、ニコニコと楽しそうだった。

 

その姿を見られただけで、いいアイデアを思いついた自分を褒めてやりたかった。

 

「このバッグじゃ小さいと思います。

スーツケースは持っていませんか?」

 

「持っていないよ。

スーツケース?

何を入れるの?」

 

俺だって泊りがけの旅行はしたことがないが、ホテルには枕やタオル、ブランケット、歯磨きコップ、ガウンの用意はあることは知っている。

 

「チャンミ~ン。

大袈裟過ぎるよ」

 

「...だって」

 

枕を抱きしめたチャンミンは、両眉も口角も下げている。

 

咎めの言葉だと受け取ったのか、それとも、無知な自分をからかわれたと思ったのか。

 

「...ユノは、いつもと違う枕で眠れますか?

タオルも使い慣れたものの方がいいでしょう?

このブランケットは、『これがあると安心する』って、ユノが小さい頃から使っているものでしょう?

パジャマも着慣れたものがいいでしょう。

シャンプーだって石鹸だって...」

 

理由を挙げてゆくその必死さに、「いいよ、全部持っていこうか」と頷きたくなったくらいだ。

 

「今回は、さっと一泊してさっと帰るような気軽なものなんだ。

いつか出かける大旅行に備えて、練習代わりだよ」

 

しょんぼりしているチャンミンの肩を抱いた。

 

「それから...『いつもと違うこと』を楽しむ夜なんだ。

チャンミンのことをいっぱい知る夜だから、枕は必要ないと思うよ」

 

俺の匂わせ発言に、チャンミンは赤くなった顔を背けた。

 

この手の話になると、チャンミンは俺の目を見られなくなり、熟れた果物並みに顔を染める。

 

俺だって恥ずかしい。

 

こんなんで、今夜うまくできるのか自信がなくなる程の、恥ずかしさだ。

 

恥ずかしがっていると悟られたくなくて、代わりにチャンミンを恥ずかしがらせる。

 

俺って意地悪な男だ。

 

「からかってごめん。

俺がガサツな男だって知ってるでしょ?

今夜泊まるところは、全部揃ってるって調べてあるんだ。

荷物は少なくて大丈夫だよ。

ね?」

 

俺はチャンミンの肩を抱き、彼の額に唇を押し当てた。

 

「俺は心配性なチャンミンが好きだよ」

 

チャンミンをなだめるには、唇ではなく額や頬、こめかみへの優しいキスが効果的だ。

 

ついでに頭を撫ぜてやると、くすぐったそうに身をくねらせる。

 

まるで小さな子供のようだ。

 

ここでいつも、思考が立ち止まる。

 

チャンミンが幼くなってきている。

 

いつも穏やかで本心を押し殺すところがあったのに、感情を表に出すようになった。

 

俺はある考えにとりつかれそうになっている。

 

...アンドロイドとしての性能が落ちて...劣化してきている?

 

そんなはずはない!

 

すぐさまその考えを否定した。

 

俺は何を考えているんだ?

 

チャンミンに“欲”があると知ったばかりじゃないか。

 

俺の成長に伴い、チャンミンの“欲”も膨らんでいったと、本人が話していたではないか。

 

そして昨夜、俺の手はチャンミンのそこを...彼が男である証に触れた。

 

とても、子供のものとは言えない。

 

チャンミンは幼くなどなっていない。

 

チャンミンは大人の男へと、成長しているんだ。

 

甘えん坊なところは、チャンミンに与えられた本来の性質であり、俺が幼い頃には気づけずにいただけの話だ。

 

俺の中でそう決着がついて、よかったと思った。

 

「ユノ?」

 

考え事にふけっていた俺を、チャンミンは不安げな表情で見守っていたらしい。

 

「ごめん、何でもない。

そろそろ出かけようか?」

 

 

玄関ホールのコンソールにメモ書き...チャンミンを伴って一泊する旨...を残して、俺たちは出掛けた。

 

すぐに執事か女中頭Kが見つけるはずだ。

 

当主の長男が泊りがけで出掛けるとは、今回が初めてのことで、使用人たちは驚いただろう。

 

父さんや母さんには、俺の居所を尋ねた時にはじめて知らされるだろうから、彼らの反応については気にかける必要はない。

 

17歳にもなって外泊を許可しない親は過保護としか言いようがなく、父さんが望む息子像から程遠い。

 

これまで大人しくしていた俺の方が、みっともないくらいだ。

 

俺が女だったら話は別だが。

 

喧嘩や酒、羽目を外して街で騒ぎを起こしたり、夜遊びが過ぎて妊娠させたり...父さんの顔に泥を塗るようなことをしでかさない限り、放っておいてくれるはずだ。

 

油断ならないのは、これは放任主義ではないことだ。

 

父さんは、俺に無関心なわけではなく、遠く離れた場所から俺を観察し、腹の底でジャッジを繰り返しているのだ。

 

 

チャンミンが運転する車は、街への道を下っていった。

 

森の木々で初夏の太陽は遮られ、開けた窓から涼しい風が吹きこんでくる。

 

その風でもみくちゃになったチャンミンの前髪を笑った。

 

「楽しみです。

ホント、楽しみです」

 

チャンミンの噛みしめるように繰り返す「楽しみです」の言葉に、俺は答える。

 

「楽しみはもう始まってるよ」と。

 

チャンミンの太ももにそっと、手をのせた。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(12)19歳-初夜-

 

 

俺の部屋の窓から、母さんとユナが庭を散歩している様子が見下ろせた。

 

日差しが強まる正午近く。

 

ご婦人方は帰宅したらしい(彼女たちにも家庭があるのだ)

 

開け放った窓から吹き込む風で、花瓶に活けたシャクヤクの芳香が漂った。

 

日傘を差した2人は、東屋から戻ってくる途中のようだ。

 

ゆったりと優雅な足取りで、母さんの笑い声がここまで聞こえてきた。

 

この後昼食を摂り、軽い昼寝でもするのだろう。

 

母さんがユナに向ける笑顔は慈愛に満ちており、幸福そのものだった。

 

念願の娘を得たのだ。

 

ユナは主人である母さんに可愛がられ、守られている。

 

ユナは「捨てられるのでは?」と怯える必要はない。

 

ユナを冷遇することは誰も許されない。

 

それが父さんであったとしても、母さんは許さない。

 

この屋敷では母さんの地位は父さんと同等に強く、父さんは母さんのやりたいように、全てを許していた。

 

なぜなら、かつて財政難だったわが家は、母さんの持参金によって持ち直した過去があるからだ。

 

ユナは不具合を起こすなど壊れてしまうまでは、大事にされるだろう...と思いかけた時、別の可能性が思いついてしまって心が寒くなった。

 

もし、母さんが“飽きて”しまった時。

 

17年間欲し続けた『娘』がやってきたのだから、その可能性は低いが。

 

チャンミン以外のアンドロイドを案じる気持ちは、ひとえに彼の存在のおかげだろうと思った。

 

この世には、さまざまなアンドロイド(肉体労働役に徹させるために著しく知能の劣ったタイプや、逆に抜群の知能を与えられたもの、痛みを感じないなど五感をコントロールしたタイプ)がいる。

 

人間の姿形をしている以上、無下にはできない。

 

命が宿っていると錯覚してしまう。

 

いや...宿っていると信じている。

 

例えそれが犬や猫の姿をしていても、同様だと思った。

 

 

週末の俺たちは、夕飯は揃って食堂で摂る習慣になっていた。

 

12人掛けのテーブルは俺とチャンミンの2人だけだ。

 

ここは女子供や朝食の為の部屋で、父さんや客人がやってくることはない。

 

屋敷は広いのに、どこにいても緊張状態で、自室以外は気が抜けなかった。

 

食事中の俺たちの会議は、当たり障りのない内容に終始した。

 

食堂は給仕につく女中一人だけけど、誰に聞かれているか知れないからだ。

 

チャンミンと恋人同士になって以降、俺たちは慎重になっていた。

 

 

特別な夜になりそうな今日は、街で食事をしようと思いついたのだ。

 

その後、ホテルに一泊するのはどうだろう?

 

思いついたのは午後になってからで、白樺の小径をチャンミンと歩いていた時のことだ。

 

夜に近づくにつれ俺の緊張度は高まってゆき、部屋にいても落ち着かず、頭を冷やすためチャンミンを散歩に誘ったのだった。

 

チャンミンも同様のようで、目が合ったかと思うとすぐに反らしたり、シャツの袖をまくったり下ろしたり、しきりにお茶を勧めたりとソワソワしていた。

 

今夜、起きるであろうコトを意識しているのだ。

 

「あ...!」

 

大事なことを忘れていたことに気づき、俺は声をあげていた。

 

食事やホテルに宿泊することが叶わなくても、今日中に街まで出かけなければならなかった。

 

「どうしたのです?」

 

「今から出掛けよう!」

 

「えっ!?

どこへですか?」

 

チャンミンは素っ頓狂な声をあげ、屋敷へと踵を返した俺を追いかけてきた。

 

「街に用事があるんだ。

車を出してくれる?」

 

「もちろん。

じゃあ、着替えてきます」

 

俺はチャンミンのシャツを掴み、引き戻した。

 

「そのままでいいよ。

チャンミンはいつも、ぴしっとしてるから」

 

「いや...でも」

 

チャンミンは白いシャツと黒色のズボンの装いを見下ろした。

 

「...そうだね、ごめんごめん」

 

チャンミンが渋る訳が分かった。

 

今のチャンミンの恰好はいわば制服のようなものだ。

 

屋敷を離れてからも、坊ちゃんにお仕えする使用人のようで、仕事気分が抜けないのかな、と俺は解釈した。

 

休日の外出は仕事から離れたいと思うようになってくれたのかな。

 

真面目一徹だったチャンミンが俺を頼ってくれるようになって、とても嬉しい。

 

数年前にはみられなかった変化だ。

 

「そうだ!

街で新しい服を買ってやるよ。

今年の夏服は一枚も新しくしてないでしょ?」

 

「いいえ、そんな...。

ユノから譲ってもらった洋服があるので、十分です。

買っていただいても、お屋敷では着られないし...」

 

「屋敷で着られなくても、俺と出掛ける時に着ればいいでしょ?」

 

「そうですね」

 

「競争だ!」

 

俺はダッシュをかけて、屋敷へ向かって走り出した。

 

「ユノ!

ズルいです!」

 

レンガの小径は通らず、青々した芝生を斜めに突っ切った。

 

日頃チャンミンが手入れしている芝生は、均等に刈られていている。

 

17歳になった俺の足は、チャンミンよりも早い。

 

華奢な体型のチャンミンよりも、寄宿舎の室内で日々鍛えている俺の方が筋力が上だ。

 

すぐに屋敷の裏口に到達し、「着替えてきますね」と、地下への階段を下りかけたチャンミンを呼び止めた。

 

「着替えも用意してきて」

 

「...着替え?」

 

首を傾げるチャンミン。

 

「ああ、一泊するんだ」

 

「一泊!?

どこに?

今日ですか?」

 

「うん。

街に出たついでに、ホテルに泊まろうと思って。

俺だけじゃなく、チャンミンも一緒だよ」

 

「どうして?」

 

チャンミンはきっと、「そうまでしないといけないくらいに、俺はこの屋敷が嫌いなのか 」と思ったのだろう。

 

「俺の部屋でもいいけど、今夜は特別だから。

ドアのノックで邪魔されるかもしれない。

そんなの嫌だよ」

 

「......」

 

俺が言わんとしていることを、ようやく理解したらしい。

 

チャンミンの顔がみるみるうちに紅潮していった。

 

「レストランで食事しよう。

あそこは美味いって、同級生が言ってた店があるんだ。

そこで食事しよう」

 

この10年間、きちんとしたところでチャンミンと外食したことは一度もなかった。

 

せいぜい、下町の駄菓子屋でジュースやアイスクリームを買う程度。

 

好き勝手やったらいけないと、行動にセーブがかかっていたのだ。

 

そんな自分からもう、卒業だ。

 

父さんに「チャンミンを決して手放さない」と宣言した。

 

すぐにも行動に移さないと。

 

ここで俺は、いいアイデアを思いついた。

 

「チャンミンにやってもらいたいことがあるんだ」

 

「ユノのお願いごとなら、何でも」

 

部屋に戻るなり、俺はサイドテーブルに置いてある電話をデスクに移動させた。

 

「電話して」

 

俺は取り上げた電話を、チャンミンの手に押し付けた。

 

「電話ですか!?」

 

「うん。

外にかけて欲しいんだ」

 

「かけたこと無いです...」

 

困りきったチャンミンは、両眉を下げている。

 

「やったことが無いから、今から覚えるんだよ。

内線なら何度もかけたことあるだろう?

一緒だよ」

 

「一緒じゃないです。

知らない人が電話に出るんですよ。

変なことを言っちゃうかもしれません」

 

チャンミンには未経験のことが沢山ある。

 

いつか屋敷を出られるようになった時、人間たちと溶け込んで暮らしていけるように成長してもらいたい。

 

その第一歩が電話だ。

 

「チャンミンなら出来るよね?」と、ニコニコ顔で圧をかけた。

 

「...わかりました。

どこに電話をかけるのですか?」

 

観念したチャンミンは、椅子に腰掛け、耳に受話器をあてた。

 

「レストランとホテル。

夕食はレストランで摂る。

今夜はホテルに泊まる。

それの予約をして欲しいんだ」

 

部屋に来る途中、電話室から取ってきた、電話帳をデスクに広げた。

 

「う~ん...予約の電話ですか...。

うまくできるかどうか...」

 

「チャンミンなら大丈夫。

賢いし、大人だし...ねっ?」

 

俺はチャンミンの首に腕をまわし、背もたれごと抱きしめた。

 

「頑張れ、チャンミン」

 

チャンミンの耳の下にキスをした。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(5)19歳-初夜-

 

 

幼少期の俺はワンピースを着せられていた。

 

母親の目には男である俺は映っておらず、存在しないも同然だった。

 

存在が認められていないのなら、怒りをぶつけることもできない。

 

そんな俺の存在を認め、存在意義を片っ端から見つけ上げてくれたチャンミンには感謝しきれない。

 

チャンミンに触れたい手を躊躇させる理由のひとつに、恩人に性的な欲を抱いたらいけない咎めの意識がある。

 

先生であり兄であり親友だったチャンミン。

 

2年前に新たに加わった恋人関係に慣れずにいる俺だった。

 

先週末、俺は「チャンミンに俺とこれから、どうしたい?」と尋ねた。

 

その返答は、早くて今週末に貰えるかもしれない。

 

 

ヘッドライトがうねうねと、道路と木々の幹を舐めてゆく。

 

時折、道端に顔を出した野生動物の眼が、ヘッドライトを反射して白く光った。

 

チャンミンは、飛び出してくるかもしれない彼らを轢いたりしないよう、スピードを落とした。

 

森林を切り裂くこの道路は、屋敷の私有地内にある。

 

物事の分別を知り、価値を知るにつれ、父親の財力の莫大さに眩暈がしそうになる。

 

「女のアンドロイドって...どういうことだ?」

 

「奥さまがおもとめになりました」

 

「母さんが?」

 

「なるほど、母さんらしい」と思った。

 

今まで手元に置かなかったこと自体が、不思議だった。

 

「少女型のアンドロイドです」

 

「少女!?

それって大丈夫なのか?」

 

「近年は大丈夫になったのですよ。

子供のアンドロイドは長らくの間、タブーの存在でした。

技術的に困難であることもありますが、児童の人権擁護の観点から好ましくないと考えられていたのです。

見た目は人間で、身体は子供サイズです。

アンドロイドだけど子供なのです。

大人型のアンドロイドよりずっと、扱い方に気を付けないといけません」

 

チャンミンが言いたいのは、サイズが小さいから壊れやすい、という意味じゃない。

 

『子供』として存在しているものへの接し方は、人間でもアンドロイドでも変わらないと言いたいのだ。

 

「精神年齢や知能も子供並みなのか?」

 

「そこが、技術的に困難だった理由です。

以前は子供を亡くしたとか子供に恵まれないとか、正当な理由がある場合に限って所有を許されていました。

人権の問題もありますし、子供に似せるには高度の技術が必要ですし、メンテナンスの頻度も高くなります」

 

「精神年齢と知能、メンテナンス...」

 

「はい。

ユノもご存知の通り、アンドロイドは人間を傷つけてはいけません。

子供型だからと、人間の子供に合わせた頭脳年齢にしてしまうと、幼稚なあまり、人間を怪我をさせたり、暴言を吐く可能性があります。

精神的にも不安定ですから、人間からの扱い次第で行動決定の回路にバグが現れるかもしれません。

必然的に、子供型アンドロイドには大人と同じものを組み込む必要があります。

すると、子供らしくない言動が出てしまいます」

 

「...ということは、見た目は子供でも精神や言動制御は大人と同じってこと?

でも、喋り言葉や拙い仕草なんかは、子供らしいんだね」

 

「そうです。

上手に演技ができるようになったのです」

 

ずっと以前、屋敷裏のアンドロイド製造工場近辺で見かけた3人の子供を思い出した。

 

こざっぱりとした身なりとつるんと綺麗な顔をしており、工場地帯の下町の中で浮いていた。

 

てっきり子供のアンドロイドかと俺は思いかけたのだった。

 

あの時、チャンミンは曖昧ににごしていたのだが...。

 

「母さんのアンドロイドはいくつくらいなの?」

 

「若くて10歳くらいだと思います」

 

「もっと子供だと思った」

 

母さんのことだ、ドレスを着せたり、髪にリボンを結んだり...お人形遊びをしたいのだ。

 

「身体が小さいと負荷が大きくなるので、10歳が限界だと思います。

奥さまのアンドロイドはずっと10歳です」

 

「......」

 

俺とチャンミンを隔てるものは、時の流れなのだと思い知らされた。

 

いつかどこかで、俺はチャンミンを超える時がくる。

 

それ以降は...?

 

 

このような会話をしながら、頭の片隅では早く屋敷に到着しないかとじりじりとしていた。

 

級友たちと同様、17歳の俺の頭の中はセックスのことでいっぱいで...でも、経験のない俺は彼らとの会話が頼りだった。

 

屋敷の図書館にその手の書籍はない。

 

恋人同士なら全身に触れたいと思うし、昂るものを埋めたいと望む。

 

年齢を除いて、チャンミンと人間との差を見つけられずにいるんだ。

 

知識がなくても、自然と腰は動いてしまうのが本能というものなんだろうな。

 

先日、俺の膝に乗せられたチャンミンの手の平。

 

俺の太ももを上に辿っていった。

 

俺のものは反応していた。

 

チャンミンに知識があるとは考えにくい...と思いかけて、知識がある可能性も否定できないと考え直した。

 

チャンミンは普段、園丁や下男、運転手たちから仕事の指示をもらって働いている。

 

朴訥なチャンミンを試すかのように...アンドロイドの反応を見たいあまりに、いやらしい物を見せているかもしれない。

 

自分にも欲はあると先週のチャンミンは話していたが、湧き上がるあの欲求と、身体の反応の有無の確認できていない。

 

 

 

俺たちの車は屋敷の正門をくぐった。

 

今日も来客があるらしく、食堂に繋がるテラスと客間のある上階に煌々と灯りが点いていた。

 

来客の中に従兄弟たちがいようと、今の俺にとって彼らは取るに足らない存在だ。

 

背もチャンミンに並ぶようになった。

 

チャンミンを守ってやりたい強い意志が自信を与えてくれた。

 

当時の弱々しい子供ではない。

 

 

 

 

客や家族と顔を合わせたくなくて、車は裏口に回してもらった。

 

車から降りた俺はチャンミンに、運転席のサイドウィンドウを下ろすよう手で合図した。

 

「この後、俺の部屋に来るんだよ?」

 

「いいんですか?」

 

「チャンミ~ン、とぼけないで。

当たり前だろ」

 

「はい。

車を置いたらすぐに伺います」

 

「敬語禁止」

 

「ふふふ」

 

「今夜は何やら集まりがあるみたいだから、旨いものが沢山あるよ。

厨房から適当に見繕ってくる。

部屋で一緒に食べよう」

 

早く二人きりになりたかった。

 

明るい室内からは、暗がりにいる俺たちは見ることができない。

 

俺は身をかがめ、チャンミンの頬に触れるだけのキスをした。

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]

(4)19歳-初夜-

 

 

チャンミンのそこに伸ばしかけた俺の手。

 

逡巡の末、こぶしとなって俺の膝上に戻すしかなかった。

 

何をしようとしていたんだ?

 

手の平にかいた汗がねばついて気持ちが悪かった。

 

...何を確かめようとしていたんだ?

 

俺と同じ昂りを、触れて確かめようとしていたのだ。

 

「門限まで少しです。

行きましょうか」

 

チャンミンはエンジンをかけると、往来へと車を出した。

 

この車は5年前、俺の送迎の為に用意されたもので、几帳面なチャンミンによってピカピカに磨きたてられていた。

 

学校への往復のみで、それ以外の...例えば日帰り旅行など...の目的で走らせたことがない乗り物だった。

 

チャンミンと2人、遠出をしても別段おかしいことじゃない。

 

チャンミンは俺の世話係なんだから、どこへでも連れまわしても許されるのに、なぜか抵抗があった。

 

俺たちの関係は、実のところ家族に知られても構わないのだ。

 

なぜなら、チャンミンはアンドロイドだから。

 

一般的にアンドロイドとは、恋人代わり、配偶者代わりに側に置くケースが非常に多いからだ。

 

チャンミンとの関係は、そんなんじゃないんだ。

 

チャンミンにとって俺は絶対的な主人で、俺の命令に応え仕える役目だから、恋人役に応じているわけじゃないんだ。

 

それから、チャンミンの性別が男である点が、頭の硬い、旧時代的な思想しかない父親や、男子を嫌っている母親からの心象が悪くなる。

 

 

「キスが好きです」と、チャンミンも言っていたじゃないか。

 

俺が抱いている「好き」と同じだといい。

 

...身体は嘘をつけない。

 

そこで言葉だけじゃ「好き」の意味が推し量れなくて、手で触れて確かめたかったのだ。

 

 

 

宿舎学校までの数キロの間、俺たちは無言だった。

 

光に吸い寄せられた虫がヘッドライトに衝突するのを、俺は見るともなく眺めていた。

 

前方に注意を払ったままのチャンミンは、何を考えているのだろうか。

 

21時の閉門時間まで余裕の30分、門扉の鍵は開いていた。

 

宿舎を囲む林は暗闇に沈み、門柱の外灯が唯一の光源だった。

 

生徒の大半は戻ってきているようで、8割の部屋から灯りが漏れていた。

 

「あとはひとりで行ける。

気を付けて帰るんだよ」

 

部屋まで運ぶというチャンミンから、ボストンバッグを取り上げた。

 

「ユノの話、来週まで考えさせてください」

 

「...え?」

 

チャンミンの言葉の意味が分からなかった。

 

問いただそうとした時には、チャンミンは素早く車に戻ってしまった後だった。

 

ところが車はすぐには発進しない。

 

俺が宿舎に戻るまで見送るつもりだ。

 

俺たちの気持ちは通じ合っているはずなのに、なぜだか常に寂しさがつきまとっている。

 

チャンミンが遠い。

 

一緒にいるのに、なぜだか寂しい。

 

俺たちの恋は誰にも相談できない。

 

 

バッグを投げ出し、ベッドに寝転がる。

 

課題は全て済ませてあり、娯楽室まで出て級友たちと会話する気になれなかった。

 

「...どうしようか」

 

半年後の身の振り方を真剣に考える時がきていたけれど、具体的な案が思いつかない。

 

チャンミンを連れて屋敷を出るには、何が足りない?

 

...足りないことばかりだ。

 

親の庇護のもと、甘やかされた、世間知らずのぼんぼんに何ができる?

 

父親の望み通りに大学に進学するのが、波風立てずに物事は進む道だ。

 

俺一人ならどうとでもなる。

 

チャンミンが一緒だと、二人分の食い扶持をどうすればよいのかという問題が持ち上がってくる。

 

チャンミンを手放さずにいたければ、多少の狡さは必要なのかもしれない。

 

俺が不在になる平日の間、屋敷でのチャンミンへのあたりはキツくなっているように感じる。

 

俺に仕えるのが役目なのに、雑役夫の扱いになっているのは、屋敷に居続けるために13歳だった俺が考えた方法だったけれど。

 

半年以内になんとかしないと!

 

 

金曜日の夕方5時。

 

ワインレッドの車は既に停まっていた。

 

チャンミンは読書に集中していて、俺の登場に気付いていない。

 

終業後、部屋に寄らずに走ったおかげで、普段より十数分早く校門を出ていた。

 

むっつり唇を引き結び、眉間にしわを寄せているから、深刻なシーンに差し掛かっているんだろうな。

 

運転席の窓ガラスをノックすると、読んでいた本を放り投げ、飛び上がって驚くチャンミン。

 

ダイナミックな驚き方は、チャンミンらしい。

 

屋敷への道中、チャンミンは俺が不在だった間の出来事を話してくれる。

 

屋敷で大きな変化があったという。

 

新しいアンドロイドが加わったのだ。

 

それも、少女型のアンドロイドだという。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]