(4)禁じられた遊び

 

 

 

「帰ってきてるだろ、一度?」

 

「帰ってないよ」

 

「立派にバレてるから」

 

「バレてる?」

 

「3枚減ってた」

 

「何が?」

 

「パンケーキが減ってた」

 

「......」

 

「チャンミン、パンケーキが好きだろ?」

 

「甘いものは好きじゃないもん」

 

「俺が焼いたパンケーキは、好きだろ?」

 

「......」

 

「パンケーキのいい匂いに誘われて、チャンミンが帰ってくるんじゃないかなぁって」

 

「枚数をいちいち数えてたの?

ユノ、細かい男は嫌われるよ?」

 

「細かいのはチャンミンの方」

 

「むぅ」

 

「パンケーキ食べる?」

 

「夕飯に、パンケーキ?

ご飯と漬物だけの、質素なメニューを欲してるんですよねぇ」

 

「冷凍庫がパンケーキで、いっぱいなんだ」

 

「外食続きで太っちゃったかも」

 

「ホントだ」

 

「なんだって!?」

 

「嘘。

太ってないよ。

アイスをのせる?

ホイップクリームもあるよ」

 

チャンミンは疑わしそうに俺を睨んでいたけど、ふんと鼻をならしてダイニングチェアにすとんと腰を下ろした。

 

「僕を太らせる気?」

 

「アハハハ。

お尻がぷにっとなったチャンミンって最高」

 

「真に受けるからね、その言葉!

両方のっけてね」

 

「了解!」

 

 

 

 

チャンミンは俺の奥さんだ。

 

10日前、俺たちは喧嘩をした。

 

その結果チャンミンが家を飛び出してしまった。

 

チャンミンのことだから、マンション前の植え込みの陰にしゃがんで、追いかける俺を待っていたかもしれない。

 

でも、俺は相当腹を立てていたから、チャンミンを追わなかった。

 

それがいけなかった。

 

10日間のあいだ、どこで寝泊まりしてたのやら。

 

「奥さんが出勤していないのですが...?」なんていう連絡はなかったから、仕事には行っていたようだ。

 

「ビジネスホテル生活も、10日続くと辛い」

 

俺たちはレンジで温めたパンケーキを前にしていた。

 

焼き立ての時と比べると、ちょっとしんなりしているけど、アイスとホイップクリームにまみれて、ひと口ひと口が至福の塊だ。

 

「家出してごめんね」

 

「オレもキツイこと言って、ごめん」

 

 

 

 

喧嘩の詳細はこうだ。

 

友人夫婦に赤ちゃんができたと聞いて、お祝いの気持ちで赤ちゃんグッズをプレゼントしようと思いたったのだ。

 

俺たちのクローゼットには、赤ちゃんグッズが詰まっている。

 

赤ちゃん10人分。

 

これらは、永遠に誕生することのない俺たちの赤ちゃんのために、買い揃え続けてきたものだ。

 

俺たちには必要ないもの。

 

でも、手放しがたいもの。

 

とはいえ、永遠に溜め込みつづけるわけにはいかない。

 

少しずつ手放していかないといけない。

 

本当に必要としてくれる人の元へ、譲ってあげようよ。

 

チャンミンにその決心がつくまで、俺は待ち続けていた。

 

「少しくらい減ってもいいじゃないか。

また買えばいいじゃないか!」

 

って、酷い言葉を吐いてしまった。

 

 

 

 

チャンミンは、とにかく赤ん坊を欲しがった。

 

俺たちは男同士だから、赤ん坊なんて絶対に生まれない。

 

ところがチャンミンの頭の中は、赤ん坊のことでいっぱいだった。

 

その気持ちが強すぎて、定期的にチャンミンは『フェイク妊娠』する。

 

何かしら不安になることがあったりすると、チャンミンは空想の赤ん坊を宿す。

 

「赤ちゃんができました」のチャンミンの一言で、ゲームは始まる。

 

俺もチャンミンに合わせて、彼が『妊婦さん』であるかのように接する。

 

赤ちゃんの誕生を待ち望む夫婦の姿を演じる。

 

そしてある日突然、「赤ちゃん、駄目でした」で幕を下ろす。

 

可笑しいだろ?

 

『チャンミンが妊娠したかも』ごっこも、10回を迎えると疲れてきた。

 

哀しくなってきた。

 

クローゼットの中には、回を重ねるごとに増殖するものたち。

 

夫の俺と、『赤ちゃん』と、どちらが大切なんだ?

 

いい加減、隣にいる俺と正面から向き合って欲しかった。

 

「チャンミンには、俺が見えないのか!」って怒鳴った。

 

気持ちを切り替えて、俺と2人の人生を歩む覚悟を決めて欲しかった。

 

チャンミンの哀しみに寄り添ってきた俺だけど、とうとうやりきれない思いが爆発してしまった。

 

「いい加減にしろ!」って。

 

「俺がいるだけじゃ、足りないのか?」って。

 

「チャンミンの目には俺が映っていないのか?」って。

 

チャンミンは心底驚いただろう。

 

結婚して初めて、俺が怒鳴る声を聞いたんだから。

 

真剣に怒る俺を初めて見たんだから。

 

帰宅してソファに置いたばかりのバッグをつかんで、脱いだばかりのジャケットを羽織ると、チャンミンは無言のまま家を出ていった。

 

あれから10日間、家に帰ってこなかった。

 

携帯電話がキッチンカウンターに置きっぱなしで、チャンミンに連絡しようにも出来なかった。

 

 

 

 

「また買えばいい」だなんて酷すぎた。

 

赤ん坊を産めないチャンミンに言ったらいけない言葉だった。

 

それでも、いつまでもごまかしの日々は御免だった。

 

本音をぶつけたことを、俺は全然、後悔していない。

 

どこかで、伝えなくちゃいけない言葉だった。

 

伝え方が悪くて、チャンミンにショックを与えてしまったけど。

 

俺の正直な気持ちを隠すことなく伝えたかった。

 

俺はチャンミンのことが世界で一番大事だから。

 

 

 

 

「ねぇ、ユノ。

家出してる間にね、

ホテルのエレベーターの注意書きが、すごいシュールで面白かったんだ。

この可笑しさは、ユノじゃなきゃ理解できないくらいのシュールさだったんだ。

ユノと共有したかった。

でね、写真を撮ってユノに送ろうとしたんだけど、携帯を忘れていっちゃったから。

それで、取りに家に寄ったんだけど、なくて...」

 

「ごめん、俺が持ち歩いてた」

 

「そうだったんだ。

でも、かえって良かったかも。

全く連絡がとれなかったおかげで、ユノのありがたさが、よ~く分かりました」

 

「ありがたみ?

どれだけ俺のことを愛してるか、じゃなくて?」

 

「分かってるくせに」

 

「ははっ」

 

「ちゃんと帰ってきたでしょ?」

 

「チャンミンが帰る場所は、俺の場所~♪」

 

「ユノ、歌うまいねー」

 

チャンミンは、パチパチと手を叩いた。

 

俺は調子に乗って、言葉をメロディにのせた。

 

「チャンミン~♪

ひどいこと言って、ごめんね~♪

これからも~、チャンミンの~♪

『赤ちゃんできちゃったごっこ』を~、やろうね~♪」

 

「ユノー!」

 

チャンミンが俺に抱きついてきた。

 

「もうやりません」

 

「そんなこと言わないで。

いくらでも付き合うよ~♪」

 

「ううん。

もうやりません。

あの日、ユノの本音が聞けてよかった。

ユノの言葉で、目が覚めました」

 

「チャンミン...」

 

「自分の気持ちを押し付けてばかりだった。

悲劇のヒロインぶってた...あ、僕は男ですけどね。

ヒーローじゃ変でしょ?

ユノの気持ちなんか、全然考えていなかった。

ユノはずっと隣にいてくれたのに...」

 

「チャンミン...」

 

俺はチャンミンの頭をよしよしとなでた。

 

「怒鳴ってゴメン」

 

「キツい言葉だったけれど、あれがユノの本音でしょ?」

 

「うん」

 

「そういう正直なところに惚れました」

 

「だろ?」

 

「ユノが、僕の会社まで迎えに来なくてよかったー。

『妻は出社していますか?』なーんて、電話がかかってきたらどうしよう、って。

気持ちの整理ができる前に、ユノに会いたくなかったから」

 

「恥をかかせるようなことはしないよ。

俺がチャンミンを追いかけなかったのは、俺にも気持ちを整理する時間が必要だったんだ。

もしチャンミンがいなくなったら、俺はどうなっちゃうんだろうって。

確認してみたかったんだ」

 

「で、どうだった?」

 

「わかってるくせに」

 

チャンミンの膝裏に腕を通して、お姫様だっこする。

 

「ひゃー!」

 

チャンミンはこうされることが、好きなんだ。

 

「帰ってくるのが1日遅かったら、危なかったぞ。

明日になったら、チャンミンの会社に迎えに行くつもりだった」

 

「危なかったー」

 

「でさ。

そのシュールな注意書きって何?

教えてよ!」

 

「なんて言いつつ、

寝室に向かってるのは、どういうわけ?」

 

「新しいクリームを手に入れたんだ。

試してみようよ」

 

「ユノはえっちな旦那さんですねぇ」

 

「ふん。

えっちな旦那さんが大好きなえっちな奥さんだろ、チャンミン?」

 

「ひゃー!

お尻をガブッとしないでよ!」

 

 

(おしまい)

当作品は『禁じられた遊び』の続編にあたります

 

 

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(3)禁じられた遊び

 

 

 

休日の夕方、俺は友人夫婦を家に招いた。

 

「好きなものをいくつでも選んでよ」

 

「本当にいいのか?」

 

「いいんだ。

必要とする人にあげたいんだ」

 

クローゼットの扉を開けると、彼らが自由に選べるようリビングに引っ込む。

 

彼らの希望に満ちた会話を聞いていられなくて、俺はTVを付けた。

 

サイドテーブルに置いた携帯電話を手に取り、ロックを外すためPINコードを入力した。

 

0218

 

その4桁の数字だけで、胸が切なくなった。

 

リビングを占拠するソファに寝転がった。

 

背が高い俺が思いきり足を伸ばしても、まだ余裕がある大きなソファだ。

 

隣室に顔を出して、楽し気に会話を交わす彼らに声をかける。

 

「コーヒーを淹れようか?」

 

「ありがとう、でもこの後行くところがあるんだ」

 

コーヒーをすすめておきながら、早く一人になりたかったから、断られてホッとしていた。

 

彼らのために俺は、マンションに横付けした車まで荷物を運んでやった。

 

そして、車の色を見て、胸が締め付けられそうになった。

 

暗証番号は、チャンミンの誕生日。

 

「俺たちの身長に合わせないとな」と一緒に選んだソファ。

 

チャンミンが独身時代、乗っていた車の色がワイン・レッドだった。

 

全てが、チャンミンとリンクしてしまって、泣けてくる。

 

玄関、廊下、リビング、洗面所と次々と電気を付けて歩く。

 

家じゅうを明るくするために。

 

「ユノ!

省エネ、省エネ!

使っていない部屋の灯りは消すこと!」

 

チャンミンがここにいたら、小言を言っただろうな、絶対。

 

薄暗いのは怖い。

 

寂しい気持ちが増してくるから。

 

俺は、ダイニングテーブルに置きっぱなしのPCの電源を入れた。

 

辛くなると分かっているのに、見ずにはいられない。

 

フォルダを開くと、大量の写真が画面いっぱい埋め尽くす。

 

撮影日の古いもの順に、並び替えてみた。

 

数年分若い俺とチャンミンとの写真。

 

一緒にいられるだけで幸せで、笑顔で、片時も離れたくなくて。

 

あの頃に戻りたいかって?

 

答えは「NO」だ。

 

左手をかざし、薬指にはめた指輪にじーっと視線を注ぐ。

 

あの頃より、今の方が幸せだ。

 

「今」、はちょっと正確じゃないな。

 

4日前。

 

ほんの4日前までの方が、ずっと幸せだった。

 

フォルダを閉じて、テキストソフトを立ち上げた。

 

しばし目をつむって考えを巡らした後、俺はキーボードをパタパタと打ち始めた。

 

寂しい。

 

俺独りは辛すぎる。

 

 

 

 

パンケーキ・ミックスをボウルに入れた。

 

俺の場合は、目分量だ。

 

「細かい男は嫌われるぞ」

 

きっちりと計量カップではかるチャンミンをからかった。

 

俺の場合、卵も牛乳も、その時々で量が違ってた。

 

「こういうものはな、美味しい物しか入っていないんだから、不味くなりようがないんだぞ」って。

 

卵を割り入れ、冷たい牛乳を加え、お玉でゆっくりと混ぜ合わせる。

 

「洗い物が減るんだから、この方が合理的」って、俺は頑として泡立て器は使わないのだ。

 

大雑把にも関わらず、俺が焼き上げたパンケーキは、それはそれは美味しいんだ。

 

中はふっくらと、表面はちょうどよい焦げ加減で。

 

そのことをチャンミンは悔しがっていた。

 

ふふん、と俺は得意げに笑ってやった。

 

ホットプレートに並ぶ水玉から、目を離さない。

 

俺は無心でパンケーキを焼き続けた。

 

焼きあがったパンケーキを、1枚ずつ積み上げていく。

 

どれくらい積み上げられるか、途中から面白くなってきた。

 

ボウルが空になったので、追加で生地を作る。

 

コンビニまで走って、足りない卵と牛乳を買ってきた。

 

業務用サイズのパンケーキ・ミックスを全部使ってしまった。

 

チャンミンと一緒なら、もっと面白かっただろうに。

 

濃く淹れたコーヒーと一緒に、パンケーキを食べた。

 

その夜は、バターをたっぷり塗って食べた。

 

口の中もお腹も幸福で満たされたのに、俺の心は隙間風だらけだ。

 

寂しいよ。

 

独りで食べても、むなしいよ。

 

 

 

 

帰宅した俺は、玄関、廊下、洗面所、キッチンと順番に点ける。

 

ダイニングテーブルには、パンケーキが積み上げられたお皿がある。

 

電気ポットでお湯を沸かして、紅茶を淹れた。

 

出張土産にチャンミンにあげた紅茶だ。

 

チャンミンは、特別な日だけ...休日の朝に...これを飲んでいた。

 

トースターで軽くあぶった2枚に、メープルシロップをかけて食べた。

 

鼻の奥がツンとして涙が出そうだったけど、それをこらえて、ゆっくりとパンケーキを食べた。

 

食後はパソコンに向かった。

 

それから、寝相の悪いチャンミンのために選んだキングサイズのベッドで、一人で眠った。

 

次の日は、丁寧に入れた緑茶と一緒に食べた。

 

その次の日は、いちごジャムをのせて食べた。

 

その次の次の日は、冷たい牛乳と一緒に食べた。

 

チャンミンはいない。

 

パンケーキはなかなか減らない。

 

使い終わった皿を洗いながら、俺はとうとう泣いてしまった。

 

会いたい。

 

チャンミンに会いたい。

 

 

 

 

チャンミンのことが大切だったから、できる限り彼に寄り添えるよう、心をくだいてきた。

 

でも、チャンミンはここにないものを求め続けていた。

 

そんな暮らしがむなしくなって、「もう沢山だ!」って本心をチャンミンにぶちまけてしまった。

 

絶対に口にしたらいけない言葉を。

 

絶対に彼が傷つくとわかって、敢えて口にしたらところもあったのかもしれない。

 

彼を沢山傷つけてしまった直後、俺は彼を失ってしまった。

 

二度と取り戻せない。

 

後悔しても、もう遅い。

 

彼はもう、戻ってこない。

 

彼とはもう、夢の世界でしか会えないのかなあ。

 

もしそうなら、俺はずっと眠ったままで構わない。

 

彼との思い出が、だんだん遠くなっていくのが怖い...。

 

 

 

 

背後に気配を感じた。

 

「こらっ!」

「いたっ!」

 

急に頭をはたかれて、心臓が止まるほど驚いた。

 

「勝手に僕を死人にするんじゃない!」

 

「チャンミン...」

 

振り返ると、チャンミンがいた。

 

「おかえり!」

 

俺はチャンミンに飛びついた。

 

「ユノ、ただいま」

 

俺に抱きしめられながらも、チャンミンの目は、じーっとパソコン画面の文章に注がれている。

 

「わっ!」

 

気づいた俺は、パソコンに飛びついた。

 

「どれどれ...。

『彼とは夢の世界でしか会えないのかなあ。

俺は眠ったままで構わない』...ふむふむ」

 

「わー、読むな!」

 

パソコンを頭の上に持ち上げた。

 

「ユノ...小説書いてるんだ?」

 

「違うよ!

日記だってば!」

 

こっぱずかしい文章を読まれて、火が出るほど頬が熱くなった。

 

汗も噴き出してきた。

 

「『彼』って、僕のことでしょ?」

 

俺はチャンミンが不在だった10日間の暮らしを、パソコンに書き記していたのだ。

 

最初は、日記調だったのが、思いが深くなり過ぎて、

 

筆が滑りすぎて、『奥さんを亡くして嘆き悲しむ夫』...にまで話が膨らんでしまった。

 

寂しくてたまらない気持ちを吐露したものが、相当にロマンティックになり過ぎてしまった。

 

誰かに見せるなんてとんでもない。

 

書いた当人さえもこんな恥ずかしいもの、読み返せない。

 

「ふぅん。

ユノは、僕がいなくてそんなに寂しかったんだ」

 

「そうだよ...悪いか?」

 

素直に認めてやった。

 

「全部読ませて」

 

「へ?」

 

「プリントアウトして、僕に頂戴」

 

「嫌だよ」

 

「製本して、本棚に飾っておくから」

 

「もっと嫌だ」

 

「ユノと喧嘩したとき、朗読してあげるから」

 

「絶対に嫌だ!」

 

「ケチ」

 

俺も負けていられない。

 

「チャンミン、一度ここに寄っただろ?」

 

「来てないよ」

 

チャンミンが俺からつい、と目をそらした。

 

チャンミンは嘘が下手だ。

 

 

(後編につづく)

 

 

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(1)禁じられた遊び

 

 

 

「赤ちゃんができました」

 

「え...?」

 

シチューをすくったスプーンの手が止まった。

 

具だくさんのクリームシチューは、俺の大好物だ。

 

「...3か月だって」

 

「チャンミン...」

 

お腹をなでるチャンミンの手を凝視しながら、俺の頭はぐるぐる回っていた。

さぁ、ユノ!

 

どんな反応が正解だ?

 

​最初のひとことが肝心だ!

 

俺はスプーンを放り出すと、チャンミンの側に駆け寄った。

「やった、やった!」

 

チャンミンの両手を握って上下に揺さぶり、彼のお腹に耳を当てる。

 

 

「まだ早いですよ」

 

​「ぎゅるぎゅるいってる...」

「お腹の音です!」

パシッと頭を軽く叩かれて、俺はチャンミンを振り仰いだ。

 

小さな白い歯を見せて笑うチャンミンは、惚れ惚れするほど綺麗だ。

「あの音からすると...便秘だな?」

ふざけて言ったら、またパシッと叩かれた。

 

俺はチャンミンを胸に抱きよせて、「よかったね」と言って彼の頭をなぜた。

 

チャンミンは、俺の『奥さん』だ。

 


 

翌日から、俺たちの生活は一変した。

仕事の後、デパートに寄って思いつく限りのベビィ用品を購入する。

薬局にも寄って、お尻拭きやオムツを購入する。

気が早いかもしれないけど、俺の指が2本しか入らない位小さな靴も買った。

大きな袋を抱えて帰宅すると、チャンミンはゆったりとしたTシャツを着て、キッチンに立っていた。

「駄目だよ、チャンミン!」

​俺は慌ててチャンミンの手から、お玉を取り上げ、TV前のソファに座らせた。

​「俺がやるから!

チャンミンは、TVでも見ていて!」

チャンミンが作りかけていたカレーを仕上げて、食卓に運んだ。

 

「わー!

チャンミン、駄目だって!」

 

チャンミンの手から、ビールのグラスを取り上げる。

 

「ユノ、うるさい!」

 

​チャンミンはむくれて、黒豆茶を飲む。

 

​黒豆茶はノンカフェインだから、大丈夫なんだってさ。

 

​俺たちの赤ちゃんは、絶対に可愛いに違いない。

 

チャンミンは美人だから、女の子だといいな。

けれども、

 

「ユノに似て欲しいから、男の子がいい」

 

と、チャンミンは言う。

 

「どうして?」

「かっこいい息子を持つのが夢だったんだ」

 

「ふーん」

 

両手にクリームをすり込んだ俺は、チャンミンの足の裏をもむ。

 

あたりはクリームの甘いいい香りが漂っている。

 

ソファに横になって、俺の膝の上に足を預けたチャンミンは、気持ちよさそうだ。

 

「ユノ」

 

「ん?」

 

「僕、すっごくムカついてたんだよ!」

 

「急になんだよ?」

 

「すっごく嫌だったんだから!」

「怒るのは、お腹の子に悪いよ」と言いかけたが、チャンミンの真剣な表情を見て口を閉じた。

「なんのことだよ?」

 

「よりによって、あの子を!」

 

「...ああ!」

 

チャンミンが「あの子」と言って、彼が何を言いたいのか分かった。

 

「ごめん」

「ヤキモチなんて大人げないと思ってたから、今まで我慢してたんだから!」

「ごめん」

​「ぴしっと断らないユノが悪い!」

チャンミンが投げたクッションが、俺の肩にあたって落ちた。

「ユノ!

自分の顔がどんなだか、もっと自覚してください!」

 


 

「あの子」というのは、俺の勤務先の後輩にあたる女性のことだ。

 

配属直後から俺のことが気に入ったらしく、始終、俺の後ろをくっついて回った。

「ユノ先輩、教えてください」

「ユノ先輩、PCがフリーズしちゃいました」

「ユノ先輩、ランチに連れてってください」

「ユノ先輩、携帯番号教えて下さい」

「ユノ先輩、奥さんってどんな人ですか?」

 

鈍い俺でも、ストレート過ぎる彼女の言動にさすがに気づいた。

べたべたと俺に触ってくる彼女に、内心うんざりしていた。

若くて可愛らしい女性に触れられるのは嫌な気はしなかったのも、事実だ。

「『奥さん』って、男の人なんですよね?」

「だから?」

「その人、どんな手をつかって先輩をものにしたんですか?」

俺はさりげなく、二の腕を掴む彼女の手を外した。

 

誓って言う。

俺はチャンミンを愛している。

ただの一度も、浮気はしたことない。

でも。

 

若くて可愛い子がいれば、男だもの、じっと見てしまうこともある。

 

それは、キレイな花だと無意識に眺めてしまうのと同じ。

 

俺はチャンミンと交わす、機知に富んだ会話や、彼のもつ雰囲気や、自分に厳しく俺には甘いところや...挙げだしたらキリがないからここでやめておくけど、

 

とにかく全部、チャンミンは俺の好みの男だ。

だから俺は、チャンミンのことを悪く言う奴を、嫌悪している。

 

 


 

 

飲み会の1次会で帰るつもりでいたのが、「あの子」は俺の袖をつかんで離さず、3次会が終了した頃には、とっくに終電の時間を過ぎていた。

(弱ったなぁ)

歩道の縁石に顔を伏せて座り込む彼女を、置いて帰るわけにもいかなかった。

(どうしたらいいもんか)

彼女の隣に腰かけ、頭を抱えていると、彼女がしがみついてきた。

「ユノ先輩、ホテル、行きましょ?」

俺を見上げる彼女の目を見て、彼女はさほど酔ってはいないことが分かった。

「先輩も、若い子と...女の子とした方が、いいでしょ?」

​「え?」

​​「男の『奥さん』よりも、女の子との方がいいでしょ?」

俺の中で、プツリと何かが切れる音がした。

 

 

(つづく)

 

 

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