(2)時の糸

 

<弱った僕>

 

 

深夜2時。

 

ぼそぼそと小声で電話で会話をしているらしい会話が聞こえたような気がして、チャンミンは目を覚ました。

きしむスプリング、ごわごわしたクッション。

コートを着たままだ。

常夜灯の黄色い灯りのみで、部屋は薄暗い。

暖房がきき過ぎていて、汗ばむほどだった。

​(ここは・・・どこだ?)

頭を上げると、ズキンと鋭い痛みがこめかみに走る。

「いてて...」と、思わずこめかみを手のひらで押さえていると、

「チャンミン、起きたの?」

部屋の向こう側から黒い影が近づいてきて、ようやくユノだとわかる。

さっき聞こえた声の主はユノだったらしい。

「......」

(思い出した!

僕は、風邪でふらふらで、雨が降っていて、帰るのを諦めて...)

ユノはソファに座るチャンミンの目線に合わせるようにしゃがむと、チャンミンの額にそっと手を当てた。

ユノの冷たい手が気持ちいい。

「うーん、まだ熱いなぁ。

どう?

​少しは楽になった?」

薄暗い中、ユノの濡れた瞳が光っている。

「......」

現状把握が未だできないチャンミンは、じっとユノと目を合わせるばかり。

黙り込んでいるチャンミンをよそに、ユノは

「起きられる?

歩ける?

家まで送ったげるから、帰ろうか?」

と、優しい声で言った。

 

「うん...」

 

チャンミンはやっとで口がきけて、こっくりうなずいた。

「電気つけるね」

ユノが壁のスイッチを入れると、たちまち部屋のすみずみまで明るくなり、チャンミンはまぶしくてちかちかする目をこする。

事務所の白い天井に、ライトの白い光で目がくらむ。

チャンミンは、急に現実の世界に引きずり戻されたような感覚に襲われた。

「ほら行こう。

ずっとここに居る訳にはいかないからね」

差し伸べられたユノの手を握って、チャンミンはよろめきながら立ち上がる。

「ほら、俺にもたれていいから」

よろめいたチャンミンはユノに支えられ立ち上がった。

バサバサとチャンミンの身体の上にかけられていたものが床に落ちた。

小さな毛布や、ジャンパー、作業着やコート、マフラーやらいろいろ。

「あぁ、それね。

寒かろうと思ってさ。

​もうね、俺、必死だったんだ。

手あたり次第だったわけ」

舌を出してユノは苦笑した。

チャンミンも、クスリと笑ってしまう。

「ちょっとは元気が出てきたみたいだね。

良かった良かった!」

ユノは床に落ちたコートを拾い上げると、素早く羽織り、マフラーをチャンミンの首にぐるりと巻いた。

「えっ?

これ...?」

「俺の。

冷えるといけないから貸したげる」

「うん...」

まだまだ身体がだるく、頭痛も治まっていなかったが、ずいぶん楽になっていた。

「夜中の2時だよぉ。

早く帰ろうか?」

「...うん...」

「俺が送ってってやるからね」

「うん・・・」

ユノは、チャンミンの腕に手を添えて支える。

ユノはチャンミンの脇の下に自身の肩をねじ込んで、腕を首に回して手首をつかんだ。

(全く、世話のやける奴だな)

チャンミンは身体が弱っていたのもあって、いつも以上に無言で、元気な同僚に素直に従っていた。

普段も大抵、ユノがしゃべって、チャンミンは無口で聞き役だ。

パチンとスイッチを切ると、事務所は真っ暗になった。

廊下に、ふらつく長身の男と、それを支える長身の男の影が伸びる。

エントランスのドアを開けると、街頭に照らされ光る濡れたアスファルト。

「雨、あがったみたいだ...。

良かった良かった」

ユノはエントランスのドアを施錠する。

よいしょっとチャンミンを抱えなおしたユノは、雨に濡れた階段へ足を踏み出した。

ユノのブーツに遅れて、チャンミンのスニーカー。

チャンミンは、隣のユノに視線を向けた。

表情は真剣で吐く息は白く、一生懸命な同僚。

そんなユノをどこか新鮮な思いで、まじまじと見つめてしまうチャンミンだった。

はた目には、二人は酔っ払いと、介抱する者に見えるだろう。

時刻は深夜で、通りにはひと一人歩いていない。

二人の足音だけが、周囲に響く。

チャンミンはユノに負担がかからないよう、身体を真っすぐに立て直そうとした。

「まあまあ、無理せんと。

ここは俺に頼りなさい。

さぁ、チャンミン、お前の家はどこ?」

「いや、悪いよ。

タクシーで帰れるから...」

と言いかけたが、

(あ!お金がないんだった!)

と、思い出した。

「えぇっと...悪いんだけど。

タクシー代を貸してくれないかな?」

チャンミンはよろめく足元をこらえながら、ユノの肩から腕を抜いた。

ユノは目を細めて、

「馬鹿者!

病人をほっとけないよ。

よし!

一緒にタクシー乗ろう。​

で、チャンミンちで降ろしたげるからさ」

再びユノは、チャンミンの腕を首にまわし、リストバンドの画面を操作し、タクシーを呼んだ。

タクシーを待つ間、チャンミンはユノに支えられたまま。

ユノは首にまわしたチャンミンの手首をつかんだまま。

二人は無言で立っていた。

冷え冷えとした11月の夜気がユノの頬を赤くさせ、熱にほてるチャンミンは、むしろ心地よいと感じた。

ユノから借りたマフラーのおかげで、首まわりは暖かい。

「えぇっと...。

夜遅くまで...ごめん」

ユノはびっくりした声で、

「気にすんな。

困ってる同僚はほっとけないだろ?」

すーっとタクシーが二人の前に止まった。

「ほら、乗った乗った」

チャンミンは後部座席の背もたれに、ぐったりと身体を預けた。

 

 

(つづく)

 

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(1)時の糸

 

<prologue>

 

 

エントランスのガラス窓越しに、彼は空を見上げる。

 

雨の勢いは、弱まる気配はなかった。

 

​11月の日没は早く、彼はコートの襟元をかき合わせた。

 

吐く息が白い。

「参ったな...」

天気予報をチェックするのを忘れた結果がこれだ。

彼の名前はチャンミン。

 

29歳の青年で、ここで働き始めて1年になる。

植物の世話をする、という静かで寡黙な仕事内容だ。

​おとなしい性格の彼にとって、今の仕事は性に合っていた。

 

​5時には仕事をさっさと切り上げ、夕飯を買い、真っすぐ独り暮らしをしているマンションの部屋に帰る。

夕飯を済ませ、シャワーを浴び、Webニュースをざっと閲覧して、後はベッドに入る。

そんなシンプルなルーティンを繰り返す毎日だった。

しかし、単調な生活も、チャンミンは気に入っていた。

昨日から、風邪をひいたのか、熱っぽく、寒気がした。

 

今日は一日中、ぼんやりとしがちで、同僚に何度も注意され、午後からは頭痛が始まった。

 

あまりにぼんやりとしていて、スマホもタブレットも自宅に忘れてきてしまい、タクシーも呼べない状況だった。

こんな冷たい雨に濡れたら、もっと具合が悪くなりそうだ。

回れ右してオフィスで、雨が止むまで待とうか。

 

熱い珈琲でも飲みながら、オフィスのソファで横になろうか。

 

中には同僚が未だ残っているはずだ。

 

おしゃべりな同僚の話し相手をするには、身体がしんどすぎる。

それとも、雨の中飛び出して、徒歩10分のマンションまで走る。

 

ずぶぬれになるだろうけど、熱いシャワーを浴びて、解熱剤をのんで、毛布にくるまって寝る。

この選択が一番、現実的だ。

ズキズキと頭が痛む。

頭痛持ちのチャンミンにとって、頭痛はいつものことだが、熱のせいかふらふらするのが、不快だった。

(どうしようかなぁ...)

迷った末、チャンミンは、こめかみをもみながら、薄暗い廊下の先に煌々と明るい事務所に向かって歩き出した。

 

 


 

 

暖房が十分すぎるほどきいた事務所に入ると、ふっと身体の緊張がほどけるのが分かる。

 

部屋の端に、ひじ掛けが擦り切れた古びてるけど、大きなソファが置かれている。

目隠し用に3鉢並べたゴムの木の陰から、にゅうっと黒いブーツを履いたままの足が覗いている。

同僚のユノだ。

気配で気づいたのか、細身のパンツを履いたユノは飛び置き、

「あれ~?チャンミンじゃん」

と、驚いた様子。

「もう帰ったんじゃなかったっけ?

忘れ物かい?」

チャンミンは左右に首を振る。

ユノは手にしていたタブレットをサイドテーブルに置くと、チャンミンの目の前に立つ。

ユノは目を細めながら、チャンミンの顔をまじまじと見つめる。

「お前、ほっぺが真っ赤だよ。

大丈夫なのか?」

「いや・・・」

「風邪?」

「多分...」

「いつもの頭痛?」

「それもある」

「そっかぁ、辛そうだね」

そうだ!

風邪薬があったはずだよ」

この間、チャンミンは、無言でぼ~っと立っていただけで、ユノだけがバタバタしていた。

「ほら、ソファに寝ろ」

ユノはチャンミンの手を取りソファに無理やり座らせ、さらに肩に手をかけて横にならせる。

チャンミンの手は熱く、熱がかなり高いのが分かる。

「俺のひざ掛け貸してあげるから」

「コーヒーを淹れようか?

温まるよ」

無理をしても帰宅してしまえばよかったかな、と若干後悔していたが、甲斐甲斐しく世話をするユノに身を任せているチャンミンだった。

「......」

ふらふらするし、もっと熱が上がっているらしい。

「どれどれ」

目をつむっていたチャンミンのひたいに、ひやりと冷たい感触が。

(ああ、気持ちいいなぁ・・・)

素直にチャンミンは、そう思う。

「お前さ、めっちゃ熱いよ。

こりゃあ、39度くらいあるんでないか?」

「......」

「体温計なんてないしなぁ...」

デスクの引き出しをかき回す音がして、ユノはチャンミンの元へ駆け寄った。

「ほら、これ飲んで。

風邪薬」

チャンミンはぐらぐらする頭をこらえて口元に差し出された錠剤を、水なしでゴクリと飲み込む。

​​

目を閉じてひざ掛けにくるまるチャンミンを、ユノはじっと眺める。

チャンミンは肩と背中を丸めて、眉間にしわを寄せている。

「苦しそうだね」

​ひざ掛けが小さいせいか、彼が大きすぎるせいか、チャンミンの腰から下がむき出しで寒々しい。

(これじゃあ、寒いよな...)

(映画なんかじゃ、彼女だか彼だかが毛布にもぐりこんで裸になったりして、体温で温めるってのがパターンだけど。

こいつは男、俺も男。

できるはずがない)

「さて、どうしたものか・・・」

つぶやいて、事務所内をぐるりと見まわす。

「そうだ!」

ユノはラックにかかっていた、作業用のジャンパーを数着外して、チャンミンの上にかけていく。

「課長のやつは、ちょっとおやじ臭いけど、我慢しろよ」

「......」

自分のアイデアに満足したユノ。

給湯室の水切りラックから、チャンミンのマグカップを取り出し、インスタントコーヒーを適当に入れた。

白いマグカップの底に、油性ペンで『チャンミン』とある。

持ち主が分かるよう、本人に無断で書いたからだ。

(これに気づいたチャンミンは、むぅっとした顔をしてたな、そういえば...)

思い出し笑いをしつつ、ユノは電気ポットからお湯を注いで湯気のたつカップをチャンミンの元へ運んだ。

(...寝ちゃってる)

コーヒーのやり場に困って、そのままユノが飲むことにした。

サイドテーブルに置いたままだったタブレットを取り上げ、チャンミンの側に引き寄せたスツールに腰かける。

(チャンミンとまともに話すのって初めてかも...。

ってか、俺一人でしゃべってるんだけど)

ユノがチャンミンと同じ職場で働くようになって約1年だった。

ユノは同僚として毎日チャンミンを見てきたが、半年前ほどから頭痛に悩まされている彼が心配だった。

頭痛に風邪が加わってWパンチだもの。

可哀そうに。

(報告書でも作成するかな)

ユノはアプリを立ち上げ、熱いコーヒーをすすりながら、入力操作を始める。

薬が効いてきたのか、チャンミンは眠り込んでいた。

ひととおり作業を終えて、ユノはリストバンドで時間を確認する。

(はっ!もう9時か!帰らねば!)

すーすーと寝息が聞こえる。

ぐっと集中しててすっかり忘れていた。

ソファにチャンミンを寝かしておいたんだった。

チャンミンの様子を見に行く。

「おーい、チャンミン、寝ちゃった?」

ユノはチャンミンの肩を、軽く揺する。

​「...よね?」

(叩き起こすのも可哀そうだし、

こんなでかいやつ抱えて帰れんしなぁ)

「困ったなぁ、こいつどうしよ」

​ユノは腕組みをして本気で困ってしまったのだった。

 

 

(つづく)

 

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(2)Hug

 

 

 

ユノがチャンミンの実家まで連れてこられたのは、ユノが「ある役」に抜擢されていたからだった。

 

チャンミンの故郷で、春のお祭りが執り行われる。

 

過疎化が進む田舎町にありがちな人手不足の影響で、御旅(祭り行列)へは全員参加だ。

 

神輿、山車、鶏闘楽、ひょっとこ、鬼、巫女さん、稚児さん、太鼓、雅楽隊、旗持ち、獅子...など、役が割り振られる。

 

ところが、チャンミンの兄リョウタが祭りの2週間前に、修繕のため登っていた屋根から転落し、足を骨折してしまったのだ。

 

地区の中で余っている成人男性はいない。

 

町中の神社でいっせいに祭りが執り行われるため、他地区に住む親せきに応援を頼めない状況だった。

 

そこで、実家から

 

「チャンミン!

お前の友達でも誰でもいいから、連れてこい!

日当は出してやるから」

 

そんな無茶な要請を受け、チャンミンはユノを連れて馳せそんじることになったわけである。

 

 


 

 

〜ユノ〜

 

 

「絶対にい、や、だ!!」

 

「アルバイト代を払ってくれるって」

 

はっきり、きっぱり断ったのに、チャンミンの手を合わせての「お願いポーズ」にやられてしまった。

 

「ほら、この前の旅行のやり直しだと思って、ね?」

 

初めての旅行では、熱を出してしまって、観光することもチャンミンと熱い夜を過ごすこともできなかった。

 

そんなわけで、俺はチャンミンの甘い誘いにのってしまった。

 

俺はとことん、チャンミンに弱いのだ。

 

チャンミンも俺には甘いから、いい勝負。

 

俺とチャンミンは似たもの同士だから、仲良しなんだ。

 

 


 

 

「ひとつだけ条件がある」

 

ユノは人差し指を立てた。

 

「なんでも聞くよ」

 

「チャンミンのお父さんと同じ部屋で寝るなんて、嫌だからな!

チャンミンと同じ部屋で寝ること!

これが第一条件だ」

 

ユノの子供っぽい要求に、チャンミンはユノの頭を抱き寄せて、よしよししたくなった。

 

(なんて、可愛い子なの、この子は?)

 

ところが、ユノを引き合わせた時、

 

「チャンミン...お前。

高校生なんか連れてきて...」

 

と、チャンミンの家族一同、ユノを一目見て絶句してしまった。

 

ユノが実年齢より若く見えることは承知の上だったが、まさか高校生と間違われるとは。

 

「違うって、ユノは大人だから。

ユノは職場の後輩なんだ」

 

苦し紛れなことを口に出してしまったチャンミン。

 

(チャンミン!)

 

隣に立つユノは、チャンミンのトレーナーを引っ張る。

 

(ユノは黙ってて!)

 

チャンミンは、ユノの手を払う。

 

目を丸くした彼らに、「お付き合いしている人です」とチャンミンは言い出せなくなってしまった。

 

(知らない人から見れば、やっぱり僕たちは、ちぐはぐなんだ)

 

若すぎるユノと自分との年齢差に、ますますチャンミンは自信をなくしてしまった。

 

チャンミンの部屋に入った途端、それまで愛想笑いを保っていたユノがチャンミンに詰め寄るのも当然のこと。

 

「どうして『彼氏です』って紹介してくれないんだ!?」

 

「ごめんね、ユノ」

 

納得がいかないといった風のユノは、チャンミンをぎりりと睨みつける。

 

「会社の後輩って、どういうことだよ!

せめて、友だちって言ってくれればいいのに...」

 

「ユノが若すぎて、お父さんもお母さんもびっくりしてたから...」

 

チャンミンはユノに背を向けて、バッグから荷物を取り出して、チェストに収める。

 

「それに、約束が違うじゃないか!

どうして俺は、チャンミンのお祖父ちゃんと同じ部屋なんだよ?」

 

「お父さん、いびきがひどいんだ」

 

「そういう問題じゃない!

...ってことは...ふむ。

夜這いに行くしかないなぁ」

 

「駄目だって!」

 

「ドアが『ふすま』なところが、不安要素だなぁ...。

静かにしないと、聞かれちゃうね」

 

「ユノ!」

 

「だって、チャンミン。

セクシー下着持ってきてくれたんだろ?

ちーっちゃいパンツ。

...見ちゃった」

 

バババッとチャンミンの顔が赤くなる。

 

(しまった!

ユノの目は超高性能レーダーだったことを忘れていた)

 

無防備にバッグの中身を見せてしまった。

 

「安心して。

絶対に夜這いに来てあげるから。

待ってろよ」

 

「ユノったら...もう」

 

階下からチャンミンたちを呼ぶ声が聞こえた。

 

「衣装合わせするって。

ほら、下に行こうか」

 

チャンミンはユノを促して、部屋を出た。

 

 

 

 

仏間横の部屋の鴨居に、長着と袴が吊るされ、たとう紙に包まれた長襦袢が畳の上に広げられていた。

 

「あでっ!!」

 

「ユノ!」

 

鴨居に頭を派手に打ち付けてしまったユノは、うずくまった。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫じゃない...。

星が飛んでる...」

 

「おい!

とっとと、衣装合わせするぞ!」

 

床の間を背にしてあぐらをかいた初老の男が、手招きをした。

 

祭礼の役を務める彼はテツといって、チャンミンの妹の義父だ。

 

「お前は『旗持ち』だ」

 

「ええ?

旗を持って歩くだけ?」

 

ユノは祭りの役目を知ると、頬を膨らませた。

 

「地味」

 

「馬鹿たれ!

神さんの名を染めぬいた大事な旗なんだぞ。

罰当たりなことを言うんじゃない!」

 

「どうせやるなら、獅子をやりたいなぁ」

 

「馬鹿たれ!

1日2日の練習で、獅子を舞えたら、50年やってる俺らはどうなるってんだい!

第一、お前みたいなでかい奴が履ける股引きなんぞない!」

 

テツはユノの頭をはたいて叱りとばした。

 

「え?

俺の脚が長いってことですか?」

 

(ユノったら...)

 

呆れたチャンミンは、ため息をつく。

 

「ユノ、ほら、ね?

狩衣姿になれるんだよ?

僕と一緒だよ?」

 

チャンミンの役も旗持ちなのだ。

 

「着流し姿の方がよかった!

刀を腰に差したかった!」

 

ご機嫌斜めのユノは、いちいち文句を垂れていた。

 

(家族に『彼氏』だと紹介されなかったことを、根にもってるんだ)

 

「今夜、練習だからな」

 

ひと言言い終えて、テツは帰っていった。

 

チャンミンの母親セイコに、長着と袴を合わせてもらううち、ユノの気分は上がってきた。

 

「チャンミン!

似合う?」

 

ユノはチャンミンの前で、くるりとまわって見せる。

 

(子供みたいな顔して、ユノったら本当に可愛い)

 

袴が若干短すぎるが、腰を落として着付ければごまかせるだろう。

 

「俺に惚れなおした?」

 

衣装合わせを終え、着物を脱いだユノは、小首をかしげてにっこりと笑う。

 

「はいはい」

 

チャンミンは、ユノから顔をそむけて渋々答えた。

 

「早く服を着て!」

 

「チャンミン...もしかして照れてる?」

 

ユノの言う通り、チャンミンはユノの下着姿にドギマギしていた。

 

「今夜、たっぷりと見せてあげるからな...ふふふ」

 

「ユノ!」

 

チャンミンはユノの洋服を投げつけると、部屋を出ていったのだった。

 

(年下のくせに!

年下のくせに!

僕は、からかわれてばっかりだ!)

 

 

(つづく)

 

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(1)Hug

HUG

 

ひっきりなしに浴びせられるお湯に、ユノは閉口していた。

 

のぼせて頭がくらくらしていた。

 

湯船に潜水していたケンタが、にゅうっと水中から頭を出した。

 

「おじちゃん、どうして毛が生えてるの?」

 

「えっ!?」

 

「僕んのは、つるつるなのに」

 

ケンタが大股を開いて、腰を振る。

 

(勘弁してくれ...)

 

ユノは、やれやれといった風に首を振った。

 

「おじちゃんも結婚してるの?」

 

「んなわけないだろ?」

 

「じゃあ、なんで毛が生えてるの?」

 

「えっ?」

 

(チャンミン...この子らは意味不明なことを言って俺を困らせます)

 

洗い場で髪を洗っていたソウタも、ユノにお尻を振って見せる。

 

(ったく、小学生男子ときたら)

 

「お父さんも毛が生えてるだろ?」

 

「おじちゃん、知らないのー?」

 

ケンタとソウタはゲラゲラ笑った。

 

「結婚すると毛が生えるんだよ」

 

「はあ?」

 

「とぅっ!!」

 

盛大な水しぶきをあげて、ソウタが飛び込んできた。

 

いったん底まで沈んだソウタが、湯船の底を蹴ってばねのようにジャンプする。

 

大揺れしたお湯が縁から、ざざーっと洗い場に流れ落ちた。

 

(結婚したら毛が生える?

小学生男子の会話は、理解不能だ)

 

「おじちゃん、チャンミン兄ちゃんと一緒に風呂入ったことある?」

 

「...ない」

 

(悲しいことに、ない!

お風呂どころか...お風呂どころか...)

 

ユノは、ぶくぶくと鼻まで湯につかった。

 

背の高いユノには湯船は狭く、曲げた膝が突き出ている。

 

「俺、入ったことあるもんね」

 

「いいなぁ」

 

小学生相手に、心底羨ましがるユノだった。

 

ケンタとソウタは得意そうだ。

 

「チャンミン兄ちゃんも毛が生えてるんだよ」

 

「うん、ボーボーなの」

 

「!」

 

ユノはすぐさま想像してしまって、赤くなる。

 

(ううっ...刺激が強い。

俺はまだ、見たことがない!)

 

「結婚したから、毛が生えたんだぜ」

 

ユノの視界が霞んできた。

 

(チャンミン...辛い...)

 

「ソウタ!ケンタ!

いつまで入ってるんだ!」

 

浴室ドアの曇りガラスに人影が写り、がらりと開いてチャンミンが顔を出す。

 

「お兄さんを困らせてるんじゃないだろうな?」

 

「チャンミン兄ちゃん!」

 

ソウタとケンタは、タオルを広げたチャンミンに突進していった。

 

「ちゃんと身体拭いてってー!」

 

チャンミンの制止むなしく、びしょ濡れのまま彼らは駆けていってしまった。

 

湯船にひとり残されたユノの顔は、茹でだこのように真っ赤だ。

 

「ごめんね、ゆっくりできなかったでしょ?」

 

ユノは前も隠さず、ざぶりと立ち上がった。

 

「ユ、ユノ!」

 

「ごめん...ギブアップ...」

 

そうつぶやいたユノは、チャンミンの膝めがけてどうっと倒れこんだのだった。

 

意識を失う直前、ユノの頭にちらっと違和感がかすめていた。

 

 


 

 

ユノはチャンミンの故郷に来ていた。

 

実家を継いだチャンミンの兄家族、両親、祖父母の9人、大家族だ。

 

チャンミンには妹が一人いるが、彼女は近所の家に嫁いでいた。

 

チャンミンの甥っ子にあたる、カンタ、ソウタ、ケンタは、訪れたユノをひと目見て、いい遊び相手ができたと目を輝かせた。

 

ユノを『おじちゃん』と呼び、射的の的にし、小学生とはいえ3人まとめて背中にしがみつき、彼ら全員が鬼になったかくれんぼで彼を追いかけまわした。

 

初日で既にユノは疲労困憊だった。

 

「俺は若い男だ。

おじちゃんじゃない!」

 

ユノは、煎餅をかじりながらぷりぷり腹をたてていた。

 

行儀よく正座をして、座卓が低すぎて猫背気味になっている姿が、なんとも可愛らしいのだ。

 

「あの子らは、俺をおもちゃにするんだよ?」

 

3人にさんざん髪をひっぱられて、ボサボサ頭になっている。

 

頭をよしよしとなぜたい衝動を抑えて、チャンミンはユノをなだめる。

 

「まあまあ、ユノ。

子供相手にムキにならないで、ね」

 

「仕方ないなあ。

チャンミンに免じて許す!」

 

すると、ユノの顔がふにゃふにゃと緩んだ。

 

「ケンタ君たちのおもちゃは嫌だけど...。

チャンミンのおもちゃには喜んでなるよ」

 

「ユノが言うと、いやらしく聞こえるんですけど...?」

 

「ふふふ。

チャンミンも、エッチだなぁ。

何を想像していたんだ?」

 

「こらっ!」

 

「ふふふ」

 

「こらー!」

 

赤くなったチャンミンはユノに飛びつこうとし、ユノはそれから逃れようと後ろに身をひいた。

 

チャンミンは、寝っ転がったユノの脇をくすぐった。

 

「あははは。

くすぐったい!!」

 

「これはどうだ!」

 

身をよじるユノを、もっとくすぐってやろうとチャンミンは、ユノの腕を押さえつけていたら...。

 

「夕飯が出来た...」

 

ふすまが開いて、チャンミンの母親セイコが顔を出した。

 

「わっ!」

 

はじかれたように、離れる2人。

 

「みんな待ってるから、早く居間に来なさい」

 

コホンと咳ばらいをしたセイコは、ぴしゃりとふすまを閉めて客間を出て行ってしまった。

 

「......」

 

 

(つづく)

 

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