(33)NO? -第2章-

待ち合わせ時間10分前には駅に到着し、チャンミンは商用車の中でエムを待っていた。

この後の事を思い、チャンミンの頭はフル回転だった。

婉曲に、簡潔にして確実に伝わる言葉のセレクト、話の出だしから締めくくりまでの順序だてまで、会話のシミュレーションをしていたのだ。

ひと言でまとめるとこうだ。

 

「民の恋人は僕だ、彼女にちょっかいを出すな」

 

常識的に考えて、そう親しくもない者に...特に仕事上の関係者にプライベートをさらす行為は社会人としてどうなのか、とチャンミンは思っていた。

ところが、ユンが関わっているとなると話は別だった。

 

(普通に考えても、『あなたの従業員と僕は交際しています』と報告する不自然さと言ったら...。

『いくら私が民くんの雇い主だからと言って、民くんの私生活に足を踏みこむことはできません。

民くんの自由です。

わざわざ教えていただかなくても結構でしたのに。

え、私が民くんを?

ハハハハハ。

なぜ、そう思われたのです?』

ここで僕は何と答えれば、墓穴を掘らずに済むか...)

 

ユンがチャンミンを見る時の常である、わずかに笑みを含んだ余裕ある表情を思い出して、チャンミンの緊張を高めた。

 

(僕は普通のサラリーマン。

ユンは才能豊かなアーティストで、成功者だ。

年齢も上。

自信満々の態度と、男女問わず恋愛経験も多そうだ。

はあぁ...男としての器のサイズは、圧倒的にユンが上なんだ。

僕なんて比較するに値しないな...ははは)

 

思案にくれるチャンミンだったが、決して怖気付いてなどいなかった。

自分の分身とも言える、大切な彼女...民の為なのだ。

民にちょっかいを出すユンの姿を想像するだけで、はらわたが煮えくり返りそうになる。

 

(落ち着け、チャンミン。

感情任せで迫ったらいけない。うまい筋運びで挑まないと鼻であしらわれて済んでしまう。

そう言えば今日、エムさんがいるんだった。

正直言って...邪魔だ。

でも、承諾してしまった僕が悪い。

彼女だけ先に帰ってもらおう、そうしよう)

 

10分遅れで到着したエムに、チャンミンは考え事に没頭するあまり、気付けずにいた。

この日のエムは、淡いピンク色のショートコートに、同じく淡い色合いのニットとスカートを合わせた、女性らしい装いだった。

大きく手を振っても一向に気づかないチャンミンに、エムは運転席側に回り、窓をノックした。

その音に飛び上がるチャンミンは、エムの姿を認めると照れ笑いした。

その笑顔に、エムの胸は高鳴った。

チャンミンの「ひょっとしてエムさんは...」の予感通り、エムは彼に恋をしていた。

やりとりの大半は電話やメールで済んでしまうため、エムがチャンミンと顔を合わせる機会は本来、少なくて済む。

それでは都合が悪いエムは、チャンミンと関わる機会を増やす為、対面での打ち合わせを大切にしたい主義を宣言していた。

それに従い、チャンミンはエムとのアポイント...ひょっとしたらアーティストよりも多く...に多くの時間を割いていた。

(予定が合わず、後輩Sを代役に立てると、彼では話にならないと、結局はチャンミンとの再打ち合わせが必要になった)

 

ユンがこだわりが多くて気難しいアーティストだったおかげで、インタビューの同行をお願いしたり、事前事後打ち合わせ、校正等、わざわざ口実を作らずとも、チャンミンに会えたのだ。

今年度版の原稿も残り2号分となり、縁が切れる前に行動に移さなければと思っていたところ、来年度版の契約も決まったことで、エムは機嫌がよかった。

今日の件についても、ユンのオフィスまで足を運ぶ必要はなかった。

 

「ごめんなさい...遅くなってしまって」

しきりに謝るエムに、チャンミンは「大丈夫ですよ。ユンさんとの約束までまだ時間がありますから」と答えた。

「じゃあ、行きましょうか?」

 

エムがシートベルトをしたのを確認すると、チャンミンは駅ロータリーの送迎車レーンから車を出した。

 

(打ち合わせの後、カフェにでも誘おう)

 

エムはチャンミンに気づかれないよう、ハンドルを握る彼の精悍な横顔を見上げた。

フロントガラスを透かして降り注ぐ晩秋の陽光に、目を細めたチャンミンの長いまつ毛に見惚れた。

思い切ってショート丈のスカートを穿いてきてよかった、とエムは思った。

エムは薄いストッキングに包まれた太ももが見えるよう、スカートの裾をわずかに上へとずらした。

 

(以前は断られてしまったけれど...今度こそ。

クリスマスまでには...!)

 

エムの想いなど露知らず、チャンミンはユンとの打ち合わせ内容と、その後の対決、帰社してからのやるべきリストをおさらいしていた。

 

(つづく)

 

(31)NO? -第2章-

 

時は遡って一日前。

午前10時の休憩時間のユンのオフィス。

 

~民~

 

ユンさんは靴を履いたままソファに横になり、雑誌をめくっていた。

 

(外国の雑誌だ...すごいなユンさん)

 

ユンさんにコーヒーのカップを手渡すと、彼に促されて向かいの一人掛けソファに腰掛けた。

私はコーヒーとお茶菓子のクッキーを交互に口に運びながら、掘りの深いユンさんの横顔を観察していた。

 

(ユンさん...リアさんと一緒に住んでいるなんて...。

あのキスマークはつまり、リアさんに付けられたものなんだ)

 

視線が第3ボタンまで開けた胸元に移しそうになるのを、ぐっと堪えた。

 

(危ない危ない!)

 

首を振っていたところ、「俺の分はいいから、食べなさい」とユンさんはクッキーが乗った皿を指さしていた。

 

「...はい...すみません」

食い気が勝ってしまう自分は、つくづくお子様だ、お裾分けされたクッキーを口に運んでいると。

 

「昨日は驚かせてしまったね」

 

いつこの話題が出るのか、朝からドキドキしていたのだ。

 

「...はい」

「民くんは彼女と知り合いだったんだ?」

 

チャンミンさんとリアさんが同棲していたところに住まわせてもらっていたと、正直に言ったらいけない。

チャンミンさんとユンさんの態度を見る限り、リアさんはチャンミンさんとユンさんの両方と関係があったことを知らないようだ。

...リアさんの浮気相手がユンさんだったことを、チャンミンさんは知らない。

 

ん?

 

リアさんにとって、ユンさんとチャンミンさんとどちらが本命だったんだろう...!

 

どうしよう...どうしよう!

 

「リアさんと私は...こっちの友だちの友だち、みたいな関係で...」

「へえ...世間は狭いね。

民くんに知らせる必要は本来はないけれど、君は俺のところで働いている立場だし、教えておいた方がいいね」

 

ユンさんはソファに深く座り直すと、ぐっと私の方へと身を乗り出した。

 

「リアは俺のモデルを勤めていた。

男と女の関係だった。

しかしリアとはもう、終わっている。

今は、次の住まいが見つかるまで俺の家にいるだけの関係だ」

「はあ...そうですか」

「次のモデルは民くん、君だ」

 

ユンさんの肩から、艶やかな黒髪がすべり落ちた。

ユンさんはまばたきひとつしない。

 

「俺は真剣だよ。

だから君も、真剣に取り組んで欲しいんだ」

「......」

「俺の前に立つときは、俺のことだけを考えてくれ。

こんな言い方じゃ、誤解を生むね。

俺の前でポーズをとることは仕事だ。

アシスタントとは別に、謝礼は支払う。

いいか?

これは仕事だ」

 

ユンさんの眼から放たれたビームは、私の警戒心をたやすく打ち砕いた。

頭の芯がぽぉっとして、催眠術にあったかのような、意志が乗っ取られたような気分になった。

 

「君とチャンミン君の作品は、俺のアート人生20年の記念みたいなものだ。

例のショーウィンドウの仕上げもあるから、君たちのプライベートな時間を犠牲にさせるのが心苦しいが...」

「20年...」

 

素直に凄いなぁと思った。

 

「たまに損得考えず、インスピレーションのまま制作してみたいんだ」

「そうですか...」

「アトリエはオフィスや、リアが出入りすることもあるだろうが、適当にあしらってくれればいい」

 

ここで私は気づくのだ。

明日、チャンミンさんはここにやってくる予定になっている!

リアさんと鉢合わせしてしまうかもしれない!

今までそうならなかったことが不思議なくらいだ。

 

(どうしよう、どうしよう!)

 

「ユンさんの今日の予定は...それから明日は?」

「明日は例のカタログの最終号の打ち合わせだ。

ショーウィンドウのやつが割り込んできたから、小作品にせざるを得ないね。

チャンミン君がここに来るはずだ」

「!」

 

チャンミンさんの名前を耳にするだけで、ドッキーンとする。

耳が真っ赤になっていなければいいのだけれど...髪をかきあげついでに両耳を押さえた。

ユンさんは唇の片方だけを持ち上げた笑みが、私の反応を探る風に見えてしまう。

きっとバレているんだろうなぁと、そう思わせる余裕たっぷりの笑顔だった。

 

「ランチの時間には少し早いけど、外で食べようか?

出かける支度をしなさい」

 

ユンさんがアトリエからコートを羽織って戻ってくるまでの間に、私はお茶セットをミニキッチンへ下げた。

 

「さあ、行こうか」

 

私の背後に回ったかと思うと、ユンさんはブルゾンを羽織らせてくれた。

さりげなく背に回されたユンさんの腕。

 

「天気がいいから歩いていこう。

感じのいい店があるんだ」

 

洗練されたエスコートでありながら、拒む隙のない強引なエスコートで、ユンさんと肩を並べてビルの外へと出た。

 

(つづく)

 

(30)No? -第2章-

~チャンミン~

 

来年度のカタログのテーマが決定したところだった。

今年度はユンの彫刻作品が全6号、表紙とグラビアを飾るが、大幅な予算オーバーが不評で、コストダウンが求められていた。

結果、王道で無難なフラワーアレンジメントで進めることとなった。

各号1人、計6名のフラワーアーティストを選定する必要があり、僕らカタログ部総出で目星をつけたアーティストに打診をかけてゆくのが、当面のスケジュールだ。

 

「チャンミン」

 

会議室を出た時、主任(僕の1年先輩にあたる)に呼び止められた。

この主任は三度の飯より噂話が好物な、要注意人物なのだ(主任まで昇進できたのは、社内のあらゆる噂を聞きつけ、うまく立ち回った結果によるものだろう)

社内恋愛をしていた頃、僕とカノジョの仲を社内に広げ、仕事をやりにくくさせ、そんな環境に疲れた彼女は社外の別の男に心変わりしてしまった...そんな過去があった。

 

「何か?」

 

内容の見当がつかず警戒する僕に、主任はニタニタ笑いながら、自販機コーナーへと僕を誘った。

 

「お前は仕事の関係者につくづく弱いんだなぁ。

ちょい前のモデルさんとはまだ続いてるのか?」

「?」

 

前年度版は、僕は主任とペアを組んで動くことが多かったから、当然僕とリアが交際を始めた件を知っている。

そして、広報担当として社内に噂を広めてくれたのだ。

 

「今度は芸術家か...それも...はあぁ...これは参ったなぁ。

見られたのは俺で助かったな」

「?」

 

芸術家か...ユンを指しているのは分かったけれど...「見られた」ってどういう意味だ?

「チャンミンがまさかなぁ...驚いたよ。

黙っといてやるから、気にするな」

 

主任は僕の肩をポンポン叩くと、この場を去っていった。

しばらく僕の頭にクエスチョンマークが飛び交っていたが、「そういうことか!」

 

民ちゃんだ。

 

主任は街中かどこかで、ユンと民ちゃんが揃っているところを目撃したのだろう。

事情を知らないから、見間違えても仕方がない。

明日には課内のメンバーの、僕を見る目の質が変わっているだろうな(後輩Sは目を輝かせて『先輩!詳しい話を聞かせて下さい』と飲みに誘いそうだ)

否定して回るのも面倒だし、「またか」と課員たちも話半分にきいてくれるだろうし。

 

「さて、と」

僕は伸びをし、自販機コーナーの窓の外を眺めた。

雲一つない冬の快晴、気持ちのよい日だ。

ユンとの打ち合わせは午後からで、その際に民ちゃんとの約束を果たすつもりでいた。

午前中のうちに、細々とした書類仕事を済ませよう。

 

エレベータを待っていると、ポケットの中の携帯電話がメールの着信を知らせた。

「民ちゃんかな?」と、ディスプレイを確認してみると...。

 

「...ん?」

 

今頃になって、僕は気づいた。

身体が熱くなったのが分かった。

主任が目撃するには、民ちゃんとユンが一緒に街中のどこかにいないといけない。

あの二人はアトリエを出て、外を出歩いていたということだ!

 

何のために!?

 

(昼食を外でとっただけだ、それだけのことだ)

 

エレベータを降りた僕は、イライラ気分を意識して一掃し、携帯電話を耳に当てた。

僕個人の携帯電話に、直接連絡があるのは特に珍しいことじゃない。

(営業部員ではない僕に携帯電話は支給されていないし、外出していることが多い僕を捕まえるには、オフィスの電話ではなく携帯電話を鳴らした方が確実に連絡がとれる)

 

そうなのだけど、相手がライターのエムさんの場合は、少しばかり警戒してしまうのだ。

明日のユンとの打ち合わせに同行したいそうだ。

 

「いいですよ」

 

断る理由がなくて、待ち合わせの時間を決めて電話を切った。

一度はっきりと交際を断った過去はあるけれど、エムさんの未だ僕へ向けられる好意には気づいていた。

来年度の誌面でも、エムさんに依頼することが決まっているから、さらに1年は関係が続くことになる。

好意を寄せられて悪い気がしなかったのは以前までの僕。

僕のカノジョはガラスのハートの持ち主なんだ。

(つい一昨日の夜、実感した)

 

民ちゃんとユンが主任に目撃されたように、いつどこで、僕とエムさんが一緒にいるところを、民ちゃんに目撃されるかしれない。

誤解して悲しませるような真似はしたくないんだ。

 

「...しまった」

 

明日は、ユンに民ちゃんとのことで釘を刺すつもりでいた日じゃないか。

 

(つづく)

 

(29)NO? -第2章-

~ユン~

 

眠る女のうなじから腕を引き抜いた。

彼女は美しいが個性に欠けるが、それでもこの1年、モデルとして使い続けてきたわけは、彼女の身体に夢中になっていただけのこと。

ひとりの女、もしくは男を側に置き過ぎた結果、リアという名の(二流どこのモデル)この女は俺に執着し出した。

気持がなくなったから別れようと宣言したのは数カ月ほど前だったか。

作品へと昇華できるだけの魅力を引き出し終え、飽きがきていた頃だった。

別れを決定づけたのが、民というひとりの青年の登場だった。

 

ひと目見て、モデルにしたいと思った。

中性的な見た目にまず惹かれ、俺の誘いにのって、俺を追って田舎を出てきた行動力と純朴さに驚かされた。

ひととおり恋愛の真似事をしながら、ひととおりのポーズをつけさせ、ひととおりの作品が仕上がったところで手放す...いつものプランが、民には通用しない。

通用するか確かめる以前に、恋愛の真似事の入り口にも立てずにいる。

動揺させる言葉をいくつか吐き、キスをひとつふたつくれてやっただけで、中断している。

 

民の魅力のひとつが、無防備さだ。

見た目からして危なっかしい。

男なのか女なのか分からない。

本人もどちらなのか決めかねているのでは?

 

俺に任せてくれるなら、どちらなのかを決める手助けをしよう。

騙されやすいとも違う、無知とも違う...より深く民と付き合えば、無防備だと感じてしまう他の理由が見つかるのではと期待している。

 

突然の俺の告白に、リアは真っ青になった。

いかにも勝ち気そうな彼女は、おそらくフラれた経験はほとんどないのではないか。

俺を引き止めるための嘘に決まっているが、俺の子を妊娠した、と詰め寄ってきさえした。

さらには、住まいを引き払い、俺の部屋に転がり込んできた。

追い出しもせず住まわせている俺とは、なんと情が深く優しいのだ...とは、感心できないのが俺という男。

俺の部屋に好きなだけ住んでいればいい。

ただし、俺は新しい恋人をお構いなく連れ込み、家じゅう場所も時も問わず抱き合うだろう。

その光景に耐えられるのなら、好きなだけ住んでいればいい。

 

と、嘆息していたところ、面白いことが起きかけているのに気づいた。

新しいモデルがどんな容姿を持った者なのか、リアは興味津々だったはずだ。

嫉妬心をむき出しにしたリアが、制作中のアトリエに乱入されたら困るからと、アトリエには絶対に顔を出さないよう約束させていた。

一緒に暮らしていながらつれない俺の言動に焦燥と不安をつのらせてきたリア。

新しいモデルに心変わりしてしまったのでは?どんな人物か?

とうとう好奇心と嫉妬心に負けてしまったようだ。

そして、アトリエへ上がってきた民に気づいた時のリアの表情ときたら。

目下のターゲットである民と、過去の女リアが知り合いだったらしい。

民についても、この場でリアが居合わせたことに非常に驚いたようだった。

共通点がなさそうな二人が、どこでどう知り合ったのか興味はあったが、それよりももっと強い動機で心躍る自分に気づいた。

 

二人が知り合い関係であるからこそ、これから面白くなる。

例えば、リアの目の前で民の腰を抱いた時、リアの反応。

彼女の性格なら、俺じゃなく民に詰め寄るだろう。

 

それから、民の反応。

男慣れしていないウブさと、恋人がいるのに俺に触れられて感じてしまう自分...恋人への罪悪感に苦しむ姿。

 

もっと面白くさせる要素が、チャンミン青年だ。

民とは双子以上に酷似した見た目なのに、赤の他人同士だという。

民にちょっかいを出す俺を睨む目に、過保護な兄貴以上の敵意がこもっていた。

確か、仕事が見つかるまで一時的に彼の部屋に暮らしていたと言っていたような...。

 

民の恋人は...チャンミン君だ。

面と向かって尋ねてはいないが、この二人は極めて分かりやすい。

今週末、民とチャンミン君が、ポーズをとりに俺のアトリエにやって来る。

リアには、「新しい作品制作に集中したい。絶対にアトリエには来ないように」と念を押しておけば、抑えられない好奇心でアトリエを覗きにくることは確実だ。

 

瓜二つの青年が二人。

二人とも美しい顔をしている。

 

リアという女は自身の容姿に自信を持っている。

自分と釣り合うだけの容姿の持ち主だけが、自分の隣に立つ資格があると考えそうな女だ。

そんな彼女は、見た目が優れているチャンミン君に興味を持つかもしれない。

もしこうだったら面白いのに、と思う展開がある。

チャンミン君とリアが知り合いだったら...まさかね。

俺が興味を持っているのは、民だけだ。

チャンミン君とリアには、右往左往してもらうことにするよ。

 

(つづく)

 

(28)NO?-第2章-

次の言葉を探しているのか、口に出すのを迷っているのか、民の口は何かを言いかけて開いたままだ。

視線はチャンミンを通りこしたところにある。

チャンミンは「...似てるよなぁ...唇の形がおんなじだ」と民の口元に注目していた。

 

「...チャンミンさん」

 

民は視線をチャンミンに戻すと、コホンと咳ばらいをひとつした。

「チャンミンさんは分かりやすくて正直な人です」

 

チャンミンはここで、振り返ってみるのだ。

民の言う通り、彼女を前にしていると、チャンミンは素直でいられるのだった。

 

「...民ちゃん?」

 

(民ちゃんのことだから、面白い例え話や僕をからかう言葉が飛び出してくると予想していたけど...どうやら真面目な話なようだ)

 

「褒めてくれる時は本心で言って下さっていますよね?」

「もちろん!」

断言するチャンミンに、「よかったです」と民はにっこり笑った。

 

「チャンミンさんは私よりうんと大人です。

正直に伝えても大丈夫な時は正直でいてくれます。

変なことは変だって、はっきり教えてくれるでしょう?

さらに言えば、私を気遣って本当のことを伝えるのを遠慮するとか、出来る人だと思います。

正直の使い分けができる人です」

 

チャンミンはピンときた。

昨日の自分の発言に、民がひどく気にかけていることを。

「昨日、チャンミンさんは言いましたよね?

正直でいることは必ずしも誠実ではない、という意味のことを」

 

(...やっぱり)

 

民にユンのことが好きだったと打ち明けられ、チャンミンは嫉妬のあまり大人げないほど苛立ちを見せた。

そして、「打ち明けられる者の気持ちを考えろ」と民を責めたのだ。

「あれは...僕が言い過ぎただけだから」

 

民は、内緒にしているのが辛くなったからと言って、チャンミンに...それも大好きな彼氏に正直に打ち明けてしまった自分を反省していた。

 

(“私たちふたりは、ユンさんのモデルを揃って務めるようになりました。

チャンミンさんとは何でもないフリを続けるのも不自然だし、私はお芝居が苦手です。

代わりにチャンミンさんの口から、私たちの関係を知らせて下さいませんか?”

...とかなんとか、言えばよかったんだ)

 

「私、『彼女』らしいことが出来ません...どんな風に振舞えばいいのか分からないんです。

チャンミンさんのおうちに住んでいた時みたいなノリに、なってしまって...」

 

チャンミンはふっと息を吐くと、民の頭に手をのせた。

 

「昨夜はごめん。

僕に気を遣ったりしないで、思ったことは何でも話していいんだからな?」

 

(そう言ってくれるけど、ユンさんのキスとかリアさんのこととかは絶対に内緒だ!)

 

(民ちゃんが気にしぃだとは知らなかった。

大胆で神経が太い(ちょっとだけ無神経)子だと思っていた。

案外、繊細なんだな(民ちゃん、ごめん)

 

民ちゃんに吐き捨てた言葉は、そっくり自分に言いたい。

彼女への発言は気を付けないと。

彼女相手なら何を言ってもいい、と甘えていたのは僕の方だったかもしれないな)

 

 

見た目は悪いけれど、味付けは完璧なスクランブルエッグを食べ終えると、チャンミンは立ち上がった。

 

「じゃあ、帰るね」

いよいよ呑気にしていられない時間になったのだ。

「はい。

いってらっしゃいです」

チャンミンは靴を履き終えると、玄関先まで見送りに立った民と向かい合った。

 

「......」

「......」

(こ、これは...!)

 

この後の展開を読んだ民はカチコチに硬直してしまい、そんな彼女の様子にチャンミンの瞳が熱っぽく光る。

チャンミンは民の後ろ髪に指をもぐりこませた。

チャンミンの顔が傾いだのを認めると、民はぎゅっと両目を閉じる。

身長180㎝超えの民だから、チャンミンは身をかがめる必要はない。

ないけれど、民のうなじと腰を引き寄せて、キスのリードをとっているのはチャンミンの方だった。

今のキスは、これまでよりもわずかに、民の唇に押し付ける圧が強かった。

 

「...っ...」

 

民の唇が緩んだ隙をつき、チャンミンは舌先を彼女の中へと忍び込ませた。

そして、民の舌をくすぐって拒否されないのを確かめたのち、より深く口づけた。

 

「!!!」

 

(こ、こ、こ、こ、これは...ディープキスってやつですか!?)

 

民にはチャンミンの背に腕を回す余裕はない。

指はかぎ型に曲げられて、宙で一時停止している。

閉じていた眼はまん丸に見開かれてしまっている。

引っ込んだままの民の舌をかき出そうと、彼女の口内を探りかけた。

 

(キャーーーー!)

 

「...まだ、早いよな」と思い直して、民の舌をくすぐるだけで我慢したのだった。

 

 

「チャンミンさん!」

 

呼び止められ、歩き出した足を止めて振り返った。

キスの余韻で民の顔は湯気が出そうに真っ赤なままだ。

 

「ユンさんのこと...お願いします!」

「うん。明後日...じゃなくて明日、打ち合わせで会うんだ。

その時に絶対に」

「よかった...」

 

民はサンダルをつっかけて廊下へと出てくると、チャンミンの方へと近づいた。

そして、チャンミンの耳たぶをぐいっと引っ張った。

 

「いでっ!」

「...チャンミンさん」

耳元で囁かれ、チャンミンの首筋に鳥肌がたつ。

「ご希望の紐パン、穿きますからね」

「!!」

「楽しみにしていてください。

1週間後ですよ~!

今日も一日、お互い頑張りましょう~!」

 

(民ちゃんったら...はあぁ...。

雰囲気次第にしようと言ったばかりなのに...。

『恋人ごっこ』をした時、僕がでっちあげた話の影響をもろに受けたままだ。

...僕は全然、構わないけれど)

 

階段を駆け下りたチャンミンは、「こんな感じ...くすぐったいな。朝帰りか...」とにやけ顔で、民のアパートを見上げたのだった。

 

(民ちゃんのことだ、前もってアレを用意してきてたりして...あり得ない話じゃないな。

いや...ああいうものは男の僕が準備すべきだ)

 

クスクス笑っていると、通りすがりのOL風がチャンミンを気味悪がって、反対側の歩道へと移ってしまった。

 

(...民ちゃん...初めてなんだよなぁ...)

 

家を出るべき時間まで20分ほどしかないこと気づき、チャンミンはアパートまでの数百メートルをダッシュした。

 

 

気持ちを確かめ合い、沢山キスをしてひとつの布団で眠り(何もなかったが)、これで二人の小さな衝突は無事解決した。

けれども、小さな問題点がそれなりに残っている。

第3者から見ればささいな事柄でも、初々しい二人にとって関係性を揺るがす事件になってしまう時期でもあった。

 

(つづく)