(32)NO?

 

カジュアルなイタリアンでランチを済ませたユンと民。

いい天気だからと二人は、オフィスとレストランを徒歩で往復することにした。

初冬だというのに季節外れな暖かさで、二人は脱いだ上着を片腕に引っかけていた。

 

ユンは40歳。

40歳といえば、中年にさしかかった年齢。

ユンに対しては、中年とひとくくりには出来ない。

たるみと脂肪が全くない引き締まった180センチ超えの身体に、背中を覆う長い黒髪と彫りの深い顔立ちで、通り過ぎる者たちが振り返ってしまうのも無理はない。

ユンとは、ゴージャスでハイスペックな男なのだ。

その隣を歩く民も、振り返って二度見したくなるスタイルの持ち主だった。

 

(狼が舌なめずりして、襲うタイミングをはかっているというのに、危機感のない羊は「気取った店は量が少ないなぁ」と思いながら、「ご馳走様でした」と狼に礼を言っているのだ)

 

注目を浴びるに値するルックスだと、常に承知しているユンに対して、民の方は全く気付いていなかった。

ショーウィンドウにディスプレイされた秋冬ものに心惹かれ、よそ見する民はどうしてもユンから遅れがちになる。

亜麻色のコート、深緑のニットにレンガ色のスカート...なんだかんだ言って民は若い女性だ。

似合わないと分かっていても、気になってしまうのだった。

 

「着てみたらどうだい?」

民の気持ちを読んだユンはクスリと笑った。

 

「私が?」と、民は自身を指さすと、ユンは「そう」と大きく頷いてみせた。

「え、でも...それは...遠慮しておきます。

...わっ!」

 

ユンは民のウエストをさらうと、半ば強引にショップへと促した。

 

「ちょっ...待って、ユンさん!」

「待たない」

「無理ですってば」

「無理じゃないよ」

 

ちょうどこの時、ユンに腰を抱かれた民の姿を、商用車で通りかかったあの主任が目撃したのだった。

 

 

ユンは駆け寄った店員に「あれを」と、ショーウィンドウの方を示した。

ついで、審美眼に叶ったものに「あれと...それからこれも」と、てきぱきと追加していった。

店内を一周した頃には、二人の店員は山と商品を抱えていた。

その光景を民はぽかん、と口を開けて眺めていた。

 

(すごい量...。

リアさんにあげるのかな...。

でも、別れたって話していたよね。

新しいカノジョとか?)

 

ユンがセレクトした物は全て民の為だという可能性に、彼女は思い至っていなかった。

民がショーウィンドウ内のワンピースに見惚れ、ユンに店内へと連れられ、ポンポン商品を選ぶユンに驚き、ユンは会計を済ませ、自宅まで配送する申し出を断わって、呼ばせたタクシーに荷物を積み込み、深々と頭を下げた店員に見送られるまで30分も経過していなかった。

 

(映画の世界みたい...。

お金持ちの男の人が、主人公の女の子にドレスを沢山買ってあげるの。

そして、女の子をシックな大人な女性に仕上げるの)

 

これまでの展開についてゆけず、ぼぉっとしている民を、ユンはさりげなく観察していた。

両膝を付けて内股になった太ももから順に上へ、平らで薄い胸から華奢な鎖骨、細く長い首から顎へと。

 

「ん?」

 

民は視線に気づいて隣を見ると、愉快そうな笑みを浮かべたユンとまともに目が合った。

慌てて目を反らしたり、など絶対にしないユンだ、バチっと火花が散りそうな目力だった。

 

「...え~っと...なんでしょう?」

「後ろの...」

 

ユンはトランク...大量の洋服と靴、バッグが詰まっている...を親指で指し「誰の為に買ったと思う?」と尋ねた。

 

「誰って...ユンさんの彼女さんですか?

例えばリアさん...とか?」

 

ユンは民の回答がおかしくてたまらず、ぷっと吹き出した。

ユンは民の耳元に顔を寄せた。

 

(ひぃっ!)

 

ユンのスパイシーな香りと優しく耳たぶを摘ままれ、ぞくりと鳥肌が立ってしまった。

 

(ち、ち、ち、ちか、ちか、近いです!)

 

ユンは低い声で...数多の男女を蕩けさせた声で囁いた。

 

「君だよ。

民...全部、君の物だ」

「えええええぇぇぇぇぇ!!」

 

民の大ボリュームの叫び声に、ユンは耳を押さえて飛び退くしかなかった。

ドライバーもハンドル操作を誤り、一瞬ぐらりと蛇行した。

 

「無理無理無理無理です!

駄目ですって!」

 

民はユンとは逆側の後部シートに退いて、両手を激しく振った。

 

「駄目じゃない」

「駄目です!

買ってもらう義理も権利も、特権も礼も理由も何もないです!」

「理由はあるよ。

君にあげたいからあげるんだ」

「そんな...あげたいって...どうしてですか?

駄目ですよ。

貰えませんよ。

困ります!」

「貰ってくれないのなら、捨てるしかないね」

「そんな!

駄目ですよ、勿体ない!」

「それじゃあ、貰ってくれる?」

「でも!

変ですって!

私はただの従業員です!

あんなに沢山...あんなにたっかいものを...貰える立場にありません!」

「あるよ」

「ないったらないです!」

「素直じゃないなぁ」

「はい、その通りです!

私は素直じゃないです!

へそ曲がりで偏屈で根性曲がりの天邪鬼でひねくれ坊主なんです!」

 

ユンはハッとして、新鮮な思いで民を見た。

 

「私じゃなくて、リアさんにあげてくださいよ!」

「リア?

どうしてリアにあげなくちゃならない?

別れた女に?

それこそあげる理由がない。

お...着いた」

「スカートとか、似合わないです!

無理です!」

 

ユンは抗議する民の手を引き、揃ってタクシーから降りると、エントランス前に山と積まれたショッピングバッグを眺めて肩をすくめた。

 

「困ったね...こんなに沢山」

「知りませんよ...もお」

 

ダンディなユンが見せる子供っぽい笑顔に、民は図らずもドキッとしてしまったのだった。

 

(民くん...なんて面白い子なんだ。

いい。

ますます、いい!

チャンミン君には勿体ない)

 

(つづく)

【32】NO?

 

~君が危ない~

 

~チャンミン~

 

 

数日前のことだ。

 

民ちゃんとコンビニデートをした日のことだ。

 

ユンのオフィスに呼び出された。

 

後輩Sは別の案件で外出中だったため、僕が出向くことになった。

 

ライター同席のインタビューを終え、その草稿をメールで送ると伝えたら、直接会ってその場で添削したいとの要望を受けたのだ。

 

ユンは若いくせに、メールや電話を信用せず、面と向かうことに重きを置く人物のようだ。

 

こういうタイプは珍しくないけど、ユンのことがどうも苦手な僕だったから、この面談は気が進まなかった。

 

気温は30℃、額やうなじから吹き出る汗をハンカチで拭った。

 

エレベーターを6階で降り、ゴージャスな歯科医院の前を通り過ぎて、ユンのオフィスのインターフォンのボタンを押す。

 

『お待ちしておりました』

 

ユンの低い声に続きドアが開くと、相変わらずスマートで涼しげな美青年が僕を迎い入れた。

 

今日は長髪を束ねず、背中に真っ直ぐ垂らしている。

 

「暑い中ありがとうございます」

 

スタイリッシュな打ち合わせスペースに通され、一旦奥に引っ込んだユンがアイスコーヒーを乗せたトレーを持って戻ってきた。

 

「早速見せていただきましょうか」

 

ライターが書き起こした原稿をフォルダーごと、「どうぞ」とユンの前に提出した。

 

ユンは顎を撫ぜながら、無言で書類に目を落としている。

 

「メールで済む話なのに、わざわざ足を運んでいただいて申し訳ない。

しかし、こうやって顔と顔を突き合わせると」

 

ぐいっとユンの鋭い眼差しが、直球で僕に刺さる。

 

眼力の強い奴だ。

 

「言葉で説明しきれないニュアンスも、伝わります。

チャンミンさんは、そう思いませんか?」

 

なるほどその通りだったため、「そうですね」と同意した。

 

僕の視線に気づいたユンが、肘までまくった腕をちらっと見て苦笑した。

 

「作品を作っていたもので。

全身粘土まみれになるんですよ」

 

目線で螺旋階段の上を指した。

 

「アシスタントの子が見つかりましてね。

今どきなかなかいない、『使える子』です」

 

訂正箇所が記された原稿を手渡すと、キャンバス地のスリップオンを素足に履いた脚を組んだ。

 

ユンの熱い視線が僕の腕に注がれていることに気付いて、「何か?」の意味を込めて見返した。

 

「申し訳ない。

美しい造形を目にすると、つい観察してしまうのです」

 

「はあ」

 

「失礼」

 

ユンが僕の腕を手に取った。

 

「!」

 

「筋肉の付き方がいいね」

 

(おいおい)

 

僕の手首を持って、ひっくり返したり、肘を曲げたりした。

 

額の真ん中で分けたストレートヘアが、ユンの彫の深い美貌によく似合っている。

 

それは認める...が。

 

「腕に力を入れてみて」

 

「はあ」

 

気味が悪いと思いつつも、落ち着いた口調でありながら逆らえないユンの命令に従ってしまう。

 

手の平が汗ばんできた。

 

「!」

 

力を入れたことで浮き上がった筋肉に沿って、ユンの指につつーっとなぞられて、思い切りビクッとしてしまった。

 

こいつ...気味が悪い。

 

「男に腕を撫でまわされて気持ち悪いでしょう。

次の作品は『腕』がテーマなんですよ」

 

「腕?」

 

「ええ。

3本の腕を柱として...」

 

僕の腕から手を離したユンが、身振りで1,2、3と3本の腕を交差させてみせた

 

「中央に『顔』があります。

モデルとなる顔については未だイメージが湧いていません。

腕の1本は男の腕でして、チャンミンさんの腕を目にしたら、作品のイメージにぴったりだと思いましてね。

つい、拝見させていただきました」

 

さぞかしモテるだろう、浅黒い精悍な頬をゆがめてほほ笑んだ。

 

「是非とも、作品のモデルに。

スケッチさせてください」

 

「あ、あの...今日はこれから...」

 

次のアポイントなんてなかったが、早くここから逃げ出したくなった僕は首を振る。

 

こちらは大いに動揺していたというのに、ユンは落ち着き払った余裕ある態度で、からかわれているように感じられて不愉快だった。

 

悪いが僕には「その気」はない。

 

脇の下にじっとりと汗をかいていた。

 

「チャンミンさん」

 

呼び止められた。

 

「ご兄弟は?」

 

「います...が?」

 

「そうですか。

変なことをお尋ねして申し訳ない」

 

口の片端だけ上げた笑みを浮かべたユンに見送られて、僕はオフィスを後にした。

 

次からは、後輩Sを僕の代わりに行かせよう。

 

 


 

 

~民とK~

 

 

「頭皮がピリピリするかもしれません」

 

髪の生え際にワセリンを塗ってもらい、額をテカテカにさせた民は「大丈夫です」と答えた。

 

「私って、丈夫に出来ているんです」

 

鏡に写る民は真っ白なブリーチ剤で髪をてっぺんにまとめ上げられ、ピンと立った耳にはビニールのイヤーキャップを付けている。

 

「ご家族やご友人は驚かれたんじゃないですか、急に金髪になって?」

 

この日のKは、カーキのワイドパンツのウエストに、細い赤いベルトを巻いている。

 

「目を丸くしてました。

Kさんはいつもお洒落ですね」

 

「ありがとうございます。

これは古着です。

パーマ液ですぐに汚してしまうので、高い洋服は買えないんですよ。

民さんが着ている洋服もよく似合ってますよ」

 

「これは、借り物なんです」

 

民はケープから覗く黒いパンツの裾と、白いスニーカー履きの足を揺らしながらはにかんだ。

 

「私は身長があるので、女もののお洋服だとサイズが合わないんです。

普通の男ものだと、ホントの男の人みたいになっちゃうし、きちんとしたお洋服も持っていなくて。

そんな私のために、親切にも貸してくれる人がいるんです。

コーデもその人がしてくれてるんです」

 

「その方も背が高い人なんですね」

 

Kは加温機のタイマーを設定しながら、鏡の中の民に笑顔を見せた。

 

「そうなんです。

私より3㎝高いんです(ここ強調)

その方と一緒に暮らしているんです」

 

「ご兄弟か...それとも、彼氏さんですか?」

 

「へ?」

 

民は一瞬きょとんとして、それから顔を赤くして手を振ったが、ケープに隠されていて、Kには見えない。

 

「いえいえ、まさか!

兄は私より背が低くて、ごっついんです」

 

(チャンミンさんはお兄ちゃんのお友達で、私のお友達じゃない。

 

短期間だけど一緒に暮らしていて、仲良しになった。

 

ホテルにお泊りした時は、首にキスされたし。(ホントにびっくりしたんだから!)

 

うーん、チャンミンさんは...私にとって何だろう?)

 

考え込んでしまった民に、Kは弾けるように笑った。

 

「あははは。

その人は民さんのことを、よく分かってらっしゃるんですね」

 

「へ?」

 

「民さんの柔らかい雰囲気をひきたてる洋服を選んでいるようですから」

 

(確かにそうだ。

 

私の薄い上半身が目立たないよう、ほどよいゆとりがあるものや、淡い色使いのものだったりする。

 

ぐすん...チャンミンさんが優しくて、涙が出そう...)

 

「熱かったらすぐに教えてください」

 

民の頭の上で丸い加温機が回り始め、民はその日のユンとのことを思い出していた。

 

 

(つづく)

 

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【31】NO?

 

~君が危ない~

 

 

 〜ユン〜

 

 

「ユン...さん?」

 

「いや、ごめん。

驚かせてしまったね。

新しい作品のインスピレーションが、急に降りてきてね」

 

民の首から手を放して、民の背後にまわった。

 

「3本の腕があるんだ。

1本の腕は、滑らかで長い首をつかんでいる。

頭部はナシにしよう。

その代わり首から下、胸から腰までの流れを...」

 

説明しながら俺は、民の首の付け根の骨に、唇を触れそうで触れない距離で彷徨わせた。

 

「ひっ!」

 

民の首に鳥肌がたっていた。

 

カートの取っ手を握りしめる手が白くなっていて、うな垂れたまま俺に白いうなじをさらしている。

 

「すまないね。

俺は、作品のことを考えるとアチラの世界へ行ってしまうんだ。

こんな俺の側で仕事をするのは...無理かい?」

 

民の耳に寄せて囁いた。

 

民は首を左右に振って、「いえ...大丈夫です」とかすれた声で答えた。

 

「ありがとう。

お願いがある」

 

「はい」

 

「俺の作品のモデルになってくれないか?」

 

「え?」

 

「部下にこんなお願いをするのは、間違っているかな?

言い直そう。

モデルの依頼は、今の仕事とは別枠だ」

 

「......」

 

雑用の仕事に、裸になってポーズをとる仕事も含まれるとは考えられないだろうからな。

 

民を誘ったのも、この子を脱がして作品へ昇華させたかったからだ。

 

いきなり、ヌードモデルになってくれなんて頼んだら、初心そうなこの子のことだ、拒絶されるだろう。

 

俺に憧れ交じりの好意を持っているからこそ、いい被写体になる。

 

「はい。

私でよろしければ」

 

「ありがとう。

君のおかげで、いい作品になるよ」

 

民から身体を放すと、民の肩を叩いた。

 

「それじゃあ、この中の物を見ておくんだ。

それから、午後はおつかいに行ってくれるかな?

撮影の立ち合いは俺だけで事足りるから」

 

「はい」

 

消え入りそうな声で答えた民を、俺はこのまま保管庫に閉じ込めてしまいたい衝動を抑えていた。

 

チャンミンとかいう民の兄弟が、午後からアトリエにやって来る。

 

この兄弟はろくに連絡をとっていないのか、仕事の話はしない主義なのか。

 

民がここに居ることを知らない風だった。

 

2人並べて見るのは、もう少し後だ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

カメラマンを先に返した後、チャンミンはユンと次号の作品選定のためアトリエに残った。

 

後輩Sは、カメラマンに同行して行った。

 

「『冬の季節でも紫外線にご注意』というのが次号のテーマです。

よって、出来れば作品も女性のものがよいかと考えております」

 

ゆったりと椅子に腰かけ脚を組んだユンは、顎を撫ぜている。

 

「トルソーものはいくつかありますよ。

保管庫に案内しますから、ご覧になってみますか?」

 

「よろしいのですか?」

 

テーブルに置いたユンの携帯電話が振動し始め、チャンミンに目礼したユンは席を立った。

 

「やあ、どうしたんだい?

...目が粗い方だ...ない?...うん...それで?」

 

話が長くなりそうだと判断したチャンミンも席を立ち、事務所に連絡を入れることにした。

 

「民くんは今どこにいる?...ああ、合ってる...持って帰れる?」

 

チャンミンは通話を終え席に戻ってくると、ちょうどユンの方も用事が済んだようだった。

 

「今日はアシスタントさんはいらっしゃらないのですか?」

 

「ええ、今日は資材の調達に行かせています。

最近雇い入れたばかりの子ですが、飲み込みも早いし、力仕事も厭わずこなしてくれます」

 

「力仕事?」

 

「粘土は重いですからね。

若い男に限りますね」

 

いかにも女好きそうなユンが、身近に置くアシスタントに同性を選んだと聞いて、チャンミンは意外に思う。

 

チャンミンの考えが読めたのか、ユンは乾いた笑いをこぼした。

 

「女性は何かと使いにくいもので」

 

「はあ、そうですか」

 

(どうせ、自分好みの女の子を側に置いて、手を出しまくってトラブルになったんだろう)

 

「保管庫はこちらです」

 

ユンに促されチャンミンは、大型のスチール棚が3列並ぶ薄暗い部屋に足を踏み入れた。

 

「すごいですね...」

 

苦手なタイプな人物だとしても、ユンの才能は素晴らしかった。

 

女性的な滑らかな質感と緻密さと、男性的な粗削りな彫りが共存している。

 

作品ひとつひとつ、目の高さを合わせて食い入るように、見ていく。

 

白い彫像がゆとりを持って大小並べられていた。

 

「女性の顔がモチーフになっているものがいいのですね。

この辺りのものがそうですね。

ピンクの札がついているものは、買い手がついているものです」

 

女性の頭部ばかり十数体並ぶ一角がある。

 

ユンの形作る人体部分の肌感は産毛を感じられるほどだ。

 

「作品には、モデルは存在するのですか?」

 

一体一体丁寧に見ていくチャンミンを眺めていたユンは、棚にもたれていた身体を起こした。

 

「ええ。

中には想像上のものもありますが、大抵はモデルがおります」

 

「プロのモデルさんを雇うのですか?」

 

「そういう場合もありますし、知り合いに依頼することもあります」

 

「はあ、そうですか」

 

(想像した通りだ)

 

チャンミンはあることに気付いていた。

 

(これとこれは、恐らく同じ女性だろう。

それに、これは...欧州の人かな?

少女らしいものも3体ある...未成年じゃないだろうな?

この2体はアジア系...美人だな...こっちの2体はアフリカ系...。

この中の何人が、ユンのかつての恋人なんだろうか)

 

「これは、最近の作品のものですね」

 

髪のない丸坊主の女の頭を撫ぜながら言う。

 

「この子は、顔が素晴らしかった。

顔を活かすために、作品では髪を無くしました」

 

(過去形...モデルのその子とは別れたのか?)

 

他の個性的な顔立ちをした女性像と比較して、その作品は人種を越えた美しい顔立ちをしていた。

 

(典型的な美人か...。

どこかで見たことがあるような気がさせるのは、美人顔はどれも似たりよったりで、個性が薄いからか。

しかし、

自身の姿がここまで美しい彫刻作品に生まれ変わるのなら、恋人冥利につきるというか、一種の幸せを得られるだろうな)

 

次の表紙の被写体になる作品を3体まで絞ると、チャンミンは小型カメラで撮影させてもらい、ユンに礼を言った。

 

「写真が上がってきたら、一度見せてください」

 

「またご連絡いたします」

 

「チャンミンさん。

『スケッチを取らせてほしい』と申したことを覚えていらっしゃいますか?」

 

「ええ...まあ」

 

チャンミンを真っ直ぐに見据えるユンの凛々しい目がギラリと光った。

 

「本気でお願いしたいのですが?」

 

(こんな目で迫られたら、女性たちもたまらないだろう。

純な民ちゃんだったら、一発でノックアウトだ)

 

チャンミンは、手も首も振った。

 

「とんでもない」

 

「腕、だけですよ?」

 

「それでも、僕には無理です!」

 

チャンミンは、ユンに腕を撫でまわされた感触を思い出していた。

 

(気持ち悪い。

仕事以外の場で、ユンと関わり合いになりたくない。

ユンには得体のしれない、ぞっとするようなところがある)

 

「そうですか...非常に残念です」

 

眉をひそめて微笑を浮かべたユンに、「頭からばりばりと食べられそうだ」と身震いしながらチャンミンはアトリエを後にしたのであった。

 

 

(つづく)

 

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【30】NO?

 

~朝帰り~

 

 

スーパーマーケットで買い物をした後、チャンミンと民はマンションの部屋に帰宅した。

 

チャンミンのためらう様子に気付き、民は代わりに玄関ドアを開けてやった。

 

「ただいまー」

 

ここでは、チャンミンと民は兄妹(兄弟)だと見なされているので、朝帰りでも全然構わないのだ。

 

「お留守のようですね」

 

リビングにも浴室にも、寝室も無人で、リアは外出しているようだった。

 

泣き疲れて目を腫らしたリアからの恨み節を覚悟していたチャンミンは、拍子抜けした。

 

(リアが傷ついてボロボロになっている姿を想像してたなんて、うぬぼれも甚だしいな)

 

2人は休日で、ひとつ同じ部屋で、互いの存在を意識の端に置きながら、おのおのが思い思いのことをして過ごした。

 

「コーヒー淹れようか?」

 

読書に疲れて声をかけると、「はいはーい」と民の明るい返事が返ってきて、いそいそと、嬉しそうに冷蔵庫からシュークリームを取り出すのだ。

 

チャンミンは、こんな感じっていいなぁ、とあらためて思った。

 

夕食後、カットモデルのバイトに民はでかけて行ってしまい、独り残されたチャンミンは今後のことについて頭を巡らした。

 

(この部屋を出て行かなければ!

できるだけ早く。

部屋探しを始めよう。

明日にでも)

 

ぐるりと部屋を見渡す。

 

巨大なソファ、大画面のTVとTVボード、窓際のプロ仕様のウォーキングマシン、それでもなお広々としたリビング。

 

チャンミンの1か月分の給料が消える家賃。

 

(1LDKか2Kあたりの、身の丈にあった部屋にしよう。

一人暮らしに戻るのか...)

 

 

チャンミンの食器を洗う手が止まった。

 

 

(民ちゃんも部屋探しだ。

 

Tから頼まれたように、僕がしっかりと見守ってやらないとな。

 

一人で行かせたら危ない。

 

面白そうだからって、奇天烈物件に決めてきそうだ。

 

安いからって、風呂なしトイレ共同のアパートに決めてきそうだ)

 

 

チャンミンは食器をすすぐ手を止めた。

 

 

(まてよ。

 

前もちらっと浮かんだアイデア。

 

いっそのこと、民ちゃんと一緒に暮らすというのは?

 

民ちゃんの給料なんか当てにしなくたって、立地条件をゆるめれば、うん、いけそうだ)

 

 

チャンミンはダイニングテーブルを拭く手を止めた。

 

 

(おい!

 

僕はよくても、民ちゃんの意見を聞いていないじゃないか。

 

あー、そうだった。

 

民ちゃんには好きな人がいるんだった。

 

その彼とめでたく付き合うようになった時、僕と一緒に暮らしているわけにいかなくなるよな。

 

民ちゃんが彼氏を部屋に連れてきたりしたら、僕はどんな顔をして出迎えればいいんだ?

 

加えて、彼氏が民ちゃんの部屋に泊まったりなんかしたら...。

 

...ものすごく、嫌だ)

 

 

チャンミンは乾燥機から衣類を取り出す手を止めた。

 

 

(いずれにせよ、何件か不動産屋を回ってみよう。

 

民ちゃんにぴったりの部屋もついでに探してやる。

 

職場に近い場所がいいだろう。

 

民ちゃんの勤め場所は、どこなんだろう。

 

『アシストする』って、一体全体どんな仕事なんだ?)

 

 

顔の高さに、レースの縁取りが繊細なパープルの下着がぶら下がっている。

 

乾燥機をかけられないデリケートな素材のリアの下着は、洗面所の頭上に渡された物干しポールで陰干ししている。

 

「僕は何やってんだか...」

 

リアのブラジャーやショーツを取り込みながら、チャンミンの心は虚しい気持ちですうすうした。

 

チャンミンは気持ちを切り替えるかのように、大きく深呼吸をした。

 

(新しい生活をこれから始めるんだ。

よし、頑張ろう)

 

ホテルでちら見えした民の、飾り気のないシンプルなショーツを思い出した。

 

(民ちゃんには、付いていないんだよなぁ。

やっぱり、女の子なんだよなぁ)

 

 


 

 

「ただいまー」

 

ダイニングテーブルに突っ伏してうとうとしていたチャンミンは、ハッとして顔を上げ、民の姿を見て目を見張る。

 

「民ちゃん...」

 

民の髪が金髪になっていた。

 

「今日はブリーチ1回目です。

真っ白になるまで、ブリーチするんです。

髪の色が変わると、印象変わりますねぇ。

チャンミンさん、どうですか?」

 

顔を右へ左へと回して、チャンミンに披露する。

 

チャンミンより幾分色白の肌に、クリーム色の髪色が儚げな雰囲気を醸し出している。

 

(民ちゃん...。

男でも女でもない、中性的で...。

妖精みたいだ)

 

民に見惚れながら、チャンミンは胸苦しさを覚えた。

 

Tシャツの衿からすんなり伸びた長い首に、キスした時の感触を思い出した。

 

「チャンミンさん!

口開いてますよ。

虫が入っちゃいますよ。

私の田舎ではね、口開けてるとホントに虫が飛び込んでくるんですよ。

ちっちゃい虫なんか、飲み込んでしまったことあるんですから。

それから...」

 

(民ちゃんが綺麗になっていって、民ちゃんの存在が僕から遠のいていくような気がする)

 

民があれこれ話す内容が、チャンミンの耳に入ってこない。

 

夜になっても、その翌日もリアは帰宅しなかった。

 

 


 

 

~ユン~

 

「午後から撮影があるんだ」

 

アトリエ奥の保管庫へ民を案内した。

 

重量と嵩がある作品は、他所に借りた倉庫に保管してある。

 

「小さく見えても重いから」

 

カートを押して先を歩く民の尻を見ながら、俺は湿度管理された部屋の棚の一つを指し示した。

 

俺の作品はすべて石膏粘土製だ。

 

中に芯材を入れて軽量化を図っているが、それでも石のように重い。

 

民と二人で目当ての作品を持ち上げ、慎重にカートに乗せた。

 

サプリメント会社のカタログとやらに使う作品を選別していたのだ。

 

撮影は本日、午後からここアトリエで行われる予定だ。

 

「ユンさんは、この作品を創る時、どんなことを考えていました?」

 

女性の肩から臀部へ繋がるの曲線美を前面に出したものだった。

 

筋肉を覆う女の脂肪が作る背中の凹凸を、リアルに表現した。

 

前面と土台は、荒削りした草花で縁取りした。

 

「ホンモノみたい...」と民が感心する通り、作品上の肉体の持ち主は現存する。

 

アトリエの作業台に裸の女を腰掛けさせ、彼女の背中と尻をつぶさに観察しながら形づくったのだから、リアルで当然だ。

 

2年前の作品だったかな。

 

作品が完成するまでの2、3か月の間、関係を持った子だった。

 

民の髪が金髪になっていて、一目見た時「おや」と意外に思った。

 

金髪にするなんて、民の固そうな性格には似つかわなかったが、儚げな少年らしくなって、俺は満足だった。

 

「ここにある作品を見ておくといい。

撮影、展示依頼や、売却する際に、在り処を知っておく必要があるからね。

作品名と制作年月は、ラベルでぶら下がっている」

 

「はい」

 

はきはきと返事をする民を、真っ直ぐ見つめる。

 

ふるっと民の瞳が揺れたから、俺の視線にさらされた民の心も揺れたんだろう。

 

視線で民を身ぐるみ剥がす。

 

片手を伸ばして、民の喉をつかんだ。

 

「ひっ」

 

手を軽く当てただけだ。

 

手の平の下で民の喉がごくりとうごいて、かすかな震えも感じられる。

 

細い首だった。

 

 

 

(つづく)

 

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【29】NO?

 

~君と朝帰り~

 

~チャンミン~

 

 

その後、僕らは朝までぐっすり眠った。

 

シャワーを浴びてベッドに戻ったら、民ちゃんがAVを大音量で鑑賞していて、大慌てでリモコンを取り上げた。

 

「民ちゃん!」

 

「後学のために、ですよ」

 

しれっと言うから、僕は民ちゃんに説教をした。

 

「こういうものを見せられたら、男はムラムラするんだよ?

押し倒されたって文句は言えないよ?」

 

チャンネルボタンを押しても押しても、喘ぎ声が流れる場面ばかりで、僕は焦った。

 

やっとのことで、ゲーム画面に切り替わって、僕は安堵した。

 

「すごいですねぇ、どうしてあんな展開になっちゃうんですか?

初対面の人といきなり、コンビニで...!

お〇んち〇挿れたままレジなんて打てませんって。

気付かないお客さんも、すごいですよねぇ」

 

ショックを隠し切れない民ちゃん。

 

「チャンミンさん...勃ってます」

 

「え、えっ!?」

 

焦ってバスタオルを巻いた股間を押さえた。

 

「嘘です」

 

「こら!」

 

たらこスパゲッティとサンドイッチを分け合って食べた。

 

カラオケで2曲ずつ歌った(民ちゃんは音痴だった)

 

レーシングカーゲームで3敗した(民ちゃんのコントローラーさばきはプロ級だった)

 

チェックアウトの時間まで、僕らはラブホテルを楽しみつくした。

 

ホテルの自動ドアが開くと、ムッとした暑さにつつまれた。

 

アーチの外に出た途端、道を歩いていた3人連れの大学生風と目が合った。

 

彼らはギョッとしたのち、目をそらして足早に歩き去ってしまう。

 

何度も振り返りながら、こそこそし合っている。

 

何を話しているのかは、想像がつく。

 

「私たち、朝帰りですね。

私の朝帰りの相手第1号は、チャンミンさんです」

 

腕を組んだ民ちゃんが、小首をかしげて言った。

 

「チャンミンさんが元気になってよかったです」

 

ゴミが散らばる昼間の繁華街は裏寂しい。

 

僕の心はもう、寂しくない。

 

「楽しかったですね。

また行きましょうね」

 

民ちゃんったら...全然わかっていないんだから。

 

 

 


 

 

~リア~

 

 

(チャンミン...帰ってこなかった)

 

出張の日を別にして、チャンミンが夜出かけたまま帰ってこない日など今までなかった。

 

私が不在だった日はどうだったかは想像するしかないが、私が「居る」夜に、帰ってこないなんてことは一度もなかった。

 

チャンミンから突然の別れの言葉は青天霹靂。

 

心臓を撃ち抜かれたみたいな衝撃を受けた。

 

「あの」チャンミンが、絶対に口にしそうにない言葉を発した。

 

私のことを「好きじゃない」って。

 

別れたいって。

 

別れを切り出すのは私の方からに決まってるのに。

 

チャンミンから切り出されたことが、何よりショックだった。

 

枕に顔を埋めてひとしきり泣いた後、耳をすましていたら、パタンと玄関ドアが閉まる音がした。

 

寝室を覗きもしなかった。

 

ヒヤリとした。

 

チャンミンは「本当に」別れたいのかもしれない。

 

立っている場所だけ残して、ガラガラっと地面が崩れ落ちていくようだった。

 

私の安全弁を、避難場所を失ってしまった。

 

いいえ、未だ失っていない。

 

チャンミンは寂しさのあまり、私の気をひこうとあんなことを口にしたのよ。

 

数日もすれば、

 

「別れたいと言った僕が悪かった。

あの時の僕はどうにかしていたんだ。

許してほしい。

やり直そう」

 

と言い出すに決まっている。

 

だって、チャンミンは私に心底惚れていたんだから。

 

「気の強い彼女に言いなりで、そんな彼女に尽くす優しい彼氏」の構図にまんざらでもなかったんでしょう?

 

チャンミンと出会った頃を思い出していた。

 

私が所属する事務所の打ち合わせルームで、初めて顔を合わせた。

 

モデルみたいに背が高くて、普通のサラリーマンにしておくには勿体ない顔をしていた。

 

本人には自覚がないみたいなところが、よかった。

 

チャンミンが私のことに気があることは、すぐに分かった。

 

書類を覗き込むふりをして顔を近づけたら、耳を真っ赤にするんだもの、可愛いったら。

 

喉ぼとけがゴクンと動いて、顔を上げたら見開いた丸い目と私の目が合った。

 

その気がある素振りを見せると、チャンミンは予想通りの行動をしてくれた。

 

ちょうど、不倫に近い恋愛を終えたばかりで、荒んだ心を持て余していた私は、チャンミンの熾火のような愛し方に飛びついた。

 

温和で、ちょっと神経質。

 

チャンミンの美徳でもある圧倒的な優しさが、同時に彼の欠点でもあった。

 

自由にふるまう私を見逃し続けたあなたも、悪いのよ。

 

ねえ、チャンミン。

 

あなたはいつから、私と別れたいと思うようになったの?

 

私は、あなたにウンザリしながらも、別れたいと思ったことはないのよ。

 

他の誰かに夢中になっていたとしても、チャンミンのことも好きでいたのよ。

 

好きのベクトルと熱量が違うだけ。

 

リビングに戻り、ソファの上に放りだしたままの携帯電話を拾った。

 

珍しい、着信があった。

 

私は、目下夢中の「あの人」へ電話をかける。

 

『今夜は?』

 

「ええ」

 

『待ってるよ』

 

彼は性急な人だから、シャワーを浴びる間もないだろう。

 

チャンミンがいなくて、すうすうした心を埋めるため、私はあの人に会いにいく。

 

あの人から贈られた海外製のボディークリームを、湯上りの肌に塗り広げた。

 

 

 

(つづく)

 

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