(34)TIME

 

 

~チャンミン~

 

 

僕は、シヅクにキスをしていた。

とっさのことで、

当たり前で、自然な行為だった。

あの時は、そうせずにはいられなかった。

気づいたら、僕の唇をシヅクの唇に重ねていた。

僕の全神経は、シヅクの唇の感触に集中していた。

しっとりと、柔らかい。

僕は目を閉じていたから、シヅクの表情は分からない。


今夜の僕は、シヅクの一挙手一投足に、全神経を傾けていた。

僕の言うこと、やることに、直球で返ってくるシヅクの反応が楽しい。

​グラスを持つ細い手首や、短い襟足の髪から伸びる白い首が、僕の胸を締め付ける。

シヅクの目と僕の目が合う度、心臓の鼓動が早くなる。

シヅクが僕に触れると、お腹の底が熱くなる。

ボーイッシュな見かけと乱暴な言葉使いの裏には、彼女の温かい心が隠れている。

「不法侵入」したシヅクに対して、ムカッとしたけど、最初からシヅクを許していた。

怖い顔と言葉に、シヅクがどんな反応を示すのか、見てみたかった。

シヅクの見せる反応全てが、僕をたまらなくさせる。

食事をしながらもずっと、シヅクを見ていた。

彼女に楽しんでもらいたかった。

僕のもてなしのどこかに、「不正解」があったかもしれない。

シヅクなら、大らかに受け止めて、笑いにしてくれる。

シヅクに触れられると、僕の細胞全部が反応する。

くすぐったくて、幸せで、嬉しい、心地よい。

同時に、たまらない気分になる。

​僕から、シヅクに触れたい。

シヅクからじゃなく、「僕から」。

シヅクの耳に触れた時、

僕はギリギリだった。

指が震えるのを抑えて、

金具にひっかかった糸を解きながら、

僕より小さい身体や、細い首を間近で見て、

​「ああ、シヅクは女のひとなんだ」と、強く意識した。

多分...初めてだ。

僕の過去のことはよくわからないし、考えたくないから、​今はそっとしておく。

僕は、とても緊張していた。

焦って、シヅクの耳を傷つけないように、一生懸命だった。

彼女が、絶対に壊したらいけない宝物に見えてきた。

毛糸が外れて解放された、シヅクの赤くなった耳たぶと、

ホッしたシヅクの表情を見たらもう...

我慢できなかった。

気づいたら、シヅクの首を引き寄せて、

彼女にキスしていた。

​[maxbutton id=”3″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

(63)TIME

 

 

~シヅクとセツ~

 

 

「どうしよう!

『マックス』を知ってる人が登場しちゃったよ」

 

「落ち着いて、シヅク。

ここなら彼を知る者なんていないって、判断したのはセンターでしょ。

シヅクの責任じゃないんだよ?」

 

セツはテーブルに伏せたシヅクの肩を叩いた。

 

「センターに報告しましょ。

そして、対策を練りましょ?」

 

「チャンミンをどこか遠くへやろう。

混乱してるみたいだし」

 

「慌てないで。

今の段階なら、人格がバラバラになってしまうようなことにはならないから」

 

「でもさ、段階的に早いじゃん。

雰囲気的に『マックス』と恋愛関係にあった風だったんだよ」

 

「シヅクが心配してるのは、そのユーキとか言う人とチャンミンがどうかなるかもしれないことじゃないの」

 

「......」

 

図星だったシヅクは黙り込む。

 

「シヅク。

チャンミンがユーキを思い出すことなんて、100%あり得ないんだから」

 

「でもさ、記憶ってのは染みついてるものでしょ?

何かの拍子にさ、ユーキさんの側にいるうちに、

ユーキさんの匂いとか感触とかに触れているうちに、

ぽろっと思い出すかもしれないじゃない?」

 

「うーん...あり得なくはないけど。

万が一、思い出したとしても、今のチャンミンは今のチャンミンなんだから。

『今が』確かなのよ。

かつてのチャンミンの『時』は、チャンミンには存在しないのよ」

 

「セツの旦那さんはどんな感じ?」

 

「そうねぇ...。

夫のMは、私と積み上げてきた『時』だけが、確かなもののようよ。

とは言っても、Mは事情を全部知ってるっていうのもあるけど」

 

「でしょ?

...チャンミンに打ち明けた方がいいのかなぁ」

 

「駄目!

シヅクの判断で動いちゃ駄目。

指示を待ちましょう、ね?」

 

「う...」

 

「『マックス』だとか、元彼女にオロオロしてる前に、チャンミンとの確固たる関係を結びなさいよ。

...だって、好きなんでしょ?」

 

「うん...」

 

「元彼女の登場とか、真相を知った瞬間とか、そういうものに直面しても揺らがない関係を作りなさいよ」

 

「私の任務が終わったら、私、どっかに飛ばされるのかなぁ?」

 

「遠距離になるわね。

そうならないかもしれないし」

 

「でもさ、また新しい人の側に張り付くことになるんだよ。

チャンミン...絶対に嫌がるよ」

 

「尚更、今のうちに関係を深めなさいよ。

あなたを見るチャンミンの顔ときたら...。

気付いてなかったでしょ?

熱々の目をしてたのよ」

 

「ホントに?」と、シヅクはここでようやく顔を上げた。

 

「本当よ。

今のチャンミンは、あなたが頼りなんだから、ね?」

 

 


 

 

~チャンミンとシヅク~

 

 

「出ない...」

 

チャンミン宅のチャイムを鳴らしても、応答がない。

 

電話をかけても出ない。

 

(ったく、いつもいつもチャンミンは!

どうせ風呂にでも入ってるんだろう。

タイミングの悪い男だなぁ。

...今夜も裸を拝ませてもらうかな)

 

ニヤリとしたシヅクは、

 

「仕方がないなぁ...。

こいつの出番だ」

 

トートバッグから小型のPCを取り出す。

 

得意の小細工プログラミングで、生体認識キーを軽く突破した。

 

「おーい、チャンミン!

来たぞ!」

 

部屋の中は暗く、洗面所から漏れる灯りだけだった。

 

(やっぱり、風呂か)

 

チャンミンを驚かそうと、洗面所まで抜き足差し足で近づき、

 

「わっ!!」

 

ひょいっと頭だけを突っ込んで、大きな声を出した。

 

「あり?」

 

真っ白で清潔な洗面所は、無人だった。

 

ただ、シャワーを使ったばかりで湯気が立ち込めている。

 

(...ってことは。

チャンミンのやつ...)

 

くっくっくと笑いが込みあげてきた。

 

(私を驚かそうと、どっかに隠れているんだな。

可愛らしいことをしおって。

そうは問屋がおろさないんだな)

 

自分の姿が見られないよう洗面所の照明を落とす。

 

チャンミンの部屋の家具の配置は、だいたい頭に入っている。

 

(ダイニングテーブルはこの辺り...ソファをこう避けて...)

 

チャンミンが隠れているのは寝室だな、と当たりをつけて足音をたてずに...。

 

 

 

「どあっ!!!」

 

シヅクは大きくつんのめる。

 

正面からどすんと、床にたたきつけられる、と覚悟したら、柔らかいものの上に着地した。

 

踏み出したつま先に何かを引っかけてしまったのだ。

 

「!!」

 

身体の下のぐにゃりとしたもの...まさぐると...。

 

「チャンミン!?」

 

シヅクは、床に横たわっていたチャンミンにつまづいたのだった。

 

(どうしよどうしよ!)

 

即行飛び起きて、壁の照明スイッチを点ける。

 

チリひとつない白い床に、チャンミンがくの字になって横たわっていた。

 

「チャンミン!」

 

チャンミンを膝の上に抱き起こす。

 

固くまぶたを落としたチャンミンの頬を、叩く。

 

「こら!

起きろ!」

 

肩をぐらぐらと揺する。

 

「起きろ!!」

 

シャワーを浴びたばかりなのか、濡れた髪から雫がしたたり落ちている。

 

「チャンミン!」

 

(やっぱりユーキさんの登場はショックが強かったか!?)

 

ちょっと痛いかな、と心配するくらい強めに頬を張る。

 

「う...ん...」

 

まぶたが震える。

 

(やった...!)

 

「チャンミン!」

 

「ん...」

 

「おネンネする時間はまだ早いぞ!

起きろって!」

 

ぱちり、とまぶたが開く。

 

チャンミンは、まばたきを繰り返す。

 

しばらく視線を彷徨わせていたが、シヅクの腕の中の頭を持ち上げると...。

 

「あ...れ?

シヅク?」

 

と、うつろな眼でシヅクを見上げた。

 

「ど...したの?」

 

「......」

 

天井の照明がまぶしいのか、目を細めた。

 

「まぶし...」

 

 

「ど...ど...ど...

『どうした?』じゃねーよ!!」

 

きょとんとしたチャンミンの様子に、パニック状態だったシヅクの緊張は解け、代わりに怒りが湧いてきた。

 

「馬鹿たれ!!!

どんだけ心配したと思ってんだ!?」

 

「あ...れ?

僕...」

 

チャンミンは半身を起こして、周囲を見渡し、倒れた拍子に打った頭をさする。

 

状況把握に時間がかかっているようだ。

 

「チャンミンの馬鹿やろう!!」

 

「...シヅク?」

 

シヅクの顔がくしゃくしゃにゆがみ始めた。

 

「心配したんだよ?

てっきりかくれんぼしてるかと思ってて...。

っく...。

そしたら、床に転がってるじゃん。

つまづいじゃったよ。

...っく。

死んじゃったんかと思ったんだぞ?」

 

「...シヅク」

 

 

 

「うわーん」

 

シヅクが天井を仰いで泣き出した。

 

「シヅク...」

 

チャンミンは、大泣きするシヅクをどうすればいいか分からず、数秒ほど見つめていたが、

 

「泣かないで。

シヅク...」

 

チャンミンは腕を伸ばすと、シヅクの頭を引き寄せた。

 

「シヅク?」

 

「うわーん」

 

チャンミンの胸を、シヅクの涙が濡らす。

 

(こんなシチュエーション、前にもあったな。

僕が風邪をひいて仕事を休んだ日の夜だ。

僕を心配して「不法侵入」してきたシヅクが、今みたいに泣いていた)

 

チャンミンはシヅクの髪を撫ぜる。

 

背中にまわされたシヅクの腕に力がこもる。

 

(あの時の僕はどうしたらいいか分からなくて、戸惑ってた)

 

手の平の下のシヅクの頭が小さくて、ショートヘアの黒髪が柔らかくて、チャンミンの心に温かいものが灯る。

 

(シヅクが僕を頼ってくれている)

 

チャンミンはシヅクの髪を撫ぜる。

 

泣いているせいで、手の平に伝わるシヅクの体温が高かった。

 

「心配かけて...ごめんな?」

 

「ふう...」

 

ひとしきり泣いたシヅクは、むくりと顔を起こした。

 

(よかった...泣き止んだ)

 

チャンミンはほっと息を吐く。

 

 

「...チャンミン」

 

「ん?」

 

「あんたさ...服を着なって」

 

「わあ!!!」

 

「裸になるのは、もうちょっと後にしな」

 

「......」

 

「まずは酒でも飲もうか」

 

 

 

[maxbutton id=”5″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

[maxbutton id=”7″ ]

 

(65)TIME

 

 

~チャンミン~

 

シヅクはバスルームで、僕はひとりリビングに残された。

 

シャワーを浴びたばかりなのに脇の下は汗で濡れていて、立てた片膝に額をぎゅっと押し当てた。

 

倒れていたところを、シヅクに発見された。

 

なぜ意識を失うことになってしまったのか、僕の身体内でどんな異常が起きたのかは分からないけれど、ずんと脳みそが揺れる感覚に襲われた。

 

 

僕の部屋を訪ねてくる前に入浴を済ませて、洗面所を出たところだった。

 

照明を消した室内は真っ暗で、リビングの窓から夜景がのぞめる。

 

洗面所の照明を背後に、僕のシルエットがくっきりと窓ガラスに映っていた。

 

オレンジ色の灯りに、黒い僕の影。

 

オレンジと黒のコントラスト。

 

オレンジ色の炎と黒い影。

 

ぽたぽたと湯上りの肌を滴り落ちる水。

 

ちゃぷちゃぷと僕の肩を濡らす液体。

 

熱くて仕方がないのに、僕をびしょ濡れにするそれは冷たくて気持ちよかった。

 

巨大なもので腰を挟まれて身動きがとれない。

 

おかしいな...僕は今、洗面所の入り口に立っていたはずなのに。

 

「チャンミン!」

 

振り絞るような必死の声。

 

僕のこめかみから生温かいものが首につたっていて、確かめたわけじゃないがそれが血だと知っていた。

 

伸ばした手の平は、砂利交じりの土か。

 

僕の指に絡まる細い指は、僕を呼ぶ声の主で顔は見えない。

 

高い声は、女の人のものだ。

 

オレンジ色の光がまばゆ過ぎるせいなのか、顔面が黒く塗りつぶされている。

 

肩幅や、首から肩へのシルエットから判断しても、やっぱり女の人だ。

 

「チャンミン!」

 

この人は、何度も僕の名前を呼んでいる。

 

誰だ...この人は?

 

「チャンミン...もうすぐだからね。

もうちょっと、頑張って」

 

「頑張る?」

 

頑張るって、何を?

 

動かせるのは肩から上で、その下は何か巨大なものが僕を押しつぶしていて身動きがとれない。

 

腰から下の感覚がない。

 

「チャンミン!」

 

その人はまた、僕の名前を呼んだ。

 

頭を持ち上げているのが、いよいよ辛くなってきて地面に片頬を落とした。

 

目に入る血が視界を妨げて、拭いたくても出来ず、まばたきを繰り返した。

 

「チャンミン!

こっちを見て!」

 

渾身の力を振り絞って、頭を持ち上げた。

 

彼女は僕の手を握りしめたけど、握り返す力が僕にはもう、ない。

 

指先だけで、彼女の手の平をくすぐるのが精いっぱい。

 

「キリ」

 

僕は呼んでいた。

 

「目をつむっちゃ駄目。

こっちを見て」

 

「...キリ」

 

キリ...?

 

僕の名前を何度も呼んだ。

 

感覚を失いかけた僕の手を、握りしめる彼女の手。

 

キリって...誰だ?

 

この直後だ、闇にもの凄い力で引きずり下ろされたかのように、感覚が失われた。

 

その後、目覚めたら、シヅクの膝の上にいた。

 

頭蓋骨の内側がズキズキとえぐるように、痛い。

 

僕は立ちあがった。

 

頭は痛いは、不快な夢は見るは、意識を失うは。

 

僕はどんどん記憶を失っていっているらしいから、夢の内容が実は現実のことだったら...どうしよう!

 

夢にしては、リアルで生々しかった。

 

夢の中で、架空の人の名前をでっちあげるものだろうか?

 

こめかみ上の生え際を指で探ってみたが、傷跡らしいものはない。

 

僕を呼んだあの女の人は、過去に会ったことがある人だったらどうしよう。

 

キリ...なんて、知らないよ。

 

もっと重要なことに思い至る。

 

何か巨大なものに下敷きになったらしい僕に、叫ぶように名前を呼んでいた彼女...キリ。

 

シヅクと水攻めになって、閉じ込められた時に、うとうとしていた僕は夢をみていた。

 

断片的なものだったけれど、果汁滴る僕の腕をぺろりと舐めていた女の人。

 

彼女と、さっき見た夢の中に登場した「キリ」と、同一人物だ。

 

僕の腕を舐めていた女の人の顔はぼんやりとしていて、判別できなかったが、キリという女の人だと、なぜか確信していた。

 

「あ...!」

 

もうひとつ発見したことがある。

 

あれはいつのことだっけ、降り積もった落ち葉を誰かと一緒に、踏みしめながら歩いていた。

 

落ち葉を踏む、かさかさいう音がリアルだった。

 

あの夢でも、僕の隣を歩く人物の顔は分からなかった。

 

そうであっても、その人も「キリ」に間違いないと分かった。

 

この確信は勘違いなんかじゃない。

 

夢に登場した3人の女性は、「キリ」だ。

 

キリとの関係性は恐らく...いや、確実に、どう考えても、「恋人同士」のような雰囲気だった。

 

単に僕が覚えていないだけのことかもしれない。

 

はっと意識にのぼってきたこの発見に、僕の心は衝撃を受けた。

 

マックスだの、ユーキだの、キリだの...次々と登場してくる僕の知らない人たち。

 

僕を混乱に陥れる彼らに、腹がたってきた。

 

なぜって、僕は覚えていないから。

 

マックスとユーキに関しては、夢にも出てこないし、全く思い出せない2人だ。

 

もっと混乱するのは、マックスと僕が同一人物かもしれないということ。

 

これ以上、考えるのはよそう。

 

頭痛が始まってきたようだから。

 

「さむっ」

 

身体が冷えてきて、そういえば着替えがまだだったと、今さら気付いた。

 

「はあ...」

 

シヅクに何度、真っ裸を見られたことか...。

 

見せるものは全部見られてしまった、ってことか。

 

キッチンカウンターに常備している、頭痛薬を水なしで飲み込んだ。

 

寝室のクローゼットから着替えを出して、Tシャツを頭からかぶったとき...。

 

ベッドが目に入った。

 

今朝、ベッドメイクしたそこは、真っ白なシーツと布団カバーでしわひとつなく整えられている。

 

ベッドは2人分、ゆうに横たわれるダブルサイズだ。

 

「......」

 

それから、入浴中のシヅクを意識した。

 

ちょっと待て...ぼんやりしていたけど、つまり、その...。

 

僕が置かれている状況とは、その、つまり、えっと...。

 

つまり、そういうことだ。

 

困ったな。

 

僕が覚えていないだけで多分、最低2人の女性と恋人関係にあったらしい僕は、全くの未経験ではないらしい。

 

ところが、そういう行為の手順というか、どういう流れですすむのかとか、さらには「そういうこと」をした時の感覚が、僕の頭には残っていないのだ。

 

ベッドに腰掛けて、僕は頭を抱えた。

 

僕はシヅクに触れたい欲に突き動かされて、これまでに何度かシヅクを押し倒してしまっていた。

 

自分があそこまで情熱的な男だとは、意外だった。

 

自分のことなのに、シヅクに制されてから、性急さにハッとなっていたのだ。

 

流れに任せていれば、それなりになんとかなればいいんだけど...。

 

髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

 

「チャンミン...?」

 

寝室の戸口に、パジャマを着たシヅクが立っていた。

 

僕が悶々と頭を悩ませているうちに、入浴を終えていたんだ。

 

右ひざを曲げているから、義足を外しているんだ。

 

立ちあがった僕はシヅクに近づくと、彼女を肩の上に担ぎ上げた。

 

「こら!

一人で歩ける!

私は荷物じゃないんだぞ!」

 

胸の位置で抱きかかえるのは、なんだか気恥ずかしかった。

 

「わっ!」

 

シヅクったら半身を起こすものだから、バランスを崩してしまう。

 

そして、彼女をベッドの上に、投げるように落としてしまった。

 

僕に背負い投げされたシヅクは、ごろんと一回転して着地した。

 

「あのなー!

荷物じゃないって言ってるだろうが!?」

 

「シヅクが暴れるからだよ」

 

「......」

 

立ったままなのは変だよな、とシヅクの正面に胡坐をかいて座った。

 

「......」

 

「なあ。

チャンミン、もしかしてめちゃめちゃ緊張してたりする?」

 

僕を覗き込むシヅクの目が三日月型になってるから、明らかに僕をからかってる。

 

「うるさいなぁ。

そう言うシヅクこそ、どうなんだよ?」

 

メイクを落としたシヅクは、きつめに引いたアイラインもなく、幼く優しい面立ちになっていた。

 

洗いっぱなしのシヅクの短い髪が、あっちこっちにはねていて、純粋に可愛い、と思った。

 

「明るいのは恥ずかしいな。

電気を消してくれない?」

 

寝室の中をキョロキョロ見回すシヅクの声も、上ずっているからきっと、彼女も緊張しているんだ。

 

「う、うん」

 

ベッドサイドのパネルを操作して、互いの輪郭と表情がぎりぎり分かる程度まで照明をしぼった。

 

参ったなぁ...ドキドキする。

 

僕とシヅクが急接近してから一か月ほど。

 

シヅクとこんな風になるなんて、思いもよらなかった。

 

僕の太ももに、シヅクの手が乗せられた。

 

シヅクの顔がすっと、近づいた。

 

僕と同じ香りがする。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”5″ ]

[maxbutton id=”27″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

(64)TIME

 

~シヅク~

 

 

「...体調は...もう平気なのか?」

 

「ん?」

 

「ほら、具合が悪そうだったから...事務所で...」

 

口いっぱいに頬張ったスナック菓子をビールで流し込み、「ああ!あれね」と答えた。

 

他人への関心が低いあのチャンミンが、私の不調を察するとは成長したものだ、と感心した。

 

焚火の炎を見てフラッシュバックに襲われた。

 

意識が遠のきぶっ倒れてしまったとは、チャンミンを心配させてしまうから言えない。

 

加えて、「どうして火が怖い?」の質問に答えられないから言えない。

 

私の右足...くるぶしから下の義足の理由...子供の頃に遭った事故のことについては、先日チャンミンに説明した。

 

具体的な説明は、今のチャンミンには出来ない。

 

今夜、心配していたのは私の方だった。

 

めらめらと揺れる炎にチャンミンが恐怖するのを想定して、セツに来てもらった。

 

それとなく注意を払っていたのに、呑気に飯を食べる姿に安心した。

 

意外に神経が太い奴なのかもしれない。

 

私の方がダウンするなんて!

 

「気分が悪かっただけ。

復活したよ。

じゃなきゃ今、バクバク食べてないだろう?」

 

「確かに...。

丸一日餌をもらえていなかった犬みたい」

 

「おい!」

 

ポップコーンをチャンミンに投げつけた。

 

私を皮肉る言葉がレベルアップしてきてるのが、小憎たらしい。

 

「はははっ。

どう?もう1本飲む?

取って来るよ」

 

額に当たって落ちたポップコーンを口に放り込むと、チャンミンは立ちあがった。

 

「いや、もういらない。

そんなことより...」

 

私はチャンミンのスウェットパンツの裾を引っ張り、座るように促した。

 

「あんたの方こそもう大丈夫なわけ?

ぶっ倒れてたじゃん」

 

ごろりと横たわったチャンミンの姿を思い出すと、今でもぞっとする。

 

ユーキさんの登場やら、その時はなんともなくても焚火は ショックが大きくて時間差でガツンときたんだ。

 

負荷がかかり過ぎて、頭のネジが吹っ飛んでしまったのでは?、と。

 

「う...ん。

前も話したけど、頭の中がぐらぐらするんだ。

ぐらぐら、というか、ぐちゃぐちゃになるんだ」

 

そうだろうね、と心の中で相槌を打つ。

 

「僕の頭は問題だらけだ。

覚えていない。

まるで僕には過去がなかったみたいに。

忘れていってるんだと思う。

そこに、ユーキさんとかいう女の人が出てきて...僕のことを知っているって。

ねぇ、シヅク」

 

チャンミンは胡坐を崩すと、身を乗り出してきた。

 

「本当に僕は、知らないんだ、あんな人。

僕に抱きついてくるし...触って欲しくないのに...!」

 

四つん這いで私の正面に近づいたチャンミンは、私の手を両手で包んだ。

 

「僕が覚えていないだけで、あの女の人と何かがあったってことだろう?

だって、泣いてた。

僕のことを『マックス』だって言い張っていた。

...僕とそっくりな人、といえば、『双子』しか思いつかない。

でも、僕には『双子』の兄弟っていたっけ?って。

そこで気付いたんだ」

 

チャンミンの苦し気にゆがんだ顔。

 

「ぞっとした。

僕は...僕の家族。

分からない。

父も母も、妹や兄がいるのかどうかも...思いつかないんだ」

 

私はチャンミンのうなじを引き寄せて、小刻みに震える背中をさする。

 

「僕は...誰、なんだ?

忘れているだけなのかな?

...非現実的な考えも思いついた。

ある日突然、ぽんとこの世に送りだされた人間なのかな、って。

ほら、クローン人間ってあるだろ?」

 

むすりと無表情の下で、賢いチャンミンの頭は不安を増幅させ、ありとあらゆる可能性を思考していたのだろう。

 

「クローン、じゃないよ」

 

苦しむチャンミンの為に、わずかな救いにしかならないだろうけど、真実のひとつだけを差し出してやった。

 

「どうしてそう言い切れるのさ?」

 

「もしクローンだったらさ、チャンミンみたいに性格がひねくれた人間にしないだろ?

口は悪いし、人付き合いも下手だし。

頭痛がするとかさ、ぶっ倒れる時もあるとかさ。

問題ありまくりじゃん」

 

「...シヅク」

 

チャンミンのじとっとした睨み目に、「しまった!」と焦る。

 

「...それって、悪口だろ?」

 

「嘘うそ!

チャンミンは優しいよ、とっても」

 

「ホントに?」

 

私の言葉に、たちまち機嫌を直して笑顔になるチャンミンが、可愛いと思った。

 

長い脚を窮屈そうに折って、大きな背中を丸めて私の肩におでこをつけてすがるくせに。

 

よしよし、といった風に頭を撫ぜたら、「子供扱いするな」って私の手を払いのける。

 

やれやれ、面倒くさい男だ。

 

「あの女の人みたいに、昔の僕を知っている人が次々と現れたらどうしよう。

頭の中がぐちゃぐちゃになる」

 

「あり得るね」と心の中で答える。

 

「もし、僕の家族と会う時があったとしても、僕は分からないんだ」

 

「......」

 

「でもね、僕が怖いのはもっと別なことなんだ」

 

真顔のチャンミンが、私と真っ直ぐ目を合わせてくる。

 

綺麗な顔をしている、とあらためて見惚れた。

 

「シヅクだけだ。

僕の中で、はっきりしている存在は、シヅクだけなんだよ」

 

「チャンミン...」

 

「もし、今この瞬間も、1秒ずつ記憶が消えていってしまっているとしたら、

シヅクのことも忘れていくってことだろ?

僕の裸を覗き見したシヅクとか、僕を見舞ってくれたとか、不法侵入の犯罪を犯したとか」

 

「おい!」

 

「閉じ込められたことや...それから、えっと...恥ずかしくて言えないこととかも...」

 

最後の部分は消え入るように言って、チャンミンは握ったままの私の手を上下に振った。

 

いつもの私だったら、「恥ずかしくて言えないことって、なあに?」とからかうところだけど、出来るはずがない。

 

チャンミンは真剣だった。

 

チャンミンは、私に伝えたいことがあって一生懸命なんだ。

 

自身の心情を、誰かに告白できるようになったんだから。

 

「忘れないよ、大丈夫。

チャンミンは賢いから、私とのことはしっかりインプットされたままだ。

おいおい、チャンミ~ン。

泣くなよ。

泣き虫だなぁ」

 

チャンミンの頭をくしゃくしゃと、撫ぜてやる。

 

「うんっ...シヅクといると僕は泣き虫になるんだ」

 

潤んだ目を半月型にさせた、笑顔の泣きっ面。

 

乱れて前髪が立ち上がり、濃い眉毛が下がっている。

 

スウェットパンツの裾からのぞくくるぶしと大きな裸足。

 

「あんたのお世話は私がしてやるから、心配しなくてよろし。

さささ、酒の続きを飲もうではないか。

今夜はあんたんちに泊まるんだから、夜通し酒盛りができるぞ」

 

ロマンティックな雰囲気になるのがちょっと怖くて、誤魔化すように新しいワインを開封した。

 

 

「どわっ!?」

 

とび掛かったチャンミンによって、気付けば私は仰向けに押し倒されていた。

 

手にしていたワインボトルをごとんと倒してしまい、とくとくと床に中身がこぼれていく。

 

待て待て待て待て!

 

いきなり押し倒すのかよ。

 

甘いムードとか、全部すっ飛ばすのかよ?

 

チャンミン、あんたの動きは予測がつかない。

 

顔の両脇に両手をついて、チャンミンは私を見下ろしていた。

 

「...チャンミン」

 

チャンミンの眼がマジだ。

 

男の眼になっている。

 

「床でか!?」

 

心の準備、ってのが必要なんだ。

 

私の上で四つん這いになったチャンミンの下の方に、そっと視線を移動させた。

 

たるんだスウェット生地で、分からない。

 

こら!

 

何を確認しようとしてるんだ?

 

「んぐっ」

 

チャンミンに唇を塞がれて、予感はしていたけど強引な動きに、一瞬身体が強張った。

 

セツの言葉を思い出した。

 

『真実を知っても揺るがないくらいの関係を、今のうちに築きなさい』みたいな内容だったっけ?

 

腹を決めるしかないな。

 

...とは言え...床の上はなぁ。

 

チャンミンは顔の角度を変えて、私の唇をこじあけにかかる。

 

「っん...んー」

 

相変わらずキスがうまくて、頭の芯がくらくらする。

 

私の両頬を挟んだチャンミンの力が強い。

 

「布団の上に移動...しよう」

 

「......」

 

駄目だ、聞こえていない。

 

「で、きれば、風呂に...入ってからにしたい...」

 

「......」

 

「チャン...ミン...!」

 

私は両脚を持ち上げて、チャンミンの腰に当てて突っ張った。

 

「タンマだ、タンマ!!」

 

チャンミンは尻もちついて、茫然といった表情だ。

 

「あのなー。

私にだって理想の流れってのがあるんだ。

ヤリたい盛りかもしれんが、ちょっと我慢しろ」

 

「...ごめん、思わず」

 

濡れた唇を手の甲で拭った。

 

相手が私じゃなきゃ、ドン引きされるガッつき方だった。

 

「あんたの意気込みは十分伝わってるよ。

いちお、私にも準備ってのがあるから、風呂に入らせてくれ」

 

「......」

 

浴室にいきかけた私は、ニヤニヤ顔でくるりと振り向いた。

 

「覗くなよ」

 

「!」

 

「風呂場で『初めて』はなぁ...。

やっぱベッドの上がいいからなぁ」

 

「なっ!?」

 

かーっとチャンミンの顔が真っ赤になった。

 

頭のてっぺんから湯気が出そうなくらいに。

 

「裸になって、ベッドで待ってろよ、な?」

 

「......」

 

 

洗面所の鍵をかけて、着ているものを脱いだ。

 

「はぁ...」

 

あの様子じゃ...激しいのかな?

 

大丈夫かな、私。

 

 

[maxbutton id=”5″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

(62)TIME

 

 

~ユーキ~

 

日差しは皮膚を焦がすほど強く、加えて常に皮膚の上に水分の膜が張ったかのようで、不快なところ。

 

吸い込む空気が、沸騰するヤカンの湯気のようなところだった。

 

30歳だった私は、未だ「自分探し」の旅の途中で、その国に滞在し始めて半年が経った時にマックスと出会った。

 

精悍で、精悍な顔と引き締まった身体は日に焼けていて、笑顔が10代のように幼くなる24歳の男の子だった。

 

出会ってすぐに身体を重ね、その相性のよさに顔を合わせれば磁石のN極とS極みたいに、始終抱き合っていた。

 

20代前半の若者らしくマックスはどん欲に私を求め、物騒な地域だったため、5重にかけた鍵に閉じこもってのセックスに明け暮れた日々だった。

 

「俺たち...溶けてしまいそうだ」

 

汗まみれの顔で、白い歯を見せて笑っていた。

 

故郷にいる両親と弟には、『運命の人と、とうとう出会ってしまった』と惚気たメッセージを送った。

 

もっとも彼らは、「はいはい。またか」と呆れていたと思う。

 

マックスと離れがたくて滞在期間を無期延期した。

 

恋にうつつを抜かすだけで終わらせるのも惜しくて、本来の目的である『美容に効く』ものを求めて、ごたごたした地元マーケット内を探し歩いた。

 

デトックス効果のある泥があると聞きつけ、地元民に灰色に濁ったその沼に案内してもらった。

 

採取した泥を、自身の肌に塗りたくってはその効果を確かめていた。

 

いつか、世界中から集めた珍しいもの...泥や薬草、鉱石、マッサージ術...を使った施術を提供するサロンを開くことが夢だったのだ。

 

バスルームで、裸のマックスの背中に真っ黒なその泥を塗り広げ、手の平で感じる筋肉のくぼみにうっとりとしていた。

 

その泥が乾く前に、タイルの上で上になり下になりと、二人とも全身真っ黒になってしまったのだけれど。

 

マックスは画家だった。

 

ベッドに横たわった私を...透けた薄布のドレスをまとった私を、全裸になった私を...モデルに精力的に描いた。

 

デジタル画が当たり前の世の中で肉筆の絵画は珍しい。

 

マックスは余裕ある生活を送っていたから、おそらく「売れて」いたのだろう。

 

裕福な生まれだとも聞いていたから、労働の必要のない身分でもあった。

 

ただ、家族の話になると、途端にマックスの口調は重くなる。

 

研究所の所長だという変わり者の父親と、神経質で心配性な母親、兄はいたが亡くなって今はいない、と話していた。

 

「俺の身の上話はもういいよ。

それよりも、ユキ(私の名前はユーキだが、マックスはユキと呼んでいた)の話を聞かせて」

 

キャンバスに向かうマックスに、私はこれまでの旅暮らしの苦労話や、年の離れた弟カイの面白エピソードを語った。

 

マックスから指輪を贈られたあの頃、彼は大作に取り組んでいた。

 

2メートルくらいはあっただろうか。

 

後ろ立ちした白いユニコーンにまたがった女神の...女神は私だ...絵を描いていた。

 

ブラインドから差し込む熱帯の光が、シーツの上に縞模様を作り、私の薬指を飾るその石がちかちかと輝いていて。

 

幸福に満ちた日々だった。

 

短く刈った髪、白いタンクトップ、絵の具で汚れた指...時おり振り返って見せる笑顔。

 

私はマックスを心底愛していた。

 

最後にキャンバスの右下に『Changmin』とサインをして、作品は完成を迎える。

 

マックスは雅号として、『チャンミン』を名乗っていた。

 

「どうして『チャンミン』なの?」

 

と尋ねたら、「響きがいいだろ?」と答えたから、「ふうん」と言ってそれ以上追求しなかった。

 

常に真夏の国で、マックスがいなくなってしまったあの日の季節は分からない。

 

その日、完成したばかりの作品の搬送の打ち合わせに行くと言って朝早くでかけたマックス。

 

ユニコーンの作品を故郷の父親の元に送るとか言っていた。

 

「なんだかんだ言って、家族想いなのね」と言って、マックスを見送った。

 

そして、そのまま帰らなかった。

 

待てど暮らせど帰ってこなかった。

 

始終、過激な小競り合いのある地域だったから、何かの抗争に巻き込まれたのか。

 

その日も大規模なビルの爆破事件があって死者がでたと聞きつけ、止めにかかる声を無視して瓦礫の山を探し回った。

 

マックスの身体は見つからない。

 

私を捨てて、この地を去ってしまったのだと結論づけ、絶望した。

 

廃人のようになってしまった私は、故郷から弟カイを呼び寄せた。

 

カイはまだ19歳なのに冷静で、私とマックスとの思い出の品を容赦なく、淡々と処分してくれた。

 

唯一捨てられなかったもの...マックスから贈られた指輪だけが、今も私の手元にある。

 

 

 

 

あれから5年。

 

その間、別の恋を1つ経験し、破綻して疲労だけが残って、不思議なことに寂しさを感じないことに驚いた。

 

息がとまるほど打ちのめされた、マックスとの失恋のインパクトが強すぎたせいだ。

 

マックスと過ごした日々はわずか1年ほどだったけれど、マックスという泥沼に深く沈みこんでしまった私は、未だに抜け出せずにいるんだ。

 

カイに招待されていった『落ち葉焚き』だとかいうパーティ。

 

カイの部屋で怠惰な生活を送っていて、うっかり寝坊してしまって、慌てて駆けつけた。

 

カイの職場である建物はとても古びていて、手動のエントランスドアが珍しかった。

 

建物の中に入ったことで寒さでこわばっていた身体が、ホッと緩んだのもつかぬ間...。

 

息が止まるかと思った。

 

背が高くて、痩せていて...。

 

頭の形、肩のライン...全部、記憶にある通り。

 

驚いた時の丸い目や、不貞腐れたような唇の形も、記憶にある通り。

 

短かった髪が伸びて、狭い額を覆っていた。

 

別れた時よりも5年の時を重ねた顔...頬と顎が引き締まっていた。

 

「...マックス...!」

 

ところが彼はきょとん、とした顔をしていて、私を前にしてもこれっぽちも、目の色を変えなかった。

 

「マックス」と呼んでも、全くの無表情だった。

 

たまらなくって、身を投げ出すように「マックス」に抱きついた。

 

でも、背中に腕はまわされない。

 

私が一方的に、「マックス」を抱きしめるだけで、悲しかった。

 

彼は「違います」を繰り返していた。

 

当時の鋭い眼光は消えていて、大人しく穏やかな目をしていた。

 

忘れたふりをしているのか、本当に忘れてしまったのか。

 

どちらかというと、後者の方だと思った。

 

ニットの胸から香る匂いも同じなのに。

 

私を拒絶する言葉と当惑した顔がショックだった。

 

悲しかった。

 

南国まで駆けつけたカイに、マックスの写真を見せていればよかった。

 

私の記憶が確かなものだと、証人になってくれたのに。

 

カイに写真を見せなかったのは、「へぇ、かっこいい人だね。モテるだろうなぁ」って褒めるに違いなかったから。

 

褒めるんじゃなくて、「酷い男だね。不細工だし。こんな男別れて正解」って、同調して欲しかったから。

 

彼は『マックス』で間違いない。

 

だって、彼の名前が『チャンミン』だったから。

 

 

[maxbutton id=”5″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

[maxbutton id=”16″ ]