(51)麗しの下宿人

 

控えめなノック音の後、ドアの隙間からユノが顔を出した。

 

「チャミ、帰ろうか?

バイトの時間が迫ってる」

「う、うん」

 

ユノは多忙な日々の隙間にできる時間を、僕の通院に充ててくれている。

今日の診察はここでおしまい。

残念だけれど、番の話は尻切れトンボになってしまった。

 

 

「悪かったな、急がせて」

「ううん。

いつもありがとう」

 

雲の濃さを見る限り、夜までに雨が降り出しそうな空模様だった。

間もなく衣替えの頃なのに、ジャケットを着ていても肌寒かった。

ユノは空を見上げて、「あと15分、てところかな」とつぶやいた。

 

「雨が降りそうってこと?」

「ああ。

雨が降り出しそうな匂いする」

「凄い。

分かるんだ」

「俺は鼻がいい、って言っただろ?」

「匂いなんてあるの?」

ユノの鼻先はつんと尖っている。

どんな匂いも嗅ぎ取ってやるぞと主張した、大きな鼻の穴をしているわけではないのが不思議だ。

アルファは鋭敏な感覚を持っていても、造形は無駄なものがない。

耳がよいからと言って、団扇を思わせる耳の持ち主ではない。

 

「ああ」

「どんな匂い?」

アスファルトから埃っぽい匂いが立ち昇った。

雨が降り出したのだ。

 

「ユノちゃん、凄い!

ほんとに降ってきた」

「走るぞ」

「うん」

僕は首に巻いていたタオルを、頬かむりのように頭からかぶった。

恥ずかしいも何もない。

多くの人たちが僕らと同様、駆け足で駅に吸い込まれていった。

 

 

車内は蒸していた。

乗客たちの濡れた身体から立ち昇るもので、窓ガラスは白く曇っていた。

僕は膝の上で、処方薬の入ったデイパックを抱えていた。

 

ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 

誰が耳をそばだてているか知れないから、診察室で交わされた内容振り返るわけにもいかない。

近況報告は行きの車内で吐き出し尽くしていて、僕らはそれぞれ物思いにふけりながら電車に揺れていた。

 

それくらいユノとの接点が減っていた今日この頃だった。

ユノは僕を守ると言ってくれたけれど、実際のところ、彼に守ってもらう機会も減っていたのだ。

平日の昼間はオメガ専門学校に護られている。

僕は出不精だから、休日はほとんど外出しない。

 

ひとつ不満なのは、図書館に行きにくいことくらい。

でも学校には何千冊もの書籍が揃っているから、不都合はなかった。

アルファやオメガ関連のコーナーも作られている。

貸出中のものが多いあたり、授業で得る以上の知識を欲している生徒たちが多い証拠だ。

とはいえ、世の人々に知られていないということは、それだけオメガに関するレポートが少ないということだ。

 

(そっか!)

 

今更ながら気づいた僕は馬鹿だ。

あそこなら、『番』について書かれた本があるはずだ。

英文すらまともに読めない僕には無理そうな論文も、辞書をひきながら理解できるかもしれない

次の授業まで待ちきれない。

明日、図書館に行ってみようと思った。

 

 

ユノの隣に座ったお姉さんは、彼のカッコよさにどぎまぎして、身を固くしているのがよ~く分かった。

寝不足気味のユノは眠そうで、目がとろんとしている。

 

「ユノちゃん、寝てていいよ。

駅に着いたら教えたげる」

頭をもたげかけたユノの腕をつついた。

 

「ごめん。

うとうとしてた。

そういうわけにはいかないよ」

と言って、ユノは立ち上がった。

 

隣のお姉さんが残念そうな表情をしていたのも見逃さなかった。

最寄り駅まであと3駅となった時、数人が降車し、十数人が乗車してきた。

混雑度がさらに上がった。

充満した香水や汗、タバコやホコリ...ごったまぜになった匂いで気分が悪くなりそうで、僕はタオルに鼻を埋めていた。

空間を求めて乗客たちが車内の中ほどまでなだれこんできた為、僕の両膝は彼の長い足の間に割り込んだ格好になった。

僕は両膝を広げて彼のふくらはぎを押し広げてみたり、彼の膝をくすぐってみたり、いたずらした。

ユノは何でもない表情を装っているけど、必死で笑うのをこらえているから面白かった。

僕も笑い出すのを我慢していた。

 

降りるべき駅まであと2駅となった時、混雑度がもっと上がった。

僕のいたずらに弓型に細めていたユノの眼が、カッと見開かれた。

 

「!」

そして勢いよく、背後を振り返ったのだ。

 

「どうしたの?」

ユノは僕の手首をつかむと、座席から引きはがすように立ち上がらせた。

「えっ?

ユノちゃん?」

 

密集した乗客たちをかき分け、ドアの側まで半ば引きずるように引っ張っていった。

まさに連行、の言葉そのものだった。

僕らに押しのけられた者たちは、不快な表情を見せていた。

ユノは僕をドア側にひっくり返すと、背後から覆いかぶさった。

彼とドアに挟まれて、押しつぶされそうだった。

 

「何?

何?

重いよ、ユノちゃん!

どうしたの?」

 

ユノの急変に追いつけなくて、彼の下から抜け出ようと身じろぎしたところ、

「俺から離れるな」

と鋭い口調で制された。

 

「どうしたの?」

 

ユノは僕の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「いる。

アルファだ」

「!!」

「アルファがこの車両にいる!」

 

(つづく)

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(50)麗しの下宿人

 

※当作品はオメガバース設定です

 

「次の診察は来月ですね。

今日から処方内容が変わりましたから、慣れるまで気分が悪いかもしれない」

 

医師は処方箋を僕に手渡しながら言った

 

「今回の内診ではこれといった変化は見られなかったけれど、微熱が続くとか、お尻から何かが出るとか変わったことがあれば、どんな小さなことでも教えてね」

「はい」

「ユノさん、チャンミン君の付き添いご苦労様。

...貴方も“いろいろ”と大変でしょう」

と、医師に労われたユノは苦笑した。

「まあ...そうですね」

 

授業で教師が言っていたように、アルファのユノにとって僕の側にいることはやはり、辛いのか

僕の香りが強い時期は距離を取ったり、お互い服薬を続けていたり、アルファ除けになる煙だとか、僕らなりに気をつけて生活をしているつもりだった。

 

「平気?」

「まあまあ、です」

 

ユノみたいな強い人は弱音を吐かないはずなのに、弱気な彼の言葉に驚いた。

僕の傍に居ることは試練に近いらしい。

悲しくなった。

 

「強がりを言っているのではなく?

正直に教えてください。

私は貴方を責めません」

意思はユノの言葉を鵜呑みにできないぞとばかり、彼の顔をじぃっと見据えていた。

 

「貴方のやせ我慢が、チャンミン君の安全にかかわることなのよ」

「そうですね」

 

僕は2人のやりとりをハラハラしながら聞くしかなかった。

ユノに頑張ってもらわないと、僕が困る。

だって、ユノがギブアップしてしまったら、彼が下宿屋を去るか僕は学生寮に入る

13歳だから許されるわがままだ。

僕はユノが何と答えるのかを、息を詰めて待った。

 

「...でも、俺は貫きとおしますよ。

チャミの属性変化を目の当たりにしたのは俺です。

俺がアルファであるばかりに、チャミに不自由な思いをさせたくない。

本来なら、俺がチャミんちを出るのが最適なんでしょうけどね」

 

医師は相槌を打ちながら、ユノの話を聞いている。

 

「チャミを護れる人は、俺を除いて他にいません。

なんせ、母親がオメガなのですから」

「その通りね」

 

そんな重たい覚悟を持って、僕んちの下宿屋に住み続けていたのか

2人だけの時には聞かされることがない、ユノの気持ち。

診察室の中ならば、医師を前に嘘はつけない。

ユノの言葉は本物だと確信した。

 

「俺自身がチャミを傷つけることはありません。

約束します」

「その言葉を聞けて安心したわ」

 

医師の肩の力が抜けた。

彼女自身も緊張していたのだろう。

 

「今の会話は聞かせたくない内容だけど、チャンミン君に自覚してもらいたいと思って、敢えて聞いてもらったのよ」

「うん」

 

ユノは医師に頭を下げると、「帰ろうか」と診察室のドアを開けた。

 

「ユノちゃん、先行ってて」

「え?」

僕はユノの背中を押して診察室から追い出すと、ドアをぴしゃりと閉めた。

「オーケー。

待合室にいるよ」

 

ドアの向こうからユノの気配が消えたのを確認した。

 

「先生に聞きたいことがあります。

悩み事があったら何でも相談にのる、って言ってましたよね?」

「そうよ。

チャンミン君はいい子過ぎて、何も言わないんだもの。

遠慮しているのかな、って思ってたの。

無理に聞き出すこともできないから、心配していたのよ」

 

僕の真剣な様子に、立ち話で済まされないものを感じ取ったみたいだ。

「座りましょうか」と僕を促し、自身も患者用の丸椅子に腰かけた。

 

「えっと。

僕、知りたいんです。

...『番』についてです」

「授業で習ったのね」

「はい。

言葉だけ。

来週の授業でもっと詳しく教えてくれるみたいです」

「それはよかった。

1年くらい前...あなたが初めてここに来た日のことよ。

1枚の写真を見せたでしょう?」

「あ」

 

赤ちゃんを抱いた二人の男性の写真のことだ。

 

「彼らは『番』制度で結ばれた関係なの。

お互いが『特定の人』なの」

「......」

「僕とユノちゃんは...『番』ですか?」

 

どうやら医師は、僕の質問を予想できていたみたいだ。

驚いた風はなかった。

 

「気になるわよね」

「だって、僕がオメガだって初めて気づいたのはユノちゃんでしょ?

僕のことを守ってくれてるし...」

 

医師は「そうなってくれるといいね」と言って、中途半端な笑顔を見せた。

胃のあたりがずん、と重くなった。

 

「あなたたちは年が離れている。

特に、チャンミン君が未だ子供だから心配。

先生としては、あなたの『番』が見つかるのは、もっと後になって欲しいな」

「どうして?」

「ほら。

アルファとオメガの関係性は、どうしても生殖活動が伴ってくるからね」

「あ...」

「近いうちに チャンミン君に“発情期”が訪れる

その時、ユノさんがどうなるか、実際になってみないと分からないの。

だから今は何とも言えない。

ごめんね」

 

(つづく)

 

(49)麗しの下宿人

 

毎週月曜と木曜日の5時限目と6時限目、僕ら生徒たちは性教育を受ける。

性教育とはつまり、オメガの身体の仕組み、アルファとの関係性、社会的地位の変化と歴史、日常生活での注意点...それから、今後僕らの身体に訪れる変化。

学校ではそれはもう、沢山のことを学ぶ。

 

スライドを見せられたある日、僕は衝撃を受けた。

アルファに襲われたオメガの人数を、年度別にグラフに現したものだった。

幸いにも未遂で終わった事例もあれば、行為の結果、命を宿すこととなった事例は全体の90%を占めていた。

教師はスクリーンに映し出された棒グラフのてっぺんを指示棒の先で叩き、こう言った。

 

「当校でも毎年10人以上の生徒が被害に遭っています」

 

教室内はざわついた。

女子生徒たちは前後左右の者たちと、悲劇的な表情で顔を見合わせている。

中には机に顔を突っ伏してしまった生徒もいた。

彼女は怖い思いをした経験があるのかもしれない。

男子生徒たちは皆、うつむいている。

 

当校は1学年につきたったひとクラスしかなく、男女比は10対1。

圧倒的に男子生徒が少なかった。

男性のオメガはとても珍しいのだそう。

自分と同じ属性を持つ仲間たちと交流を持つ中で気づいたことがある。

どの生徒たちも揃って...女子も男子も、容姿が優れていることだ。

アルファのユノも美しく整った顔立ちをしているが オメガのそれとはまた違う。

アルファの美しさには鋭さがある。

一方で、オメガたちは色素が薄く、淡く儚ない雰囲気をまとっている。

女子たちは精巧なフランス人形のよう、男子たちは中性的で性別の見極めが難しい。

 

「アフターピルは常に持ち歩くこと。

万が一の時は、1秒でも早く主治医に診てもらうこと。

それが難しければ、ここに来てください」

 

恐ろしい目に遭わないために注意を怠らないだけでは足りず、被害に遭ってからの対処方法を指導された。

アルファに襲われたオメガの大半は、同意を得ない行為による妊娠を余儀なくされていると、主治医から聞かされていた通りだった。

僕はそっと、下腹に手をやった。

この奥に、アルファやベータの男性には無い臓器が存在する。

世の性行為には、繁殖目的のものもあれば快楽目的のもの、その両方を目的としたものがあるが、アルファとオメガが肉体的に繋がることは、イコール生殖行為なのだ。

所有物だと言わんばかりに、アルファはオメガの身も心も、遺伝子レベルで支配しようとしている。

 

教師は続けて言った。

「危ない目に遭わないようにする最強の方法が1つあります」

教師は生徒たち一人ひとり目を合わせながら、教室内を見渡した。

「知っている人もいると思うけど、アルファと『番(つがい)』になることです」

教師の言葉に、僕の首筋が粟立った。

 

番!

 

気になっていたワードだった。

再び教室内がざわついた。

 

「『番』が何なのか、知ってる人はいますか?」

僕がびっくりしたのは、数人の生徒が手を挙げたことだ。

「『番』とは、アルファとオメガの関係性を言います」

教師は黒板に『番』と書いた。

 

「『番』を見つけたオメガは、恐ろしい目に遭う確率がぐんと下がります」

僕はポケットの中の布切れを意識した。

 

「あなたたちは13歳だから、『番』と出会うには未だ早いわね。

でも、『番』を見つけられなくても、身近に『アルファ』が“もし”...“もし”いるのなら、彼ら彼女らの私物を身に付けることも、襲われる危険性が減ります」

と、教師は『もし』を強調して言うほど、アルファの近くにいること自体が危険で、オメガに対して親切なアルファの存在が珍しいのだろう。

 

チャイムが鳴った。

「今日の授業は終わりにします。

次回は『番』について詳しく学びましょう。

デリケートな話だから、不安なことがあったらいつでも相談してね」

カウンセラー兼教師はそう言って、この日の授業を締めくくった。

 

 

久しぶりにユノを伴って診察を受けていた。

僕らがいるのは保健室(僕の主治医は、学校医でもあるのだ)ではなく、例の病院の地下診察室だ。

アルファのユノは、オメガ学校に入ることが出来ない。

診察が終わった頃を見計らって、僕は訊ねた。

 

「先生。

『番』って何ですか?」

 

処方箋を書いていた女医は、くるりと椅子を回転させて僕と対面した。

確信に迫る質問を投げかけた僕は、どんな回答がなされるのか期待と不安でドキドキしていた。

緊張した面持ちで身を乗り出した僕を見て、彼女はほほ笑んだ。

 

「チャンミン君だけのアルファ、という意味です」

「...僕だけの、アルファ?」

僕は当たり前のように、斜め後ろを振り返った。

ユノも微笑んでいた。

 

「その逆も然り。

『番』を結んだアルファとオメガの仲は、誰も引き裂くことは出来ない」

「なんか、凄いですね」

 

僕は授業で習った内容を思い出しながら、質問を重ねた。

「ってことは、『番』になったアルファが僕を護ってくれるってこと?

他のアルファたちは絶対に寄ってこなくなるの?」

彼女は申し訳なさそうに「残念だけど、“絶対”と言い切ることは出来ない」と言った。

 

「でもね、あなたと『番』になったアルファが、あなたを護ってくれるわ」

ユノは“フリー”のはずだ。

だって、僕を護ってくれるし、恋人だったオメガの人とは会っていないと言っていたから、その恋人はユノにとっての『番』ではない、と言えるからだ。

 

「アルファは一生のうち、何人もののオメガと出会う。

オメガも一生のうち、何人ものアルファと出会う」

 

それまで黙って話を聞いていたユノが、口を開いた。

「たった一人の『アルファ』、唯一の『オメガ』と出会える確率は低いらしい。

先生、合ってますよね?」

と、ユノは医師に同意を求めた。

「その通りよ、

だから、出会えた奇跡は宝物なのよ」

奇跡かぁ。

宝物かぁ。

いいなぁ。

 

『僕とユノは『番』になる可能性が高いですか?』

と、質問しようかどうか迷った。

 

僕を護ると言ってくれたけれど、僕と『番』になったわけではなさそうだ。

可能性が”低い”と言われたらどうしよう!

 

(つづく)

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(48)麗しの下宿人

 

「どうしてっ...この匂いがしてたの?

あの時もタバコを吸っていたんでしょ?」

 

喉が詰まってきた。

 

「チャミ...あれは」

「触んないで!」

両肩にかかったユノの手を振り払った。

「アルファが寄ってこなくなるタバコなんでしょ?」

 

当時、ユノには恋人がいて、彼らが抱き合っている現場に僕は居合わせてしまったわけだ。

むんと熱気がこもる室内に充満していた香りこそ、オメガをアルファから護るとされる煙によるものだった。

ユノはアルファだ。

じゃあ、ユノの恋人は?

アルファやベータだった場合、あの煙は必要ない。

そもそもベータはこの匂いを感じ取ることは出来ない。

無敵のアルファには何も恐れる者がおらず、オメガを襲う立場だ。

 

(訳が分からない)

 

謎だらけで僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、抱えてしまった。

その上、ユノに裏切られたショックも加わっていたたまれなくなった。

空気を入れ替えようと開けた窓から、タバコの紫煙が吸い込まれるように流れ出て行った。

ユノは灰皿で未だくすぶるタバコをひねりつぶした。

 

「説明させてくれ。

あれは...」

「やだ!

聞きたくない!」

 

僕はユノの脇をすり抜け、灰皿をつかみ、高くかかげて見せた。

ユノにぶつけるはずがない。

投げつけるポーズを取っただけだ。

ユノは大事な人で傷つけるわけがない。

僕は臆病なオメガで、怒りを面に出すことが苦手とくる。

吸い殻と灰がぱらぱらと、新品の制服の肩にふり落ちた。

 

「チャミ!」

「ユノちゃんは僕のアルファなんでしょ?

僕を護ってくれるんでしょ?

それなのに、どうして彼氏がいたの?」

 

めちゃくちゃなことを言ってることは分かってる。

ユノがアルファだと知らず、僕もオメガだと気づいておらず、ユノは僕んちの下宿人で年の離れた友達に過ぎなかったのだから。

僕はユノの過去に嫉妬していたんだ。

 

「チャミ、落ち着いて。

彼とはもう会っていない。

別れたんだ」

「どうして?」

「チャミがオメガになったからだ。

俺にはチャミを護る使命ができたからだ。

分かっているだろう?」

「......」

 

ふりかざした灰皿に怒りを乗せることができず、僕は行き場のない感情の爆発の始末に困ってしまった。

 

「ユノちゃん、ちゃんと答えてよ。

“あの人”はアルファなの?

それとも“オメガ”なの?

どっちなの?」

「どちらであったとしても、チャミは知る必要はない。

どうでもいいことだ。

彼とは別れた。

恋人は作らない」

「......」

僕は力なく腕を落とした。

ごとり、と僕の足元に灰皿が落ちた。

「ユノちゃんなんて...もう知らない。

もう護ってくれなくていいよ」

 

この時、ユノは切羽詰まった悲し気な目をしていた。

どんな言葉で僕をなだめようか、頭を巡らしているようだった。

僕は畳を汚したことを謝りもせず、ユノの部屋を後にしようとした。

ユノを困らせたかったのだ。

 

「チャミ!」

 

僕が望んでいた通り、ユノが僕を追ってきた。

引き戸に手をかける間もなく、ユノの両手が伸びてきて抱き止められた。

僕に近づく足音ひとつたてず、気配もしなかった。

 

「チャミ...ごめんな。

怒らないでくれ」

「......」

次々と涙が零れ落ちてきた。

安心したのだと思う。

「恋人がいたのは昔の話だ。

何度も言ってるけど、今はいない」

「......」

 

ユノの過去はどうしようもできないのだ。

分かってはいるけれど、嫉妬の気持ちもどうしようもできないのだ。

 

「今の俺はチャミに専念している。

だから『護らなくていい』だなんて言わないでくれ。

これまでもちゃんと、俺はチャミの味方でいただろ?」

僕はしぶしぶ頷いた。

「僕がいるせいで恋人が作れなくて嫌でしょ?」

「チャミは天邪鬼だなぁ。

そんなことあるわけないだろ。

チャミでいっぱいいっぱいだよ」

 

ユノに身体をひっくり返され、彼と向かい合わせになった。

いつもするようにユノは身をかがめ、僕の目線と高さを合わせた。

服薬と煙のおかげなのか、ここまで近く顔を近づけられたのは久しぶりだった。

誠実な言葉を紡ぐユノの口元に注目してしまった。

例の恋人のあちこちに、ユノの唇が落とされたのだろうか。

 

「別れたあいつの属性が何だったのか、説明が難しい。

事情が込み入っていて、今のチャミの知識じゃ理解しづらいと思う

ちゃんと説明するから、もうしばらく待っていてくれ」

「全部教えてね」

「ああ」

 

(つづく)

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(47)麗しの下宿人

 

「......」

遠回しに、「一緒にいたあの人は誰なの?」と問いただしていた。

去年の僕と違うのは、多少の知識があった点だ。

ユノはアルファだということ、男同士で愛しあうことができること、オメガの男は妊娠できること、アルファとオメガは惹き寄せあっていること...例えそれが暴力的なものであったとしても。

ユノには、裸で抱き合える仲の誰かが居たってことだ。

涙腺をゆるみそうになったのを、眼に力を入れて堪えた。

 

「とうもろこしとは全然違う匂いだよ。

とうもろこしをユノちゃんの部屋の前に置いたのは僕なんだよ。

持ってきたよ、って教えようとしたんだけど、お客さんが居たから止めたんだ」

「......」

 

ユノは黙っている。

否定も肯定もしない。

僕をまっすぐに見据えている。

でも、時折焦点が合わなくなるのは、迷っているせいなのか。

アルファらしい鋭い目の光は無く、隙だらけのユノは“普通の人”に見えた。

アルファの仮面を脱いだユノの姿も好きだと思った。

 

「あれは...」

 

ようやくユノが沈黙を破りかけた時、僕は猛烈な後悔の念に襲われた。

『ごめん、僕の勘違いだった。変なこと訊いてごめんね』と、質問を撤回したくなったんだ...でももう遅い。

迷いが吹っ切れたのか、ユノの眼に意志が戻ってきた...ように見えた。

 

「わかった」

 

ユノはふぅっと大きな吐息をついた。

 

「話すよ」

 

僕の心臓がぎゅっと縮んだ。

知りたくないことを聞かされる、って分かったんだ。

 

「えっと...変なこと訊いてごめんね。

誰なのかなぁ、って思っただけ...あはは」

「いや...。

話すよ。

まさかチャミに見られていたとは思わなかった」

 

ユノは投げ出していた片脚を引き寄せ、膝を抱いた両腕に顎を乗せた。

 

「隠すつもりはなかった。

あの頃の俺とチャミは、下宿屋の息子と下宿屋で、年の離れた友達同士だった。

友達だからって、なんでもかんでも話すわけないだろ?」

「う~ん...。

僕、友達がいないからよく分かんないや」

 

しょんぼりしている僕の頭に、ユノの大きな手が乗った。

 

「俺が友達じゃないか、だろ?」

「そうだったね!

でもさ、僕はユノちゃんには、なんでも話せるよ!

質問されたら、なんでも答えるよ!

ユノちゃんに隠し事なんてないよ!」

「本当に、そうかな?」

 

ユノはじぃっと、僕を見つめた。

黒く濃いまつ毛が、切れ長のまぶたを縁取っている。

ドキリ、とした。

事細かに教えてあげたくても、ユノの側で過ごせる時間は限られている。

それから、ユノに伝えにくいことも沢山ある。

例えば、身体の変化やユノへ抱く気持ちの内訳などがそうだ。

どれだけ隠そうとしても、優秀なアルファのことだから、僕の気持ちも考えも何もかも見透かしていそうだ。

この人の側にいて、内緒ごとを抱え続けるのは難しいなと思った。

今だってそうだ。

昨年この部屋で目にした光景についてのモヤモヤを放っておけなくて、問いただしてしまった。

ユノの眼には僕はどんな風に映っているのだろう。

ぶかぶかの制服を着たひ弱なガキが、ユノの眼に映りこんでいそうだ。

大人の私生活に口を挟むなんて、ガキのすることだ。

 

「言いたくないこと...ある」

「だろ~?」

 

そう言ってユノは、僕の頭をガシガシと撫ぜた。

 

「あの頃は、チャミに教える必要はないと思った。

まさかチャミが『オメガ』だとは知らなかったからだ。

俺が『アルファ』だと、チャミに知らせていなかったからな」

「うん...」

「20過ぎた男が、自分の恋愛事情を小学生にべらべら喋ったら気持ち悪いだろう?」

 

ぐさっ。

胸に太い矢が突き刺さった。

「あんなところ見せてしまって、マジで恥ずかしいよ」

「びっくりしたよ」

「セックスしてるところなんて、絶対に見られたくない。

ショックだったろ?」

「そのわりには、恥ずかしそうにしてる風に見えないよ?」

「そう見えるかもしれないが、俺の中はパニック状態だよ。

『やべぇ、チャミに見られてたか!』ってさ。

手汗がすげぇ。

ほら」

 

握られたユノの手は汗で湿っていた。

 

「ホントだ」

「しかもさ」

と言いかけた続きは、とても話しにくい内容らしく、少しの間が空いた。

 

「しかも、相手が男で...驚いただろ?」

「...うん」

「男同士でもセックスできるんだよ」

「知ってるよ」

 

男女間でのみ可能な行為だと思っていたことが、オメガ認定された以降、性に関する知識が増えていった。

男のアルファオメガカップルの写真も見せてもらった。

 

「チャミが見た通り、俺は男としかセックスしたことはない。

どういう意味が分かるか?」

「え...あ、うん。

そ、そうなんだ!」

 

この発言はびっくりだ。

 

「男を部屋に連れ込んだのは初めてだ。

チャミは学校に行ってる時間たったからさ」

「家庭訪問の日だったから学校が早く終わったんだよ」

ユノは「そっか」と言って、苦笑した。

「彼とはもう会っていない。

チャミが『オメガ』だと分かってすぐ、二度と会わないと伝えた」

「そうなの?」

「当たり前だろ。

チャミが『オメガ』に目覚めた時、立ち会ったのは俺だ。

だから、俺にはチャミを護る義務がある。

恋人は作らない」

 

ユノの言葉は嬉しかった。

嬉しかったけど、知りたい事実は未だ残っている。

僕は灰皿の吸い殻を指さして質問した。

 

「じゃあどうして、あの煙の臭いがしたの?」

 

誤魔化すことなく認めたユノは偉いと思う。

でもさ、正直言って僕の心は潰れそうで今の話を受け止め切れないよ。

あんなかっこいいユノに恋人がいなかった方があり得ない話だ。

恋人がいて当然なんだ。

でもさ。

『俺はひとりで部屋にいた。誰もいなかった。チャミの夢の話じゃないのか?』って、しらを切って欲しかった。

僕に知られたくないから嘘をついて欲しかった。

知りたいけど知りたくない...矛盾しているのは分かっているんだけれど。

 

(つづく)