(1)1/2のハグ

 

 

どうりで様子がおかしいと思った。

 

待ち合わせした駅でも、特急列車の中でも。

 

いつも陽気な彼が、話しかけても力なく微笑むだけだった。

 

2泊3日の旅の荷物としては大きすぎる、一週間分は入るだろうスーツケースを引っ張るのも、やっとのようだった。

 

案内と接待を済ませた仲居さんが退室するやいなや、ユノは畳の上にうつぶせに寝転がってしまった。

 

「ごめん...。

ギブアップ」

 

畳に頬をくっつけたまま、ユノはチャンミンを見上げる。

 

「やっぱり!」

 

チャンミンはユノの額に触れる。

 

「どうしてもっと早く言ってくれないだ!?」

 

燃えるような熱さを確認したチャンミンは、ユノの頭を座布団の上に乗せた。

 

「途中で引き返したのに...」

 

チャンミンは押入れから布団を出し、寝そべるユノの横に延べた。

 

「...中止したくなかった...から」

 

「そんなに体調が悪いのに、我慢してたの?

ほら、移動できる?」

 

真っ赤な顔をしたユノは、重だるい身体をようやく起こすと、糊のきいたシーツの上に寝転がった。

 

「いつから、具合が悪かったの?」

 

背が高いユノだったから、敷布団から足がはみ出しそうだ。

 

「ずっと楽しみにしていたんだ。

這ってでも行きたかったんだよ」

 

お互いがスケジュールをすり合わせて、ようやく実現した旅行だった。

 

「俺はこの日のために生きてきたから」

 

「大げさだなぁ...遠足の小学生みたいだ」

 

「......」

 

仏頂面になってしまうユノ。

 

『子供みたい』と言われることを、ユノが嫌がることを知っていたが、今回ばかりは遠慮しなかった。

 

熱があるのに旅行を強行したユノの子供じみた意地に、チャンミンは苦笑していた。

 

「怒ってる?」

 

ユノは布団の隙間から伸ばした手を、枕もとに正座するチャンミンの膝にのせた。

 

「怒ってないよ。

どうすれば、ユノを楽にしてあげるかな、って考えてるんだ」

 

(近くに診療所があるか、あとで仲居さんに聞いてみよう。

氷や常備薬がもらえないか、聞いてみよう)

 

遠くには頂きが白い山脈、間近まで迫った山、見渡す限り白の世界。

 

あたりは薄暗くなっていて、窓の向こうにほんのわずかな人家の灯り。

 

白く濁った鉱泉が湧き出る、山深い温泉地に2人はやってきていたのだ。

 

実現したこの旅行の提案も、手配も支払いもすべてユノが済ませた。

 

ここ1か月の間、2人の話題は旅行のことに尽きた。

 

アウトドア専門店で、スノーブーツを選び、標高の高い土地に行くからと日焼け止めクリームも買った。

 

最初はユノの勢いに押され、苦笑しながら付き合っていたチャンミンだった。

 

ワクワクを隠し切れないユノの笑顔を見続けているうちに、気づけば指折り待ち望んでいた。

 

チャンミンは若さ弾けるユノに対して、自分が年上過ぎることに引け目を感じていた。

 

ユノは年上の恋人を前にすると、たちまち経験不足が露呈してしまうことが恥ずかしかった。

 

熱のせいで潤んだ目ですがるように、チャンミンを見上げるユノ。

 

「苦しいね」

 

額にかかった髪をかき上げてやると、ユノは目を細め、にーっと口角を上げる。

 

(無理して笑わなくていいのに...)

 

「夕食はそんなに入らないでしょ?

メニューを変えてもらうね」

 

「うん」

 

(確か、マスクがあったはず)

 

チャンミンはリュックサックの中をかきまわして、ポーチをいくつも取り出す。

 

「どこに入れたっけ?」

 

ポーチの中のポーチの中のポーチの中に...。

 

ソムリエナイフ、使い捨てカイロ、のど飴、除菌ティッシュ、湿布薬、ティーパック、入浴剤。

 

「チャンミンのバッグには何でも入ってるんだな。

整理整頓し過ぎて、欲しいものが見つからない人だなぁ」

 

「風邪っぴきは黙ってる!」

 

熱で朦朧としているくせに、チャンミンをからかう点は健在だ。

 

かきまわした弾みでぽろりとはみ出したものに気付いて、チャンミンは素早くバッグに戻す。

 

ユノには背を向けていたから、大丈夫、見られていない。

 

(危なかった)

 

充電ケーブルを入れたポーチの中に、目当てのものを見つけてユノの枕元に戻った。

 

「ほら、マスクをして」

 

短く刈ったもみあげからのぞく尖った耳に、ゴムを掛けてあげた。

 

1枚だけあった冷却シートも、額に貼る。

 

「肝心の解熱剤はなかったんだ。

胃薬はあったんだけどね」

 

「チャンミンらしいなあ」

 

「『らしい』って、どういう意味?

水分を摂った方がいいよ。

何が入ってるかな?」

 

広縁に置かれた冷蔵庫の前でしゃがむチャンミンに、うっとりとした視線を注ぐユノ。

 

 

 

 

チャンミンは、やっぱり綺麗だ。

 

俺には甘くて優しくて、世間を知っている大人で美人で。

 

間抜けな顔をして、寝ているだけの自分が悔しい。

 

この人の横顔が、ハンドルを握った途端、凛としたものに変わる。

 

在校中は、教官と教習生が個人的に連絡をとることが禁止されていた。

 

周囲の女どもが皆、チャンミンの担当教習生になりたがっていた。

 

卒業してすぐ、思いきってチャンミンに告白してよかった。

 

晴れてチャンミンの彼氏になれて、俺は幸せ者だ。

 

俺はまだまだだ。

 

努力するよ。

 

チャンミンにふさわしい、大人の男になるから。

 

大好きなチャンミンのために。

 

 

(つづく)

 

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(後編)お前に伝えたいことがある

 

 

準備は徹夜だった。

 

俺は2DKのすみずみまで掃除機をかけ、ここに入居して初めて曇った蛇口を磨いた。

 

新品のシーツは一度洗濯をし、ダイニングテーブルにクロスをかけた。

 

チャンミンの顔を真っ赤に染めたくて、薔薇の花びらをベッドに散らし、評判のよいケータリングサービスを予約した。

 

店頭でアロマキャンドルを手に取ったが、止めにした。

 

もつれあう手足がぶつかって、火事になったらいけないからだ。

 

俺が出来る精いっぱいで演出された部屋が、今も俺たちの帰りを待っている。

 

チャンミンにしても、彼なりの方法で計画をしてくれていたらしい。

 

俺たちが今夜過ごすはずだったのが俺の部屋だろうと、チャンミンが用意した部屋だろうと、どっちだっていいんだ。

 

お披露目は出来なかったけれど、演出のために心をくだいた事実が愛。

 

俺からの無言の告白。

 

びしびしチャンミンに伝わってくれたかなあ?

 

ぬるめのお湯にひたひたと浸かった感じが、普段の心の通わせ方。

 

たまにはどかんと、ありったけの愛情をぶつけたかった。

 

今回のサプライズは、これまでの交際期間の中でもかなり凝ったものだ。

 

これが積み重ねてゆく思い出の地層の中でも、最大級に分厚い層になってくれるといい。

 

...実行はできなかったけれどね。

 

俺たちは、目に見える形でけじめをつけることができない。

 

互いが深く愛し合っているのなら、形にこだわらなくてもいいじゃないか?と、思われるだろう。

 

でも、俺はそこまで到達していない。

 

チャンミンも多分、そう。

 

「好き」の気持ちだけで、交際期間を延ばし続けることはできないと、俺たちは知っているのだ。

 

 

開けたサッシ窓から吹き込む風が、30℃近くあるであろう室内を冷やしてくれた。

 

それでも暑くて、俺たちは全裸のままでいた。

 

止めようにもエアコンのリモコンが役立たずになってしまったのだ。

 

広げたバスタオルが下腹に掛けられている訳は、腹を冷やしたらいけないとチャンミンがうるさいからだ。

 

いつもと違う環境に興奮した結果、ひと晩に3度も行為に及び、4度目は俺のものが役立たずになり中断してしまった。

 

「...チャンミン」

 

頭だけひねると隣のチャンミンと目が合った。

 

身体ごとひねって、チャンミンと真っ直ぐ目を合わせた。

 

「何?」

 

俺の迷いないあらたまった様子に、チャンミンの口元が引き締まった。

 

「俺たちは...恋人同士だ。

もし...もしもだぞ?

来年も5年後も、お前の隣にいられるのなら...」

 

「『もしも』なんて言わないでよ」

 

「ごめん。

俺たちはずっと一緒にいるだろ?

付き合い始めた時は大学生で、一緒にいられるだけで十分、ってノー天気で...。

でも、この年になるとリアルに将来を考えてしまう。

だろ?」

 

「うん」

 

「でさ、ふたりきりの人生が死ぬまで続くんだ」

 

「恋人どまりっていう意味だね」

 

「そこが大いに不満なんだ。

でさ...」

 

2個目の告白を前に、俺は深呼吸をした。

 

「...で、お前との子供を作ってやれなくて、その点は申し訳ない」

 

「ぷっ!」

 

吹き出したチャンミンに、どんと肩を突かれた。

 

「何言ってんだよ。

それは僕の台詞だよ」

 

これはチャンミンからの返事だと、俺は受け取った。

 

相手を想い、共に過ごす時間をおろそかにしたくない。

 

凸凹していても、二人の間で築いた思い出は崩れることなく天に向けて積み上げられる。

 

...多分、不安なのだろう。

 

小さなサプライズを不定期に仕掛けたいと思うのも、長く共に暮らしてゆきたいからだ。

 

俺たちは出逢った時から、こんな類の会話をよく交わしていた。

 

「僕らの会話って、いつも愛の告白になっちゃうよね」

 

「ひと言じゃ伝えきれないからじゃないかな?」

 

「ほらね。

それも愛の告白だね」

 

 

 

早朝のTVのニュースから、〇〇線が運転再開したと知った。

 

「工事の人たち、徹夜で頑張ってくれたんだね。

ありがたいね」

 

「俺たちも徹夜だったね」

 

「離してくれないユノが悪い」

 

「だって、昨夜のチャンミンの乱れっぷりが凄かった。

穴なんてひくひくしてたじゃん」

 

「は、恥ずかしいこと言うな!」

 

いい年こいて真っ赤になっちゃって。

 

投げつけられた枕をキャッチした。

 

「出勤ラッシュに引っかかる前に、帰ろうか?」

 

乾燥した部屋のおかげで、洋服は乾いていた。

 

 

 

雨は上がっていた。

 

湿ったスニーカーで水たまりを避けて駅へ向かう。

 

モーニングサービスの丸パンとコーヒーだけじゃ足りず、駅の売店でサンドイッチを買った。

 

電車を待つ間、ホームのベンチに腰掛けてそれを食べた。

 

そして、それぞれ用意していたプランを披露し合った。

 

お互い何となく、気付き合っていたのだ。

 

二人で紡ぐ物事を大切に生きる俺たちは、相手の表情や仕草、口調に極めて敏感なのだ。

 

「いつから計画してたの?

ちょっとはヒントをくれないとさ。

高級ホテルなんだろ?

ラフなコーデで恥をかくのは俺じゃん?」

 

俺の抗議にチャンミンは、「タキシード着ないといけない、って思ってるでしょ?」と呆れた表情になった。

 

「まあまあ小綺麗な恰好してるから大丈夫。

どうせ部屋から出ないんだしね」

 

「部屋に籠って何をするって?

えっちだなぁ。

でもなぁ、内緒にしてるとこがズルいなぁ」

 

「前もって知らせてしまったら意味ないじゃないの。

 

『え~~!』って驚かせたかったんだ。

 

『チャンミン、すげぇ!』って。

 

小さなお出かけ10回分レベル」

 

「なんでまた、今日...じゃなくて昨日?」

 

「...なんとなく。

同じ質問をユノにもするよ」

 

「俺もなんとなく」

 

「ほらね?

気を遣う、っていう意味じゃなくて、僕はユノとの付き合いを長く続かせたいんだ。

ずーっとね。

のんべんだらり、もいいけど、たまにはピリッと刺激が欲しいじゃない?」

 

「お!

俺も同じこと考えてた。

誕生日や付き合ってから×年記念日は、今まで通りちゃんとやりたいし」

 

「ある日突然、深い意味なしサプライズデー?」

 

「仕事帰りのチャンミンを拉致してさ、無理やり特急列車に乗せるの」

 

「で、いきなりバンジージャンプとか?」

 

「もっと凄いこと」

 

「勘弁して~」

 

電車の窓から注ぐ朝日が目にしみた。

 

停車する度に、車内は混雑してゆく。

 

めり込み気味に身を寄せて、席を詰めた。

 

「料理、どうしたの?」

 

「タッパーに詰めたやつを、後でピックアップしていくことになってる。

俺んちで食べよう。

...それより。

ホテル、キャンセル料取られただろ?

俺が負担するよ」

 

「ユノが思う程、高級ホテルじゃないから。

でね、電車の遅延だから仕方がないって、理解してもらった」

 

「そっか...よかった」

 

「来週は予定を空けておいてね」

 

「うん」

 

『恋人たちのゆーふぉりあ』をいよいよ使ってみよう。

 

来週はバッグに忍ばせていこうと、俺は内心ニヤニヤしていた。

 

 

(おしまい)

 

 

 

 

【裏話】

『キスから始まった』『恋人たちのゆーふぉりあ』の数年後の二人でした。

計画通り進んだとしたら、バッティングした二人のプラン。

それはそれで面白がる彼らだったでしょう。

でも、パッとしないホテルに閉じ込められたことで、サプライズの興奮に紛れてしまったであろう、自分たちの未来についての会話を交わしたり、荒々しく生っぽい行為に没頭することができたのでは?と思っています。

ハプニングもサプライズとして楽しむ二人。

汚れていて古びている場に置かれた物は、美しさが増して目に映ると言うそうです。

色あせ擦り切れたベッドカバーの上に横たわる恋人は、さぞ美しく色っぽく目に迫っただろうと想像しております。

 

 

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(中編)お前に伝えたいことがある

同じような考えの者たちでホテルは混雑しており、最後の1部屋を滑り込みでゲットした。

 

内装も備え付けの家具も古びており、エアコンは風量調整が出来ずに暖房がききすぎていた。

 

シーツはパリッとしていたのが救いだった。

 

濡れた洋服はハンガーにかけて、エアコンの下に吊るした。

 

明日の朝までに乾きそうだ。

 

濡れたスリムパンツが脱げずに、両脚をバタバタさせているチャンミンを手伝った。

 

俺は裾を掴んで引っ張って、脱げた勢いで後ろにひっくり返ったチャンミンに大笑いだ。

 

「お前、パンツも濡れてるじゃないか。

脱げよ」

 

「脱いだらどうすんの?

替えがないんだよ?」

 

「ノーパンでいいじゃん?」

 

「やだよ」

 

「俺...パンツ穿いていないお前が好きなんだよなぁ。

可愛いチャンミンを見せて欲しいなぁ」

 

「ユノこそ、見せろ!」

 

「おお、いいぞいいぞ。

脱いだる」

 

足止めされ帰宅できなかった不運はすっかり忘れ、俺たちはふざけ合う。

 

すべての衣服を脱ぎ捨てて、俺たちは抱きあったままベッドに倒れ込み、唇を重ねた。

 

本日初めてのキスだ。

 

行為の流れも中身もいつも同じで、マンネリだったりする。

 

それでも、チャンミンの中は温かく気持ちがよくて、慣れ親しんだ安心感に包まれるのだ。

 

帰宅を諦めた時点で俺のプランは延期決定となり、ホッとしたのに肩すかしをくらったような、複雑な心境だった。

 

「場所が変わると...盛り上がるね」

 

「うん」

 

「こういうのも新鮮でいいものだね」

 

のべ何千人分の客たちの眠りと性行為を受け止めてきたベッドに、俺たちは横たわっている。

 

故障したエアコンのせいで、室温は表示されている25℃以上あるはずだ。

 

チャンミンのあそこの毛が乾いて、ふさふさしているところが可愛らしかった。

 

「暑い」

 

「窓開けようか?」

 

チャンミンは四つん這いになって、カーテンを開けた。

 

両脚の間にぶらさがるものも愛しい。

 

「好き」の気持ちだけで、交際期間を延ばし続けることはできるのだろうか。

 

俺はそうは思わない。

 

 

 

「腹が減ったな」

 

ルームサービスは当然なく、自販機のカップ麺もナッツ菓子も売り切れていた。

 

湯を沸かしてティーバッグの緑茶とともに、自分たち用に土産で買ったバウムクーヘンを食べた。

 

「甘いものばかりも辛いね」

 

「しょっぱくて熱いものが食いたい。

インスタントでもいいから」

 

「うん。

コンビニに行こう。

部屋でダラダラしたい。

服も濡れてるし」

 

「コンビニに行こう!」

 

外はあいかわらず大雨が降り続いていた。

 

俺たちはホテルで傘を借り、コンビニエンスの照明を目指した。

 

ホテルの立地は駅前で、居酒屋やカフェなど飲食には困らないが、足止めを食らった客たちの避難場所として、どの店も混雑している。

 

代替バスも運行を開始したようで、バス停には行列が出来ていた。

 

人々の吐く息が白かった。

 

ホテルに逃げ込んで正解だった。

 

 

売り切れのせいでガラガラの商品棚からめぼしいものを購入し、ホテルへと戻る途中だった。

 

「...あっ!」

 

突然、チャンミンは足を止めた。

 

「忘れてた!」

 

頭の上にでっかいビックリマークが立つほどの、重大なことのようだった。

 

チャンミンは俺に背を向け、スマホを操作し出した。

 

俺はチャンミンの電話が済むのを待った。

 

傘からはみ出した肩が、乾きかけた服を再び濡らしていく。

 

「はい...キャンセルで。

すみません、連絡が遅くなってしまって」

 

チャンミンはそこにいない誰かに、ペコペコと頭を下げていた。

 

「料金は...もちろん。

はい...電車が止まってしまって。

...はい、そうです...○○線です。

キャンセル料は払いますので...」

 

慌てるあまり、チャンミンの声は大きくなっていて、そのつもりがなくても会話が耳に入ってきた。

 

「えっ!?」

 

その声の素っ頓狂なことといったら。

 

背後に俺がいることを忘れているようだ。

 

「よろしいんですか?

...そんな、申し訳ないです。

はい...。

来週は?

助かります。

ありがとうございます!」

 

(なるほどね...)

 

チャンミンもサプライズを用意していたようだ。

 

チャンミンの電話が終わる前に、ホテルへと小走りした。

 

「ユノ!

お待たせ」

 

チャンミンも小走りして、俺に追いついた。

 

「電話は何だったの?」

 

「んーとね...仕事。

休みの日なのに、困っちゃうね」

 

チャンミンは嘘が下手だ。

 

ぎこちない言い方に、隠し事はバレバレなのだ。

 

俺は気づかないフリをして、「そりゃ大変だな」と言った。

 

 

 

手の込んだサプライズは、チャンミンと交際を始めて初めてのことだった。

 

予定通りなら、俺たちは今この時、ロマンティックな部屋で気取った材料と味付けで作られた料理を食べていた。

 

リアルのメニューは、コンビニエンスストアのいなり寿司と生ハム、インスタントのコーンスープだった。

 

シャンパンを入れた湯船に浸かり、柔軟剤をきかせたシーツの上で愛液まみれていたはずだった。

 

リアルの俺たちは、小狭いユニットバスで重なりあっていた。

 

肘や膝を何度も打ちつけ、歯磨きコップとアメニティが床に払い落とされた。

 

後ろから抱きしめて、深く鋭く貫いた。

 

喘ぎ声が響かないようにと、チャンミンはシャワーカーテンを噛んでいた。

 

 

 

(つづく)

 

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(前編)お前に伝えたいことがある

 

へたったスプリングで腰が沈み込み、熟睡できそうにないセミダブルベッドだった。

 

行為の間中、ギシギシと派手にきしむ音で気が散った。

 

隣室の者はTVの音量を上げるか、壁に耳を押し当てていたか。

 

チャンミンの喘ぎは女のようだから、まさか男同士だったとは思うまい。

 

 

午後4時から予定が狂った。

 

土砂降りに遭ったことも、乗車する予定だった電車が止まってしまったことも。

 

足止めされた俺たちは、こんなしけたホテルに駆けこまなければならなかったことも。

 

会えばせずにいられない俺たちだから、煙草の匂いがしみついた部屋で始めてしまったことも。

 

俺とチャンミンは、休日の3回に1回は会っていて、近場に買い物に出かけることはあっても大抵は互いの部屋で過ごしていた。

 

まんねりに陥りたくない俺だったから、メリハリをつけるために、季節の変わり目に遠出をした。

 

電車で2時間ほどの距離へ足を伸ばし、話題の美術館やアスレチック公園などを腹いっぱい楽しんだ。

 

日帰りのバスツアーは楽しかったなぁ。

 

牡蠣の食べ放題で、調子にのった俺は腹を壊してしまい、病院送りになったことも。

 

目的の施設が改修工事中で期間閉館していて、仕方なく中華料理店でチャーハンと餃子を食べただけで帰路についたことも。

 

とてもとても学生には見えない、若くはないが中年まではいかない男2人が連れだっている。

 

友人同士にしては距離が近すぎた。

 

まさか、人前でキスなんてしない。

 

映画館やジェットコースター、水族館でこっそり手を繋ぐくらいだ。

 

互いに贈り合う土産ものを選ぼうとはしゃぎ合い、ひとつのソフトクリームを分け合って食べる俺たちに、周囲はどんな視線を送っていたのか。

 

「どうってことない」と開き直れないんだけれど。

 

何を言われようと、どんな目で見られようと、俺はチャンミンと付き合い続けたい気持ちはちゃんとあるよ。

 

性格は見事に真逆だけど、俺たちはなぜか波長が合って、それに甘えたくなかった。

 

関係を長くもたせたいから、チャンミンと過ごす時間を大事にするための努力は怠っていない。

 

でも、目に見える形でけじめをつけることができない。

 

俺たちだけの思い出をひとつずつ重ねてゆく過程を大切にしていたのだ。

 

それはチャンミンも同様らしく、「ありがとう」や「ごめん」の言葉たち、うたた寝でかけられた毛布...それから誕生日などの記念日。

 

ひとつひとつ省略しないで、1個1個積み重ねゆくしかないのだ。

 

 

今日の俺たちは新たな思い出を築こうと、オープンしたての水族館を訪れていた。

 

電車の窓から注ぐ朝日が眩しかった。

 

チャンミンはワクワクを隠し切れない。

 

飴やガムを俺に勧めてくれては、スマホを睨みつけて「バンドウイルカ、ベルーガ、ハナゴンドウ...」とつぶやき、俺のジャケットの衿を直したりと、子供みたいだったり母親みたいだったりと落ち着きがなかった。

 

寝不足気味だった俺はしょぼしょぼする目を閉じた。

 

知らぬ間に眠り込んでしまい、チャンミンに肩を揺すられ目覚めた時には、目的地に到着していた。

 

開館時間ジャストに入館したいと、チャンミンは駆けだした。

 

長身痩躯で手足の長いチャンミンは、脚が早い。

 

俺も負けじとディパックを背負ったチャンミンを追いかけた。

 

イルカショーも観たし、全ての水槽も制覇し、併設のカフェのランチセットも美味かった。

 

ここまではよかった。

 

夕方までには帰宅したかった。

 

そして今日はずっと、寝不足と気がかりなことで緊張のしどおしで、早く静かなところで二人きりになりたかったこともある。

 

水族館を出るころ、外は土砂降りで気分は一気に盛り下がった。

 

「あ~あ」

 

空を見上げる俺たちは言葉を失い、ポカンと口を開けていた。

 

「傘は?」

 

用意周到なチャンミンの折りたたみ傘を期待して尋ねたが、今日に限っては忘れてきたらしい。

 

「バッグを取り換えた時にそのまま...。

ごめんね」

 

「気にするな。

持ってこなかった俺が悪い」

 

見上げた空は真っ暗で、すぐに止みそうな気配はない。

 

「帰ったら熱い風呂に入ろう」

 

ずぶ濡れになっても仕方がない。

 

とにかく俺は早く帰宅したかったのだ。

 

俺はチャンミンと手を繋ぎ、駅に向かって走り出した。

 

雨のつぶてで目を開けていらない。

 

どうせ既にびしょ濡れだ、水たまりも構わず走った。

 

駅に近づくにつれ、嫌な予感がした。

 

帰宅ラッシュの時刻には未だ早い。

 

駅構内に入れずあぶれた者たちで、周辺の人口密度が高くなっていた。」

 

野球試合後のスタジアム直結駅のようだった。

 

「なんだろ?」

 

「さあ...」

 

「再開の目途がたっていない」と繰り返しアナウンスされ、電光掲示板には、『運休』の文字がエンドレスに流されている。

 

「困ったね」

 

「...そういうこと、ね」

 

「どうしよっか?」

 

「そうだね。

今日中に運転再開になればいいね」

 

俺たちは揃って、楽観主義で呑気な性格だった。

 

だからこそ、平和に長く交際し続けられているのだと思う。

 

俺たちは床に座ることも出来ず、壁にもたれてしゃがみ込んでいた。

 

濡れた靴で床は滑りやすくなっており、湿度の高いムッとした空気で壁は湿り気を帯び、ひんやりしていた。

 

水煙をあげてざーざー降りの景色を、眺めるしかない。

 

「糖分摂取」

 

「ありがとう」

 

チャンミンはディパックから飴を取り出して勧めてくれた。

 

時と共に、濡れた衣服が俺たちの体温を奪ってゆく。

 

靴下まで濡れた足先が凍り付きそうだった。

 

チャンミンの唇が紫色になっていた。

 

握った指先も氷のようだった。

 

「...寒いな」

 

俺はチャンミンの肩を抱き、ゴシゴシと擦ってやると、チャンミンも俺の背中に手をまわして同様にゴシゴシ擦った。

 

群衆は鉄道会社へ向けた困惑と苛立ちでいっぱいで、身を寄せ合う男2人など視界に入っていないのだ。

 

「よし!」

 

立ち上がった俺の考えを読んだチャンミンも、同じ方向を見る。

 

築年数のいったビジネスホテルだった。

 

チャンミンに風邪をひかせたらいけない、贅沢は言っていられなかった。

 

 

(つづく)

 

※『恋人たちのゆーふぉりあ』の二人のその後です

 

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(最終話)恋人たちのゆーふぉりあ

 

~チャンミン~

 

 

再挿入を果たせたのか果たせなかったのか?

 

答えは、『果たせた』だ。

 

焼け付く入口の激痛にまぶたの裏で火花が散った。

 

僕はユノみたいに、「はて...僕らは一体全体、何をしているんだ?」なんて我に返らない。

 

僕は感情と直感の赴くままに行動しているから。

 

でも常にそうではなくて、逆転することも多く、ユノの方が大胆な言動をする時も多い。

 

僕らはセットになると、ちょうどよくバランスが取れているから、もともと相性はとてもいいのだと思う。

 

だから身体の相性だっていいに決まってる。

 

初えっちの話に戻すと、『どうだったか?』

 

正直に答えると、『気持ちよくなかった』

 

感じているフリをする余裕はなかったし、引き寄せた枕でじわりと浮かんだ涙を拭った。

 

いつばーちゃんがドアをノックするかと気が気じゃなかったせいもある。

 

「きっつ...全部...入らない」

 

ユノも僕のアソコを気遣い、じわりと時間をかけて埋めてくれたんだけどね。

 

「いっつ...!」

 

「...半分が...やっとだ...」

 

数回抜きさししただけでユノはイッてしまった。

 

締め付けが想像以上にきつかったんだとか。

 

終った時、「どうだった?」とユノに尋ねられ、僕は「あんまり」と正直に答えた。

 

ユノは「俺も」とつぶやいた。

 

もし「よかったよ」と答えたとしよう。

 

鋭いユノは僕の嘘を見抜くだろうし、その嘘の真偽を問いただすことはせず、僕の嘘を信じたフリをしてくれる。

 

そんなのは...イヤだ。

 

僕らは全裸のまま、ベッドに仰向けに横たわった。

 

「来週、リベンジしよう!」

 

「ああ。

チャンミンのケツが治ってからな」

 

 

イマイチな初えっちだったからといって、僕らはしょげたりしない。

 

第2回戦はユノの部屋。

 

さらなる知識を携えての再々チャレンジだ。

 

回数をこなすうちに、アソコの良さを知っていった。

 

挿入後すぐにイッてしまったユノも、その持続時間が伸びていって、ついに僕ら同時にフィニッシュできるまで進歩した。

 

僕とよりも女の子とヤった時の方がイイのではないかと、ちらっと比べそうになることもあった。

 

わざわざ口に出さなくても、ユノは表情から僕の思いを読み、「チャンミンのが最高」と言ってくれる。

 

それでも、僕の機嫌が悪い時は「Aちゃんとの方がいいんだな!」と枕を投げつける。

 

「ほぉ...。

チャンミンだって、俺と付き合わなければ、Dちゃんとヤッてたかもよ?」

 

「するか!

...わっ!」

 

タックルされ床に仰向けになった僕の上に、ユノは素早くのしかかる。

 

「離せっ!」

 

振り回す腕はねじり上げられ、ユノの股間を狙った膝もかわされた。

 

僕が大人しくなると、ユノは「チャンミ~ン」と、僕の首筋にぐりぐりと鼻をこすりつけてくる。

 

「くすぐったい!」

 

「女子ってのは異星人だ」

 

「う~ん...確かに」

 

「だろ?

もしさ、もしもの話だ。

チャンミンが女子の誰かを好きになったとする」

 

「なるか!」

 

「例え話だよ!

落ち着けチャンミン」

 

鼻息荒い僕を「まあまあ」となだめると、ユノはいつものようにクソ真面目な顔して語り出した。

 

「もしも、チャンミンが女の子の方がいい、って俺をフッたとする。

...落ち着けったら、たとえ話。

絶対にそんなことはない、って俺は知ってるから」

 

「...そうだよ」

 

「異星人の女子相手じゃ俺はどうにもできん。

ライバルにすらなれない。

だから、女子を比較対象にしても無意味なんだ」

 

「?」

 

ユノは指で輪っかを作り、その輪っかを空中に1、2と置くジェスチャーをした。

 

何を話すんだろうと、僕はユノの手元から目を離せない。

 

「これじゃ分かりにくいな」

 

と、ユノはテーブルの上の2人分のグラスを整列させた。

 

水と炭酸飲料が注がれたグラスだ。

 

「女子には2個のグラスがある」

 

ユノは2つのグラスにそれぞれ割りばしの先を浸した。

 

「大抵の者は水を飲む。

コーラが好きな少数派もいる」

 

ユノはベッドの下から拾い上げたものを、どんとテーブルに置いた。

 

「で、ここに男というチューブがある」

 

それは僕らの潤いクリームのチューブだった。

 

「チューブはひとつしかないから、ここに入れるしかない」と、キャップを外した口に割りばしの先を刺した。

 

「ローションとコーラを比べられないだろう?」

 

「...確かに」

 

「俺が言いたいこと、理解できた?」

 

おそらく5分の1も理解できていなかったけれど、ユノの真剣な表情に胸を打たれていた僕は頷いた。

 

ユノのたとえ話はいつも、僕を安心させるために一生懸命なものだ。

 

「えっちの相性を比べるのなら、別の男とヤッた時にしろ」

 

「するか!」

 

「チャンミンはしないって、俺は知ってるよ。

世の中には沢山の種類のローションがあるだろ?

いやぁ驚いたなぁ、あんなにあるとは。

どのローションにしようか選りどりみどりだ。

好みにあうもの、イマイチなものもある。

同じ用途だから比べられるんだ。

ドゥーユーアンダースタン?」

 

ユノはニヤリと笑い、僕の頬を両手で挟んで上下にぐにぐにさせた。

 

「異星人にヤキモチ妬いたって無駄だ。

そういえば、チャンミンとこにイケメン院生がいるだろ?」

 

「いるけど...。

ちょっと!

あのね、僕はストレートなの!」

 

「だからだよ。

もしチャンミンがその院生にぐらつきそうになった時、俺はすっげぇ嫉妬する。

でも、新入生の可愛い女子にぐらついた時は...勝負にならん。

俺は退散するしかないんだなぁ」

 

「同じ台詞をユノにお返しするよ」

 

僕はユノの頭を力任せに引き寄せた。

 

「僕はね、ユノがいいの。

男でもない、女の子でもない...次元が違うんだ。

だから、男とも女の子とも比較ができないんだよ」

 

「...続きを...しよっか?」

 

「...ユノ。

お尻がもう限界」

 

「そっか...ごめんな。

2,3日静養期間をとろうか」

 

「ごめん」

 

「気にするなって。

俺のも4回目はキツかったから。

1時間やってもイケなさそう」

 

「イク前に擦りむけそうだね」

 

擦りむけて真っ赤になったものを想像したのだろう、ユノは顔を思いっきりしかめた。

 

「想像もしたくないな...。

...そうだ!

チャンミンちの玄関に杖があっただろ?

じーさん、足が悪いのか?

外出大変そうだな」

 

「あ~、あれね。

じいちゃんは足腰が頑丈なんだ。

じいちゃんのじゃないんだよ」

 

「じゃあ?」

 

「あれはね強盗対策。

うちに忍び込んだ強盗と出くわした時に、そいつをぶちのめす為に置いてるんだ。

ばあちゃんのアイデアだよ」

 

「あはははは!

じーさんもばーさんも面白くていい人だよなぁ。

じーさんもばーさんも、一度たりとも俺に嫌な顔しなかった...。

嬉しかったなぁ」

 

「いつでも夕ご飯食べに来て。

ばあちゃん、『ユノ君はちゃんとご飯食べてる?』ってうるさいんだ。

そのうちお弁当作るんじゃないかなぁ」

 

「そっかぁ...。

嬉しいなぁ...」

 

「その後僕んちに泊まって、と言いたいところだけど...」

 

「ヤらない日があってもいいんじゃない?」

 

「...わかったよ」

 

拗ねて口を尖らせた顔なんて、よそ様にはとても見せられない。

 

 


 

 

~ユノ~

 

『恋人たちのEuphoria』は、戸棚の中で出番を待っている。

 

こんなものに頼らなくても、俺たちはいつでも、どこまでも深く陶酔の世界へと沈んでゆける。

 

そこまで到達するまでに10回も必要なかった。

 

いつかマンネリした時に使うつもりでいるのだが、現在のところはまだ必要としていない。

 

約束を破った時の罰ゲームにするのもいいかもしれない...Euphoriaの刑って。

 

当時の俺たちを思い出すと、頬が緩む。

 

最初の最初に大人の玩具を揃えた20歳男子。

 

幼く滑稽で、好奇心に満ち満ちていて、純粋だった。

 

同性同士の恋愛に戸惑い、周囲からの評価を気に病み、互いに慰め励まし合って、えっちにもつれ込んで。

 

並木道では堂々と手を繋いで歩いた。

 

喧嘩も沢山した。

 

あれほどまでの熱量を持って誰かを好きになったのは、チャンミンが最初で最後。

 

今この時、俺の隣を歩くチャンミン。

 

ほくほくと幸福そうで俺も嬉しい。

 

ぐっと大人っぽくなったのに、幼さを残す横顔に見惚れていたら、

 

「あのねユノ。

ビッグニュースがあります!」

 

笑顔のチャンミンがこちらを振り向いた。

 

「ビッグニュース?

いいこと?」

 

「当たり前でしょ」

 

チャンミンが報告してくれた内容はまさしくビッグニュースで、街中にいるのも構わず彼を抱き締めた。

 

若かった俺たち。

 

二度と戻れない、20歳の俺とチャンミン。

 

青春の日々。

 

チャンミンからのキスから始まった、俺たちの恋。

 

ビジネススーツの男2人、手を繋いで家路を急いだ。

 

 

(おしまい)

 

 

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