(20)虹色★病棟

 

 

 

屋外は肌寒いのに、温室内の空気は日光に温められ、汗がにじむほど暑かった。

 

僕はユノと距離をとり、マスクもしていた。

(僕のポケットには常に、マスクと除菌ティッシュが入っている...これはユノの為だ)

 

ラムネは僕よりもユノの方に懐いているようだ。

 

ニンジンをついばむラムネを見つめる細めた眼、それは優しいものだった。

 

ユノが許せば、彼の指に乗ってピーピーさえずりたがってる。

 

ずっと世話をしてきたのは僕なのだけどなぁ、なんてくやしい気持ちは全く湧かない。

 

空っぽの温室、そこにはクラシカルな鳥籠、すりガラス色の小鳥、白皙の青年。

 

どこかの画家か写真家が、作品として切り取ったワンシーンのようだった。

 

「ドアを開けておこうか?」

 

密閉された空気は耐えがたいだろうと温室のドアを開け放った。

 

すうっと涼しい風が吹き込んだ。

 

僕はマスクをしたユノの風下に移動した。

 

ところが「お前はこっちだ」と、ユノと立ち位置を入れ替わることとなった。

 

逆じゃないのかなぁと思ったけれど、げっそりとしたユノの横顔に、判断力が鈍っているのだろうな。

 

「...どう?

ちゃんと眠れてる?」

 

ここに入所してきて以来、ユノの眼の下の隈は薄らいできているものの、相変わらず病人の顔をしていた。

 

ユノは未だ、悲しみを全開させていないんだ。

 

中庭から病棟へ戻るエレベーターの中で、ユノは話し出した。

 

「最近...その人の夢を見るんだ。

夢の中で、俺たちは生活をしている、旅をしている。

夢の中で、喧嘩をしたりヤってたりする。

 

夢の中で俺は、『そっちに行ったら駄目だ』って止めたくても声が出せない。

絶望して俺は目を覚ます。

隣にその人はいない。

もう一度俺は絶望する...」

 

昼間、僕の前では飄々としていても、部屋で一人きりになった時、号泣しているかもしれない。

 

...それはないか。

 

ユノの眼はいつも充血しているけど、それは寝不足のせいだ。

 

それならば、ベッドに寝転がり、虚しく切ないため息をついているかもしれない。

 

「夢に出てくると、悶々と苦しいものだろうけど、夢の形をとって発散できるっていうのかな?

僕はとてもいい兆候にあると思うな。

専門家でもないのに適当なことを言ってごめん。

これは僕の考えに過ぎないからね」

 

「いい兆候、か...」

 

ユノの視線が遠いものになった。

 

ユノは考え事をすると、瞳に宿っていた意志のようなもの...とても濃い黒色をしている...を手放して、曖昧な眼差しになる...まるで瞳孔が消えてしまったかのように。

 

 

「今日は疲れた...夕飯まで休むよ」

 

 

ユノの部屋のドアがパタン、と閉まった。

 

僕はしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 

亡くした最愛の人の夢を見てしまうのも、それに苦しめられるのも、当たり前のことだ。

 

次の恋をするなど、考えられない。

 

赤色に怯えているのは、ユノの結婚相手はおそらく不慮の事故で亡くなったのだろう。

 

血を沢山流して、ユノの腕の中で死んでしまったんだ。

 

緑色に塗りつぶされたドアの向こう。

 

ユノは帰るなり、服を脱ぎ、全身を除菌ティッシュで拭い、消毒スプレーを霧雨のように振りかけているだろう。

 

アクリル板とビニールシートに守られた、安全で清潔なベッドに横たわり、背中を丸めてぎゅっと目をつむる。

 

さっきの告白の答えを、ユノから貰っていない。

 

それでいいんだ。

 

今日の告白は、ユノからの回答が欲しくてしたものじゃない。

 

僕がどういうつもりでユノに近づいたのか、知ってもらいたかっただけだ。

 

僕の告白を無視している風には全然見えなかった。

 

何かしらの答えを出すには、その答えを導き出すために自身の感情を探らなければならない。

 

それどころじゃない今、僕の告白を一旦胸の中に仕舞って、保留にした。

 

ユノの優しさだ。

 

いつか余裕が出来た時に、胸の奥から取り出して、「どうしようか」と検討してくれたらいいなと思った。

 

僕は恋愛において、自己中だ。

 

僕の告白がユノの心に負荷を与えてしまったと、反省した。

 

 

いいアイデアを思いついた。

 

僕も『潔癖症』になればいい。

 

ユノの温室に入れてもらえる資格が欲しいから。

 

 

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(つづく)

(19)虹色★病棟

 

 

「...そっか」とつぶやいたきり、ユノは口を閉じてしまった。

 

肯定とも否定とも判断しかねる、淡泊なつぶやきだった。

 

カミングアウトしたことで清々しい気持ちになったけど...やっぱり怖いよ。

 

ユノが席を立ち、僕に背を向け、中庭を出て行ってしまうのを待った。

 

「......」

 

僕は絶対に嫌われた。

 

ひとり突っ走る僕は、昔も今も馬鹿みたいだ。

 

でも仕方がない、これが僕の恋の仕方だ。

 

僕の方が先にLOSTを出ることは確実で、ユノの回復までにどれくらいの期間が必要なのかは予想がつかない。

 

手紙のやりとりも差し入れも禁止されている。

 

僕は毎日LOSTの前で、ユノが出てくるのを待つのだ。

 

中庭のフェンス前には近づけないからね。

 

正門前に喫茶店があったはず、コーヒーを何杯もお代わりして読書して一日をつぶすんだ。

 

門が開く度ページから顔を上げては、ユノじゃないと知ってがっかりするんだ。

 

...ユノの事情なんて一切無視して、こんなプランまで既に立てていたんだ。

 

ユノが男を愛することができる男なのかは、この3週間の付き合いだけでは分からない。

 

こうしてベンチで隣り合って座っているのも、僕に好意を抱いてくれてるからだとみなしていた。

 

「婚約者はいつもワンピースを着ていた。

ワンピースはね、全部僕がプレゼントしたものなんだ。

僕の元を離れていった以降、僕にとっての婚約者は亡き人のようなものになった。

そうでも思わないと、やっていられないよ。

『形見』と言ったのは、そういう訳だよ」

 

緊張に耐えかねて、ユノが聞いていようといまいと、ワンピースを着ている理由のひとつを一方的に披露した。

 

ワンピース男なんて気持ち悪い?

 

僕に好かれて気持ち悪い?

 

そう尋ねようか、一寸の間迷った。

 

「ラムネが待ちくたびれてる」

 

ユノは立ち去らなかった。

 

ユノはポケットからビニール袋入りの人参を出してみせ、温室へと僕を誘った。

 

 

「うん」

 

ベンチから立ち上がった直後、中庭へ吹き込んだ強風が僕のワンピースを膨らませた。

 

素肌の太ももが粟立った。

 

下着だけの下半身はすうすうして、心もとない。

 

さらに下着がお尻に食い込んでしまい、直したいけれどワンピースの下から手を入れるわけにはいかない。

 

ユノにはああ言ったけれど、ワンピースの時は女性ものの下着を付けている。

 

女性になりたいとは思わない。

 

どうせワンピース男になるのなら、徹底的に。

 

気分が上がる。

 

行為の際に、婚約者のワンピースを脱がすのが僕は大好きだった。

 

でも、脱がせながら「いいなぁ」と羨ましく思っていた。

 

僕も脱がされたいなぁって。

 

そんな願望もあってワンピースを着てるだなんて、ユノには話せない。

 

ラムネにニンジンを与えるユノの指を...節が太く、血管の浮き出た指から目を反らせずにいた。

 

潔癖症の人間の指は、度重なる手洗いのせいで真っ赤に擦りむけていると聞く。

 

ユノの指は常に手袋で保護されているおかげで...保湿ケアも万全なのかな...白くしっとりとしていた。

 

その手で僕に触れて欲しいと思った。

 

大変だ...ショーツの前が窮屈になってきた。

 

僕のそこが性的に反応するのは、ひさしぶりだった。

 

LOSTへは性的な想像力を補ってくれる物の持ち込みは制限されている。

 

もし...もしも、僕の身体に触れてくれるのなら...。

 

ユノは潔癖症。

 

でも可能性はゼロじゃない。

 

先ほどの、手の甲に触れられた感触を思い出した。

 

困ったなぁ。

 

綺麗な男だと見惚れているだけではいられなくなったみたい。

 

 

(つづく)

 

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(18)虹色★病棟

 

 

手の甲に重ねられていた温もりが消え、ユノの手は彼の膝に戻っていた。

 

「...婚約者だった人は突然、家を出て行ったのか?

チャンミンを置いて?」

 

「うん。

酷い話だよね...」

 

「そうだな...」

 

僕は足裏をベンチに乗せ、曲げた両膝を抱き締めた。

 

当時を思い出し、心が寒々としてきたから。

 

小箱の中身がカタカタと音をたてはじめたから。

 

小箱については、ユノと一緒に蓋を閉め、頑丈な鍵は彼が持ってくれている。

 

ああ、僕という男はなんて自分勝手で弱いのだろう。

 

傷を負ったばかりのユノに頼りっぱなしだ。

 

僕の話が終わったら、ユノの話を聞いて、その手を握ってあげたい。

 

 

「前兆はあったんだ。

 

僕らは結婚に際してマンションを購入する計画をたてていたんだ。

 

ところがね、急に『止めよう』ってストップをかけてきた。

 

フルタイマーだったのが、正社員になりたいからって、資格取得の勉強を始めてね。

 

本気だったんだろうなぁ。

 

難しい試験を1発で合格した。

 

僕は面白くなかった。

 

勉強会があるからって帰りが遅かったり、勤務シフトも僕の休日に合わせてくれなくなった。

 

ついには転勤する、って言い出したんだ。

 

喧嘩になったよ。

 

結婚早々別居か?って。

 

じわじわとした小さな変化だったから、気づかなかった。

 

まさか上司と関係を持っていたなんて!」

 

「マジかよ...辛いなぁ、それは」

 

「...うん、辛い」

 

以前の僕だったら、当時のことをちょっぴりでも思い出した途端、辛い感情に呑み込まれてしまっていた。

 

ところが、今の僕はなぜだか涙の一滴も出てこなかった。

 

しみじみと懐かしむところまで回復したのかなぁ...いや、違うな。

 

頑丈な鍵を閉めているおかげなのかもしれない...うん、そうだ。

 

そうに違いない。

 

 

「転勤で引っ越してしまうのなら、僕もついていけばいいんじゃないかって思ったんだ。

 

転属願いを出してさ、根回しをしてさ。

 

通勤に2時間はかかってしまうけど、婚約者と一緒に暮らせる目途がついたんだ。

 

馬鹿みたいでしょ?」

 

僕の隣でユノが首を横に振る気配がした。

 

「でね、このビッグニュースを伝えたくて、わくわくしながら帰宅した。

そうしたら...いなくなっていた」

 

ユノが僕の方を振り向いたのが分かった。

 

滑稽だった過去を告白して恥ずかしかった僕は、前を見据えたままでいた。

 

「僕を置いて出ていってしまった」

 

僕はきっと、恋をしたらのめり込むタイプなんだろうと思う。

 

相手に心身をゆだね、言いなりになってしまう。

 

僕の恋の仕方とは身を滅ぼしかねない熱量を注ぐもので、だからそれを失った時には廃人にまで堕ちてしまうのだ。

 

「死別こそ崇高で、決定的な別れとは限らないよね。

軟弱なことに、婚約者に捨てられただけでこの有様だ」

 

「チャンミンにとってその恋は、命がけだったんだろ?」

 

「ははっ、そこまで大袈裟なものじゃないよ。

その人の存在が僕の全てになっていた...つまり、依存ってやつ?」

 

「そういうところ、俺と似てるな」

 

ユノは自身の小さな顎を撫ぜていた。

 

ユノは涙が出ない自分を責めていたけれど、僕の方こそ自分自身を責めたい。

 

3年経過した今、なんと僕は新しい恋を始めていた。

 

 

「出て行ったんだと悟ったとき、僕の頭に浮かんだのはね。

 

婚約指輪をどうしよう、ってことだった。

 

...婚約者から贈られたものなんだ」

 

「贈られた?」

 

ああ...。

 

ユノには全部、打ち明けてしまおう。

 

ユノなら何でも受け止めてくれそうな気がした。

 

配偶者を失ってぼろ雑巾になってるはずのユノに甘えるなんてね、僕は利己的だ。

 

いいんだ、遠慮していたら前に進めない。

 

僕がここに居られる時間は限られているんだ。

 

僕はユノと恋人同士になりたい。

 

ユノの肩ごしに、水色の空を綿菓子みたいな雲がのんびりと流れていた。

 

 

 

 

フェンスの向こうから吹く風で、少し肌寒かった。

 

餌を待ちわびるラムネがピリピリと鳴き続けている。

 

視線をユノの肩から数センチずらし、彼の上唇のすぐそばにあるホクロをだけを見た。

 

ごくり、と唾を飲んで、慎重にそのワードを口にした。

 

「僕は...ゲイなんだ」

 

「......」

 

「引いちゃった?」

 

ユノは髪をかきあげ、長い脚を投げ出し、ベンチの背もたれにどっと背中を預けた。

 

お尻の下に敷いたビニールシートがよじれて垂れ下がり、地面にその端が擦っていた。

 

そのことにユノは気づいていないようだった。

 

 

「ぶちまけてしまうね。

 

ユノに近づいたのは...ユノのことが気になったから。

 

ごめん。

 

下心があった」

 

 

ユノと目を合わせられなくて、僕はうつむき、ワンピースをぎゅうっと握りしめた。

 

 

(つづく)

 

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(17)虹色★病棟

 

なぜ白いものしか口にしないのか?

 

ユノに説明をしていた。

 

「その人は料理上手でね、テーブルの上はいつも色とりどりの料理が並ぶんだ。

味はもちろん、栄養バランスもバッチリでね。

今夜は何かなぁ、って毎日が楽しみだった。

 

お互いシフト制の仕事だったから、すれ違う日も多かった。

うん、僕らの生活は 幸せだったんだ」

 

「そうだったんだ...」

 

「その日、風邪気味だった僕は早退したんだ。

帰宅したら、夕飯の用意が既に出来ていて、留守だった。

夕飯の用意にしては早いなぁと思った。

 

不思議なことにメニューが思い出せない...とにかくカラフルだった。

テーブルの上を隙間なく、料理が並んでいた印象だけだ」

 

僕はうつむいて、ワンピースの縞模様を無意味に指でなぞっていた。

 

僕の横顔に注ぐユノの視線が痛いくらいだった。

 

ここでユノの素手が伸びてきて、僕の手を握ってくれたら素敵なのにな、なんて思ったりして...もちろん、そんなことは起こりえない。

 

「『先に食べて』の意味なんだろうけど、どうせなら二人で食べたくて、僕は帰りを待っていたんだ。

熱はあったけれど、気分は悪くなかった。

お腹が空いていたけど、ぐっと我慢した。

本来なら僕はまだ帰宅していない時間で、婚約者の帰りが特別遅いわけじゃなかった」

 

「婚約者?」

 

「あ...!」

 

うっかり滑らしてしまったワードに慌てて、僕は口を塞いだ。

 

「婚約者か...」

 

「うん...」

 

「そりゃ辛いな」

 

「38度は熱があったから、僕は風邪薬を飲んで布団にもぐりこんだ。

薬が効いたみたいで、ぐっすり眠れた。

婚約者が帰ってきたら思いきり甘えようと思ったりしてね。

 

こういう時、誰かと一緒に暮らしているのって幸せだよね」

 

「分かるよ」

 

「雨のぱらぱらいう音で目が覚めた。

洗濯物はベランダに干したままだったことを思い出して、僕は飛び起きた。

出勤前に僕が干した洗濯物だよ...洗濯は僕が担当していた家事だった。

 

サンダルを履いてベランダに出た。

手すりにバスマットを干していた。

物干しポールにシーツも干していたから、部屋の中が薄暗かった。

 

サンダルはチョコレート色なんだ...僕が選んだものでね...ごめん、こういう細かいことばかり覚えている。

 

 

僕らの部屋は4階で、ベランダから見下ろしたそこがちょうど正面玄関だ。

シルバー色のスポーツカーから下りてきた人物に、僕は息をのんだよ。

 

婚約者だった。

心臓をぎゅっとつかまれたみたいだった。

 

ここまで送ってもらっただけだって、僕の早とちりに過ぎないって思いたかった。

婚約者は運転席の男とキスをしていた」

 

「男...か」

 

「うん。

婚約者の頭をね、ぐいって引き寄せたんだ。

男の手だった」

 

「......」

 

僕の話に集中するあまりか、ユノの視線はフェンスの向こうにあり、曲げた指で下唇を撫ぜていた。

 

「全く気付かなかった。

一体いつから?

さあ...分からない」

 

「気付けないものらしい...一般的な話では」

 

「まさか僕が先に帰宅しているなんて、婚約者は驚いていた。

僕に見られたのでは?って肝を冷やしたんだろうね。

僕は知らんぷりしていた。

 

指摘したら最後、婚約者は素直に認めて僕の元から離れていってしまうのが怖かった。

でも、裏切られたショックは計り知れない」

 

「...そうだろうな」

 

「食欲なんて消えてしまったよ。

でも、何事もなかった風に装わなければならないからさ、吐きそうになりながら全部食べた」

 

ユノの片手が持ち上がり、僕のこぶしの数センチ上で止まった。

 

 

「...色のついた食べ物が嫌になったきっかけや理由は、これくらいしか思い当たらない。

LOSTに担ぎ込まれた時は、既に食事を拒否していたから。

 

食事が摂れるようになった時、食堂で出されたものを見て吐き気がした。

ひと口も喉を通らなかった。

そこで自分の偏食に気付いたんだ」

 

ユノの手はそのまま宙にあり、彼が何に迷っているのかよく分かっていた。

 

 

「婚約者の浮気に気付いてから1か月経ったある日、僕はひとりぼっちになってしまった。

僕は浮気を許すような男じゃない。

一か月もの間、密かに心の中で、効果的な別れ言葉を考えていたんだ。

それなのに、向こうからいなくなるなんて...!」

 

ユノの裸の手がふわりと、ティッシュペーパーの軽さで僕の手の甲に落とされた。

 

「あ...」

 

「カラフルな食い物がダメなのも、ショッキングなことが起こった日を象徴するアイテムなんだろうな。

過去を無かったことにしたいのに、こびりついたままだ」

 

頭を上げると、すぐそこにユノの濡れた眼があった。

 

乾いて荒れた肌、充血した眼、目の下の隈は相変わらずで、生きているだけで身を削っているように見える。

 

「カラフルなワンピースを着れたりするんだから、人の精神って不思議なものだなぁ」

 

「...ホントにそうだね」

 

「馬鹿野郎、って叫べよ」

 

「え?」

 

「その人と別れざるを得なくなった原因は、チャンミンだけじゃなくその人にもあるわけだろ。

つまりだな、チャンミンは『悲しい』というよりも、『憎い』気持ちが多いんだ。

好きなのに憎たらしい」

 

「...あ」

 

ユノの手の平に重みが増してきた。

 

それは細かく震えていた。

 

「『好きだ愛してる』で誤魔化すな。

てめえのせいでどれだけ悲しんだか、って。

 

はっきり言葉に出して、『馬鹿野郎』って罵ってみたら?

相手が死んだ奴だからって遠慮する必要はない」

 

ああ...どうしよう。

 

ユノが僕を想って、とびきりの慰め言葉をかけてくれる。

 

「あの...あのね、ユノ」

 

「なんだ?」

 

「婚約者だった人...死んでないよ」

 

「え...?」

 

ユノは見開いた眼で僕を覗き込む。

 

「死んだって...言った覚えはないんだけど」

 

「なくなったって...?」

 

「そっか...僕の言い方が悪かったんだね。

ユノが誤解しても仕方がないよね」

 

「死んだんじゃなくて?」

 

「うん...『死別』していない。

僕の元から離れていったんだ。

単なる婚約破棄なんだ...。

ごめん、心配かけて」

 

 

(つづく)

 

 

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(16)虹色★病棟

 

 

身体を拭きながら、念入りに消臭スプレーを全身に吹き付けているユノをちらちら見ていた。

 

自身の体臭を徹底的に閉じ込めてやろうという、強固な意志が感じられる。

 

ユノとは消毒液の香り、無臭そのものなのに。

 

「どうせマスクをしてるんだからさ。

スプレーしなくちゃいけないのは僕の方じゃないの?

ほら、シューっとして」

 

ふざけた僕はユノの前で万歳してみせた。

 

スプレーのノズルをこちらに向けたユノは、視線をある一点に釘付けにしている。

 

「お前...脇も剃ってるのか?」

 

「わ!」

 

大慌てで下ろした両手で身体を抱き締め、その場にしゃがみ込んだ。

 

「脇毛ボーボーでワンピース、着たくないでしょ」

 

「...確かに。

ワンピースを脱がしたら毛深い脇...ムード台無しだなぁ」

 

制汗スプレーをひと缶使う勢いで噴霧し終え、ユノはようやく下着を手に取った。

 

とっくに着替えが終わっていた僕はベンチに腰掛け、ユノの着替えが済むのを待っていた。

 

「脱がされること前提じゃないんですけど?」

 

「俺はワンピースを着たことがないから、ムダ毛を処理したい気持ちが理解できん。

脱がす立場で想像するしかないだろう?」

 

「う~ん、その通りだけどさ。

ユノだって清潔第一ならば、脇を剃ったらどうなの?」

 

「......」

 

無言になってしまったユノに、皮肉がきつすぎてしまったかな?と不安になってきた。

 

「僕の言ったことはジョークだから、ね?」

 

ところが、

 

「...チャンミンの言うとおりだな。

どうして今まで気が付かなかったんだろう」

 

なんて言うんだ、驚いてしまった。

 

「それにしたって、チャンミン。

お前もなにかとこじらせてるな」

 

と笑われた僕はムッとしてしまい、荷物を抱えて椅子から立ち上がった。

 

「先行ってるよ!」

 

脱衣所のドアがノックされた。

 

その鋭い音に、廊下に待ち構えていた次の番の者が、僕らを急かしているのだ。

 

「早くしないと、待ってる人がいるよ!」

 

僕は着替え途中のユノに構わず、脱衣所の鍵を外した。

 

「チャンミン!」

 

ユノの下着姿なんて、見られてしまえばいいんだ!...なんて子供っぽいなぁ、僕って。

 

脱衣所のドアが開くなり、順番待ちしていた者が中に踏み込んできた。

 

その者との衝突を避けようと、ユノは後ろに飛び退いた。

 

まともにぶち当たってしまった僕はずっこけながら、その華麗な動きに魅入られていた。

 

しなやかな肉体にふさわしい運動神経の持ち主だ。

 

困ったなぁ、と思った。

 

僕は喪失感に打ちのめされてここにやって来て、もう二度と恋など出来ないと思い詰めていた。

 

退所できた日には、精神はガタガタなままでも、衣食住を最低限保てるだけ働くことができる。

 

これが僕の目指していた将来だった。

 

ぽっと現れた一人の男性に、あっという間に恋に落ちてしまうなんて...。

 

ユノも泣いていたように、俺にとってのその人の存在とは、その程度だったのか、と。

 

ユノの場合は、衝撃が大き過ぎて悲しいセンサーが狂っているだけ。

 

でも、僕の場合は違う。

 

失ってしまった愛こそ生涯最高のもののはずだった。

 

3年間のたうち回る苦しみを経て、さあいよいよ新しい人生の出発だ、の矢先に出会ってしまった。

 

他の入所者の人たちはどうか知らないけれど、僕は男の人にも恋することができる。

 

喪失に別れを告げる場所で新たな恋を見つけてしまい、困ったなぁと思った。

 

そして、片想いで済ませるつもりがないことにも困ったなぁと。

 

尻もちをついた僕はユノからの冷たい視線に気づき、彼から指示される前に手を洗った。

 

入浴を済ませ清潔にしたばかりの手は、手袋で覆われた。

 

 

自室に戻った僕は、一度着たパジャマを脱いだ。

 

クローゼットを開け、色別に吊るしたワンピースをハープの弦のように撫ぜた。

 

「どれにしようかな...」

 

ユノとの散歩ではパジャマ姿が常で、いざワンピースを着るとなると恥ずかしかった。

 

初めて会った時、ワンピース姿の僕に驚いていたけれど、その眼差しには軽蔑の色がなかったことに好感を持てた。

 

コットン、ポリエステル、リネン、シルク。

 

ここに入所する際、形見であるこれら全てを持ち込んだ。

 

僕は常にパジャマ姿で、ワンピースを着るのはごくごく限られた時だけ。

 

ワンピースを着ていると、その人と今も変わらず繋がっている錯覚を起こす。

 

同時にこれらを身にまとっていると、過去を否定したくなるドス黒い感情を抑えてくれる。

 

小箱の中で暴れまわるもののひとつに、僕らの愛が破綻した時、心の中で竜巻のように巻き上がった強烈な嫌悪感がある。

 

ワンピースはそれを鎮めてくれるのだ。

 

 

僕のワンピース姿をひと目見るなり、ユノは「綺麗な色だな」と言ってくれた。

 

ベイビーブルーと白の太いストライプ柄で、メンズライクなシャツワンピースだから抵抗感を持たれにくいと思ったんだ。

 

白キャンバスのスニーカーを合わせていた。

 

ワンピースを着た男とは、決して美しい姿とは言えない。

 

だから、ワンピースの色を褒めざるを得なかったにしても、嬉しかった

 

僕らはベンチに腰を下ろした。

 

ワンピースの時はいつもそうだけど、両膝をこすりつけるように内股になっていた。

 

ここは三方を建物で囲まれているけれど、フェンスの向こうから吹く気持ちのよい風で、僕らの濡れた前髪も乾いた。

 

風通しのよいここでは僕ら二人だけで、ユノはマスクもゴーグルも外していた。

 

僕らがやって来たことを察したラムネは、温室の中から餌をねだってピリピリとさえずっている。

 

ユノはガウンのポケットからビニール袋入りの人参を取り出した。

 

「あら、いつの間に」

 

「お前のサラダに入るはずだった人参だ」

 

僕は相変わらず白いものを食べ、ユノも相変わらず密封された保存食を食べていた。

 

手始めに色鮮やかなものが苦手な理由を、ユノに教えてあげようと思った。

 

「最後の食卓がね...」

 

 

(つづく)

 

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