義弟(69)

 

 

 

~ユノ34歳~

 

 

「チャンミンが好きな気持ちは本当だよ。

後悔なんてするものか」

 

「こんな僕なのに?」

 

俺にすがりつくような真剣な目...涙をたたえた充血した目。

 

「そんな言い方をしたらいけないよ」

 

「...っ僕は、義兄さんにふさわしくないって...。

僕に会ってくれるのは、僕とヤリたいだけなのかなって」

 

チャンミンがそう思ってしまっても仕方がない。

 

俺たちは会えば必ず、時間を惜しんで互いの身体を貪った。

 

「それは、チャンミンが恋しかったからだよ。

身体目当てじゃない」

 

そう答えたものの...そうか、俺たちに足りなかったのは、言葉の交わし合いだったんだ。

 

「話をしようって、何ですか?

僕っ...。

怖いから早く言ってくださいよ」

 

「チャンミンに謝らないといけないことが沢山ある。

Xさんとのこと...気付いてやれず悪かった。

どうすれば、チャンミンの心の傷を癒してやれるか、昨夜からずっと考えている」

 

「...心の傷なんて...っく。

僕は傷ついていません。

Xなんてっ...どうってことないです。

それよりも...うっ...それよりもっ...」

 

チャンミンの頬をつたった涙を、親指で拭ってやる。

 

「分かってるよ。

俺のことを気遣ってくれてるんだよな?

俺のことなら心配しなくていい。

そりゃあ、ショックだったよ。

ショックを受けて当然だろ?

俺なら大丈夫だから、チャンミンは安心していい」

 

「大丈夫って...何が大丈夫なんですか?」

 

チャンミンは「俺に嫌われたのではないか?」と怯えているのだ。

 

俺がどれだけ言葉を尽くしても、こんなにも追い詰められた表情をした今のチャンミンには通じないだろう。

 

チャンミンの背を撫ぜながら、心が痛かった。

 

たまらなくなって、後ろ髪に鼻先を埋めた。

 

「チャンミンが好きな気持ちだよ。

信じて欲しい」

 

「義兄さんは大人ですね」

 

テーブルからティッシュペーパーを取って、チャンミンの鼻水を拭ってやった。

 

「そりゃそうさ。

チャンミンより17歳も上だからね。

ちょっとやそっとのことで、気持ちは揺るがないよ」

 

「で...話って何です?」

 

チャンミンは誤魔化されない。

 

欲しい言葉を貰うまで、食い下がる。

 

「チャンミンに謝らないといけない、の続き。

Bとのこと、ごめんな」

 

嗚咽で揺れていたチャンミンの肩が静止した。

 

「......」

 

「辛かったよな?

もし俺がチャンミンの立場だったら、耐えられないだろう。

チャンミンに苦しい思いをさせて、本当に申し訳なかった」

 

実は。

 

あの時、チャンミンが俺との関係を口走ってしまっても仕方がない、と覚悟していた。

 

もしかしたら、チャンミンが暴露してしまうのを心の奥底で期待していたのかもしれない。

 

そんな狡い自分に気付かされた。

 

俺の背に回ったチャンミンの両腕は、ぎゅっと抱きしめるのではなく、そうっと包み込むものだ。

 

シャツにしわをつけまいと配慮の気持ちに、愛おしさが増す。

 

「苦しいです...僕っ...苦しい。

義兄さん...苦しい」

 

口が裂けても「じゃあ、止めるか?」なんて言えなかった。

 

どれだけ苦しくても、チャンミンは止める気はないと、俺には分かっていた。

 

同時に、チャンミンは楽になりたがっている。

 

妻Bを目の当たりにして、あらためて自身の立場の不安定さを実感し、罪悪感も増したのだろう。

 

俺だってそうだ。

 

行き止まりの恋。

 

判断を迫られているのは俺だ。

 

俺がどちらを選んだとしても、誰かが傷つかないといけない。

 

その傷がすこしでも浅く済む最善の方法を、俺は知っている。

 

でも、今は口にできない。

 

チャンミンはひっくひっくと、しゃくりあげだした。

 

俺以上に大きく成長した身体なのに、丸めた背中が幼く小さく感じた。

 

「...チャンミン?」

 

「......」

 

「...1年、待てるか?」

 

「...え?」

 

俺の胸から顔を起こしたチャンミンの顔は真っ赤、泣きすぎたせいでまぶたが腫れぼったくなっていた。

 

火の玉のように熱いチャンミンの頬を、両手で挟んだ。

 

「ずっと前、チャンミンは俺に言ったよね?

Bと別れるな、って。

その約束を破らせてもらうよ。

別れたら、俺たちの関係をバラす、とも言っていたね」

 

「そ、それは...」

 

「俺とのことをバラしたければバラしていい...とは、俺は言わない。

バラして欲しくない。

俺のことを見損なったか?」

 

チャンミンはぶんぶんと首を横に振った。

 

「どうして、バラして欲しくないとお願いしているのか...分かるよな?」

 

「......」

 

「Bはチャンミンのお姉さんだ。

今、バラしたところで、最悪な事態になってしまう。

チャンミンにも分かるよね?

俺たちのことは、いつか必ずバレる。

だからと言って、『今』は得策じゃない。

俺からのお願いだ。

辛いだろうが、今は堪えてくれ」

 

「......」

 

「1年待って欲しい、というのはそういう意味だよ」

 

「1年って...1年後に何が待っているんです?」

 

「長くて1年だ。

あと1年の間は、義兄と義弟でいて欲しい。

俺からのお願いだ」

 

まさしく不倫男が言いそうな台詞だ。

 

「...それって...。

まさか...!」

 

「そうだよ」

 

「そんなっ...駄目、駄目ですよ。

姉さんは?」

 

「チャンミンを好きになった時点で、Bを裏切っていたんだ。

もっと早く決断するべきだった。

俺はね、チャンミンとの未来を夢見るようになったんだ。

だから、勢い任せの言葉じゃないよ。

そう思うと、あの時、

『Bと別れないで欲しい』と止めてくれたチャンミンに感謝している」

 

「...それは...」

 

「俺たちのことは...冷静にならないといけない。

注意深く進めていかないと。

この恋を守るためには、勢い任せは駄目なんだ。

だから、チャンミンが止めてくれて助かった」

 

「僕はそんなつもりじゃ...。

そんなつもりで言ったんじゃ...」

 

俺はチャンミンの頭を引き寄せ、もっともっと強く抱きしめた。

 

俺の気持ちがどうか伝わるように、と願いを込めて。

 

「計算高い男だって思った?」

 

「...はい」

 

「正直だなぁ」

 

子供扱いされることを嫌うことを知っていたが、チャンミンの頭を撫ぜずにはいられなかった。

 

シャワーを浴びたばかりなのか、石鹸のいい匂いがした。

 

「チャンミンはしっかり勉強しろ。

友だちと遊んで...高校生らしく過ごすんだ」

 

「...友達なんて、いません」

 

1年以上チャンミンを見てきて、「そうだろうな」と思った。

 

チャンミンは頑なで自身の世界に閉じこもりがちで、思い詰めたらとことん自身を追い詰めそうなところがある。

 

さらに、チャンミンは不安定ゆえに危なっかしいところもある。

 

その不安定さを助長させてしまった俺に責任がある。

 

17歳だということもあるが...。

 

「それから、Xさんとは絶対に会うな」

 

「......」

 

「『はい』、は?」

 

「はい」

 

よかった...俺を見上げる目に安堵の色が浮かんだ。

 

チャンミンの額に、唇を押し当てたら、くすぐったそうに笑った。

 

「よし!」

 

俺は太ももを叩いて、立ち上がり チャンミンに手を差し伸べた。

 

「あの...」

 

チャンミンは、立ち上がった俺のジャケットを引っ張った。

 

「どうした?」

 

そろそろ会場に戻らなければならなかったが、俺は椅子に腰かけた。

 

「願いがあります。

向こうに帰ったら、あの...。

義兄さんと二人でどこかにでかけたい、というか...。

ご飯を食べに行ったり、買い物に行ったり...したいです」

 

「分かった。

遊びに行こうか」

 

こういう時、チャンミンが男でよかった、と思うのだ。

 

「それから...。

義兄さんにあげたいものがあるんです」

 

「俺に?」

 

「誕生日プレゼントです。

せっかくですから、その時に渡したいです。

義兄さんが気に入るかどうか分かりませんが...」

 

「ありがとう。

楽しみだ」

 

じわっと涙が浮かんだ。

 

泣き出してしまいそうだった。

 

「それからもうひとつ...」

 

チャンミンは自身の膝に視線を落とし、それから勢いよく頭を持ち上げた。

 

「今から...したいです」

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

 

義弟(68)

 

 

~チャンミン17歳~

 

 

義兄さんにぎゅっとつかまれた二の腕が痛い。

 

義兄さんに引っ張られる格好でエレベーターに乗り込んだ。

 

吸い寄せられるように会場に自然と足が向かってしまったのは、帰る前に義兄さんの姿をひと目見たいと思ったから。

 

どんな顔を見せたらいいのか分からなくなったのと、忙しい時にふらりと現れて迷惑そうな顔をされて傷つきたくなかったのと、X氏と遭遇したくなかったのと...とにかく沢山の理由が、僕に踵を返させたのだ。

 

それから、昨夜からなんとなく肌身に感じていた嫌な予感...。

 

「チャンミンと会うのはもう止めようと思う。

俺にはBがいる。

お前は17歳だ。

世間的に許されない関係は、もうよそう」

 

...こう言われそうな気がしたからだ。

 

それなのに、思いがけず義兄さんと鉢合わせになってしまい、大好きな人と偶然会えた嬉しさ半分、何の心の準備もしていなくて戸惑ってもいた。

 

「義兄さん?」

 

義兄さんは階数ランプを睨みつけたままで、僕を見てくれない。

 

不安と緊張がむくむくと膨らんで、吐き気がするほど胸を圧迫した。

 

僕は温かなマフラーに鼻をうずめた。

 

僕の腕をつかんだ手が緩み、義兄さんは「ごめん、痛かったよな?」と言った。

 

「大丈夫です。

会えるなんて、思ってもみなかったですから」

 

頭を持ち上げた目前に、義兄さんの充血した目...。

 

目の下には隈ができ、疲労の濃い青ざめた顔をしていた。

 

「ふうぅぅ...」

 

義兄さんの低く深いため息に、僕は絶望した。

 

エレベーターの片面はガラス張りで、上昇していくにつれ、地方都市の街並みと、それを取り囲む山々が眼下に広がった。

 

高層の建物はこのコンベンションセンターが唯一で、雨にけむる眺望は幻想的とも言えた。

 

でも、僕の気分はずんと下がる一方だった。

 

「話をしようか?」

 

「あのっ...僕、列車の時間があるんで」

 

「列車って...。

帰るのか?

明日のはずじゃ...」

 

そこで初めて義兄さんは、僕が到着した日と同様に、荷物で膨らんだバッグを背負っていることに気付いたようだった。

 

僕は無言で首を振った。

 

なぜ予定を1日繰り上げたのか、義兄さんは尋ねなかった。

 

姉さんがやってきた今、僕がいるのは邪魔なんだと悲しくなった。

 

「ここにいても暇だよな。

ごめんな、チャンミン」

 

義兄さんの手が伸びてきて、僕の頭をくしゃりと撫ぜた。

 

その手はいつものように優しかったけど、まるで子供相手にするようで嬉しくない。

 

「止めてください」

 

そして、「帰るな」と引き留められなかったことに、もっと悲しくなった。

 

撫ぜる手を払いのけられた義兄さんは、傷ついた顔をしていた。

 

多目的ルームがある7階に僕たちはいた。

 

「ここなら誰もいない。

俺たち作家の控室になっている。

会場スタッフの休憩室は5階だから、滅多に人はこないよ」

 

「...でも」

 

義兄さんは逡巡のせいで足を止めてしまった僕の背を押し、部屋に入るなりドアを閉め、鍵をかけてしまった。

 

そこはがらんと広々とした部屋で、正面に腰高の窓があり、ブラインドの隙間からグレーの空が見えた。

 

左奥に折りたたみ椅子が積み重なり、その手前に置かれた3人掛けのソファには、仮眠に使っていたのか毛布が丸まっていた。

 

ホワイトボードに進行表が、折りたたみテーブルの上には、ポットや紙コップ、ペットボトルのお茶、ラップをかけたサンドイッチの皿などが置かれていた。

 

僕は室内を観察することで、義兄さんと二人きりになって気まずい気分を隠した。

 

「チャンミン。

ここに座って」

 

義兄さんに促され、僕は素直に折りたたみ椅子のひとつに腰を下ろした。

 

「......」

 

僕はうつむいたまま、太ももに置いたこぶしを見つめていた。

 

義兄さんが何を言い出すのか...とても怖くて、彼の顔を見られない。

 

「チャンミン。

こっちを向いて」

 

その声がとても優しくて、いよいよだ、と僕は覚悟した。

 

僕の気持ちが、どうして「別れ」にまで飛躍してしまったのか...分からない。

 

義兄さんの言動の断片が少しずつ積み重なり、形となったものが、「別れ」の気配を漂わせていたからだ。

 

僕がしでかしたことが大きな引き金で、そこに姉さんまで登場してしまったらもう...耐えられない。

 

義兄さんと別れたくないけれど、義兄さんといると苦しい。

 

相反した感情を抱えていられるほど、僕の心は強くない。

 

「俺を見て」

 

義兄さんは僕の両肩に手を置き、僕を覗き込んだ。

 

疲れた顔...上目遣いの眼は凪いだ湖面のように穏やかで、義兄さんが口にすることとは、いい知らせなのか悪い知らせなのか、どちらともとれた。

 

緊張のあまり、口の中が乾いていた。

 

「今朝は悪かった。

チャンミンは辛かっただろう。

自分と置き換えて想像してみたんだ。

そうしたら...とても辛かった」

 

「...別に。

今に始まったことじゃありません」

 

彼ら夫婦が二人並んで立っている姿は、もう見たくない、と思った。

 

哀しいことに僕らは親族同士で、その光景を二度と目にしないわけにはいかないのだ。

 

「...そうだよな。

辛い思いをさせて、悪かった」

 

「謝らないでください。

僕が好きになってしまったのが悪いんです...奥さんがいる人を」

 

「...チャンミン」

 

義兄さんは僕の足元に膝立ちし、僕を引き寄せ胸深く抱きしめた。

 

「チャンミンがそう言うのなら...奥さんの弟を好きになってしまった俺も悪いね」

 

「...え?」

 

「なあ、チャンミン。

辛いか?

俺といて辛いよな?」

 

以前の僕だったら、

 

「平気です。

義兄さんの側にいられるだけで、僕は十分です」

 

と、答えられただろう。

 

でも、今の僕にはそんな余裕はなかった。

 

強がったり、意地を張るのはよそうと思った。

 

だって、嘘は疲れる。

 

「...苦しいです。

...っ、うっ...。

義兄さんは奥さんがいて...っく...。

僕は他の人とヤッていたし、っ...っく」

 

「そうだよな。

うん、その通りだ」

 

義兄さんは僕の頭を抱き寄せ、背中をさすってくれた。

 

涙のシミを付けたらいけないと、頭を起こそうとしたけど、義兄さんはそれを許さなかった。

 

「僕は姉さんを裏切っているし。

...僕は子供過ぎて...うっ...んっ...。

義兄さんといるには、頑張らなくちゃいけなことばかりです」

 

「そうか...。

そうだよな。

辛いよな」

 

義兄さんの胸から、彼の低い声が響いて聞こえる。

 

義兄さんの匂いがする。

 

「義兄さんのことが好きなのに。

好きで好きでたまらないのに...。

頑張ってます。

僕は、頑張ってばかりです」

 

「そうだね。

チャンミンはこれまで、頑張ってきた。

...俺も。

チャンミンが大事だよ。

とても大事だよ」

 

鼻先にぶらさがるネクタイを見て、今朝の夫婦のやりとりを思い出してしまった。

 

「...大事なんてっ...嬉しくない」

 

僕は「好き」の言葉だけを聞いていたい。

 

僕を想ってくれるこその言葉なのに、「大事だよ」の次に続くであろう言葉はきっと、僕が聞きたくないものだろうから。

 

「チャンミンが好きだよ。

34歳のおじさんが、高校生を好きなんだぞ。

それも奥さんの弟だ。

好きになってはいけない人を、俺は好きになってしまった。

17も年下の子を...それも男の子を本気で好きになるなんて。

未だに驚いている」

 

本気...。

 

「俺たちは『不倫』をしている。

咎めを受けるのは俺だ。

チャンミンは悪くない」

 

「それじゃあ...義兄さんだけが悪い、ってことですか?

悪いことをしてるって、義兄さんは思っているんですか?」

 

「そうだよ」

 

ドキン、とした。

 

義兄さんははっきり認めた。

 

この1年以上の間、義兄さんは罪悪感を抱きながら僕と会っていたんだな。

 

「僕とのこと...っく。

後悔してるんですね?」

 

止まりかけた涙がまた、膨らんできた。

 

「後悔...してるんだっ...!」

 

鼻の奥がつんと痛い。

 

「しー、最後まで話を聞いて。

チャンミンを好きになったことは、後悔していない。

全く後悔していないよ。

チャンミンと出逢えてよかった、と思っている」

 

義兄さんの大きくて温かい手の平は、なだめるように僕の背を撫ぜ続けていた。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

義弟(67)

 

 

~ユノ34歳~

 

 

その後、数人の客の相手をした。

 

この3週間繰り返した文言だったから、すらすらと諳んじられる。

 

作品解釈、制作秘話、次の作品の構想、将来の展望...を上の空で語った。

 

照明がギラギラ目を射る。

 

寝不足が堪えてきたらしい、目をつむり目頭をつまんだ。

 

外の空気でも吸おうかと会場を出た。

 

「暑い...」

 

疲労の汗と脂が浮かんだ顔を洗えばさっぱりするだろうと、手洗いのある3階へエスカレーターで上がる。

 

静かなところで一息つきたかった俺は、混雑したそこを離れ、利用者の少ない階に向かうことにした。

 

エレベーターを待つ間、再びチャンミンについて思いを馳せる。

 

今朝のホテルでのことだ。

 

チャンミンの立場になって考えてみた。

 

辛かっただろう。

 

俺とBがいる場に、半ば強引に引き出した。

 

チャンミンを隠すなんて、彼にとって屈辱的なことをさせられなかった。

 

だからと言って、夫婦の前に引っ張り出すなんて、酷いことをしてしまった。

 

俺とチャンミンには何もいかがわしいことはない...これを示したかったんだな。

 

狡い男だった。

 

Bはチャンミンの姉で、俺の妻。

 

平静を装おうとしているチャンミンがいじらしかった。

 

極めて自然に振舞っていた。

 

心中はネガティブな感情の嵐でもみくちゃになっていただろう。

 

もし俺だったら...。

 

もし俺が10代の若者だったら、耐えきれなくてあの場で全部、バラしてしまっただろう。

 

チャンミン...。

 

いい子だ。

 

そんな子を今、俺はひとりきりにさせてしまっている。

 

再び、チャンミンになったつもりで想像してみた。

 

不安と嫉妬で苦しんでいるだろう。

 

「...しまった」

 

今夜はチャンミンと会うつもりだったのに、Bとの約束とバッティングしてしまった。

 

正直な気持ち、チャンミンを優先したかったが、Bとの約束をすっぽかすわけにはいかない。

 

こうして天秤にかける俺は、何様なんだろう。

 

腕時計を確認する。

 

チャンミンの心情を想像したらもう...放っておけなくなった。

 

30分かそこらなら...。

 

きびすを返したその時。

 

昇りエスカレーターからその姿がゆっくりと現れた。

 

そうだった...この子はこんなにも綺麗な子だったんだ。

 

「チャンミン!」

 

チャンミンの目が真っ赤だった。

 

寝不足のせいじゃない、少し前まで泣いていたんだ。

 

涙の理由は...痛いくらい分かっていた。

 

胸が強大な罪悪感で押しつぶされて、呼吸がしづらかった。

 

俺はチャンミンの手を握ると、ちょうど到着したばかりのエレベーターに連れ込んだ。

 

この恋は苦しい。

 

俺のことはどうでもいい...チャンミンが一番、苦しい。

 

行き止まりの恋だから。

 

チャンミンを苦しめているのは...俺だ。

 

 


 

 

~チャンミン17歳~

 

 

「...どうしよう」

 

知らず知らず声を発していた。

 

義兄さんからもらった、大事なトレーナーを失くしてしまった。

 

X氏の部屋へ取りにゆけばいいことだけど、それだけは出来ない。

 

僕自身、会いたくないし、「もう二度と会わない」と義兄さんと約束したんだ。

 

失くしたと知ったら、義兄さんを悲しませてしまう。

 

「そっか...」

 

同じものを買えばいいんだ!

 

義兄さんも失くした...実際は僕が盗んだ...ブレスレットと同じものを買って誤魔化したように。

 

駄目だ、これを買ってもらったのは1年近く前、もう手に入らないだろう。

 

情けなく、悔しかった。

 

17歳に過ぎない自分の無力さが悔しかった。

 

馴れた身体になりたくて、怖いもの知らずでX氏に近づいた、自分の馬鹿さ加減が情けなかった。

 

拒絶の意思を、X氏に徹底的に示せなかった自分が悔しかった。

 

あの時、「姉さんと別れてください」と言えなかった自分の弱さが悔しかった。

 

じわっと湧いてきた涙を、こぶしで拭った。

 

ここに来てからの僕は泣いてばかりだ。

 

すぐに涙をこぼす自分が子供っぽくて、情けなく悔しかった。

 

僕はデイパックを背負って、部屋を出た。

 

デイパックの奥底に押し込んだ紙袋を意識した。

 

義兄さんに渡すはずだったものがおさまっている。

 

1年分のアルバイト代をはたいて買ったものだ。

 

そのアルバイト代も義兄さんが貰ったモデル代だったから、おかしな話だけど。

 

高校生の僕がひとりで行くには気が引けたし、大金を持った僕に店員が不審がるだろうから、Mに同行してもらった。

 

僕のセンスじゃ相応しいものを選べなかったから、Mのアドバイスに助けられた。

 

義兄さんの誕生日の二か月以上も前のことで、早くこの日が来ないか待ちどおしかった。

 

クローゼット奥に隠しておいた、それの存在を意識した日々の、甘やかなことと言ったら!

 

僕の贈ったものが的外れだったり、センスのいい義兄さんの趣味にたとえ合っていなかったとしても、彼のことだ...絶対に笑顔を見せてくれると確信していたから。

 

「...っく...」

 

困ったな、涙が止まらない。

 

パーカーの袖で涙を押さえた。

 

ホテルのロビーで通り過ぎる人々には、僕のことを酷いアレルギー持ちだと勘違いして欲しい。

 

ぐるぐる巻きにしたマフラーに、鼻上まで顔を埋めた。

 

温かい...義兄さんに守られている気がした。

 

フロントにカードキーを返却し、うつむき加減で早歩きでエントランスドアを目指した。

 

ふいに頭を上げた時、自動ドアに手を添えたドアマンと目が合ってしまい、僕はわざとらしく目をこすり、会釈してそこを通り過ぎた。

 

左に行けば駅までの送迎バスの停留所が、右へ行けばコンベンションセンター。

 

「ふぅ...」

 

僕は大きく息を吐き、歩き出した。

 

 

 

 

黒い傘とレンガを模したタイル敷きの地面しか視界に入っていなかった。

 

傘を貸してくれたホテルスタッフ、通り過ぎたタクシードライバー、すれ違ったスーツの人、制服を着た警備の人、大人たち。

 

コンベンションセンターに吸い寄せられる色とりどりの傘。

 

チケット売り場のお姉さんから、「学生さん?」と尋ねられ「はい」と頷いた。

 

高校生料金で入場できてしまう自分が情けなかった。

 

義兄さんから関係者用パスカードを貰っていたことを、入場してから思い出した。

 

「関係者」の響きに得意げになっていたのは、わずか2日前のこと。

 

目に飛び込んでくるアートの世界、天井は高く、一昨日来たときはなかったアート作品が会場中央に垂れ下がっていた。

 

その下にステージが設置されているのは、閉会セレモニーのためなんだろう。

 

そして、あそこのパーテーションの奥が、義兄さんのブースだ。

 

足を向けかけてすぐ、立ち止まってしまったのは、X氏がいる可能性に思い至ったからだ。

 

通路の真ん中で立ち尽くす僕を、邪魔そうに避け、迷惑そうな表情をわざわざ振り向いて見せる人もいた。

 

義兄さんはアートの世界では有名だそうだから、みな彼のブースを目指しているのだ。

 

勢いよく踵を返したところ、後ろにいた人物にぶつかってしまった。

 

考え事で頭がいっぱいで周囲に気を配れず、足元ばかり見ていた僕が悪いのだ。

 

「す、すみません」

 

僕の心臓がドキンと跳ね、直後全身が冷えた。

 

X氏かと思ったのだ。

 

ところが、単に体格のいい男性と分かり、安堵した僕は頭を下げ、その場を立ち去った。

 

よそ行きの顔をして、大人な対応をしている義兄さんを見たくなかったのだ。

 

僕と義兄さんの距離の大きさを、思い知らされるだけだったから。

 

自分が何をしたかったのか、見失ってしまっていた。

 

気づいたらエスカレーターに乗っていた。

 

最上階は365度ガラス張りで、街の景色を臨めるのだとか。

 

駅かホテルか、どこかで手に取ったパンフレットなんかで目にしていたんだろう。

 

そういう予備知識が記憶の隅にあったからか、僕は無意識に上階を目指していた。

 

じれったいほどのろまなエスカレーターだ。

 

何を見ようっていうんだ?

 

僕はゆっくりゆっくり上昇していった。

 

エスカレータの溝だとか、スニーカーの先だとかに視線を落としていた。

 

つかんだ指で手すりをとんとん、と叩いていた。

 

床が吸い込まれる降り口が見えた時、

 

「チャンミン!」

 

僕の名を呼ぶ人がいた。

 

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]

 

義弟(66)

 

 

~チャンミン17歳~

 

 

胃からこみ上げるものに耐えられず、僕は洗面所へ走った。

 

うつむいて直ぐに、胃の中のものを全部戻してしまった。

 

出し切ってもえずきはおさまらず、全身を痙攣させていた。

 

「はあはあはあはあ...」

 

全部吐き出して、僕の中で渦巻く不快な感情まで出し切ってしまった爽快感があった。

 

涙と鼻水、胃液でべたべたの酷い顔をしているだろう。

 

僕は汚い。

 

X氏の侵入を1年以上許してきた僕は汚い。

 

「チャンミンは汚くないよ」と義兄さんがどれだけ否定しても、この気持ちを消すことができなかった。

 

僕はこれからどうすればいいんだろう?

 

まずはどろどろになった顔をどうにかしないと、とシャワーの蛇口をひねり、洋服を脱いだ。

 

ほとばしり出るシャワーの下に立った。

 

仰いで顔全体で熱いシャワーを受け、ボディソープをつけた手の平を身体のすみずみまで滑らせた。

 

昨夜も念入りに洗ったけれど、全然足りない。

 

汚い身体を綺麗にしないと。

 

義兄さんに愛された身体であっても、今の僕は汚れている。

 

昨夜のX氏の行為を思い出してしまいそうになり、僕は意識を即シャットアウトさせた。

 

代わりに義兄さんを想った。

 

...身体じゅうキスの雨を降らし、吸って舐めて、時間をかけて念入りにほぐし広げる指。

 

下腹の緊張が高まり、後ろの奥がうずうずしてきた。

 

2本の指で押し広げたそこに、、水量をあげたシャワーヘッドを近づけた。

 

熱をもってじんじん痛いそこに、指を侵入させた。

 

...義兄さんのものが埋められる...深く侵入させたまま僕の腰を小刻みに揺する。

 

...義兄さんのものを離さないとばかりに、僕の中はうごめきそれを締め付ける。

 

「...っはぁ...んんっ...」

 

バスタブに片手をつき、後ろにまわした片手で自身を慰める。

 

人差し指だけじゃ足りない、中指を足した。

 

全開にしたシャワーが僕の背中を叩く。

 

湯気とシャンプーのいい香りに包まれ、感じ入る僕の視界は真っ白なバスタブだけ。

 

腸壁を3本の指でかきまわし、弱いところばかり狙って刺激した。

 

「...あっ...あ、ああぁっ...」

 

膝の力が抜け、僕はバスタブの中にしゃがみ込んだ。

 

しゃがんだ姿勢で、再度指を突っ込んだ。

 

子供のくせに馴れた身体だと言われた。

 

X氏にも...それから義兄さんからも同じことを言われた。

 

X氏の顔が浮かびそうで、僕はぎゅっと目をつむり、義兄さんの顔とすりかえた。

 

僕の身体は...特にそこは浅ましくいやらしいのだ。

 

だから今も、自分で慰めないといけないほどなんだ。

 

前を刺激しなくても、後ろだけで容易に達せられるんだ。

 

「...あっ...あっ...」

 

出入りさせるちゅぽちゅぽいう音も、僕の背とバスタブに打ちつけるシャワーの音でかき消されている。

 

がくがくと顎が痙攣する。

 

目をつむっても視界は白い、目をあけても湯気で真っ白で、白に囲まれた僕はまっさらに清潔なんだ。

 

タイル張りの浴室に、こもった僕の喘ぎがよく響き、自分の喘ぎで興奮度が増した。

 

膝が震えてしゃがんでいられなくなった僕は、バスタブの底に卵みたいにうずくまった。

 

僕の指の動きは止まらない。

 

...両膝を抱えた僕にのしかかった義兄さん。

 

...真上から鋭く刺し貫かれて、強烈な快感でしゃくりあげる僕。

 

手首のスナップをきかせて、出し入れさせるスライドを大きくした。

 

いいところばかりこすりあげた。

 

股間の昂ぶりに耐えられないところまでいった瞬間。

 

...裸で抱き合う義兄さんと姉さんの姿が思い浮かんだ。

 

僕の想像力が、今まで見たことのない光景を見せたのだ。

 

指を引き抜いた。

 

「はあはあはあはあ...」

 

冷水にしたシャワーで、赤く火照った顔と身体、それからそこを冷却した。

 

苦しい、この恋は苦しい。

 

恋は苦しい。

 

じわっと浮かんだ涙を手の甲で、乱暴にごしごしこすった。

 

2日前、ウキウキ気分でこの地を訪れ、スタイリッシュにまとめられたこの部屋に、心躍っていた自分が遠い。

 

たった2日で、ここまでの雲泥の差を作ってしまった原因ってなんだろう。

 

...僕だ、僕のせいだ。

 

まっさらな立場になりたくて、体当たりでX氏に迫ったことが失敗してしまった。

 

義兄さんにバレてしまった。

 

義兄さんは赦してくれた。

 

浴室を出た僕は、ぞんざいに身体を拭き身支度をした。

 

熱いシャワーを浴び過ぎたせいで暑い、汗がひくまでトップスは身に付けずにいた。

 

バッグをベッドの上に放り出すなんて乱暴な動作が、僕らしくなかった。

 

ファスナーを開けた時、

 

「...あ」

 

触れたものは、バッグの底に忍ばせていた小さな紙袋。

 

義兄さんへの誕生日プレゼントだ。

 

結局、渡せずじまいになってしまった。

 

「......」

 

僕はそれをバッグの底に戻すと、クローゼットに納めた洋服、ほとんど開くことのなかった参考書、洗面用具をバッグに詰めた。

 

今すぐ帰ろうと心に決めたのだ。

 

義兄さんは夜、会おうと言ってくれたけど、その時まで僕は待てなかった。

 

待つ時間が辛い。

 

だから、帰ってしまおうと思ったのだ。

 

そんな僕を...義兄さんに心配してもらいたかった。

 

荷造りを終え忘れ物がないか、室内をまわってチェックした。

 

最後に、トレーナーを着ようとした時。

 

...なかった。

 

急いで荷造りしたから、今日着るつもりのトレーナーも一緒に詰め込んでしまったんだ、きっと。

 

バッグの中身をひっくり返した。

 

...ない!

 

クローゼットには何もかかっていないハンガー、空っぽの引き出し。

 

ベッドの下を覗き、枕の下もシーツの隙間も、部屋中すみずみまで探した。

 

ない!

 

義兄さんに買ってもらった、大事なトレーナーがなかった。

 

昨日もそれを着ていた。

 

イベント会場に行くつもりだったから。

 

それがどこにあるか、僕にはわかっていた。

 

X氏の部屋だ。

 

あの部屋で服を脱いで、それから...。

 

僕の部屋に戻ってきた時、僕は半袖Tシャツ姿だった。

 

X氏の部屋に、大事な洋服を置いてきてしまったんだ。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

 

義弟(65)

 

 

~ユノ34歳~

 

 

スタッフ一同を心配させていた立体作品は、昨夜遅く無事到着したようで、会場中心からぶらさがっている。

 

昨夜の俺はチャンミンとX氏に抱いた疑惑と不安にかられ、役目を放り出していた。

 

非常識極まりない行動だった。

 

運営委員の面々が集合し簡単な打ち合わせを終えたのちは、パーティまでの時間、それぞれ会場内に散る。

 

俺の場合は、自身のブースをうろついて、作品についての解説を求める客に応じる。

 

応対にひっきりなしになったかと思えば、暇になる時もある。

 

パイプ椅子に腰かけ、乾いた喉を水で潤し、会場を見渡すのだ。

 

X氏は会場のどこにも見当たらず、彼に会いたくなかった俺には好都合だった。

 

X氏と対面して、俺が言うべき言葉が見つからない。

 

チャンミンの件を示唆して釘を刺してもよかった。

 

自身の仕事の今後について、考えを巡らせた。

 

昨夜とってしまった失礼な態度を振り返った。

 

X氏が知ってしまったこと...俺がX氏とチャンミンの関係に気付いてしまったこと、そして俺とチャンミンの義兄弟を越えた仲のこと。

 

X氏の怒りを買ってしまった今、今後の仕事の大半は失うだろう。

 

いや...X氏は腹を立てるどころか、この泥沼に陥った俺を面白がっているかもしれない。

 

X氏について多くは知らないが、眼力強いぎょろ眼を思うと、陰湿で残酷な匂いを嗅いでしまう。

 

「はあ...」

 

会場を埋め尽くす大勢の老若男女。

 

この中にどれくらいの者が不倫関係に溺れ、のちに苦しんでいるのだろうか...との思いにふけった。

 

俺は今、決断を迫られている。

 

一心に俺を慕うチャンミン。

 

何も知らないB。

 

社交的で自身の欲に正直に生きるBだったから、俺は口を挟まず、彼女のしたいようにさせてきた。

 

互いに干渉せず自由な夫婦でいるからといって、自由に恋をしその者と関係をもっていいわけない。

 

Bと出会ったばかりの頃...そして結婚式の日を思い、Bの弟と密会を続けている今を思い、その差に眩暈がした。

 

Bとチャンミン姉弟を不幸にしかけている今、俺がすべきこと。

 

このイベントが終わったら、行動に移さないと。

 

答えは出ているのだから。

 

「はあぁ...」

 

背もたれに深くもたれ、天を仰いでため息をついたその時、光が遮られた。

 

俺は即座に姿勢を正し、俺を覗き込んだ人物...妻Bを振り仰いだ。

 

十数メートル上の天井から注ぐライトの光で、一瞬くらっときた。

 

寝不足のせいだ。

 

「お疲れのようね。

ごくろうさま」

 

「今日でようやく終わるよ」

 

俺は立ち上がり、ひとつしかない椅子をBに譲った。

 

「パーティまであと...」

 

腕時計を確かめて、「3時間もあるぞ?」

 

自身の思いと今後の身の振り方について、じっくり考えたかった俺は、早々と会場入りした妻に、咎めの口調に聞こえないよう神経を払った。

 

「ほら、昨夜電話で言ったでしょう?

話があったの、ユノに」

 

「ああ...」

 

そう言えばそんなようなことを、Bは言いかけていた。

 

「もう!

やっぱり忘れてたのね」

 

Bは俺の肩を軽くつき、その頬を膨らませた顔から、チャンミンの拗ねた顔を見たことがないことに気付く。

 

あったのかもしれないが、思い出せない。

 

チャンミンが見せる顔とは、デフォルトの無表情、俺を誘う妖しい眼差し、達した後の意識を飛ばした顔、照れて俯いた時のつむじ...それから、昨夜の泣き顔、不安と苦痛で潤んだ眼...。

 

笑顔は?

 

航空チケットを贈った時に見せた年相応の笑い顔。

 

よかった、笑顔の記憶が見つかって。

 

でも、記憶を探らないと思い出せないほどに、チャンミンを笑わせていなかったこれまでを思い知らされた。

 

チャンミンが可哀想だった。

 

妻が隣にいるのに、俺の頭に浮かぶのは決まってチャンミンのことばかりだ。

 

「何かに夢中になると、いつもこうなんだから...なんてね。

ユノはいつも、私を最優先にしてくれる。

ユノはいい旦那さんよ」

 

Bの発言に、俺はうろたえてしまった。

 

「ふふ。

褒められて驚いてる...」

 

笑うBに、チャンミンの面影を見つけてしまいそうだった。

 

「...話って何?

こんな場所でよければ、今聞くけど?」

 

Bが俺にしたい話の見当が全くつかなかった。

 

Bの口ぶりから、いつものあれが欲しい、こうしたいといった類のものじゃないようだ。

Bのワンピースの裾から伸びる、小さな膝とふっくらした白いふくらはぎから、目を反らした。

 

すくすく育った、贅肉のない細く長い、骨ばったチャンミンの膝下と重ね合わせてしまったからだ。

 

「こんなところでする話じゃないから、今はよしておく。

あなたも忙しいでしょうし...ほら、あそこの方、あなたに用があるようよ」

 

パンフレットを手にした老夫婦が、こちらの会話が終わるのを待っていた。

 

「イベントが終わったらでいいわ。

久しぶりの夫婦水入らずね」

 

そう言ってBは会場を後にした。

 

 


 

 

~チャンミン17歳~

 

 

ベッドに身を投げ、顔だけを横に向けてうつ伏せの姿勢でいた。

 

ベッドスローは床に垂れさがり、シーツもしわくちゃだ。

 

僕が抜け出たままの形の空洞をつくった毛布を引き寄せ、それにくるまった。

 

朝食を無理やり詰め込んだせいで、胃がむかむかした。

 

姉さんを抱く義兄さん...姉さんにキスをする義兄さん、姉さんへプレゼントを贈り、姉さんに甘い言葉を囁く義兄さん。

 

僕と義兄さんが出会ったのも、婚約の挨拶に自宅に訪れた時だった。

 

僕は階段の踊り場から、玄関に立つ義兄さんをこっそり観察していた。

 

僕らの出会いは遅すぎたのかな...と思いかけて、義兄さんと姉さんが結婚をしなければそもそも、僕と彼は出会っていなかった事実に思い至った。

 

僕はカタツムリのように身体を丸め、自分を抱きしめた。

 

じわり、と涙が浮かんできた。

 

苦しい。

 

この恋は苦しい。

 

全然、うまくいかない恋。

 

大好きな人と裸になって抱き合っているのに、まるで片想いのようだ。

 

ある人に密かに想いをよせる一方通行の恋...片想い自体が初めてだったんだ。

 

僕が初めて好きになった人...ユノさん。

 

前言撤回して、『姉さんと別れて欲しい』と言ったら、義兄さんは困るかな。

 

困るよね?

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]