(5)チャンミンせんせ!

 

 

睡魔と闘う7時間勤務を終えたユノは、アパートまでの道中考え事でいっぱいだった。

 

(教習料金を支払わないとせんせと2人きりになれないなんて、売れっ子ホストに会いに行く客みたいじゃないか。

そうなんだよなぁ、俺が教習生でなくなればいいだけの話じゃないか。

...俺はバカかよ)

 

自分には十分チャンスがあることに気をよくしたユノは、ニヤニヤ顔を隠せなかった。

 

幸いなことに、午前6時の道は人通りまばらだった。

 

ユノの思考は次の懸案事項に移った。

 

ガールフレンドのQについてだ。

 

ユノのスタンスでは、Qはガールフレンド=女友達に過ぎず、『彼女』というより『妹分』と言った方が近い。

 

Qとはバイト先で知り合い、世話を焼いているうちに懐かれてしまった。

 

同じ自動車学校に通い、食事を共にとったり、買い物に付き合うことも多い。

 

断る理由もなく、まあまあ可愛いQに合わせていたのだが...。

 

ここでユノはハッとする。

 

(チャンミンせんせにべたべたする俺と、俺にベタベタするQと同じじゃないか!)

 

懐かれて、「面倒だなぁ」とか「くっ付きすぎだなぁ」とか迷惑がっていた自分と、「ユノさん!」と眉間にシワをよせたチャンミンとを重ねてしまったのだ。

 

(そこに恋心はない。

...せんせは俺のこと、どう思っているのだろう?)

 

 

一方、Qは...。

 

Qのユノへの想いは真剣だった。

 

ところがユノは、過度なスキンシップを迷惑がり、誘ってもお泊り無しで、大いに不満に思っていた。

 

(ユノは優しいし、頭いいし。

それから...超絶カッコいいし!)

 

小さな我が儘に応えてはくれるけど、ぎりぎり手を繋いでくれるかくれないか。

 

(ストレートに『好き』と伝えていない私が悪いんだわ。

それならば、ユノの気持ちを確かめよう!

私の気持ちもはっきり伝えよう!)

 

Qは先ほどユノに送った『おはよう(ハート)』の返信を待っていた。

 

バイトはとうに終わっている時刻なのに、返信がない。

 

イライラした。

 

 

考え事にふけるユノは機械的にペダルを漕ぎ、その目には、周囲の景色はほとんど映っていない。

 

(ひとりの男として見てもらうためには、俺はどうしたらいいのだろうか...。

チャンミンせんせより男らしくなればいいのかなぁ。

やっぱりムキムキマッチョ好きなのかなぁ。

そうなんだよなぁ...チャンミンせんせは男なんだよなぁ)

 

友人のマルちゃんには、自分はグラマー美人指導員に片想い中だと誤解させておくことにした。

 

(相手はマルちゃんだし、訂正が面倒くさい。

放っておけばいいや)

 

ユノの自転車は、橋を渡り、交差点を3回直進、レンタルビデオ屋を通り過ぎた。

 

 

茶色のタイルのマンションの前に到着した。

 

(チャンミンせんせ...)

 

自転車にまたがったまま、ユノは10階建てのマンションを見上げた。

 

ユノの自転車は知らず知らず、チャンミンの住むマンションへと足が向いていたのだった。

 

(あ~あ、俺って馬鹿だなぁ。

ガチで恋をした相手が男)

 

「はぁぁぁぁ」

 

ため息をついてはいるが、チャンミンが男であるからこそ、ユノはチャンミンを好きになったと言ってもよかったのだ。

 

好きになったヤツがたまたま男だった...ではないのである。

 

この言い方だと、まるで男ならば誰でもよかったと誤解を与えてしまう。

 

そうではなく、もしチャンミンが女性だったとしても、ユノはチャンミンを好きになっていたと言い添えておこう。

 

チャンミンの部屋がどこなのか分からないユノは、この辺りだろうか、と見当をつけた5、6階辺りに向けて、「せんせ...おはようございます」と小声で挨拶した。

 

なぜユノがチャンミンの住まいを知っているのか?

 

それは、ユノがチャンミンに恋をしたきっかけに繋がる。

 

 

今から3か月前のこと。

 

マルちゃんの部屋でのAV鑑賞会帰り、雨降りの夜だった。

 

ユノの耳に女優の甲高いあんあん声が今もリフレインしていて、エロの胸焼けをしていた。

 

(女が苦手になりそうだよ...)

 

雨足は強く、傘はさしているが無いに等しい。

 

お口直しに、大自然ものドキュメンタリー映画でも借りようかと、終夜営業のレンタル屋に立ち寄ることにした。

 

雨で冷えた身体に暖房のきいた店内はありがたく、深夜2時とあって客はまばらにしかいない。

 

ユノは皇帝ペンギンの一生を描いたドキュメンタリー映画を借りることにした。

 

(よ~し、泣いてやるぞ。

途中でおでんを買っていこう)

 

自動ドアが開いた時、雨音と共に言い争う声が耳に飛び込んできた。

 

「あの男はなんだよ!」

 

その言葉と男の声に、鍵を外しかけていたユノの手が止まった。

 

「電話に出なかった日...そいつと寝ていたのか?」

 

「るせーな」

 

(男!?

寝る!?)

 

もめごとに巻き込まれるのを恐れるよりも、喧嘩をしている人物の顔が見てみたかった。

 

「ホントのことを言えよ」

 

「ああ、寝たよ。

酒飲んでたし、そいつも彼と別れたばっかで荒れてたんだ」

 

「だからって...裏切り行為だよ」

 

ユノは声がする自動販売機の向こう側へそろりと近づいた。

 

長身の男2人だった。

 

(やっぱり、男同士だ...!

これがいわゆる...ゲイカップルってやつか!?)

 

「たった1回きりの話じゃないか」

 

「嘘つき!

これで何度目だよ」

 

「嫌なら別れろよ」

 

「そんなっ...!」

 

2人の身長は同じくらいだが、浮気をしたらしい側は体格がよく、責めている方は細身だった。

 

「ほ~ら、その顔。

俺から離れられないくせに。

俺がどいつと寝ようと関係ないだろが。

嫉妬深い男は嫌いなんだよ」

 

(別れ話...だよな?)

 

ユノは二人のやりとりをヒヤヒヤしながら見守っていた。

 

特に、細身の男から目が離せなかったのだ。

 

(綺麗な人だなぁ。

あの人が女役かな?)

 

「...あっ」と声をあげかけて、慌てて口を押さえた。

 

大柄の男が細身の男を突き飛ばしたのだ。

 

(!!)

 

細身の男はバランスを崩して地面に尻をついた。

 

「お前とはもう無理だ。

別れよう」

 

他人事ながら、「別れよう」の言葉にユノの胸は痛む。

 

大柄の男は店先に停めた車に乗り込むと、フッた男を置き去りにして、エンジンをふかして通りの向こうへと走り去ってしまった。

 

「......」

 

フラれ男(つまりチャンミン)はふらりと立ち上がると、雨の中へと歩き出した。

 

ユノの胸はバクバクだった。

男同士の修羅場を生まれて初めて目撃した。

それ以上に、男にフラれた男...チャンミンの横顔に惹かれてしまったのだった。

 

 

(つづく)

 

(4)チャンミンせんせ!

 

 

「連絡先を教えて下さい」と頼んだ日から数日、ユノは自動車学校に行けずにいた。

 

かけ持ちバイト先のファミレスで、人手不足によるピンチヒッターとして連勤していたのだ(メインを張っていたフリーターの1人がバックレたのだ)

 

チャンミンに会えなくてジリジリしていたかと思いきや、顔を合わせずにいてよかったとホッとしていた始末だ。

 

学校だアルバイトだと身体を忙しくしていると、失恋の痛みから気を紛らわせることができた。

 

(俺とせんせは、どんだけ親しい感じで話ができていても、あくませも『先生と生徒』なんだ。

この立場の違いを理解しろよ...と言いたかっただろうなぁ。

何だよ...『好き』という前に、やんわり断られてるじゃん、俺)

 

ユノはチャンミンの言葉を誤解していた。

 

 

次の教習を知らせるチャイムの音に、ユノは素早く車を降りた。

 

「ユノさっ...!」

 

チャンミンは、校舎へと走っていくスタイル抜群のユノの後ろ姿を見送るしかない。

 

チャンミンの担当する別の教習生が、既に教習車の前で待機していたのだ。

(ゲームに夢中になっていたようで、車内の様子には全く注意を払っていなかった)

 

場内教習中、チャンミンは頭の片隅で、先ほどの件について考え続けていた。

 

(ユノにちゃんと伝わったのだろうか...)

 

指導員という立場上、好意をちらつかせる台詞で、教習生をその気にさせたり、誘うような真似はできないのだ。

 

チャンミンはそれなりに恋愛経験を積んできた大人である。

 

電話番号を尋ねるだけであの緊張の仕方のユノの姿から、そこに恋愛感情が込められていることを察したのだ。

 

『指導員と教習生の関係である限り』

 

チャンミンにとってギリギリラインを攻めてみたつもりだった。

 

ユノへの恋心をほんのり、忍ばせてみたつもりだった。

 

裏を返せば、「『指導員と教習生』の関係じゃなければ、連絡先の交換はできますよ(プライベートで会えますよ)」と伝えたつもりだったのだが...。

 

また、「教えたくても教えられないし、一方的に教えられたとしたら、立場上それはつっぱねるしかないですよ」という意味で、例としてシュレッダーを出したのだが...。

 

ユノの方はどうだったかというと、学科教習どころではない精神状態で、授業の中身はユノの耳を素通りしていた。

 

ポケットにあらかじめ用意していたメモ用紙...電話番号とメールアドレスと、『よろしくお願いします』とメッセージが書かれている...は、あの後くしゃくしゃに丸めて捨てた。

 

(俺の予定を先回りして言うんだから...シュレッダーはないよなぁ。

そこまで牽制しなくてもいいだろ)

 

もうひとつの可能性も想像してみた。

 

ガラス製の大きな灰皿の上で、紙切れから赤い炎がたちのぼり、しゅんと勢いが落ちた後には灰だけが残っている。

 

(俺の恋心は実を結ぶ前に灰になった。

チャンミンせんせ...厳しいなぁ。

...泣きそ)

 

 

ところがユノは泣かなかった。

 

事情をまるで知らない友人に、誰とはボカして意見をきいてみたのだ。

 

(彼はマルちゃんと言い、純粋なユノが誤った道に進まないよう、相談役兼指南役としてユノを長年支えてきた友人である)

 

ユノがマルちゃんに語った内容は以下の通りだ。

 

「自動車学校の先生を好きになってしまった子がいてさ、けっこう真剣なんだ。

教習中も雑談もしたりして、盛り上がってるんだって。

他の生徒と比べても、その子のことをひいき目で見ているような気がしてるってさ」

 

「その根拠は?」

 

「先生の表情が違うんだ。

その子が霜降りステーキだとしたら、その他の生徒は芋の煮物。

それくらい見る目が違うんだって...もちろんこれは、その子の主観だけど」

 

「何だそれ?

その先生、ギラギラした目でその子を見てるってことだろ?

ヤバいだろ、ヤられるぞ、犯罪だぞ」

「そんなんじゃねぇよ」

チャンミンせんせの悪口を言われたように思えたユノは、マルちゃんの頭をはたいた。

「話の続きを聞けって。

教習中だけじゃそう話もできないから、学校以外の所でも会いたくなる。

自然な流れだろ?

で、『好きです』と告白したんだとさ。

...どう思う?」

 

「どうって?」

 

「先生はどう思ったと思う?」

 

「回答を待つユノの目がガチだなぁ」と内心思いながら、「『マジで困るんですけど?』って思っただろうね」とマルちゃんは答えた。

 

「えっ..!?」

 

ユノの顔色は青くなる。

 

「先生を好きになること自体は珍しいことじゃないけどさぁ...。

ところでその先生って年はいくつ?」

 

「う~んと...三十...五くらいかな?」

 

チャンミンの正確な年齢を知らないユノは、推測で答えてみた。

 

「その子はいくつ?」

 

「20歳...だっけな?」

 

「年の差が凄いなぁ」

 

「好きな気持ちには年齢は関係ないって言うだろ?」

 

「それはだね、ユノ君。

車ん中って密室じゃん。

運転に慣れていなくてドキドキしているところに、手取り足取り教えてくれる先生がいるだぜ。

先生がどんだけ年寄りでも、きもオヤジでも、カッコよく見えるってわけさ」

 

「年寄りじゃねーし」

 

「実際にはその先生は何て答えたんだ?」

 

「え~っと。

『僕とあなたの関係は、指導員と教習生です。

あなたのような子供は相手になりません。

指導員と教習生は恋をしたらいけないのです』だっけな」

 

「ふ~ん。

ところで、お前の教習の先生って、グラマー美人なワケ?」

 

「グラマー?」

 

マルちゃんの質問に、ユノはきょとん、とする。

 

「お前、グラマー好きじゃん」

 

「まあ...そうだけど」

 

「先生の話はさ、『指導員と教習生』の関係でいる間は無理っていう意味じゃねぇの?

ってことはさ、ただの男と女になればいいじゃん。

ユノがとっとと卒業すれば、グラマー先生の恋愛対象になるってわけさ」

 

「......」

 

ユノの例え話はユノ自身の話だと、友人にはバレてしまっていたわけだ。

 

(よくあるパターンだ)

 

「年齢差は関係ないってユノが言ったんだぞ。

その気持ちを、しつこくグラマー美人先生に訴え続ければ、彼女の考えも変わるんじゃねぇの?

あとは、お前が大人になることだな」

 

マルちゃんは『グラマーセクシー女性指導員に恋するユノ』に向けて、的確なアドバイスをした。

 

友人からの客観的な指摘から、視野が広がった。

 

単純すぎることに気づけていなかったユノだった。

 

(チャンミンせんせと会える時間を増やす方法が見つかった!

早く卒業して、教習生じゃなくなれば、正々堂々と連絡先交換を申し出ることができる!)

 

めきめきと元気が湧いてきた。

 

...このように、ユノには抜けている面があるけれど、それが端整なルックスとのギャップを生んで、彼を魅力的にみせているのだった。

 

チャンミンがユノに惹かれた理由のひとつも、そこかもしれない。

 

 

(つづく)

 

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(3)チャンミンせんせ!

 

 

 

「疲れた...」

 

ガールフレンドのQを自宅まで送ってやったユノの口から、本音がぽろりとこぼれた。

 

約束通りファミレスで夕飯をおごってやり、アルバイトの時間が迫っていることを理由に、2時間で解放された。

 

疲れた身体に鞭打って、元来た道を自転車で引き返した。

 

午後10時からコンビニエンスストアの深夜バイトがある。

 

アパートに帰宅して仮眠をとったら、大学で2時限授業を受け、それから一日の一大イベント、『チャンミンせんせに会いにいくため』に自動車教習所へ行く。

 

コンビニエンスストアの他に、ファミリーレストランで掛け持ちバイトをしていた。

 

それもすべて、チャンミンせんせのため。

 

もともと免許取得費用は自前で用意していたのだが、これまでの補修教習と再試験費用は別口だ。

 

恋は盲目。

 

卒業検定の見極め見送りをチャンミン告げられた今日、ずっと心に温めてきたお願いごとを口にしたのだった。

 

 

 

時間を巻き戻してみよう。

 

教習車が車庫に戻り、ユノにとっての夢の50分ドライブデートが終了した。

 

「お疲れ様でした」

 

チャンミンは教習簿をユノに返そうとしたが、彼は受け取りもせず運転席に座ったままだ。

 

「ユノさん?」

 

「......」

 

チャンミンは様子のおかしいユノを覗き込み、彼の肩に手をのせようかわずかに迷った。

 

ユノは大きく深呼吸をし、勇気を振り絞ってそのお願いごとを口にしたのだった。

 

「チャンミンせんせ」

 

「はい?」

 

「れ、れ...れ、連絡先...教えて下さい」

 

(教習前にチャンミンのどもりを笑ったユノこそ、ひどいどもり方だ)

 

「......」

 

チャンミンの反応が怖くて、顔を見ていられなくて、ユノはハンドルのクラクションマークを凝視していた。

 

(チャンミンせんせは大人の男だから、俺みたいな学生風情を相手にしてくれないんだ。

ところでせんせはいくつなんだろう?

28歳くらい?

30歳を超えているのかなぁ)

 

20歳のユノはチャンミンと同様に、年齢差を気にかけていたのだ。

 

「......」

 

チャンミンは返答に困っていた。

 

(教えてあげたい...でも、今の立場だと、教えてあげることはできない)

 

指導員と教習生間の連絡先の交換は御法度なことを、ユノは知らないようだった。

 

好意があることをオープンにしてきたくせに、ユノには臆病なところがあり、チャンミンに連絡先を尋ねることができずにいたのだ。

 

(せんせ...何か言ってくださいよ)

 

無言のチャンミンに、ハンドルを握るユノの手の平は汗でベタベタ、鼓動は狂ったように早くて、押しつぶされそうに胸が苦しかった。

 

「...せんせ?」

 

次の教習までの10分間は休憩時間で、教習車から下車した者達がぞろぞろと、校舎や車庫裏の喫煙コーナーへと移動している。

 

休憩時間にずれこんで、指導員と教習生が教習車にとどまっている光景は、周囲には不自然に映る。

 

ユノはハンドルに上半身を預けたまま、視線だけをそろりと持ち上げて、助手席のチャンミンの様子を窺った。

 

ユノの目は切れ長で、すっきりクールな印象だが、上目遣いとなると印象ががらりと変わる。

 

「......」

 

チャンミンの心臓はドキン、と大きく跳ねた。

 

「くぅ~ん」と哀し気に鳴くずぶ濡れの仔犬のようで、今すぐ教習簿の隅に自身の番号を書きたい衝動に襲われた。

 

いつもの二人のやりとりだと、ユノからのおねだりを受けてチャンミンは、「駄目に決まってるでしょう?」とばっさりと断っていた。

 

「ユノさん...。

僕の連絡先をあなたに教えてあげることはできません」

 

チャンミンの言葉に、答えは8:2だと予想していたユノは、「やっぱりなぁ」とつぶやいた。

 

「...そ、そうすか」

 

ユノはチャンミンから顔を背けると、シートベルトを外して、ドアを開けた。

 

「ですよね?

すみません、変なこと言って」

「そんなっ...ユノさん。

変なことだなんて、思っていませんよ」

 

「いえ...いいんです。

せんせとご飯を食べにいきたいなぁ...なあんて思っただけです」

 

(ご飯を食べに行きたいって...可愛いこと言うんだなぁ、この子は)

 

ユノの言葉に、チャンミンの胸はきゅっとなる。

 

「俺みたいなガキと、プライベートに会うなんて、変ですよね。

すんません、忘れてください」

 

「いえっ...そうじゃなくて...」

 

ユノのおねだりが、年上のチャンミンに懐いていたものなのか、それとも、かなり突っ込んだ意味合いのアピールなのか、どちらに受け取ればいいのか...チャンミンは迷っていたのだ。

 

困っていたのは、「断りたいのに、上手に断る言葉が見つからない」からではなくて、「嬉しくて応えてやりたいのだけど、今は断らざるをえない」からだったのだ。

 

チャンミンは、今さっきのユノの姿をプレイバックしてみた。

 

ハンドルを握りしめた手はわずかに震えていて、チャンミン並みに大きな身体を小さくすぼめて、見上げた眼は涙目になっていた。

 

(いつものふざけた雰囲気じゃなくて、あれは意を決したものだった。

『チャンミンせんせ、電話番号教えてよ。飲みに連れてってよ』的なものじゃなかった。

彼の担当指導員であり10歳以上年上の僕は、どう対応すればいいのだろう)

 

個人情報を教えてあげられないルールがあるせいだと、直ぐに説明してあげればいいものを、もたもたしていたチャンミンせいで、ユノの落胆度は増していった。

 

「お疲れ様でしたっ!」

 

ユノはチャンミンの手から教習簿をひったくり、教習車から下りようと身体をひねった。

 

「ユノさんっ!」

 

チャンミンはユノの肩をがしっと掴んだ。

 

「せんせ?」

 

教習中の肩ポンポンとは比べものにならない力強さに驚いて、ユノの目の奥から湧き出そうになっていた涙がひっこんだ。

 

「『教えたくない』じゃなくて、『教えられない』だけです」

 

「?」

 

チャンミンはユノの肩から手を放し、「すみません、痛かったですよね」と謝った。

 

「うちの学校では、指導員と教習生の連絡先の交換は禁止なのです」

 

「そうなんすか!?」

 

「『入校のしおり』に書いてあります。

ユノさんのことだから、読んでいませんよね?」

 

チャンミンの問いに、ユノはこくりと頷いた。

 

「電話番号なりメールアドレスなり交換してはダメと、規則があるのです。

だから僕は、『できない』と言ったのです」

 

「なあんだ」

 

固く悲壮的だったユノの表情も、和らいできた。

 

「俺が嫌だ、っていう意味じゃなかったんですね」

 

「嫌だったら、ずっと前にユノさんの担当から外れてましたよ」

 

「あ、そうですね。

チャンミンせんせは俺のことをずーっと、世話してくれてましたもんね」

 

「そうですよ、感謝してください。

いいですか、僕とユノさんは『指導員と教習生』です。

指導員と教習生は連絡先の交換はしてはいけません。

『指導員と教習生の関係である限り』、僕はユノさんに教えたくても教えてあげられません。

逆に、ユノさんから電話番号が書かれたメモ用紙を貰っても、中身も見ずにシュレッダー行きにします」

 

(シュレッダー!?

徹底してるなぁ...。

燃やされてもそれはそれで怖いよなあ)

 

チャンミンが言葉の裏に潜ませた含みを、ユノが気付いたかどうかは...。

 

キーンコーンカーンコーン。

 

次の教習時間のチャイムが鳴った。

 

 

(つづく)

 

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(2)チャンミンせんせ!

 

 

「今日の教習がうまくいかなければ、次の見極めには進めません」

(※見極め・・・検定を受ける直前の最後の教習のこと。

担当指導員以外の指導員が行う。

見極めに合格してはじめて卒業検定を受けることができる。

また、見極めを担当した指導員は、その教習生の検定員になることはできない)

 

習得に時間がかかる教習生は、指導員のこの台詞を受けて、自信を無くしたり焦りを感じたりする。

 

「免許を取るまでに時間がかかった人ほど、丁寧な運転をするので、結果的に無事故無違反な方が多いそうですよ」

 

と、チャンミン教習指導員は、担当教習生を慰め、「最後まで全力でサポートします」と励ますのだった。

 

補習の宣告に、追加費用の計算で上の空な教習生が多い中、ユノは「俺、バイトのシフト増やして補習代稼ぎますね」と嬉しそうに言うのだ。

 

さらには「チャンミンせんせに会える日も増えるわけですね」と付け加えた。

 

「何言ってるんですか!?

遊びじゃないんですよ?

ユノさんがお金を払って買っている時間です」

 

ユノ青年はチャンミンが担当する者の中で、1、2を争うおちこぼれ教習生のひとりだった。

 

場内練習の頃から、急発進急加速、エンストと内輪差を無視した左折と脱輪、は日常茶飯事。

 

坂道発進に失敗して坂を転げ落ち(チャンミンが補助ブレーキを踏んで、周回する教習車との衝突をぎりぎり免れた)、駐車練習のポールとの接触、周回コースの暴走と信号無視。

 

仮免許の学科試験は1度でパスした一方、実地試験は3回受験した。

 

AT(オートマ)に変更するよう勧めたが、「男たるもの、MT(マニュアル)で免許をとらねばならぬ」と、プライドを優先させたままだった。

 

自分の教え方が悪いのではと、気に病んだチャンミンは胃薬がかかせなかった。

 

先輩教習指導員にアドバイスを仰ぎ、指導員資格取得の際使用した教本を読み込み、休日は、運転が下手な妹の車に同乗して、ユノがつまづいているポイントを探ったりしていた(妹へは報酬として、有名コスメブランドの化粧水を買ってあげた)

 

今この時も、チャンミンはどんな教え方をすればいいのだろうと思いを巡らせ、サイドミラーとバックミラーに注意を払い、同時にユノの手元足元の動きをチェックしていた。

自動車教習指導員はただ座っているだけの、楽な職業ではないのだ。

 

法定速度60キロの道路を、30キロ~50キロと安定しない速度で走る教習車。

 

大目に見ていられなくなった後続車が、次々とユノたちの車を追い越していった。

 

 

 

天気のよい午後、日光がまぶしくてチャンミンはサンバイザーを調節した。

 

運転席のユノは、ハンドルを教科書通りの位置で握り、背筋を伸ばし、シートの位置も完ぺきだった。

 

(チャンミン先生は細かいところまで厳しいんだ)

 

「車線変更しましょうか。

次の次の交差点で右折です」

 

「はい、チャンミンせんせー」

 

元気よく答えたユノは、助手席のチャンミンを脇見してにっこり笑った。

 

「こら!

よそ見しない!」

 

「ごめんなさ~い」

 

コチコチ鳴るウィンカーの音、教習車に容赦ない車のクラクション、早い鼓動。

 

「怖いです」と口に出すユノに、「僕も怖いですよ」とチャンミンはグリップを握る手に力を込め、足元の補助ブレーキの存在を強く意識した。

 

(この子の指導中、僕はなんだか落ち着かない。

彼の運転が下手過ぎることもあるけれど、彼が人懐っこ過ぎるんだ。

最初はうるさくて、うっとおしかった。

...いつの間にか、気付いたら、彼の教習を楽しみにしている自分がいた。

...なんて綺麗な横顔なんだろう)

 

「チャンミンせんせー、車線変更うまくいきました~」

 

透けるような色白の肌の持ち主であることも、単なる男子学生とは一線を画していた。

 

まぶしげに細めた眼に、尖った鼻先、ピアスは4個、楽し気に口角は上がっている。

 

気づけばチャンミンは、ユノの横顔に見惚れていた。

 

「30メートル前でウィンカーを...」とつぶやく、男性にしては紅い唇から目が離せなかった。

 

「在校中は駄目だけど、彼が卒業したら...」などと、想像することもあった。

 

ユノから惜しげなく向けられる好意を、まともに受け取ってしまいそうになる。

 

その都度チャンミンは、自身の本心にブレーキをかける。

 

休憩時間や登下校の際、いつもユノの隣にいる女学生の存在を意識する。

 

(ユノは女の子が好きな普通の男子だ。

しかも大学生だ。

僕は何を考えているんだ?)

 

「信号!」

 

チャンミンが踏んだ補助ブレーキで二人はがっくんと前のめりになり、教習車は停止線ぴったりに停車した。

 

「...ユノさん。

とてもとても、見極めには出せません。

補習決定!」

 

チャンミンは胸ポケットからペンを出し、教習簿を膝に広げる。

 

ユノは「ええ~」と口を尖らせているが、実のところ嬉しくてたまらない。

 

(やったね。

チャンミンせんせと一緒に居られる)

 

私情を挟んだらいけないと分かっていたが、チャンミンも安堵している自分を否定できなかった。

 

早く免許を取得すれば、指導員と教習生の関係からも卒業できて、正々堂々とチャンミンに接近できるようになるのに。

 

ユノがこのことにようやく気づいたのは、数日後だった。

 

チャンミンのために支払った馬鹿にならない金額と、ユノに免許を取らせてあげたくて思い悩み服用した馬鹿にならない錠数の胃薬。

 

好意を示しているのに、あっさりスルーされてしまうユノ。

 

チャンミンがユノからの好意を素直に受け取れないのは、二人の年齢差だった。

 

 

(つづく)

 

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(1)チャンミンせんせ!

チャンミンせんせ!シリーズ

 

ため息をつき、立ち上がって窓の外を窺い、掛け時計を見上げてもう一度ため息をついた。

 

ユノは待合室のベンチに足を組んで座った。

 

腿の上に広げた教本のページはマーカーを引きすぎて真っ赤だ。

 

しかしこの時のユノには、教本の中身はこれっぽっちも頭に入っていなかった。

 

そわそわと落ち着きがない。

 

「ユ~ノ!」

 

ひとりの女学生がユノの名前を呼んで手を振ったが、彼は窓の向こうに気をとられているのか、気付かない。

 

「ユノ!」

 

可愛い部類に入る彼女は、ぶつかるようにユノに身体を密着させて座った。

 

「あ、ごめん気付かなかった」

 

ユノは「人がいるだろ?」と、くっ付く彼女から10㎝離れて座り直した。

 

「え~」とすねる彼女に、ユノは自販機からジュースを1本買ってやってご機嫌取りをした。

 

「俺はあと2つあるから、先に帰っていいよ」

 

ユノが終わるまで、待ってる」

 

「最後のやつは夕方過ぎだぞ?

5時間も待たせるわけにはいかないからさ、先に帰った方がいい」

 

「え~」と機嫌が直らない彼女にウンザリしたけれど、ユノはそれをあからさまにするような男ではなかった。

 

「終わったら電話するから。

そしたら一緒にご飯食べに行こう、それでいいな?」

 

ここまで言ってやると、ようやく彼女は笑顔を取り戻した。

 

天井近くに取り付けられたTV、飲み物とスナックバーの自動販売機、新聞スタンド。

 

「ストップ!飲酒運転」「過積載は犯罪です」「ネット予約が便利です」等々のポスターが掲示板を埋めている。

 

学科教習の時間割表、予約の空き状況を知らせる電工掲示板。

 

そう、ここは自動車学校。

 

 

 

 

チャイムの第一音が鳴るや否や、ユノは荷物をまとめて立ち上がった。

 

ユノは彼女に手を振り、待合室を飛び出した。

 

(お!

その前に!)

 

洗面所の鏡の前に立って前髪を直した。

 

「よし!」

 

建物前のロータリーに、ずらりと教習車が並んでおり、その1台ずつにネイビーのブレザーを着た指導員が立っている。

 

教習開始のチャイムが鳴ると、教習生たちは担当指導員の元に集合する。

 

エントランスから外へ出たユノは、教習車の屋根にある車両番号表示灯から目当ての車両を探すのだ。

 

(いた!)

 

一番奥から2台目、車にもたれて手元のバインダーに視線を落としている、ひときわのっぽな痩せ型の指導員。

 

緩んでしまう表情を隠すことなく、ユノは満面の笑みを浮かべた。

 

「チャンミンせんせ~!」

 

その声の大きさといったら、周囲の教習生や指導員たちがこの二人に注目してしまうのも仕方がない。

 

(声がでかい!)

 

呼ばれたチャンミン指導員の顔は、かあぁっと熱くなる。

 

手を振って駆け寄るユノを見ていられなくて、チャンミンは顔を背けていた。

 

すると、同僚のK指導員と目が合ってしまい、「愛されてるな、お前」と揶揄われ、チャンミンは足元に視線を落とすしかなくなった。

 

(愛されてる...というよりも、懐かれているんだよなぁ)

 

「せんせ、お待たせ」

 

「ユノさん。

そこまで僕の耳は遠くありません」

 

教習簿をチャンミンに手渡しながら、ユノはニヤニヤ笑いが止められない。

 

「チャンミンせんせ、照れてますね。

耳が真っ赤ですよ」

 

「なっ!?

お、大人をからかったらいけません」

 

「せんせ、どもってますよ。

俺に会えてそんなに嬉しいんですね」

 

「昨日も会ったでしょう?」

 

チャンミンはユノの揶揄いをスルーして、「さっさと乗る!」と、運転席のドアを開けて早く乗るよう促した。

 

「はぁい、チャンミンせんせ」

 

ユノは恋をしていた。

 

男性教習指導員チャンミンに恋をしていた。

 

 

 

この自働車学校は担当制で、1人の教習生に1人の指導員が卒業までマンツーマンでつく。

 

中堅どこの指導員であるチャンミンは、30代半ばの独身男性だ。

 

指導員と教習生との恋愛が裁判沙汰にまで発展してしまった過去があり、電話番号やメールアドレス等の交換は厳しく禁止されている。

 

特に若手男性指導員は、トラブル防止といって女性教習生を担当することはほとんどない。

 

チャンミンの担当教習生は、数名の高齢ご婦人の他は全員男性だ。

 

同性愛者のチャンミンが、女性教習生に対して『その気』になる可能性は低く、このことを学校サイドは承知している。

 

そうであっても、密室での50分。

 

指導員側ではそのつもりはなくとも、女性教習生に『その気』を持たせたらいけない。

 

長身でルックスも申し分がないチャンミンだったから、学校サイドがそう心配しても仕方がないのだけど...。

 

(男の教習生に『その気』を起こさないかの心配はないらしい)

 

ユノが運転する教習車はそろそろと発進すると、敷地内の坂を下った。

 

公道手前で停車すると、ウィンカーを出した。

 

「はい、ダメ。

進路変更30メートル手前でウィンカーを出すのが正解。

『私はこれから左に曲がる予定ですから、そろそろ徐行するか停車しますよ~』って。

そうしないと、後ろの車はびっくりするでしょう。

『急に停車したけど,なんだなんだ?』って」

 

「はい。

以後気を付けます!」

 

 

「返事は立派ですが、この説明は何度もしましたよね?」

 

「あれ...?

そうでしたっけ?」

 

「しましたよ。

今回で7回目です」

 

「数えてるんすか!?」

 

ユノの指摘にぎくりとしたチャンミンは、くるくると回していたボールペンを落としてしまう。

 

「ま、まさか!

ほらユノさん、車の流れが切れました、今です、発進してください」

 

チャンミンはユノの肩を「はい、今」と軽く叩いて合図をした。

 

教習生が女性だったら不可なスキンシップも、男性だと可になる(当然、過度なものはNG)

 

たった今の「ぽん」は、チャンミンにとって、発車のタイミングを感覚的に知らせるためのものに過ぎなかった。

 

ところがユノにしてみたら大事件だった。

 

(せんせ...俺に触った...)

 

動揺するあまり、クラッチペダルを離すタイミングがずれてしまい、「肩にぽん」は逆効果になってしまったりもして...。

 

「肩にぽん」をしてもらいたくて、合流できずに首を左右に振り続けているのかどうか?

 

現段階のユノの運転技量がどれくらいかは不明だが、おのずと判明するだろう。

 

教習車は数回ノックしながらもエンストは免れ、ふらりと公道へと合流した。

 

「チャンミンせんせー、今日はどこにドライブに行きますか?」

 

口笛でも吹かんばかりにルンルン気分のユノに、チャンミンは釘をさす。

 

「遊びじゃないですよ。

今のままじゃあ、補習は確定です」

 

「じゃあ、チャンミンせんせとまだまだ会えるってことですね」

 

「はあぁぁ」

 

チャンミンは大きなため息をついた。

 

ユノにしっかり聞こえるよう、大きなため息を。

 

そのため息をユノは聞こえていても無視をする。

 

「せんせの説明は分かりやすいし、頭ごなしに叱りつけないし...俺、せんせの教習...好きです」

 

「そ、そりゃどうも」

 

チャンミンは身をかがめ、足元に落ちたボールペンを探していた。

 

その後頭部を、ユノは「撫ぜ撫ぜしたいなぁ」とうっとりと見つめていた。

 

 

(せんせ、可愛いなぁ。

照れてますよね。

耳が真っ赤ですよ)

 

彼らの教習時間は毎度、このような流れで開始する。

 

 

(つづく)

 

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