(27)僕を食べてください(BL)

 

 

~永遠は幻想~

 

 

街に戻った前夜のこと。

 

3度目の絶頂後、息も絶え絶えな僕に対してユノはケロリとしていて、

 

「体力のない子だ。

チャンミンは若いんだろう?」

 

とくすくす笑いながら、僕の髪をすいていた。

 

よく冷えたミネラルウォーターを手渡してくれるユノに、彼の心を感じ取る。

 

気遣う心がある風を装っているのかもしれない。

 

僕に対して、愛情に近いものを抱き始めていたのだとしたら、僕は嬉しい。

 

繋がっていない時のユノは、礼儀正しく愛想笑いを浮かべたりするから、ユノの本性を誰も気付かない。

 

僕は「泊まっていく」と何度も言い張ったが、ユノは「帰れ」と頑として譲らなかった。

 

俯くと僕の胸に下腹に、無数の色香匂いたつ紅い花が散っている。

 

外は暗く、マットレス脇に置いた懐中電灯だけが唯一の灯りだ。

 

この灯りも、僕のためだけにユノが点けてくれているものだ。

 

ユノにとっては、眩しくてかなわないだろうに。

 

ユノの白いうなじを目にすると、その冷たく柔らかい皮膚に唇を這わせたくなる。

 

先ほどから冷蔵庫の方をちらちらと見るユノに気付いた。

 

「僕に構わなくていいよ」

 

僕は冷蔵庫の方をあごでしゃくった。

 

ユノはしばらく僕をじぃっと見つめていたが、やがてにっこりと笑った。

 

「チャンミンは強いんだな」

 

「どうかな...」

 

僕の心は元来タフじゃない。

 

ユノを求める強い愛情が、彼の全てを受け止めるだけの器を作っただけに過ぎない。

 

だから、タフでいられるのはユノに関することに限られるんだ。

 

「ごめん...僕がつきまとっていたせいで、ユノは自由に動けなかったんだろう?」

 

「ったく、そうなんだよ」

 

冷蔵庫の中からポリタンクを取り出したユノは、きっぱりそう言い切った。

 

ユノは僕が買ってあげた水筒に、ポリタンクの中身をとくとくと注いだ。

 

「危ない目にあったけど、チャンミンに助けられた」

 

注がれる液体の正体を思うと、不快感で胃の腑の辺りがむっとする。

 

「バッテリー容量が約半日と案外少ないんだ」

 

薄暗くて分からないけれど、ユノの瞳はきっと墨色に沈んでいるだろう。

 

「正体を知られて楽になった」

 

「僕も...正体を知って楽になった」

 

「チャンミンに全部教えてあげるよ。

今までの俺は、チャンミンに対してフェアじゃなかった。

質問には全て答えるよ。

...ただし」

 

言葉を切ると、ユノの瞳がぎらりと光った。

 

一瞬で身がすくむ。

 

「過去の恋愛については、詳しく話すつもりはない」

 

「そんな...」

 

「不安そうな顔をするな。

今はチャンミンだけだ」

 

ユノの目付きが優しくなって、僕の喉から顎へとつつっと指先でたどった。

 

たったそれだけで、僕の腰がかすかにうずいた。

 

「死ぬまで?」

 

「その通り」

 

よかったと僕は胸を撫でおろしたのだった。

 

 

 

 

「Sさんとは結局、どういう関係なの?」

 

「彼の伯父を看取った」

 

「看取る...」

 

「俺は死ぬまで離さないからね」

 

僕の胸の谷間を汗がつーっと流れ落ちた。

 

蒸し暑さのせいか、冷や汗なのかは分からないけれど。

 

鼓動が早くなった。

 

「...ユノが...殺したの?」

 

「チャンミンは、どう思う?」

 

ユノの握力なら僕の喉くらい片手で潰せるだろうけど、ユノはそんなことは絶対にしない。

 

しないに決まっている。

 

なぜって、僕を怖がらせるようなことを言うけれど、それは僕の反応を見て楽しむだけで、怯えた僕に憐れむような、慈悲深そうな微笑を見せるのだ。

 

身がすくんで逃げられないのではない。

 

自ら望んで、怯えることを『愉しんでいる』のだ。

 

僕もとうとうここまで歪んでしまったか、と呆れてしまうけど。

 

「チャンミンは甘いなぁ。

もし、俺が本気で襲ったらどうするの?

怖いだろ?

死にたくないだろ?」

 

「ユノは...そんな人じゃないよ」

 

でも...。

 

もしユノが僕の命を狙うようなことがあったとしたら、僕は喜んで餌食になっていそうだ。

 

それ程までに僕は歪んでいる。

 

「ユノは...いつから生きてるの?」

 

「時の流れがゆっくりなだけだよ。

チャンミンの20分の1くらいかな。

身体が冷たいのも、体温という無駄なエネルギーを使わないため」

 

「20年で1年...100年で5年...」

 

「退屈だよ。

繊細な精神を持っていたら、耐えられないだろうね。

感覚だけは敏感に研ぎ澄まされていくのに、感情はどんどん摩耗していく。

だから、身体の感触だけが「この世に存在する理由」を感じられる唯一のものになっていく」

 

ユノは僕の片手をとると、手の甲をすっと撫ぜた。

 

「撫ぜられると気持ちがいいだろう?

でもね...チャンミン。

俺の指を噛んでみて」

 

「え?」

 

「いいから」

 

突き出されたユノの人差し指に、恐る恐る歯を当てる。

 

「もっと強く」

 

歯の下に小枝のような骨を感じた。

 

「もっと強く」

 

冷凍庫にいれたチョコレートを齧るみたいに、前歯に力を込めた。

 

僕の口から抜かれたユノの指には、歯型がつき皮膚が破れて赤いものが滲んでいた。

 

息をのむ僕に、ユノは眉を持ち上げた。

 

「驚いた顔をしてるね」

 

「だって...それ」

 

ユノの指から目を離せずにいると、ユノは声高らかに笑った。

 

「俺をなんだと思ってるの?

血くらい出るし、俺は怪物なんかじゃない」

 

「...ごめん」

 

「例えば、こんな風に。

力の加減によっては、快感が苦痛になってしまう。

でも、苦痛が快感に変わることもある。

快感と苦痛は紙一重。

チャンミンの表情を見ながら、その狭間を探っている。

これが俺の愛し方だ」

 

ユノはふふんと笑った。

 

「長く生き過ぎたせいで心はすり減ってしまった。

感触と、味と匂いから楽しみを見つけていかなければ、生き長らえるのは辛すぎる」

 

かつてのユノには、心があったのだ。

 

「感触と味と匂い...」

 

なるほど、と思った。

 

「動物的だろう?

素敵な痛みを俺に与え続けてくれるのなら、チャンミンがじいさんになっても構わない」

 

ユノはマットレスの上に仰向けに横たわり、組んだ腕に頭を預けた。

 

僕はそんなユノを見下ろして、何もかもが整った姿を美しいと思っていた。

 

「でもね、嫌になる。

美しかった人が、老いて醜くなっていくんだ。

俺だけが変わらない。

そして、俺の目の前で死んでいってしまう。

俺だけが残される。

ほんとうに...うんざりする」

 

「ユノ...」

 

失う度辛くなるのに、長くこの世に存在していれば、出会いは次々と訪れる。

 

傍らに男を置くのは退屈まぎれなのだろうか。

 

その男が死ぬまで愛するのなら、それは退屈まぎれではないと僕は思った。

 

「この身体を維持するのは大変なんだ。

買えないものは何もないよ、お金さえあれば。

でも、手に入りにくいものは高価だ」

 

ユノは、食事の調達について話しているのだ。

 

「俺が大金を持ってるのも、そのためだよ。

お金がかかる『お人形』なんだ、俺は」

 

自嘲気味につぶやくと、ユノはしばらく身じろぎもせず天井を見上げていた。

 

「人形...」

 

「処理場...あそこは俺が資金を出した」

 

「えっ...!?」

 

なるほどと腑に落ちた。

 

 

 

 

僕は死ぬまでユノと一緒...か...。

 

うつ伏せになった僕は、シーツの布地を片頬に感じながら、うっとりとその甘やかな未来と安心感に浸った。

 

突如湧いてきた考えに、僕は跳ね起きた。

 

「ユノ!」

 

ごろりと仰向けに寝そべるユノを揺すった。

 

「...じゃあさ、僕が先に死んでしまうってこと?

ユノは残されるってこと?」

 

「そりゃそうに決まってるじゃないか」

 

「...そんな...!」

 

「安心しろ」

 

僕の頬をユノはひたひたと、軽いタッチで叩いた。

 

「そんな顔するなよ。

俺にだって寿命はある。

永遠に生き続けるなんてことはないから...その点は救われるよなぁ。

死んでしまったチャンミンの意識は途絶えるんだから、俺の心配をすることは出来ないだろう?

...それに、何度も繰り返してきたことだから...慣れてるよ」

 

「嫌だ」

 

「チャンミンが嫌だと言っても、こればっかりは変えられないよ」

 

たった今浮かんだ思いつき。

 

どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだ!

 

「僕もユノみたいになりたい。

なる方法はあるんでしょ?

ほら、噛みつかれたら変身するって」

 

「だ~か~ら。

俺はそういうんじゃないんだって」

 

「ホントはあるんでしょ?」

 

「あるけど教えない」

 

「僕だけおじいさんになるなんて嫌だよ。

ずっとユノの側にいたい」

 

「...俗説では...よくある物語では、手元に長く置きたいからと恋人を自分と同じにするのを躊躇するだろ?

永遠に生き続ける退屈さ、目の前で繰り返される誕生と死。

愛する恋人にそんな目に遭わせたくないってさ。

ところが俺は利己的だから、綺麗ごと言ってんじゃないよ、って思う。

一緒にいたけりゃ、とっとと噛むなりなんなりすればいいじゃん、って」

 

「...え」

 

ユノの言葉に、僕の前に未来が広がった。

 

「それって...そう受け取っていいの?」

 

「...考えとく」

 

ユノは立ち上がると、大きく伸びをした。

 

そのシルエットは、漆黒のピューマが伸びをしているみたいだ、と思った。

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]

 

(26)僕を食べてください(BL)

 

 

視点を合わせないうつろな眼に、車窓を猛スピードで流れ去る景色が映っている。

傍らに置いた紙袋の中には、米やら漬物が入っている。

 

「まったく、どこをほっつき歩いていたんだい」と、ぷりぷりしながらばあちゃんが持たせてくれたものだ。

 

耳朶に指先を伸ばして、小さなかさぶたに触れた。

次いで手首をさする。

そして、昨晩から先ほどまでのことを反芻する。

 


 

 

「セックスしようか?」

 

ユノに誘われた。

1枚1枚相手の服を脱がし合い、焦らすように肌をさらしていった。

ユノのものが斜め上を向いて、そそり立っていた。

僕の方と言えば、股間の奥がじんじんと疼き、挿入されたユノの指にかきまわされて、喉の奥から低い呻きが漏れた。

初めての日のように、僕の乳首が執拗にいたぶられた。

右が済んだら、次は左。

最後は左右両方。

1センチにも満たない1点から強い快感が全身を駆け巡る。

きつく吸われながら、後ろ手で僕の亀頭をしごかれた時には、はしたないほどの嬌声をあげていた。

 

「あっ...あ...」

 

辺りに響くのはやっぱり、途切れることのない僕の喘ぎ声だけだった。

 

「気持ちいいか?」

 

ユノに問われて、僕は答える。

 

「すごく...気持ちがいい...んあっ...あぁっ」

 

すぐに達してしまっては勿体なくて、根元を握って抑えた。

 

「縛ってやろうか?」

 

「いい、握っているから...っは...」

 

僕はゆっくりと出し入れされながら、ユノと言葉を交わす。

 

「Sさんとは、どういう関係?」

 

衰弱したユノを助ける処置で精いっぱいだった僕が、Sさんに聞けずじまいだった疑問をユノに投げかけた。

 

「古い知り合い」

 

「古くから...」

 

不安げな僕のつぶやきに、ユノは僕の頬を軽く叩いて言った。

 

「昔の恋人だ、とかじゃないから」

 

Sさんがユノのことをよく知っていたから、過去に関係を持っていたのでは、と嫌な思いが浮かんでしまったんだ。

 

「本当にそういうのじゃない」

 

僕は荒々しく四つん這いにされて、突き出された割れ目にユノのものが深くうずめられた

ユノが僕の背にぴったりと覆いかぶさる。

片腕を僕の腰に巻き付け、もう片方で僕の乳首を弄んだ。

ふわりと甘い香りが、僕の鼻孔をくすぐる。

そう、この香りなんだ。

僕を愉楽の蜜の壺に沈めるのは。

下腹部の奥がせり上がり、視界が狭くなってきた。

 

「チャンミンっ...イクよ?...イクよ?」

 

これ以上はないほどのスピードで、かつ奥の奥を小刻みに叩かれる。

僕の最奥に勢いよく放たれた。

僕は男。

決して子種にはならないその白濁は、僕の中を充たし、力を緩めるととろりと漏れ出た。

小一時間も経たずに硬さを取り戻したユノのものは、再び僕の穴に突き立てる。

 

「チャンミンは、若いなぁ」

 

ユノはクスクスと笑った。

 

「そうだよ。

僕は若い」

 

「でももう、小学生じゃない」

 

「その通り」

 

角度を変えて、中の上辺を強めにこすり上げた。

直後に白い喉を反らしたユノに、僕は満足する。

 

「明日になったら、帰るんだ」

 

ユノは僕を横抱きにして挿入する。

 

「僕を...置いて行かないで」

 

「置いて行かない。

ここにいる」

 

力強いユノの腕によって、再び僕はひっくり返されて彼の上にまたがる。

膝を立ててしゃがんだ僕は、腰を上下に振る。

 

「絶対だね?」

 

「ああ。

俺も覚悟を決めた」

 

ついた両手の間で、ユノの紺碧色の瞳が僕をまっすぐ見上げていた。

その場限りの言葉じゃないことが、伝わってきた。

 

「あっ!」

 

身体が反転し、うつ伏せになった僕の腰が高々と引き上げられた。

頬も肩もマットレスにくっ付けて、身体をくの字に折りたたまれた。

 

「チャンミンは、ここをいじられるのが好きなんだよな」

 

僕の入り口がちょうど真上を向いている。

とてもとても恥ずかしい場所が、ユノの目前にさらされている。

2本の人差し指で左右に押し開かれた。

 

「手を離しても...。

ぽっかり開いたまま。

チャンミンのいやらしい穴が開いてるぞ?

どスケベだなぁ」

 

恥ずかしい。

でも、嬉しい。

 

「...んんっ...」

 

「欲しいか?」

 

「うんっ...」

 

「どうされたい?」

 

「挿れて...早く!

早く挿れてよ!」

 

「やだね」

 

「挿れてよ!」

 

僕は突き出したお尻を振って、ユノのものにこすりつけた。

僕の唾液がマットレスを濡らしている。

僕は狂っているんだ。

 

「そんなに欲しいんだ?」

 

「欲しいよ!

ユノが欲しい...欲しいから。

早く!」

 

「可哀想に...」

 

ユノが僕の腰骨をつかんだ直後。

 

「んはっ...!!」

 

高く突き上げられた。

弱いところばかり、ユノの亀頭で刺激される。

 

「ダメダメダメっ...そこ、だめぇ...だめぇ」

 

深く突き刺したまま、僕の腰を上下左右に回転させる。

 

「やっやっ、やぁ...やっ...そこ、そこっ...やあぁ!」

 

玩具みたいにゆさゆさと揺さぶられて、僕のお腹の中で小さな爆発が何度も繰り返される。

全身の力が抜けてしまった僕は、何も見えていない。

1度目より時間はかかったけど、やがて僕は射精を果たした。

 

「はあはあはあはあ...」

 

僕の穴という穴から、ありとあらゆる液体が漏れ出ている。

どれくらい放心していたのだろうか。

もしかしたら、しばらく気を失っていたのかもしれない。

僕の隣で、ユノは半身を起こした。

ユノの背中に見惚れた。

ユノの背骨をひとつひとつ指でなぞり、手の甲で背中を撫で上げた。

美しい身体だった。

それなのに、血が通っていないなんて。

そうか。

温かみがないからこその美貌なのか。

ユノのウエストをさらって、ユノを包み込むようにきつく抱きしめた。

じっとしているだけでじわじわと汗がにじむ中、谷川の水のように冷たいユノの肌が気持ちよい。

割れた窓ガラスから、オレンジ色の夕日の光が差し込んでる。

太ももに当たるものに気付いたユノが、呆れた顔をした。

 

「まだヤルの?」

 

「そうだよ。

あと...18時間しかない。

時間が勿体ないんだ」

 

いつまでも、いくらでも、僕はユノと繋がっていたい。

性器の接触だけが、ユノを身近に繋ぎとめられる唯一の行為だ。

それでいいじゃないか。

僕の心がユノの心には届くことは、最後まで訪れないかもしれない。

 

「僕は...何人目?」

 

気になって仕方がないことを、僕はとうとう口に出す。

 

「ノーコメント」

 

「5人目?

10人目?

それとも...もっと?」

 

僕は構わず、粘った。

 

「今はチャンミンなんだから、それでいいだろう?」

 

「うーん...」

 

はぐらかされて、僕は不機嫌になる。

 

「誘惑して悪かった」

 

「そうだよ。

最後まで責任をとって欲しい」

 

「純粋過ぎるお前が怖くなる」

 

「だから、僕から離れたくなったの?」

 

「そんなところ」

 

「僕は死ぬまでユノの側にいる、何があっても」

 

「勇ましいね」

 

「そうだよ。

僕は勇ましいんだ。

ユノのことが、全然怖くないんだ」

 

乱れた前髪をかき分けて、ユノの額に唇を押し当てた。

暗闇の中、倒してしまった水筒からこぼれ落ち、コンクリートの床に作った赤い染み。

懐中電灯の灯りに照らされて、赤く光った瞳。

 

「狂ってるね」

 

「そうだよ。

僕は狂っているんだ」

 

 

(つづく)

 

(25)僕を食べてください(BL)

 

 

「昨日一緒にいたみたいだが...向こうでもそうなのか?」

 

ユノとは数日前に知り合ったばかりだ。

僕は首を左右に振った。

 

「こっちに来て仲良くなった...」

 

Sさんは僕の答えを聞くと、うーんと唸った。

 

「痛い目には、あっていないんだな?」

 

Sさんの言っている意味が理解できない。

 

「痛い目って...?

全然」

 

「ならいいんだが...。

お前も随分と、厄介なことに巻き込まれたな...」

 

「え?」

 

「この男に惚れたのか?」

 

一瞬で身体が熱くなった。

僕の言葉を聞くまでもなく、Sさんは僕の反応で理解したようだった。

 

「うーん...そうか。

そうなると、仕方がないな...」

 

「?」

 

パチンと、Sさんが急に大きく手を叩いたので、僕はビクッとした。

 

「『毒を食らわば皿まで』だ!

チャンミン、気を確かに持てよ。

この男を助けたいんだろ?」

 

「うん」

 

なんだかよくわからないが、必死だった僕は大きく頷いた。

不思議だらけのユノだった。

首をかしげることも多く、でもそれらの疑問は脇に置いていた。

謎めいていて不気味なことを一切無視できてしまうくらい、僕はユノに夢中だったからだ。

不思議が多いほど、ユノの魅力が増していったから。

 

「逃げ出すなよ?

絶対に、だ」

 

「もちろん!」

 

 


 

 

その夜、僕はユノと交わっている夢を見た。

最初から夢だと分かっていた。

はるか彼方まで小金色の名前の知らない草が、小麦畑のように広がっており、その中にぽつんと池があった。

陽光眩しくて、水面は白く反射している。

手ですくうと、指の間から黄金色の水がゼリーのようにしたたり落ちた。

舐めると、メープルシロップのような甘い味がした。

粘性の高い、とろっとした液体が満ちたその池を、僕は泳いでいた。

ひとかきすると、腕や肩に温かいぬるみが肌を滑って気持ちがよい。

急に足首をつかまれ、僕はずぶずぶと池の底に引きずり込まれた。

口の中にとろとろのゼリーみたいな池の水が流れ込んで、僕はあっという間に窒息しそうになる。

このままでは溺れてしまうのかと覚悟していたら、いつまでたっても苦しさを感じない。

この蜜のような液体で僕の肺は充たされて、僕は呼吸をする必要がなくなった。

僕はこの蜜に取り込まれて、この池と一体となったのだ。

池底ではユノが、落下する僕を待っていた。

僕が池底に着地すると、仰向けになった僕の上にユノは覆いかぶさった。

どちらからともなく、互いの唇を合わせ、貪るような深いキスを交わす。

僕らの口の中は池の水でいっぱいに満たされ、ユノのキスも甘くて美味しい。

僕らの肌が密着してこすれあうと、ゼリーが肌の間を滑ってよだれを垂らしそうになるくらい気持ちがいい。

ユノの上で僕が、腰を揺らして踊っている。

池の水も温かく、ユノのそれも温かい。

ユノの両胸に両手をついて、振り落とされないよう身体を支えていた。

僕の腰が真下に突き落とされるたびに、僕の手の平がぬるりとユノの肌の上をすべる。

ユノの方も両手を伸ばし、僕の両胸の上を往復させる。

ユノの手の平が何度も、僕の先端を刺激するから、僕はそのたびに喘ぎを漏らす。

僕の中で、ユノのものが膨れてきたのがよく分かる。

ああ、なんて気持ちがいいんだろう。

中も外もとろとろで、温かくて、これぞ恍惚の世界なんだ。

水中では腰を激しく早く動かせないから、ユノの動きに身を任せた。

奥の奥、行き止まりまでぐりぐりと攻められる。

僕らの間で踊っていた僕のものは最後、ユノの手の中で果てた。

僕の上からユノは身体を離した。

そして、僕から手を離すとその姿が小さくなっていく。

ユノの身体が水面にむかって上昇していっているのだ。

慌てて僕もユノの後を追う。

ふわりと浮くから、大した苦労もせずぐんぐん上昇していける。

とろっとした水面から頭を出すと、沈む前に見たのとは景色が違っていた。

辺りは薄暗く、見上げた空が灰色の雲に覆われている。

空気は鳥肌がたつほど冷えている。

ユノの姿が消えていた。

先ほどまでの、幸福と快楽で満ち足りていた僕の心が、しんしんと冷えていき、胸が詰まりそうな怯えが這い上がってきた。

濡れた顔を両手で拭って、その手を目にして僕の喉から声にならない悲鳴が漏れた。

両手が真っ赤だった。

水面から出た僕の腕や肩、胸をみると、真っ赤な水で濡れていて、一瞬のうちに恐怖で凍り付いた。

おそるおそる指先の匂いを嗅いで、ひと舐めしてみる。

鉄さび味を予想していたら、この赤い液体も甘く、フルーティだった。

この味は...ザクロか。

ザクロの果汁がたたえられた池で僕は、まるで真っ赤な血を頭からかぶったかのように、赤をまとって、その池から上がったのだった。

こんな夢を見たのだった。

 


 

目にしてきたものなのに、認識までたどり着かないように目を反らしてきたもの。

僕にとってユノは血の通わない人形だ。

これはどこかで見聞きした言葉なんだけど、「まるで神様がこしらえたかのような」精巧で美しい人形だ。

けれども、きめの細かい冷えた肌の下は温かく湿っているから、僕は大いに混乱してしまうのだ。

今朝のこと。

突き放されてパニックになった僕は、林の中で倒れこんだユノを欲望のまま押し倒してしまった。

僕にされるがままのぐったりとしたユノを所謂、犯してしまった。

そして、身動きしなくなってしまったユノに対して、僕は罪悪感に苛まれる間もなく、Sさんの助けを借りて林を抜けた。

処理場のステンレスの台の上で死体のように横たわるユノを、医者に診せることもしないSさんに僕は焦れた。

Sさんはユノのことを知っていた。

ユノとの関係性を問うたら、「ギブアンドテイクの間柄だ」と言っていた。

彼の口から語られた内容に僕は驚嘆した一方で、「やっぱり」と納得していたのだ。

どうりでおかしいと思ったんだ。

予感が的中、「なるほどそういうことなんだ」って。

ユノのことを不気味だと感じる以前に、答えが得られて満足していた。

確実なのは、ユノの正体を知ったからといって、彼から離れたい意志が僕には全然生じなかったということ。

おかしいだろう?

その後、彼がユノに施した「処理」を目の当たりにして、僕は血の気がひき、吐き気をもよおした。

昨日からほとんど何も口にしていないせいで、何度えづいても吐き出されたのは胃液のみだった。

ユノの側にいるには、これらを受け入れなくてはならないんだと、口の中を苦みでいっぱいにしながら最後まで見届けた。

Sさんの車で、僕ら2人は廃工場まで送ってもらった。

ふらふらだが歩けるようになったユノを先に下ろし、車のドアを閉めた僕にSさんは言った。

 

「俺にはチャンミンに何もしてやれない。

チャンミンには気の毒だし、残念だ。

彼に魅入られてしまったら、遠くへ離れるか、行きつくところまで行くしかない。

お前に酷いことをする者じゃないが...。

ただし、命を大事にしろ。

お前にはばあちゃんがいるんだからな」

 

今の今まで、ばあちゃんのことが頭からすっぽりと抜けていた。

「命を大事にしろ」というSさんの言葉は、後々の僕に突きつけられる時が訪れることになるなんて、その時の僕は聞き流していた。

僕は今、マットレスに腰掛けて、汚れた衣服を脱いで着がえているユノの後ろ姿を見守っている。

ユノの動きは敏捷で、数時間前まで死体のようにくたりとしていたのが、嘘のようだ。

 

「チャンミンには心配かけてしまった」

 

スウェットの上下に着がえたユノが、僕の方へ歩み寄った。

ユノが差し出した手を握ると、僕は引き寄せられた。

 

「俺のこと...怖いだろう?」

 

ユノは肩に回された僕の腕の下から抜け出してしまった。

 

「離れていいんだ。

チャンミンは明日、街に戻る。

それっきり、離れて行ってしまって構わない」

 

「離れるもんか」

 

僕は再びユノの肩に腕をまわす。

 

「こんな言い方じゃ、チャンミンの意志に任せるみたいで卑怯だから、言い直す。

俺から離れて欲しい」

 

「嫌だ。

帰るのは止めにした。

学校なんてもう、どうでもいいんだ」

 

「駄目だ。

俺はそんなことを望んでいない」

 

「僕は覚悟を決めたんだ。

確かにユノは恐ろしい存在かもしれない」

 

薄墨色のユノの瞳が、僕の瞳から感情を読み取ろうとしているかのようだった。

見る度に目まぐるしく色を変えるユノの瞳に、僕は惹かれていた。

瞳の色の法則も何となく、読めてきた。

 

「確かに、とても驚いた。

驚いたっていうレベルじゃない」

 

ユノの頬を包み込むように、片手を添えた。

僕の熱い手の平が、ユノの肌で冷やされていく。

 

「『怖くなかった』は嘘になるから、正直に言うけど、ぞっとした」

 

僕の深層心理では、とっくに気付いてた。

だから、本当のことをSさんに教えてもらって、腑に落ちた。

 

「信じられないだろうけど、

本当のことを知って、これで真正面からユノを好きになれる、って安心したんだ」

 

「......」

 

「駄目かな?」

 

ユノは黒髪の間からのぞく白い耳をすまして、僕の言葉を考え深げに聞いているようだ。

 

「僕の身体だけが好きならば、それで僕は十分だ。

僕のことを少しでも気に入ってくれているのなら、離れろなんて言わないで欲しい。

僕の身体が好きだって言ってたよね?

僕は、ユノの側から離れないと決めたんだ」

 

僕の顔を穴が開くほどじぃっと見つめていたユノは、小さくため息をついて「そっか...」とつぶやいた。

 

「さて。

セックスでもしようか?」

 

「え?」

 

ユノに胸を押された僕は、マットレスの上に仰向けになった。

ユノの唐突な誘いに僕はポカンとしたが、僕らは会えば必ず交わる関係性だ。

ユノの「セックスしようか」の台詞は、僕の言葉に対する肯定の返事だと捉えた。

ユノの肩を引き寄せて、僕は彼に深く口づけた。

 

 

(つづく)

(24)僕を食べてください(BL)

 

~獲物だった~

 

だらしなく下半身をさらした僕は、しばらくの間馬鹿みたいに呆けていた。

自分のしでかしたことに、茫然としていた。

頬を涙で濡らしたユノは、枯草の上で横たわったままだった。

罪悪感に浸る前にすることがあるだろう?

無理やり引き下ろしたユノの下着とパンツを元通りにした。

ユノの白い手足は力が抜けていて、まるで人形のようだった。

ユノの下腹に僕が放った精液がたらりと。

拭きとってあげたかったが、適したものを何も持ち合わせておらず、申し訳なくてたまらない僕は自身のTシャツの裾ででぬぐい取った。

パンツは細身だったため苦労したが、その間ユノは僕にされるがままで、その表情もうつろだった。

ユノが欲しくてたまらなかった僕は、手中におさめるために、ユノを貶めた。

ユノの獲物だった僕が、ユノを獲物にしてしまったのだ。

 

「?」

 

ユノの様子が変だ。

まぶたを半分落とし、軽く開いた唇も紙のように真っ白だった。

 

「ユノ?」

 

肩をゆさぶったら、見下ろす僕と目を合わせ、「...チャンミン?」とぼそりと言った。

 

「具合が悪いのか?」

 

「少し休めば、大丈夫だ」

 

ユノの額に手を当てると、ぞっとするほど冷たい。

 

「病院。

病院に行こう!」

 

ユノの首の後ろに腕を通して、抱き起す。

首が座っておらず、頭がぐらぐらと揺れた。

ユノのうつろな眼は、さっき流した涙で潤み、碧く澄んでいる。

黒髪に青い瞳の組み合わせが人形めいていて、非常事態なのにも関わらず、胸をつかれるほど美しかった。

周囲を見渡す。

朝日が昇りかけており、見上げた木立の枝葉の間から白い光が差し込んできた。

それでも山中のここは薄暗く、ひんやりとした湿気に満ちている。

ユノを抱いて林の中を抜けるのは難しい。

傾斜もきつく、地面から不意に突き出た木の根に足をとられて、転倒する恐れがあった。

抱き上げかけたユノを、そっと地面に下ろす。

同じ場所に戻ってこられるよう、周囲の風景を記憶に刻む。

所有地の境界を印す蛍光ピンクのリボンがあそこに2本、木の幹に赤いスプレーでマークされた数字がここ。

 

「ユノ!

待ってて。

人を呼んでくるから」

 

「待て」

 

Tシャツの裾が引っ張られ、立ち上がりかけた僕は、ユノの口元に耳を寄せた。

 

「どうした?」

 

「医者はいらない」

 

「いらないって...?

こんな状態で何を言ってるんだよ!?」

 

「チャンミン...」

 

「っつ!!」

 

耳朶にズキッっと痛みが走り、とっさにかばった指先がぬるりと濡れた。

 

「何するんだよ!」

 

耳朶をユノに噛まれたのだ。

デニムパンツで指を拭ってユノを叱りつける。

ユノの唇が僕の血で赤く染まっている。

なまっちろい肌に血が付着したユノの顔が...映画やドラマで観たことがある光景...殺人被害者のようで、背筋がそくりとした。

まるで、僕がユノを殺したかのようで。

 

「!」

 

僕の手首がぎゅっとユノの手によって握りしめられた。

手首の骨がきしむほどの力だった。

半分閉じられていたユノの眼がかっと見開き、僕を射るように見据えられた。

あの時と同じだ...ユノと出逢った日...ユノに突き倒されて、あの時と同じように暗い墨色の目が僕を見上げていた。

一瞬の間、僕は金縛りにあったかのように、ユノの瞳に囚われていたが、頭を振って現実に引き戻す。

 

「こんな時にふざけるなって!」

 

ユノの手を振り切ろうと、手首をひいたらあっさりとその力は緩む。

 

「とにかく、人を呼んでくるから。

ここで待ってて」

 

「......」

 

ユノは視線をゆるめると、ぷいと僕から目を反らした。

まぶたが完全に閉じてしまった。

 

「すぐに戻って来るから!」

 

僕は素早く立ち上がると、一度だけ振り返ってユノの存在を確かめた後、斜面を下りて行った。

ここを真っ直ぐに下りると、確か処理場の裏手に出るはずだ。

ばあちゃんちと廃工場、処理場の位置関係は三角形を描いている。

棘草や笹の鋭い葉先が僕の腕を傷つける。

ユノを失ってしまう恐怖心と焦燥、それから肉欲に目がくらんでいた僕は、ユノを見ていなかった。

多分...昨日、河原へ行った時だ。

あの時から、ユノは僕の力にあっさりと屈していたような気がする。

河原を出てからも、家へ帰れと言うユノの言葉を無視していた。

泣いてユノに取りすがった。

自分のことしか考えていなかった。

人間離れしたユノなら、僕のお願いを聞くことくらい大したことないと甘えていた。

 

 

最後の藪を突っ切って、半ば転げ落ちるようにして平坦な地面に下り立った。

鉄格子の中には、焦げ茶の獣がうずくまっている。

小さな黒い目と目を合わせないように、檻の前を通り過ぎた。

建物の表に回るとトラックが横付けしてあり、僕は安堵する。

Sさんがいた。

 

「Sさん!」

 

「おお!」

 

荷台へ荷物の積み下ろしをしていたSは、息せき切って駆けてくる僕に驚いた表情を見せた。

 

「どうした?

こんな朝っぱらから。

俺か?

なかなか罠にかからないから、米ぬかを追加しようと思ってな...」

 

「助けてください!」

 

僕の必死の形相に、Sさんの様子も真剣みを帯びてきた。

 

「チャンミン...お前、酷いぞ。

それはお前の血か?」

 

Sさんの視線の先を見てギョッとした。

襟ぐりが血で汚れていた。

ユノに噛まれた耳朶の傷から流れた血だ。

 

「えっと...枝をひっかけたんだと思います」

 

「助けて欲しい、って?」

 

Sさんに促された僕はここまで来た経緯を、荒い呼吸を整えながら説明したのだった。

 

 

ユノが居る場所の説明をすると、近辺の林中に詳しいSさんは見当がついたらしく、僕に先んじて林の中に踏み入っていった。

僕はSさんを見失わないようについて行くのに必死だった。

厚く降り積もった杉葉は、スニーカー履きには滑りやすいし、半袖Tシャツといった軽装の僕は、来た時と同様にあちこち擦り傷を作った。

いた。

茶色い地面に、ぐったりと伏せたユノがいた。

生きているようには見えないくらい、全身の力が抜けてしまっていた。

 

「チャンミンは、落ちないよう後ろから支えてくれ」

 

Sさんがユノをおぶり、僕はユノの背中を手で支えながらの下山となった。

 

「なあ。

この子は、大学の友達だって?」

 

「う、うん」

 

まさか、本当のことは言えない。

 

「そうか...」

 

山歩きに慣れたSさんの足取りは頼もしく、処理場に着く頃には僕はただ後を追いかけるだけだった。

 

「Sさん!」

 

処理場内のステンレス台の上にユノを寝かすSさんの無神経さに、僕は驚愕して大声を出した。

くたりと横たわったユノが、まるで解剖を待つ死体のようだった。

 

「病院に連れて行かないと!

電話をかけないと!」

 

「電話はひいていないんだ」

 

「ユノを車に乗せてってよ。

病院へ運ぼう!」

 

「チャンミン...」

 

Sさんが僕の名前を、低い落ち着いた声で呼んだ。

 

「こんなところに寝かすなんて!」

 

扇形に広がった羽のようなまつ毛だとか、目の下のどす黒い隈だとか、整った小さな鼻だとか、ステンレス台に広がる枯れ葉のついた黒髪だとか...何度もヤリまくった身体なのに、遠い存在に見えた。

ユノが死んでしまう恐怖がせり上がってきた胸が、苦しくて仕方がない。

Sさんの表情が不気味だった。

小さいころから可愛がってくれて、両親の事故の時生き残った僕に涙した人とは別人だった。

 

「お前は家に帰れ...と言っても無理か。

そうだよな...」

 

「当たり前だ!

意味わかんないよ。

いいよ、僕が連れて行くから」

 

ユノに飛びつく僕を、Sさんはがっしりとした腕で制止した。

 

「チャンミン、待て」

 

つぶやいたSさんは、しばらくの間宙をにらんで考えを巡らしていた。

 

「この子は、お前の何なんだ?」

 

「え...?」

 

「ただの友達か?」

 

「......」

 

(つづく)

(23)僕を食べてください(BL)

 

意識を集中させて、どこか痛むところはないか全身をスキャンする。

手も足も問題なく動く。

起き上がろうとしたが、すぐさま身体をマットレスに沈めた。

廃工場内のプレハブのような小部屋の方から、物音がしたからだ。

元事務所だったそこにはデスクが置かれていて、ユノが揃えたと思しき真新しい収納ケースが積まれていた。

埃で曇った窓越しにユノが見える。

ユノが小部屋を出てくる足音がして、僕は慌てて目をつむった。

足の運びが不規則で、地面を引きずる足音が不自然だった。

ユノが足音を立てるなんて珍しい。

眠ったフリをして薄目で、ユノの行き先を見守る。

黒い長袖シャツを羽織り、細身の黒いパンツを履いていた。

どこへ行くんだ?

ユノがこちらを振り返りそうだったから、僕は顔の筋肉を緩めて眠りこけるふりをする。

ユノのX5のエンジン音がするかと耳をすましていたが、よかった、車は使わないんだ。

僕は跳ね起きると、マットレスの下に揃えて置かれたスニーカーを履いた。

開いたままのシャッターへ走る。

地面にビニール袋から飛び出たサンドイッチとペットボトルが散らばっていた。

右ひじをさすると、擦り傷がかさぶたを作っていた。

夜の出来事は、夢じゃない、現実だ。

暗闇の中で僕の腕がひっかけたものは、テーブルドラムに置かれていた水筒のようだった。

地面に転がるそれを目にして、胃の腑がせり上がってきたが、ごくりと唾を飲み込んで堪えた。

大きく深呼吸をして、吐き気を飲み込んだ。

シャッターをくぐって外へ出た。

ひんやりとした澄んだ空気と、空の色から明け方だと分かった。

廃工場から山道を見下ろしたが、ユノの姿はない。

小枝が折れる音を振り向くと、笹藪の陰に黒いものがちらついた。

山の中に入っていくようだ。

X5の陰にしばらく身を潜めたのち、砂利を踏むスニーカーが音を立てないよう小走りで斜面を駆け上がる。

うっそうとした下草をかき分け、林の中まで足を踏み入れた。

木立が朝日を遮って薄暗い。

黒づくめのユノが、両腕で身体を抱きしめるような姿勢でふらふらと歩いている。

具合が悪そうだ。

それに、どこへ行くつもりなんだ。

頭上で鳥のさえずりがする。

木の幹に隠れながら、ユノを追う。

降り重なった杉葉は柔らかく、足音を吸収してくれた。

ユノは振り返る素振りを見せない。

足音を立てずに僕に近づける敏捷なユノらしくなかった。

脚をもつれさせ、ふらふらな身体で、ユノには行きたいところがあるようだ。

額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。

ユノを追いかけながら、僕は川水に身を浸しながら聞いたユノの言葉を反芻していた。

僕はユノについてこられないし、ユノも僕についてこられない、と言っていた。

愛情の熱量の差を言っているのだろうか。

僕に好きと言われて嬉しい、でも応えられない、と言っていた。

僕のことを嫌いになった、とは言っていなかった。

我ながら自分に都合のよい解釈の仕方だけれど、肝心な部分を避けて語られた言葉だったから、具体性に欠けていた。

結局のところ、「僕と離れたい」と言いたかったようだった。

僕は納得しない。

僕のどこがいけなかったのだろう。

ユノはドライな関係を望んでいたのだろうか。

一方の僕は、物欲しげにユノの元を訪ね、言葉を交わす間も惜しんでユノに抱きついていた。

短時間姿を消しただけでパニックを起こし、涙まで流してしまった。

昨日、僕は心を込めて(おかしな言い方だけれど)、ユノを抱いた...抱いたつもりだった。

僕の未熟なテクでは、ユノを満足させてあげられなかったかもしれないが、あの時のユノは気持ちよさそうにしていた。

うっとうしがられるほど「好きだ」と繰り返して、ユノの頭にダイレクトに伝わるよう耳元でも囁いた。

絶頂の最中、ユノが頷いたのは僕の錯覚に過ぎなかったのかもしれない。

「!」

考え事をしているうちに、先を行くユノとの距離を縮め過ぎていた。

それでもユノは気付かない。

僕はユノを追っていた。

ユノの不調の原因を探りもしなかった。

案じさえしなかった。

手負いの小動物を追い詰める、捕食者の気持ちが僕の心を侵食していった。

僕から離れていくなんて許さない。

どこまでも食らいついていく。

ユノに飛びかかった時、曲げた僕の指に鋭い爪が生えているかのような幻影が見えた。

その爪がユノの両肩に食い込む。

逃げるなら、捕まえるまでだ。

ひっとユノの喉が鳴り、見開いた瞳に恐怖の色が浮かんだのを、はっきりと捉えていた。

僕に押し倒されて仰向けになったユノに、馬乗りになった。

 

「チャンミン...!」

 

「......」

 

ユノの唇を奪い、首筋を吸い、股間をつかんだ。

デニムパンツの上からこすり、満足いく大きさに育たないことにいら立って、ファスナーを下ろした。

 

「チャンミン...やめろ...!」

 

抗議の声を、唇で塞ぐ。

無理やり唇をこじ開けて、ユノの舌を頬張り吸う。

 

「んん...!」

 

ユノの抵抗する両手首をまとめてつかんで、頭の上で押さえつける。

抵抗されて、僕の欲が煽られた。

舌打ちをしながら、もたつく片手でボタンを外して、ユノのパンツを下着ごとまとめて引きずり下ろした。

 

「やめろ...」

 

さらされた白い裸身に、僕の肉欲に火がついた。

身体をよじらせるユノの力は弱い。

 

「僕から離れるな!」

 

露わになったユノのものを頬張り、しごき、懸命に育てる。

ユノの腰に跨った僕は、デニムパンツをずらして後ろを開放させた。

固さの足りないユノのものを、疼く中心にあてがって、ゆっくりと腰を落とした。

 

「やめ...ろっ...!」

 

狂ったように腰を動かした。

奥底まで届くよう、腰を突き落とした。

がくがくと揺さぶられているユノは、僕から顔を背けている。

ユノの小さな顎をつかんで僕を見上げさせると、半分落ちたまぶたから空色の瞳が覗いていた。

ユノの瞳はくるくると色を変えるが、ここまで明るい色は見たことなかった。

ユノがますます「人形」に近づいた。

温かい塊にあそこは埋められても、僕の心は満たされない。

僕の身体は、背筋を貫く快感の波を何度も浴びているというのに、まるで他人事だった。

 

「頼むから、離れないで」

 

嗚咽交じりに繰り返した。

肌を叩く音、粘膜をこする音、粘液がたてる音、そして僕のうめき声。

ユノは唇を引き締めたまま、何も言わない。

がくがくと僕に揺さぶられるがままだ。

僕は獣、だ。

 

「僕から離れるな!」

 

閃光のような快感と痙攣が下半身を襲った。

僕の白濁が、パッとユノの腹に散った。

しばらくユノの頭をかき抱いていた。

 

「はあはあはあ」

 

身体を離して、僕は我に返る。

僕は絶望感の大波にさらわれた。

木立の元、落ち葉にまみれたユノの白い身体が横たわっている。

青白い肌をして、下まぶたから頬にかけて大きな赤黒い隈が広がっていた。

いつからこんなにひどい顔色をしていたんだ?

思い出せない。

ユノを抱くのに夢中になるあまり、ユノと繋がることした頭になかった僕は、ユノの変化にまで注意を払っていなかった。

車内で「調子が悪い」と言っていたが、まるで聞いていなかった。

 

「......」

 

僕はなにを...した?

ユノの目尻から、つーっと涙がこぼれ落ちた。

僕は獣に成り下がった。

僕は最低だ。

 

(つづく)