(12)添い寝屋

 

 

ユノはお酒にそれほど強くないみたいだった。

 

ますます身体が熱くなった、とうるさいから、ベランダに出て夜風に吹かれよう、と誘った。

 

僕らは手すりにもたれ、眼下に広がる夜景に見惚れていた。

 

巨大団地の整列した白い点々、数珠つなぎになったテールランプの赤い点々。

 

僕は手すりに顎を乗せて、隣のユノをちらりと横目で見た。

 

綺麗な横顔だな、と思った。

 

ユノは神様がこしらえた人形だ。

 

「気付いてる?」

 

ユノは前を向いたまま、僕に尋ねる。

 

「?」

 

「チャンミン...敬語じゃなくなってるよ」

 

「あ!」

 

ユノに指摘されて、初めて気づいた。

 

「...すみません」

 

「気を許してくれた証拠だな。

ため口でいてくれよ」

 

「...うん」

 

ユノと知り合ってまだ2日なのに、僕の口はいつのまにか軽くなっていて、長年の友人を前にしているみたいに、振舞っていた。

 

「僕の話はまだ半分だけど...ユノの話も聞かせて?」

 

「いいよ。

...でも、その前に...」

 

ユノの熱い指が僕の顎に沿えられた。

 

斜めに傾けた美しい顔が近づき、ユノの湿った、柔らかな唇が僕のものを覆った。

 

唇が触れた瞬間、僕の唇に火花が散って、顎、首、鎖骨へと電流が流れた。

 

その痺れはお腹、腰へと落ちていって、「んんっ」って変な声が出てしまった。

 

ユノに触れられると、今まで出したことのない、自分のものなのに自分のものじゃないおかしな声を漏らしてしまうのだ。

 

目をつむるタイミングを逃してしまって、ユノの肩ごしに街の灯りでかすんだ星空を見ていた。

 

両腕を脇に垂らしたまま、コンクリート製の床が裸足に冷たかった。

 

ユノが僕の顔から離れても、僕はぽぉっとしていた。

 

宙に飛んでいってしまった僕の意識が、僕の脳みそに戻ってくるまで、ユノはじぃっと待っていた。

 

手すりにもたれたユノが...特に斜めに傾げた腰のラインが艶めかしかった。

 

僕の目のやり場に気付いて、ユノはニヤリとした。

 

その笑顔にぞくりとしてしまう。

 

おかしいな...僕は男の人が好きなわけじゃなくて、こんな風にパジャマ姿で寛いでいるのも、添い寝屋と客同士だからで...。

 

冷えた心と身体の行く末が怖くて、たまたま雇った添い寝屋が美人過ぎて...。

 

おかしいな...僕は男の人が好きなわけじゃなくて、後ろを埋めてもらわないとイケない身体になっただけで...。

 

自分で自分に、沢山の言い訳をしていた。

 

目の前の青年に、強烈に惹きつけられている事実を認めるのが、少し怖かった。

 

「今のは...仕事として?」

 

僕の声は掠れていた。

 

「さあ...どっちだと思う?」

 

ユノの瞳の中で、マッチが擦られぽっと小さな炎があがり、軸のぎりぎりまで燃えた後、ふっと消えた。

 

あれ...今のは何だろう?

 

ポーカーフェイスを装っているユノだけど、僕は分かりかけてきた。

 

ユノの瞳は彼の感情を映す鏡だ。

 

底無しの沼のような時、凪いだ湖面のような時、ギラギラと鋭い光を放つ時。

 

そして、たった今のように、感情の揺らぎを露わにする時もある。

 

生きているのが不思議なくらい、精巧な人形から目が離せずにいた。

 

だから、ほんのわずかの変化に僕は敏感になっていた。

 

「......」

 

「冷えてきたな。

ベッドに戻ろうか?」

 

僕は頷いた。

 

ユノに手を引れた先は、最高に寝心地の良いマットレス。

 

先に横たわったユノの隣に、僕も身体を寄せる。

 

パジャマの裾から、ユノの手が忍び込んできた。

 

「今夜は抵抗しないんだな?」

 

僕はこくりと頷いた。

 

多分あの時、一瞬だけど、真の意味でユノと心が通じ合ったんだ。

 

ユノの熱い手の平が気持ちよかった。

 

「温めてやるよ」

 

ユノの指が、僕のパジャマのボタンをひとつひとつ外してゆく。

 

最後のひとつが解かれ、右腕、左腕と袖が抜かれるまで、僕はじっとしていた。

 

次は僕の番だと、ユノのパジャマのボタンを外そうとしたけれど、かじかむ指のせいでうまく出来ない。

 

「あれ...おかしいな...?」

 

「いいよ、自分で脱ぐ」

 

そう言って、震える僕の手を優しく押しやると、ユノは半身を起こして、パジャマを素早く脱いでしまった。

 

昨夜も目にしたばかりなのに、背筋が作る美しい凹凸に僕は息をのむ。

 

上を脱いでしまったことで、僕は凍えそうに寒かった。

 

毛布に手を伸ばす前に、ユノの腕に深く包み込まれて、その手は宙に浮く。

 

あご先まで熱い風呂に浸かったみたいに、全身の緊張がほどけ、指先と爪先まで血が巡る。

 

今夜はどちらが添い寝屋役なのかな。

 

「添い寝屋さん」

 

「はい」

 

ユノに呼ばれて、僕は伏せていた顔を上げた。

 

僕らは抱きあっているから、ほんの数センチで互いの唇が触れそうだった。

 

しかも、僕らはパジャマの上を脱いでしまっていたから、肌と肌とがぴったりと密着していた。

 

こういう状況では普通、キスが始まるものなんだろうね。

 

お互いの身体に触れて、ズボンも脱いでしまって...いろんなことが始まるんだ。

 

僕の心臓は、確かにドキドキしている。

 

ユノというパーフェクトな人物に接していながら、僕の大事なところはしんと静かに、縮こまっている。

 

情けなくて、じわっと涙が浮かんでくるのだ。

 

今夜の添い寝屋は僕だ。

 

僕の『不能』の話より、ユノが抱える過去の話の方が深刻そうだ。

 

「ユノの話を聞かせてください」

 

「この話をするのは、チャンミンが初めてだよ。

...打ち明けたら、眠りを取り戻せるのかな?」

 

「僕に任せて」

 

何の保証もないのに、僕は請け負ってしまった。

 

何故だか分からないけれど、僕ならどうにかできそうな気がした。

 

気だるげで適当だった仕事ぶりは卒業だ。

 

全身全霊を持ってユノに添い寝をしてやろう、と心に決めたんだ。

 

「ユノのまぶたが閉じるまで、僕が添い寝をしてあげる。

こうやって...」

 

ユノの背中をとんとんと、叩いた。

 

「ふっ...。

どうせ俺より先に、寝ちゃうくせに」

 

「そうだとしても、ユノの話を聞いてから寝るよ」

 

「俺はね、今の仕事をかれこれ...10数年続けている」

 

「大先輩だね」

 

僕はせいぜい、数年だ。

 

「ある女性の熱を取り込んでしまうまでは、ごくごく普通の添い寝屋だった。

失恋した女の彼氏代わりに、胸を貸してやったり、慰めてやったりね。

男の客も同様だ」

 

「慰めるってつまり...?」

 

「...チャンミン。

お前の思考回路は『それ』しかないのか?

『不能』のくせに、溜まりまくってるんだなぁ」

 

ユノの真顔が笑ったものに変化して、薄闇の下で真っ白な歯が光る。

 

分かったことがひとつ加わった。

 

ユノのことを好ましく思うわけは、欠点を見つけられない外観の他に、彼が漂わせている清潔感のせいだ。

 

美しく清潔で人工的でとっつきにくと思いきや、芳香漂うかのように華やかな笑顔や、くるくると変わる瞳の表情に、人間味を感じる。

 

「うるさいうるさい!

僕のお腹に当たっているのは何?」

 

「チャンミンを抱っこしていたら、つい...。

嫌なら、離れようか?」

 

「ダメ!」

 

僕の背中から腕を離すユノに、僕はぎゅうっとしがみついた。

 

「俺を誘っているのか、拒んでいるのか、どっちかにしてくれよ?」

 

「どっちでもないよ!

ほらっ、早く続きを話しなさい!」

 

「チャンミンと違って、俺は出張サービスも引き受ける。

つまり、客が指定した場所...ホテルや客の家で添い寝してやるわけだ。

当時は、俺も未熟だったから、客の精神状態に引きずり込まれることも多かった。

それに、眠気に襲われる時もあった。

客と一緒になって眠ってしまわないよう、仕事前に食事は摂らない代わりにカフェインをたっぷり摂った。

昼夜逆転の生活だったなぁ」

 

「ユノは、真面目だね」

 

「今も真面目だぞ?

添い寝屋を初めて数年した頃かな、俺は恐ろしい経験をした」

 

ユノの裸の胸に頬をくっつけて、彼の話と同時に、頭蓋骨に直接伝わる彼の心臓の音を聴いていた。

 

僕の冷たい身体が、どうか少しでも彼の熱を冷やしますように。

 

ユノの熱い身体が、どうか少しでも僕の氷を溶かしますように。

 

 

 

(つづく)

 

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(11)添い寝屋

 

 

 

「インラン?」

 

「うん。

滅茶苦茶気持ちがよかったんだ。

初めてだったんだよ?」

 

「......」

 

僕はユノの腕の中で一回転して、彼と向かい合わせに座った。

 

ユノはぽかんと口を開けていた。

 

白い肌に、そこだけ紅色に色づいた唇が、Oの字になっている。

 

ふふふ。

 

そんな間の抜けた表情が、たまらなく可愛らしく僕の目に映っている。

 

僕の話の展開についていけなくても当然だよね。

 

『不能』になった経緯の途中で、『淫乱』なんていうワードが飛び出したんだもの。

 

「よだれを垂らすくらい気持ちがよかったんだ」

 

ユノは片膝を立てると、人参スティックを摘まんで口に運ぶ。

 

シャクシャクと咀嚼しながら、視線は僕から離さない。

 

「チャンミンを運んだ3人の男とも、ヤッたのか?」

 

「...うーん、多分」

 

「『多分』って!?

覚えていないのか?」

 

「部屋は暗いし、皆裸だし...僕もね、自分で脱いだのか脱がされたのか...。

何か特別なお香でも焚かれていたのかなぁ。

ふらふらのメロメロ気分。

あそこには棒と穴しかない。

快楽を追求する空間だったんだ」

 

僕は目を閉じて、当時のあの場所のあの映像を、頭に思い浮かべながら説明した。

 

赤い照明、そちこちに置かれたソファやベッド、エキゾチックな装飾のパーテーション、天井から下がるシフォンの布は、透けていて間仕切りの役を果たしていなかった...。

 

「そのクラブの名前は憶えているか?」

 

僕は首を振った。

 

「精魂尽き果てるまで、僕は没頭した。

3人の男の一人が『彼女が待っているよ。帰りなさい』と声をかけるまで、僕はドロドロになっていた。

前も後ろも...僕の下半身のことだよ...快感の余韻が凄くてね。

エレベーターを上がって出たそこは...驚いた...酒をしこたま飲まされたクラブだったんだ」

 

ユノはひとりで、野菜スティックのパックを平らげてしまっていた。

 

「彼女とは、どうなったんだ?」

 

「ホテルに戻った時は、朝方で、僕はフラフラだった。

彼女は泣き腫らした顔をしていた。

心配して当然だよね、物騒な大男たちに彼氏が連れ去られて。

僕はひどい恰好をしていた。

真冬なのに、コートも着ず、ジャケットも着ず(クラブに置いてきたんだろうね)、しわくちゃのシャツだけで。

全身べたべただったから、僕はお風呂に直行した。

僕を介抱する彼女の目が、僕の身体に釘付けになっていて...そこで気付いたんだ。

全身、あざだらけだったんだ。

『警察に通報しましょう!』と、彼女が電話をかけようとしたのを、僕は止めた」

 

「あざだらけ、って、つまり...?」

 

「うん。

キスマーク」

 

「...それから?」

 

「彼女とは別れたよ」

 

「...そうなるだろうなぁ」

 

「僕の身体はね、挿れる側から挿れられる側になってしまったんだ。

あの夜を境にね」

 

「男が好きになったっていう意味じゃないんだろう?」

 

「うん。

とにかく後ろを埋めて欲しいんだ。

暴力的な欲求だ。

例のクラブに通うようになった。

警察へ連絡する彼女を止めたのは、あの場所を守りたかったからだよ」

 

「チャンミンの知られざる性癖が、あそこで暴露された。

エロスのボタンが押されてしまって、チャンミンは暴走したんだな。

でもさ、この件を思い出すだけで恐怖を覚えるのは、なぜ?

気持ちがよかったんだろ?」

 

この辺の説明が少しばかり難しい。

 

ニュアンスがちゃんと伝わればいいんだけど。

 

「もうね、凄かったんだから。

僕の魂は下半身の...あの一点だけに宿っているみたいだった。

仕事どころじゃないんだ。

ずーっと『そのこと』ばっかり考えているんだよ?

そんな風になってしまった自分が怖かった」

 

「そいつは、辛いなぁ」

 

「ユノも今がそうでしょ?

昼も夜も、男も女もって...昨日言ってなかったっけ?」

 

ユノはがくっと首を折って、「はあ」と深いため息をついた。

 

ユノの黒髪のつむじが可愛くて、頭を撫ぜてしまいそうになるのを我慢した。

 

今夜のユノは昨日より親近感があって、彼の何もかもが可愛らしく僕の眼に映っていた。

 

なぜだろう?

 

「俺は『淫乱』じゃない。

下半身が『強い』だけで、チャンミンみたいに溺れてはいない」

 

ユノったら、威張った風に言うんだから、可笑しくてクスクス笑ってしまった。

 

「そいつらは最初からチャンミンが目当てだったんだ。

秘密クラブのメンバーの一員として、抜擢されたんだよ。

素質があるって」

 

「...抜擢ねぇ。

2晩とおかずに通ったからなぁ...メンバーか...そうなるよね」

 

定時きっかりに退勤して、一直線に向かったのはあのクラブ。

 

ふらふらになるまで快楽に溺れて、朝方になって帰宅して、シャワーと着替えを済ませて出社して。

 

当時の僕は、眠りを忘れていた。

 

「実はね、ユノ。

別れた彼女とは結婚を前提に、真面目に付き合っていたんだ。

あの日、クリスマスだったか誕生日だったか、何を祝おうとしていたのか、思い出してみた。

お祝いじゃなくて...その...」

 

「プロポーズ?」

 

「うん」

 

「結婚したいくらい、愛してたのか?」

 

「...多分」

 

「『多分』?

ずいぶん、あやふやだなぁ」

 

そんな大事な日のことを忘れていた。

 

「『恐ろしい体験』って言ってた理由が分かったよ。

チャンミンって、真面目で真っ当な人間だったんだろ?

それがさ、ひと晩で身を滅ぼすほどエロスに支配されただろ。

結婚まで考えてた彼女を、ぽいって捨てただろ」

 

『捨てた』の言い方は酷いけれど、ユノの言う通りだった。

 

この人となら将来を共に歩んでもいいと、かけがえのない存在だったはずなのに、たったひと晩でその思いは霧散して、彼女の存在を忘れた。

 

所詮、その程度の愛情...ありとあらゆる条件を考慮した末、僕の理想像にまあまあ近かっただけ...だったんだろうな。

 

「肝心なことを聞き忘れていたよ。

その頃から添い寝屋をしていたのか?」

 

「ううん。

添い寝屋を始めたのは、『不能』になってからのこと」

 

「淫乱状態で会社勤めは辛かっただろうに...。

...チャンミン...お前って、面白い奴だなぁ」

 

「面白いだなんて、酷いよ。

僕の中の常識がひっくり返る、恐ろしい体験だったんだ。

ほら、手が震えてる」

 

小刻みに震える僕の指先を、ユノはじっと見つめていた。

 

「あっ!」

 

ユノったら、僕の指をぱくりと咥えたんだ。

 

ユノの中は、火傷するかしないかのギリギリの温度のスープのよう。

 

手を引き抜こうにも、僕の手首はユノの力強い指にがっちりと拘束されていた。

 

「乱交クラブでの経験が、いずれ『不能』に繋がるわけなんだ?」

 

「...うん」

 

ユノの熱々の舌が、僕の人差し指にくねくねと絡みつく。

 

指の股を舌先でちろちろとくすぐられ、

 

「...あっ...」

 

お尻の辺りが、ずくんと痺れた。

 

なんだろ、この感じ。

 

「どうした?」

 

「な、なんでもない!」

 

ユノの目尻がにゅっと細くなっているから、きっと僕の反応を面白がっている。

 

「チャンミンの話は、折り返し地点まで来た?

その続きは?」

 

「今夜はもう疲れたから、話したくない」

 

僕はクタクタだった。

 

記憶を辿り、当時の感情を追体験し、知り合って2日目のユノに、僕の恥と恐怖を暴露した。

 

ベッドカバーの上に並んだ食べ物は、ほとんど手を付けられないまま残っている。

 

僕はベッド下に手を伸ばして、ビニール袋の中を探った。

 

「飲みましょうよ」

 

僕の指を咥えたままのユノに、缶ビールを突き出した。

 

「僕の指...そんなに美味しい?」

 

ユノはじゅるっと音をたてて吸ったのち、「うん」と答える。

 

ユノの唇...ぽってりとした下唇...のやわらかさに、再び僕の腰の奥が、痺れた。

 

「...んんっ...」

 

変な声が出てしまった。

 

空いている方の手で、口を塞いだ。

 

僕の反応にユノは、

 

「チャンミンの指...アイスキャンディーを舐めているみたいだ」

 

そう言って、弥勒の微笑を浮かべた。

 

 

(つづく)

 

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(10)添い寝屋

 

 

寝具を全て洗濯するのが僕のルーティン。

 

潔癖だからという意味じゃなく、シーツが吸い込んだお客たちが残した匂いだとか、疲労と不幸をさっぱり、洗い流すため。

 

洗濯機に放り込む前、抱えたシーツに顔を埋めた。

 

ユノの香りがする。

 

ちょっと変態めいていたかな...僕しかいるはずないのに周囲を見回し 、ひとり赤面した。

 

洗面所の床に座り込んで、ぐるぐる回るシャボンを、ぼーっと眺めていた。

 

僕の秘密の一部をユノに話してしまった。

 

誰にも話したことがない。

 

数年前、もともと少ない人間関係をばっさり切り捨てた。

 

誰といても心は空虚、誰にも興味を覚えない...僕はひとりぼっち。

 

望んでひとりぼっちになった。

 

代わりに入れ代わり立ち代わり、多種多様なお客たちが僕のベッドを通り過ぎるだけ。

 

ところが、僕は久方ぶりに「寂しい」と思った。

 

犯人はユノだ。

 

ずかずかと強引な手を全然使わずに、するりと僕の心に入り込んできた。

 

目を覚まし、一瞬事態が分からず、僕のお腹で組まれた手にぎょっとし、その手の持ち主を辿っていったら、端正な顔が待っていた。

 

「おはよう」

 

そうだった!

 

僕が雇った添い寝屋、かつ僕を雇った添い寝屋とひとつベッドで眠ったんだった(ぐっすりと寝たのは僕だけ)

 

「お、おはよう...」

 

ユノにしがみついてる自分が恥ずかしくて、僕は顔を伏せてしまった。

 

 

 

 

今夜もユノがやってくる。

 

そしてその時、僕の秘密の続きを語る。

 

色褪せることなく焼き付いた記憶を、辿ってみた。

 

やめておこう...ユノが側にいてくれる時にしよう。

 

火傷しそうに熱く、ミステリアスな空気を漂わせていて、頼もしくてエッチな美貌の男。

 

洗濯終了のブザーが鳴っても、僕はそのままぼぉっと、ユノを想っていた。

 

 


 

 

僕らはベッドの上で、色とりどりの食べ物(ユノの差し入れ)を囲んでいた。

 

僕は崩した横座りで、ユノは寝っ転がったままのお行儀の悪い恰好で。

 

「チャンミンは今日、何してた?」

 

「洗濯して掃除して、観葉植物の土の入れ替えをしてた」

 

「へえぇ、あのピッカピカのエントランスを土の袋抱えて通ったってわけ?」

 

「まさか」

 

僕は外出嫌いで、食糧も日用品も全部、配達してもらっているのだ。

 

「どうりで生っちろい肌をしてるはずだ。

運動不足にならないのか?」

 

「ふふん。

隣の部屋をトレーニングルームにしてるんだ。

ユノの方はどう?

何してた?」

 

「んー、プールで泳いで、その後買い物したり、人と会ったり...いつもと変わらないよ」

 

「人と会うって...つまり、そういうこと?」

 

「...チャンミン...末期症状だぞ。

全てをエロい方に考えるんだから...参ったなぁ。

チャンミンのスケベ心は、今夜解消してやるからな」

 

「今夜!?」

 

「ああ。

チャンミンの告白タイムが終わってからのお楽しみだ。

どう?

ウキウキしてきただろ?」

 

「ウッ、ウキウキなんてしてないよ!」

 

「今夜も俺が添い寝屋役だ。

添い寝屋、っていうより、お悩み相談員みたいだな、ははっ」

 

「そんな感じだよね」

 

添い寝屋の役目は、客たちの眠りを妨げているモヤりを、わずかなりとも取り除いてあげることだ。

 

添い寝屋とお客との会話は、常に一方通行で、僕らは常に聞き役だ。

 

心を占めるわだかまりを吐き出させ、頷き聞く。

 

そうして肩の荷を下ろしたお客は、僕らの腕の中で眠りにつくのだ。

 

「彼女を部屋に押し込んで、廊下に残された僕は3人の男たちに囲まれていた。

 

殴られるだろうから、奥歯をぐっと噛みしめた」

 

いきなり語りだした僕に、不意をつかれてユノは眉を上げた。

 

そして立ち上がると、僕の背後に回り込み僕を抱きかかえた。

 

ユノの熱い体温と香りに包まれて、安心した僕は続きを語る。

 

「男の一人に羽交い絞めされて、もう一人が僕の足を持った。

残りの一人が僕の腰を支えて、僕は荷物みたいに運ばれたんだ。

彼らはずっと無言で、何をされるのか怖くてたまらなくて、悲鳴すらあげられなかった」

 

「運ばれたって、どこに?」

 

「エレベーターに乗って、うんと下。

ずいぶん長い間乗ってたからね。

僕は彼らに担がれた状態で、階数ランプを見ていた。

目隠しも無し、意識を失わせることも無し、隠すつもりはなかったんだね」

 

「地下に行って...それから?」

 

僕の膝を抱えたユノの腕に力がこもった。

 

「大丈夫だ、俺がついている」と守るみたいに。

 

「僕を痛い目に遭わせるつもりはなさそうだった。

 

荷物みたいに運ばれた、って言ったけど、扱いは乱暴じゃなかった。

 

長い廊下をしばらく歩いてたから、ホテルの敷地はとうに越えていたと思うな」

 

「逃げ出そうとは思わなかったのか?」

 

「好奇心が湧いてきたんだ。

どこに連れて行くんだろう?って...呑気だろ?」

 

「ああ」

 

「扉を開けた先は、赤いライトだけの暗い部屋だった。

男たちは僕を下ろした。

とても広い部屋だった。

見回して、僕はびっくりした...口もきけないくらいに」

 

「どうだったんだ?」

 

「男と女の人があちこちにいて...その...いろんなことをしてたんだ。

つまり、その...」

 

それ以上、詳細を説明できなくて言いよどんでいると、ユノはそのものズバリを言い当ててくれた。

 

「スワッピング・クラブ?」

 

「えっと...うん、そういう所だったみたい。

それだけじゃなくて...その...」

 

「男と女だけじゃなく、男と男、女と女の組み合わせもあったって?」

 

「うん...それだけじゃなくて...」

 

「1対1だけじゃなく、1対2とか、2対2とか1対3とか?」

 

「...うん」

 

ユノの言う「2対2」ってどうやってやるんだろう?って、頭の中で組み合わせ方を考えてしまった。

 

「連れて行かれて、チャンミンはどうしたの?」

 

肩ごしにユノを振り仰いだら、彼の猫みたいな眼がギラギラしていた。

 

「それで...チャンミンはどうしたんだ?

詳しく教えろよ?」

 

「は、恥ずかしいから...嫌だ」

 

「俺はチャンミンを甘やかさないって言っただろ?

教えるんだ。

『不能』を治してやらないぞ?

ずーっと、ふにゃちんのままだぞ?

いいのか?」

 

「それは...困る」

 

ユノの言うことは無茶苦茶だ。

 

あそこで起きたこと、僕がしたことを全部ユノに教えたら、僕の『不能』が治るなんて。

 

エッチなユノのことだ、エッチな話を聞きたいだけなんだ。

 

ユノの熾火の身体で蒸されて、僕はのぼせていた。

 

僕の氷の身体がじわりと溶けてきて、額に浮かんだ汗がつっと顎に滴り落ちた。

 

「で、チャンミンは愉しんじゃったのか?

可愛い彼女がいるのに?」

 

「えっと、その...彼女がいるのに他の女の人と、アレをしたわけじゃなくって...」

 

「うっわー!」

 

ユノったら僕の耳元で大きな声を出すんだ、「うるさいよ」と耳を塞いだ。

 

「念のため訊いておくけど...チャンミンは経験あったのか?」

 

「あるわけないだろう!

3人の男は、『ウェルカム・トゥ・俺たちの世界へ』って言ったんだ。

僕をその場に置いて、去っていった。

その言葉が怖かった」

 

「『俺たちの世界』か...。

つまり、そういうことだよな?」

 

「...多分」

 

「で、目覚めたのか?」

 

「うーん...そうなる...のかなぁ?

ユノには“そういう趣味はない”って言ってたけどね。

僕はきっと...男の人に挿れられないとダメな質なんだ。

ま、今は勃たないし、それならばって中から刺激をしてみても、さっぱりだし。

それ以前に、ムラムラすることもなくなった」

 

「その出来事がきっかけで、『不能』になってしまったのか?

目覚めて愉しみまくったんだろう?

そこから、どうやって『不能』に至るんだ?」

 

「僕が『不能』になったのは、もっと後のことなんだ」

 

「チャンミンの過去は複雑だなぁ」

 

「地下で起きたあの夜をきっかけに、僕は...」

 

僕は深呼吸をした。

 

「『不能』どころか、『淫乱』になってしまった」

 

「はあぁぁ!?」

 

 

(つづく)

 

 

 

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(9)添い寝屋

 

 

 

僕は仰向けで天井を見上げながら、続きを語り始めた。

 

僕の頭はユノの太ももに乗せられていた。

 

ユノは自身の熱い手が触れないよう、僕の額に冷たい水をかけてくれる。

 

「腕を掴まれて引っ張られてもないし、背中を小突かれてもいなかった。

両サイドと後ろを3人の男に塞がれていた。

僕と彼女の部屋に彼らを連れていくしかなかった。

情けなかったよ...。

突き倒して、殴って、蹴散らしてやれればよかったのに...」

 

「......」

 

「動揺していたから、カードキーが取り出せなくてね。

やっとで見つけたんだけど、手が震えてしまって、エラー音を立て続けに鳴らしてしまうんだ。

もたもたしていたら、彼女が悲鳴を上げて...多分、どこかを触られたんだと思う。

...情けないよ」

 

僕のまぶたの裏が熱くなってきた。

 

真上から見下ろすユノの顔が、ゆらゆらと歪んできた。

 

「...チャンミン?」

 

「僕は体格はいい方だし、あの3人の男より背が高かった。

3人のうち誰か一人とも力では敵わないって、クラブで酒を奢られた時に、察していた。

部屋の鍵を開けて、それから...」

 

「もう話すな。

チャンミン、今日はそこまででいい」

 

「彼女を部屋の中に突き飛ばして、カードキーも投げ入れた。

それくらいしか策が思いつかなくって...」

 

「チャンミン、ストップだ」

 

「ドアを閉めて...それから...」

 

「チャンミン、黙れったら」

 

「僕だけ廊下に残って、背中でドアを塞いで...」

 

僕の口が熱いユノの手で塞がれた。

 

「無理に話すな」

 

「でも!

ここまで打ち明けたんだ、全部話さないと!」

 

数年以上、封印していた記憶。

 

ユノは信用のおける添い寝屋...それだけじゃなく、頼りがいある人物に見えた。

 

僕のあたふたを悪戯っ子みたいな目で見るから、ムカついたけど、ユノの手の平で転がされる感じが嫌じゃなかった。

 

不良添い寝屋の僕だけど、そうであってもお客たちから頼られる立場だった。

 

何もかもを達観している風に、肩肘張らない接客態度を貫いていたけど、そろそろ限界だったのだ。

 

僕の身体と心を取り戻したい。

 

全部ぶちまけて、ユノに全部を任せたくなった。

 

「あのね、あのね」とユノの手の平の下で、僕はモゴモゴと言葉を続けようとする。

 

「これ以上喋るなら、キスするよ?」

 

僕の口がぴたっと閉じる。

 

「その手の話なると、す~ぐ固まっちゃって。

可愛い添い寝屋さんだなぁ」

 

真上から見下ろすユノの顔が、ぐんと近づいて、僕は思わず目をつむった。

 

「可愛すぎてキスしたいところだけど...」

 

僕の脇と膝裏に腕が差し込まれ、一気に抱き上げられた。

 

「せっかく温まったのに...氷みたいになっちゃって。

辛いことを思い出させてしまって、悪かった」

 

「まだ話が途中...」

 

落っこちないようにユノの首に腕を巻きつけた。

 

人形のような小さな顔に似つかわない太い首が頼もしくて、僕はユノの首に両腕を巻きつけ、彼の首筋に頬をくっ付けた。

 

「震えてるね」

 

涙までぽろぽろとこぼれ落ちてきた。

 

「可哀想に...。

怖かったんだな...よいしょっと

さすがに男は重いな」

 

ベッドに僕を下ろすと、ユノは枕元からティッシュペーパーを何枚も抜き取った。

 

ぐしゃぐしゃと乱暴に涙を拭うから、その不器用そうな手つきが面白くって、つい笑ってしまった。

 

「何が面白いんだよ?

鼻水が垂れてるぞ。

ほら、鼻をかめ、ちーんって」

 

「鼻くらい自分でかめるったら!

子供扱いしないでよ」

 

ユノからティッシュペーパーを奪い取って、ふくれっ面をしてみせた。

 

「パジャマを着ようか。

二人してヌードでベッド、だなんて、何かが始まりそうだもんな」

 

僕の頭に、“そういうシーン”が直ぐに浮かんでしまったことなんて、当然ユノにはお見通しだったみたいだ。

 

「チャンミン...相当いっちゃってるな」

 

呆れ顔のユノに、僕は赤面して「だって、意味深なことばっかり言うんだから...」と答えるのがやっと。

 

僕はユノの均整のとれた後ろ姿が、浴室の方へ消えてしまうのを心細く見守った。

 

ピンクの縞模様のパジャマ姿で戻ってきたユノは、僕にパジャマを着せてくれる。

 

僕は着せ替え人形になって、大人しく抵抗せず、ユノにされるがままになっていた。

 

一番上のボタンがユノの指できっちり留められた時、ユノはきっぱりと言い放った。

 

「俺はチャンミンを甘やかさないからな」

 

「え...?」

 

「洗いざらい全部、語ってもらうぞ」

 

僕の胸を押して横たわらせ、自身も同じように横たわって、肘枕をついて僕をじっと見た。

 

濡れた前髪が、額に濃いひと筋の影を作っていて、妖艶さが増していた。

 

タキシードを着こんだ男装の麗人の、ポマードで固めたオールバッグの髪がはらりと額にこぼれていて...そんな感じ。

 

でも僕は、パジャマに隠されたユノの身体が、男の僕でさえ見惚れるくらい逞しく立派だってことを知っている。

 

だから、とてもドキドキした。

 

「今夜のところは、ここまでで勘弁してやるよ。

契約期間は5日間、まだ4日あるからな。

続きは明日だ」

 

ユノったら、これまた乱暴な手つきで、僕の濡れた髪をタオルでごしごしと拭くんだから。

 

口元だけの笑みを浮かべたユノは、あっちこっちに毛先がはねて、ぼさぼさ頭になった僕を見る。

 

ユノの正視に耐えられなくなって、僕は頭のてっぺんまで布団にもぐりこんだ。

 

凪いだ湖面を連想させるユノの瞳に吸い込まれそうで、心の中を全部ぶちまけたくなるから。

 

ユノの指摘通り、恐怖の記憶で身体が震えている。

 

ユノに全部、知ってもらいたい。

 

でも今夜は、途中でギブアップ。

 

「チャンミン。

俺が添い寝してやるから...今夜はもう寝ろ」

 

「添い寝」の言葉に反応してしまって、もぐり込んだ布団から目だけを出した。

 

そう言えば僕、今夜は『添い寝屋』らしい仕事を全然していなかった!

 

「忘れてたみたいだけど、俺もいちお『添い寝屋』なの。

チャンミンは俺のことを『娼夫』扱いしてるんだから」

 

「えっちなことばっかり言うユノが悪いんだ」

 

ユノはふっと微笑み、あっと思う間もなく力任せにユノの胸に抱きとめられた。

 

「だってチャンミンを見てると、えっちなことをしたくなるんだ。

身体は嘘をつけない...だろ?」

 

「うん...確かに...スゴイね、ユノ」

 

僕のおへその下におしつけられたモノを刺激しないように、ユノの胸の中でじっとしていた。

 

「気になってたことがあるんだけど?

ユノって...そっちの人?」

 

僕の質問の意味が分からなかったのか、ユノはしばらくの間無言でいた。

 

ところが突然、大笑いし始めるんだ、ビクッとしてしまうじゃないか。

 

「あーっはっはっは」って、コミックの世界みたいな、見事な笑い方だった。

 

「普通さ、気になってても、訊かないもんじゃないの?

気付いていても黙っているとかさ?」

 

余程おかしかったのか、ユノは目尻に浮かんだ涙を拭っていた。

 

「...で、どうなの?」

 

「チャンミンが気にすることじゃないだろう?」

 

「気になるに決まってるじゃないか!

だって...その...オプションサービスのこともあるし...?」

 

「YESって答えたら...チャンミンはどうする?」

 

「そ、それは...」

 

「男だと困る?」

 

ユノに顎を掴まれ仰向けさせられ、黒目ばかり大きい印象的な1対が、間近に迫る。

 

「挿れる場所が違うだけの話だ。

チャンミンはいつも通りに...おっと、不能になる以前のように...やればいいんだよ」

 

「...うーん」

 

「その前にさ、チャンミンの可愛いあの子を逞しい男に復活させてやらないとな!」

 

「可愛い、って言うな!」

 

「ごめんごめん!

ほら、とっとと寝るんだ。

今夜は俺が『添い寝屋』だ」

 

凍える身体が、ユノの熱でじわじわと温められる。

 

身体の力が抜け、まぶたも落っこちそうだ。

 

目覚めたら、ユノは帰ってしまった後で、ベッドに僕一人だけ残されているのかな。

 

僕を置いていかないで、と口走りそうになったのを我慢した。

 

「客が目覚めるまで、俺は一睡もしない。

客の眠りを、俺は一晩中見守るんだ。

だから安心して寝ろ」

 

安堵の吐息をついていると、ユノは僕の背中をとんとんと叩きはじめた。

 

「ユノはいつ寝るの?」と問いかけた口をつぐんだ。

 

ユノは不眠症だったんだ。

 

「俺もね、恐ろしい思いをした過去があるんだ。

思い出すだけで、ぞっとするくらいのね」

 

「...その話、僕に聞かせて?」

 

「オッケ。

明日はチャンミンの番だから、明後日にしてやるよ」

 

「うん」

 

「おやすみ、チャンミン」

 

「おやすみ、ユノ」

 

 

(つづく)

 

 

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(8)添い寝屋

 

 

真の意味で事件性の高い出来事だった。

 

その日、僕は駅前のホテルに部屋をとっていた。

 

彼女とクリスマスだったか、誕生日だったか...、何かのイベントを一緒に過ごすつもりでいたんだ。

 

食事をして、そのままホテルに直行するのも早いよね、って、クラブみたいなお店に入ったんだ。

 

彼女が行きたい、って言い出したんだっけな?

 

店内は混雑していて、空いてる席を見つけるのがやっとだった。

 

クラブに行ったのは実は、初めてだったし、照明は暗すぎて、会話が出来ないくらいうるさくて...僕は緊張していた。

 

レストランでの食事のせいかな、店内も暑いしで、喉が渇いて仕方がなかった。

 

がぶがぶ飲む僕を、彼女は心配してた。

 

「お兄さん、飲みっぷりがいいねぇ」

 

背後から声をかけられて振り返ると、男3人立っていた。

 

3人とも揃って大きな男で、無視をしたらヤバそうだと思った。

 

僕は「どうも」と頭を下げた。

 

「相席させてもらうよ」

 

僕の返事も待たずに、僕と彼女は3人の男に囲まれてしまった。

 

スタンド席だったから、彼女の手をひいてそのテーブルを直ぐに離れてしまえばよかったのにね。

 

不安そうな彼女に「大丈夫」って頷いて見せていながら、実は、困ったな...どうしよう状態だった。

 

「俺たちの奢りだ」

 

僕の前に置かれたショットグラスに、「なぜ、奢られるんだ?」って気味が悪かった。

 

グラスを干すとすかさず、僕のグラスを満たす。

 

これを空にしないと、恐ろしい目に遭わされる...怖かった。

 

彼女にはカクテルの1杯も奢らないのに、僕にだけじゃんじゃん酒を出すんだ。

 

きりがなくて、酒が強い僕でもしんどかった。

 

ところが、10杯目か11杯目のグラスを空けたとき、男たちは「楽しかったよ」って。

 

彼らの目的が理解できなくて、ポカンとした。

 

やっとで解放された...心からホッとした。

 

でも、去り際の「またな」の言葉が、不気味だった。

 

彼女に支えられる恰好で、ホテルへ帰った。

 

せっかくの記念日が(クリスマスだったっけ?)台無しになりそうだった。

 

僕らは酔っぱらっていて、一定の距離を保って後をつける3人の男に気付かなかった。

 

エレベータのドアが閉まる直前、男たちが強引に滑り込んできたんだ。

 

男の一人が、彼女のお尻をわしづかみにし、「ひっ」と悲鳴をあげた彼女の目は恐怖で見開かれていた。

 

「やめろ」

 

その男の手首を払いのけたら、ガシっと僕の手首が別の男につかまれた。

 

殴られる...と覚悟した。

 

僕の背中は冷や汗で濡れていた。

 

「じゃあ、お兄さんが相手をしてくれるわけ?」

 

僕はその男と目を反らさなかった。

 

反らしたら負けだ...なんて、カッコいい意気じゃない。

 

恐怖で反らせなかったんだ。

 

相手ってことは...この3人の男にボコボコにされるんだろうな。

 

でもまさか、殺されるほどの酷いことはしないだろうな。

 

男の方が先に目を反らして、他の2人に目配せをしていた。

 

僕は怯える彼女の耳元で「大丈夫だから」と、囁いた。

 

僕の真後ろには2人の男、そのうちの一人は彼女の肩を抱いている。

 

「彼女は帰してあげてください」

 

「それはできませんねぇ。

愛する彼氏が心配で、あんた一人にできないって言ってるんだよ。

なぁ?」

 

真っ青になった彼女は、こくこくと頷いていた。

 

 


 

 

こわばった僕の表情を認めると、ユノの両手に肩をつかまれ、くるりとひっくり返された。

 

「わっ!」

 

そしてそのまま、背後から抱きしめられた。

 

僕の肩にはユノの顎が乗り、ウエストにはユノの両手が巻き付いている。

 

背中いっぱいにユノの素肌を感じてしまって、背骨がじんじんした。

 

僕の肩甲骨をユノの胸板が心地よくはね返している。

 

「ふぅ...」

 

「大丈夫か?」

 

言葉を紡ぐとおりに、僕の耳たぶにユノの唇...多分、下唇かな...が触れた。

 

ユノのしっとりとした声が、じわりと鼓膜を通して沁みていった。

 

ウエストに組んだユノの手に、僕の手を重ねた。

 

「大丈夫。

久しぶりに思い出したから...ドキドキしただけ」

 

ユノの大きな手の平が、僕の左胸にぴたりと当てられた。

 

「ホントだ...」

 

僕の心臓が直接触れられているみたいに、火傷しそうに熱い手の平だった。

 

「ガチガチだ」

 

胸から肩へとユノの手が移動し、僕のうなじを揉む。

 

注ぎ足したオイルの香りがバスルーム中に立ち込めている。

 

凝りがほぐれて血行がよくなったせいもあって、視界がふわふわしてきた。

 

じゃぼんと、お湯に顔面を突っ込んでしまった僕。

 

「チャンミン!」

 

ユノに引き上げられて、ハッと意識を取り戻す。

 

「のぼせたんだろ?」

 

「え...あれ...?...あれ?」

 

背後のユノを顔を振り仰いだら、視界がぐらりと回る。

 

なるほど...熾きのようなユノの体温が、バスタブを満たす湯温を上げたのだ。

 

冷え冷えの僕の肉体には、ちと熱すぎた。

 

「風呂から出るか?」

 

ユノに抱き上げられ、熱い湯の中からタイルの床へ寝かされた。

 

ユノったら、僕を軽々と運ぶんだもの...無駄のない細身の身体は、見かけだましじゃなく、力も宿す完璧な肉体なんだ。

 

「茹でダコみたいになってるぞ」

 

「う...ん。

すみません...」

 

冷たい水で絞ったタオルを、僕の喉元に当ててくれる。

 

操作パネルで浴室のヒーターを切り、換気扇を回すなど、ユノの行動は迅速で的確だ。

 

「ふぅ...」

 

ひんやりした固いタイルが気持ちいい。

 

「またぐぞ」

 

「!」

 

棚のタオルを取ろうと、僕の身体をまたいだ全裸のユノ。

 

僕の視点はあそこに釘付けになるわけで...。

 

「ん?」

 

凄い...。

 

ユノの股間にロックオンされた僕に、彼の弾ける「アハハハハ!」

 

しょぼくれた僕のモノを思い出して、情けなくなってしまった。

 

ユノの気遣いで、僕のみすぼらしい箇所がタオルで隠れ、ホッとした。

 

「ちょっとは楽になったか?

おっと...頭を起こすんじゃない。

そのまま寝てろ」

 

「う...うん」

 

「続き」

 

「へ?」

 

「チャンミンの打ち明け話...続きを聞かせてくれ」

 

「...わかった」

 

自慢のバスルーム。

 

バスタブに腰掛けた全裸の美青年と、床に寝そべった不能の添い寝屋。

 

奇妙な構図だ。

 

「僕と彼女、そして3人の男は、エレベーターを降りたんだ」

 

僕は続きを語り始めた。

 

 

 

(つづく)

 

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