(15)添い寝屋

 

 

 

ベッドにひとり残された僕は、まんじりともせず枕を抱えて夜を過ごした。

 

水補充を知らせる加湿器のランプ点滅を、じぃと睨みつけながら。

 

僕には考えなければならないことがいっぱいあったのだ。

 

ユノの言葉を頭の中で反芻して、そのひとつひとつに言い訳をしていた。

 

添い寝屋としての僕が『期待外れ』だって?

 

『脱力系添い寝屋気取り』だって?

 

『寝床の提供に過ぎない』だって?

 

うるさいうるさい!

 

これが僕のスタイルなんだ!

 

でも...ユノの言う通りだ。

 

ユノは僕の弱みを全部、言い当てた。

 

添い寝屋としての僕のこれまでは、真摯に耳を傾けているフリをして、何も考えていなかった。

 

彼らの悩みは彼らがなんとかすべきだ、僕の仕事じゃないって。

 

打ち明け話の場を提供してやってるだけ。

 

彼らの不満と不安が染みついたシーツを毎日洗濯するのも、彼らのそれらが僕に乗り移ることを恐れていたんだ。

 

人嫌いなくせに、見ず知らずの他人を自慢のベッドに寝かすという、無防備なことを続けてきた。

 

遮光カーテンの合わせから、ひと筋の日の光が射しこんでいて、朝の訪れを知った。

 

出ていくユノを追いかけていってもよかったのに、そうしなかった。

 

僕が添い寝屋を始めた理由を振り返ってみたかったからだ。

 

性欲がなくなったおかげで、肌同士の接触に反応してしまう恐れがない。

 

閉じた心のおかげで、客たちがまき散らす感情に飲み込まれずに済んだ。

 

数年前、淫乱になったせいで社会的な信用と仕事を失った。

 

長時間、大勢の人に囲まれるのが苦痛になり、気力も失われたせいで独りになりたかった。

 

それでも、働いて食べていかなければならない。

 

手に職のない自分が出来る仕事は限られている。

 

出入りしていたクラブの客のひとりから紹介された。

 

彼とは相性がよくて何度か寝た仲で、僕のモノが力を失ってしまった後、彼になんとかしてもらおうと身を預けてみたのだけれど...。

 

無職で困り果てていたこともあって、「添い寝屋なんかはどう?」と勧められたのだった。

 

客の隣で寝るだけなんて簡単だった。

 

報酬もよい。

 

冷え切った身体は、僕の魂をおさめただけの容れ物に過ぎないものになり、密着して眠る客の存在を、そのうち気にならなくなった。

 

客たちが語る打ち明け話を、他人事のように、暇つぶしに読む短編小説のように聞いた。

 

日に日に心は閉じていった。

 

他人に興味がないくせに、独り寝だと一向にぬくもらない布団の中も、客の体温で多少はマシになる。

 

なんだかんだ言ってて、人のぬくもりが欲しかったんだ。

 

『俺は客の夜を引き受ける』

 

ユノは凄い。

 

僕だったら、その夜に飲み込まれてしまう。

 

ただでさえ、心と身体が自分のものじゃなくなった僕なんだ、簡単に彼らに乗っ取られてしまう。

 

ユノは凄い。

 

知り合って2日の人間に、ああまではっきりと言い放てるユノは凄いと思った。

 

ユノは今夜、僕の部屋を訪ねてきてくれるだろうか。

 

はっとした僕は、PCに飛びついて何かしらメッセージが届いていないか確認した。

 

「よかった...」

 

辞退の通知が来ていたらどうしようと、不安だったのだ。

 

僕は数年ぶりに、寂しいと思った。

 

「......」

 

マウスを操作していた手を止め、その手をそろそろと下腹部に落とした。

 

ユノになぶられたそこに触れてみたけれど、いつものごとく小さくやわらかく萎んでいる。

 

僕はギュッと目をつむり、ユノに与えられた感触を思い起こした。

 

ここだけを刺激していても足りないんだ...となると、あそこしかないのかな...。

 

後ろに伸ばしかけた手を止めた。

 

当時のことを思い出してしまった。

 

狂っていたあの頃は、頭がおかしくなっていて、常に何かを埋めていないと耐えられず、日中は道具を使っていた。

 

「ふう...」

 

カーテンを勢いよく引き、窓ガラスを開け放って、新鮮な空気をよどんだ寝室に取り込んだ。

 

外の世界は快晴で、洗濯日和だ。

 

いつものルーティンであるシーツの洗濯は、今日はしない。

 

ユノの香りが消えてしまうから。

 

不思議な男だ。

 

漆黒であるのは変わらないのに、濃さを変える闇夜の瞳。

 

青ざめた白い肌をしているのに、50℃の熱を帯びた身体。

 

今夜もここに来てくれるといいのだけれど...。

 

 


 

 

チャイムが鳴り、僕はインターフォンを確認する間もなく玄関に走る。

 

ローテーブルに脛をぶつけてしまったけど、その痛みなんか気にならないくらい慌てていた。

 

「ユノ!」

 

ドアの向こうに立った、精巧な人形のように整った男の胸に、僕は飛び込んだのだった。

 

「来ないかと思った...!」

 

「来るに決まってるだろう?

俺は客の夜を全て引き受ける。

最後まで面倒を見るよ」

 

僕の頭をぽんぽんとした後、僕の背中をさすってくれた。

 

パジャマ越しに、じわっとユノの熱が伝わってきた。

 

僕はユノの胸にぐりぐりと頬をこすりつけた、まるで犬みたいに。

 

ユノ独特の香りは、衣服に閉じ込められていて残念だけど、きっとこの後、直接肌に触れられるから大丈夫だ。

 

「昨夜はキツイことを言って悪かった」

 

「ううん。

僕の方こそ、ユノに対して失礼だった。

正面からぶつかっていくから...覚悟してね」

 

ユノは毛糸の靴下を履いている僕の足に目をやると、

 

「可哀想に...俺がなんとかしてやるからな」

 

そう言って、僕の肩を抱いて寝室へといざなった。

 

「ユノの方こそ辛そうだね。

プールに行ってきたの?

消毒の匂いがする...」

 

「ああ。

気になるのなら、シャワーを浴びてこようか?」

 

浴室に向かおうとするユノのシャツの裾をつかんで止めた。

 

(今夜のユノもやっぱりカッコいい。ユノはお洒落さんだ。グレンチェックのコートに、モスグリーンのニット、黒の革パンツに身を包んでいた)

 

「時間が勿体ないから、行かないで」

 

ユノの眉が持ち上がり、しばし僕の顔を見つめていた。

 

「へえぇ...。

甘えん坊さんのチャンミンも可愛いな」

 

直後、伸ばされたユノの手に僕のうなじが引き寄せられた。

 

ちょっと強引な感じに唇が塞がれた。

 

自然な流れだった。

 

僕もそのキスに応える。

 

「...んっ...ん」

 

ユノの背中に両腕を回して、自分の方に引きつけた。

 

唇同士をくっつけたり離したり。

 

次に離した時には、その隙間で互いの舌先をくすぐった。

 

空調が完璧な静寂の部屋に、ちゅうちゅうと僕らがたてる水っぽい音だけが響く。

 

ユノの熱い熱い吐息が、僕の頬と顎を湿らせる。

 

ぞくぞくした。

 

僕の指は、ユノのニットを握りしめていた。

 

「このキスは、仕事として?」

 

昨夜ふと湧いた...ビジネスなキスは嫌だと思ったことを、今夜もう一度口にしてみた。

 

「チャンミンはどう思う?」

 

昨夜と同じ答え。

 

「...違うと思う」

 

そう答えた僕の顔が熱くなった。

 

あれ...?

 

僕を閉じ込める氷が、溶けた水で表面が水浸しになってきているのが分かった。

 

「正解」

 

ユノの唇の両端がにゅうっと持ち上がり、彼の両手は僕の頬を包み込んだ。

 

鼻先が触れ合わんばかりの距離で、真正面からユノの眼と対峙する。

 

吸い込まれそう。

 

僕の凍り付いた心も身体も、ユノの中に取り込まれて混ざり合い、ポンとユノの外に出た時には、元通りになっていそうな予感がした。

 

初日にユノとした会話の中で挙がったたとえ話。

 

美味しいシェイクの話だ。

 

瑞々しい果物と冷えたミルクをジューサーに入れる。

 

出来上がったものは、砕かれ混ざり合っているせいで、どれがどれだか区別はつかないのだ。

 

後ろ髪の生え際に、ユノの唇が押し当てられた。

 

「あ...」

 

じじじっと、ユノの唇を通して熱と電流が、僕の背筋を通って指先まで行き渡る感覚がちゃんとある。

 

膝の力が抜ける。

 

「正解って、どっちの言葉?」

 

脚の付け根の中間が、ぐんと重くなった感覚。

 

「『違うと思う』の方だよ。

このキスはビジネスじゃないよ。

チャンミンは?

俺もチャンミンの客でもあるからね」

 

「ビジネスのキスじゃない。

僕は客とはキスをしない主義なんだ。

知ってるだろう?」

 

「意見は一致した」

 

ユノの指が、僕のパジャマのボタンをひとつひとつ外していく。

 

恥ずかしくて、ユノと目を合わせられなくて、僕は俯いたままだった。

 

鼓動が早い。

 

 

(つづく)

 

 

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(14)添い寝屋

 

 

「俺に仕事をさせてくれよ?」

 

「......」

 

「怖いのか?」

 

数年来、外界から身を隠し、心身の感覚が麻痺したような日々を送っていた。

 

閉じこもりの自分が虚しく怖くなってきて、何を思ったのか添い寝屋が『添い寝屋』を雇ってしまった。

 

オーダーしたあの日は確か...人妻の添い寝をしてやってたんだっけ?

 

ベッドに入るなり夫への愚痴が始まって、僕は一通り聞いてあげた。

 

泣き出したかと思うと、どこかへ電話をかけ始めるから、「ベッドにはスマホの持ち込みは駄目だって言ったでしょう?」と諌めた。

 

その途端、彼女は電話相手に『迎えに来て!』って叫んだりするから、わけが分からない。

 

30分もしないうちに、彼女の夫が僕の部屋に血相抱えてやってきた。

 

彼は僕を突き飛ばすと、彼女を引きずるように連れ去ってしまった。

 

とんだ茶番劇だった。

 

今回が初めてのことじゃないのだろう、彼女は僕を『浮気相手』に仕立て上げ、夫の気を引こうとしたんだろうね。

 

僕の気分はズドンと底の底まで沈み、虚しくなってしまった。

 

それから、泣いて叫んで感情むき出しにした彼女と、困り者の妻を即迎えに来た彼のことが羨ましく思ったんだ。

 

そこで僕は、かじかんで震える指に悪態をつきながらネットサーフィンに没頭し、たどり着いたサイトで、添い寝屋を雇った。

 

この空虚な心を癒し、しんと冷えた心を揺さぶって欲しい。

 

「辛いね」と誰かに背中をさすってもらいながら、眠りにつきたい。

 

それから、強張った身体をほぐしてもらい、死んでしまった感覚を生き返らせてもらいたい。

 

 

 

 

「おい!」

 

知らぬ間にウトウトしかけていた僕は、ユノの鋭い声でハッとした。

 

ユノの両手が僕の脇に回り、持ち上げられた僕はユノの上にまたがっていた。

 

「頼むから、俺に仕事をさせてくれ。

グズグズうじうじしていたら、いつまで経っても変われないぞ?」

 

「...だって」

 

僕の脇を支えたユノの手は、身をよじるくらいじゃびくともしないくらい力強かった。

 

「怖いのか?」

 

「...うん」

 

ユノの体温で血行がよくなったせいで、彼の胸に置いた両手の指先がじんじんした。

 

それに...僕のお尻にユノのものがあたっている。

 

ユノがやってきてから、僕の身体に変化が生じている。

 

ささいな刺激に弱くなっていた。

 

「触るぞ」

 

「ああっ!」

 

そう言った直後、ユノの手がパジャマのズボンに滑り込んできた。

 

「...やっ...離せ!」

 

僕のものを鷲掴みにするんだ、驚いた僕は叫んでしまう。

 

身を引こうとしたら、起き上がったユノにのしかかられ、僕は仰向けに組み敷かれていた。

 

身動きしようにも、ユノは全体重をかけているし、僕の肩を抱きすくめているから不可能だった。

 

「チャンミンのオーダーに応えてるんだ。

安心して俺に任せろ」

 

ユノは「安心しろ」と言ってるけど、彼のホカホカの手に包まれた自分のモノが気になって仕方がない。

 

ふにふにと僕のモノがユノの手によって遊ばれている。

 

ユノの手の中にすっぽりと覆われてしまうくらい、小さく萎んだモノ。

 

これがかつては、四六時中と言っても過言じゃないくらいに猛々しくなっていたなんて、信じられない。

 

情けなくて涙が浮かんできた。

 

「...あっ」

 

ユノったら僕の耳たぶを咥えるんだ、大きく身体が跳ねてしまっても仕方がない。

 

「昨日よりも敏感になってるよ」

 

「...あん」

 

熱く湿った吐息が僕のうなじにかかり、後ろ髪が逆立った。

 

自分の首筋にさーっと鳥肌がたつのが分かる。

 

「や...離せっ...!

止めて...怖い...怖いよ!」

 

「離していいのか?

一生、ふにゃちんのままでいいのか?」

 

「それはっ...嫌だ...けど」

 

ユノは僕の耳下に吸い付いたまま、僕のモノから手を離した。

 

「身体の力を抜いて。

俺を抱きしめて」

 

ユノの裸の背中に腕を回し、手の平いっぱいに筋肉が作る凹凸を確かめた。

 

ユノの体温で温められ、僕らの身体で閉じ込められた彼の匂いを吸い込んだ。

 

興奮しているのかな...無臭だと思っていたユノの肌から、動物的なのに甘い香りがたちのぼっている。

 

頭の芯がぼうっとしてきた。

 

僕はユノの首にしがみついて、ちろちろと僕の先っぽに与えらえる感触に集中した。

 

「...んっ...ん...」

 

くすぐったい...だけだ。

 

以前も、その手のサービスを依頼した経験があるけど、成功した試しはない。

 

どれだけしごかれ舐められても、僕のモノはうんともすんとも反応しなかった。

 

もっとも、これ以上自分の身体に触れられるのが気持ち悪くなって、腰を引いてしまう僕に彼女たちは匙を投げたのだ。

 

僕は今、男の人に押し倒されている。

 

前が駄目なら...やっぱり僕は、埋められる側なのかな。

 

などと思っていたら突然、ユノの顔が消えた。

 

「ひゃっ!」

 

ユノの口内に僕のモノが吸い込まれていた。

 

柔らかく萎んだままの僕のモノは、ねっとりと口内でねぶられた。

 

「駄目...やめて...やめて!」

 

昨日会ったばかりの人物に、それも男のモノを何の躊躇なく口にできることが信じられなかった。

 

自分にはとても出来ないことだ。

 

これは僕からのオーダーに応えての行為で...そんなのイヤだと思った。

 

急にイヤになったんだ。

 

仕事だからとキスをするユノも、お金を払ったのは僕の側だからって、どんな行為もユノにしていいなんて...そんなの、心がこもっていない。

 

あれ...?

 

『心』って言った?

 

心を込めるとか、目の前の人に心をさらけ出すとか、心をさらけ出して欲しいとか、ずいぶん長く望んだことなかった。

 

丹念に舐められて、おしっこが出そうな感覚と、でも出せないもどかしさを覚えた。

 

「...やっ...や...」

 

数年前、あのクラブでの僕は、毎夜のように男たちの下になったり、女たちに道具で攻められたりしていた。

 

再び、僕はケダモノになってしまうのか!?

 

ぞっとしていると、

 

「指をいれてやろうか?」

 

「ええっ!?」

 

ユノの言葉に僕は、全力で彼の胸を突きとばしてしまった。

 

「『添い寝屋』がそこまでするなんておかしいよ!

セックスも引き受けるなんて、そんなの『添い寝屋』じゃないよ!」

 

ユノはひっくり返った姿勢で、怒鳴る僕をあっけにとられた表情で見上げていた。

 

「ユノはっ...僕の隣で寝てくれるだけでいいから!

オーダーは全部、取り消す!」

 

ユノはゆっくりと身体を起こすと、低くどすのきいた声で「いい加減にしろ」と言った。

 

上目遣いのユノから、笑みが消えていた。

 

「俺は、客の『夜』を全て引き受けるんだ。

その覚悟がなければ、この仕事はできない。

添い寝屋によっては、性的サービスを一切お断りな奴もいる。

例えば、チャンミンのように」

 

「なっ!

僕には『覚悟』がないっていうの?」

 

ムカッとした。

 

「敢えてキツイことを言わせてもらえば。

チャンミンの添い寝屋業は、単なる『寝床の提供』だ」

 

「それのどこが悪いんだよ!」

 

「悪い、とは言っていない。

俺のスタイルとは真逆だなぁと思っただけ。

チャンミン...一度でも、客の悩みに寄り添ったことはあるのか?」

 

「え...」

 

「聞き流しているだろう?

チャンミンが本気でこの仕事を続けてゆきたいのなら、

もっと『夜を引き受ける』ことについて、深く考えてみる必要があるんじゃないのか?」

 

ユノの瞳は黒一色なのに、ブラックホールのように中心にむかって渦を作っていた。

 

吸い込まれまいと、僕も眼力を込めて見返した。

 

イライラ、ムカムカしていた。

 

胸の奥底で、ぽっと小さな炎が上がった。

 

「及び腰の『添い寝屋』に、俺の過去や弱みを打ち明けるのが怖くなってきたよ」

 

ユノは立ち上がると、ベッド下に落ちたパジャマを拾い上げた。

 

「客は添い寝屋のチャンミンを買ったんだ。

それも安くはない金額で。

チャンミンの心も身体も、ひと晩だけとは言え、客のものだ。

『脱力系添い寝屋』気取りでいるのもいいけど...もっと、親身になれよ」

 

「...なんの資格があるんだよ?

僕にそんなこと...僕の仕事の仕方に口出しする資格はないはずだ!」

 

「...そうだな」

 

ユノははっと息を吐いた。

 

「俺は、お前に雇われた『添い寝屋』に過ぎない。

チャンミンの言う通りだよ」

 

パーテーション内にユノの姿が消え、しばらくして着がえた彼が出てきた。

 

「...え?」

 

肌に張りつくほど薄くてスリムな革のパンツに、麻のシャツを着ていて、今夜のユノも完ぺきだった。

 

スポーティでカラフルなブルゾンを手早く羽織ると、

 

「じゃあな」

 

片手を上げて、ユノは背を向けてしまった。

 

「待って!」

 

歩み去ろうとするユノを呼び止めた。

 

「帰るの?

添い寝は?

僕に添い寝してくれるんじゃないの?

ユノの話も途中なんだよ?」

 

「チャンミンが心と身体を閉じている限り、俺の方も全てをさらけだすのはよそうと思った。

いいか?

俺たちはそれぞれ、『添い寝屋』であり『客』なんだ。

こんな偶然、滅多にないんだぞ?

イヤイヤ言っていないで、真摯に向き合えよ?」

 

「ホントに帰っちゃうの?

添い寝屋が客を置いていくなんて、変だよ!」

 

「...チャンミン、俺の方も『客』なんだ。

期待外れだったなら、先に帰る資格が客にはあると思うんだけど?」

 

そう言って、ユノは僕を置いて出ていってしまった。

 

 

 

 

(つづく)

(13)添い寝屋

 

 

肌と肌同士がこすれる感じが気持ちいい。

 

呼吸に合わせて上下するユノの胸から、彼の甘く濃い、男の人の匂いがする。

 

自慢のベッドリネンに客の匂いが付くのを嫌って、客が肌をさらすことを僕は禁じていた。

 

そんなルールも、ユノと接していたら忘れていた。

 

「添い寝屋業は気付いたら、始めてた。

きっかけは、当時の恋人の母親に添い寝をしてやったことかな」

 

「は、母親!?」

 

「恋人の両親の仲は最悪でね、その子の父親は留守がちで、どうやら不倫をしているらしかった。

『なぜ、別れないんだ?』となるだろ?

その辺は当事者じゃないと理解は出来ないし、母親は夫が外で何をしていたにせよ、三下り半を叩きつける気はなかったんだ。

俺は恋人の家に入り浸っていた。

貧乏学生で金欠で、常に腹を空かせていた。

恋人んちに行けば、腹いっぱい食べさせてもらえた。

ある日、いつものように恋人んちを訪れたところ、母親がいつものように出迎えてくれたんだけど、あいにく肝心の恋人は留守だった。

帰ろうとする俺を彼女は引き留めて、『ご飯を食べていって』と、強く勧めたんだ。

そりゃありがたい、って俺は素直に従った。

その後どうなったか...チャンミンはどう想像する?」

 

「...えっと...彼女と...『そういうこと』をしたってことでしょ?」

 

「...と、考えるだろう、普通?

俺は彼女と寝たりなんかしなかったよ。

第一、   恋人がいるのに、恋人の母親と寝るなんて、常識的な俺には無理」

 

 

「うっそ!

ユノって常識的なの!?

...いたっ!」

 

 

ユノは僕の鼻をつまむと、僕を覗き込んだ。

 

 

「チャンミンは俺のことを、誤解しているなぁ。

とっかえひっかえ相手を変える私生活の、淫乱な男娼だと、思い込んでるだろ?」

 

 

「いえいえ...そんな、滅相もない」

 

 

「ふん...どう思われても、いいけどさ。

抱きつかれた時は、俺とセックスがしたいんだと思った。

彼女は胸も大きいし、美人な方だし、恋人がいなければ年上の女もいいもんだな、って。

困ったなぁ、って、無下に突き放すのも、彼女のプライドを傷つけてしまうよなぁ、って。

彼女に抱きつかれたまま、俺はじっとしていた。

そうしたらね、彼女、寝入ってしまったんだ。

俺は、朝までその姿勢のままでいたよ」

 

「彼女は、寂しかったのかな」

 

「だろうね。

朝になったら、彼女は変によそよそしくなることもなく、いつも通りだった。

恋人は帰ってこないし俺もバイトがあるしで、おいとましようとしたら、彼女からお金を渡された。

馬鹿にされた、とカッとなったよ。

でも、彼女は『受け取ってくれないと、惨めな気持ちになる』と言った。

そして、こう言われた。

『ユノ君は落ち着く。何もせず、添い寝してくれたお礼だから』って。

その日以来、恋人が留守の日に限ってだけど、俺は彼女に添い寝してやった」

 

 

「グラマーな熟女だったんでしょ?

ムラムラはしなかったの?」

 

「しない。

仕事だと思うと、そんな気は起きないよ」

 

相変わらず、僕の下腹に押しつけられた、固さと弾力を持ったものを意識しだした。

 

ユノが僕の身体に寄り添っているのは、仕事の範疇に入っていないことなのかな、と疑問に思った。

 

 

「恋人にバレなかったの?」

 

「両親の部屋から出てくる俺を、彼にバッチリ見られたんだ。

そんなんじゃないって否定しても、信じてもらえないのが普通だろうね」

 

 

「えっ!?

今、『彼』って言った?

恋人って、男の人なの?」

 

「うん...変か?」

 

 

僕はぶるぶると首を振ったけれど、急に下腹に当たる『もの』から脈打つ熱さを感じ始めてきた。

 

ユノは本気で、僕に興奮しているんだ!

 

 

「以上が、俺が添い寝屋を始めたきっかけの話だ。

...つまんなかったかな?」

 

 

「ユノ...僕が知りたいのは、ユノが経験した『恐ろしい思い』のことなんだけど?」

 

「わかってる。

俺にもウォーミングアップさせてくれ。

自分の話をするのって...恥ずかしいもんだな。

湯の張っていない湯船と、湯が出ないシャワー...そんな浴室で素っ裸になった感じだ。

分かる?」

 

 

「うーん、なんとなく」

 

熱いシャワーでも浴びようと裸になった自分を想像してみた。

 

蛇口をひねってもお湯が出ない寒々とした浴室で、全身鳥肌がたっていて、途方にくれたマヌケな自分の姿を。

 

外交的に見えるユノは、実は孤独なのかもしれない。

 

緊張させる隙なく、僕の心と身体にするりと寄り添ってきて、わずか2晩目で僕に秘密を暴露させた。

 

ユノは頼られるばかりで、自分自身が誰かに頼ることはほとんどないんじゃないかな、そう思った。

 

「キスしていい?」

 

「うん」と僕は答え、ユノの唇が降ってくる前に、彼の首にかじりついた。

 

積極的な僕にユノは驚いたみたいだ。

 

固く結ばれていた唇は、すぐに柔らかくほぐれて僕の舌を受け入れた。

 

僕らはどうしてキスをしているんだろう。

 

なぜか、ユノとキスがしたくなった。

 

その訳は...分からない。

 

何度も顔の傾きを変えて、口づけ直し、さっきはユノの舌が次は僕の舌をと、唾液の交換をする。

 

「あ...」

 

僕の腰にはユノの片腕が巻き付き、もう片方の手は、僕の背中から脇腹を何度も往復している。

 

「ひゃん...」

 

僕の肌に手の平全体をぴたりと密着させての愛撫に、のけぞってしまった。

 

「逃げないで」

 

「...だって。

なんか...変」

 

ユノに触れられて全身に走る痺れには慣れてきたけれど、今のタッチにはいけない。

 

僕は脇腹が弱いのかな、胃の下辺りがウズウズするのだ。

 

例えて言うなら、足が痺れた時、少しでも触れられるとくすぐったくって、「うわ~」となる感じ。

 

「...やっ、離して」

 

「嫌だ。

これはオプションサービスだよ」

 

「...でも、心の準備が...」

 

「『本番あり』

そう希望したのはチャンミン、お前だ」

 

「でもっ!

ユノは...ユノは平気なの?

初めて会った人と、こんなことするの...?

ぼ、僕だったら...無理っ」

 

「これは『サービス』なんだぞ?」

 

ユノはそう言いながら、その手を僕のズボンの中に滑り込ませて、僕のお尻をがしっと掴んだ。

 

「ひゃっ」

 

ユノの指の一本が、僕のお尻の割れ目にかかっている。

 

もう1センチ内側にずらせば、かつて、奥の奥まで埋めて乱暴にかき回されたいと、ぱくぱくと口を開けていた箇所に届く。

 

今の僕の入り口は当然、きゅっと閉じているはずだ。

 

「ちんたらしてたら、いつになっても『本番』にたどり着けないぞ?

あと3夜しかないんだ」

 

「...やっぱり、心の準備が...!」

 

「仕方がないな」

 

ユノはふんと鼻を鳴らして、「今夜はこれくらいにしておこう」と呆れた風に言って、僕から身体を離した。

 

「......」

 

頭の後ろで腕を組んで、ユノはじっと天井を睨んでいる。

 

不貞腐れたみたいな言い方と、その横顔が怒っているように見えて、僕は「ごめん」と謝った。

 

僕の恥ずかしい過去の半分を暴露してしまっていた。

 

何でも受け止めてくれるユノの頼もしさに、甘えられた。

 

それでも未だ、ユノに対して躊躇があった。

 

多分、僕は怖いんだ。

 

社会生活に支障が出るほど性に溺れに溺れて、狂ってしまった過去があったから。

 

そうなってしまうくらいなら、僕は再び氷河に閉じ込められて、氷の板越しに僕の元にやってくる客を眺めている方がマシだ。

 

どうして、添い寝屋なんか雇ってしまったんだろう、と後悔し始めていた。

 

初日の会話から、ユノは男女を問わない遊び人だと勝手に判断していた。

 

ユノという人物は、男の人と恋人関係を結べること、僕みたいな『不能』で根暗な男相手に反応すること、僕の方も、ユノに触れられると身体をびくつかせてしまうこと。

 

これら3つの判断基準から推測できること...これはこれはホントのホント、僕とユノはヤッてしまうことになるかもしれない。

 

自分で申し込んでいておかしな話だけど、

 

きっと僕のことだから、最後の最後まで拒み続けて、サービス内容が実行されるつもりはなかったんだ。

 

「嫌だ、止めて」と、ユノの手を払い除け続けるうちに、契約期間を終える...そんなつもりでいたんだな。

 

 

ユノとのキスは確かに、いい感じだ。

 

それ以上のことは、怖いんだ。

 

 

(つづく)

 

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(12)添い寝屋

 

 

ユノはお酒にそれほど強くないみたいだった。

 

ますます身体が熱くなった、とうるさいから、ベランダに出て夜風に吹かれよう、と誘った。

 

僕らは手すりにもたれ、眼下に広がる夜景に見惚れていた。

 

巨大団地の整列した白い点々、数珠つなぎになったテールランプの赤い点々。

 

僕は手すりに顎を乗せて、隣のユノをちらりと横目で見た。

 

綺麗な横顔だな、と思った。

 

ユノは神様がこしらえた人形だ。

 

「気付いてる?」

 

ユノは前を向いたまま、僕に尋ねる。

 

「?」

 

「チャンミン...敬語じゃなくなってるよ」

 

「あ!」

 

ユノに指摘されて、初めて気づいた。

 

「...すみません」

 

「気を許してくれた証拠だな。

ため口でいてくれよ」

 

「...うん」

 

ユノと知り合ってまだ2日なのに、僕の口はいつのまにか軽くなっていて、長年の友人を前にしているみたいに、振舞っていた。

 

「僕の話はまだ半分だけど...ユノの話も聞かせて?」

 

「いいよ。

...でも、その前に...」

 

ユノの熱い指が僕の顎に沿えられた。

 

斜めに傾けた美しい顔が近づき、ユノの湿った、柔らかな唇が僕のものを覆った。

 

唇が触れた瞬間、僕の唇に火花が散って、顎、首、鎖骨へと電流が流れた。

 

その痺れはお腹、腰へと落ちていって、「んんっ」って変な声が出てしまった。

 

ユノに触れられると、今まで出したことのない、自分のものなのに自分のものじゃないおかしな声を漏らしてしまうのだ。

 

目をつむるタイミングを逃してしまって、ユノの肩ごしに街の灯りでかすんだ星空を見ていた。

 

両腕を脇に垂らしたまま、コンクリート製の床が裸足に冷たかった。

 

ユノが僕の顔から離れても、僕はぽぉっとしていた。

 

宙に飛んでいってしまった僕の意識が、僕の脳みそに戻ってくるまで、ユノはじぃっと待っていた。

 

手すりにもたれたユノが...特に斜めに傾げた腰のラインが艶めかしかった。

 

僕の目のやり場に気付いて、ユノはニヤリとした。

 

その笑顔にぞくりとしてしまう。

 

おかしいな...僕は男の人が好きなわけじゃなくて、こんな風にパジャマ姿で寛いでいるのも、添い寝屋と客同士だからで...。

 

冷えた心と身体の行く末が怖くて、たまたま雇った添い寝屋が美人過ぎて...。

 

おかしいな...僕は男の人が好きなわけじゃなくて、後ろを埋めてもらわないとイケない身体になっただけで...。

 

自分で自分に、沢山の言い訳をしていた。

 

目の前の青年に、強烈に惹きつけられている事実を認めるのが、少し怖かった。

 

「今のは...仕事として?」

 

僕の声は掠れていた。

 

「さあ...どっちだと思う?」

 

ユノの瞳の中で、マッチが擦られぽっと小さな炎があがり、軸のぎりぎりまで燃えた後、ふっと消えた。

 

あれ...今のは何だろう?

 

ポーカーフェイスを装っているユノだけど、僕は分かりかけてきた。

 

ユノの瞳は彼の感情を映す鏡だ。

 

底無しの沼のような時、凪いだ湖面のような時、ギラギラと鋭い光を放つ時。

 

そして、たった今のように、感情の揺らぎを露わにする時もある。

 

生きているのが不思議なくらい、精巧な人形から目が離せずにいた。

 

だから、ほんのわずかの変化に僕は敏感になっていた。

 

「......」

 

「冷えてきたな。

ベッドに戻ろうか?」

 

僕は頷いた。

 

ユノに手を引れた先は、最高に寝心地の良いマットレス。

 

先に横たわったユノの隣に、僕も身体を寄せる。

 

パジャマの裾から、ユノの手が忍び込んできた。

 

「今夜は抵抗しないんだな?」

 

僕はこくりと頷いた。

 

多分あの時、一瞬だけど、真の意味でユノと心が通じ合ったんだ。

 

ユノの熱い手の平が気持ちよかった。

 

「温めてやるよ」

 

ユノの指が、僕のパジャマのボタンをひとつひとつ外してゆく。

 

最後のひとつが解かれ、右腕、左腕と袖が抜かれるまで、僕はじっとしていた。

 

次は僕の番だと、ユノのパジャマのボタンを外そうとしたけれど、かじかむ指のせいでうまく出来ない。

 

「あれ...おかしいな...?」

 

「いいよ、自分で脱ぐ」

 

そう言って、震える僕の手を優しく押しやると、ユノは半身を起こして、パジャマを素早く脱いでしまった。

 

昨夜も目にしたばかりなのに、背筋が作る美しい凹凸に僕は息をのむ。

 

上を脱いでしまったことで、僕は凍えそうに寒かった。

 

毛布に手を伸ばす前に、ユノの腕に深く包み込まれて、その手は宙に浮く。

 

あご先まで熱い風呂に浸かったみたいに、全身の緊張がほどけ、指先と爪先まで血が巡る。

 

今夜はどちらが添い寝屋役なのかな。

 

「添い寝屋さん」

 

「はい」

 

ユノに呼ばれて、僕は伏せていた顔を上げた。

 

僕らは抱きあっているから、ほんの数センチで互いの唇が触れそうだった。

 

しかも、僕らはパジャマの上を脱いでしまっていたから、肌と肌とがぴったりと密着していた。

 

こういう状況では普通、キスが始まるものなんだろうね。

 

お互いの身体に触れて、ズボンも脱いでしまって...いろんなことが始まるんだ。

 

僕の心臓は、確かにドキドキしている。

 

ユノというパーフェクトな人物に接していながら、僕の大事なところはしんと静かに、縮こまっている。

 

情けなくて、じわっと涙が浮かんでくるのだ。

 

今夜の添い寝屋は僕だ。

 

僕の『不能』の話より、ユノが抱える過去の話の方が深刻そうだ。

 

「ユノの話を聞かせてください」

 

「この話をするのは、チャンミンが初めてだよ。

...打ち明けたら、眠りを取り戻せるのかな?」

 

「僕に任せて」

 

何の保証もないのに、僕は請け負ってしまった。

 

何故だか分からないけれど、僕ならどうにかできそうな気がした。

 

気だるげで適当だった仕事ぶりは卒業だ。

 

全身全霊を持ってユノに添い寝をしてやろう、と心に決めたんだ。

 

「ユノのまぶたが閉じるまで、僕が添い寝をしてあげる。

こうやって...」

 

ユノの背中をとんとんと、叩いた。

 

「ふっ...。

どうせ俺より先に、寝ちゃうくせに」

 

「そうだとしても、ユノの話を聞いてから寝るよ」

 

「俺はね、今の仕事をかれこれ...10数年続けている」

 

「大先輩だね」

 

僕はせいぜい、数年だ。

 

「ある女性の熱を取り込んでしまうまでは、ごくごく普通の添い寝屋だった。

失恋した女の彼氏代わりに、胸を貸してやったり、慰めてやったりね。

男の客も同様だ」

 

「慰めるってつまり...?」

 

「...チャンミン。

お前の思考回路は『それ』しかないのか?

『不能』のくせに、溜まりまくってるんだなぁ」

 

ユノの真顔が笑ったものに変化して、薄闇の下で真っ白な歯が光る。

 

分かったことがひとつ加わった。

 

ユノのことを好ましく思うわけは、欠点を見つけられない外観の他に、彼が漂わせている清潔感のせいだ。

 

美しく清潔で人工的でとっつきにくと思いきや、芳香漂うかのように華やかな笑顔や、くるくると変わる瞳の表情に、人間味を感じる。

 

「うるさいうるさい!

僕のお腹に当たっているのは何?」

 

「チャンミンを抱っこしていたら、つい...。

嫌なら、離れようか?」

 

「ダメ!」

 

僕の背中から腕を離すユノに、僕はぎゅうっとしがみついた。

 

「俺を誘っているのか、拒んでいるのか、どっちかにしてくれよ?」

 

「どっちでもないよ!

ほらっ、早く続きを話しなさい!」

 

「チャンミンと違って、俺は出張サービスも引き受ける。

つまり、客が指定した場所...ホテルや客の家で添い寝してやるわけだ。

当時は、俺も未熟だったから、客の精神状態に引きずり込まれることも多かった。

それに、眠気に襲われる時もあった。

客と一緒になって眠ってしまわないよう、仕事前に食事は摂らない代わりにカフェインをたっぷり摂った。

昼夜逆転の生活だったなぁ」

 

「ユノは、真面目だね」

 

「今も真面目だぞ?

添い寝屋を初めて数年した頃かな、俺は恐ろしい経験をした」

 

ユノの裸の胸に頬をくっつけて、彼の話と同時に、頭蓋骨に直接伝わる彼の心臓の音を聴いていた。

 

僕の冷たい身体が、どうか少しでも彼の熱を冷やしますように。

 

ユノの熱い身体が、どうか少しでも僕の氷を溶かしますように。

 

 

 

(つづく)

 

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(11)添い寝屋

 

 

 

「インラン?」

 

「うん。

滅茶苦茶気持ちがよかったんだ。

初めてだったんだよ?」

 

「......」

 

僕はユノの腕の中で一回転して、彼と向かい合わせに座った。

 

ユノはぽかんと口を開けていた。

 

白い肌に、そこだけ紅色に色づいた唇が、Oの字になっている。

 

ふふふ。

 

そんな間の抜けた表情が、たまらなく可愛らしく僕の目に映っている。

 

僕の話の展開についていけなくても当然だよね。

 

『不能』になった経緯の途中で、『淫乱』なんていうワードが飛び出したんだもの。

 

「よだれを垂らすくらい気持ちがよかったんだ」

 

ユノは片膝を立てると、人参スティックを摘まんで口に運ぶ。

 

シャクシャクと咀嚼しながら、視線は僕から離さない。

 

「チャンミンを運んだ3人の男とも、ヤッたのか?」

 

「...うーん、多分」

 

「『多分』って!?

覚えていないのか?」

 

「部屋は暗いし、皆裸だし...僕もね、自分で脱いだのか脱がされたのか...。

何か特別なお香でも焚かれていたのかなぁ。

ふらふらのメロメロ気分。

あそこには棒と穴しかない。

快楽を追求する空間だったんだ」

 

僕は目を閉じて、当時のあの場所のあの映像を、頭に思い浮かべながら説明した。

 

赤い照明、そちこちに置かれたソファやベッド、エキゾチックな装飾のパーテーション、天井から下がるシフォンの布は、透けていて間仕切りの役を果たしていなかった...。

 

「そのクラブの名前は憶えているか?」

 

僕は首を振った。

 

「精魂尽き果てるまで、僕は没頭した。

3人の男の一人が『彼女が待っているよ。帰りなさい』と声をかけるまで、僕はドロドロになっていた。

前も後ろも...僕の下半身のことだよ...快感の余韻が凄くてね。

エレベーターを上がって出たそこは...驚いた...酒をしこたま飲まされたクラブだったんだ」

 

ユノはひとりで、野菜スティックのパックを平らげてしまっていた。

 

「彼女とは、どうなったんだ?」

 

「ホテルに戻った時は、朝方で、僕はフラフラだった。

彼女は泣き腫らした顔をしていた。

心配して当然だよね、物騒な大男たちに彼氏が連れ去られて。

僕はひどい恰好をしていた。

真冬なのに、コートも着ず、ジャケットも着ず(クラブに置いてきたんだろうね)、しわくちゃのシャツだけで。

全身べたべただったから、僕はお風呂に直行した。

僕を介抱する彼女の目が、僕の身体に釘付けになっていて...そこで気付いたんだ。

全身、あざだらけだったんだ。

『警察に通報しましょう!』と、彼女が電話をかけようとしたのを、僕は止めた」

 

「あざだらけ、って、つまり...?」

 

「うん。

キスマーク」

 

「...それから?」

 

「彼女とは別れたよ」

 

「...そうなるだろうなぁ」

 

「僕の身体はね、挿れる側から挿れられる側になってしまったんだ。

あの夜を境にね」

 

「男が好きになったっていう意味じゃないんだろう?」

 

「うん。

とにかく後ろを埋めて欲しいんだ。

暴力的な欲求だ。

例のクラブに通うようになった。

警察へ連絡する彼女を止めたのは、あの場所を守りたかったからだよ」

 

「チャンミンの知られざる性癖が、あそこで暴露された。

エロスのボタンが押されてしまって、チャンミンは暴走したんだな。

でもさ、この件を思い出すだけで恐怖を覚えるのは、なぜ?

気持ちがよかったんだろ?」

 

この辺の説明が少しばかり難しい。

 

ニュアンスがちゃんと伝わればいいんだけど。

 

「もうね、凄かったんだから。

僕の魂は下半身の...あの一点だけに宿っているみたいだった。

仕事どころじゃないんだ。

ずーっと『そのこと』ばっかり考えているんだよ?

そんな風になってしまった自分が怖かった」

 

「そいつは、辛いなぁ」

 

「ユノも今がそうでしょ?

昼も夜も、男も女もって...昨日言ってなかったっけ?」

 

ユノはがくっと首を折って、「はあ」と深いため息をついた。

 

ユノの黒髪のつむじが可愛くて、頭を撫ぜてしまいそうになるのを我慢した。

 

今夜のユノは昨日より親近感があって、彼の何もかもが可愛らしく僕の眼に映っていた。

 

なぜだろう?

 

「俺は『淫乱』じゃない。

下半身が『強い』だけで、チャンミンみたいに溺れてはいない」

 

ユノったら、威張った風に言うんだから、可笑しくてクスクス笑ってしまった。

 

「そいつらは最初からチャンミンが目当てだったんだ。

秘密クラブのメンバーの一員として、抜擢されたんだよ。

素質があるって」

 

「...抜擢ねぇ。

2晩とおかずに通ったからなぁ...メンバーか...そうなるよね」

 

定時きっかりに退勤して、一直線に向かったのはあのクラブ。

 

ふらふらになるまで快楽に溺れて、朝方になって帰宅して、シャワーと着替えを済ませて出社して。

 

当時の僕は、眠りを忘れていた。

 

「実はね、ユノ。

別れた彼女とは結婚を前提に、真面目に付き合っていたんだ。

あの日、クリスマスだったか誕生日だったか、何を祝おうとしていたのか、思い出してみた。

お祝いじゃなくて...その...」

 

「プロポーズ?」

 

「うん」

 

「結婚したいくらい、愛してたのか?」

 

「...多分」

 

「『多分』?

ずいぶん、あやふやだなぁ」

 

そんな大事な日のことを忘れていた。

 

「『恐ろしい体験』って言ってた理由が分かったよ。

チャンミンって、真面目で真っ当な人間だったんだろ?

それがさ、ひと晩で身を滅ぼすほどエロスに支配されただろ。

結婚まで考えてた彼女を、ぽいって捨てただろ」

 

『捨てた』の言い方は酷いけれど、ユノの言う通りだった。

 

この人となら将来を共に歩んでもいいと、かけがえのない存在だったはずなのに、たったひと晩でその思いは霧散して、彼女の存在を忘れた。

 

所詮、その程度の愛情...ありとあらゆる条件を考慮した末、僕の理想像にまあまあ近かっただけ...だったんだろうな。

 

「肝心なことを聞き忘れていたよ。

その頃から添い寝屋をしていたのか?」

 

「ううん。

添い寝屋を始めたのは、『不能』になってからのこと」

 

「淫乱状態で会社勤めは辛かっただろうに...。

...チャンミン...お前って、面白い奴だなぁ」

 

「面白いだなんて、酷いよ。

僕の中の常識がひっくり返る、恐ろしい体験だったんだ。

ほら、手が震えてる」

 

小刻みに震える僕の指先を、ユノはじっと見つめていた。

 

「あっ!」

 

ユノったら、僕の指をぱくりと咥えたんだ。

 

ユノの中は、火傷するかしないかのギリギリの温度のスープのよう。

 

手を引き抜こうにも、僕の手首はユノの力強い指にがっちりと拘束されていた。

 

「乱交クラブでの経験が、いずれ『不能』に繋がるわけなんだ?」

 

「...うん」

 

ユノの熱々の舌が、僕の人差し指にくねくねと絡みつく。

 

指の股を舌先でちろちろとくすぐられ、

 

「...あっ...」

 

お尻の辺りが、ずくんと痺れた。

 

なんだろ、この感じ。

 

「どうした?」

 

「な、なんでもない!」

 

ユノの目尻がにゅっと細くなっているから、きっと僕の反応を面白がっている。

 

「チャンミンの話は、折り返し地点まで来た?

その続きは?」

 

「今夜はもう疲れたから、話したくない」

 

僕はクタクタだった。

 

記憶を辿り、当時の感情を追体験し、知り合って2日目のユノに、僕の恥と恐怖を暴露した。

 

ベッドカバーの上に並んだ食べ物は、ほとんど手を付けられないまま残っている。

 

僕はベッド下に手を伸ばして、ビニール袋の中を探った。

 

「飲みましょうよ」

 

僕の指を咥えたままのユノに、缶ビールを突き出した。

 

「僕の指...そんなに美味しい?」

 

ユノはじゅるっと音をたてて吸ったのち、「うん」と答える。

 

ユノの唇...ぽってりとした下唇...のやわらかさに、再び僕の腰の奥が、痺れた。

 

「...んんっ...」

 

変な声が出てしまった。

 

空いている方の手で、口を塞いだ。

 

僕の反応にユノは、

 

「チャンミンの指...アイスキャンディーを舐めているみたいだ」

 

そう言って、弥勒の微笑を浮かべた。

 

 

(つづく)

 

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