(21)添い寝屋

 

 

通い詰めだったクラブには、ありとあらゆる嗜好のものが集まる。

 

女の人限定の者、男限定の者、男女どちらもいける者、3人以上じゃなければ満足しない者、道具攻めを好む者。

 

見物するだけの者、見物しながら自身を慰める者、赤ちゃんになってしまう者、女装しないとイケない者。

 

僕は、と言えば、後ろを埋めてもらえればOK。

 

獣に成り下がった僕は、相手が男だろうが女の人だろうが拘らなかった。

 

とは言え、入店する男の客の大半は、女の人を好むノーマルな者だったから、お相手探しに僕は苦労した。

 

だからどうしても、カップリング相手は同じ顔ぶれになってしまうのだ(ニューフェイスが加わると、争奪戦になる)

 

「...僕さ、無職になっちゃった」

 

ある客(相性がよくて、顔を合わせれば毎回寝ていた男。名前は忘れちゃった)の腹を枕に、僕はぼそっとつぶやいた。

 

「どうやって食っていくんだ、これから?」

 

「そうなんだよねぇ。

困ったなぁ...」

 

「困っている風には聞こえないんだけど?

言い方がまるで他人事」

 

その客は笑い、むくりと半身を起こすと、僕の足の間からぶら下がる紐を力いっぱい引っ張る。

 

「ひゃぁんっ」

 

当然僕は嬌声をあげ、ここから第3ラウンド(4だっけ?)がスタートすることになる。

 

「自宅でできて、楽ちんで、金になる仕事...心当たりあるよ」

 

「...んふっ...それって...怪しいやつでしょ?

あっ...そこはダメだって!」

 

「怪しいものにするかしないかは、そいつ次第。

ルールは自分で決められるだってさ。

興味ある?」

 

僕の中に繋がる紐がぐいぐいと引っ張られて、その度視界に星が散る。

 

「やーっ、そこはっ、ダメだって!」

 

男の質問に答える余裕なんてありはしない。

 

これからどう生計を立てていけばよいかを考えるのは、イッてからにしよう。

 

 

 


 

 

 

濃い霧がすうっと晴れてきた。

 

白くぼやけていた黒い点々が徐々に濃くなって、光を集めて濡れたような輝きを認めた時...。

 

「わっ!」

 

ユノが僕を見下ろしていた。

 

「おはよう」

 

標高700メートルの草原を吹き抜ける、爽やかな5月の風。

 

ぱりっと乾いた真っ白なシーツ。

 

もぎたてフルーツの果汁100%ストレートジュース。

 

...こんな感じのユノの笑顔。

 

そんなユノの笑顔を目にすると、ジグソーパズルの最後のピースが、ばちっとハマったみたいに気分爽快になる。

 

不思議だよね。

 

寝室のカーテンは全開にされ、バルコニーの向こうは真っ青な空。

 

「...あ!」

 

サイドテーブルの時計を確認すると、すでにお昼近いではないか!

 

「寝坊しちゃった...。

え~っと...僕は?」

 

「チャンミンだろ?」

 

「当ったり前だ!」

 

ユノのとぼけにまともに答えてしまったと、悔しくて僕は頬を膨らませた。

 

「はははっ」

 

昨夜と同じ洋服を着た(モスグリーンのニット、革のパンツ)ユノ。

 

「もうすぐ出来上がるから、起きてこいよ」

 

そう言って、せかせかと寝室を出ていってしまった。

 

バターのいい匂いが漂ってくる。

 

僕が起きているか、見に来たんだろうね。

 

袖を肘までまくり、僕愛用のエプロンをしていたから、朝食を準備していたんだろうね。

 

腰で結んだ紐が縦結びになっていて、僕はくすりとしてしまう。

 

縛り直してやろうとベッドを抜け出した時、

 

「わっ!」

 

僕は叫んで、再びベッドの中にもぐり込むこととなってしまった。

 

だってすっぽんぽんだったんだもの。

 

ユノの身体を冷やそうと、昨夜パンツも何もかも全部、脱いでしまったんだった。

 

 

 

 

冷蔵庫を開ける音、フライ返しがフライパンをこする音、電子レンジの音、お皿がぶつかる音。

 

「あちっ」

「ちっ(舌打ちかな?)」

「やべっ」

「おっと!」

「...ま、いっか」

 

この物音から判断すると...クールに見えるユノは、実は台所仕事が不得手なのかな。

 

朝食の味はあまり期待しない方がよさそうだ。

 

でも、元気になったみたいでよかった。

 

昨夜は本当に、びっくりした。

 

ユノが死んでしまうんじゃないかと、本気で焦った。

 

僕なりに必死にユノを介抱してみたけど、やり方は正解だったみたいだ。

 

僕の氷の身体も、そう捨てたものじゃない。

 

...でも、今度は僕の方が苦しくなってしまって...。

 

ユノの体温を吸い込むうち、その熱が僕の中を異常発酵させた。

 

わっと昔の記憶が僕の脳を襲ったのだ。

 

敢えて思い出さないようにしてきた当時のあれこれを、頭の中でフィルムを回して、自分に向けて上映した。

 

下半身に支配されていた僕の、堕ちるところまで堕ちていた日々。

 

...一生分の精力を使い切ってしまったのかな。

 

ううん、違う。

 

増殖する性欲を、ひしゃくですくって排出させないと、あっぷあっぷ...その中で溺れそうだった。

 

あの後僕は、圧倒的な経験をして、徹底的に、根こそぎ性欲を失ってしまったのだ。

 

「はあ...」

 

今も脇の下とうなじの髪が汗で濡れている。

 

べとべとして全身が気持ちが悪いけど、汗をかけるようになった点は一歩前進だ。

 

「こっちの方は...?」

 

掛け布団の中に手を忍び込ませ、そうっと脚の付け根に指を這わす...。

 

「!!!!」

 

布団を持ち上げて、目で確かめる。

 

「ユノーーーーー!!!」

 

気付けば大声でユノを呼んでいた。

 

「どうした!?」って、トングを片手にユノが駆けつける。

 

「ユノ...見て...」

 

ユノを手招きして、件の箇所を見せてあげる。

 

僕の可愛らしいものが、ほんのちょっと...ちょっとだけ膨らんでいるようなのだ。

 

僕らは顔を見合わせた。

 

「やったじゃん!」

 

ユノの目がきゅっと細くなって、口角もきゅっと上がって、歯は真っ白で...そんなパーフェクトな笑顔を見せてくれるのだ。

 

僕は嬉しくって、ユノの首に抱きついてしまった。

 

「あ...」

 

途中でなぜだかとても恥ずかしくなってしまい、ユノの首に回した腕をゆっくりと下ろした。

 

夜の仕事をしているせいなんだろうな、午前の日差しのもとは、プライベート感が増してしまい、言動の全てが生っぽく感じられてしまうのだ。

 

赤くなった顔を隠そうとうつむいている僕を、ユノはきっと、じぃっと見ている。

 

「チャンミンが寝てる間、揉んでやったんだ」

 

「えええっ!?」

 

「ふにふにっとしてて、可愛かったなぁ...」

 

「可愛いって言うな!」

 

「ふにふにふにふにしてたらね、1立方センチメートルくらいは膨張してきたよ」

 

「ユノの馬鹿!

それって全然、ってことじゃんか!」

 

僕らが話題にしているのは一体何なのか...もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、誰にも聞かれたくない。

 

 

 

 

ぷりぷりしている僕の隣に、ユノは腰掛けて、こう言った。

 

「例のもの、出せ」

 

「え?

出せって?」

 

ユノの言葉が理解できない。

 

首を傾げていると、ユノは僕の両耳を引っ張った。

 

「昨夜、俺に話してたやつだよ」

 

「ゆうべ?

僕、何か言ってたっけ?」

 

「うん、寝言をね」

 

「寝言!?」

 

「溜まっていたんだなぁ、可哀想に。

ぺらぺらと喋ってたよ」

 

僕は思わず両手で口を覆ってしまったけど、一体何を喋ってしまったんだろう!?

 

昨夜の僕は、堕落しきった生活の頃を鮮明に思い出していた。

 

夢うつつの中、声としてこぼれ落ちてしまったんだろう。

 

「チャンミンがいつまでもいじけているのは、それをいつまでも持っているからだ」

 

「...『それ』って何だよ?」

 

ユノは大げさに、「はああぁぁ」とため息をついた。

 

「無自覚!

チャンミンのイケナイところは、『無自覚』なんだ」

 

僕にはさっぱり分からないのも、無自覚だからなんだろうか。

 

「よし!

俺が今から、チャンミンを楽にしてやるから。

お前の心の瘧(おこり)を見せてやるよ。

で、『それ』はどこにあるんだ?」

 

どうしよう。

 

ユノの指している『それ』が何なのか、全く見当がつかない。

 

ユノは僕の耳たぶを引っ張った(ユノの熱い吐息がぶわりと耳の穴を湿らせて、ぞくっとしてしまう)

 

そして、唇を寄せたまま、ユノは囁いた。

 

「あ!」

 

「思い出した?」

 

僕はこくん、と頷いた。

 

「『それ』はどこにある?」

 

「冷凍庫の中。

アイスクリームのパックの中...チョコレート味の」

 

「冷凍庫って...なんちゅうところに隠してるんだよ」

 

「...だって」

 

ユノは、立ち上がると僕の肩をぽんと叩いた。

 

戻って来たユノが手にしているのは、アイスクリーム容器。

 

「一緒に来い!」

 

ユノは僕の手をとり、ベッドから引っ張り出した。

 

「わっ!」

 

服を着ていない僕に構わず、ユノは僕の手をぐいぐい引っ張って、窓辺へと連れて行く。

 

窓サッシを開け放ち、裸足のままバルコニーへと出た。

 

ユノは、ぱこんとアイスクリームの蓋を開けた。

 

数年前の賞味期限が印字された、500mlサイズのアイスクリームの空き容器。

 

ユノはそこからベルベット地の小箱を取り出し、その中で鋭く輝くそれを、僕に握らせた。

 

「投げろ!」

 

日光に照らされたユノの顔...白皙の青年...は真剣だった。

 

「捨てちまえ」

 

僕は力強く頷いた。

 

そして、大きく腕を振りかざし、力いっぱいそれを空へ投げた。

 

地上46階の空中で、きらーんと小さく瞬いたのち、それは姿を消した。

 

それはかつての恋人に、渡すはずだった婚約指輪だったのだ。

 

 

 

(つづく)

 

 

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(19)添い寝屋

 

 

ユノがぶっ倒れてしまった!

 

困った、困ったぞ!

 

駆け寄った僕は、ユノの額に手の平を当てたところ...。

 

「あっつ!!」

 

微熱どころじゃない、高熱どころじゃない...異常過ぎる熱さだった。

 

どうしよどうしよ。

 

このままじゃ、ユノの脳みそがおかしくなってしまう。

 

ユノの熱を冷ますために、僕は何ができるだろう?

 

冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを取って引き返した。

 

ユノの額と首筋に、ちょろちょろと水を注いで濡らした。

 

それじゃあ追い付かないと悟って、ユノの胸に中身を全部ぶちまけて、空になったボトルを放り投げた。

 

「待っててユノ。

なんとかしてあげる...から...!

...ってか、重い!」

 

抱きかかえようとして、すぐに諦めた。

 

スリムなユノだけど、筋肉質で締まった身体、見た目以上に重いのだ。

 

マシンで筋トレをするのが日課なくせに、肝心なところで役立つ筋力がないことが情けない。

 

ユノの両脇に肘をひっかけて、ずりずりと浴室まで引きずっていった。

 

蛇口を最大まで捻って、バスタブに冷水を溜める(これしか思いつかない)

 

「...よっこらしょっ」

 

どうどうと注ぐ真下にユノの肩がくるように、彼を湯船に沈めた。

 

水しぶきで僕のパジャマのズボンはびしょ濡れになってしまったけど、それどころじゃないのだ。

 

再び冷蔵庫まで走っていって、氷の袋を持って引き返し、バスタブにそれを浮かべた。

 

次にクローゼットからサーキュレーターを抱えて引き返し、ユノの顔に向けて電源を入れた。

 

「えーっと、それから...そうだ!」

 

もう一度キッチンまで走っていって、食糧庫から食塩の大袋を持って引き返し、中身を全部バスタブに開けた。

 

「水!

水が飲みたいって言ってた!」

 

ミネラルウォーターを取りにキッチンに行きかけて、くるりと引き返す。

 

最後の1本を使いきってしまったんだった(買い置きするのをうっかり忘れていた自分が悪い。だって、僕の頭はスカスカだったんだから)

 

「おたんこなすだよ、僕は!」と悪態をついて、歯磨きコップに水を注いだ。

 

「ユノ、水だよ。

飲むんだ」

 

ユノの口にコップを当てがったけど、意識が朦朧な彼には無理な話だ。

 

そしてバスタブに身を乗り出して、ユノの顎をつかんで無理やり口を開かせた。

 

「よし!」

 

コップの水を口いっぱい含んで、わずかに開いた隙間から注ぎ込んだ。

 

ところが、ユノの口内を満たすばかり、注ぐそばから溢れ出てしまうのだ。

 

「ユノ...ちょっと強引だけど、ごめんね」と、ユノの小さく整った鼻をつまんで塞いだ。

 

かはっとユノの喉が鳴り、口で呼吸し出したのを確かめ、彼の口を全部塞いで水を注ぎこんだ。

 

「よし!」

 

ユノの喉がこくりと上下したのに安心した僕は、コップの中身が空になるまで同じことを繰り返した。

 

次に、洗面器ですくった水を、頭の上から浴びせる。

 

額に張り付いた髪をかきあげてやり、びしょ濡れになった顔面の水をはらってやる。

 

ユノの顔色は血の気を失っているのに、僕の手の平に触れる肌は熱い。

 

水面から出た肩から、湯気が上がるのが分かるくらい。

 

両目は固く閉じられたままで、こんな状況にこんなことを思うなんて不謹慎だけど...美しいなぁ、と感心してしまった。

 

陶器のようなつるりとした肌に、濡れたまつ毛が扇形に広がっていて、しゅっとした頬を下にたどると、そこだけぽっと紅い唇があって...僕の喉がごくりとなる。

 

やっぱり不謹慎なことに...キスしたいなぁって思った。

 

口移しで水を飲ませたくせに、あの時は必死過ぎてキスしてるなんて意識はなかったのだ。

 

鼻の下に指をかざすと、熱く湿った息がかかる。

 

よかった...さっきより呼吸が落ち着いている。

 

「ふう...」

 

僕はバスタブにもたれて、タイル張りの床に足を投げ出して座った。

 

ユノをこのままバスタブに浸けておくわけにはいかない。

 

「さむっ...」

 

ぶるりと身体が震え、両肩を抱きしめた。

 

冷え冷えとした浴室に、僕の身体は凍えそうだったのだ。

 

指先の感覚はなくなっていて、ふうっと息を吹きかけた。

 

「嘘...」

 

気休めに近いけど多少は温めてくれるはずの、自分の吐息が冷たい。

 

沸騰するユノに反して、僕は凍みついてきている。

 

歯の根も合わなくなってきた。

 

このままここにいたら、僕の方は凍えてきてしまう、と、毛布を持ってこようと立ち上がった時。

 

水面に浮いた氷のほとんどが溶けてしまっている。

 

「嘘だろ...」

 

手をつけてみると、バスタブの水がぬるくなっていた。

 

「...どうしよう」

 

(お医者さんに診てもらった方が、いいのでは...駄目だ駄目だ!

常人じゃない体温に、大騒ぎになってしまう。

...僕が何とかするしかない!)

 

僕は髪をくしゃくしゃにかき混ぜながら、自慢の浴室をぐるぐると歩きまわる。

 

「そっか!」

 

ここでようやく、ポンと頭に浮かんできた解決方法。

 

どうしてこんなに簡単なことを思いつかなかっただろう!

 

脳ミソまで凍りついてしまったのか?

 

僕はユノの両脇に腕を通して、バスタブから引き上げ(さっきみたいに引きずっていくのはあまりにも可哀想だ)、渾身の力を振り絞って彼を抱き上げた。

 

「...よいしょ」

 

床に水たまりを作りながら、ぐったりと力を失ったユノを寝室まで運ぶ。

 

僕の腕の中で、ユノの首はぐらぐらしているし、ぶら下がった両腕がだらりと揺れている。

 

まるで死体を運んでいるみたいだ...とちらりと思えてしまって、頭を振ってその不謹慎な考えを振り払った。

 

ユノをベッドに転がすと(ユノ、ごめん。腕が千切れそうに疲れてしまったんだ)、僕は洗面所に走っていって、バスタオルを山と抱えて戻り、濡れた彼の全身をくるんで拭いてあげる。

 

「うーん...」と迷った末、全身と同様、ずぶ濡れになったパジャマのズボンを脱がしにかかった。

 

「!」

 

全裸になってしまったユノに、目を反らしてしまった僕だった。

 

広々としたベッドに横たわるユノは...これで何度目になるかの不謹慎な考え...西洋の古典画に描かれた男神みたいに綺麗で、僕は数秒ばかり見惚れてしまった。

 

ユノが数年間、誰にも言えずに胸の奥に仕舞っていた懸案。

 

これを僕に語ること、イコールその熾り火が火かき棒でつついたように、ぼっと炎が上がってしまったのだ。

 

ユノを挟んで天に召されてしまった1組の恋人たち。

 

添い寝屋として真正面からぶつかってしまい、ユノの心は壊れそうになっただろう。

 

彼らを羨ましく思ったその気持ち...うん、僕も理解できるよ。

 

ユノの話はまだ半分だ。

 

炎の身体になった原因を、作った出来事のきっかけだと話していた。

 

ということは、残りの半分を語る時も、苦痛を伴うんじゃないかな。

 

無理に話さなくていいよ、と止めた方がいいのだろうか。

 

それは駄目だ!

 

僕は全部、ユノの話を聞かなくてはならない。

 

僕はユノに雇われた添い寝屋なんだ。

 

ユノが眠りを取り戻し、すがすがしい心身で目覚められるようにしてあげるのが、僕の仕事だ。

 

放っておけないよ。

 

脱がせたユノのズボンと下着を拾い上げ、洗濯機に入れた。

 

僕のパジャマのズボンと下着も、洗濯機に入れた。

 

寝室に向かいかけて、下着をつけようか一瞬迷ったけど、「ま、いっか」と素っ裸でユノの元へ戻った。

 

そして、ユノの身体にぴったりと沿うように横たわった。

 

そういえば...ユノを背中から抱きしめるのは初めてだ。

 

客として、添い寝屋として僕のベッドに訪れた時から、ユノは僕の心も身体も丸ごとくるむように抱きしめてくれた。

 

僕にちょっかいを出してばっかりだったけど、それは僕の心身の緊張を解きほぐそうとしてくれた思いからなんだよね。

 

次は僕の番だ。

 

ユノは未だ、眉間にしわをよせて目をつむったままだ。

 

だからと言って、眠っているわけじゃない。

 

多分だけど...意識はあるはず。

 

それに、倒れたときよりは、頬のこわばりが和らいでいるように見える。

 

よしよし、とユノの濡れ髪を撫ぜた。

 

ユノの全身は、温もった空気の層をまとっている。

 

僕の氷の身体が役に立つ時が来た。

 

ユノが発散する熱を、僕の肌が吸い込んでいく。

 

腕も脚もユノに絡めて、彼の中にこもった熾りを冷ましますように。

 

火の身体、氷の身体。

 

僕らは全く正反対な添い寝屋だ。

 

ユノを抱きくるみながら、気付いたんだ。

 

ユノを癒すことは、同時に僕自身を癒すことに繋がるって。

 

 

 

(つづく)

 

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(18)添い寝屋

 

 

ユノの涙は僕の唇を湿らせ、その熱い水滴を全部、口に含んでいった。

 

しょっぱくて、ユノの哀しみがたっぷり含んだ水分。

 

僕の心に沁み入る...かすかすの僕の心に滲み入る水分。

 

嗚咽で震えるユノの肩を抱き、広い背中を擦ってやった。

 

ユノのママになった気持ちで。

 

「ユノはあの2人の夜を...引き受けたんだね」

 

「2度と目覚めない夜、をね」

 

ユノの言葉に、僕も「2度と目覚めない夜...」とつぶやいてみた。

 

僕らの隣で眠る客たちは、朝になれば目覚め(眠れない客は朝まで起きている)、目覚めた時に僕らの仕事は終わる。

 

ひと晩ひと晩、依頼された仕事をひとつひとつ、そうやって完了させていくのだ。

 

(寝坊助の客の場合、僕は身体を揺すって起こすのだ。時間ですよ、って)

 

じゃあ、目覚めなかったらどうなる?

 

ぞっとした。

 

ユノは2人の夜を引き受けたままなんだ、数年経った今も。

 

ユノの仕事は永遠に終わらない。

 

「心構えが甘かったんだ。

油断していた俺が悪かった」

 

「油断、だなんて...。

その場にいたのが僕だったとしても...」

 

と、そこまで言いかけて、僕ははっとして口をつぐんだ。

 

もし僕が、その2人の添い寝を依頼されたとしたら...と想像してみたんだ。

 

思い出話を語る2人に挟まれた僕はきっと、「お2人の真ん中に僕が寝るのはおかしくないですか?」って口にしてしまったり、

 

落ち着かない僕は、2人を残してベッドを抜け出して、ホットミルクを勧めたり、フットスツールに腰掛けて会話する2人を眺めたり、

 

もっと無責任なことに、2人に構わず寝てしまうかもしれない。

 

2人の選択が無事(という言い方も不謹慎だけど)決行できたのも、雇った添い寝屋がユノだったからなんだろうな。

 

添い寝したのが僕だったら2人の運命は変わっていたのに、という意味じゃない。

 

彼らは理想の添い寝屋を探し続けるだろう。

 

もし見つからなかったら、理想とは程遠い終わり方をしていたかもしれない。

 

「ねえ。

ユノは2人の望みを叶えたんだよ。

...思いっきりポジティブな見方をすればだけど」

 

「お!

チャンミンは俺を慰めてくれてるんだ?」

 

ユノは僕に、抱き枕みたいに四肢を絡めてきた。

 

涙と鼻水でべちゃべちゃの顔で、頬ずりをしてくるんだから!

 

「チャンミンは優しいんだな」

 

鼻声のユノ。

 

「優しくなんかっ...!

あーもー!」

 

枕元のティッシュをとって、ユノの汚れた顔を拭ってやった。

 

素直に顔をゆだねるユノが可愛くて、思わずキスしてしまった。

 

ユノの上品な鼻のてっぺんと、汗がにじむおでこにチュッチュッ、と。

 

僕の両手の間で、きらやかな一対が三日月型に細められた。

 

よかった...笑ってる。

 

「チャンミンは優しい添い寝屋だね」

 

「...そんな」

 

優しいだなんて言われたことは久しくなくて、照れてしまった。

 

(かつての僕は、かつての恋人に『優しい』とよく言われていた。それも遠い過去の話だ)

 

大胆になった僕は、ユノの髪を梳く。

 

ユノは「気持ちいい...」とつぶやいて、そのままじっとしているから、ますます可愛いと思えてしまった。

 

「あの後は、当然だけど大騒動だったよ。

全ての処理を終えた時、これまで以上に客をとった。

何百人もの客の目覚めを見届けても、俺の朝は訪れない。

俺の不眠がスタートしたのは、この頃からだ」

 

「夜じゃなくて、朝が?」

 

「夜でも朝でもどっちでもいいや。

そうだなぁ...夜でも朝でもない狭間で暮らしてるって感じかな。

隣で眠る客が目を覚まさなかったらどうしようって、眠るわけにもいかない。

睡魔に負けて眠ってしまったら、今度は俺の方が目覚めなくなってしまうかもしれない。

不眠の日々を積み重ねすぎていて、それを取り戻そうとしたりなんかしたら...眠りの世界に行ったきりになる」

 

ユノの恐れは極端過ぎだと思えた...でも、「悪いように考え過ぎだよ。もっと気を楽にして」だなんて、思わなかった。

 

「怖いんだね」

 

僕の鎖骨がじゅわっと熱いもの...ユノの涙で濡れた。

 

ユノの小さな頭をよしよし、と撫ぜた。

 

「深く愛し合う2人が羨ましかった。

悲劇を選んだ2人なのにね...おかしいよな」

 

ユノは寂しいのかな、と思った。

 

僕の方も、人のことを言えない。

 

僕もそう...寂しいのだ。

 

僕らは寂しい寂しい、添い寝屋だ。

 

寄り添い合って肌を重ねて、寂しさを慰め合っているだけなのだろうか。

 

 

 

 

「客の夜を引き受けて...どうして今のユノは平気でいられるの?」

 

仕事への向き合い方が、僕とは正反対のユノが心配になってきた。

 

「平気なものか。

心までは渡さない」

 

それを聞いてホッとした。

 

「ここにストーブがある。

ごうごうと勢いよく薪が燃えている。

距離をとっていれば、身体を温めてくれるし、心の緊張もほぐれる。

近づき過ぎたら火傷する。

誰もこの炎の中には飛び込めるはずはないんだ」

 

「......」

 

「あの時はホント、油断していた」

 

布団の中がサウナにいるみたいに耐えられない程、熱がこもっている。

 

汗をかくことなんてほとんどない僕でさえ、じわりと首の後ろが湿ってきた。

 

「あ...」

 

ユノの額に玉のような汗が浮いていた。

 

「...ユノ、辛いんでしょ?」

 

「...んー、ちょっとね。

チャンミン、俺にキスをして」

 

「キスなんてしたら、もっと熱くなる...」

 

ユノの乾いた唇が、言葉の語尾を覆いかぶせてしまった。

 

「...んんっ...」

 

それに応えて、舌と舌とをねっちりと重ね合わせた。

 

ユノの上顎から歯茎まで、丹念に舐め上げた。

 

積極的な自分に、ドキドキする。

 

僕の顎とうなじはユノの手に固定されて、逃れられない僕は彼のキスを受け止め続ける。

 

急くようなキスに圧倒されて、ユノの口腔に伸ばした舌が押し返されてしまった。

 

不意にユノから解放されて、口を開いたままの僕が取り残された。

 

あれ...?

 

「俺を抱きしめて」

 

パジャマの上をむしるように脱いだユノは、逞しい半身をさらした。

 

「冷やして。

お願い。

熱いんだ...チャンミンで冷やして」

 

切羽詰まったユノの声音に、僕は焦った。

 

「キスなんてするからだよ!

もー!」

 

こんなに苦し気なユノは3日間で初めてだった。

 

「冷やすよ。

冷やしてあげる」

 

僕の氷の身体が役に立つ時が来た。

 

身体に巻き付いていた毛布をはがした途端、ユノのしなやかな腕が伸びてきた。

 

僕を仰向けに押し倒して、ぴったりと半裸同士が重ね合った。

 

ユノの昂ったものが僕のそこに押しつけられる恰好となって、困ってしまう。

 

中心をずらせば、鼠径部にくっきりとユノのの形を感じとってしまって、もっと困ってしまった。

 

ユノは全体重を預けて僕にのっかっているし、まさか彼を押しのけることはできない。

だって、ユノにのしかかられて、ぬくぬくと温かいなぁ...って、この重みをもうしばらく感じていたいなぁって、思っていたから。

 

それならばと、腰を浮かせてユノのウエストを両脚で抱えこんでみたら、僕のお尻にそれが当たってしまって、もっともっと困ってしまった。

 

この恰好は、まるで...!

 

「チャンミン...『したい』の?

ヤル気が出たの?」

 

「えっと...えっと...そうじゃなくて!」

 

僕のものは、しょぼくれたまま。

 

ユノはいつも、僕をドギマギさせることを言う。

 

「ユノは黙って、大人しくしていろ!」

 

ユノの頭を胸に抱え込んだ。

 

僕の素肌が、沸騰したユノの体液を冷ますイメージを膨らませた。

 

熱い...。

 

ジュージュー音がしそうだ。

 

「水を...喉が渇いた」

 

突然、ユノは僕の胸から引きはがすように身体を起こしてしまった。

 

「どうしたの?」

 

「水、もらっていい?」

 

「ユノ!?

ふらふらだよ!」

 

ベッドから飛び降りて、ふらつきながら洗面所に向かうユノを追いかけた。

 

「水なら僕が持ってくるから!

ユノ!

横になってた方がいいよ!」

 

ユノには僕の呼びかけが聞こえないみたいだ。

 

「ユノ!」

 

おかしい...ユノが変だ。

 

...と思った時、ユノの膝がかくん、となって。

 

その場にパタリと崩れ落ちてしまった。

 

 

 

(つづく)

 

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(17)添い寝屋

 

 

 

「カップルの客を相手にしたのは初めてだった。

 

場所は俺の部屋。

 

トータル5回、添い寝をしてやった。

 

...ん、なんだその顔は...?

 

3Pなんかじゃないぞ」

 

 

「な、何も言っていないじゃないか!?」

 

 

「チャンミンの顔を見ていれば、何を言いたいのかバレバレなんだ」

 

 

むすっとする僕の頭をくしゃりと撫ぜて、ユノは仰向けになると頭の後ろに腕を組んだ。

 

僕はそんなユノの隣に胡坐をかいて、彼の言葉を待つ。

 

 

「2人はごく普通の20代カップルに見えた。

 

極端に醜くもなく美男美女でもなく、ごくごく平均的な見た目だったなぁ。

 

でもね、二人が漂わせている雰囲気は上品だった。

 

多分、いいところの坊ちゃんとお嬢さんだったのかもしれない。

 

着ているものとか、言葉遣いとか仕草とかで、育ちのよさってのは伝わるものだろう?」

 

 

「...うん、分かるよ」

 

 

「お互い好きで好きでたまらない...誰も彼らの間に入り込めない。

 

恋に酔っているような浮ついたものじゃないんだ...。

 

彼らのことは何も知らないけれどね、びしびしと伝わってきた」

 

 

ピンクとグレーのストライプのパジャマ...ユノに似つかわしくないドリーミーな色使いだけど、彩色されていない陶人形みたいな彼に似合っていた。

 

全体的に色素が薄いのとは違う...青白い肌と真っ黒な髪のコントラストが神秘的だった。

 

僕が想像する、氷の国の白皙の王子みたいだ。

 

冷えて固まった僕なんかより、ユノの方が氷が似合う。

 

ところが、触れて初めて知るのだ...冷たいどころか、灼熱の肌の持ち主だということに。

 

 

「幸福なはずの彼らが、『なぜ添い寝屋を雇った』のか?

 

1晩、2晩と添い寝をしてやっても分からなかった。

 

大抵の客というのは、『なぜ、眠れないのか』『なぜ、添い寝してもらいたいのか』を語りたがるものだろ?」

 

 

「うん」

 

 

「彼らはそれについては何も言わなかった。

 

俺も尋ねなかった。

 

添い寝屋とは強すぎる興味を客に抱いてはいけない...斡旋元から念を押されたことなかった?」

 

 

「あったよ。

くどいほどにね。

客とトラブルになるからね」

 

 

「さじ加減が難しいんだよなぁ。

 

彼らに突っ込んだ質問を浴びせないくせに、俺は彼らに興味津々だったんだ。

 

...今思えば、『どうして?』と尋ねていればよかったよ」

 

 

ユノの言いぶりが後悔じみていた。

 

 

「礼儀正しい人たちでね。

 

俺の仕事部屋は、チャンミンほどじゃないけど、デカいベッドがメインだ。

 

部屋着に着がえた2人は、ベッドに上がるだろ?

 

はて、俺はどこに寝ればいいんだ?って。

 

ここでクイズ。

 

俺はどこに寝たでしょうか?」

 

 

「...彼氏側?」

 

 

「ハズレ。

真ん中でした」

 

その光景を思い浮かべてみて...ラブラブだという二人の間に寝そべるユノ...シュールだなぁと思った。

 

 

「彼らに挟まれて、俺は落ち着かなかったよ。

 

普通ならくっついて寝たがるものじゃないか。

 

間に俺がいたら邪魔だろう?って。

 

ひと晩目の後、添い寝屋仲間に訊いてきたんだ、こういうのはアリなのか?って。

 

そいつの話だと、別段珍しいものでもないって言うんだ。

 

例えば、倦怠気味の夫婦とか禁断の兄妹愛とか...世の中、いろんな人がいるものだ」

 

 

僕の場合、2人以上の客を相手にした経験はない。

 

天井を見上げているユノの眼は、記憶を探っているからか、どこにも視点を結んでいない。

 

無の表情...もしかしてこれが、ユノの素に近い表情なのかもしれない、と思った。

 

辛かった思い出を語ろうとしているのに、表情は穏やかに見えた。

 

それでも、瞳はぐつぐつと沸騰していた。

 

ユノに沿って身体を横たえると、彼の腕が自然に伸びて僕の肩を抱いた。

 

「肩が冷たいぞ」

 

身体の下敷きになっていた毛布をひっぱり出してきて、僕の身体を包んでくれる。

 

僕は笑ってしまった。

 

だってユノったら、まるでミノムシみたいに僕をぐるぐる巻きにするんだもの。

 

ユノの方も、「デカいミノムシだなぁ」って吹き出して、僕らは顔を見合わせてしばらく笑いこけた。

 

そして、「キスし放題だ」と、ちゅっちゅっと派手な音を立てて、たて続けにライトなキスをした。

 

 

「彼らは間に俺を挟んで、ぽつりぽつりと会話をしていた。

 

あの時は楽しかったとか、いつかあそこに行きたいね、とか。

 

俺の方に話を振ることはなかったけど、俺の存在を無視している風でもなかった。

 

彼らはね...俺に聞かせていたんだよ。

 

俺というたった一人の聴衆に向けてね」

 

 

「へぇ...。

ひと晩じゅう、おしゃべりしてたの?」

 

 

「いや。

 

1時間か2時間くらいのものかな。

 

日付が変わる前には、『おやすみなさい』って言って、寝てしまったよ。

 

2晩目までは、彼らの会話に引き込まれてしまった結果、俺は目が冴えていた。

 

2人の寝息を両サイドから聞きながら、今みたいに...天井を見上げていた」

 

 

ミノムシになった僕は、顔だけを傾けてユノの表情を窺った。

 

 

「...ユノ?」

 

 

ユノの瞳の艶めきが増していた。

 

これってもしかして...?

 

 

「寝返りも打てなかった。

 

2人とも横向きで、俺の方を向いて眠っていたから。

 

他人の彼氏や彼女の顔がすぐ近くに迫ってるんだ。

 

夜中に目を覚まして、バチっと目が合ったりなんかしたら、困る」

 

 

ユノの言うことは、大いに頷ける。

 

寝起きの無防備な姿は、その者の素そのもの。

 

余程親しい間柄じゃなければ、見たくない。

 

 

「3晩目も、前の2晩と変わらず。

 

彼らは思い出話を滔々と続けて、『おやすみ』を言い合ってから、寝てしまった。

 

俺の方はハテナでいっぱいさ。

 

彼らの目的がさっぱりわからない。

 

俺がこの場にいる必要はあるのか?って、気味が悪くなってきた」

 

 

「......」

 

 

「俺が不気味に感じたのは、彼らの気迫というか...思い詰めた感。

 

気付いたんだ。

 

彼らの会話の中身は全部、過去のことだって。

 

もしくは、『これが出来たらいいね』っていう夢の話なんだ。

 

よくまあ尽きないもんだと感心するほど、彼らの話は際限がない」

 

 

「...不幸の匂い」

 

 

なんとなくユノの話の結末が、読めたような気がした。

 

 

「ああ。

 

深く愛し合っているはずの彼らは、不幸だったんだ。

 

不幸のエピソードは何も聞かされていないのにも関わらずね。

 

彼らは楽しかった思い出、希望に満ちた将来の話しかしていない。

 

それなのに、不幸の匂いがした。

 

4晩目の俺は、寝不足と大量の情報が頭の中でぐるぐる渦巻いているんだ。

 

彼らの念、みたいなものを俺は吸い込んでしまっていた。

 

受け身だったんだ。

 

へとへとだった」

 

 

ユノはミノムシになった僕を、抱き枕みたいにかき抱いた。

 

ユノの長い脚は、僕の腰に絡められた。

 

重いし苦しかったけど、僕は黙っていた。

 

多分これから、ユノの話はクライマックスを迎える。

 

分厚い毛布越しに、ユノの熾火の熱が伝わってくる。

 

 

「5晩目...最後の日。

 

彼らは酒を持参してきていた。

 

前の4晩も、ベッドに入る前にお茶を飲んだり、ビールを飲んだりしていたから、上等な酒の差し入れに俺は素直に喜んだ。

 

うん...うまい酒だったよ」

 

 

僕は身動ぎして緩んだ隙間から腕を引っ張り出し、ユノの背中を撫ぜた。

 

手の平でユノの肩甲骨や背骨の凸凹を確かめるように、丁寧にゆっくりと。

 

「いつもと同じように、2人に挟まれて横になった。

...なあ、チャンミン?」

 

 

「んー?」

 

 

「悟ったようなことを言ってたけど、俺だってね、客との距離の取り方に悩んでたんだ。

 

客の不幸にどこまで踏み込むのか?

 

これは攻めの姿勢だね。

 

客の不幸に、どこまで自分のことのように胸を痛めてやれるか。

 

これは受けの姿勢だ」

 

 

僕の場合はそのどちらでもない。

 

 

「昨夜はチャンミンを責めてしまったけれど、チャンミンみたいにビジネスライクなのが一番だ。

 

添い寝屋としての寿命は長いと思うよ」

 

 

「...ユノ、大丈夫?」

 

 

「ははっ...どうだろうね。

 

その夜の2人は、言葉少なげだった。

 

彼らの繋いだ手が、間に寝そべる俺の腹あたりにあった。

 

『変だなぁ』と思った。

 

2人の男の方が『ありがとう』と言って、女の方も『ありがとう』って。

 

俺は眠くて仕方なくて、目を開けていられない。

 

全身がだるくて、ずぶずぶと眠りの世界に引きずり込まれた」

 

 

僕はユノの頭を引き寄せて、その額に唇を押し当てた。

 

 

「彼らを恨むつもりは、全くないんだ、不思議なことに」

 

 

あつあつのユノの額。

 

 

「...多分、薬を盛られたんだと思う。

 

翌日、俺が目を覚ました時、昼過ぎだったかな。

 

いい天気だった。

 

俺の部屋にはカーテンを付けてないから...燦燦と太陽が、っていう言葉ぴったりの天気だった。

 

『変だ』と直感した」

 

 

僕に絡んだユノの腕や脚に、ぎゅっと力がこもった。

 

 

「彼らはね...動かなくなっていた」

 

 

「...そう」

 

 

ユノの話を聞きながら、途中でそうなんじゃないかと察していたんだ。

 

 

「俺は眠っていたけれど、彼らは看取って欲しかったんだね。

 

こんな添い寝屋の使い方もあるんだな、って、感心したよ」

 

 

ユノは泣いていた。

 

 

僕はユノの涙を、こぼれ落ちる端から唇で受け止めた。

 

 

 

(つづく)

 

 

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(16)添い寝屋

 

 

 

パジャマが足元にぱさりとすべり落ちた。

 

裸の肩や背中が空気にさらされ、恥ずかしさと寒さに、女の子がそうするみたいに自身を腕で抱きしめた。

 

同性を前に裸の胸を見せることくらい、どうってことないことのはず。

 

初日の夜、ユノとは一緒に入浴した仲なのに、今この時、あらたまった場面で衣服を脱ぐと、気恥ずかしさでいっぱいだ。

 

このまま僕はユノと、『そういうこと』を始めてしまうのかな。

 

僕はユノと『そういうこと』をしたいんだ。

 

...でも、どうすれば?

 

確かに下腹部がうずうずする。

 

「もしかして?」と期待した僕は、ユノに気付かれないように、前の方に手をのばしたけれど...。

 

(ああ...ダメだ)

 

ユノにくすりと笑われてしまった。

 

落胆した表情をしっかり見られてしまったのだ。

 

「チャンミンはヤル気満々だね。

いい子だ」

 

褒められているのかからかわれているのか...その両方だ。

 

「今夜はチャンミンの坊やを生き返らせてあげるよ」

 

ぼっと顔は熱くなったけれど...僕の身体はやっぱり、いつも通りだった。

 

確かに火照っているはずなのに、手の平に触れる頬は冷たいままだったからだ。

 

僕の身体は数年をかけてどんどんと冷たくなっていったのに、凍えた感覚は不思議となかった。

 

けれども、ユノの身体と触れ合うごとに、かじかんだ指先と寒さに震える肌を自覚していったのだ。

 

股間だけじゃなく、感覚を失いつつある身体を、閉じ込められた氷の中から救い出して欲しい。

 

昨夜、ユノから喝を入れられた僕は気づいたんだ。

 

僕はユノに向けて心を開いていなかっただけじゃなく、添い寝屋ユノを心のどこかで小馬鹿にしていて、信用していなかった。

 

多くの客たちに対するのと同様、斜に構えた目でユノを見ていたんだ。

 

独りベッドに残されてしまった喪失感によって、ユノと向き合う覚悟が固まった。

 

そして、身も心もユノにゆだねて、彼の手により僕は心も身体も開くのだ。

 

ユノ相手にかつての僕が溺れた性的なことをすれば、元通りの身体になれるだなんて保証はない。

 

ふつふつと下半身に熱がこもり、よだれを垂らしていた当時と現在を対比させてみた。

 

『そういうこと』をすれば、血の通った心身に戻れるきっかけになるのでは?

 

僕が高級添い寝屋を雇った動機はこれなんだ。

 

お金ならいくらでもある。

 

そうしたら、次元を越えた美を備えた添い寝が派遣されてきた。

 

ユノを前にしているうち、どちらが客なのか、どちらが添い寝屋なのか曖昧になってきた。

 

昨夜のユノの言葉は、客でもない添い寝屋でもない立ち位置から発せられたものだと思う。

 

だから僕の心は揺さぶられた。

 

うん、そういうことなんだ。

 

僕は今、ユノと触れあいたいと思っている。

 

客でも添い寝屋でもないユノと。

 

僕は数年ぶりに、他人を欲していた。

 

ユノに惹かれているんだ。

 

そんなことを、ユノの白い喉を見つめながら考えていた。

 

「どうした?」

 

ユノの低い声に、僕はハッとして俯いていた顔を起こした。

 

すかさず唇が塞がれた。

 

「...ん」

 

ユノのふっくら柔らかい下唇を食んでは舐めた。

 

「...あ」

 

ねっとりとしたキスを繰り返すうちに、僕の腰に押しつけられたものを感じとっていた。

 

僕の方はさっぱりで、気が急いてきた。

 

ユノの唇が僕の耳の下から鎖骨へと、何度も行ったり来たりする。

 

触れるか触れないかのもどかしいキスだ。

 

ユノの熱い吐息が、その箇所を温める。

 

鳥肌がたった僕の皮膚が、ユノの体温をどん欲に吸い込む。

 

僕の肌は熱伝導率の高い金属になって、ユノと触れると火傷しそうなほど熱さを受け止める。

 

吐息だけじゃ足りない。

 

たまらなくなった僕はユノの両頬を挟むと、ぐいっと引き寄せもっともっと、深いキスを求める。

 

ユノの舌を追いかけながら、自ら大胆な行動をとったことに気付いたんだ。

 

僕は興奮...しているらしい。

 

しんと醒めた肉体のうち、ユノと接触した箇所だけは敏感になっていて、そのギャップに僕は混乱していた。

 

斜無二にユノの喉の奥まで、舌先を伸ばす。

 

さんざん男に抱かれていた過去はあるけれど、はっきりと言いきれるのは、男が好きなわけじゃないこと。

 

僕の場合、後ろを埋めて欲しいだけなんだ。

 

それは浅ましい身体の欲求に過ぎなくて、そこには恋だの愛だの一切介在していない。

 

でもね、今のはそうじゃないんだ。

 

僕は多分...ユノに恋してる。

 

「落ち着いて」

 

息を継ぐ間もないキスに、僕の呼吸は乱れていた。

 

つむっていたまぶたを開けると、10㎝の先にユノの青を感じさせる闇夜の一対の眼が。

 

ユノの瞳に吸い込まれそうだ。

 

昨夜の固く平坦なものじゃない、僕を潤そうとなみなみと水をたたえた瞳だ。

 

「ここじゃなんだから...ベッドにいこうか?」

 

僕はこくり、と頷いた。

 

 

 

 

ベッドに倒れ込んで、互いの衣服を脱がせ合うのかと思ったら、僕をベッドに横たえさせると、ユノはパーテーションの奥に引っ込んでしまった。

 

そしてパジャマに身を包んだユノが戻ってきて、僕はがっかりしてしまった。

 

その気になっていたのは僕だけみたいで、カッコ悪い。

 

「がっかりするな。

チャンミン...唇が真っ青だぞ。

手も...」

 

ユノは僕の手を包み込むと、ふぅと熱い息を吹きかけた。

 

「チャンミンをほぐしながら、順を追って焦らずいこうか。

こんなにカチコチじゃ、チャンミンが怪我をする」

 

「怪我?」

 

数秒後、何を指しているのか分かって、僕は「そうだよね...」とつぶやいた。

 

気持ちは高ぶっていても、ユノに触れられている一点と下腹部のうずうずを除いて、緊張で強張らせていたから。

 

「俺の過去の続きを話そうか」

 

僕たちには、打ち明け話の半分がそれぞれ残されていた。

 

『客たちの夜を全て引き受ける』と、悲壮なまでの覚悟を持つに至った過去が、添い寝屋ユノにはあるはずだ。

 

ユノは僕を両腕でくるみ直し、僕は彼の胸に片頬をくっつけた。

 

ユノの早すぎる鼓動がとくとくと。

 

「前にも言ったことだけど、俺は客が目覚めるまではずっと、眠ったりはしない。

チャンミンとは違ってね...ん...?

怒るなって、今夜の俺は非難はしていないよ。

客の求めに応じて、寝ることもある」

 

「『寝る』ってつまり...?」

 

「ああ。

チャンミンが知りたいのは、そこに『愛情』はあるのか、だろ?」

 

「うん...」

 

僕がこだわっている部分が何なのか、ユノはちゃんと分かっている。

 

僕には信じがたいことだし、ユノと客が『そういうこと』をしている光景を想像してしまったのだ。

 

むあぁっと重苦しいものが心を襲った。

 

なんだ、この不快な感じは...そんな感情が顔に出てしまったみたいだ。

 

「チャンミンのために『ない』と言いきってあげたいんだけどね。

心を留守にして誰かを抱くことは、俺にはできないよ。

...面白くない?」

 

なんだよ、まるで僕がヤキモチを妬いているみたいじゃないか!

 

僕の気持ちを見透かしてしまうユノを、睨みつけてしまっても仕方がない。

 

「ヤキモチ妬いてくれてるの?

ふっ...チャンミンは可愛いなぁ」

 

「可愛いって言うな!」

 

ムッとしている僕に、ユノは指の背で僕の顔の輪郭をすっとたどった。

 

僕の肌がぴくりと震える。

 

「何度も言うけど、俺は『客の夜は全て引き受ける』

ひと晩だけでも、俺は誠心誠意を込めて客と向き合うようにしているんだ」

 

「お客に心を持っていかれることは、ないの?

身体の関係をもったりなんかしたら...感情移入しちゃって、離れがたくなるんじゃないの?」

 

ユノはふっと笑った。

 

その花開くような華やかな笑みに、僕の心は捉えられてしまう。

 

「しない。

俺はね、『引き受ける』だけだ。

客が望むものを差し出すだけだ。

俺の心までは差し出さないよ。

ガードは固いよ」

 

ユノの親指が僕の唇を撫ぜた。

 

2日前、僕の部屋を訪れたユノは、気安く僕に触れたり、軽口をたたいたり、人懐っこそうに見えたけど、それは添い寝屋の顔に過ぎなかったのだ。

 

でも、今のユノはそうじゃないことを僕は望んでいた。

 

「添い寝屋を始めてしばらくした時、恐ろしい経験をしたと前に話したよね」

 

「うん」

 

「俺の元に、1組の恋人が客として訪れた。

二人とも若かった。

お互い想い合っていることは、初対面の俺にも十分伝わってきた。

そんな彼らが添い寝屋を雇う理由が、俺には分からなかった。

当時の俺は若かったから、彼らが漂わす切羽詰まった空気に気付けなかったんだ」

 

「その話は、ユノが『夜を引き受ける』覚悟を固めたことに繋がるの?

あ、ごめんね、話の途中に」

 

「そうだよ。

この出来事があったことで、俺の添い寝屋スタイルが出来上がったし、さらに付け加えると、俺が炎の身体になってしまったことにも繋がるんだ」

 

「...そっか」

 

僕も指の背でユノの顔の輪郭をなぞった。

 

つくづく小さな顔だな、と見惚れた。

 

額に汗がにじんでいたから、手の甲で拭ってあげた。

 

ユノが辛そうだった。

 

熱くて苦しいのかな。

 

ユノの話は最後まで聞くからね。

 

僕もユノを助けてあげたいんだ。

 

 

 

(つづく)

 

 

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