(10)添い寝屋

 

 

寝具を全て洗濯するのが僕のルーティン。

 

潔癖だからという意味じゃなく、シーツが吸い込んだお客たちが残した匂いだとか、疲労と不幸をさっぱり、洗い流すため。

 

洗濯機に放り込む前、抱えたシーツに顔を埋めた。

 

ユノの香りがする。

 

ちょっと変態めいていたかな...僕しかいるはずないのに周囲を見回し 、ひとり赤面した。

 

洗面所の床に座り込んで、ぐるぐる回るシャボンを、ぼーっと眺めていた。

 

僕の秘密の一部をユノに話してしまった。

 

誰にも話したことがない。

 

数年前、もともと少ない人間関係をばっさり切り捨てた。

 

誰といても心は空虚、誰にも興味を覚えない...僕はひとりぼっち。

 

望んでひとりぼっちになった。

 

代わりに入れ代わり立ち代わり、多種多様なお客たちが僕のベッドを通り過ぎるだけ。

 

ところが、僕は久方ぶりに「寂しい」と思った。

 

犯人はユノだ。

 

ずかずかと強引な手を全然使わずに、するりと僕の心に入り込んできた。

 

目を覚まし、一瞬事態が分からず、僕のお腹で組まれた手にぎょっとし、その手の持ち主を辿っていったら、端正な顔が待っていた。

 

「おはよう」

 

そうだった!

 

僕が雇った添い寝屋、かつ僕を雇った添い寝屋とひとつベッドで眠ったんだった(ぐっすりと寝たのは僕だけ)

 

「お、おはよう...」

 

ユノにしがみついてる自分が恥ずかしくて、僕は顔を伏せてしまった。

 

 

 

 

今夜もユノがやってくる。

 

そしてその時、僕の秘密の続きを語る。

 

色褪せることなく焼き付いた記憶を、辿ってみた。

 

やめておこう...ユノが側にいてくれる時にしよう。

 

火傷しそうに熱く、ミステリアスな空気を漂わせていて、頼もしくてエッチな美貌の男。

 

洗濯終了のブザーが鳴っても、僕はそのままぼぉっと、ユノを想っていた。

 

 


 

 

僕らはベッドの上で、色とりどりの食べ物(ユノの差し入れ)を囲んでいた。

 

僕は崩した横座りで、ユノは寝っ転がったままのお行儀の悪い恰好で。

 

「チャンミンは今日、何してた?」

 

「洗濯して掃除して、観葉植物の土の入れ替えをしてた」

 

「へえぇ、あのピッカピカのエントランスを土の袋抱えて通ったってわけ?」

 

「まさか」

 

僕は外出嫌いで、食糧も日用品も全部、配達してもらっているのだ。

 

「どうりで生っちろい肌をしてるはずだ。

運動不足にならないのか?」

 

「ふふん。

隣の部屋をトレーニングルームにしてるんだ。

ユノの方はどう?

何してた?」

 

「んー、プールで泳いで、その後買い物したり、人と会ったり...いつもと変わらないよ」

 

「人と会うって...つまり、そういうこと?」

 

「...チャンミン...末期症状だぞ。

全てをエロい方に考えるんだから...参ったなぁ。

チャンミンのスケベ心は、今夜解消してやるからな」

 

「今夜!?」

 

「ああ。

チャンミンの告白タイムが終わってからのお楽しみだ。

どう?

ウキウキしてきただろ?」

 

「ウッ、ウキウキなんてしてないよ!」

 

「今夜も俺が添い寝屋役だ。

添い寝屋、っていうより、お悩み相談員みたいだな、ははっ」

 

「そんな感じだよね」

 

添い寝屋の役目は、客たちの眠りを妨げているモヤりを、わずかなりとも取り除いてあげることだ。

 

添い寝屋とお客との会話は、常に一方通行で、僕らは常に聞き役だ。

 

心を占めるわだかまりを吐き出させ、頷き聞く。

 

そうして肩の荷を下ろしたお客は、僕らの腕の中で眠りにつくのだ。

 

「彼女を部屋に押し込んで、廊下に残された僕は3人の男たちに囲まれていた。

 

殴られるだろうから、奥歯をぐっと噛みしめた」

 

いきなり語りだした僕に、不意をつかれてユノは眉を上げた。

 

そして立ち上がると、僕の背後に回り込み僕を抱きかかえた。

 

ユノの熱い体温と香りに包まれて、安心した僕は続きを語る。

 

「男の一人に羽交い絞めされて、もう一人が僕の足を持った。

残りの一人が僕の腰を支えて、僕は荷物みたいに運ばれたんだ。

彼らはずっと無言で、何をされるのか怖くてたまらなくて、悲鳴すらあげられなかった」

 

「運ばれたって、どこに?」

 

「エレベーターに乗って、うんと下。

ずいぶん長い間乗ってたからね。

僕は彼らに担がれた状態で、階数ランプを見ていた。

目隠しも無し、意識を失わせることも無し、隠すつもりはなかったんだね」

 

「地下に行って...それから?」

 

僕の膝を抱えたユノの腕に力がこもった。

 

「大丈夫だ、俺がついている」と守るみたいに。

 

「僕を痛い目に遭わせるつもりはなさそうだった。

 

荷物みたいに運ばれた、って言ったけど、扱いは乱暴じゃなかった。

 

長い廊下をしばらく歩いてたから、ホテルの敷地はとうに越えていたと思うな」

 

「逃げ出そうとは思わなかったのか?」

 

「好奇心が湧いてきたんだ。

どこに連れて行くんだろう?って...呑気だろ?」

 

「ああ」

 

「扉を開けた先は、赤いライトだけの暗い部屋だった。

男たちは僕を下ろした。

とても広い部屋だった。

見回して、僕はびっくりした...口もきけないくらいに」

 

「どうだったんだ?」

 

「男と女の人があちこちにいて...その...いろんなことをしてたんだ。

つまり、その...」

 

それ以上、詳細を説明できなくて言いよどんでいると、ユノはそのものズバリを言い当ててくれた。

 

「スワッピング・クラブ?」

 

「えっと...うん、そういう所だったみたい。

それだけじゃなくて...その...」

 

「男と女だけじゃなく、男と男、女と女の組み合わせもあったって?」

 

「うん...それだけじゃなくて...」

 

「1対1だけじゃなく、1対2とか、2対2とか1対3とか?」

 

「...うん」

 

ユノの言う「2対2」ってどうやってやるんだろう?って、頭の中で組み合わせ方を考えてしまった。

 

「連れて行かれて、チャンミンはどうしたの?」

 

肩ごしにユノを振り仰いだら、彼の猫みたいな眼がギラギラしていた。

 

「それで...チャンミンはどうしたんだ?

詳しく教えろよ?」

 

「は、恥ずかしいから...嫌だ」

 

「俺はチャンミンを甘やかさないって言っただろ?

教えるんだ。

『不能』を治してやらないぞ?

ずーっと、ふにゃちんのままだぞ?

いいのか?」

 

「それは...困る」

 

ユノの言うことは無茶苦茶だ。

 

あそこで起きたこと、僕がしたことを全部ユノに教えたら、僕の『不能』が治るなんて。

 

エッチなユノのことだ、エッチな話を聞きたいだけなんだ。

 

ユノの熾火の身体で蒸されて、僕はのぼせていた。

 

僕の氷の身体がじわりと溶けてきて、額に浮かんだ汗がつっと顎に滴り落ちた。

 

「で、チャンミンは愉しんじゃったのか?

可愛い彼女がいるのに?」

 

「えっと、その...彼女がいるのに他の女の人と、アレをしたわけじゃなくって...」

 

「うっわー!」

 

ユノったら僕の耳元で大きな声を出すんだ、「うるさいよ」と耳を塞いだ。

 

「念のため訊いておくけど...チャンミンは経験あったのか?」

 

「あるわけないだろう!

3人の男は、『ウェルカム・トゥ・俺たちの世界へ』って言ったんだ。

僕をその場に置いて、去っていった。

その言葉が怖かった」

 

「『俺たちの世界』か...。

つまり、そういうことだよな?」

 

「...多分」

 

「で、目覚めたのか?」

 

「うーん...そうなる...のかなぁ?

ユノには“そういう趣味はない”って言ってたけどね。

僕はきっと...男の人に挿れられないとダメな質なんだ。

ま、今は勃たないし、それならばって中から刺激をしてみても、さっぱりだし。

それ以前に、ムラムラすることもなくなった」

 

「その出来事がきっかけで、『不能』になってしまったのか?

目覚めて愉しみまくったんだろう?

そこから、どうやって『不能』に至るんだ?」

 

「僕が『不能』になったのは、もっと後のことなんだ」

 

「チャンミンの過去は複雑だなぁ」

 

「地下で起きたあの夜をきっかけに、僕は...」

 

僕は深呼吸をした。

 

「『不能』どころか、『淫乱』になってしまった」

 

「はあぁぁ!?」

 

 

(つづく)

 

 

 

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(9)添い寝屋

 

 

 

僕は仰向けで天井を見上げながら、続きを語り始めた。

 

僕の頭はユノの太ももに乗せられていた。

 

ユノは自身の熱い手が触れないよう、僕の額に冷たい水をかけてくれる。

 

「腕を掴まれて引っ張られてもないし、背中を小突かれてもいなかった。

両サイドと後ろを3人の男に塞がれていた。

僕と彼女の部屋に彼らを連れていくしかなかった。

情けなかったよ...。

突き倒して、殴って、蹴散らしてやれればよかったのに...」

 

「......」

 

「動揺していたから、カードキーが取り出せなくてね。

やっとで見つけたんだけど、手が震えてしまって、エラー音を立て続けに鳴らしてしまうんだ。

もたもたしていたら、彼女が悲鳴を上げて...多分、どこかを触られたんだと思う。

...情けないよ」

 

僕のまぶたの裏が熱くなってきた。

 

真上から見下ろすユノの顔が、ゆらゆらと歪んできた。

 

「...チャンミン?」

 

「僕は体格はいい方だし、あの3人の男より背が高かった。

3人のうち誰か一人とも力では敵わないって、クラブで酒を奢られた時に、察していた。

部屋の鍵を開けて、それから...」

 

「もう話すな。

チャンミン、今日はそこまででいい」

 

「彼女を部屋の中に突き飛ばして、カードキーも投げ入れた。

それくらいしか策が思いつかなくって...」

 

「チャンミン、ストップだ」

 

「ドアを閉めて...それから...」

 

「チャンミン、黙れったら」

 

「僕だけ廊下に残って、背中でドアを塞いで...」

 

僕の口が熱いユノの手で塞がれた。

 

「無理に話すな」

 

「でも!

ここまで打ち明けたんだ、全部話さないと!」

 

数年以上、封印していた記憶。

 

ユノは信用のおける添い寝屋...それだけじゃなく、頼りがいある人物に見えた。

 

僕のあたふたを悪戯っ子みたいな目で見るから、ムカついたけど、ユノの手の平で転がされる感じが嫌じゃなかった。

 

不良添い寝屋の僕だけど、そうであってもお客たちから頼られる立場だった。

 

何もかもを達観している風に、肩肘張らない接客態度を貫いていたけど、そろそろ限界だったのだ。

 

僕の身体と心を取り戻したい。

 

全部ぶちまけて、ユノに全部を任せたくなった。

 

「あのね、あのね」とユノの手の平の下で、僕はモゴモゴと言葉を続けようとする。

 

「これ以上喋るなら、キスするよ?」

 

僕の口がぴたっと閉じる。

 

「その手の話なると、す~ぐ固まっちゃって。

可愛い添い寝屋さんだなぁ」

 

真上から見下ろすユノの顔が、ぐんと近づいて、僕は思わず目をつむった。

 

「可愛すぎてキスしたいところだけど...」

 

僕の脇と膝裏に腕が差し込まれ、一気に抱き上げられた。

 

「せっかく温まったのに...氷みたいになっちゃって。

辛いことを思い出させてしまって、悪かった」

 

「まだ話が途中...」

 

落っこちないようにユノの首に腕を巻きつけた。

 

人形のような小さな顔に似つかわない太い首が頼もしくて、僕はユノの首に両腕を巻きつけ、彼の首筋に頬をくっ付けた。

 

「震えてるね」

 

涙までぽろぽろとこぼれ落ちてきた。

 

「可哀想に...。

怖かったんだな...よいしょっと

さすがに男は重いな」

 

ベッドに僕を下ろすと、ユノは枕元からティッシュペーパーを何枚も抜き取った。

 

ぐしゃぐしゃと乱暴に涙を拭うから、その不器用そうな手つきが面白くって、つい笑ってしまった。

 

「何が面白いんだよ?

鼻水が垂れてるぞ。

ほら、鼻をかめ、ちーんって」

 

「鼻くらい自分でかめるったら!

子供扱いしないでよ」

 

ユノからティッシュペーパーを奪い取って、ふくれっ面をしてみせた。

 

「パジャマを着ようか。

二人してヌードでベッド、だなんて、何かが始まりそうだもんな」

 

僕の頭に、“そういうシーン”が直ぐに浮かんでしまったことなんて、当然ユノにはお見通しだったみたいだ。

 

「チャンミン...相当いっちゃってるな」

 

呆れ顔のユノに、僕は赤面して「だって、意味深なことばっかり言うんだから...」と答えるのがやっと。

 

僕はユノの均整のとれた後ろ姿が、浴室の方へ消えてしまうのを心細く見守った。

 

ピンクの縞模様のパジャマ姿で戻ってきたユノは、僕にパジャマを着せてくれる。

 

僕は着せ替え人形になって、大人しく抵抗せず、ユノにされるがままになっていた。

 

一番上のボタンがユノの指できっちり留められた時、ユノはきっぱりと言い放った。

 

「俺はチャンミンを甘やかさないからな」

 

「え...?」

 

「洗いざらい全部、語ってもらうぞ」

 

僕の胸を押して横たわらせ、自身も同じように横たわって、肘枕をついて僕をじっと見た。

 

濡れた前髪が、額に濃いひと筋の影を作っていて、妖艶さが増していた。

 

タキシードを着こんだ男装の麗人の、ポマードで固めたオールバッグの髪がはらりと額にこぼれていて...そんな感じ。

 

でも僕は、パジャマに隠されたユノの身体が、男の僕でさえ見惚れるくらい逞しく立派だってことを知っている。

 

だから、とてもドキドキした。

 

「今夜のところは、ここまでで勘弁してやるよ。

契約期間は5日間、まだ4日あるからな。

続きは明日だ」

 

ユノったら、これまた乱暴な手つきで、僕の濡れた髪をタオルでごしごしと拭くんだから。

 

口元だけの笑みを浮かべたユノは、あっちこっちに毛先がはねて、ぼさぼさ頭になった僕を見る。

 

ユノの正視に耐えられなくなって、僕は頭のてっぺんまで布団にもぐりこんだ。

 

凪いだ湖面を連想させるユノの瞳に吸い込まれそうで、心の中を全部ぶちまけたくなるから。

 

ユノの指摘通り、恐怖の記憶で身体が震えている。

 

ユノに全部、知ってもらいたい。

 

でも今夜は、途中でギブアップ。

 

「チャンミン。

俺が添い寝してやるから...今夜はもう寝ろ」

 

「添い寝」の言葉に反応してしまって、もぐり込んだ布団から目だけを出した。

 

そう言えば僕、今夜は『添い寝屋』らしい仕事を全然していなかった!

 

「忘れてたみたいだけど、俺もいちお『添い寝屋』なの。

チャンミンは俺のことを『娼夫』扱いしてるんだから」

 

「えっちなことばっかり言うユノが悪いんだ」

 

ユノはふっと微笑み、あっと思う間もなく力任せにユノの胸に抱きとめられた。

 

「だってチャンミンを見てると、えっちなことをしたくなるんだ。

身体は嘘をつけない...だろ?」

 

「うん...確かに...スゴイね、ユノ」

 

僕のおへその下におしつけられたモノを刺激しないように、ユノの胸の中でじっとしていた。

 

「気になってたことがあるんだけど?

ユノって...そっちの人?」

 

僕の質問の意味が分からなかったのか、ユノはしばらくの間無言でいた。

 

ところが突然、大笑いし始めるんだ、ビクッとしてしまうじゃないか。

 

「あーっはっはっは」って、コミックの世界みたいな、見事な笑い方だった。

 

「普通さ、気になってても、訊かないもんじゃないの?

気付いていても黙っているとかさ?」

 

余程おかしかったのか、ユノは目尻に浮かんだ涙を拭っていた。

 

「...で、どうなの?」

 

「チャンミンが気にすることじゃないだろう?」

 

「気になるに決まってるじゃないか!

だって...その...オプションサービスのこともあるし...?」

 

「YESって答えたら...チャンミンはどうする?」

 

「そ、それは...」

 

「男だと困る?」

 

ユノに顎を掴まれ仰向けさせられ、黒目ばかり大きい印象的な1対が、間近に迫る。

 

「挿れる場所が違うだけの話だ。

チャンミンはいつも通りに...おっと、不能になる以前のように...やればいいんだよ」

 

「...うーん」

 

「その前にさ、チャンミンの可愛いあの子を逞しい男に復活させてやらないとな!」

 

「可愛い、って言うな!」

 

「ごめんごめん!

ほら、とっとと寝るんだ。

今夜は俺が『添い寝屋』だ」

 

凍える身体が、ユノの熱でじわじわと温められる。

 

身体の力が抜け、まぶたも落っこちそうだ。

 

目覚めたら、ユノは帰ってしまった後で、ベッドに僕一人だけ残されているのかな。

 

僕を置いていかないで、と口走りそうになったのを我慢した。

 

「客が目覚めるまで、俺は一睡もしない。

客の眠りを、俺は一晩中見守るんだ。

だから安心して寝ろ」

 

安堵の吐息をついていると、ユノは僕の背中をとんとんと叩きはじめた。

 

「ユノはいつ寝るの?」と問いかけた口をつぐんだ。

 

ユノは不眠症だったんだ。

 

「俺もね、恐ろしい思いをした過去があるんだ。

思い出すだけで、ぞっとするくらいのね」

 

「...その話、僕に聞かせて?」

 

「オッケ。

明日はチャンミンの番だから、明後日にしてやるよ」

 

「うん」

 

「おやすみ、チャンミン」

 

「おやすみ、ユノ」

 

 

(つづく)

 

 

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(8)添い寝屋

 

 

真の意味で事件性の高い出来事だった。

 

その日、僕は駅前のホテルに部屋をとっていた。

 

彼女とクリスマスだったか、誕生日だったか...、何かのイベントを一緒に過ごすつもりでいたんだ。

 

食事をして、そのままホテルに直行するのも早いよね、って、クラブみたいなお店に入ったんだ。

 

彼女が行きたい、って言い出したんだっけな?

 

店内は混雑していて、空いてる席を見つけるのがやっとだった。

 

クラブに行ったのは実は、初めてだったし、照明は暗すぎて、会話が出来ないくらいうるさくて...僕は緊張していた。

 

レストランでの食事のせいかな、店内も暑いしで、喉が渇いて仕方がなかった。

 

がぶがぶ飲む僕を、彼女は心配してた。

 

「お兄さん、飲みっぷりがいいねぇ」

 

背後から声をかけられて振り返ると、男3人立っていた。

 

3人とも揃って大きな男で、無視をしたらヤバそうだと思った。

 

僕は「どうも」と頭を下げた。

 

「相席させてもらうよ」

 

僕の返事も待たずに、僕と彼女は3人の男に囲まれてしまった。

 

スタンド席だったから、彼女の手をひいてそのテーブルを直ぐに離れてしまえばよかったのにね。

 

不安そうな彼女に「大丈夫」って頷いて見せていながら、実は、困ったな...どうしよう状態だった。

 

「俺たちの奢りだ」

 

僕の前に置かれたショットグラスに、「なぜ、奢られるんだ?」って気味が悪かった。

 

グラスを干すとすかさず、僕のグラスを満たす。

 

これを空にしないと、恐ろしい目に遭わされる...怖かった。

 

彼女にはカクテルの1杯も奢らないのに、僕にだけじゃんじゃん酒を出すんだ。

 

きりがなくて、酒が強い僕でもしんどかった。

 

ところが、10杯目か11杯目のグラスを空けたとき、男たちは「楽しかったよ」って。

 

彼らの目的が理解できなくて、ポカンとした。

 

やっとで解放された...心からホッとした。

 

でも、去り際の「またな」の言葉が、不気味だった。

 

彼女に支えられる恰好で、ホテルへ帰った。

 

せっかくの記念日が(クリスマスだったっけ?)台無しになりそうだった。

 

僕らは酔っぱらっていて、一定の距離を保って後をつける3人の男に気付かなかった。

 

エレベータのドアが閉まる直前、男たちが強引に滑り込んできたんだ。

 

男の一人が、彼女のお尻をわしづかみにし、「ひっ」と悲鳴をあげた彼女の目は恐怖で見開かれていた。

 

「やめろ」

 

その男の手首を払いのけたら、ガシっと僕の手首が別の男につかまれた。

 

殴られる...と覚悟した。

 

僕の背中は冷や汗で濡れていた。

 

「じゃあ、お兄さんが相手をしてくれるわけ?」

 

僕はその男と目を反らさなかった。

 

反らしたら負けだ...なんて、カッコいい意気じゃない。

 

恐怖で反らせなかったんだ。

 

相手ってことは...この3人の男にボコボコにされるんだろうな。

 

でもまさか、殺されるほどの酷いことはしないだろうな。

 

男の方が先に目を反らして、他の2人に目配せをしていた。

 

僕は怯える彼女の耳元で「大丈夫だから」と、囁いた。

 

僕の真後ろには2人の男、そのうちの一人は彼女の肩を抱いている。

 

「彼女は帰してあげてください」

 

「それはできませんねぇ。

愛する彼氏が心配で、あんた一人にできないって言ってるんだよ。

なぁ?」

 

真っ青になった彼女は、こくこくと頷いていた。

 

 


 

 

こわばった僕の表情を認めると、ユノの両手に肩をつかまれ、くるりとひっくり返された。

 

「わっ!」

 

そしてそのまま、背後から抱きしめられた。

 

僕の肩にはユノの顎が乗り、ウエストにはユノの両手が巻き付いている。

 

背中いっぱいにユノの素肌を感じてしまって、背骨がじんじんした。

 

僕の肩甲骨をユノの胸板が心地よくはね返している。

 

「ふぅ...」

 

「大丈夫か?」

 

言葉を紡ぐとおりに、僕の耳たぶにユノの唇...多分、下唇かな...が触れた。

 

ユノのしっとりとした声が、じわりと鼓膜を通して沁みていった。

 

ウエストに組んだユノの手に、僕の手を重ねた。

 

「大丈夫。

久しぶりに思い出したから...ドキドキしただけ」

 

ユノの大きな手の平が、僕の左胸にぴたりと当てられた。

 

「ホントだ...」

 

僕の心臓が直接触れられているみたいに、火傷しそうに熱い手の平だった。

 

「ガチガチだ」

 

胸から肩へとユノの手が移動し、僕のうなじを揉む。

 

注ぎ足したオイルの香りがバスルーム中に立ち込めている。

 

凝りがほぐれて血行がよくなったせいもあって、視界がふわふわしてきた。

 

じゃぼんと、お湯に顔面を突っ込んでしまった僕。

 

「チャンミン!」

 

ユノに引き上げられて、ハッと意識を取り戻す。

 

「のぼせたんだろ?」

 

「え...あれ...?...あれ?」

 

背後のユノを顔を振り仰いだら、視界がぐらりと回る。

 

なるほど...熾きのようなユノの体温が、バスタブを満たす湯温を上げたのだ。

 

冷え冷えの僕の肉体には、ちと熱すぎた。

 

「風呂から出るか?」

 

ユノに抱き上げられ、熱い湯の中からタイルの床へ寝かされた。

 

ユノったら、僕を軽々と運ぶんだもの...無駄のない細身の身体は、見かけだましじゃなく、力も宿す完璧な肉体なんだ。

 

「茹でダコみたいになってるぞ」

 

「う...ん。

すみません...」

 

冷たい水で絞ったタオルを、僕の喉元に当ててくれる。

 

操作パネルで浴室のヒーターを切り、換気扇を回すなど、ユノの行動は迅速で的確だ。

 

「ふぅ...」

 

ひんやりした固いタイルが気持ちいい。

 

「またぐぞ」

 

「!」

 

棚のタオルを取ろうと、僕の身体をまたいだ全裸のユノ。

 

僕の視点はあそこに釘付けになるわけで...。

 

「ん?」

 

凄い...。

 

ユノの股間にロックオンされた僕に、彼の弾ける「アハハハハ!」

 

しょぼくれた僕のモノを思い出して、情けなくなってしまった。

 

ユノの気遣いで、僕のみすぼらしい箇所がタオルで隠れ、ホッとした。

 

「ちょっとは楽になったか?

おっと...頭を起こすんじゃない。

そのまま寝てろ」

 

「う...うん」

 

「続き」

 

「へ?」

 

「チャンミンの打ち明け話...続きを聞かせてくれ」

 

「...わかった」

 

自慢のバスルーム。

 

バスタブに腰掛けた全裸の美青年と、床に寝そべった不能の添い寝屋。

 

奇妙な構図だ。

 

「僕と彼女、そして3人の男は、エレベーターを降りたんだ」

 

僕は続きを語り始めた。

 

 

 

(つづく)

 

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(7)添い寝屋

 

 

ユノと彼女がそれぞれ差し出したものを使って作られたシェイク。

 

均一に攪拌された美味しそうなミルクシェイク。

 

その大半を、ユノが全部飲んじゃった。

 

シェイクの例えを用いて、僕なりの解釈をユノに説明してみたら、「そうだ」と彼は頷いた。

 

「彼女の熱量みたいなものを、俺が吸い取ってしまったわけだ。

俺の中には二人分の熱があるんだ。

しかも単なる二人分じゃなくて、日を追うごとに増殖していくからさ...もう大変さ」

 

「......」

 

5年眠っていない話も信じがたいし、寝た相手の熱を取り込んでしまった話も科学的に説明できるものじゃない。

 

でも、僕の反応をじっと待つユノの表情は真剣だ。

 

僕をからかっている風でもないし、頭がおかしい風でもない。

 

僕の部屋を訪れた時から抱いていた印象、ユノはどこか異次元な雰囲気を漂わせていた。

 

「この話をするのはチャンミンが初めてになる。

俺の話...チャンミンは信じるか?」

 

「信じるよ」

 

僕はきっぱり、言いきった。

 

だって...僕も似たような体験をしたことがあったから。

 

「次は、チャンミンの話を聞かせてよ。

冷たい身体になってしまったワケとか...昔の話が嫌なら、最近のこととか教えてよ。

添い寝屋を始めたきっかけが一番、知りたいかな?」

 

「うーん...」

 

大いに気が進まなかった。

 

この仕事を始めたきっかけを説明するには、冷たい身体になってしまった理由を話さないわけにはいかない。

 

でも...ユノ相手には、なぜか嘘八百を語ってはいけない気がした。

 

僕が超がつく「冷え性」になってしまったきっかけ...ユノに話してしまおうかな、とちらっと思った。

 

言葉を選んで、NGゾーンに踏み入らないように話せばいい。

 

考えを巡らせていたから、しばらくの間無言でいたことに気付かずに、ユノのひと言で飛び上がった。

 

「風呂に入ろう」

 

「え?」

 

「リフォームしたっていう風呂場を見せてよ」

 

「でも...その...

僕の仕事場はベッドの上に限られるわけでして...」

 

「違うよ。

風呂に入るのは、俺の仕事の方。

チャンミンが希望したオプションサービスのひとつ」

 

「お風呂に入る、なんてオプションをつけた覚えはないよ!」

 

ユノはふふん、と得意げな笑みを浮かべると、パーテーション裏に置いた自分のバッグを持って引き返してきた。

 

「いい具合に調合したマッサージオイルなんだ」

 

バッグから出てきたのは、外国語のラベル(手書きかな?)が貼ってあるミルク色の小瓶だった。

 

「匂いを嗅いでみろ。

...な?

いい匂いだろ?」

 

「...うん」

 

柑橘類とスパイスが混じった...ほのかにミントの香りがした。

 

「待って...!

これを...僕のあそこに塗るの?

スース―しちゃうじゃないか?」

 

後ずさりし過ぎてベッドから転げ落ちそうになり、ユノの腕にキャッチされる。

 

敏捷な動作が猫みたいだ。

 

「...チャンミン...。

重症だなあ、チャンミン」

 

「え?」

 

「なんでもかんでも“そっち系”に話を持っていくんだから...。

困った添い寝屋さんだなぁ」

 

「え、違うの?」

 

「誰がこのオイルで、性感マッサージをしよう、って言ったんだよ?」

 

「だって...」

 

ユノはべたべたと触ってくるし、オーダーしたオプションサービス内容のこともあったし、そう勘違いしてしまっても仕方がないだろう?

 

自分が恥ずかしくて、赤くなってるだろう頬を見られたくなくて俯いた。

 

 

ユノはピュッと口笛を吹いた。

 

「すごいなぁ」

 

僕は得意になって、バスルームの設備の説明を事細かにしてしまう。

 

バスジェルの泡はしぼんで消えてしまっていたけど、湿度高い温かい空気はラベンダーの香りで満ちている。

 

「凝りをほぐしてくれるとやらのジェットバスを試してみようか?

チャンミン、パジャマを脱げよ」

 

この展開についていけなくてまごまごしている間に、ユノは自身のパジャマを脱ぎ捨ててゆく。

 

見惚れてしまった。

 

恥ずかしげもなく裸身をさらすユノに、見惚れてしまった。

 

「綺麗...だね...」

 

「そう?」

 

ユノは自身の身体を見下ろしていたが、ぽぉっとした僕の表情に気付いてほほ笑んだ。

 

「身体も商売道具だからな。

体型管理も仕事のうち。

近ごろは食欲もなくなってきたから、太る心配ないしな」

 

「ですよね」

 

「間違えるな。

俺は『添い寝屋』だ。

男娼じゃない」

 

ここに来てからのユノの行いに、ユノのメインの仕事が“そっち系”なんじゃないかと、思いかけていたから、「ごめん」と謝った。

 

「チャンミンも脱げよ。

風呂に入って温まろう」

 

「う、うん」

 

ところが、パジャマのボタンにかけた指が止まる。

 

煌々と明るい下で裸になるのは...それも同性の前で...恥ずかしすぎる!

 

壁際のスイッチに飛びついて、明かりを落とすと、バスタブ内に仕込まれたライトがぼうっと浮かび上がる。

 

しまった...ムーディな雰囲気になってしまった。

 

気合をいれてリフォームした浴室...特にバスタブは機能満載なのだ。

 

客観的に見て、バスタブに男2人の光景は...なんだか変だ。

 

まるで...まるで、ゲイカップルみたいじゃないか...!

 

先に身を沈めていたユノは、バスタブ前でもじもじしている僕の手を強く引く。

 

勢いがよすぎて、僕は頭からバスタブに突っ込んでしまった。

 

僕の頭はユノのお腹に受け止められ、あられもなく恥ずかしい恰好で。

 

ざぶりと湯の中から救出された僕は、恥ずかしくてたまらなくて、バスタブの反対側で膝を抱える。

 

むすっとした僕に、ユノは「怒った顔も可愛いなぁ」なんて言うんだ。

 

添い寝屋同士がどうしてお風呂に一緒に入っているんだよ?

 

「あ!」

 

僕の足が引き寄せられた。

 

バスタブ縁に置いた小瓶の中身を、手の平にたっぷりと落とし揉み込むと、僕の足を両手で包み込んだ。

 

足裏がユノの親指でほどよい圧力で押される。

 

「あぁ...」

 

いた気持ちよさで、うめき声が漏れる。

 

「どう?

ここは...痛い?」

 

「う...ん、いい。

痛いけど...気持ちがいい。

ん...んんっ...」

 

「ここは?」

 

「あっ...ううっ...いい。

いたっ...いててて。

そこはもうちょっと...優しく」

 

「固いな、ここ。

こりこりしてる」

 

「いたっ、いたたた!

あ...いい感じ」

 

「氷みたいだなぁ」

 

ユノの手は熱くて、凍えた足先を溶かしてくれる。

 

気持ちがいい。

 

「どう?」

 

「あん...!」

 

ユノのマッサージする手が止まった。

 

「...チャンミン。

足裏をマッサージしてるだけだぞ?

色っぽい声出すなよ」

 

「だ、だって...」

 

慌てて口を押えた。

 

確かに、“それ”っぽい声が出てしまった。

 

ユノの指がもたらす感触が、気持ち良すぎるんだ。

 

氷の塊が痛みを伴いながら溶かされ、押し流されていくんだ。

 

気持ち良かったから...つい。

 

「チャンミンの話を聞かせてくれ」

 

ドキッとした。

 

ユノの手は、僕のふくらはぎに移り、「細い脚だなぁ。ホントに飯食ってるのか?」とか、ぶつぶつつぶやいている。

 

「俺にも仕事をさせてくれ。

俺も打ち明けたんだ。

次はチャンミンの番だ」

 

「...わかったよ」

 

僕は観念した。

 

 

 

「...僕には当時、付き合ってる人がいたんだ」

 

「いつの話?」

 

「...普通だったとき」

 

僕は、片脚はユノにゆだね、折り曲げた方の片膝にあごをのせて、小声で答えた。

 

「勃ってられた時ってこと?」

 

「...うん」

 

「それから?」

 

「彼女と...デートしてた時に、ある出来事があって。

それが原因だと思う。

僕がその...そうなっちゃったのは」

 

「ショッキングなこと?」

 

「うん。

とんでもなくショッキングなことだった」

 

「ショッキングなことがあって、“不能”になったんだ?」

 

「そのショッキングなことが直接の原因じゃなくて。

直接的な原因の原因を作ることになったんだ」

 

「チャンミンの話はわかりにくいよ。

にごさずズバッと、全部ぶちまけろ」

 

仕方ないなぁ。

 

ゆらめく妖しい明かりが、ユノの肌を舐めている。

 

深呼吸したのち、僕の世界が一変してしまったストーリーを語りだした。

 

 

 

(つづく)

 

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(6)添い寝屋

 

 

再び僕は飛び起きて、PCの元に走る。

 

マウスを操作し、登録しているサイトの管理画面を開くと、確かに予約が入っていた。

 

頭がスカスカな僕は、「予約不可」設定をし忘れていた。

 

その結果、本日18:00からの予約を受け付けてしまっていて、それすらチェックをし忘れていた。

 

「ひっ!」

 

「チャンミンは売れっ子の添い寝屋というから、どれだけ凄いのか期待してる」

 

背後に立ったユノに抱きしめられて、思わず身体を固くしてしまう。

 

足音をたてずに近寄ったユノは、猫みたいだ。

 

「緊張してるね...。

もっとくつろげよ」

 

「だってっ...!

...あっ...!」

 

さーっと背筋に電流が流れ、腰の力が抜ける。

 

「おっと!」

 

とっさに伸びたユノの腕に、力強く腰を支えられた。

 

ユノったら、僕のうなじに唇を押し当てて、それだけじゃなく舌を這わすんだもの。

 

「チャンミンは、感度がいいね」

 

「......」

 

「さあ。

ベッドに行こうか?」

 

 

 

 

消えてしまった僕の「欲情」

 

ムラムラして女性客を襲う心配をしなくてもいいから、好都合だった。

 

僕は眠い時は客に構わず眠ってしまう「不良添い寝屋」。

 

脱力系スタイルを貫き通していたら、意外に好評価で、予約が途切れることがなくなった。

 

おかげで贅沢な部屋を手に入れることができたし、部屋から一歩も出ずに仕事ができるなんて、最高だと思った。

 

ところが、次第にむなしさを感じるようになった。

 

身体も冷えていった。

 

このまま僕は淡々と、他人の隣で眠るしかできないのか。

 

こんなことを考えていたら、まるで僕の心を読み取ったみたいにユノは尋ねる。

 

「添い寝屋が辛いのか?」

 

「辛くはないです。

自分に合っていると思っていました」

 

「過去形だね」

 

「『欲』がないことにイライラしてきました」

 

なんだかんだ言ってても、『不能』は虚しい。

 

食欲ではカバーできない。

 

医者にかかればいいことだけど、それも出来ないし、それ系の出張サービスを利用したこともあった。

 

くたりとしょぼくれたままのモノに、彼女たちは憐みの眼差しを向けた。

 

情けなくて、自尊心や自信がしゅるしゅると抜けていった。

 

こんなんじゃ、恋人も作れないし結婚も絶望的だ。

 

焦ってきたのだ。

 

「辛いんだろ?」

 

「...はい」

 

潔く認めてしまえ。

 

僕をまるで抱き枕のようにしているユノ。

 

カイロのように熱を放つユノの体温が、じわじわと僕の肉体に沁みていく。

 

気持ちが良かった。

 

ああ...肉体が感じる『気持ちいいい』という感覚...久しぶりだ。

 

そうそう!

 

ユノは僕のお客でもあったんだ。

 

僕だけ癒されてて駄目じゃないか。

 

ユノの話を聞かなくっちゃ。

 

「ユノ。

どうして僕を雇ったのですか?」

 

ユノは僕の身体に巻き付けていた手をほどくと、肘枕をついた。

 

「聞きたい?」

 

「聞きたいも聞きたくないも...ユノは僕のお客です。

僕にも仕事をさせてください。

お悩み相談室じゃないですけど、眠れないわけがあるのなら、吐き出してしまいましょう?」

 

プロっぽいことを言ってる僕だけど、仕事のためじゃなく、ユノに興味があった。

 

ちょっとだけ迷って、引っ込めかけた手を伸ばして、ユノの頬を包んだ。

 

僕の方からもユノに歩み寄らないと、と思っても、どんなことをすればよいか分からなくて、とっさにとった行動。

 

僕の手の平の下で、ユノの頬がぴくりと震えた。

 

僕のことをさんざん撫でまわすのに、人から触れられるのは苦手なのかな、と思った。

 

「チャンミンを雇った理由は、さっきから言ってるように、不眠を何とかして欲しい。

それから、身体を冷まして欲しい」

 

熱を冷ますために、抱いたり抱かれたり...とかユノは言っていた。

 

「でも...僕はそういうことは出来ませんからね?」

 

「俺はそんなことは求めてないよ。

ん?

なんだなんだ、チャンミン?

残念そうな顔しちゃって。

求めた方がよかった?」

 

ムッとした僕は、ユノの頬に乗せた手を引っ込めようとしたら、がしっと手首を握られた。

 

熱い手だ。

 

「冗談だよ。

“そういうこと”に関しては、客のチャンミンにしてやるからな。

チャンミンは俺の言う通りにしていればいい」

 

「それはっ...!」

 

僕のオーダーが全部、ユノにバレてるから恥ずかしくて仕方がない。

 

「手はそのままに...冷たくて気持ちがいいから」

 

分厚い氷が熱く熱したものと接して、しゅわしゅわと音をたてて溶けていく。

 

そんな感じ。

 

かじかんだ指先に血が通う。

 

「話を戻そうか」

 

ユノの顔はやっぱり小さくて、僕の手で全部覆ってしまえるくらい。

 

すごいなぁ...こんなに綺麗な人が存在するなんて。

 

顔のパーツ全てが小作りで、行儀よくおさまっていて、女の人みたいな優美さもあるのに、女の人には見えない。

 

「...5年も眠れなくなって、身体も...。

原因は何も見当がつかないのですか?

きっかけみたいなもの...心当たりはないのですか?」

 

「明らかに『この日』だと言いきれるよ。

でも...不思議な現象の話だから...。

馬鹿にせず、最後まで聞いてくれるか?」

 

「はい」

 

そしてユノは、高くも低くもない不思議な声音で語りだした。

 

 

 

 

「恐らく、あのことがきっかけだったと思うんだ。」

 

「“あのこと”?」

 

ユノは仰向けに寝がえりをうち、大きく息を吐いた。

 

僕は乱れた毛布をユノの肩にかけ直してやった。

 

天井を仰ぐユノの横顔に見惚れながら、話の続きを待つ。

 

「5年前、俺はある女性と出会った。

かなり特殊な場所で」

 

特殊...?

 

どんなところだろう?

 

「その女性と出会ってしまったのが、きっかけだ。

うん...そうだ、そうに違いない」

 

「彼女と出会ったことが、熱くてたまらない身体になってしまったことに、どう繋がるのです?」

 

「彼女の顔を思い出そうとすればするほど、デティールが逃げていってしまうんだ。

覚えているのは、感触みたいなものかな。

いや、感触どころじゃない...ガツンと頭を殴られたみたいな衝撃だ」

 

「運命...の人...とか?」

 

「さあ...どうだろう?

彼女と経験して、脳みそが溶ける思いをした。

身体の芯までしびれてしまうくらいの凄いやつを」

 

「...ってことは、その...つまり...?」

 

「身体の相性がよかったんだろうなぁ」

 

「!」

 

ユノは5年前、とある女性と出会って、とあること(セックスのことだよね)をして、とんでもなく相性がよくて...。

 

「よく分からないのですが、身体の相性がよかったことと、不眠がどう繋がるのですか?」

 

ユノはふっと笑って、仰向けのまま眼球だけをこちらに向けた。

 

「身体がかっかしてたら、寝付けないだろう?」

 

「うーん...寝付けないでしょうね」

 

今の僕にはとても想像できないけど、同意してみせる。

 

「俺の身体と彼女の身体が、比喩じゃなくて、真の意味でひとつになったんだ。

どこからが彼女でどこからが俺のものかが分からないくらいに。

イメージわくかな?」

 

僕は首を振る。

 

「チャンミンがミルクで、俺が果物だとする。

このふたつをジューサーに入れて、シェイクを作るとする。

出来上がったシェイクを見て、どれがチャンミンで、どれが俺か...分かるか?」

 

僕は首を振る。

 

「ここからが、俺の話の重要ポイントだ。

いつまでも繋がったままじゃいられないだろ?」

 

「はい」

 

「身体を離した時にさ、彼女が俺の中に入ってきた」

 

「は?」

 

「彼女の熱いものが、俺のアソコを通して俺の中に入ってきたんだ。

彼女のものまで、俺が奪ってしまったんだ」

 

「!?」

 

 

 

 

僕は添い寝屋、ユノも添い寝屋。

 

僕はユノの客、ユノは僕の客。

 

足して引いてゼロになって、僕とユノは対等の立場。

 

僕の仕事部屋...寝心地の良い大きなベッド...防犯カメラに映された僕ら。

 

パジャマを着た二人の青年が向かい合った姿勢で、横たわっている。

 

誰にも言えずにいた秘密を、ひとつひとつ明かしていく。

 

想像すると、とても不思議で興味深い光景だ。

 

 

 

(つづく)

 

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