(9)会社員-愛欲の旅-

 

 

以前勤めていた会社では、社員旅行はあるにはあったが自由参加だった。

 

気をつかう者たちと2日ないし3日も行動を共にしなければならない煩わしさから、非参加の者もいる中、普段交流のない支社の者と交流ができる機会だと、俺は積極的に参加していた。

 

チャンミンのキャラクターから予想すると、彼は不参加組だろう(「オフィスを出たところで交友を深める必要がどこにあります?」と言いそうだ)

 

幸いなことに、転職先であるこの会社は半強制スタイルだ。

 

俺の場合は、自由参加だろうが強制だろうが、参加するんだけどね。

 

 

 

 

集合時間は午前7時。

 

時間厳守できない奴は置き捨てていくルールではなく、メンバー全員が揃うまで、バスは発車しない。

 

遅刻して、白い目を一斉に浴びながらバスに乗り込むなんてことは避けたい。

 

早起きできるか不安だったが、俺にはチャンミンという目覚まし時計がいたから、心配無用だった。

 

チャンミン目覚まし時計は、スヌーズ機能付き。

 

寝ぼけ声で電話に出て、「あと5分...」と二度寝してしまう俺を見越したチャンミン。

 

しゃきっと電話に出るまでしつこいのなんのって!

 

身支度を済ませ、靴を履いている時にも着信があり、「もう家を出るところだよ!」と答えたら、やっとで安心してくれた。

 

玄関ドアを開けてびっくり。

 

チャンミンがぬっと立っていた。

 

「おはようございます」

 

「あ、ああ。

おはよう」

 

どもってしまったのには訳がある。

 

スーツを着ていないチャンミン...私服姿のチャンミンを見たのは初めてだったから。

 

(風邪をひいた俺を看病しようと我が家に泊まった翌日は休日だった。

結局、チャンミンは朝までぐっすり。

パジャマは持参してきても着替えを忘れてくるドジっ子で、スーツを着て帰宅していったのだ)

 

挨拶を交わした後、俺たちはしばし無言だった。

 

チャンミンはお祈りポーズに手を組み、大きく見開いた眼をきらっきらに輝かせている。

 

「ユンホさん...素敵...素敵です...」

 

そう言うチャンミンのとろけた表情が、俺の目に眩しい。

 

後光が射しているように見えたのは、顔を出したばかりの朝日が逆光になっていたからだ。

 

「そう?

別に...普段通りだよ」

 

照れくさくて謙遜したわけじゃなく、俺の服装はいたって普通。

 

パーカーにデニムパンツ、上にコートを羽織って、以上だ。

 

「もぉ!」

「んぐっ!」

 

みぞおちにチャンミンのパンチが飛んでくるという予測不能のリアクションに、彼の出で立ちにドキっとする間もない。

 

(チャンミンは胸キュンするあまり、その相手に暴力をふるうこともある、とチャンミン録にメモをする。

同じような項目を過去にメモしたことがあったような...とページをめくったら、その通りだった)

 

「ユンホさんったら...僕を何度惚れさせようとするんですか?

罪なオトコですね」

 

顔を赤らめるチャンミンは乙女のように身をくねらせているが、仕草と恰好がミスマッチだ。

 

 

 

 

オフィシャルなチャンミンしか見たことがない者は、私服もとんでもなくダサいだろう、と想像するだろう。

 

オフィスでこっそりやってみたことがある。

 

コピー機の前で小難しい顔をして立っているチャンミンを、俺は自身のデスクから眺めていた。

 

見惚れていた、のではなく、観察していた。

 

七三分けした頭を、片手をかざして隠してみる。

 

ダサく見えてしまうのは、ヘアスタイルだけが問題なんだろうか?と思っていたからだ。

 

そして首から下を観察する。

 

手足が長い痩せ気味の長身の男。

 

緩くもなくきつすぎず、肉付きに合ったスーツを着ている。

 

そのスーツも膝が出ているとか、安っぽいテカリもないから、もしかしたらオーダーメイドなのかもしれない。

 

それなのに...ダサい。

 

なぜだ?

 

紙つまりを起こしたのか、トナー交換なのか、チャンミンはコピー機のカバーを外して悪銭苦闘している。

 

手伝ってやりたいが、チャンミンの観察を続行することにした。

 

どうしてこんな単純なことに気付かなかったんだろう。

 

スラックスの丈が短いのだ。

 

お洒落上級者なら着こなせる、あえて丈短のボトムス。

 

ばりばりのビジネススーツで、アンクル丈か...チャレンジャーだ。

 

チャンミンの場合、靴下がいわゆるビジネスソックスだから、余計にミスマッチ感がアップする。

 

スーツを仕立てた後に、脚が伸びたのか?

 

(まさか!三十路にもなって成長期なんてあり得ないだろ)

 

スーツの袖の長さはぴったりサイズだから、首を傾げてしまう。

 

答えが見つかり満足した俺は、コピー機の前で手を真っ黒にさせたチャンミンを助けに行ったのだ。

 

 

そうなのだ。

 

スーツを脱いだチャンミン...滅茶苦茶、カッコよかった。

 

ダッフルコートに細身のボトムス、ショートブーツ。

 

凝ったものを着ているわけじゃなく、普通のものを普通に着ているだけなんだろう。

 

でも、それがよかった。

 

昨年までの社員旅行でも、チャンミンはこうだったのだろうか?

 

社内でのチャンミンの評判は、「ダサい」「細かい」「くそ真面目」「ヲタクっぽい」「アイドルの追っかけをしていそう(大正解)」「恋人は二次元」「融通がきかない」「とっつきにくい」「でも、仕事は正確、迅速」

 

ところが、今みたいな格好で、社員旅行に参加したりなんかしたら、女子たちは色めき立つ。

 

スーツを脱いだチャンミンは、実はイケメンだった。

 

このギャップに、チャンミンの評価がぐんと上がっていてもよさそうなものなのに、そうはなっていない。

 

...なぜだ?

 

カジュアルな服装に七三分けなのがいけないのかなぁ...。

 

最寄り駅までチャンミンと肩を並べて歩きながら、以上のことを考えていた。

 

俺のことを「罪な男」と言うチャンミンこそ、罪な男だよ。

 

朝いちばん、俺を出迎えた私服チャンミンに、俺の胸はときめいた。

 

 

 

 

「ねえ、ユンホさん。

僕たち、朝帰りみたいですねぇ...。

まるでユンホさんのお家にお泊りしたみたいですねぇ」

 

「そうかなぁ?」

 

「僕ら二人とも寝不足みたいな顔をしていたら。

皆さん、『あの二人...昨夜は激しかったのね』

 

『大人しい顔してチャンミンさんは、激しいのね』、って思うかもしれませんね。

ぐふふふ」

 

やっぱり...。

 

チャンミンは、俺を押し倒す役のつもりでいる...。

 

この流れをこの旅行中に変えないと。

 

2泊3日の社員旅行に、7泊8日サイズのスーツケースを転がしているチャンミン。

 

「荷物多すぎやしないか?

何が入ってるんだよ?」

 

「僕は実行委員ですので、余興用とか用意するものがいろいろありまして...」

 

「大変だな。

俺が持ってやるから、貸せよ」

 

チャンミンのリュックサックを代わりに背負ってやる。

 

そして、昨夜見た夢に俺が出てきたと語るチャンミンの話に、「へぇ」とか「そうなんだ」と相づちを打ったのだった。

 

 

(つづく)

 

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(8)会社員-愛欲の旅-

 

 

翌朝。

 

眼前のタイルの目地であみだくじをしていたら...。

 

「ユンホさん...」

 

耳元でささやかれ、首筋に温かい吐息。

 

「チャンミン!

こぼすところだったじゃないか!」

 

ここは男子トイレ、俺は用足し中だったのだ。

 

ぼうっとしていて、背後に近づいたチャンミンに全く気付かなかった。

 

(違うな...チャンミンは俺に気付かれないよう、抜き足差し足、忍者のように忍び寄ったんだ。『ユンホさんを驚かしちゃお』なんて可愛いいたずら心を起こしてさ)

 

「......」

 

「...ん?」

 

俺の肩に顎を乗せたチャンミンの視線は、俺のあそこに注がれていて...。

 

「見るなって!

恥ずかしいだろ」

 

肘でチャンミンを押し避けて、下着の中に納めスラックスを元にもどした。

 

「ユンホさん、おはようございます」

 

「おはよう」

 

俺の後にくっついてくるチャンミンに、「あれ?お前はしなくていいの?」と尋ねた。

 

「ユンホさんにお話があったのです」

 

手を洗う俺の背後に、ぬっと立つチャンミンが鏡に映っている。

 

いつもと変わらない七三分けヘアに紺のスーツも白シャツもシワひとつない...ビシッとしているのに、どこか垢抜けないのだ。

 

「話?

何?」

 

話があるって一体、今日は何を言い出すんだろう?

 

愉快な気分になるけれど、ウメコに何やら仕込まれているチャンミンだから、何を言い出すのか想像つかない。

 

濡れた手をハンドドライヤーで乾かそうとしたら、さっとハンカチが差し出された。

 

遠慮なくイチゴ柄のハンカチを借り、相変わらず気が利くなぁと感心した。

 

(チャンミンがイチゴ推しには、ちゃんと理由があるのだ。『情熱の残業』編を参照のこと)

 

「ユンホさん。

喜んでください!」

 

「?」

 

「ユンホさんと僕。

おんなじ部屋ですよ」

 

同じ部屋?と首を傾げていると、

 

「旅行ですよ、社員旅行」

 

「へえぇ。

部屋割り、もう決まってるんだ?」

 

「実行委員の特権を利用して、ユンホさんと同じ部屋にしたのであります。

えっへん!」

 

「えっ!?

チャンミン、実行委員だったの?」

 

チャンミンの「えっへん」はスルーした。

 

「そうですよ。

ユンホさんは再来年くらいに回ってくるでしょうね」

 

「面倒くさそうだなぁ」

 

実行委員メンバーは、各部署から1名ずつ選出された者たち。

 

(実行委員なんて皆のお世話係、遠足に引率する担任教師のような役割。皆がやりたがらない役目なのだ。立候補する者などおらず、部署によってローテーション制やくじ引きで決定しているらしい)

 

「僕らが男同士で助かりましたね」

 

「?」

 

「ユンホさんが男だったおかげで、疑いをもたれる恐れなし、です。

正々堂々と同室です!

6人部屋、というのが面白くありませんけど...」

 

鼻にしわを寄せたチャンミン...か、可愛い。

 

「お布団は隣同士に敷きましょうね。

ユンホさんの浴衣姿...ぐふふふ。

はだけた胸...ぐふふふ。

ユンホさんと温泉...ぐふふふ。

背中を流しっこするのです...ぐふふふ。

旅行まで我慢するつもりでしたが、さっき息子さんを見ちゃいました...ぐふふふ」

 

そうだよなぁ、じっくり観察していたからなぁ。

 

「あとはバスの席順を隣同士にするだけです。

ユンホさんを狙う女豹がいっぱいいるから、ちょっと骨が折れますが頑張ります」

 

口を覆う両手の指先から、半月型に笑った眼が覗いていて、か、可愛い...。

 

今朝は始業前からチャンミンに萌えてしまった。

 

「いつまで便所にいるつもりだ?

オフィスに行くぞ」

 

チャンミンの腕をとり、トイレを出ようとしたら...。

 

「わっ!」

 

俺の方が腕をとられ、あっという間にチャンミンに抱きすくめられていた。

 

「???」

 

「チューしてください」

 

「ちゅー」の形に尖らせた唇がずいっと迫ってきた。

 

「待て待て!

ここは職場だぞ?

お前の主義に反するんじゃないのか?」

 

「始業前なので『可』とします」

 

「なんだよ、それ...」

 

俺の返事もきかずに重ねられた唇。

 

チャンミンの常識や信念はわりと柔軟で、その時々で緩くなることがある、と心のチャンミン録にメモした。

 

この大胆さはウメコの呪術のせいか...?

 

違う、呪術は未だ効いていないはずだ。

 

じゃなきゃ、重ね合わすだけのキスで済むはずない。

 

俺とキスを交わして満足したらしいチャンミンの、廊下をずんずん歩く彼の猫背を見ながら安心した。

 

 

(つづく)

 

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(7)会社員-愛欲の旅7-

 

 

「ウメコ~、何したんだよ?

おまじないか?

毒薬か?」

 

「不正解!

毒薬って...私が捕まっちゃうじゃないの。

そのどちらでもないの」

 

ウメコはカウンターから出ると、「そろそろお店を閉めようっと」とつぶやいて、通りに置いた看板照明を回収に行ってしまった。

 

「はあぁぁ」

 

俺はカウンターに突っ伏した。

 

おかしなものに頼らなくても、抱き合った時に分かると思うのだ...どちらが征服する側になるのか。

 

ウメコの媚薬めいたものに惑わされて、俺たちが本来こうなるべき役割があべこべになってしまっては困るのだ。

 

...いや、待てよ。

 

案外いいかもしれない...。

 

『ユンホさん...可愛いです』

『最初は優しくしてくれよ?』

『ユンホさん...震えてますね。

安心してください、僕がいいところに連れてってあげます』

『チャンミン...怖い』

『怖いなんて言ってるくせに、ユンホさんの大きくなってますよ、ぐふふ』

『あああっ!

いい!

すげぇ、いいっ!』

 

 

駄目だ、駄目駄目!

 

「あなたも手伝って」

 

看板照明を引きずってきたウメコに急かされ、俺も台フキンでカウンターを拭いたり、汚れた食器を洗ったりと手伝う。

 

(お友達価格で飲み食いさせる代わりに、俺をこきつかうのだ)

 

コートを羽織ったウメコは、俺のコートを放って寄こした。

 

「そうねぇ...あなたたちの関係性をゆがめたりしたら駄目よねぇ。

まだ何の作用も起こっていないでしょうから...今なら間に合うわ」

 

「今度のは一体、どんなのなんだよ?」

 

「雄々しくなるの」

 

「頼むよウメコ~。

お前のは毎回、エロに結び付くのばっかだなぁ」

 

「今回のは凄いのよ。

ユノ、あなただけじゃなく、老若男女問わず周りにいる人みんなに効いちゃうの」

 

「はぁ?」

 

俺の脳裏に、目をらんらんとさせたチャンミンが、A子やその他女性社員だけじゃなく、営業部長にまで襲い掛かる光景が浮かんだ。

 

「いでっ!」

 

「違うわよ。

逆よ、逆」

 

俺の想像図を読んだウメコに頭をはたかれた。

 

「フェロモンを発散させるんだから

チャンミン君がモテモテになっちゃうの」

 

ウメコは店の鍵を閉めると、手を振り先にいくよう俺に促した。

 

おんぼろ雑居ビルにあるウメコの店、地上に出るため狭苦しい階段を上る。

 

「俺の恋路を邪魔する気か!」

 

「まさか。

チャンミン君に足りない男のフェロモンを足してやろうと思っただけよ。

モテモテになっちゃうのは、副作用よ、諦めて。

フェロモンMAXなチャンミン君に、あなたがメロメロになって、30うんねん大事に守ってきた秘部をチャンミン君の為に捧げるの」

 

「はうっ!?」

 

ウメコに尻の真ん中をブスリ、と刺されたのだ。

 

「何すんだ!?」

 

背後のウメコを振り向き、怒鳴りつけた。

 

「感度良好」

 

「ふざけんな!」

 

ウメコは100㎏越えの巨漢、俺は太い指で突きをくらったあそこをさすった。

 

「お前はなんとしてでも、俺を襲わせたいんだな」

 

「...と思ってたけど、可哀想だからユノを助けてあげる。

自然な流れでどっちに転ぶのか...あなたたちの相性を魔術で歪めてしまうことに良心がとがめてしまってね...。

あなたはそれを阻止すればいいことよ」

 

深夜近くの飲み屋街、通行人はへべれけの酔客か身を寄せ合った男女くらいと、まばらだった。

 

そういえば2週間ほど前に、俺はチャンミンの腰を抱いてここを歩いたんだよなぁ、と思い出していたりして(あそこの角を曲がった先にある喫茶店で、俺はチャンミンに唇を奪われたのだ)

 

「阻止って...どうやって?

解毒剤、とか?」

 

「今回のは、媚薬でも呪文でもないの」

 

やっとで素の姿でチャンミンと付き合えると思っていた矢先なのだ。

 

チャンミンは素直な男だから、呪術の効き目は抜群なのだ。

 

男の色香ダダ洩れ状態になってしまい、周りの女性たちの注目の的になってもらったりしたら、俺が困る。

 

やっぱり女性には負けるから(チャンミンは元々はストレートだろうから)

 

「じゃあ、何だ?」

 

ウメコは俺の耳の元で囁いた。

 

「...それだけ?」

 

「ええ、そうよ」

 

その阻止法とは、いたって簡単だった。

 

「じゃあ、頑張ってねぇ」

 

ウメコはひらひらと手を振って、お迎えに現れたボーイフレンドと腕を組んだ。

 

ウメコのボーイフレンドは俺を睨みつけると、ウメコを伴って歩き去った。

 

(超絶イケメンの年下のボーイフレンド。俺とウメコの仲を疑った彼に殺されそうになった過去があるのだ)

 

その後ろ姿を見送る俺。

 

どっちがそっち側なんだろう、こういうことは見かけによらないというし...。

 

彼らの行為を想像しかけて、「駄目だ、駄目!」と、その想像図を振り切ろうと俺は首を振った。

 

 

(つづく)

 

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(6)会社員-愛欲の旅-

 

 

 

ベッドは1つ。

 

ソファはあるが2シーター。

 

チャンミンはどこで寝る?

 

ひとつベッドで寝たりなんかしたら...何かが始まってしまいそうで、怖い。

 

何かが始まって欲しいけれど、勢いで突き進むには身体がしんどい。

 

チャンミンを床に寝かすわけにはいかないから、やっぱり...ベッドで寝るしかないか。

 

180越えの男2人寝るには、シングルベッドは狭過ぎる。

 

とかなんとか考えていたら、チャンミンはボストンバッグからかさばるものを取り出し、丸めたそれをくるくる広げた。

 

「...寝袋」

 

「やだなぁ、ユンホさん。

病人のユンホさんを襲うなんてできません。

そりゃあね、僕はユンホさんが大好きですけど、欲望に任せてそんなこと...できませんよ。

聞いたことがあるんです。

熱がある人とえっちすると温かくて気持ちいんですって。

ぐふふふ。」

 

ちょっぴり残念。

(話の後半部分はスルー)

 

「残念」だなんて口にしたら、チャンミンを大喜びさせてしまい、俺をどすけべ扱いする台詞のオンパレードになりそうだったから、黙っておいた。

 

「ユンホさん、辛くなったら僕を遠慮なく起こしてくださいね」

 

「オッケ」

 

広げた寝袋に横たわったチャンミンのために、ファスナーをあげてやった。

 

手足が寝袋の中におさまり、顔だけぴょこんと出した姿に、か、可愛い...。

 

可愛すぎて、チャンミンの額にキスしてしまっても仕方がない。

 

「駄目です!」

 

チャンミンの鋭い声に、2度目のキスの間際で俺は止まる。

 

照れた上での制止じゃないようだ、チャンミンの眼が怒ってる。

 

チャンミンの逆鱗ポイントが分からずにいると、

 

「ユンホさんの風邪が僕に伝染っちゃいます!」とのこと。

 

「あ...悪い。

そうだよな」

 

「僕が風邪を引いたら、ユンホさんの性格だと『俺のせいだ』って自分を責めますよね?

自己嫌悪でユンホさんを苦しませるわけにはいきません!」

 

...そこまで思い詰めたりはしないけれど、拒絶の理由が分かって安心した。

 

怖い目をして「駄目」と言われて、少しだけ傷ついてしまったから。

 

ナイーブになってしまうのは、チャンミンが俺と同じ男だからだ。

 

女性相手だと、俺じゃあ理解不能かつ理不尽な言動された時、「女性のことはよく分からん」のひと言で片付けられる。

 

男と女、違う生き物、理解できなくて当然だから、くよくよ悩んでも仕方がない...極論を言うと、俺は悪くない。

 

ところが、男のチャンミンの言動は、同性だから理解できる。

 

どうしても俺基準で、言葉の真意をとってしまうから、「嫌」と言うからには、本当に嫌なんだろうと。

 

...ん、待てよ。

 

チャンミンは、『嫌よ嫌よも好きのうち』タイプだ(そうに違いない!)

 

チャンミンの「いやん、馬鹿ぁ」は、「カモーン」かもしれない。

 

チャンミンを相手にするのは難しいなぁ。

 

 

 

 

「ユンホさんって...左利きですよね?」

 

「...うん」

 

「ご兄弟は?」

 

「妹がいるよ」

 

「え...お兄さんはいないんですか?」

 

俺の回答が予想外だったらしい。

 

「ユンホさんは僕のこと...女っぽいと思ってます?」

 

「...いいや」

 

「...嘘ですね」

 

(ぎく)

 

「じゃあ、僕のこと...男っぽいと思うことありますか?」

 

「男っぽいも何も、チャンミンは男じゃん」

 

「そうですけど...。

男らしい僕に...ドキドキすることありますか?」

 

「あるよ」

 

恋の媚薬を飲まされた夜と、昨夜のエレベーター内で抱き寄せた腰の固い感触に、ムラムラに近いドキドキ感を覚えたことを思い出した。

 

実際は「ドキドキ」というより、「こいつ、男なんだなあ」と再確認みたいな感覚だ。

 

嬉しそうにしているチャンミンのために、詳しく説明するのは止めにした。

 

「世の中出回っている情報は、玉石混交です。

正しい知識だけを注意深くゲットしますからね。

僕は何でも疑ってかかる質ですから、おかしな情報をつかんだりはしませんからね。

そこのところは安心してください」

 

「?」

 

「好きな人には、気持ちよくなってもらいたいんです。

僕...頑張りますから」

 

チャンミンはおそらく、アレのことを話しているんだろうけど、理解が追い付かない。

 

「ユンホさんは男らしいですし、俺について来いって感じです。

...でも、僕は分かってますからね。

僕に任せてください」

 

分かってるって...何をだ?

 

任せてくれ...って何をだ?

 

「僕は頼りないかもしれませんけど、いちお、男ですからね」

 

「そうだな。

チャンミンは立派な男だよ」

 

「では。

おやすみなさい」

 

「おやすみ」

 

俺は数分ばかり寝付くことが出来ず、目を開けていた。

 

「...チャンミン?」

 

ベッドの下の、長々とした塊に声をかけてみたけれど、返事がない。

 

看病する側がとっとと寝てしまうなんてなぁ...いかにも、チャンミンだなぁと思った。

 

「ふう...」

 

じっと耳をすましていれば、チャンミンの可愛い寝言が聞けるかもしれない。

 

と思いついたものの、夕食後に服用した風邪薬が効いてきたのか、重だるい眠気に襲われてきた。

 

「...にく...」

 

俺がキャッチできた寝言はこのひと言だけ。

(焼き肉の夢でも見ていたんだろうか)

 

 

 

 

寝袋チャンミンの語りの意図が、やっとで理解できた!

 

意気込んでいるチャンミンの方こそ、無理をしているんじゃないか?

 

こういうことは最初の印象でなんとなく決まるんじゃないかなぁ。

 

どう見たってチャンミンは、そっち側なイメージだ。

 

いや...待てよ...。

 

これはあくまでも、俺が勝手に抱いているイメージだ。

 

実のところ、チャンミンは征服欲が強い質かもしれないんだ。

 

なんせ、呪文でトラになってしまった時、チャンミンは攻めまくっていた。

 

勢いにタジタジとなった俺は、チャンミンに襲われるがままだった(馬鹿力だった)

 

あれが本性だとすると...。

 

スラックスの前にくっきりと浮かんだアレ...なかなか立派なサイズだった。

 

アレが俺の..............................................................無理無理無理無理、無理!

 

俺の部屋に泊まった夜の「僕に任せて宣言」

 

さらに、ウメコの助言を真に受けたりなんかしたら...素直なチャンミンのことだ...。

 

俺の脳裏に、チャンミンに組み敷かれ、彼の身体に四肢を絡めた俺のアヘ顔が浮かんだ。

 

ぞっとした。

 

悪い、チャンミン。

 

俺はこれっぽっちも、押し倒される気はないんだ。

 

俺の方こそチャンミンを押し倒す気満々なんだ。

 

俺の愛撫に「ひゃん」とか喘いだりして、すげぇ可愛いはずだ。

 

 

 

 

カウンターに頬杖をついたウメコは、「なるほどねぇ...」と嘆息交じりにつぶやいた。

 

「ユノもチャンミン君も、挿れる気でいるってことね」

 

「そうなんだ」

 

俺はウメコ製のサラダ(ちぎりキャベツにカリカリベーコンを散らした上に、熱したごま油をかけたもの)を消費していた。

 

(ウメコの店にはメニューがない。客のリクエストに応じて、大抵のものは作ってくれるのだ)

 

「それでユノは困ってるってことね」

 

「ああ」

 

「どっちがそっちになるかは、その人の傾向によるものだからねぇ。

あなたたちの場合、前もって確認しておかなかったからねぇ。

勢いでくっついちゃったからねぇ」

 

「くっつけたのはお前だろ!」

 

「酷いわねぇ。

私がいなきゃ、あなたたち未だに同僚止まりよ」

 

その通りだったから、俺は黙るしかない。

 

「ユノ。

諦めなさい」

 

「?」

 

「あなたはチャンミン君に抱かれるしかないの」

 

「どうしてウメコが断言できるんだよ!」

 

「ヤル気いっぱいのチャンミン君を応援したくてねぇ」

 

「ウメコっ...まさか...!」

 

「そうなの」

 

「チャンミンに何を唱えた!?

何を飲ませた!?」

 

 

(つづく)

 

 

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(5)会社員-愛欲の旅-

 

 

「ノンケだった女たらしが、その気のある内気なBOYに押し倒される...。

めくるめく禁断の愛...。

萌えるわぁ」

 

「おい!

女たらしってどういうことだよ!?」

 

俺の抗議など完全に無視をしたウメコは、きつめにひいた太いアイラインの下で、瞳をキラキラと輝かせていた。

 

ウメコはうっとりと「エロいわぁ」と繰り返す。

 

ウメコはああ言ったが、俺は女たらしじゃない。

 

モテまくった経験はないし、とっかえひっかえと女性関係が派手だったこともない。

 

世の30代男性並みに、それなりに彼女がいてそれなりに失恋を味わってきた。

 

そんなごくごく普通の男の俺が、こともあろうに同僚の野郎に恋をすることになるなんて...。

 

通勤電車の中で、業務の合間に、就寝前にと、繰り返しこの思いを噛みしめていた。

 

男のチャンミンを好きになった...これには何か深い意味がある。

 

俺の中の常識を飛び越えてしまうだけの魅力がチャンミンにある、という意味が。

 

「いやらしいこと考えてたでしょう?」

 

ウメコに額を突かれ、俺は現実に引き戻される。

 

知らないうちに顔がにやついていたらしい。

 

ウメコ発言をうっかりスルーしてしまうところだった!

 

「...ウメコ。

さっきから、俺が『押し倒される』前提なのはどういうことだ?」

 

「あら?

あなた、チャンミン君を『押し倒す』つもりでいたの?

その根拠はなあに?」

 

「...なんとなく」

 

はっきり問われると、「なんとなく」としか答えられないのだ。

 

「ユノはそのつもりでも、チャンミン君の方は違うかもよ?」

 

ふっふっふっと、ウメコは意味ありげに目を細めた。

 

「?」

 

「私が焚きつけたせいかしら」

 

「はあ!?」

 

「チャンミン君がね、ここに来たのよ」

 

「チャンミンが!?」

 

俺はスツールから勢いよく立ち上がり、カウンター越しに身を乗り出した。

 

「でね、ユノを愛すにはどうやればいいか教えて欲しいって。

あらっ!

これは内緒だったわ。

ごめんなさい、私の言葉は忘れて頂戴」

 

ウメコはわざとらしく、目を丸くして口を両手(まるぽちゃの指にドクロや鎖を模したリングをはめている)で覆った。

 

うっかりポロっとなんかじゃない、ウメコの性格からして、これはわざとだ。

 

「ウメコ...余計なことを吹き込んだんだろう?」

 

「忘れてと言ったでしょう?

言えないわぁ。

...『忘れる』呪文を唱えてあげましょうか?」

 

「い、や、だ!」

 

ウメコの呪文だか魔法の薬は、あらぬ方向に強烈に効いてしまうシロモノがほとんどなのだ。

 

チャンミンを好きだという感情まで忘れてしまったら困る。

 

チャンミンがウメコに会いにきた理由はつまり...ハウツーを習いに来たのか?

 

「...そういうことか」

 

俺の看病をしにやって来たとき、チャンミンの言動がおかしかった。

 

そのせいでこの数日間、俺は悩んできたのだ。

 

犯人は目の前にいる、女装家兼呪術研究家だ。

 

「ユノが私に相談したい事って、つまり『アレのこと』でしょう?」

 

「...まあ...そんなところだ」

 

「それで、チャンミン君があなたの家に来て、何があったの?

はやく本題に入りなさい!」

 

 


 

 

チャンミンの手料理は美味かった。

 

つっかえつっかえのクッキングだったようだが、出来栄えは素晴らしかった。

 

あいにく俺の家には気のきいた食器などないため、鍋やフライパンのままテーブルに並ぶこととなった。

 

お粥は登場しなかったし、土鍋料理もなかった(持参してきた土鍋は用無し)

 

チャンミンの料理がどれだけ素晴らしかったかを説明し出したら、話が長くなってしまうから割愛させてもらう。

 

 

 

 

食事後。

 

「ユンホさん!

体温計を見せてください」

 

と、突き出した手をひらひらさせた。

 

「熱は...38℃...くらいかな?」

 

「僕を騙そうたって、そうは問屋がおろしませんよ?

僕に見せてください」

 

実は熱が39℃近くあるのを、チャンミンに心配をかけまいと低めに申告した...おそらく彼はそう考えたのだろう。

 

チャンミンの逞しく長い腕には抵抗できず、体温計を奪われてしまった。

 

「...あり?」

 

「そうだよ。

今の俺は微熱程度。

チャンミンには心配かけて申し訳ないが、俺は回復に向かっている」

 

37.5℃と表示された体温計。

 

つまり、寝ずの看病をしてもらわなくても、俺は全然平気なのだ。

 

こうまで張り切っているチャンミンに悪くて、つい仮病を使ってしまったのだ。

 

「ユンホさん、僕の出る幕はありませんね」と、がっくり肩を落として、持ち込んだ荷物を背負って、とぼとぼと帰ってゆく...。

 

そうなのだ、チャンミンに帰ってもらったら俺は寂しいのだ。

 

微熱程度であっても、身体が弱っていると独りは心細い。

 

男にはそんな弱さがあると思う、痛みに弱いというか...(女性は強いのだ)

 

「夜中に熱が出るかもしれませんし...。

心配なので予定通り、ユンホさんのお部屋にお泊りさせていただきます!」

 

チャンミン宣言に、すげぇ嬉しかったけど、「そんな...悪いよ」なんて遠慮してみたりして。

 

「さささ。

ユンホさん、お着替えしましょう」

 

「え?

このままじゃ駄目なの?」

 

俺の部屋着兼寝間着は、ジャージパンツにパーカーだ。

 

「汗をかいたでしょう?

お着替えしたら気分もさっぱりしますよ。

微熱があるのだから、お風呂にも入れませんし」

 

「いや...今からシャワーでも浴びようかと...」

 

「いけません!

その代わり、ホットタオルで拭いてあげましょう」

 

「!」

 

チャンミンに身体を拭いてもらうなんて、恥ずかしすぎる。

 

(『ユンホさん、大事なアソコも拭かないと。

手をどかして下さい』

 

『自分で拭けるって!

タオルを貸してくれ』

 

『恥ずかしがらないで。

僕はユンホさんの恋人なんですよ。

全てを僕に見せて下さいな』

 

『...分かった。

でも、見てビックリするなよ?』

 

『心配ご無用!

優しく拭きますから。

さささ、その手を退けて下さいな』

 

『...』

 

『(チャンミン心の声)

ユユユユユユ、ユンホさん!

なんて立派な!

...どうしよう...はいるかな...ドキドキ』

 

『チャンミン。

そんなソフトタッチじゃ汚れが落ちないぞ。

もっとガシガシ拭いてくれ』

 

...みたいな?)

※まずいな...俺の妄想力がどんどん鍛えられてきている。

 

「いいって!

身体は濡らさないから頭だけ洗わせてくれ」

 

「う~ん。

仕方がないですねぇ」

 

渋い顔のチャンミンを置いて、俺は浴室に駆け込んだ。

 

チャンミンが...付き合いたての恋人が、俺の部屋にいる!

 

あれやこれやで、しみじみ実感する間がなかった。

 

チャンミンが待っていると思うと落ち着かなくて、慌ただしいシャワータイムとなった。

 

俺と入れ替わりにチャンミンも風呂に入るのかと思ったら、「家で入ってきた」とのこと。

 

(俺の部屋に来るまで時間がかかったのも納得。荷造りに入浴、食材調達。さぞ忙しかっただろうに)

 

チャンミンのリュックサックから、タオルだの洗面ポーチだのパジャマだのが出てくる。

 

洗面所から(俺の前で着替えるのは恥ずかしいんだって)出てきたパジャマ姿が可愛いのなんのって。

 

お次は、チャンミンはどこに寝るかでひと悶着あった...。

 

 

 

 

こんな具合に『チャンミン看病日記』を事細かに説明していったら、なかなか本題に入れない。

 

これでも端折ったつもりだ。

 

イチゴ柄のパジャマだったとか、化粧水を塗ってテカテカに光った顔が可愛かったとか、洗いっぱなしの髪になるとやっぱりいい男だったとか...のろけ話なんてウメコにはどうでもいいのだ。

 

俺とチャンミンはひとつベッドで就寝したのかどうか...これもウメコにとってどうでもいいことなんだ。

 

俺たちがヤッたのか、その直前まで進んだのか、その内訳と感想も含めてウメコは知りたいのだ。

 

結論から言うと、ヤッていない。

 

省略しようにもヤッていないのだから、どんなベッドタイムを過ごしたかなんて話しようがないのだ。

 

「なぜ本番まで至らなかったのか?」までを説明していたら夜が明けてしまうので、後回しにさせてもらう。

 

そろそろ本題に入りたいと思う。

 

ウメコなんて半眼になってウトウトしている。

 

微熱はあるが俺の体調はまあまあで、その気になればヤろうと思えばできたし、本番までいかなくてもいちゃいちゃは出来たはずだ。

 

ところが、それが出来なかった。

 

ちなみにあの夜は、俺はベッドに、チャンミンは持参してきた寝袋で寝た。

 

 

(つづく)

 

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