(4)会社員-愛欲の旅-

 

「ちょっと熱があるだけだよ!」

 

俺の額に当てられたチャンミンの手の平に異常に照れてしまって、払いのけてしまった。

 

直後、「しまった!」「フォローせねば!」と思ったところ...。

 

(チャンミンはガラスのハートの持ち主なのだ。俺基準だと)

 

「おおっ!?」

 

視界が1段下がり、俺の両足が空に浮いた。

 

「待てっ、チャンミン!」

 

チャンミンの奴、俺をお姫様抱っこしたのだ。

 

「暴れないで下さい!

ちゃんとつかまって!」

 

びしっと言われて、俺は大人しくチャンミンの首に腕を回した。

 

玄関先からベッドまでのわずか数メートルを、なぜかお姫様抱っこで運ばれている俺。

 

鍛えているらしいチャンミン、長身の俺を軽々と持ち上げた。

 

チャンミンは俺をベッドに下ろすと、

 

「ユンホさん。

このシムチャンミンに全てをゆだねて下さい」

 

と、「任せとけ」とばりに胸を叩いてみせた。

 

重病人扱いされているが、実は大してキツくないとは言い出せない。

 

「滋養に満ちたものを作りますね」

 

チャンミンは腕まくりをし、持参してきたエプロンをつけた。

 

鼻歌を口ずさみながら、スーパーの袋の中身をキッチンカウンターに取り出している。

 

「ホームパーティでも開くのか?」レベルの食材の多さは予測通りだったが、ボストンバッグから土鍋を出してきた時には、「マジか...」とつぶやいてしまった。

 

(バスタオルに包んだ黒い土鍋を目にした時、一瞬スッポンかと思ってしまった。

 

『滋養』の言葉と、何事も極端なチャンミンならスッポンくらい調達してくるのでは?と。

 

『ユンホさん。

スッポンの生き血は精力に効くそうです』

 

『俺はただの風邪。

精力つけてどうすんだよ?』

 

『そうりゃあ、もう...ごにょごにょ...』

 

『え!?

そのつもりだったの?』

 

『ユンホさんの、馬鹿ぁ。

そうに決まってるじゃないですか。

ぼ、ぼ、僕らも、そろそろ肉体関係を結ぶステージに来ていると思うのであります』

 

『よ~し。

これを飲んで、体力回復、精をつけるよ』

 

『ぐふふふ。

ユンホさんが激し過ぎたら...大丈夫かなぁ、僕?』

 

...みたいな?)

 

妄想力がすごいな、俺...熱に頭をやられたんだな。

 

ベッドに横になっていなければならない程、体調が悪いわけじゃない。

 

食事が出来上がるまでの間、TVでも観ながら待つか。

 

俺が住んでいるアパートは、カウンターキッチンになっている。

 

だから、クッキング中のチャンミンを存分に観察できるのだ。

 

「ねぇ、チャンミン。

何作ってんの?」

 

「内緒です」

 

「ふぅん、楽しみだなぁ」

 

料理本まで持参してきたようで、各工程ごとに手を止め、レシピを確認しているようだ。

 

この時、眉をひそめ、ぶつぶつとつぶやきながらだったから、俺にはメニューがバレバレなのだ。

 

「輪切りにしたキュウリを塩と胡椒で味を調え...三倍酢で和えてごま油で(サラダか?)...香りづけに柚子皮を...ええっ、柚子なんて聞いていませんよ...うーん、オレンジでいいでしょう。

 

くし切りした玉ねぎを透けるまで炒め...乱切りにしたジャガイモと人参を加えて...別のフライパンで焼き色をつけた牛肉を...どうしてここで肉が登場するんですか!?...火を消して、牛肉を炒めましょうか...(カレーか?)

 

弱火にしてヘラ等で焦げ付かないようかき混ぜる...アルコールの香りが消えたところで、あらかじめ溶かしておいた小麦粉を加える...漬け置いたおいたラム肉を(いつの間に!)...落し蓋で煮込んだのち...180℃に温めておいたオーブンで...もぉ、もっと早く教えてくださいよ(一体何を作っているんだ?)

 

あちっ、あっちちち!

 

チーズおろし器で...困りました、持ってくるのを忘れました...普通のおろし金で代用...ごそごそ...ユンホさんちには無いんですか!?...ふむ、根性で刻みましょう。

 

ニンニクをよく炒め、湯通ししておいたウナギに...ふふふ、バッチリです...4の工程で揚げた牡蠣を...4の工程?おお!見落としてました...ざく切りしたニラをさっと炒め...最後に素揚げした丸ごとニンニクを散らす(チャンミンよ...俺に精をつけさせて、どうするんだよ)」

 

風邪っぴきの俺の為の、消化の良いお粥はどこいった?

 

土鍋はどこで使うんだ?

 

「盛りつけたら最後の仕上げ。

LOVE注入...ぐふふ...なぁんてね」

(古い!古いよ)

 

俺と目が合ったチャンミンはペロッと舌を出してみせた。

 

か、可愛い...。

 

 


 

 

「...ユノ。

チャンミン君が手料理を振舞ってくれた...私はね、そ~んな話を聞きたいわけじゃないのよ。

のろけ話をどれだけ憎んでいるか、あなた知っているでしょう?」

 

前置きがやたら長いチャンミンの癖が移ってしまったみたいだ。

 

「悪い。

お前はトラブル話が三度のメシより好きだからなぁ?」

 

「人聞きの悪いこと言わないで頂戴。

私が聞きたいのは、チャンミン君があなたにソーニューしたのかどうか!

ここ『だけ』を微に入り細にわたって教えて欲しいのよ」

 

「お、俺がなんで『ウケ』なんだよ!?」

 

「...面白いから」

 

「おい!

俺とチャンミンで好き勝手に妄想するんじゃない!」

 

「小鹿みたいな可愛い子ちゃんがね、オラ系のあなたにぶち込むのよ。

きゃあぁぁぁ、これぞBLの醍醐味」

 

ここで俺ははたと気付かされる。

 

そっか...俺とチャンミンの恋は、ノーマルな者から見るとマイノリティに属するのか。

 

俺には全く抵抗がない。

 

だって、好きな気持ちは止められない。

 

俺がチャンミンに惹かれるようになった最初のきっかけはルックスだ。

 

綺麗なものは綺麗なのだ。

 

ところが早い段階で、見た目以上に彼のキャラクターから目が離せなくなったのだから。

 

 

(つづく)

 

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(3)会社員-愛欲の旅-

 

 

会社員とは雇われ人なわけで、従順に頭と体を動かせるだけじゃなく、融通をきかせられる柔軟さ、ある程度の適当さが必要だ。

 

さらに、職場での人間関係を円滑にするために、たまにプライベートな面をチラ見せさせる余裕も必要だ。

 

そうでなくっちゃ、週の40時間以上過ごす場、堅苦しいだけで息が詰まる。

 

それじゃあ、チャンミンはどうかというと、彼の場合、まっとうな会社員の仮面をかぶるのが非常にうまい。

 

オフィシャルな場とプライベートな場とのギャップが著しい。

 

仮面どころじゃない、フルフェイスのヘルメットレベルなのだ。

 

俺のデスクからボールペンが10本以上見つかって、備品を管理しているチャンミンにこっぴどく叱られることもしょっちゅうだ。

 

給湯室のポットの水を空にならないよう気をつけていたり。

 

(『お湯が減ったら補充しましょう』の注意書きなんて誰も守らない。もちろん、その張り紙はチャンミンが掲示したものだ)

 

共用冷蔵庫に突っ込んでおいた徳用アイスクリームの箱を見つけ出しては、「ここはユンホさんのお家じゃないです!」とぷりぷりしたり。

 

USB電源のおひとり様用加湿器をたきながら(女子か?)、目にも止まらぬスピードでキーボードを打つ丸まった背中と丸い後頭部を目にして、俺はきゅんとする。

 

仕事ぶりは真面目、事務能力は抜群だ。

 

課内の誰に対しても敬語で、就活生みたいなスーツを着て、七三分けのダサい髪型をしている。

 

何事もきっちりはっきり、ピンセットでつまむみたいに細かい奴なんだけど、いざ素の姿を見せると面白いのなんのって。

 

ウィットに富んだジョークを飛ばして、遊び心を忘れない...っていうんじゃなくて、ちょいズレているんだ。

 

その微妙なズレ具合はつっこみどころ満載なんだけど、それにいちいち反応を見せてたら疲れてしまう。

 

プライベートタイムを共に過ごしたことは未だないから、職場を離れたチャンミンを早く見たいなぁと思っている。

 

先週、プライベートの片鱗みたいなものを垣間見ることができた。

 

狭い車内で12時間以上の時を過ごしたのだが、全然退屈しなかった。

 

 

 

 

「...遅いな...」

 

「ユンホさんちに駆けつけますから」と通話を一方的に切ってから、はや2時間が経過している。

 

会社からここまで1時間もかからない。

 

俺にお粥でも作ってやろうと、食材を買い込んでいるんじゃないかな、と思ったのは、チャンミンは料理好きな一面があるからだ。

 

俺の為に、愛情弁当を作ってくれるくらいだ。

(初日のピクニック弁当には、ウケたし困った)

 

窓ガラスの向こうは濃い紺色で、真隣に立つマンションの外廊下の蛍光灯が一列に灯っている。

 

周囲の家々では夕飯時、表の通りでは家路を急ぐ者が闊歩しているだろう。

 

俺はベッドから起き上がり、開け放ったままだったカーテンをひき、部屋の照明をつけた。

 

頭も身体も若干だるいが、昼間より楽になっていた。

 

額と首筋にふれると、微熱程度か。

 

酷い風邪をひいたのではと、体調管理のできない大人は常々カッコ悪いと思っていた俺だったから、安堵した。

 

空腹を覚えて、常備しているカップ麺を食べようとお湯を沸かしかけて、

 

「おっと...」

 

すぐさまガスを切った。

 

腹がいっぱいでチャンミンの手料理が食べられないとなったら、困る。

 

落ち着かない俺はTVをつけかけたところで、腰かけたソファから立ち上がった。

 

ソファの背もたれにひっかけた、取り込んだままの洗濯物に気付いたからだ。

 

まとめて抱えてクローゼットに放り込む。

 

そして、キッチンの流しに溜まった食器を洗いながら、初めて彼女を部屋に呼ぶ時みたいじゃないか、と自分にくすりとしてしまう。

 

洗面所の床に落ちていた靴下の片割れを拾い上げていた時、ドアチャイムが鳴った。

 

チャンミンだ!

 

 

 

 

「ユンホさん!!」

 

インタフォンのディスプレイに、チャンミンのどアップの顔が。

 

鼻をくっつけんばかりにカメラを覗き込んでいるらしい。

 

画質の悪いモノクロの映像でも、目鼻立ちのはっきりしたいい顔をしているのがよく分かる。

 

「ユンホさん!

早く開けてください!」

 

電話でもそうだったが、今の口調も怒っている風だったから、何に腹を立てているんだ?と首を傾げながら、ドアを開けた。

 

玄関先に立つチャンミンからは外の匂いがして、まとった空気は冷たく、鼻と頬を冷気で赤くしていた。

 

「ユンホさん!

なんで起きてるんですか!」

 

顔を合わせるなりの咎めの言葉に、

 

「え?

チャンミンが来たから鍵を開けないと...」

 

と答えた。

 

「い~え。

鍵は開いてました」

 

「鍵閉めるのを忘れたんだなぁ」

 

体調が悪すぎて、部屋に入って直ぐベッドに直行したからだ。

 

「無用心、無用心ですよ!」

 

「そのまま入ってこればいいじゃないか」

 

「こっそり入ったらコソ泥に間違われますし、僕らは交際したてのカップルです。

親しき中にも礼儀ありです!

不法侵入するわけにはいきません!」

 

「俺がドアを開けなきゃ、チャンミンが入って来られないだろ?」

 

「ふむ。

その通りですけど。

...ああっ!

ユンホさん、裸足じゃないですか!?」

 

ぷりぷりしながらチャンミンは、手にした荷物を床に置いた。

 

(...え...?)

 

「...お前...家出でもしてきたのか?」

 

「やだなぁ、ユンホさん。

僕は一人暮らしなんですよ?

自分しかいない家から家出してどうするんですか?」

 

俺がまるで(チャンミンにちゃんと通じる)ジョークを飛ばしたかのように、チャンミンはくすくす笑っている。

 

俺が一瞬絶句したのは、チャンミンの大荷物っぷりだ。

 

食材がたっぷり詰まったスーパーの袋は予想通りだが...。

 

背中にはリュックサックを背負っているし、大きなボストンバッグもある。

 

「荷物が多すぎやしないか?」

 

「はい。

お泊りグッズと着替えをとりに、一度家に寄ったのです」

 

どうりで時間がかかったはずだと納得した。

 

「チャンミン...俺んちに住みつくつもりか?」と言いかけて止めた。

 

ん...?

 

...お泊りグッズ?

 

「俺んちに泊まるつもりなのか?」

 

「あたぼうです」

 

チャンミンは寝ずの看病をするつもりで参上してきたのだ。

 

胸がきゅんとしてしまうではないか。

 

 

(つづく)

 

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(2)会社員-愛欲の旅-

 

 

チャンミンとの深夜残業を終えた日、俺は風邪をひいてしまった。

 

運転席で眠るチャンミンにコートをかけてやるという、カッコつけた行為の結果が風邪っぴきだ。

 

寝不足、というのもある。

 

ぞくぞくと寒気がする、これはもしかして...と嫌な予感を抱えて、なんとか午前中の業務を終えた。

 

体調は悪くなる一方で、帰社する必要はないと判断した俺は、午後には真っ直ぐに帰宅することにした。

 

無理せず布団にもぐりこんで、さっさと寝るに限る。

 

デキる男チョンユンホ、体調不良を押してのパフォーマンス悪い仕事するべからず、周りに伝染すべからず。

 

とは言え、平日の昼間どきに、自宅のアパートのベッドに横になっているのも落ち着かないものだ。

 

熱を出すと世界が1枚膜を通したかのように、ふわふわと現実じゃないみたいだ。

 

レースカーテンを透かした日光によって、部屋に舞うほこりがよく分かる(休日に掃除をしなくては)

 

今頃チャンミンは、どうしてるかなぁと想像してみた。

 

無遅刻無欠勤だったチャンミンの、初めての遅刻。

 

真っ赤な顔でこそこそと出社して(抜き足差し足で)、PCを立ち上げデスクに散らばったプリント用紙を「未」とテプラを貼った書類ケースに入れる。

 

デスクにぺたぺたと貼られた付箋をチェックし、要点を欠いたメモ書きに、「5W1Hの基本がなっとらん」と眉間にしわを寄せる。

 

そして、七三分けを撫でつけ、肩をぐるんと回し、長い首を左右にこきこきやって、「よし!」と自分に喝を入れたのち、仕事開始だ。

 

うん、きっとこんな感じに違いない。

 

ここまで細かに想像できる俺。

 

やれやれ、やっぱり俺はチャンミンに参っているんだと、あらためて実感した。

 

「......」

 

先ほどから枕元で振動を続けるスマートフォン。

 

これで7回目(しつこい奴だ)

 

得意先からの電話だったりしたら、現場に駆け付けなくてはならなくなる。

 

5コール目で留守電に切り替わるからと、俺は無視を続ける。

 

それくらい俺の身体はしんどかったのだ。

 

電源を切ってしまおうか、と手を伸ばした際、うっかり通話ボタンをタップしてしまったらしい。

 

「ユンホさん!!!!!」

 

スマホを耳から遠ざけねばならないほどの、大声。

 

電話に出るなり怒鳴られて、画面に表示された発信者名に、スマホを取り落としそうになってしまった。

 

(チャ、チャンミン!!!!)

 

「...はい」

 

スピーカーフォンに切り替えた。

 

もっといい感じに出ればいいのに、他人行儀な、営業電話に出るかのような固い声...照れ臭かったのだ。

 

「ユンホさん!!!!」

 

スピーカーの音が割れるほどの大音量。

 

「ああ」

 

「どこいっちゃったんですか!?

まだ帰ってこないんですか?」

 

時刻を見ると17:30で、いつの間にか3時間ばかり眠っていたようだった。

 

「今日は社に戻らないんだ、直帰の予定」

 

「えええっ!!

聞いてませんよ」

 

「そりゃそうだ、言ってないからな」

 

「ユンホさんのお帰りを待っていたんですよ!」

 

チャンミンと約束していたっけ?と記憶をたどってみたが、それらしい会話はしていないはず。

 

俺の返答に大いにお気に召さなかったらしい、電話の向こうでムスっとしているのが、目に浮かぶ。

 

体調不良の今、チャンミンの相手をするほどの気力がなく、「今、出先なんだ。切るぞ」と通話を打ち切ろうとしたが...。

 

「僕っ...仕事帰りにユンホさんと、カフェーにでも行こうかと...。」

 

「ごめん、そっか...」

 

俺とチャンミンは、そういえば『交際』しているんだった。

 

肩を並べて帰宅する...放課後の高校生かよ、と思ったけど、もちろん口には出さない。

 

「どこにいるんですか?」

 

「えっと...G町のあたりかなぁ(嘘)」

 

「今から、そっちに行きます!」

 

「いや、来なくていいよ。

遠いし...」

 

「いいえ!

行きます!」

 

「来なくていい。

この後、用事があるんだ」

 

「...用事って、何ですか?」

 

「いや...いろいろと...」

 

「いろいろって...仕事に関係することですか?」

 

「...個人的なことだよ」

 

「『個人的』...」

 

しまった...話をややこしくしてしまったようだ。

 

正直に、自宅で寝ていると言えばよかったのだが、チャンミンに心配をかけてしまう。

 

ネガティブ思考のチャンミンは恐らく、「超」心配性とみた。

 

面倒がる俺を、救急外来に引っ張っていきそうだ。

 

「...どなたかと、デートですか?」

 

恨みと不安のこもった低い声で、ぼそっとつぶやいたチャンミン。

 

「はあ?

デートって誰と?

んなワケないだろう?」

 

「じゃあ、どうして僕がそちらへ行くのを渋るんですか?」

 

「だからさ、チャンミンも疲れてるだろう?

ほら、昨夜はちゃんと寝てないし。

寄り道しないで、まっすぐ帰りな、な?」

 

「ユンホさん、僕は胡麻化されませんよ?

遠かろうと、寝不足だろうと、僕はユンホさんに会いに行きます!

お休みの計画を立てないと!

昨日、打ち合わせをしようって、食堂でお話しましたよね?」

 

そんなような会話をしたようなしてないような...。

 

「あ...!」

 

今さらながら思い出す、次の休日つまり明日、チャンミンと初デートの予定だったことを!

 

「思い出しましたか?」

 

「...ごめん」

 

チャンミンのご機嫌が悪くなるはずだ。

 

このまま適当な言い訳で胡麻化すよりも、正直に話してしまった方が話は早いと判断した。

 

「ごめん、今さ、家にいるんだ」

 

「どうしてですか?」

 

「う~ん...。

風邪ひいたみたいでさ、早退したんだ。

だから、今日はごめん、お前とカフェーには行けない」

 

「......」

 

嘘ついたことを怒ってるんだろう、チャンミンは無言だ(冗談とか、取り繕うための嘘とか、チャンミンはいかにも嫌いそうだから)

 

「...僕のせいですね?」

 

「チャンミンのせい?

なんで?」

 

「ユンホさん、僕に上着をかけてくれましたよね?

寒かろうに、って。

そのせいです。

...申し訳ないことをしました」

 

「チャンミンのせいじゃないさ。

最近忙しかったし、不摂生がたたったのかもしれないし。

だから、チャンミンのせいじゃないよ」

 

「......」

 

「チャンミン?」

 

俺の呼びかけに応えないチャンミン。

 

「お前のせいじゃない」

 

「合点しました!」

 

「!!!」

 

「ユンホさん、待っててください。

僕が今から助けにいきます!」

 

「来なくていい!」

 

「どうしてですか!?」

 

「チャンミンの相手ができるほど、俺は元気じゃないんだ。

熱もあるし、横になっていたいんだ」

 

「えええっ!!!!

重症じゃないですか!?」

 

「ただの風邪だって。

明日には治る!」

 

「今から駆け付けます!

ユンホさんの自宅は分かってますから」

 

「え...?」

 

「ユンホさんの誕生日と一緒に、ご住所も記憶してますので。

ほら、免許証のコピーを取った時に、見えてしまったのです。

見ようと思ってみたわけじゃないですからね」

 

「...そっか」

 

チャンミンは視覚的記憶に優れている、と心のチャンミン録に新たなメモ書きが加わった。

 

「超特急で向かいますからね。

ベッドで大人しくしていてくださいね。

あ...!

ユンホさんは敷布団派ですか?

とにかく、布団でネンネしているんですよ」

 

そこまでまくしたてたチャンミンは、ブツッと通話を切ってしまった。

 

「はぁ...」

 

疲れる...疲れるけど、チャンミンにこれから会えるのか。

 

体調不良で心細くなっていたところに、恋人がお見舞いに来てくれるとは。

 

ウキウキしている自分がいた。

 

「そっか...チャンミンは俺の恋人なんだよなぁ...」

 

 

(つづく)

 

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(1)会社員-愛欲の旅-

「で?」

 

「『で?』って、何の『で?』だよ」

 

カウンターの向こうで、ウメコは塗りたてのマニキュアの爪にふっと息を吹きかけている。

 

酒瓶を並べた棚の上に置かれたTVから、任侠映画が流れている。

 

店を入って右手に3メートルほどの長さのカウンターがあるきりのこぜまい店内で、客は俺ひとり。

 

俺はどろどろに甘ったるいカクテルをすすっていた。

 

ウメコというのは学生時代からの友人で、彼が脱サラしたバー『ウメコ』に週一ペースで顔を出すくらいの仲だ。

 

彼、と言ったのは、青々しい髭の剃り跡が厚化粧でも隠し切れない証拠に、ウメコは男。

 

俺とウメコは“そういう関係”ではない。

 

原則として、俺の恋愛対象は女性だ。

 

『原則として』と前置きしたのは、現在進行形の恋愛が『例外』に近いものだったから。

 

俺は今、同僚のひとりに真剣に恋をしていた。

 

その同僚の名前はチャンミンといって、年齢は俺と同じくらい。

 

『例外』と言ったのは、名前の通りチャンミンは男なのだ。

 

しかも、単なる男ではなく、軌道が数ミリズレたところを爆走する変わり者なのだ。

 

トリッキーな見た目と言動をする、という意味じゃない(髪型や服装はダサいが)

 

こういう受け答えが一般的だろうと予想したものとは違うリアクションが、ワンテンポ遅れたタイミングで返ってくる。

 

どんな変化球でも落とさず食らいついてゆこうとなれば、正面切って彼と向き合う必要がある。

 

そうなのだ。

 

俺は正々堂々と、全力でチャンミンと恋をしようと心に決めたのだ。

 

とはいえ、男を恋愛対象とするのは初めて。

 

この恋は片想いの段階はとうに済んで、俺とそいつは『お付き合い』しているところまで進展しているのだ。

 

(ここまでの経緯を語ると長くなるので、割愛する)

 

交際したてのホヤホヤ期なのにもかかわらず、俺が今、旧友の前でため息をついているのには訳がある。

 

 

 

 

「チャンミン君とヤッてどうだった?」

 

「......ヤッてないよ」

 

ぼそっとつぶやいて俺は、カウンターテーブルに身を伏せた。

 

ウメコの店に来ると大抵俺は、愚痴ってばかりだ。

 

オフィシャルな俺は人付き合いのよい、明朗快活、ポジティブシンキングな人物に見られている。

 

もし、まんまその通りだったら、単なる能天気な幸せ者だ。

 

(チャンミンの場合、俺よりも屈折した奴なので、彼のキャラについてはおいおい説明する)

 

俺にだって悩みはあるし、同僚、後輩たちに愚痴るわけにもいかず、独身だから部屋には誰も待っていない。

 

だからこうやって、弱みを見せられて、愚にもつかない会話、お友達価格で俺好みのドリンクを出してくれる場所は貴重なのだ。

 

「うっそぉ!

あの電話の後、てっきりあなたたちヤッたんだと思ってたのよ!」

 

「できるかよ!」

 

ウメコは呪術研究家で、怪しさ満点の丸薬や呪文の新作が生まれるたび俺を実験台にしてきた(これも説明が長くなるから省略する)

 

先日は、『元気が出る』呪文を教えてもらったところ、俺が唱えるべきものを、何をどう間違ったのかチャンミンが唱えてしまった。

 

そうしたところ、あら大変。

 

見た目はバンビで、下半身は虎になってしまった。

 

(あまりのトラぶりに、パンツを脱いでもいないのにアメパトに捕まってしまった)

 

マグマのように煮えたぎるヨクボウを処理しきれなかったチャンミンは、ショートしたみたいにプツン、と色っぽいシーンから離脱してしまった。

 

(ヨクボウとは、『欲棒』ではなく『欲望』だから、お間違えないよう。似たような意味だから、どっちでもいいか)

 

俺の方も同様で、男の身体をまさぐるのも初めてだったし、初めてを社用車でいたすのはちょっと、ムードがない。

 

『俺たち、好き合ってるんだよね?』

『はい、僕はユンホさんが好きです』

『次の休み、デートしようか?』

『わぉ、楽しみです。でも...初デートでえっちは早いですよ?』

『もぉ、チャンミンこそえっちだなぁ』

『いやん、ユンホさんったらぁ』

 

...みたいな段階にはきていた。

 

(実際にこんな会話があったわけじゃなく、こういう関係性という例え)

 

だから、ほっとしたのだ。

 

知識はあるけれど、それを実行に移せるかどうかは甚だ自信がない。

 

だからといって、ハウツーについてその手のエキスパートであるウメコに伝授してもらう為に、ここに来ているわけではないのだ。

 

「確かに、車の中は狭いわよねぇ...。

あなたもチャンミン君も大きいからね」

 

それほど酒に強くない俺の為に、氷水を手渡しながらウメコは言った。

 

「言っとくけど、この『大きい』ってのは背の高さのことよ。

アソコのことじゃないから」

 

「おい!」

 

「あなたのサイズは、修学旅行でも、野郎どもでくだまいてた部屋でもさんざん見たから知ってるけど...。

チャンミン君の方は、どうかしらねぇ...。

Petitでも可愛いし、あの顔であなた以上のサイズだったら、それはそれで...」

 

「おい!

チャンミン相手にやらしい妄想をするなって!」

 

ニヤニヤ笑うウメコの肩を突く。

 

チャンミンの股間に関しては、社用車の中でなんとなくのサイズ感は確認済なのだ。

 

「で、ユノの相談事っていうのは、方法をレクチャーして欲しいってことね?」

 

「やり方くらい分かってるよ!」

 

『...頼む、ワシを男にしてくれ』

 

と、頭上のTVでヤクザ山守の名台詞が...。

 

ウメコはTVのボリュームを下げた。

 

「じゃあ、何に困ってるのよ?」

 

ウメコ相手に遠回しで開示していたら、茶化されるだけで話が進まない。

 

具体的な例を挙げながら順を追って、説明していこう...よし。

 

グラスに残ったカクテルをぐびっと一息で飲み干した。

 

「俺んちにチャンミンが来たんだ」

 

ひゅうっとウメコの口笛。

 

「...で、不発だったの?」

 

「俺の話を最後まで聞けったら。

成功したとか不発だとか、そういうんじゃないんだって」

 

「性交?」

 

「そっちのセイコウ、じゃない!」

 

 

(つづく)

 

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