(7)19歳-初恋-

 

 

 

チャンミンと全く同じ姿形をしたものが出荷を待っている光景を想像して、俺はしばしの間放心していたみたいだ。

 

「ユノ?」と、ドンホに腕をひかれてハッとする。

 

次の指示を待つチャンミンが、ベッドの足元に立っていた。

 

「チャンミンはもう寝ておいで」

 

今夜の俺はドンホと一緒だから、チャンミンとは寝られない。

 

「でも...まだ9時ですよ。

夜食を用意しましょうか?」

 

「要らないよ」

 

「もう一枚、毛布を持って来ましょうか?

風邪をひきます」

 

ぐずぐずと部屋にとどまるチャンミンに、俺はイライラしてきた。

 

「もういいったら!」

 

俺の鋭い声にビクッとしたチャンミンは、怯えた目で俺を見る。

 

キツイ言い方をした自分に後悔して、俺は声のトーンを落として優しく言った。

 

「今日は疲れただろう。

送り迎えとか、クッキーとか...ありがとう」

 

「ユノのためなら」

 

満面の笑みを浮かべたチャンミンに、俺は胸苦しさを覚えた。

 

俺の言動のひとつひとつで、チャンミンを振り回すことができる。

 

チャンミンは俺の宝物で大好きなのに、たまに邪魔に思う自分がいるのも確かだ。

 

「おやすみなさい」

 

廊下の灯りで寝室の床にチャンミンの長い影が伸び、ドアが閉まるまでの彼の背中を見送った。

 

丸まった肩が気落ちしているように見えて、彼に悪いことをしてしまったと、内心で謝った。

 

チャンミンに対して罪悪感を持ってしまうのは、一瞬でも彼を邪魔だと思ってしまったことなのか、それとも別の何かなのか。

 

寝室の灯りは落とされ、並んで横たわった俺もドンホは、無言で天井を見つめていた。

 

好きな人が俺の隣に横たわっている今この時に、俺は意識を戻した。

 

「ねえ、ユノ」

 

頭を傾けて、正面を見上げたままのドンホの横顔を見た。

 

少女のような優しい横顔だった。

 

「僕からの手紙...うっとおしくない?」

 

週に2度、3度と屋敷に届くドンホからの手紙が、どれだけ俺を楽しませているか。

 

「ううん。

すごい嬉しいよ」

 

引っ越した先の土地や新しい学校の様子、暮らしぶりについて、ドンホは事細かに綴ってくれていた。

 

俺の方も夜、デスクに向かってカリカリと便せんに文字を埋めていくうちに、自分の思考が整理されていった。

 

日々の暮らしで見過ごしてしまいがちな、出来事の裏に隠れている小さな幸せ、疑問を追求した末見つけた答え。

 

俺と同級生たち、俺と教師たち、俺と同級生の親たち...俺を取り囲む世界は、まだまだ狭いものだろうけど...当時の俺にとっては、全てが新鮮だった。

 

変化に敏感になること...チャンミンが癖づけてくれたんだ。

 

ただ漫然と目を動かしているだけじゃ気付けない物事を、細やかにキャッチできるセンサーをチャンミンが育ててくれたんだ。

 

電話で話せば早いし、言葉のニュアンスも正確に伝わるのに、俺たちは手紙のやりとりという繋がりを大切にしていた。

 

「ユノ」

 

衣擦れの音と共に、ドンホが俺の方に寝返りを打った。

 

男と女、男と男が寝床で何をするものなのかの知識くらいある。

 

胸がドキドキした。

 

照れくさくて、鼻の上まで毛布を引っ張り上げた。

 

ドンホも同じことをした。

 

俺たちは向かい合わせになって、クスクス笑う。

 

ドンホと共に過ごした学校生活も、わずか2か月ばかりのことで、とても濃密な時間だった。

 

だからよかったのかもしれない。

 

接近し過ぎると、何もかもを見つけてしまうから。

 

家族以外のある特定の人間と、それが例え友人であったとしても、長期間、関係を保つ経験のない俺だった。

 

校内には友人は沢山いたけど、俺の場合は、広く浅く、だ。

 

だからドンホの登場は、俺にとっても未経験の関係性だった。

 

こうした俺の緊張感を、ドンホは感じとっていたんだろうな。

 

ドンホの方も、数か月おきの転校を繰り返す生活をずっと送ってきた。

 

誰かと長い時間、過ごすことに慣れていないのだ。

 

俺とドンホの繋がりとは、手紙のやりとりのように、淡く礼儀正しいものなんだ。

 

俺はドンホに恋心を抱いていたし、同時に彼の人格や存在感を尊敬していた。

 

この先ずっと長く、この憧れに近い情を途切れることなく抱き続けたい。

 

「おやすみ、ユノ」

 

「おやすみ、ドンホ」

 

家を離れて知ったのは、社交的な自分の存在だった。

 

屋敷に閉鎖されて育ってきたわりに、人の輪の中へ怖気付くことなく入ってゆけた。

 

その場の空気を読んで、相応しい言葉や表情を作ることができた。

 

今になって分かることだが、そういう術をいつの間にか身につけていられたのも、チャンミンのおかげだと思う。

 

ドンホとの交流を通して分かったことがもうひとつ。

 

どれだけ接近しても、どんな姿を見せても、幻滅することがあり得ない存在は、チャンミンしかいない、ということだ。

 

 

 


 

 

日曜日の夜、俺は寮に戻る。

 

ヘッドライトが針葉樹林を切り開いたくねくね道を照らす。

 

チャンミンは、俺が眠っていると気を遣って終始無言だった。

 

チャンミンの運転は丁寧だった。

 

サイドウィンドウに傾けていた頭を正面に戻し、俺は目をつむって楽しかった2日間を思い起こしていた。

 

この日は、敷地内の池でボート遊びをした。

 

数年前の真冬に、チャンミンが突き落とされたあの池だ。

 

チャンミンは俺たちのボートがひっくり返らないか心配して、桟橋に突っ立って俺たちの姿を目で追っていた。

 

「おーい」と手を振ると、チャンミンも振り返す。

 

「ねえ、ユノ。

もしかしたらチャンミンも、ボートに乗りたいのかもしれないよ?」

 

ドンホの指摘に、俺は「気が利かなくて駄目だなぁ」って笑った。

 

「お2人の邪魔をするわけにはいきません」と首を振るチャンミンだったけど、その目はキラキラと嬉しそうだった。

 

「チャンミン...怖いのなら、嫌だって言わないと駄目じゃないか?」

 

「す、すみません」

 

生まれたての仔鹿のようにぷるぷると震えているし、ボートのヘリを握るチャンミンの指先が真っ白だった。

 

あの出来事がトラウマとなって、チャンミンはこの池が怖いんだ。

 

「チャンミンは僕たちと一緒にいたかったんだよね?」

 

そう言って、ドンホはチャンミンの手を握った。

 

「はい」

 

素直に認めるチャンミンも可愛かったし、優しいドンホも素敵だった。

 

俺が漕ぐオールが、なめらかな水面を切り分け、波紋を次々と作り出す。

 

俺もドンホもチャンミンも、3人とも笑顔が光っていた。

 

池の向こう岸に着くなり、小枝をかき集め出し、俺とドンホに口うるさく指示をしながら焚火を熾したり、ブランケットを敷く位置までこだわりだしたチャンミン。

 

子供の俺たち以上に、チャンミンは楽しそうだった。

 

チャンミンのイキイキとした表情に、前日はチャンミンを留守番させて悪かったな、と思った。

 

お気に入りの赤いブランケットの上に、チャンミンが用意した弁当を広げた。

 

食いしん坊のチャンミンのために、マシュマロを焼く俺。

 

焚火にかざしたマシュマロの白、ぷくりと膨らんで焦げた匂い、とろける甘さ。

 

熱々のマシュマロで舌を火傷してしまったチャンミン。

 

痛がるチャンミンに、よく冷えたアイスティーを飲ませるドンホ。

 

幸せだった。

 

 

 

 

薄目を開けると、フロントガラス向こうに正門が見えた。

 

寮に帰ることが、こんなに気が重いのは初めてだった。

 

煌々と点いた正門の外灯が車内を照らしている。

 

その灯りが、ふっと遮られた。

 

あっと言う間のことだった。

 

俺の唇に重ねられた柔らかなもの。

 

「ユノ。

着きましたよ」

 

チャンミンに肩をゆさぶられて、俺はたった今、目覚めた風を装った。

 

目をこすって、あくびの真似までした。

 

「部屋まで運びます」

 

「一人で大丈夫だよ。

チャンミン、気をつけて帰るんだよ」

 

「はい」

 

「ケモノが飛び出してくるかもしれないから、気をつけるんだよ」

 

チャンミンは、「ユノったら、僕のお兄さんみたいですね」とクスクス笑った。

 

チャンミンの車のテールランプが見えなくなるまで、俺は正門前に立ち尽くしていた。

 

俺のファーストキスは、チャンミンに奪われたのだ。

 

 

 

(つづく)

 

 

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(6)19歳-初恋-

 

 

 

俺は暗闇の中で、膝を抱えて座っていた。

 

そこはクローゼットの中で、5センチほど開いた隙間から外を覗いていた。

 

真正面に寝台があって、その上で3人分の肌色が折り重なり、くねくねと動いていた。

 

男の人の1人目が四つん這いになって、その上に2人目、3人目とのしかかっているんだ。

 

12歳になるまでは、彼らが何をしているのか俺には理解できなかった。

 

大人の男の人は、裸になってこういうことをするものなんだと思っていた。

 

そんなことをする目的が分からなかった。

 

分からないのに、じんじんと股間が重く痺れていて、そこに手が伸びてしまうのを止められずにいたのだ。

 

でも、中学に進学して、外の世界を知るようになった俺は、彼らが何をしているのか理解できる。

 

一番後ろにいた男のひとりが立ち上がると、俺がいるクローゼットに近づき、一気にその扉を開けた。

 

「やあ、ユノ」

 

叔父さんの眼は笑っているのに、俺の背筋に寒気が走る。

 

「そろそろお前も仲間入りするか?」

 

恐怖で俺は首を振るのがやっとで、叔父さんに腕を引っ張られるまま立ち上がった。

 

「おやおや...これは酷いね。

義兄さんに?」

 

俺は頷いた。

 

俺のお尻にできた折檻の痕に、叔父さんは憐れみの視線を向けた。

 

「何をしでかしたの?」

 

「......」

 

何が父さんの逆鱗に触れたのか、俺には思いつかなくて、首を振るしかない。

 

「俺は子供を相手にする悪趣味の持ち主じゃないんだ。

だから、安心をし。

ユノがもう少し大きくなってから、仲間に入れてあげるから。

それまでは、『見学』しているんだよ」

 

叔父さんはそう言って、俺の根元に結んでいたリボンをきつく締め直した。

 

「痛いっ!」

 

「こんな程度で悲鳴をあげてたら、男じゃないぞ?

仲間に入れて欲しい気持ちはよくわかるけどね」

 

そこで俺は、息が止まるほど、驚いた。

 

2人の男の人にのしかかられていた者が、チャンミンだった!

 

「いい子だから、もうしばらくの間は見学していなさい」

 

叔父さんは寝台に戻ると、1人目と2人目の身体を入れかえて、行為の続きに戻った。

 

 


 

 

「...ユノ...ユノ...」

 

肩を揺さぶられて、ハッとして飛び起きた。

 

俺はパジャマを着ていて、見慣れたシーツの色、天蓋の刺繍模様。

 

最後に、ベッド脇に立つチャンミンを見つけて、俺は安堵した。

 

夢か...。

 

心臓がが壊れそうにドキドキしていた。

 

「今日はドンホ様がいらっしゃる日ですよ」

 

「う、うん」

 

俺が見た夢...半分は本当で半分は仮想のことだ。

 

叔父さんを避ける理由が、昨夜みた夢の中にある。

 

俺の一家はおかしな奴ばっかりだ!

 

世界の全てが屋敷の中にとどまっていた間は、これが普通だと思っていたところ、実はそうじゃないことを知った。

 

洗面所で髪を撫でつけていると、微笑むチャンミンと鏡越しで目が合った。

 

「楽しそうですね。

ドンホ様が好きなんですね」

 

「うるさいなぁ」

 

顔がポッと赤くなったのを、チャンミンが気付かなければいいんだけど...。

 

チャンミンとは前日、『好き』という気持ちについて会話を交わしたばかりだったから、『好き』の言葉に敏感になっていた。

 

「僕も楽しみです。

ユノのお友達...ドンホ様に会うのは初めてですから。

どんな方ですか?」

 

「う...ん。

一緒にいて楽なんだ。

頭もいいし...カッコいい奴だよ」

 

胸がキュッとなったエピソードや会話の断片、さりげない親切のあれこれ。

 

運動服の衿からのぞいた鎖骨や、接近した時に嗅いだ汗の香り。

 

思春期の恋とは、こんな風に感覚的なものだ。

 

チャンミン相手に、ドンホについて説明することが気が重かった。

 

 

 

 

週末のチャンミンは、普段の雑用労働から解放される。

 

俺と共に過ごす時間も、アンドロイドの彼にしてみたら「仕事」の範疇だ。

 

俺が留守をしている間、チャンミンがどんな顔をして、どんな日々を送っているかは想像するしかない。

 

彼のことだから、面倒でキツイ仕事を命じられたり、理不尽な言いがかりをつけられて怒鳴られたりしても、従順に粛々と、嫌な顔ひとつせずにいるんだろうと思う。

 

だからこそ、週末だけは俺に見せる表情が、心身の緊張がほどけたくつろいだものであって欲しい。

 

最寄り駅まで、チャンミンの運転でドンホを迎えに行った。

 

車内に甘い香りが満ちていて、「何の匂い?」と鼻をクンクンさせた。

 

「クッキーを焼きました。

おやつに召し上がっていただきたくて」

 

俺が予想した通り、チャンミンらしい心遣いに感動したけれど、「ドンホは甘いものは好きだったかなぁ?」なんて言って、素直にお礼が言えない。

 

俺とドンホはこの日、ピクニックをする予定でいた。

 

俺とチャンミンだけの秘密の場所、林の中にぽっかりと開けた広場で。

 

屋敷は俺にとって好ましくない人間が何人もいるから、気兼ねなく楽しみたかったんだ。

 

俺たちを現地に下ろしたチャンミンを、屋敷に帰してもよかったが、それは可哀想だ。

 

車内で読書でもして、待ってもらうつもりだった。

 

「ユノ!」

 

「ドンホ!」

 

制服を脱いだ私服のドンホが俺を見つけて、その目を輝かせた。

 

車の後部座席に並んでおさまり、心にストックしてあった話題が膨大過ぎて、どれから口にすればいいか分からない。

 

俺とドンホの小指同士が触れ合い、反射的に手を引っ込め、それからおずおずと近づいた。

 

バックミラー越しにチャンミンと目が合った。

 

その目は半月型に笑っていたのに、俺にはそう見えなかった。

 

これまでチャンミンだけに向けていた「大好き」の一部が、ドンホという少年に向けられるようになったことに、負い目を感じていたからだ。

 

 

 


 

 

 

寝間着に着がえた俺とドンホは、はしゃいでいた。

 

「ユノ...気付いてる?」

 

「何を?」

 

「ユノのアンドロイドは、まるでユノの親みたいだね。

ユノをずーっと見ているよ。

ユノの守り神だね」

 

「...うん。

チャンミンとは、俺がちっちゃい頃からずっと一緒なんだ」

 

「中学生になっても、

よっぽど気に入ったんだね」

 

「うん。

ドンホんちにはアンドロイドは居るの?」

 

「父が持ってる。

家のことを全部やってくれる、女のアンドロイドが居るよ。

引っ越しばかりの暮らしは嫌だからって、母とは別々に暮らしていたから。

父もそのアンドロイドのことを気に入っていてね、今のが3代目かな」

 

「3人目ってこと?」

 

「ああ。

1人目は病気になって、2人目は交通事故。

でも、1人目も2人目も、今の3人目も同じアンドロイドなんだよ。

見た目も性格も同じ」

 

「同じ...」

 

「父はそのアンドロイドがとても気に入っているんだ。

だから、今のものがいつ動かなくなってしまってもいいように、何人もストックしてあるんだって。

でさ、そのアンドロイドは母と全く同じ見た目をしているんだよ。

父も変な人だ。

ホンモノの奥さんとうまくいっていないからって、アンドロイドの奥さんを傍に置いているんだ」

 

「......」

 

「ユノのアンドロイドも、ストックはあるの?

気に入っているのなら、いざという時のためにストックしておいた方がいいんじゃないかな?

ユノんちはお金持ちだから、お父さんに頼んでみたら?」

 

細長いカプセルが無数に等間隔に並んだ大空間。

 

そのカプセルには、30センチ四方の窓があって、中のものを見ることができる。

 

俺はひとつひとつ、小窓を覗いて回る。

 

長いまつ毛を伏せて眠るチャンミン、長いまつ毛を伏せて眠るチャンミン、長いまつ毛を伏せて眠るチャンミン...。

 

カプセルの中身は全部、チャンミンなんだ。

 

そんな光景が、脳裏に浮かんだ。

 

今のチャンミンが壊れて動かなくなったとしても、新しいチャンミンがやってくる。

 

俺が死ぬまで、チャンミンは側にいてくれる。

 

俺は一瞬、安堵の感情に包まれたけど、直後に恐ろしさに襲われた。

 

その新しいチャンミンは、俺と過ごした記憶を持っているのだろうか?

 

見た目はチャンミンで、気質もチャンミンであっても、壊れてしまったチャンミンとは別人なんだ。

 

嫌だ...そんなの嫌だ。

 

 

 

(つづく)

 

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(5)19歳-初恋-

 

 

今夜は客人が多く、チャンミンは夕食の給仕に駆り出されていた。

 

ひとり自室に戻るのが寂しくて、食堂のテラスから庭へ出た。

 

暗闇に沈む林、虫の鳴き声に辺りは包まれ、外灯に照らされた小路をぶらつく。

 

「ユノ」

 

そうじゃないかと思っていた通り、振り返った先に叔父さんがいた。

 

「先週から来てたんだが...会えず仕舞いだったね。

週末はこっちに帰ってきてるだろう?」

 

叔父さんと出くわさないよう、注意ぶかく行動していたのに、昼間のチャンミンとの会話に考えさせられることが多くて、油断していた。

 

「叔父さん...来てたんですね」

 

叔父さんの視線を受け止められなくて、俺は顔を伏せたまま答えた。

 

「俺っ...やることあるんで!」

 

叔父さんの手が伸びてこないうちにと、彼の側を駆け抜けようとした。

 

二の腕をつかまれ引き戻されて、ああ、やっぱり...そう簡単に彼から逃れない。

 

肝心な時に、チャンミンはいないんだから...!

 

「あのアンドロイドは、今夜は連れていないんだ?」

 

「...はい。

今夜も客が多いみたいで」

 

俺の両親は揃って、パーティ好きなのだ。

 

幸いにも今回は、憎たらしい従兄弟たちは来ていない。

 

「離してっ...ください」

 

叔父さんにつかまれた二の腕が痛くて、俺は力いっぱい腕を引き抜いた。

 

叔父さんは唇の片端だけ持ち上げた、面白がる笑みを浮かべている。

 

チャンミンと同じくらい背が高く、細面の顔にすっと切れ長の眼の持ち主だ。

 

叔父さんは俺によく似ている。

 

血が繋がっているから当然か。

 

27歳の叔父さんは、母さんの年の離れた弟にあたる。

 

叔父さんは常に沢山の男女に囲まれていて、ハンサムな独身医師だ。

 

俺は、叔父さんを前にすると、蛇に睨まれた蛙みたいになってしまう。

 

「俺んとこ、来る?」

 

「......」

 

俺の返事なんか待たないし、NOと言っても無視するくせに、叔父さんはそう言って俺を誘う。

 

「行こうか?

おっと...怖い顔をしているね」

 

叔父さんは俺の腰に腕を回し、体中の神経がその一点に集中する。

 

「怖がらなくて平気だ。

痛いことはしないから...ユノがもっと大きくなるまでは」

 

「......」

 

誰かに目撃されても、仲の良い叔父と甥に見えるだけだ。

 

ふりほどきたいのに出来ない。

 

うんと小さい頃からの性で、俺は叔父さんに逆らえない。

 

テラスの前を通り過ぎる際、食堂の窓から見慣れた姿が見えた。

 

チャンミン!

 

俺が何度言っても直らない猫背気味の背で、客たちが食べ散らかした食卓を片付けている。

 

(チャンミン!)

 

俺は視線でその背に向けて、助けを呼ぶ。

 

チャンミンに気付けるはずはない。

 

明るいあちらから、暗いこちらは見えない。

 

1時間か2時間我慢すれば、いいことか...痛いことはしないと言っていたし。

 

諦めた俺は、叔父さんに従った。

 

「1年ぶりになるね。

大きくなったね。

さすが姉さんの子だ、綺麗だ」

 

チャンミンも「ユノは綺麗です」と俺を褒める。

 

でも、叔父さんの褒め言葉は、それとは違う意味に聞こえた。

 

「!」

 

俺たちの前に伸びる2人分の影に、もうひとり加わった。

 

「ユノ...?」

 

食堂の灯りを背に浴びているから、声の主は濃い影に塗りつぶされている。

 

「チャンミン...!」

 

俺は安堵のあまり、全身から力が抜けた。

 

叔父さんは舌打ちをした後、苛立たし気に「何だい?」と、チャンミンに問う。

 

「ユノ様が...」

 

チャンミンはエプロンの裾をぎゅっと握り、俯いている。

 

「ユノが...何だって?

君に用はないよ。

仕事に戻りなさい」

 

チャンミンにそう命じると、叔父さんは俺の肩を抱き直した。

 

「ユノ様に、お電話がありました。

...お友達から」

 

「え!?」

 

「...ドンホ様です」

 

叔父さんの腕の下から抜け出して、俺はチャンミンの元へ駆け寄った。

 

「電話は?

まだ繋がっている?」

 

「はい...ユノ様を探しに来ました」

 

叔父さんから俺を引き離すために、機転を利かせた嘘だってことは分かっていた。

 

ドンホの名前を出されたら、嘘だと分かっていても、ハッと反応してしまう。

 

その反応は本当らしく、叔父さんに見えたはずだ。

 

俺は、チャンミンの腕をぐいぐい引っ張って、小走りでテラスに向かう。

 

「チャンミン!」

 

呼び止める鋭い声に、俺たちは立ち止まった。

 

「はい?」

 

「ユノは行きなさい。

チャンミン。

代わりにお前が付き合ってくれ」

 

チャンミンの目は、俺に是非を求めていた。

 

チャンミンのご主人は俺だ。

 

ところが、俺より目上の者からの命令に、チャンミンは混乱していた。

 

「チャンミン、行こう」

 

俺はチャンミンの腕を力いっぱい引っ張ったけれど、立ち止まった彼の身体は大きい。

 

「...でも...」

 

「ユノ、友だちから電話なんだろう?

早く行かないと、切れてしまうぞ。

チャンミンはこっちに来い」

 

手招きする叔父さんと、腕を引く俺に挟まれて、チャンミンは困っていた。

 

「明日、友人が来るんです。

チャンミンには手伝ってもらいたいことがあるし...」

 

チャンミンの全身をねっとりと見る叔父さん。

 

チャンミンは綺麗だ。

 

そして、哀しいことに従順だ。

 

ある特定の用途のために生まれたアンドロイドがいることを、俺は知っていた。

 

飽きられたり、不要になったアンドロイドたちが辿る末路についても、聞きかじっていた。

 

温かい身体、しっとりと弾力ある肌、排泄もするし涙も流す。

 

チャンミンと俺と、人間とアンドロイドとどこが違うのか、未だ見つけられずにいる。

 

俺専用のアンドロイド、チャンミンは俺のコンパニオン役だ。

 

俺は絶対に、チャンミンを手離さない。

 

離すもんか。

 

叔父さんは、テラスへの階段を上ってきた。

 

チャンミンを放すもんかと、彼の手をぎゅうっと握った。

 

叔父さんはすっと腕を上げ、俺はチャンミンの前に立ちはだかろうにも、間に合わなかった。

 

瞬間、チャンミンは目をつむって顔を背けた。

 

叩かれると覚悟したのだ。

 

ところが、叔父さんは手の甲で、チャンミンの頬を撫ぜただけだった。

 

「それは残念だ」

 

そう言って叔父さんは踵を返すと、夜の庭園へ歩み去っていった。

 

 

(つづく)

 

 

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(4)19歳-初恋-

 

 

 

「ねえ、チャンミン」

 

「はい?」

 

俺の呼びかけに、チャンミンは膝に置いた本から顔を上げた。

 

昨夜、不器用な俺が切ってやったせいで、前髪が不揃いに短い。

 

俺のすぐ側まで椅子を引き寄せ、宿題をする俺を見張りながら、チャンミンは読書。

 

俺が7歳の頃から変わらない光景。

 

今日中に、山ほど出された宿題を片付ける必要があった。

 

明日、ドンホがここを訪ねてくる。

 

俺は、同い年のドンホという男子生徒に恋をしていた。

 

「チャンミンは好きな人がいたこと...あるか?」

 

これまでチャンミンに尋ねたことのなかったこと。

 

アンドロイドのチャンミンに相応しくない質問だと承知の上で、だ。

 

誰かに恋心を抱くのは初体験で、その戸惑いを気心の知れたチャンミンと共有したかった。

 

「いますよ。

ユノ、です」

 

チャンミンは即答した。

 

「...そんなこと...分かってるよ」

 

じわっと感動したけど、俺が知りたいのはそこじゃなかった。

 

「好き、っていうのはその...LIKEじゃなくて、LOVEの方」

 

チャンミンは一瞬、ぽかんとした後、俺の質問の意味がわかったようだ。

 

「そうですね...LIKEとLOVEの違いはよく分かりません。

僕にとって、LIKEとLOVEは同じです。

僕が好きな人は...ユノです。

ユノしかいません」

 

「でも...俺んとこに来る前は、どうだった?

『いいな』って思う子はいなかったのか?」

 

チャンミンは読みかけの本をデスクに置くと、立ち上がって窓辺に移動した。

 

開け放った窓から気持ち良い春風が吹き込んで、チャンミンの前髪が揺れた。

 

春の陽光が、チャンミンの瞳を琥珀色に透かしていた。

 

先週よりも日に焼けていて、恐らく屋外での仕事が多いせいだ。

 

こき使われているだろうチャンミンを案ずるよりも、持て余し気味の自身の恋心に気をとられていた。

 

「僕が仕えた人間は、ユノ、あなた只一人です。

その前も、後もありません。

ユノ以外の人間は、知りません」

 

チャンミンの言葉に、愚かな質問をしてしまったと、俺は後悔した。

 

チャンミンを取り囲む人間たちは、俺とその他の人々の2種類しかいないんだ。

 

遠くを見据えたままチャンミンはそう言って、ゆっくりと俺の方へ視線を移した。

 

「僕はアンドロイドですが、ちゃんと...」

 

そこで言葉を切って、広げた手で胸を叩いた。

 

「心があります。

仕えるご主人様を慕い、守り、身を粉に働くのは、そうインプットされているだけじゃありません。

僕の場合は...ユノと初めて会った時から、あなたのことが大好きになりました」

 

「...チャンミン...」

 

俺も立ち上がって、窓辺のチャンミンの隣に移動した。

 

「ユノの質問の回答は、ただひとつです。

何回尋ねられても、答えはひとつです。

僕の好きな人は、ユノです。

僕が愛している人は、ユノです」

 

それは答えを求めない宣言だった。

 

チャンミンの言う「愛している」は、恋心を込めたものなのか、もっと広義的な愛を指すものなのかは、分からない。

 

当時14歳の俺には、「愛している」の言葉とは、大人だけが抱けるもので、遠過ぎてぴんとこないものだった。

 

チャンミンの告白は、茶化して誤魔化せるようなものじゃないことくらい、子供の俺でも分かった。

 

「...俺も」

 

チャンミンのシャツの裾を引っ張りながら、俺の声は震えていた。

 

「俺も、同じだよ」

 

「ありがとうございます」

 

チャンミンはにっこりと笑った。

 

完璧であるはずのアンドロイドらしからぬ、左右非対称に細められた眼。

 

あやふやな答えしか返せなかった。

 

昔の俺だったら、「チャンミン、大好き」と首にかじりついていたのに。

 

男のドンホに恋心を抱いて以来、色気づいていた俺は恥ずかしくて、男のチャンミンにそんなことできっこなかった。

 

チャンミンは俺の宝物だし、俺の命以上に大事な存在だ。

 

でも、俺には「愛」と「好き」と「恋心」の区別がついていなかった。

 

チャンミンの愛は、どちらかが命尽きるまで、続くものなんだろう。

 

永遠に枯れることのない湯水のように、ふんだんに注がれる好意に慣れきっていた。

 

だけど、いざ言葉にされて俺は怖くなった。

 

チャンミンが俺に注ぐのと同じ熱量で、俺も彼を大事にしてやらないといけない。

 

俺にそれができるかな...。

 

チャンミンは手を叩くと、「はい!」と言って、俺の背を押した。

 

「真面目な話は、おしまいです。

宿題を終わらせましょう。

明日はお友達がいらっしゃるんでしょう?」

 

「うん」

 

素直に頷いて、俺は問題集の続きにとりかかった。

 

広げたノートの端からちらちらと、チャンミンの太ももと膝を覗き見た。

 

女子生徒たちの短いスカートから覗くそれとは違って、固くて頑丈そうだった。

 

なぜか胸がドキドキした。

 

 

 

(つづく)

 

 

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(3)19歳-初恋-

 

 

毛布を敷いてあるとはいえ、床で眠っていたのだ、背中が痛くて何度か目を覚ました。

 

「あ...」

 

チャンミンの腕が俺の首下に通されていた。

 

「これが腕枕か...」と、書籍で見知った行為だったから、ちょっと感動したりして。

 

14歳、色気づく年ごろ。

 

多分...大抵は女が男にされるものなんだよな...裸になった男と女がアレをした後なんかに。

 

級友たちが教師の目を盗んで持ち込んだ、女の裸の写真が思い浮かんだ。

 

あの場では、興味がある風を装っていたけど、顔をしかめてしまうのを堪えていた。

 

女なんか、気持ち悪い。

 

母さんに植え付けられた諸々のせいで、俺は女嫌いになっていた。

 

そのせいなのか、男同士でつるんでいる方が気楽だった。

 

そうだった、叔父さんが来てるんだった。

 

「はあ...」

 

半身を起こし、立てた両膝の間に顔を伏せた。

 

男の良さを教えてくれたのは他でもない叔父さんだったし、加えて男のチャンミンが近くにいたから、そういう性癖になってもおかしくない。

 

でも、マイノリティである自覚はあるから、学校では内緒にしている。

 

チャンミンは片腕を投げ出した姿勢で眠っている。

 

すーすーと寝息が健やかで、月明かりに照らされた横顔が美しかった。

 

チャンミンは人形のように綺麗だってことは、幼かった俺でも分かっていたけれど、あらためて、彼は人形みたいだと思った。

 

外の世界を知るようになって、大勢の他人たちに囲まれた生活を送る今、知ったことだ。

 

「...ユノ...」

 

名前を呼ばれて、「何?」と振り向くと、チャンミンはすやすやと眠ったままだった。

 

なんだ...寝言か。

 

「駄目です...手を洗って...」

 

夢の中でも、俺の心配をしているんだな。

 

ふっと微笑んだ俺は、伸ばした指でチャンミンの頬に触れ、片目を覆った前髪を梳いた。

 

可愛いな、と思った。

 

多分、この時の俺は、天使のように優しい顔をしていたと思う。

 

それくらい、いたわりの気持ちがこもっていた。

 

俺が毛布を独り占めしていたせいで、チャンミンは寒いのだろう。

 

即席の寝床から抜け出した俺は、大きな身体を猫みたいに丸めたチャンミンを毛布でくるんでやった。

 

満月だ。

 

ほの明るい中、窓辺に据えたデスクまで足音をたてないよう横切った。

 

留守中、屋敷に届いた俺宛の手紙が置かれている。

 

俺は月明かりにその手紙をすかして、上下ひっくり返して確認する。

 

「よし...」

 

俺に歪んだ愛情を注ぐ母さんや、詮索好きの女中頭Kが、こっそり開封している可能性があったからだ。

 

クローゼットにさりげなく吊るしてあったワンピースの存在を、頭から追い払う。

 

2重になった封筒を、音を立てないようゆっくりと、順に開封した。

 

『ユノへ』

 

見慣れた角ばった文字に、口元が緩んでしまう。

 

 

 

 

俺の通う学校に転校してきた子がいた。

 

2か月という短期間だったが、父親の長期出張に一緒についてきた子だった。

 

(両親は彼の親権をめぐって離婚調停中で、母親の元に置いておけないと判断した父親が、彼を出張先に連れてきたのだ。

その間、学業をおろそかにさせたくないと、2か月という期間であっても、近場の学校に彼を通わせるようになったとか)

 

俺と彼とは気が合った。

 

彼が一緒だと、何もかもが面白くて、物の見方が独特で退屈しなかった。

 

休憩時間はもちろん、選択教室や食堂への移動も一緒だった。

 

級友たちは「お前たちできてるんだろ?」と、俺たちをはやし立てた。

 

嫌な顔をしていないか気になって、そっと横目で確かめた。

 

彼は嫌な顔ひとつせず、それどころか「いいだろう?」と言って笑っていた。

 

その堂々とした態度に、級友たちはそれ以降、俺たちをからうことはなかった。

 

きっと、校内での交友関係が良好な俺と、群を抜いて優れた容姿を持つ彼との組み合わせに、文句のつけようがなかったのだろう。

 

寄宿学校生活が楽しくて仕方がなくなったのは、彼の存在が大きい。

 

屋敷に戻らなければならない週末が、寂しかった。

 

でも、俺はチャンミンの為に、帰らなければならない。

 

迎えに来たチャンミンの車が走り出すまで、寮に残る彼は見送ってくれた。

 

「仲良しなんですね。

ユノにお友達ができて、僕は嬉しいです」

 

チャンミンはそう言っていた。

 

俺はなんてことない風を装って、「まあな」と答えた。

 

これまで、身の回りで起こった出来事は何でもチャンミンに話してきた俺だった。

 

初めてチャンミンに、内緒ごとを作った。

 

屋敷に彼を招待した時には、チャンミンのことだ、張り切ってケーキでも焼きかねない。

 

保護者ぶって「ユノをよろしくお願いします」って、挨拶しそうだ。

 

父親の次の赴任地へと、彼が学校を去ったのがつい先月のことで、それ以来、俺に手紙を送ってくれる。

 

最初は寮に送ってくれていたのが、毎日のように届く手紙にひやかす級友たちがうっとおしくなって、屋敷宛にするよう頼んだんだ。

 

俺たちのことをそっとしてくれてたのは、敬意を払わないといけない雰囲気を漂わせていた彼のおかげだったんだと、後になって思い知った。

 

窓ガラスにくっつかんばかりに近づいて、手紙を読んだ。

 

文字を読むには暗すぎて、ライトを点けたかったけど、チャンミンを起こしてしまいそうで遠慮していた。

 

月光に透かして、目をこらして文字を追った。

 

『次の週末、ユノの家に行くのを楽しみにしている。

 

――――――ドンホ』

 

湧き上がる喜びに、「よしっ!」と小さくこぶしを振った。

 

その直後に、チャンミンの様子を窺った。

 

よかった...鼻上まで毛布にくるまったチャンミンは、目を覚ました様子はない。

 

安堵した俺は、翌朝ゆっくり読みなおそうと、手紙を封筒に戻した。

 

 

 

 

 

「...僕から...離れないで...」

 

「え...」

 

俺は勢いよく振り向いた。

 

それ以上のつぶやきはなく、チャンミンは寝返りを打って、俺に背を向けてしまった。

 

寝言だったのか、実は目を覚ましていたのかは分からない。

 

俺の目に、じわりと涙が浮かんだ。

 

なぜ涙が出る?

 

切なかった。

 

チャンミンを置いてけぼりにしている気がしたんだ。

 

チャンミンは変わらない。

 

成りは大きいのに、子供のように素朴なチャンミンに、足並みを揃えられなくなってきた。

 

 

(つづく)

 

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