(2)19歳-初恋-

 

 

俺の初恋は、いつだったんだろう。

 

恋心とはどういうものを指すのだろう。

 

知らぬ間に目で追っていて、ひとこと言葉を交わすだけで心が躍り...もっともっと近づきたいと望む...なのだろうか。

 

屋敷を出た俺は、家族と使用人だけの閉じた世界からも飛び出した。

 

新鮮だった。

 

多くを期待されない気楽さ。

 

人間とはいろんなタイプが存在するんだな、と興味津々で、彼らとの交流に夢中になった。

 

チャンミンといるだけでは得られなかったことだらけだった。

 

 


 

 

この屋敷でのチャンミンの存在理由は、俺が彼を必要としているからだ。

 

用なしだと俺が判断すればきっと、チャンミンはここを追い出され、別の用途として使われるアンドロイドになるしかない。

 

チャンミンも俺を必要としていた。

 

週末、学校まで迎えにくるチャンミンは、保護者ぶったことを言うけれど、俺に会えて嬉しくてたまらない緩んだ表情は隠せていない。

 

屋敷での出来事を(主に失敗談だが、ふと目にした心打たれた光景についてうっとりと話してくれる)俺に伝えようと必死だった。

 

思春期を迎えていた俺は、「へぇ」とか「ふぅん」とかそっけない相づちを打つだけ。

 

俺に話さないだけで、実際は辛い思いもしていたに違いない。

 

今にして思えば、チャンミンの声音とすがるような眼差しに、もっと注意深くあればよかった。

 

俺が後悔していることのひとつだ。

 

 

 

 

「おやつを食べますか?」

 

「子供扱いするなよ」

 

おやつって年ごろじゃないだろ、と俺は、ケーキの載ったトレーを持つチャンミンを無視して、洗面所に向かった。

 

「そうですか...」

 

しょげたチャンミンが可哀想になって、チャンミンの元に引き返し、鷲掴みにしたケーキを口に放り込んだ。

 

「お行儀が悪いですよ?」

 

5日ぶりにチャンミンと会えて嬉しいが、以前と変わらず子供扱いする彼に、苛立つことが多くなってきた。

 

ついキツイ言葉を投げかけてしまい、今のように俯いて立ち尽くすチャンミンに後悔するのだ。

 

チャンミンのことは大好きだけど、うっとおしく感じるようになってきた俺。

 

彼が傷つくであろう言葉も、平気で吐けるようになった。

 

このことが悲しい。

 

悲しいけど、止められないんだ。

 

「カリカリしてるとシワができちゃうぞ」

 

ほら、今もチャンミンがどうしようもできないことを指摘して、からかってしまう。

 

「...僕は、シワはできませんよ...」

 

「ハハっ!

そうだったな。

母さんが羨ましがってるだろうよ」

 

両眉をおかしな角度で下げたチャンミンの泣き笑いな顔。

 

駄目だな、俺...。

 

チャンミンは俺と出逢った時から大人で、永遠に年をとらない。

 

チャンミンの設定年齢が何歳なのか知らないけれど、彼はずっとこのままだ。

 

永遠...。

 

俺が年寄になっても、チャンミンは今のまま美しい青年の姿をとどめ続けるのだろう。

 

その時まで、チャンミンは俺のそばに居続けるだろうか...。

 

チャンミンは永遠に、生き続けるのだろうか。

 

俺が死んでしまったら、ひとりぼっちになってしまう。

 

そんな未来への不安なんて、未だ14歳の俺にとって遠い話。

 

今を謳歌するのみなのだ。

 

「夕飯までの時間、散歩にいこうぜ」

 

「はい!」

 

チャンミンは大人なのに、喜びを隠し切れない子供っぽさに、俺の胸は痛くなる。

 

俺はどんどん大きくなるのに、チャンミンは逆に幼くなっていくみたいで。

 

 

 

 

俺とチャンミンは森の中を散歩する。

 

不思議で未知に溢れていてわくわく心を持てていたのも、昔の話。

 

今は、チャンミンと2人だけでとっておきの時間を過ごせる、貴重なひととき。

 

俺はチャンミンのために、肩を並べて木立の小路を歩く。

 

梢から漏れる光は紅く、間もなく日が沈む日暮れ時。

 

「チャンミン。

手を繋ごうか?」

 

チャンミンの年齢のことをからかった罪滅ぼしの提案。

 

チャンミンはふふっと笑って、照れくさくて脇に落としたままの俺の手を握った。

 

「ユノの手...大きくなりましたね」

 

「うん」

 

13歳を過ぎた頃から俺の背はぐんと伸び、チャンミンの肩に届くようになった。

 

チャンミンに近づくことが誇らしくて、あんなに大きく頼もしかった彼の手も今じゃ、それ程でもなくなった。

 

チャンミンを守れる大人に近づいた。

 

苛つくことも多いけれど、やっぱりチャンミンのことが大好きなんだ。

 

「綺麗な夕焼けですね」

 

チャンミンの端正な顔が赤く染まっている。

 

「ユノの眼...綺麗ですね」

 

「そう?」

 

チャンミンが褒めてくれる眼を細めて、俺は微笑んだ。

 

俺の微笑みに応えて、チャンミンもにっこりと笑った。

 

こうやってチャンミンと手を繋いで目的もなく歩くことが、いつまでできるんだろう。

 

「帰ろうか?」

 

「はい」

 

俺たちのお気に入りの草原の広場を一周したのち、屋敷へ引き返す。

 

「昨日から、叔父様がいらっしゃっています」

 

繋いだ手を放してしまった。

 

チャンミンのひと言で、穏やかで平和なひと時が台無しになってしまった。

 

 

 

 

就寝時間間際、「おやすみなさい」と俺の額にそっと触れると、チャンミンはベッドを離れた。

 

この部屋にはもう、チャンミンのベッドはない。

 

地下にある使用人部屋の、粗末なベッドで眠るため。

 

チャンミンは、ここでは雑役夫であり、使用人のひとりに過ぎないのだ。

 

俺はチャンミンを特別扱いし過ぎるわけにはいかない。

 

留守の間、他の使用人たちからやっかみによる冷たい仕打ちを受けてしまうから。

 

可哀想だ。

 

でも。

 

お前の背中が引き留めて欲しがってるよ。

 

「チャンミン」

 

呼び止めるとすぐに振り返り、その顔が輝いているのは、薄暗い部屋でもよく分かるよ。

 

「今夜...一緒に寝よう」

 

「はい」と嬉しそうに返事をしたチャンミンは、いそいそとクローゼットから毛布を取り出す。

 

俺のベッドで眠ることはできない、もちろん、その逆も。

 

床に広げた毛布やらベッドカバーやらの上で、俺たちは眠る。

 

俺はその時、14歳。

 

チャンミンと『そういう関係』になるずっと以前のことだ。

 

チャンミンの胸に顔を埋めるなんて、子供くさいことはもう出来ないけれど、彼と手を繋いで俺たちは眠りにつく。

 

俺はやっぱり、チャンミンのことが好きだ。

 

この好きの正体は、未だ分からなかった。

 

 

(つづく)

 

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(8)19歳 -出逢い-

 

湯たんぽを抱えた俺は、天井の低い、薄暗い廊下を走っていた。

 

ここは地下1階の、使用人たちの私室が並ぶエリアで、本来なら俺が居てはいけないところだ。

 

味もそっけもない金属製のドアを開けると、そこはベッドと机、本棚があるきりの狭い部屋。

 

これまた、味もそっけもないベッドで、長細く掛け布団が膨らんでいる。

 

「チャンミン!」

 

俺は枕元に膝立ちして、枕に片頬を埋めた綺麗な顔を覗き込んだ。

 

「ユユユユユノ...」

 

カチカチと歯が鳴って、言葉になっていない。

 

「あったかいぞ。

これを抱っこしていな」

 

俺はチャンミンの布団をめくって、湯たんぽを入れてやる。

 

「す、すすすすみ、ませ...ん」

 

茹でだこのように真っ赤な顔をして、チャンミンは力ないほほ笑みを見せた。

 

とても苦しいだろうに。

 

チャンミンはアンドロイドなのに、人間みたいに熱を出して震えることもできるのだ。

 

せっかくアンドロイドなんだから、もっと頑丈に、暑さ寒さなんてへっちゃらに作ってもらえばよかったのに。

 

チャンミンは強いけど、弱い部分もいっぱいある。

 

「みみみみ、みみを...どうか...しました、か?」

 

チャンミンは俺の心配をしてばかりだ。

 

自分の方がよっぽど、辛いのに。

 

「ちょっと怪我をしただけさ、平気だよ」

 

顔を曇らせたチャンミンを安心させようと、ニカッと笑って見せた。

 

強がってみせることを、覚え始めた俺だった。

 

誕生日プレゼントだと言って、母さんからピアスを贈られた。

 

押さえつけられて、母さんの手によって両耳たぶに穴を開けられた。

 

待女Tさんが消毒をしてくれたけど、耳たぶを飾る石をニットでひっかけるとか、ちょっとした刺激で血がにじんでしまうのだ。

 

「ユユユ...ノ...かわ...いそ...に...」

 

「チャンミン!

飲まなきゃ駄目だぞ!」

 

枕元に置いたグラスのジュースが減っていなかった。

 

おやつの時間に出されたジュースを、俺はこっそりチャンミンの元に運んだのだ。

 

頭を起こせないくらいに、チャンミンは具合が悪いんだ。

 

チャンミンのおでこと耳の下に、手をあてると燃えるように熱い。

 

こんなに熱いと、チャンミンのコンピューターが壊れてしまうんじゃないかと、不安だった。

 

「ユユ...ノの手...きき、ももちち...ぃ」

 

「チャンミンは黙ってて」

 

かつて、風邪をひいた俺を看病してくれたチャンミンの行為を、ひとつひとつ思い出す。

 

おでこを冷やすんだ。

 

俺が絞ったタオルから雫が垂れて、チャンミンの前髪を濡らしていた。

 

子供の力で絞ったものだから仕方がない、か。

 

それから、水分をとらせないと。

 

熱が出ると身体の水分が沢山失われてしまうから、ってチャンミンに教えてもらった。

 

コップをそろそろと傾けて、チャンミンの唇の隙間から中身を流し込もうとしたら、どっと注いでしまい、チャンミンがむせてしまった。

 

ゲホゲホと咳をするチャンミンの背中が、弓なりに痙攣した。

 

余計にチャンミンを苦しめてしまった。

 

上手に看病できない自分が情けなかった。

 

「ごめんね、ごめんね」

 

チャンミンの薄茶色の瞳が、ギラギラと光っていた。

 

瞳の表面を膨らんだ涙が覆っていて、泣いているみたいに見えた。

 

チャンミンは身体が辛くて辛くて仕方がないんだ。

 

「ユユ...ノ...。

くつ...下、履いてません、ね?

ダダダダ...メです...よ。

...風邪...ひき、ます」

 

かすれたチャンミンの声は囁きに近い。

 

チャンミンが可哀そう。

 

お医者さんに診てもらわないと!

 

注射とか点滴とかしてもらわないと!

 

だって、チャンミンは人間みたいな造りをしているようだから。

 

ご飯も食べるし、おしっこもするし、眠たくもなる。

 

それとも...工場に連れていって修理をしてもらえばいいのかな。

 

でも、それが出来ずにいる。

 

父さんにそう訴えたら、「新しいものにするか?」と言いそうだから。

 

父さんの性格を考えたら、そう言うに決まってる!

 

アンドロイドを心配する者は、この屋敷にはいない。

 

アンドロイドのために、遠くからお医者さんを呼んでくれる人は、この屋敷には誰もいない。

 

 


 

 

冬の湖に突き落とされてしまったチャンミン。

 

ピアノのレッスンを知らせに俺を探しに来た女中頭Kと、途中鉢合わせになった。

 

この時だけは、Kに感謝した。

 

遅れて2、3人の従兄弟たちも俺を追いかけてきていて、彼らの補足のおかげで女中頭Kは事態を理解した。

 

運転手さんたちを引き連れて桟橋に戻った。

 

ロープを結わえた浮き輪を投げ入れて、大人3人の力でやっとのことでチャンミンを引き上げたのだ。

 

ずぶ濡れになったチャンミンは、ガクガクに震えていた。

 

DとE、残りの従兄弟たちはいなくなっていた。

 

 


 

 

待女Tさんに泣きつくことになった。

 

「奥様の薬箱に、あったはずです」

 

「Tさん、大丈夫?

怒られない?」

 

「奥様の薬コレクションときたら...。

1粒2粒なくなっても、わかりません。

1瓶なくなっても、わからないでしょうね」

 

「ユノ様!」

 

「ん?」

 

「お耳は、平気ですか?」

 

「うん、大丈夫。

今はチャンミンが大変な時なんだ。

これくらい、大したことないよ」

 

Tさんから分けてもらった薬瓶を、手の中にぎゅっと握りしめて、チャンミンの元へ走る。

 

「チャンミン、薬をもらってきたよ。

飲んで?」

 

俺に気づいて、にこっと、チャンミンの口角が上がった。

 

「笑わなくていいんだよ?」

 

俺はよしよしと、チャンミンの頭を撫ぜてやった。

 

チャンミンの唇はかさかさで、皮がめくれあがっていていた。

 

握りしめてきた白い錠剤を、チャンミンの唇の間に押し込んだ。

 

このまんまじゃ、チャンミンの喉にひっかかってしまう。

 

水!

 

俺は水の入ったグラスと、チャンミンの唇を交互に見る。

 

グラスの水を口いっぱい、ふくんだ。

 

そして、チャンミンの口に俺の口をくっつけた。

 

困ったな...チャンミンの口は閉じたままだ。

 

ふくんだ水を一旦、ごくりと飲み込んだ。

 

「チャンミン、ちょっとだけ口を開けて?」

 

俺の言うことに素直に従って、チャンミンの口が浅く開いた。

 

俺はもう一度、水を口いっぱい含んだ。

 

チャンミンの隙間へちょろちょろと、注いだ。

 

チャンミンの喉がごくりと動いて、俺の水を飲みこんだ。

 

「もっと水いる?」

 

チャンミンはこくんと頷いた。

 

コップの水を口に含んで、チャンミンの唇の隙間から流し込む。

 

「ジュースを飲む?」

 

チャンミンはこくんと頷いた。

 

「オレンジジュースだよ。

甘くて酸っぱくて、美味しいよ」

 

ジュースを含んでは、チャンミンに飲ませてあげる。

 

何度も繰り返した。

 

繰り返すうち、唇の隙間へ注ぎ込むんじゃなく、俺とチャンミンの唇を合わせて、口移しに与えると効率がいいと知る。

 

こういうのがキス、っていうのを知っている。

 

屋敷内で、キスしてる人を見たことがある。

 

その時は、キスしてる、なんてこれっぽっちも思わなかった。

 

俺が10歳になったときに、今回の出来事を振り返ってみた時、あれはキスだったんだ、とあらためて知ったのだった。

 

「あ...り、がと...うござい...ます」

 

チャンミンは熱のせいで、ほっぺをてかてかに光らせて、眩しそう俺を見上げた。

 

「のどが渇いてたら、俺に言うんだよ?

ヨーグルトはいる?

スープも持ってこようか?」

 

チャンミンは目を細めて、うんうんと頷いている。

 

俺を頼ってくれることが嬉しくてたまらなかった。

 

今夜は食堂で食べずに、部屋まで食事を運んでもらおう。

 

それをそのまま、チャンミンのところに運ぼう。

 

 

ねぇ、チャンミン。

 

早く良くなってね。

 

あいつらにはもう、指一本触れさせないからね。

 

俺が守ってあげる。

 

おやつも全部あげるし、早起きするし、勉強もいっぱいする。

 

だから安心して、いっぱい寝てていいからね。

 

早く元気になって、俺と遊ぼう。

 

お弁当を持ってピクニックに行こう。

 

ね、チャンミン?

 

 

(つづく)

 

 

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(7)19歳 -出逢い-

 

 

チャンミンがやってきて2度目の冬。

 

屋敷は大勢の客たちで賑やかだった。

 

俺の誕生日パーティまでにまだ3日もあるのに、気が早い大人たちは...多分騒ぎたいだけなんだ...パーティ前のパーティを開いている。

 

主役のはずの俺をそっちのけで、大人たちは昼間からお酒を沢山飲んで、大音量で音楽を流して、歌って騒いではしゃいでいた。

 

俺はここ数日間、元気がなかった。

 

なぜなら、チャンミンが病気だったからだ。

 

 


 

 

従兄弟たちの中で一番年若く、身体の小さい俺は、彼らのいじめの対象になっていた。

 

何かの集まりがある度、うちにやってくる彼らが大嫌いだった。

 

彼らが帰ってしまうまでの期間、食事も部屋に運ばせていたくらいだったのだ。

 

「ユノ。

朝ご飯の時間ですよ。

早くしないと、片付けられてしまいますよ」

 

チャンミンは布団をかぶったまま俺の肩を、揺さぶった。

 

(寝坊助の俺をベッドから引きずり出すのに、チャンミンは毎朝苦労している。もちろん、実際に引きずりだすことはしないよ)

 

お腹がペコペコのチャンミンが可哀想で、俺は渋々ベッドを出る。

 

俺には強いチャンミンがいる。

 

従兄弟たちなんて、怖くないぞ。

 

俺は意を決して、チャンミンを伴って朝食のテーブルについた。

 

食堂は、一瞬で静まり返った。

 

7人の従兄弟たちが、チャンミンに注目している。

 

子供だけしかいないはずの食卓に、突然大人が紛れ込んできたからだ。

 

「ユノ!

こいつ誰?」

 

一番年かさのDが、チャンミンの方を顎でしゃくって言った。

 

「チャンミン」と、ぼそりと答えたら、

 

「おはようございます。

チャンミンです。

よろしくお願いします」

 

と、チャンミンはわざわざ席を立って、ペコリとお辞儀した。

 

その間、7人の従兄弟たちは、ポカンと口を開けてチャンミンを凝視したまま。

 

「これって、もしかしてアンドロイド?」

 

子供に向かって頭を下げたり、礼儀正しい言葉遣いに、チャンミンのことを使用人なのでは、と彼らは最初思ったのだろう。

 

ところが、チャンミンの美貌が「普通じゃない」と、敏感な子供の勘が働いたんだ。

 

普通じゃない...ここまで綺麗な人間は、普通じゃないって。

 

「...そうだよ」

 

認めたくないが、渋々俺は頷いた途端、

 

「ひゃぁー、すっげぇ!」

 

わらわらと従兄弟たちはチャンミンの周りに集まった。

 

身体の大きなEに押されて、俺はその輪からのけ者にされてしまう。

 

「すげぇ!

人間みたいだ」

 

年少の者は、チャンミンの手をまじまじと観察したり、ほっぺを挟んだりといった遠慮がちなのに対して、

 

DやEといった年長者は、チャンミンの髪を乱暴にひっぱったり、小突いたりしていた。

 

中学に上がるくらいの歳になれば、人間に逆らえないアンドロイドの身分の低さがどれほどのものなのか、理解しているからだ。

 

チャンミンは困った顔をして、彼らにされるがままになっていた。

 

「やめてください」と、彼らの手や腕を払いのけた時点で、暴力と捉えられかねない。

 

だから、チャンミンはじっと耐えている。

 

「やめてっ!

チャンミンが痛がってる!」

 

「だって、これってアンドロイドなんだろ?

これくらい平気だよ」

 

「チャンミンを壊したら、父さんが許さないぞ!」

 

カッコ悪いけど、この時は父さんの怖さをちらつかせるしかなかった。

 

泣きべそをかく俺にDは、

 

「つまんねぇの!

外に遊びに行こうぜ!」と叫んだ。

 

誰もDに逆らえないから、残りの従兄弟たちもDに習って食堂を出ていく。

 

彼らがいなくなって胸を撫でおろし、ぼさぼさ髪になってしまったチャンミンの頭を撫ぜた。

 

「ごめんね、チャンミン」

 

「どうしてユノが謝るのですか?」

 

泣きべそ顔の俺に驚いたチャンミンは、ひざまずいて俺の顔を覗き込む...。

 

「ユノ!

お前もさっさと外に出てこい!」

 

食堂の窓の外から、DとEがこっちに来い、と手を振っている。

 

従うしかなかった、いつものように。

 

 


 

 

深い森林を切り開いて出来た広大な敷地に、屋敷は建っている。

 

敷地内には小川も流れているし、ボート遊びができる湖もある。

 

冬になるとそこは氷と雪で覆われて、一面真っ白になる。

 

とはいえ、張った氷は薄いため、湖面に下りることは大人たちから禁止されていた。

 

俺たちは桟橋に立って、氷の欠片を凍り付いた湖面に向けて投げる遊びをしていた。

 

湖面の上を滑らすように低めに投げると、遠くまで飛ぶ。

 

高い放物線を描くように投げると、吹き溜まりで分厚く積もった雪面に、ぽすっと穴が開くのも面白い。

 

今日の俺も、心配性のチャンミンによってむくむくに着ぶくれていた。

 

そんな俺の姿を、従兄弟たちから「だっせぇ」と笑われた。

 

笑いの種をつくったチャンミンに、少しだけ腹を立てていた。

 

「チャンミンもさ、見てるだけじゃなくて、投げてみなよ」

 

「いいんですか?

僕は大人ですから、遠くまで飛ばせてしまいますよ?

D君たちに勝ってしまいますよ?」

 

チャンミンは俺のイヤーマフの側で、小声で言う。

 

「構うもんか。

あいつら調子に乗ってるから、チャンミンがこらしめてやってよ」

 

「いいのですか?」

 

「うん。

わざと負けたらだめだよ」

 

「うーん...気は進みませんが...」

 

チャンミンを自慢したかっただけなんだ。

 

チャンミンは凄いんだと、自慢したくなったんだ。

 

でもそれが、いけなかった。

 

俺が投げる氷片は、数メートルぽっちのところに無様に落ちるだけ。

 

チャンミンの長くて力持ちな腕なら、湖の向こうまで投げられるに決まってる。

 

従兄弟たちは、興味津々にチャンミンに注目している。

 

チャンミンは5センチサイズの氷を、手の平の上でぽんぽん弾ませたのち、投球ポーズをとった。

 

チャンミンが片脚立ちになった瞬間、

 

俺の目の前からチャンミンが消えた。

 

直後、鈍い音と共に水しぶきが上がった。

 

「チャンミン!!」

 

俺は桟橋の縁に駆け寄って、膝をついて下を覗き込んだ。

 

「チャンミン!」

 

氷に穿たれた穴から、真っ黒な湖面に、ぶくぶくと泡が湧き上がってきている。

 

チャンミンが湖に落ちてしまった!

 

「チャンミン!」

 

冷たい水の底に、チャンミンが沈んでしまった!

 

助けに行かないと!

 

割れた氷が漂う湖面の下から、チャンミンの頭が浮かんできた。

 

「チャンミン!」

 

浮かび上がったチャンミンは、水を吐き出しながら激しくせきこんだ。

 

「チャンミン!」

 

よかった、チャンミン、無事だった。

 

桟橋近くの水深は2メートルくらいだから、助かった。

 

それでもチャンミンは、立ち泳ぎをしてなんとか水面から頭を出しているのだ。

 

俺は立ち泳ぎをしているチャンミンに目いっぱい手を伸ばす。

 

桟橋から湖面まで2メートル近くあるから、俺が手を伸ばしたって、助けられるはずはない。

 

「ユノっ...!

駄目です!

あなたまで落ちて...しまい、ます」

 

「だって、だって!」

 

チャンミンの顔が真っ赤になっていて、濡れた前髪が額に張りついていた。

 

吐く息は真っ白で、濡れた髪から白い湯気がたちのぼっていた。

 

水をかく腕を休めると、チャンミンの頭は水中に吸い込まれてしまう。

 

パニックになった俺は、桟橋から身を乗り出して「チャンミン!」と叫ぶだけで、なんら助けになることが出来ずにいた。

 

俺の身体じゃ、チャンミンを引っ張り上げることは出来ない。

 

チャンミンが死んでしまう!

 

水を吸ったコートは重い。

 

凍てつく水の中。

 

チャンミンが凍ってしまう!

 

俺は助けを求めて桟橋の上の面々を振り返った。

 

けれど、5人の従兄弟たちは身を寄せ合って、おろおろと桟橋の俺と落ちたチャンミンを交互に見守るだけだ。

 

落ちたのが人間の子じゃないからなのかな。

 

「だっせぇ!」

 

その声に振り返ると、DとEが身をよじらせて笑っていた。

 

チャンミンの背中を押したのはDかEのどちらかだ。

 

犯人がどっちかなんてどうでもいい。

 

チャンミンを助けないと!

 

困惑した表情で立ち尽くすだけの、他の従兄弟たちにも頼るつもりはなかった。

 

がくがくと震える足を、力いっぱい叩いて喝を入れる。

 

俺は屋敷に向かって駆け出した。

 

(つづく)

 

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(6)19歳-出逢い-

 

 

俺の腹の上で果ててしまったチャンミンの背中を撫ぜる。

 

しっとりと汗で濡れた背中を、真心を込めて撫ぜる。

 

俺の鎖骨に鼻先をこすりつけながら、チャンミンは「好きです...」とつぶやいた。

 

何度も聞かされ続けてきたのに、その度に初めて聞いたみたいに俺は感動する。

 

「俺も」と囁いて、チャンミンの濡れた額に唇を押し当てた。

 

こんなに熱い肌をしているのに、俺と繋がることができるのに、チャンミンは人間じゃない。

 

全人種のよいところだけを集めて作られた、美しすぎる過ぎるアンドロイド。

 

何年経っても、この事実に哀しくなる。

 

 


 

 

チャンミンは物識りだ。

 

チャンミンの頭の中にコンピュータが入っているらしい。

 

身体のどこかに蓋やボタンがあるんじゃないかって、チャンミンの全身をくまなく探してみたけど、見つからない。

 

「つまんないの」

 

蓋を開けたら、赤いランプが点滅していたり、カラフルな電線が何本もあったり、本やアニメ、映画に登場するロボットらしいところを、チャンミンから探そうと躍起になっていたのだ。

 

「だから言ったでしょう?

僕は研究室レベルの門外不出、開発段階の最新鋭のアンドロイドなのです。

スイッチとかハッチとか、そんな無粋なものはないのです」

 

威張って胸を張るチャンミン。

 

膨れた俺は、チャンミンのおやつを全部口に頬張ってやった。

 

「ああっ!

美味しいものを最後に残していたのに...」

 

チャンミンは大人なのに、食べ物のこととなると目の色が変わる。

 

コンピュータは間違った答えは出さないと聞くのに、チャンミンには抜けているところがある。

 

カーディガンを裏表逆に羽織っていたり、文字の綴りを間違えたり。

 

(この時は、チャンミンは寝不足だったんだ。

怖い話を読み聞かせてもらった夜、寝付かれなくて一晩中、チャンミンにベッド脇に居てもらった。

チャンミンは一睡もせずに、俺と手を繋いでくれた)

 

「チャンミンはアンドロイドなのに、なんで間違えるかなぁ?」

 

指摘して笑うと、

 

「完璧すぎたら面白くないでしょう?

わざとお馬鹿な部分を敢えて出しているのです!」

 

って、威張って言うんだ。

 

俺みたいにドジなところがあったり、おやつを盗られて泣き真似をしたり、チャンミンは人間みたいだ。

 

人間よりうんと、うんと優しい心を持っている。

 

周囲の大人たちを思い浮かべながら、俺はそう思った。

 

「僕が間違える理由が...バグだったらどうします?」

 

「バグ?」

 

「プログラムの不具合のことです。

修理が必要かもしれませんね?」

 

と、意地悪気に片目を細めてみせるから、俺はチャンミンの腰にしがみつく。

 

「ヤダよ。

修理っていったら、工場に行っちゃうんでしょ?

行かないで」

 

「ふふふ。

行きませんよ」

 

チャンミンの温かい手が振ってきて、優しく俺の頭を撫ぜる。

 

「ミルクをこぼしたり、ドアに指を詰めたり、ユノの足を踏んづけてしまうのは、僕のありのままの姿です。

そうプログラムされているから、バグではありません。

大丈夫。

どこにも行きませんよ」

 

「よかった」

 

俺と同じ目線になるよう、チャンミンはしゃがんでくれる。

 

薄茶色の宝石...琥珀...みたいな綺麗な瞳。

 

「ユノと会話をするうちに、言葉や言い回しを覚えたり、ユノの性格を知るのです」

 

「チャンミンは優秀だね」

 

「はい。

僕はユノのために生きていますから。

生きる...って言い方も変ですけどね」

 

ふふっと微笑んだチャンミン。

 

「チャンミンは子供の頃、何して遊んだ?」と質問した初冬の木立の中。

 

あの時と同じようにひっそりと、寂しそうな笑顔。

 

「俺もチャンミンのために生きる!」

 

「お!

勇ましいことを言ってくれますねぇ」

 

チャンミンに頭をかき抱かれて、苦しいけど可笑しくって俺はキーキー叫び声をあげてしまう。

 

「嬉しいです」

 

俺の言うコト成すコトを、大きくて綺麗な目とぴんと立った耳でひとつ漏らさずキャッチしてくれるんだ。

 

「嬉しいですけど、ユノはユノ自身のために生きてくださいね。

僕の心配はしなくていいですから」

 

「わかった」とチャンミンの手前そう言ったけど、心の中では

 

「チャンミンに好きになってもらえるかっこいい大人になろう。

強い大人になって、チャンミンを守ってやろう」

 

と思っていた。

 

 

 

 

今夜は階下が騒がしい。

 

バルコニーに出て下を見下ろすと、駐車場は車でいっぱいだった。

 

父さんがお客を沢山呼んで「パーティ」を開くらしい。

 

昼間から嫌な予感がしていたけど、当たりだった。

 

使用人たちが屋敷内をあっちこっちで立ち働いていて、大勢の大人たちに放っておかれていられるから、ちょっとだけホッとした。

 

あの赤い車は、伯父さんのもの。

 

意地悪な従弟たちに見つからないように、チャンミンを隠さないと。

 

従順なチャンミンを玩具にするに決まっているから。

 

従弟たちによって酷い目に遭わされたチャンミンを...俺が8歳のとき...思い出すと、怒りと自分の不甲斐なさに身体が震えるのだ。

 

 

 

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