(2)僕の失恋日記

 

 

アイドルごときに真剣に恋をしていた僕。

 

馬鹿だなぁ、ってつぶやいているけれど、小馬鹿にはしていない。

 

馬鹿にできるものか。

 

僕は彼のファンの一人に過ぎず、向こうは僕の存在自体を認識していない。

 

そうであったとしても、19歳の僕は真剣だった。

 

結婚報道を知ってから2カ月が過ぎた頃、僕の心境に変化が現れた。

 

CCに対して苛立ちと怒りをおぼえたり、突如、虚しさをを抱え始めたようなのだ。

 

(この日記を読むまで、当時の心境をすっかり忘れていた)

 

 


 

ー15年前の12月某日ー

 

初雪。

例年の10日遅れなのだそうだ。

クローゼットの中からセーターを引っ張り出した。

今年もあと3週間。

ふ~んって感じ。

何の感慨もない。

僕の心は死んだまま。

 

(※浸ってるなぁ)

 

 

シャワーを浴びていた時、突き出た下腹に気が付いた。

食欲が戻った以降、暴飲暴食な食生活が続いていた。

鏡に顔を映すと、むくんで不細工な顔がそこにある。

僕を不細工にした正体を、僕は知っている。

それは、執着だと思う。

僕は推しから離れられずにいる。

僕の推しは今も推しのまま。

ふとした時に、CCを想う。

CCは今、婚約者の隣にいる。

ため息ばかりついている。

嫌いになれたら楽になれるのに。

 

(※相当センチメンタルになっているようだ。

今も昔も、僕という人間は変わっていない)

 

 

・バイトのシフトを増やした。

・母さんから電話。

年末年始、帰省するのかどうか?

「帰らない」と答えた。

・明日は資源ゴミの日。

溜まりに溜まった空き缶を捨ててしまうこと。

(毎晩、飲み過ぎだ。節制しないと)

 

 


 

ー15年前の12月某日ー

 

年末年始、クリスマスを控え、街中が忙しなさと浮かれた雰囲気。

ユノと××デパートへ、買い物に出かける。

 

【ユノが買ったもの】

×××(ブランド名)の腕時計

恋人へのクリスマスプレゼント。

値段に驚く。

ユノ曰く、恋人からのリクエストなんだとか。

これを買ってあげるために、バイトを頑張ってたんだとか。

ブランドものの腕時計なんて僕は欲しくもないけど、ユノの恋人は幸せ者だなぁと思った。

だって、ユノを頑張らせる原動力となっているんだもの。

その人の為なら頑張れる。

そういう存在がいる幸せ。

僕はその存在を10月××日に失くしてしまった。

 

【僕が買ったもの】

・口紅

(妹×から頼まれたもの)

・靴下3足

 

 


 

ー15年前の12月某日ー

 

ユノにクリスマスの予定を尋ねられる。

クリスマスを一緒に過ごさないか?と誘われた。

当然、断った。

(断る以前に、バイトのシフトを入れていたから無理な話)

会ったことのないユノの恋人と3人で、クリスマスを過ごす不自然さ。

ユノは僕を憐れんでるのだろう。

余計なお世話だ。

 

 


 

ー15年前の12月24日ー

 

世の中はクリスマス・イブ。

うっとおしい。

 

 

バイト

7:00~19:00

忙しかった。

フルタイマーの××さんから、飲みに誘われる。

××さんはクリスマスの一週間前に、彼氏と別れたのだとか。

寂しいのだろう。

僕を当てにされても困る。

 

 

(※僕がゲイだと、周囲には知られていない。

それは当然のことで、前もって知らせる義務も、必死になって隠す必要もない。

誰かと恋愛関係に陥りそうになってはじめて、少数派である僕の傾向がネックになるのだ。

ユノにも気付かれていないと思い込んでいたところ、実はバレていた。

その辺りのくだりは、後述する)

 

 

帰り道、電柱の影に白猫がうずくまっていた。

近寄ると、逃げてしまった。

 

【夕飯】

・骨付きグリルチキン

・サラミピザ(冷凍)

・ポテトサラダ

・ショートケーキ

・ワイン2本

・缶ビール5本

いずれもバイト先で購入。

ガツガツと食べた。

 

 

今頃ユノは、恋人と仲良く過ごしているのだろう。

有名店のケーキを注文した、と言っていた。

とても大きなケーキだから、一緒に食べようと誘ってくれた。

部外者の僕がいたらユノの恋人も居心地が悪いだろう。

それなのに、「今からそっちに行ってもいい?」と電話をかけたくなった。

手にとった受話器を戻した。

 

僕はとても寂しがっている。

電話をかけなかったワケは、寂しい理由が分からなくなったからだ。

僕は10月からこっち、ずーっと寂しい気持ちを抱え続けていたせいで、

今の寂しい気持ちが、CCがらみによるものなのか、そうじゃないのか区別がつかなくなっていた。

 

 

今頃CCは、婚約者の隣にいるのだろう。

ファンに過ぎない僕は、CCの隣に立ったことは一度もないし、今後もあり得ない。

もし、夢が叶って隣に立つことが許されたら...。

「もしも」の話は止めよう。

 

 


 

ー15年前の12月某日ー

 

CCの結婚についての報道は、10月から一切なかった。

ファンクラブから何のお知らせもない。

今この時も、CCは婚約者と一緒に過ごしているのだろうな。

「結婚します」とは聞いたけれど、「いつ」結婚するんだろう?

関係者か誰かがリークしてくれないかなぁ。

 

喫茶店に集まる推し仲間が、3分の2まで減っていた。

離れていったのだ。

CCを話題に、彼らと過ごした楽しかった時間は、もう戻ってこない。

彼らと僕を結び付けていたのは、「CCに恋する気持ち」

CCへの恋心が打ち砕かれた今、彼らと集う理由はなくなった。

寂しいなぁ、と思った。

 

 

 

実家から、米と餅、リンゴ、レトルト食品と缶詰、封筒に入った現金が届いた。

 

 


 

ー15年前の12月某日ー

 

2か月間、床に陳列していたCCのものがうっとおしく思えてきた。

僕はむしゃくしゃしていた。

CCはアイドルがしてはいけない禁忌を犯したのだ。

ファンを裏切った。

怒りの感情に支配されていた。

一切合切、CCのものをゴミ袋に投げ込んだ。

ニューアルバムの初版限定特典ポスターを切り裂いた。

(手に入れるため早朝からCDショップの前で並んだ)

割れたCDケースで手の平を切ってしまった。

クリアホルダーにおさめた雑誌の切り抜きも、マスコット人形も。

いっぱいいっぱい。

これら大量のものを、嬉々として買い集めていた自分が馬鹿みたいだ。

黒いゴミ袋に突っ込んだ。

45リットルゴミ袋8袋。

すっきりした。

 

 

18:00

【ユノと居酒屋へ】

二人だけのお疲れさん会。

ユノに「元気か?」と訊かれて、僕は「元気じゃない」と答えた。

「失恋したんだ」と、ユノに打ち明けた。

「そんなところだろうと思った」とユノは答えた。

「大好きだったんだ」と、教えてあげた。

「そうだったろうね」とユノは答えた。

この後、僕とユノは飲み屋を二軒(多分)ハシゴした。

めちゃくちゃ飲んで酔っ払っていたから、その間の会話は覚えていない。

 


 

(※ボロボロになった僕の介抱をしてくれていたんだから、ユノに大バレもいいところだ。

 

部屋に散乱したCCのグッズから、失恋した対象も大バレだった。

 

ユノも困っただろう。

 

男性アイドルにガチ恋して、ガチ失恋している19歳男子に、何て声をかけたらいいのか。

 

僕の嘆きように、中途半端な慰め言葉はかけられない、と気を遣っただろう。

 

冒頭で、僕はこう言った。

 

馬鹿にできるものか、と

 

あの時のユノは、僕を尊重してくれたんだと思う)

 

 


 

 

※3か月も経過すると、意識の上にのぼってこない日々が当たり前になってくる。

 

呼吸が楽になり、日々の楽しみをしみじみと味わえるようになる。

 

なんだ、平気じゃないか、と嬉しくなるのだ。

 

 


 

ー15年前の12月大晦日ー

 

今日もバイト。

忙しい。

昼休憩は15:00まで、後ろにずれこんた。

ユノ、僕と30分遅れで昼休憩。

ユノのぱきっとした明るさが、隣にいてしんどく感じるようになってきた。

みじめな僕と幸せなユノとでは、気分の差が大き過ぎる。

恋人がいるユノには、僕の気持ちなんて分からない。

 

(※15年前。

CCの件が起きるまで、僕とユノは親友同士とまではいかない仲だった。

ユノとはアルバイト先で知り合い、同じフロアに配属された。

年も近く、気取らないユノに好感をもてた。

連絡先を交換し、プライベートでも遊ぶようになっていた。

それだけの関係だったのが、推しの結婚でズタボロになってしまった僕を、ユノは放っておけなかったんだね。

今じゃ僕の旦那さんだ)

 

 

朝から駆けずり回っていたせいで、クタクタだった。

疲れすぎて食欲がなかった。

テレビ番組、うるさくてくだらない内容。

何がそんなに面白いんだろう?

幸せの絶頂にいるCCは婚約者の隣にいて、この番組を見て、ゲラゲラ笑っているんだ。

僕はこんなに、悲しんでいるのに...。

 

 

この時僕は、「またかよ」とつぶやいていた。

デジャブ、じゃなくて現実。

『歌手のCCさんが、来年2月にお相手の一般人と結婚披露宴をあげることを...』

勘弁してくれよ。

 

 

(※この時の、心臓がひやりとした感覚は今も思い出せる。

休憩時間、同じ場所、同じテレビ...ショッキングな情報を2度も、似たようなシチュエーションで知らされた僕。

トラウマになってしまった。

バイト先の休憩室が大嫌いになり、昼飯はタバコの匂いを我慢しながら、喫煙室で摂っていたなぁ、そういえば)

 

 

ユノに肩を揺すられるまで、僕の視線はテレビ画面に釘付けだった。

この日の僕は、バイトを早退しなかった。

夜22:00まで働いた。

いつもの100倍も愛想がよくて、社員の××さんや店長、パートの×さんは気味悪がっていた。

ユノは遠巻きに僕の様子を気にかけていた。

ちゃんと周囲が見えている。

よかった、少しは前進している。

 

 

「カウントダウン、俺たちと一緒にしないか?」

ユノに誘われたけど、断った。

ユノには恋人がいる。

僕はお邪魔虫だ。

よいお年を。

 

【別れ際にユノから貰ったもの】

・恋愛成就のお守り

(昨日まで実家に帰っていたんだとか。

近所の神社で買ってきてくれた)

・焼肉弁当

 

(※今も昔も、ユノはユノのままだ。

無神経で不器用でとても優しい)

 

 


 

ー15年前の1月2日ー

 

バイト、新年初売りで忙しい。

早番、6:00~15:00

社員さんの1人が倉庫で、積み上げられた段ボールの下敷きになった。

救急車騒ぎとなったが、腕の骨を折るだけで済んでよかった。

頭を打っていたら大変だから。

臨時バイトの高校生たちが若くてうるさい。

彼女たちの会話の中でCCの名前が出てきて、僕の心臓がどっきーんとなった。

僕はまだまだ全然、平気じゃない。

まだまだ引きずっていることに気づいて、一気に気分が落ちてしまう。

遅番のユノと入れ替わりで帰宅する。

焼肉弁当が美味しかったとお礼をいいそびれた。

 

 


 

ー15年前の1月某日ー

 

午後10時からCCが主演した映画が放送される。

録画しようか迷う。

 

(※この映画のDVDはもちろん持っている。

映画招待券が欲しくて、シャンプー&コンディショナーを何セットも買ったものだ)

 

CCは、僕の生活の深いところまで食い込んでいる。

思考のルーティンに組み込まれている。

「今頃CCは」「今頃CCは」って、意識の隙間時間ができる度に、念仏のように唱えている。

今頃CCは、婚約者と過ごしている。

じゃあ、僕は?

僕は今、何をしている?

 

 

剣士役のCCはかっこよかった。

悔しいけれど、ときめいた。

カッコよすぎて涙が出てきた。

映画館で観た時の感動を思い出したのだ。

スクリーンのCCを一途な眼差しで追っていた僕を想って泣いた。

「おいチャンミン、1年後にはCCは結婚してしまうんだぞ?」って、教えてあげたい。

「夢中になり過ぎるな。後で辛くなるぞ」って、突っ走る僕を止めてあげたい。

可哀想な僕。

僕の心にぐるぐる渦巻いている感情。

吐き出したい。

声に出して、誰かに聞いてもらいたい。

推し仲間とは疎遠になった。

ユノしか思いつかない。

 

(※思い詰めているなぁ。

大人になった僕の目から見ても、15年前の僕は、痛々しく可哀想だ)

 

 


 

以下は、

僕とユノが初めて寝た日に、行為の後で交わした会話だ。

(記憶をたよりに再現してみたから、細かいところで違っていると思う)

 

僕がゲイであることに、いつ気づいたのかを尋ねた。

 

ユノ

「うすうすそうじゃないかと思ってたんだけどさ」

 

「CCのファンだったから?」

 

ユノ

「その前から」

 

「嘘!?」

ユノ

「佇まいっていうの?

女を見る時のチャンミンの眼は、いっつもおんなじなんだ。

ところがさ、男を見る時...見境なくっていう意味じゃないぞ。

人によって、目の色が変わるんだ。

『お!』って、いい感じの男の時は、チャンミンの挙動がちょっと変なんだ」

 

「...そうなんだ。

ずいぶんと観察していたんだねぇ」

 

ユノ

「チャンミンって、これまで俺の周りにはいなかったタイプだったから。

ついつい見ちゃうんだよなぁ」

「ゲイっぽかったから、興味津々?」

 

ユノ

「それもあるけど。

...バレないように、隠している感じが可愛かった」

 

「バレないようにしてることを、バレてた。

恥ずかしいなぁ」

 

ユノ

「周りにはバレていないさ。

俺も同類だったから、分かったんだ」

 

「僕はユノがそうだったなんて、全然気づかなかったよ」

 

ユノ

「俺は気配を消すのがうまいの」

 

「気配...ねぇ...」

 

ユノ

「でさ、

チャンミンはどこか危なっかしいとこがあるんだ。

チャンミンの眼を見てたって言っただろ。

真っすぐで一途なんだ。

もっと力抜けよなぁ、って思ってた。

手を抜かない。

そこらへんの適当な男なんかになびかない。

理想が高そうなとこも、危なっかしいんだ。

だから、見張っていた」

 

「見張ってたの?」

 

ユノ

「ちらちらっと、ね」

 

「恋人がいたのにね」

 

ユノ

「そうだよ~。

恋人がいたのにね」

 

(※僕らが初めて寝たのは...僕の部屋だった。

寒くて、布団の中で裸でくっついていた。

...思い出していたら、したくなってきた。

今夜、ユノを誘おう)

 

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(1)僕の失恋日記

 

~『奥さま手帖』の15年前~

 

 

手作りのアップルパイを届けがてら、実家に寄った。

(先週末、ユノとリンゴ狩りに行ってきたのだ)

 

探し物があった。

 

僕の部屋(物置と化している)の押し入れの戸を開け、上段の荷物を一旦外に出した。

 

天井板の一枚だけが外せるようになっていて、屋根裏が僕の秘密の隠し場所だ。

 

家族に知られたりなんかしたらこの世の終わり的な、恥ずかしいものを沢山隠してある。

(捨てればいいだけの話、なんだけどね)

 

「確か、この箱の中だったはず...あった!」

 

見つけた目当ての物を、バッグに入れた。

 

「次はユノさんを連れておいで」と玄関先まで見送りに出た母さんに、「またね」と手を振って家を出た。

(ユノは我が家の人気者なのだ)

 

夕飯の用意まで時間はたっぷりあることだし、喫茶店に寄ろう。

 

僕が探していたのは、15年前の日記帳だ。

 

15年前、僕は熱烈な恋をしていた。

 

片想いだった。

 

今、ふり返ると当時の僕は相当、イタイ奴だった。

 

ユノとは既に出逢っていたけれど、まだ恋愛関係になかったし、彼には恋人がいた。

 

15年前のちょうど今頃、僕は失恋した。

 

商店街にある喫茶店で、一番奥まった席をとり、バッグから大学ノートを取り出した。

 

ここには、その際の失恋模様が書き記されている。

 

僕の日記は今も昔も記録に近いし、ところどころ、センチメンタルになり過ぎていて大赤面ものな言葉も書き綴られている。

 

「※」は、現在の僕が付け加えた注釈だ。

 

 


 

ー15年前の10月某日ー

 

失恋した。

この世の終わり。

僕はどうやって家に帰ってきたのだろう。

無のままバイトを早退し、電車に乗り、コンビニで買い物をし、郵便ポストをのぞき、鍵を開けて部屋に入り、部屋着に着替えていた。

僕はベッドで卵みたいに丸まっていた。

 

僕は失恋した。

 

 

【13:00】

え~っと、バイトの休憩室のテレビで知ったんだった。

『人気アイドル歌手CC、結婚を発表!』のテロップ。

(※CCの性別は男性だ)

 

口に運ぶ途中のから揚げを、箸からポトッと落とした。

どっと冷や汗が全身から噴き出した。

心臓がドッキンドッキン五月蠅いのに、周囲の音は消えていた。

 

(※この時のショック状態、今でもありありと思い出せる)

 

 

隣でお昼を食べていたユノが、「どうした?」と僕の腕を突いてきた。

僕の推し、アイドルCCが結婚...。

結婚!?

結婚!?

CCは僕の青春の全てだった。

CCを初めて見た中学3年、ガツンと頭を殴られたみたいな衝撃だった。

(※何かの宣伝ポスターだったと思う)

 

決定的で劇的に、僕は恋に落ちたのだ。

(※当時から僕は大袈裟な男なのだ)

 

ユノ、硬直してしまった僕を心配する。

「顔色が悪いぞ」

「大丈夫か?」

「俺が店長に伝えとくから、お前は帰りな」

 

 

【14:00】

ユノに甘えて、僕はバイトを早退する。

 

 

【ユノには言えないこと】

1.バイトを早退したホントの理由

2.バイトを早退しないといけないほど、失恋で打ちのめされていること

3.失恋の相手が、アイドルだということ

4.そのアイドルにガチで恋をしていたこと

 

 

食欲がない。

涙はまだ出ない。

 

 

【17:00】

夕方のニュース番組の時間。

怖くてテレビがつけられない。

 

 

【18:00】

ユノから電話。

僕のことを心配してくれる。

夕飯を買って寄ろうか?と優しい申し出。

ひとりでうずくまっていたい気分だったため、「大丈夫だ」と断った。

ユノは優しい。

だから、ユノの恋人は幸せ者だと思う。

 

 

【20:00】

買ってきたワインをラッパ飲みした。

美味しくもなんともない。

本棚から、CCの写真集を出した。

(※当時の僕は、バイト代のほとんどをCCに費やしていた)

どうしよう、やっぱりカッコいい。

やだなぁ、僕って馬鹿みたいだ。

じわっと、ちょっとだけ涙が出た。

わ~ん、って泣けたらいいのになぁ...。

 

 

結婚!?

マヂで信じられないんですけど!!!

(※ノート見開きを使って、大きく書きなぐってある)

 


 

 

※以下は推しの結婚報道を知って、10日以降の僕の様子だ。

打ちひしがれた僕はなんと、10日間部屋に閉じこもっていたらしい。

つまり、学校もバイトも休んでいたわけだ。

 

馬鹿にもほどがある。

 

 


 

ー15年前の10月某日ー

 

ため息ばかりついている。

CCのことが頭の中をぐるぐるしている。

 

 

テレビなんて大嫌いだ。

世の中、もっと報道すべき事はあるだろうに、CCについての続報がないのだ。

CCの結婚スクープが放送されたのはその当日のみで、あとはぴたっと無くなった。

スポーツ新聞や週刊誌を買ってきては、目を皿のようにしてページをくった。

『10月某日、所属事務所を通じて歌手のCC(年齢非公開)は、来年に結婚式を控えていると発表した。

突然過ぎるんだよ。

先月、アルバムを発表したばっかりじゃないか。

アイドルが結婚していいのかよ。

 

 

関係者によると交際期間1年で、お相手は7歳年下の一般男性だという。

1年間!?

じゃあ、あのコンサートの時は既に恋人がいたのか。

きっついなぁ。

一般人ってなんだよ。

アイドルと一般人の接点ってどこにあるんだよ。

 

(※当時の僕は、当然のことながらお相手の性別が気になっていた。

僕自身がゲイであるから、余計にこだわってしまった。

「女性」だったら、男の僕はどう頑張っても太刀打ちできない。

だって、女性になれないんだ。

でも、僕と同性となると、婚約者とやらはれっきとしたライバルになり、僕は彼に負けたことになる。

女性だろうが男だろうが、CCはその人物と添い遂げたいと望んだんだ。

僕にとって妬ましい存在であることに変わりはない)

 

 


 

ー15年前の10月某日ー

 

【食べたもの】

ヨーグルト

サラミソーセージ1本

缶ビール5本

CCのデビューアルバムを12回リピートした。

やっと涙が出るようになった。

 

 

2週間前の週刊誌の2ページあまりの記事を、何度も何度も読んだ。

僕に読まれ過ぎて、印刷された文字が薄くなっちゃうんじゃないかな。

 

『報道各社に、本人の直筆メッセージがFAXで届けられた。

『皆さんに具体的にお知らせするべきでしたが、報道が先となってしまいました。

〔ホントだよ。

ファンにまず知らせるべきだよ]

 

『皆さんもご存知の通り、僕には交際中の男性がおりました...彼とは...うんぬんかんぬん...』

〔うんぬんかんぬんの部分

出会いの話や婚約者への想いなんて知りたくないんだよ〕

 

『CCは××××年に芸能界にデビューし、圧倒的な歌唱力と端整な容貌が注目され、

以降10年にわたり音楽シーンの第一戦を...うんぬんかんぬん』

 

CCの活躍なんて知ってるよ。

(せいぜい数年だけど)

僕は彼の謝罪の言葉が聞きたかった。

ファンの皆さん、ごめんなさいって。

 

 

(※僕はこれだけ傷ついたんだよ、ってのを、彼に知ってもらいたかったんだね。

15年前の僕は、週刊誌に書かれた記事を書き写している。

そこに赤ボールペンで、自身のコメントを書き加えている。

よほどご立腹だったらしい。

痛々しい)

 


 

ー15年前の10月某日ー

 

今頃、CCは何を考え、何をしているのだろう。

 

婚約者とよろしくやっているのだろうか。

想像して苦しくなった。

俳優×の不倫騒動や、女優××の4つ子出産、歌手×××の逮捕の方が話題性があるから、仕方がないか。

事務所側がネタを出さないようにしているのか、CCの意向なのか。

地方都市に住む平凡な19歳男が知る由もないとは、このことなんだろうなぁ。

 


 

ー15年前の10月某日ー

 

ズボンのウエストが緩くなってきた。

ひげを剃らず、一度も外出しない日もある。

何を食べたいのかも分からない。

 

 

今日も差し入れを持ってきてくれる。

僕の生命はユノによって繋いでいると言っても過言ではない。

いつか元気になったら、ユノにお返しをしてやりたい。

 

(※どん底気分にある時は、そこから抜け出せる日などなく、永遠に悲しみ続けると絶望しているものだ)

 

 

CCのグッズは押し入れに隠すべきなんだろうけど、今の僕はその元気がない。

ずら~っと床一面にCCのグッズを陳列していた。

僕とCCとの軌跡だ。

ユノは驚いたと思う。

(やべぇ奴だと思っただろうな)

でも、このことに一切触れなかった。

(ユノは優しい。

ユノの恋人は幸せ者だ)

 


 

ー15年前の10月某日ー

 

夜20時。

バイト帰りのユノ、僕の部屋に寄ってくれる。

ハロウィーンだからと、パンプキンプリンを買ってきてくれた。

僕らは歌番組を観ながら、パンプキンプリンを食べた。

CCは雲隠れしてしまったようで、この番組に出演していなかった。

僕はホッとしていた。

どんな気持ちでCCの歌を聴いたらいいか、分からなかったから。

 

 


 

ー15年前の11月某日ー

 

推しの結婚報道に1ヶ月経ったのに、未だ受け入れ難い。

僕らというファンがいながら結婚を決心したCCの気が知れない。

推し仲間と喫茶店に集合して、『アイドルとは?』について論じあった。

お腹がタプタプになるほど、コーヒーをお代わりしたし、同席の奴らはタバコをひっきりなしに吸うから、全身いぶされたみたいになった。

語りに語り尽くして、店の閉店時間まで粘った。

ふらふらになって帰宅する。

夕飯を届けにきたユノに、

「タバコ臭いなぁ。吸うなとは言わないけどさ、吸い過ぎるなよ」と言われ、僕はムカっとした。

「僕が吸ったんじゃねえよ」って。

(※当時も今も、ユノは変わらない)

 

CCに特別な思いを抱いていない人たちが皆、ノー天気に見えてくる。

彼らのノリについてゆけない。

僕は1か月が経った今も、ふわふわと夢見心地の世界に生きている。

その夢はとても暗く、寒々としていて、息苦しい世界だ。

いつになれば、ここから抜け出せるのだろうか?

CC以上の人物とは、二度と出逢えないだろう。

(※失恋真っ只中の人間とは、視界が狭くなっており、断定的な思考をしがちだ)

 

 


 

ー15年前の11月某日ー

 

正午頃に起床する。

朝食

果物ゼリーとチョコレートを1/2枚

3時限目の講義に出る。

(※出席日数が単位に関わるから、仕方なく出席したのだろう)

 

病欠で1か月以上バイトを休みにしていたが、来週からはいよいよ復帰しなければならない。

CCに費やすための資金を稼ぐ必要はもうないんだな、と思うと寂しくなった。

 

 


 

ー15年前の12月某日ー

 

外に出ると息が白かった。

冬だなぁ、と思った。

お洒落を楽しむ気持ちになれずにいた。

「そろそろ、床屋に行ってこい」

と、ユノに引っ張っていかれるまで、髪の毛が伸び放題になっていたことに気づかなかった。

コンサートに行くときは、床屋に行ったし、とっておきの洋服を着た。

CCの真似をしてピアスホールも開けた。

あの日はもう、やってこない。

ぽっかり空いた心が痛い。

 

突然泣き出した僕に、ユノは困った風で僕を眺めていた。

いつまでも泣き止まないから、ユノは

「よ~し、泣け泣け」と頭を撫ぜてくれた。

 

 


 

 

相当、打ちひしがれていたんだなぁ、と驚きながら読み進めていた。

 

「可哀想に」と憐れむよりも、「アホだなぁ」と思った。

 

「握手会」のためにCDを30枚以上買ったなぁ。

 

屋根裏に、それらが紐で束ねられていた。

 

ちらほらとユノの存在を感じる。

 

CC失恋事件を契機に、ユノとの距離が縮まったんだった。

 

僕はコーヒーのお代わりを注文した。

 

 

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(4)禁じられた遊び

 

 

 

「帰ってきてるだろ、一度?」

 

「帰ってないよ」

 

「立派にバレてるから」

 

「バレてる?」

 

「3枚減ってた」

 

「何が?」

 

「パンケーキが減ってた」

 

「......」

 

「チャンミン、パンケーキが好きだろ?」

 

「甘いものは好きじゃないもん」

 

「俺が焼いたパンケーキは、好きだろ?」

 

「......」

 

「パンケーキのいい匂いに誘われて、チャンミンが帰ってくるんじゃないかなぁって」

 

「枚数をいちいち数えてたの?

ユノ、細かい男は嫌われるよ?」

 

「細かいのはチャンミンの方」

 

「むぅ」

 

「パンケーキ食べる?」

 

「夕飯に、パンケーキ?

ご飯と漬物だけの、質素なメニューを欲してるんですよねぇ」

 

「冷凍庫がパンケーキで、いっぱいなんだ」

 

「外食続きで太っちゃったかも」

 

「ホントだ」

 

「なんだって!?」

 

「嘘。

太ってないよ。

アイスをのせる?

ホイップクリームもあるよ」

 

チャンミンは疑わしそうに俺を睨んでいたけど、ふんと鼻をならしてダイニングチェアにすとんと腰を下ろした。

 

「僕を太らせる気?」

 

「アハハハ。

お尻がぷにっとなったチャンミンって最高」

 

「真に受けるからね、その言葉!

両方のっけてね」

 

「了解!」

 

 

 

 

チャンミンは俺の奥さんだ。

 

10日前、俺たちは喧嘩をした。

 

その結果チャンミンが家を飛び出してしまった。

 

チャンミンのことだから、マンション前の植え込みの陰にしゃがんで、追いかける俺を待っていたかもしれない。

 

でも、俺は相当腹を立てていたから、チャンミンを追わなかった。

 

それがいけなかった。

 

10日間のあいだ、どこで寝泊まりしてたのやら。

 

「奥さんが出勤していないのですが...?」なんていう連絡はなかったから、仕事には行っていたようだ。

 

「ビジネスホテル生活も、10日続くと辛い」

 

俺たちはレンジで温めたパンケーキを前にしていた。

 

焼き立ての時と比べると、ちょっとしんなりしているけど、アイスとホイップクリームにまみれて、ひと口ひと口が至福の塊だ。

 

「家出してごめんね」

 

「オレもキツイこと言って、ごめん」

 

 

 

 

喧嘩の詳細はこうだ。

 

友人夫婦に赤ちゃんができたと聞いて、お祝いの気持ちで赤ちゃんグッズをプレゼントしようと思いたったのだ。

 

俺たちのクローゼットには、赤ちゃんグッズが詰まっている。

 

赤ちゃん10人分。

 

これらは、永遠に誕生することのない俺たちの赤ちゃんのために、買い揃え続けてきたものだ。

 

俺たちには必要ないもの。

 

でも、手放しがたいもの。

 

とはいえ、永遠に溜め込みつづけるわけにはいかない。

 

少しずつ手放していかないといけない。

 

本当に必要としてくれる人の元へ、譲ってあげようよ。

 

チャンミンにその決心がつくまで、俺は待ち続けていた。

 

「少しくらい減ってもいいじゃないか。

また買えばいいじゃないか!」

 

って、酷い言葉を吐いてしまった。

 

 

 

 

チャンミンは、とにかく赤ん坊を欲しがった。

 

俺たちは男同士だから、赤ん坊なんて絶対に生まれない。

 

ところがチャンミンの頭の中は、赤ん坊のことでいっぱいだった。

 

その気持ちが強すぎて、定期的にチャンミンは『フェイク妊娠』する。

 

何かしら不安になることがあったりすると、チャンミンは空想の赤ん坊を宿す。

 

「赤ちゃんができました」のチャンミンの一言で、ゲームは始まる。

 

俺もチャンミンに合わせて、彼が『妊婦さん』であるかのように接する。

 

赤ちゃんの誕生を待ち望む夫婦の姿を演じる。

 

そしてある日突然、「赤ちゃん、駄目でした」で幕を下ろす。

 

可笑しいだろ?

 

『チャンミンが妊娠したかも』ごっこも、10回を迎えると疲れてきた。

 

哀しくなってきた。

 

クローゼットの中には、回を重ねるごとに増殖するものたち。

 

夫の俺と、『赤ちゃん』と、どちらが大切なんだ?

 

いい加減、隣にいる俺と正面から向き合って欲しかった。

 

「チャンミンには、俺が見えないのか!」って怒鳴った。

 

気持ちを切り替えて、俺と2人の人生を歩む覚悟を決めて欲しかった。

 

チャンミンの哀しみに寄り添ってきた俺だけど、とうとうやりきれない思いが爆発してしまった。

 

「いい加減にしろ!」って。

 

「俺がいるだけじゃ、足りないのか?」って。

 

「チャンミンの目には俺が映っていないのか?」って。

 

チャンミンは心底驚いただろう。

 

結婚して初めて、俺が怒鳴る声を聞いたんだから。

 

真剣に怒る俺を初めて見たんだから。

 

帰宅してソファに置いたばかりのバッグをつかんで、脱いだばかりのジャケットを羽織ると、チャンミンは無言のまま家を出ていった。

 

あれから10日間、家に帰ってこなかった。

 

携帯電話がキッチンカウンターに置きっぱなしで、チャンミンに連絡しようにも出来なかった。

 

 

 

 

「また買えばいい」だなんて酷すぎた。

 

赤ん坊を産めないチャンミンに言ったらいけない言葉だった。

 

それでも、いつまでもごまかしの日々は御免だった。

 

本音をぶつけたことを、俺は全然、後悔していない。

 

どこかで、伝えなくちゃいけない言葉だった。

 

伝え方が悪くて、チャンミンにショックを与えてしまったけど。

 

俺の正直な気持ちを隠すことなく伝えたかった。

 

俺はチャンミンのことが世界で一番大事だから。

 

 

 

 

「ねぇ、ユノ。

家出してる間にね、

ホテルのエレベーターの注意書きが、すごいシュールで面白かったんだ。

この可笑しさは、ユノじゃなきゃ理解できないくらいのシュールさだったんだ。

ユノと共有したかった。

でね、写真を撮ってユノに送ろうとしたんだけど、携帯を忘れていっちゃったから。

それで、取りに家に寄ったんだけど、なくて...」

 

「ごめん、俺が持ち歩いてた」

 

「そうだったんだ。

でも、かえって良かったかも。

全く連絡がとれなかったおかげで、ユノのありがたさが、よ~く分かりました」

 

「ありがたみ?

どれだけ俺のことを愛してるか、じゃなくて?」

 

「分かってるくせに」

 

「ははっ」

 

「ちゃんと帰ってきたでしょ?」

 

「チャンミンが帰る場所は、俺の場所~♪」

 

「ユノ、歌うまいねー」

 

チャンミンは、パチパチと手を叩いた。

 

俺は調子に乗って、言葉をメロディにのせた。

 

「チャンミン~♪

ひどいこと言って、ごめんね~♪

これからも~、チャンミンの~♪

『赤ちゃんできちゃったごっこ』を~、やろうね~♪」

 

「ユノー!」

 

チャンミンが俺に抱きついてきた。

 

「もうやりません」

 

「そんなこと言わないで。

いくらでも付き合うよ~♪」

 

「ううん。

もうやりません。

あの日、ユノの本音が聞けてよかった。

ユノの言葉で、目が覚めました」

 

「チャンミン...」

 

「自分の気持ちを押し付けてばかりだった。

悲劇のヒロインぶってた...あ、僕は男ですけどね。

ヒーローじゃ変でしょ?

ユノの気持ちなんか、全然考えていなかった。

ユノはずっと隣にいてくれたのに...」

 

「チャンミン...」

 

俺はチャンミンの頭をよしよしとなでた。

 

「怒鳴ってゴメン」

 

「キツい言葉だったけれど、あれがユノの本音でしょ?」

 

「うん」

 

「そういう正直なところに惚れました」

 

「だろ?」

 

「ユノが、僕の会社まで迎えに来なくてよかったー。

『妻は出社していますか?』なーんて、電話がかかってきたらどうしよう、って。

気持ちの整理ができる前に、ユノに会いたくなかったから」

 

「恥をかかせるようなことはしないよ。

俺がチャンミンを追いかけなかったのは、俺にも気持ちを整理する時間が必要だったんだ。

もしチャンミンがいなくなったら、俺はどうなっちゃうんだろうって。

確認してみたかったんだ」

 

「で、どうだった?」

 

「わかってるくせに」

 

チャンミンの膝裏に腕を通して、お姫様だっこする。

 

「ひゃー!」

 

チャンミンはこうされることが、好きなんだ。

 

「帰ってくるのが1日遅かったら、危なかったぞ。

明日になったら、チャンミンの会社に迎えに行くつもりだった」

 

「危なかったー」

 

「でさ。

そのシュールな注意書きって何?

教えてよ!」

 

「なんて言いつつ、

寝室に向かってるのは、どういうわけ?」

 

「新しいクリームを手に入れたんだ。

試してみようよ」

 

「ユノはえっちな旦那さんですねぇ」

 

「ふん。

えっちな旦那さんが大好きなえっちな奥さんだろ、チャンミン?」

 

「ひゃー!

お尻をガブッとしないでよ!」

 

 

(おしまい)

当作品は『禁じられた遊び』の続編にあたります

 

 

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(3)禁じられた遊び

 

 

 

休日の夕方、俺は友人夫婦を家に招いた。

 

「好きなものをいくつでも選んでよ」

 

「本当にいいのか?」

 

「いいんだ。

必要とする人にあげたいんだ」

 

クローゼットの扉を開けると、彼らが自由に選べるようリビングに引っ込む。

 

彼らの希望に満ちた会話を聞いていられなくて、俺はTVを付けた。

 

サイドテーブルに置いた携帯電話を手に取り、ロックを外すためPINコードを入力した。

 

0218

 

その4桁の数字だけで、胸が切なくなった。

 

リビングを占拠するソファに寝転がった。

 

背が高い俺が思いきり足を伸ばしても、まだ余裕がある大きなソファだ。

 

隣室に顔を出して、楽し気に会話を交わす彼らに声をかける。

 

「コーヒーを淹れようか?」

 

「ありがとう、でもこの後行くところがあるんだ」

 

コーヒーをすすめておきながら、早く一人になりたかったから、断られてホッとしていた。

 

彼らのために俺は、マンションに横付けした車まで荷物を運んでやった。

 

そして、車の色を見て、胸が締め付けられそうになった。

 

暗証番号は、チャンミンの誕生日。

 

「俺たちの身長に合わせないとな」と一緒に選んだソファ。

 

チャンミンが独身時代、乗っていた車の色がワイン・レッドだった。

 

全てが、チャンミンとリンクしてしまって、泣けてくる。

 

玄関、廊下、リビング、洗面所と次々と電気を付けて歩く。

 

家じゅうを明るくするために。

 

「ユノ!

省エネ、省エネ!

使っていない部屋の灯りは消すこと!」

 

チャンミンがここにいたら、小言を言っただろうな、絶対。

 

薄暗いのは怖い。

 

寂しい気持ちが増してくるから。

 

俺は、ダイニングテーブルに置きっぱなしのPCの電源を入れた。

 

辛くなると分かっているのに、見ずにはいられない。

 

フォルダを開くと、大量の写真が画面いっぱい埋め尽くす。

 

撮影日の古いもの順に、並び替えてみた。

 

数年分若い俺とチャンミンとの写真。

 

一緒にいられるだけで幸せで、笑顔で、片時も離れたくなくて。

 

あの頃に戻りたいかって?

 

答えは「NO」だ。

 

左手をかざし、薬指にはめた指輪にじーっと視線を注ぐ。

 

あの頃より、今の方が幸せだ。

 

「今」、はちょっと正確じゃないな。

 

4日前。

 

ほんの4日前までの方が、ずっと幸せだった。

 

フォルダを閉じて、テキストソフトを立ち上げた。

 

しばし目をつむって考えを巡らした後、俺はキーボードをパタパタと打ち始めた。

 

寂しい。

 

俺独りは辛すぎる。

 

 

 

 

パンケーキ・ミックスをボウルに入れた。

 

俺の場合は、目分量だ。

 

「細かい男は嫌われるぞ」

 

きっちりと計量カップではかるチャンミンをからかった。

 

俺の場合、卵も牛乳も、その時々で量が違ってた。

 

「こういうものはな、美味しい物しか入っていないんだから、不味くなりようがないんだぞ」って。

 

卵を割り入れ、冷たい牛乳を加え、お玉でゆっくりと混ぜ合わせる。

 

「洗い物が減るんだから、この方が合理的」って、俺は頑として泡立て器は使わないのだ。

 

大雑把にも関わらず、俺が焼き上げたパンケーキは、それはそれは美味しいんだ。

 

中はふっくらと、表面はちょうどよい焦げ加減で。

 

そのことをチャンミンは悔しがっていた。

 

ふふん、と俺は得意げに笑ってやった。

 

ホットプレートに並ぶ水玉から、目を離さない。

 

俺は無心でパンケーキを焼き続けた。

 

焼きあがったパンケーキを、1枚ずつ積み上げていく。

 

どれくらい積み上げられるか、途中から面白くなってきた。

 

ボウルが空になったので、追加で生地を作る。

 

コンビニまで走って、足りない卵と牛乳を買ってきた。

 

業務用サイズのパンケーキ・ミックスを全部使ってしまった。

 

チャンミンと一緒なら、もっと面白かっただろうに。

 

濃く淹れたコーヒーと一緒に、パンケーキを食べた。

 

その夜は、バターをたっぷり塗って食べた。

 

口の中もお腹も幸福で満たされたのに、俺の心は隙間風だらけだ。

 

寂しいよ。

 

独りで食べても、むなしいよ。

 

 

 

 

帰宅した俺は、玄関、廊下、洗面所、キッチンと順番に点ける。

 

ダイニングテーブルには、パンケーキが積み上げられたお皿がある。

 

電気ポットでお湯を沸かして、紅茶を淹れた。

 

出張土産にチャンミンにあげた紅茶だ。

 

チャンミンは、特別な日だけ...休日の朝に...これを飲んでいた。

 

トースターで軽くあぶった2枚に、メープルシロップをかけて食べた。

 

鼻の奥がツンとして涙が出そうだったけど、それをこらえて、ゆっくりとパンケーキを食べた。

 

食後はパソコンに向かった。

 

それから、寝相の悪いチャンミンのために選んだキングサイズのベッドで、一人で眠った。

 

次の日は、丁寧に入れた緑茶と一緒に食べた。

 

その次の日は、いちごジャムをのせて食べた。

 

その次の次の日は、冷たい牛乳と一緒に食べた。

 

チャンミンはいない。

 

パンケーキはなかなか減らない。

 

使い終わった皿を洗いながら、俺はとうとう泣いてしまった。

 

会いたい。

 

チャンミンに会いたい。

 

 

 

 

チャンミンのことが大切だったから、できる限り彼に寄り添えるよう、心をくだいてきた。

 

でも、チャンミンはここにないものを求め続けていた。

 

そんな暮らしがむなしくなって、「もう沢山だ!」って本心をチャンミンにぶちまけてしまった。

 

絶対に口にしたらいけない言葉を。

 

絶対に彼が傷つくとわかって、敢えて口にしたらところもあったのかもしれない。

 

彼を沢山傷つけてしまった直後、俺は彼を失ってしまった。

 

二度と取り戻せない。

 

後悔しても、もう遅い。

 

彼はもう、戻ってこない。

 

彼とはもう、夢の世界でしか会えないのかなあ。

 

もしそうなら、俺はずっと眠ったままで構わない。

 

彼との思い出が、だんだん遠くなっていくのが怖い...。

 

 

 

 

背後に気配を感じた。

 

「こらっ!」

「いたっ!」

 

急に頭をはたかれて、心臓が止まるほど驚いた。

 

「勝手に僕を死人にするんじゃない!」

 

「チャンミン...」

 

振り返ると、チャンミンがいた。

 

「おかえり!」

 

俺はチャンミンに飛びついた。

 

「ユノ、ただいま」

 

俺に抱きしめられながらも、チャンミンの目は、じーっとパソコン画面の文章に注がれている。

 

「わっ!」

 

気づいた俺は、パソコンに飛びついた。

 

「どれどれ...。

『彼とは夢の世界でしか会えないのかなあ。

俺は眠ったままで構わない』...ふむふむ」

 

「わー、読むな!」

 

パソコンを頭の上に持ち上げた。

 

「ユノ...小説書いてるんだ?」

 

「違うよ!

日記だってば!」

 

こっぱずかしい文章を読まれて、火が出るほど頬が熱くなった。

 

汗も噴き出してきた。

 

「『彼』って、僕のことでしょ?」

 

俺はチャンミンが不在だった10日間の暮らしを、パソコンに書き記していたのだ。

 

最初は、日記調だったのが、思いが深くなり過ぎて、

 

筆が滑りすぎて、『奥さんを亡くして嘆き悲しむ夫』...にまで話が膨らんでしまった。

 

寂しくてたまらない気持ちを吐露したものが、相当にロマンティックになり過ぎてしまった。

 

誰かに見せるなんてとんでもない。

 

書いた当人さえもこんな恥ずかしいもの、読み返せない。

 

「ふぅん。

ユノは、僕がいなくてそんなに寂しかったんだ」

 

「そうだよ...悪いか?」

 

素直に認めてやった。

 

「全部読ませて」

 

「へ?」

 

「プリントアウトして、僕に頂戴」

 

「嫌だよ」

 

「製本して、本棚に飾っておくから」

 

「もっと嫌だ」

 

「ユノと喧嘩したとき、朗読してあげるから」

 

「絶対に嫌だ!」

 

「ケチ」

 

俺も負けていられない。

 

「チャンミン、一度ここに寄っただろ?」

 

「来てないよ」

 

チャンミンが俺からつい、と目をそらした。

 

チャンミンは嘘が下手だ。

 

 

(後編につづく)

 

 

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(1)禁じられた遊び

 

 

 

「赤ちゃんができました」

 

「え...?」

 

シチューをすくったスプーンの手が止まった。

 

具だくさんのクリームシチューは、俺の大好物だ。

 

「...3か月だって」

 

「チャンミン...」

 

お腹をなでるチャンミンの手を凝視しながら、俺の頭はぐるぐる回っていた。

さぁ、ユノ!

 

どんな反応が正解だ?

 

​最初のひとことが肝心だ!

 

俺はスプーンを放り出すと、チャンミンの側に駆け寄った。

「やった、やった!」

 

チャンミンの両手を握って上下に揺さぶり、彼のお腹に耳を当てる。

 

 

「まだ早いですよ」

 

​「ぎゅるぎゅるいってる...」

「お腹の音です!」

パシッと頭を軽く叩かれて、俺はチャンミンを振り仰いだ。

 

小さな白い歯を見せて笑うチャンミンは、惚れ惚れするほど綺麗だ。

「あの音からすると...便秘だな?」

ふざけて言ったら、またパシッと叩かれた。

 

俺はチャンミンを胸に抱きよせて、「よかったね」と言って彼の頭をなぜた。

 

チャンミンは、俺の『奥さん』だ。

 


 

翌日から、俺たちの生活は一変した。

仕事の後、デパートに寄って思いつく限りのベビィ用品を購入する。

薬局にも寄って、お尻拭きやオムツを購入する。

気が早いかもしれないけど、俺の指が2本しか入らない位小さな靴も買った。

大きな袋を抱えて帰宅すると、チャンミンはゆったりとしたTシャツを着て、キッチンに立っていた。

「駄目だよ、チャンミン!」

​俺は慌ててチャンミンの手から、お玉を取り上げ、TV前のソファに座らせた。

​「俺がやるから!

チャンミンは、TVでも見ていて!」

チャンミンが作りかけていたカレーを仕上げて、食卓に運んだ。

 

「わー!

チャンミン、駄目だって!」

 

チャンミンの手から、ビールのグラスを取り上げる。

 

「ユノ、うるさい!」

 

​チャンミンはむくれて、黒豆茶を飲む。

 

​黒豆茶はノンカフェインだから、大丈夫なんだってさ。

 

​俺たちの赤ちゃんは、絶対に可愛いに違いない。

 

チャンミンは美人だから、女の子だといいな。

けれども、

 

「ユノに似て欲しいから、男の子がいい」

 

と、チャンミンは言う。

 

「どうして?」

「かっこいい息子を持つのが夢だったんだ」

 

「ふーん」

 

両手にクリームをすり込んだ俺は、チャンミンの足の裏をもむ。

 

あたりはクリームの甘いいい香りが漂っている。

 

ソファに横になって、俺の膝の上に足を預けたチャンミンは、気持ちよさそうだ。

 

「ユノ」

 

「ん?」

 

「僕、すっごくムカついてたんだよ!」

 

「急になんだよ?」

 

「すっごく嫌だったんだから!」

「怒るのは、お腹の子に悪いよ」と言いかけたが、チャンミンの真剣な表情を見て口を閉じた。

「なんのことだよ?」

 

「よりによって、あの子を!」

 

「...ああ!」

 

チャンミンが「あの子」と言って、彼が何を言いたいのか分かった。

 

「ごめん」

「ヤキモチなんて大人げないと思ってたから、今まで我慢してたんだから!」

「ごめん」

​「ぴしっと断らないユノが悪い!」

チャンミンが投げたクッションが、俺の肩にあたって落ちた。

「ユノ!

自分の顔がどんなだか、もっと自覚してください!」

 


 

「あの子」というのは、俺の勤務先の後輩にあたる女性のことだ。

 

配属直後から俺のことが気に入ったらしく、始終、俺の後ろをくっついて回った。

「ユノ先輩、教えてください」

「ユノ先輩、PCがフリーズしちゃいました」

「ユノ先輩、ランチに連れてってください」

「ユノ先輩、携帯番号教えて下さい」

「ユノ先輩、奥さんってどんな人ですか?」

 

鈍い俺でも、ストレート過ぎる彼女の言動にさすがに気づいた。

べたべたと俺に触ってくる彼女に、内心うんざりしていた。

若くて可愛らしい女性に触れられるのは嫌な気はしなかったのも、事実だ。

「『奥さん』って、男の人なんですよね?」

「だから?」

「その人、どんな手をつかって先輩をものにしたんですか?」

俺はさりげなく、二の腕を掴む彼女の手を外した。

 

誓って言う。

俺はチャンミンを愛している。

ただの一度も、浮気はしたことない。

でも。

 

若くて可愛い子がいれば、男だもの、じっと見てしまうこともある。

 

それは、キレイな花だと無意識に眺めてしまうのと同じ。

 

俺はチャンミンと交わす、機知に富んだ会話や、彼のもつ雰囲気や、自分に厳しく俺には甘いところや...挙げだしたらキリがないからここでやめておくけど、

 

とにかく全部、チャンミンは俺の好みの男だ。

だから俺は、チャンミンのことを悪く言う奴を、嫌悪している。

 

 


 

 

飲み会の1次会で帰るつもりでいたのが、「あの子」は俺の袖をつかんで離さず、3次会が終了した頃には、とっくに終電の時間を過ぎていた。

(弱ったなぁ)

歩道の縁石に顔を伏せて座り込む彼女を、置いて帰るわけにもいかなかった。

(どうしたらいいもんか)

彼女の隣に腰かけ、頭を抱えていると、彼女がしがみついてきた。

「ユノ先輩、ホテル、行きましょ?」

俺を見上げる彼女の目を見て、彼女はさほど酔ってはいないことが分かった。

「先輩も、若い子と...女の子とした方が、いいでしょ?」

​「え?」

​​「男の『奥さん』よりも、女の子との方がいいでしょ?」

俺の中で、プツリと何かが切れる音がした。

 

 

(つづく)

 

 

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