(74)時の糸

 

 

「どうしよう!

『マックス』を知ってる人が登場しちゃったよ」

 

「落ち着いて、ユノ。

ここなら彼を知る者なんていないって、判断したのはセンターでしょ。

ユノの責任じゃないんだよ?」

 

Sはテーブルに伏せたユノの肩を叩いた。

 

「センターに報告しましょ。

そして、対策を練りましょ?」

 

「チャンミンをどこか遠くへやろう。

混乱してるみたいだし」

 

「慌てないで。

今の段階なら、人格がバラバラになってしまうようなことにはならないから」

 

「でもさ、段階的に早いじゃん。

雰囲気的に『マックス』と恋愛関係にあった風だったんだよ」

 

「ユノが心配してるのは、そのYKとか言う人とチャンミンがどうかなるかもしれないことじゃないの」

 

「......」

 

図星だったユノは黙り込む。

 

「ユノ。

チャンミンがYKを思い出すことなんて、100%あり得ないんだから」

 

「でもさ、記憶ってのは染みついてるものでしょ?

何かの拍子にさ、YKさんの側にいるうちに、匂いとかさ。

ぽろっと思い出すかもしれないじゃない?」

 

「うーん...あり得なくはないけど。

万が一、思い出したとしても、今のチャンミンは今のチャンミンなんだから。

『今が』確かなのよ。

かつてのチャンミンの『時』は、チャンミンには存在しないのよ」

 

「Sの旦那さんはどんな感じ?」

 

「そうねぇ...。

夫のMは、私と積み上げてきた『時』だけが、確かなもののようよ。

とは言っても、Mは事情を全部知ってるっていうのもあるけど」

 

「でしょ?

...チャンミンに打ち明けた方がいいのかなぁ」

 

「駄目!

ユノの判断で動いちゃ駄目。

指示を待ちましょう、ね?」

 

「う...」

 

「『マックス』だとか、元彼女にオロオロしてる前に、チャンミンとの確固たる関係を結びなさいよ。

...だって、好きなんでしょ?」

 

「うん...」

 

「元彼女の登場とか、真相を知った瞬間とか、そういうものに直面しても揺らがない関係を作りなさいよ」

 

「俺の任務が終わったら...俺、どっかに飛ばされるのかなぁ?」

 

「遠距離になるわね。

そうならないかもしれないし」

 

「でもさ、また新しい人の側に張り付くことになるんだよ。

チャンミン...絶対に嫌がるよ」

 

「尚更、今のうちに関係を深めなさいよ。

あなたを見るチャンミンの顔ときたら...。

気付いてなかったでしょ?

熱々の目をしてたのよ」

 

「ホントに?」と、ユノはここでようやく顔を上げた。

 

「本当よ。

今のチャンミンは、あなたが頼りなんだから、ね?」

 

 


 

 

「出ない...」

 

チャンミン宅のチャイムを鳴らしても、応答がない。

 

電話をかけても出ない。

 

(ったく、いつもいつもチャンミンは!

どうせ風呂にでも入ってるんだろう。

タイミングの悪い男だなぁ。

...今夜も裸を拝ませてもらうかな)

 

ニヤリとしたユノは、

 

「仕方がないなぁ...。

こいつの出番だ」

 

トートバッグから手の平サイズの端末を取り出す。

 

得意の小細工プログラムで、生体認識キーを軽く突破した。

 

「おーい、チャンミン!

来たぞ!」

 

部屋の中は暗く、洗面所から漏れる灯りだけだった。

 

(やっぱり、風呂か)

 

チャンミンを驚かそうと、洗面所まで抜き足差し足で近づいた。

 

ひょいっと頭だけを突っ込んで、大きな声を出そうとしたところ...。

 

「あり?」

 

真っ白で清潔な洗面所は、無人だった。

 

ただ、シャワーを使ったばかりで湯気が立ち込めている。

 

(...ってことは。

チャンミンのやつ...)

 

くっくっくと笑いが込みあげてきた。

 

(俺を驚かそうと、どっかに隠れているんだな。

可愛らしいことをしおって。

チャンミンのくせに100年早いのだ)

 

自分の姿が見られないよう洗面所の照明を落とす。

 

チャンミンの部屋の家具の配置は、だいたい頭に入っている。

 

(ダイニングテーブルはこの辺り...ソファをこう避けて...)

 

チャンミンが隠れているのは寝室だな、と当たりをつけて足音をたてずに...。

 

「どあっ!!!」

 

ユノは大きくつんのめる。

 

正面からどすんと、床にたたきつけられる、と覚悟したら、柔らかいものの上に着地した。

 

踏み出したつま先に何かを引っかけてしまったのだ。

 

「!!」

 

身体の下のぐにゃりとしたもの...まさぐると...。

 

「チャンミン!?」

 

ユノは、床に横たわっていたチャンミンにつまずいたのだった。

 

(どうしよどうしよ!)

 

即行飛び起きて、壁の照明スイッチを点ける。

 

チリひとつない白い床に、チャンミンがくの字になって横たわっていた。

 

「チャンミン!」

 

チャンミンを膝の上に抱き起こす。

 

固くまぶたを落としたチャンミンの頬を、叩く。

 

「こら!

起きろ!」

 

肩をぐらぐらと揺すった。

 

「起きろ!!」

 

シャワーを浴びたばかりなのか、濡れた髪から雫がしたたり落ちていた。

 

「チャンミン!」

 

(やっぱりYKさんの登場はショックが強かったか!?)

 

 

(つづく)

 

 

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(73)時の糸

 

 

~YK~

 

マックスは画家だった。

 

ベッドに横たわった私を...透けた薄布のドレスをまとった私を、全裸になった私を...モデルに精力的に描いた。

 

デジタル画が当たり前の世の中で肉筆の絵画は珍しい。

 

マックスは余裕ある生活を送っていたから、おそらく「売れて」いたのだろう。

 

裕福な生まれだとも聞いていたから、労働の必要のない身分でもあった。

 

ただ、家族の話になると、途端にマックスの口調は重くなる。

 

研究所の所長だという変わり者の父親と、神経質で心配性な母親、兄はいたが亡くなって今はいない、と話していた。

 

「俺の身の上話はもういいよ。

それよりも、YKの話を聞かせて」

 

キャンバスに向かうマックスに、私はこれまでの旅暮らしの苦労話や、年の離れた弟カイの面白エピソードを語った。

 

マックスから指輪を贈られたあの頃、彼は大作に取り組んでいた。

 

2メートルくらいはあっただろうか。

 

後ろ立ちした白いユニコーンにまたがった女神の...女神は私だ...絵を描いていた。

 

ブラインドから差し込む熱帯の光が、シーツの上に縞模様を作り、私の薬指を飾るその石がちかちかと輝いていて。

 

幸福に満ちた日々だった。

 

短く刈った髪、白いタンクトップ、絵の具で汚れた指...時おり振り返って見せる笑顔。

 

私はマックスを心底愛していた。

 

最後にキャンバスの右下に『Changmin』とサインをして、作品は完成を迎える。

 

マックスは雅号として、『チャンミン』を名乗っていた。

 

「どうして『チャンミン』なの?」

 

と尋ねたら、「響きがいいだろ?」と答えたから、「ふうん」と言ってそれ以上追求しなかった。

 

常に真夏の国で、マックスがいなくなってしまったあの日の季節は分からない。

 

その日、完成したばかりの作品の搬送の打ち合わせに行くと言って、朝早くでかけたマックス。

 

ユニコーンの作品を故郷の父親の元に送るとか言っていた。

 

「なんだかんだ言って、家族想いなのね」と言って、マックスを見送った。

 

そして、そのまま帰らなかった。

 

待てど暮らせど帰ってこなかった。

 

始終、過激な小競り合いのある地域だったから、何かの抗争に巻き込まれたのか。

 

その日も大規模なビルの爆破事件があって死者が出たと聞きつければ、止めにかかる声を無視して瓦礫の山を探し回った。

 

マックスは見つからない。

 

私を捨てて、この地を去ってしまったのだと結論づけ、絶望した。

 

廃人のようになってしまった私は、故郷から弟カイを呼び寄せた。

 

カイはまだ19歳なのに冷静で、私とマックスとの思い出の品を容赦なく、淡々と処分してくれた。

 

唯一捨てられなかったもの...マックスから贈られた指輪だけが、今も私の手元にある。

 

 

 

あれから5年。

 

その間、別の恋を1つ経験し破綻した私は、疲労だけを引きずり、不思議なことに寂しさを感じないことに驚いた。

 

息がとまるほど打ちのめされた、マックスとの失恋のインパクトが強すぎたせいだ。

 

マックスと過ごした日々はわずか1年ほどだったけれど、マックスという泥沼に深く沈みこんでしまった私は、未だに抜け出せずにいるんだ。

 

カイに招待されていった『落ち葉焚き』だとかいうパーティ。

 

カイの部屋で怠惰な生活を送っていて、うっかり寝坊してしまって、慌てて駆けつけた。

 

カイの職場である建物はとても古びていて、手動のエントランスドアが珍しかった。

 

建物の中に入ったことで寒さでこわばっていた身体が、ホッと緩んだのもつかぬ間...。

 

息が止まるかと思った。

 

背が高くて、痩せていて...。

 

頭の形、肩のライン...全部、記憶にある通り。

 

驚いた時の丸い目や、不貞腐れたような唇の形も、記憶にある通り。

 

短かった髪が伸びて、狭い額を覆っていた。

 

別れた時よりも5年の時を重ねた顔...頬と顎が引き締まっていた。

 

「...マックス...!」

 

ところが彼はきょとん、とした顔をしていて、私を前にしてもこれっぽちも、目の色を変えなかった。

 

「マックス」と呼んでも、全くの無表情だった。

 

たまらなくって、身を投げ出すように「マックス」に抱きついた。

 

でも、背中に腕はまわされない。

 

私が一方的に、「マックス」を抱きしめるだけで、悲しかった。

 

彼は「違います」を繰り返していた。

 

当時の鋭い眼光は消えていて、大人しく穏やかな目をしていた。

 

忘れたふりをしているのか、本当に忘れてしまったのか。

 

どちらかというと、後者の方だと思った。

 

ニットの胸から香る匂いも同じなのに。

 

私を拒絶する言葉と当惑した顔がショックだった。

 

悲しかった。

 

南国まで駆けつけたカイに、マックスの写真を見せていればよかった。

 

私の記憶が確かなものだと、証人になってくれたのに。

 

カイに写真を見せなかったのは、「へぇ、かっこいい人だね。モテるだろうなぁ」って褒めるに違いなかったから。

 

褒めるんじゃなくて、「酷い男だね。不細工だし。こんな男別れて正解」って、同調して欲しかったから。

 

彼は『マックス』で間違いない。

 

だって、彼の名前が『チャンミン』だったから。

 

 

(つづく)

 

 

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(72)時の糸

 

 

「あのチャンミンって人...」

 

すするようにワインを飲むYKを横目に、カイは「知り合い?」と尋ねた。

 

「チャンミンさんは1年くらい前に、ここに就職してきた人」

 

「その前は?」

 

「さあ、知らないけど」

 

「いくつ?」

 

「えーっと、29か30かその辺り」

 

「やっぱり!」

 

「姉ちゃん、どうしたんだよ?

怖いよ」

 

今にも泣き出しそうに表情をこわばらせたYKに、カイは困惑していた。

 

(チャンミンさんには、思い出したくない過去があって、会いたくない人物が姉ちゃんで、知らんぷりを装ってんのかな。

でも、チャンミンさんは、『本当に』姉ちゃんのこと全然知らない風だった。

人付き合いが苦手そうなチャンミンさんが、あそこまで演技はできないだろう)

 

「他人のそら似じゃないの?」

 

「そんなんじゃない」

 

YKは激しく首を振った。

 

「彼『そのもの』なのよ。

年齢も合ってる」

 

「まさか、だけど...姉ちゃんの『彼氏』だったとか?」

 

「ええ」

 

大きく頷くYKに、カイはへえぇと眉を上げた。

 

「いつ頃?」

 

「5年前に別れた。

別れたというか、急にいなくなった」

 

「5年前って、あの時の?」

 

高校を卒業したばかりの頃、失恋で大荒れのYKの身の回りの世話に、南国まで出向いたことを思い出した。

 

「あの大恋愛だったやつ?」

 

「ええ」

 

(姉ちゃんの恋愛は、毎回大恋愛だったけどなぁ。

あの時の姉ちゃんは酷かった。

泣きわめいたかと思うと、しゅんと肩を落として無口になって。

結局、ほっとけなくて1か月ほどあそこに滞在したんだっけ)

 

「でもね...名前が違うのよ」

 

「彼氏の名前は?」

 

「マックス」

 

「偽名だとか。

どっちかというと、『マックス』の方が偽名かな。

『チャンミン』が本名」

 

「そんなハズはないわ。

パスポート上も『マックス』になってた」

 

「『マックス』が本名で、『チャンミン』が偽名?

うちに就職する時に、偽名なんか使えないしなぁ。

...やっぱり、姉ちゃんの勘違いだよ」

 

カイは意固地になるYKに気付かれないよう、心中でため息をついた。

 

(姉ちゃんの相手は面倒くさい)

 

「その『マックス』さんの写真ってある?」

 

と言いかけて、カイは「ないよなぁ」とぼやく。

 

思い出のものは全部、目の前から消したいとわめくYKに代わって、カイが一切合切捨ててしまったことを思い出したから。

 

デジタルデータはアカウントごと消去してしまったから、『マックス』の顔を確認すらしていなかった。

 

「やっぱり、彼はマックスよ!」

 

YKの大声に、カイは飛び上がった。

 

姉の支離滅裂な話はいつものことで、カイはユノのことを考え始めていたからだ。

 

事務所でのユノとチャンミンの、どこか親密そうな雰囲気が気になっていたのだ。

 

「びっくりするなぁ」

 

カイを見るYKの目はギラギラとしているのが、暗がりでも分かる。

 

「どうして?」

 

「だって...マックスは『チャンミン』でもあるから」

 

「姉ちゃん、頼むよ~。

僕には理解できないよ。

どういうこと?

筋道たてて説明してよ」

 

「それはね...」

 

YKはカイに説明を始めた。

 

5年前のことを。

 

 


 

 

~YK~

 

 

日差しは皮膚を焦がすほど強く、加えて常に皮膚の上に水分の膜が張ったかのようで、不快なところ。

 

吸い込む空気が、沸騰するヤカンの湯気のようなところだった。

 

30歳だった私は、未だ「自分探し」の旅の途中で、その国に滞在し始めて半年が経った時にマックスと出会った。

 

精悍な顔と引き締まった身体は日に焼けていて、笑顔が10代のように幼くなる24歳の男の子だった。

 

出会ってすぐに身体を重ね、その相性のよさに顔を合わせれば磁石のN極とS極みたいに、始終抱き合っていた。

 

20代前半の若者らしくマックスはどん欲に私を求め、物騒な地域だったため、5重にかけた鍵に閉じこもってのセックスに明け暮れた日々だった。

 

「俺たち...溶けてしまいそうだ」

 

汗まみれの顔で、白い歯を見せて笑っていた。

 

故郷にいる両親と弟には、『運命の人と、とうとう出会ってしまった』と惚気たメッセージを送った。

 

もっとも彼らは、「はいはい。またか」と呆れていたと思う。

 

マックスと離れがたくて滞在期間を無期延期した。

 

恋にうつつを抜かすだけで終わらせるのも惜しくて、本来の目的である『美容に効く』ものを求めて、ごたごたした地元マーケット内を探し歩いた。

 

デトックス効果のある泥があると聞きつけ、地元民に灰色に濁ったその沼に案内してもらった。

 

採取した泥を、自身の肌に塗りたくってはその効果を確かめていた。

 

いつか、世界中から集めた珍しいもの...泥や薬草、鉱石、マッサージ術...を使った施術を提供するサロンを開くことが夢だったのだ。

 

バスルームで、裸のマックスの背中に真っ黒なその泥を塗り広げ、手の平で感じる筋肉のくぼみにうっとりとしていた。

 

その泥が乾く前に、タイルの上で上になり下になりと、二人とも全身真っ黒になってしまった。

 

 

(つづく)

 

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(71)時の糸

 

 

「マックス、マックスって、何度も言うんだ。

気持ちが悪い...」

 

先ほどの動揺を引きずっていたせいで、チャンミンの声は吐き出すような、苦し気にかすれていた。

 

「人違いだって何度も言ったんだ。

それなのに...」

 

ユノを抱く腕に力がこもる。

 

「僕は知らないよ...YKっていう人なんて...」

 

ユノの首筋に顔を埋めて、苦し気につぶやいた。

 

「...そうだよな。

びっくりするよな、突然そんなこと言われてもな」

 

ユノを抱く腕に力が込められていく。

 

温かいユノの身体を腕の中に感じていると、チャンミンの中の不安と不快感が弱まっていく。

 

(ユノといると僕はホッとする。

ユノだけが、僕の中で『確かなこと』だから)

 

ユノはウエストの前で組んだチャンミンの手の甲をぽんぽんと叩く。

 

(閉じ込められた時も、こんな風に密着してたなぁ。

あの時のチャンミンはもじもじ君で、でも生理的反応を隠せなくて...俺の方が恥ずかしかった。

ところが、あれからのチャンミンはどうしちゃったんだよ)

 

「あっ...!」

 

ユノが声をあげたのは、チャンミンの手が顎に添えられ、後方へ引き寄せられたから。

 

「待て...こらっ...待て」

 

ここは職場の事務所。

 

ゴムの木に遮られているからといっても、いつ誰かに見られるか分からない。

 

ユノは唇を寄せるチャンミンの顔を、力いっぱい手の平で押しのけた。

 

「待てっ...チャンミン!

カイ君たちが戻ってくるかもしれんから...」

 

はっとしたように、チャンミンはユノの顎から手を放した。

 

「...ごめん」

 

「場所をわきまえることも、覚えるんだよ、チャンミン」

 

「......」

 

ユノはやれやれといった風に、息を吐いた。

 

「よし!

チャンミン、帰ろう、な?

YKさんは間違えたんだよ。

他人のそら似だ、気にすんな」

 

そうじゃないことを知っているユノは、もやもやとした気持ちで気休めの言葉をかける。

 

「うん...」

 

「あんたんちまで送っていってやるから」

 

「ねぇ、ユノ」

 

「ん?」

 

「今夜...僕んちに泊まっていって」

 

「はあぁ?」

 

「泊まっていって欲しい」

 

「な、なんで?」

 

ユノはどぎまぎとうろたえて、しどろもどろになる。

 

「『なんで?』って。

ユノのそばに居たいからじゃないか?」

 

(な、なんて...ストレートなんだ...この坊やは!?)

 

「パンツ、持ってきてないし...」

 

「そんなの、ユノんちに着替えを取りに寄ればいいじゃないか」

 

「ま、まあ、その通りなんだけど...」

 

(こういう時こそ、傍に居てやらなくちゃならんが、チャンミンの行動は予測がつかんからな...)

 

「嫌なの?」

 

「嫌...じゃないけど、突然でびっくりしたから」

 

「僕たちは『恋人同士』なんだろ?

当たり前のことなんだろ?」

 

(その通りなんだが...。

その通りなんだけど...。

チャンミンの口から、はっきりと『恋人同士』と宣言されると、照れるというか、なんというか...)

 

「だから、泊まっていって」

 

チャンミンの熱い吐息が首筋にかかり、ユノはぞくりとした。

 

「......」

 

先日のチャンミンの行動を思い出して、全身が熱くなる。

 

(泊まるってことは...。

泊まる...と言ったら...。

いくらなんでも早すぎるだろう?

『恋人同士』がひとつベッドで寝るってことは、『アレ』しかないだろ?)

 

「ユノ?」

 

 

(...ところで、『やり方』知ってるんか?

 

...って、こらこら。

 

俺は何を先走って想像してるんだ?

 

チャンミンの「泊まって」発言に、深い意味はないかもしれないじゃないか!

 

いやいや。

 

チャンミンの行動は予測がつかないんだった。

 

ムードとか、駆け引きとか、一切無視だからなぁ。

 

風邪っぴきの日も、押し倒されたからな。

 

やっぱり、そのつもりでいるのか!?)

 

「ユノ!!」

 

考えふけっていたユノはハッとして、チャンミンの腕をほどくと立ち上がった。

 

「ちょっと寄るところがあるんだ。

その後に行くことになるけど...いいか?」

 

頭を撫ぜられて、「子供扱いするな」とチャンミンはむすっとする。

 

「ちゃんとあんたんちに行くから。

さささ、帰ろうか」

 

「うん」

 

チャンミンはすたすたとロッカーからコートをとると、その1着をユノに羽織らせた。

 

自身もコートを羽織って、「行くよ」と2人分の荷物を抱えた。

 

そして、チャンミンに腕を引っ張られる格好で、ユノは事務所を出たのであった。

 

着信を知らせるバイブレーションに、ユノはリストバンドを確認する。

 

『21:00に集合』と、Sからの返信。

 

(つづく)

 

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(70)時の糸

 

 

「初めまして」

 

ユノが差し出した手を握るYKを、チャンミンは無表情に眺めていた。

 

「俺はユノ。

カイ君の後輩です。

さすが姉弟、似てるねぇ」

 

この頃にはユノの顔色も戻っていて、ソファから立ち上がるとカイとYKを交互に見て言った。

 

無言で突っ立ったままのチャンミンを、ユノは見かねて脇をつつく。

 

チャンミンは「何だよ?」と眉をひそめてユノを睨む。

 

「あんたも自己紹介するんだよ」と、ユノはチャンミンの耳に囁く。

 

チャンミンは、YKの刺すような視線に居心地の悪い思いをしていたのだ。

 

(僕を見るなよ。

この人...YKとか言う人が、カイ君の姉だったなんて...)

 

そんな二人を興味深げに眺めていたカイは、くすっと笑ってチャンミンを手で差し示した。

 

「この方は、チャンミンさん」

 

「!」

 

ひっ、と息をのむ音は、YKのものだった。

 

片手で口を覆い、目を見開いている。

 

「嘘...でしょ?」

 

驚きを隠せないでいる姉の姿に、弟のカイはチャンミンに問うような視線を送った。

 

「あれ?

チャンミンさん、姉ちゃんと知り合いだったの?」

 

「え、ええ」

 

チャンミンの返答を待たずに答えたYKに、彼は激しく首を横に振った。

 

YKの傷ついたような表情に、チャンミンは内心で「止めてくれよ」とつぶやく。

 

「あれ?

そうだったの!?」

 

まっすぐにチャンミンを見るYKの真剣みに、ユノは気付かれないようチャンミンの脇腹をつつく。

 

チャンミンの方も助けを求めるように、ユノのニットの裾を引っ張った。

 

(チャンミンの知り合いが登場するなんて...!

調査に漏れがあったのか!?)

 

平静を装っていたが、ユノは慌てていた。

 

(まずいな...。

ひとまずチャンミンをここから連れ出そう)

 

「姉ちゃん、まだ食べるものは残ってるだろうし、あっちで食べておいでよ。

酒もいっぱいあるよ」

 

YKのただならぬ様子に、気をきかせたカイはドームの方へ親指を立てた。

 

「え、ええ」

 

YKは「あなたも行くでしょ?案内して」と、カイの二の腕をつかんだ。

 

「オッケ。

ユノさんも元気になったみたいだし。

僕らはあっちへ行ってるから。

欲しいものがあったら、適当に見繕ってきましょうか?」

 

「ありがと。

今んとこ腹はいっぱいだ」

 

事務所を出るまで、YKはチャンミンの方を何度も振り返るから、彼は顔を背けていた。

 

 

事務所にチャンミンとユノの二人きりになった。

 

チャンミンは大きくため息をつくと、どかっとソファに座り込んだ。

 

いつにないチャンミンの荒々しい行動。

 

「なあ、チャンミン。

カイ君のお姉さん...YKさんとどっかで会ったことがあるのか?」

 

「ない。

...でも」

 

「でも?」

 

ユノの心臓の鼓動が早くなっていた。

 

(チャンミンの行動は見張っていたんだが...。

チャンミンと彼女と、どこで接点があったんだ?)

 

「さっき...。

僕に抱きついてきて...」

 

「なんだってぇ!?」

 

(抱きついてきた...だと!?

センターに戻って、直ぐに調べないと!

Sは?

まずはSに相談だ!)

 

リストバンドを素早く操作して、Sにメッセージを送る。

 

「ユノ...帰ろう。

今すぐ...」

 

「お、おう!

そうしよう!」

 

チャンミンの顔色は真っ青になっていた。

 

「気分悪いのか?」

 

「......」

 

「Mに声をかけてくるから、あんたはここで待ってなさい」

 

ユノはチャンミンにそう言いおいて、ドームの方へ向かいかけた。

 

(また火のそばに行くのは気がすすまないが...)

 

「!」

 

チャンミンの腕が素早く伸ばされて、力いっぱい引っ張り寄せられた。

 

「危ないなぁ!」

 

ユノは抗議の声をあげた直後、背後からチャンミンの腕にくるまれた。

 

「...チャンミン」

 

「......」

 

ユノは後ろ手にチャンミンの頭を撫ぜてやる。

 

「あの人...僕のことを『マックス』って、呼んだ」

 

「マックス!!!」

 

思いがけず大声を出してしまい、焦ったユノは「マックスって誰だろうな...」と取り繕った。

 

(まずい...まずいぞ!

ここで『マックス』が登場するなんて!)

 

 

(つづく)

 

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