~チャンミン~
「話がまわりくどい奴だったからね」
「彼女?」
「はぁ?」
ユノの口があんぐりと開いた。
「お前の口から『彼女』という言葉が出ることが驚きだよ」
「僕が『彼女』って言ったら、そんなにおかしいわけ?」
ついつい言い方がとげとげしくなってしまう。
「チャンミン...。
お前、焼きもちやいてたりする?」
「ヤキモチ...ってどういう意味?」
言葉の意味が分からなくて、首をひねっている僕をみかねて、
「ま、ええわ。
後で調べときなさい」
楽しそうに言って、リビングに直行する。
「俺には、彼女なんていないよ。
フリー中のフリーだ」
僕はよっぽどホッとした表情をしたのだろう、それを見てユノはにっこり笑った。
「フリーだから、チャンミンとキスしてもいいわけ」
「コ、コーヒーを淹れなおしたから、ユノ」
思い出して顔が赤くなっているのを、ユノに見られないよう、僕はキッチンに向かった。
「そういえば、催促してるんじゃないんだけど...。
その袋の中身は何?」
部屋の隅に置かれたままの紙袋を指さす。
「あ、ああ、それね」
「出張のお土産でしょ?」
「う、うん。
でもさ、チャンミンがご馳走を用意してくれて。
ほら、お腹いっぱいでだろ?
今さら、もういいかなぁ、と思ってるんだけど...」
「見せて!」
ユノはしぶしぶ僕にその袋を手渡した。
「何、これ?」
「天むす」
「天むす?」
「海老の天ぷら入りの握り飯のこと」
「おいしそうだね」
「うまいぞぉ。
でも、今夜はもう食べられない。
お腹いっぱい」
「明日、食べるよ」
「そうしな、チャンミン」
「ありがとう、ユノ」
「どういたしまして。
さてと!
そろそろ、帰るわ」
「ええっ!
もう?」
「もう23時だよ、チャンミン」
いつの間に、そんな時間になっていたことに驚く。
「せめてコーヒーだけでも、飲んでからにしなよ」
ユノは既に、コートに腕を通している。
「寂しいのか、チャンミン?」
コートを脱ぐと、ユノはダイニングチェアに腰かけた。
「オーケー。
コーヒーもらおうか」
マグカップにコーヒーを注ぐ僕の胸は、まだチクチクしていた。
(ユノは恋人はいないと言ってたけど...『彼』って誰のことだろう?
どうしてこのことが、こんなにも気になるんだろう、苦しいんだろう)
「あちっ」
考え事をしていたせいで、マグカップからコーヒーが溢れていた。
「わー、大丈夫かぁ!?」
ユノは僕からマグカップを取り上げ、布巾を手渡してくれたりと、世話を焼いてくれる。
楽しかったり、ドキドキしたり、重苦しくなったり、めまぐるしく変化する感情に、僕は振り回されている。
視界が鮮やかになって、そんな自分を新鮮に前向きにとらえていたけれど...。
苦しい思いはごめんだ、と思った。
(つづく)
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~チャンミン~
「はあぁぁ」
リビングに残された僕は、大きく息を吐いた。
ユノといると、僕の口からするすると言葉が出てくる。
加えて、ユノは僕をドキドキさせるのがうまい。
時計をみると、既に22時だ。
ユノといると、時間が経つのを忘れてしまう。
こんなに楽しいことは、これまであっただろうか?
自分の経験を振り返るのは、止めていた。
深く霧が立ち込めている見通しが悪い道を進んでいるような、
今自分が居る場所を見失ってしまうような、
不安で不快な気分に襲われるからだ。
僕は、今のことだけを見ていたい。
汚れた食器をディッシュウォッシャーへ入れて、スイッチを押す。
コーヒーを淹れなおした。
キッチンの隅に、白い紙袋があるのに気づいた。
(ユノが持ってきてくれた「お土産」かな?)
渡される前に、中身をのぞくのは悪いと思って、そのままにしておいた。
・
ユノが戻らない。
もう15分も経っている。
(まさか、帰ってしまった?)
しかし、コート掛けにはユノの赤いコート、その足元にはバッグも残されている。
マンションの廊下は寒い。
上着を羽織っていないユノが風邪をひいたらいけない。
まだ電話中でも、コートだけは持っていってやろう。
玄関のドアを開けると、ユノの声が聞こえる。
(長電話だな)
ユノはこちらに背を向けてエレベーターホールにいる。
イヤホンに指をあてて、会話に集中しているようだ。
ユノにジェスチャーで知らせようとした。
「...だからさ。
彼は...違うって!」
(彼?)
「彼」という言葉に反応してしまい、コートを掛けた腕を思わずひっこめてしまう。
ユノは僕に気づいていない。
「うん...それは分からないよ...日が浅いし...」
「......彼?
...どうかな」
(...『彼』って誰だよ)
僕の胸がギュッと締め付けられる。
(『彼』って...ユノの...?)
「えー!
今からぁ?」
ユノが大きな声を出し、僕はビクッとした。
「友達んちにいるからさ。
...違うって!
...男だよ」
(『友達』?
『男』?
...僕のこと?)
僕の胸がますます締め付けられる。
(電話の相手には知らせたくないんだ、僕の家にいることを。
電話の相手は...ユノの恋人か?
ユノが言ってた『彼』って誰のことだ?
『彼』って、Tさんのことかな、カイ君のことかな)
ここまで考えがおよんで、初めて気づく。
僕はユノのことを、ほとんど知らない。
ユノとまとも話をするようになったのは、ほんの数日の間のことで、トータルで12時間もないかもしれない。
「明日でいい?
...じゃあ、いつものお店で」
ユノの電話が終わりそうな気配だったので、僕はユノに気づかれないように静かにドアを開け、部屋へ戻った。
僕は玄関ドアにもたれて、ため息をついた後、天井をあおぎ見た。
「彼」と言ったユノの言葉に動揺している自分がいた。
ユノには、交際している人がいるのかもしれない。
僕の胸がズキズキと痛んだ。
もたれていた玄関ドアが、どんどんと振動した。
電話を終えたユノがドアを叩いているようだ。
オートロック式だから、カギが無ければ部屋には入れない。
(チャイムを鳴らせばいいのに...)
意地悪をしてユノを締め出してもよかったくらい、僕は腹を立てていたけど、彼に風邪をひかせたくなかったから、ドアを開けてやった。
「寒い寒い!」
ユノは両腕をさすりながら部屋へ入ってきた。
「ずいぶんと長い電話だったね」
知らず知らずのうち、言い方が嫌味になってしまう。
ユノがぎくりとしたように見えたのは、僕の気のせいだろうか。
(つづく)
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~ユノ~
すぅっと、チャンミンの顔が近づいてきた時。
不意打ちだった。
驚く間もなく、チャンミンにキスされていた。
でも、目の前にある、閉じられた彼のまぶたを見て、「ああ、そういうことか」と思った。
自分の唇にそっと優しく重ねられた、チャンミンの唇の感触。
唇の感触で分かる。
チャンミンは、リラックスしていて全然緊張していない。
かといって、慣れた感じでもない。
いやらしさのない、素直なキスだった。
うまく説明ができないけれど、腑に落ちた。
うぬぼれじゃなく、チャンミンは俺を想ってくれていると。
俺も彼のことを想っていると。
そして、チャンミンとこうなることは、当然のことだと。
次から次へと、あらわになっていくチャンミンの真の姿に、俺はついていけない。
だんまりむっつり君かと思っていたけど、そうではない。
チャンミンとの距離が近くなって、まだ一週間。
たった一週間の間で、チャンミンは芽吹いた若葉のようにのびのびと本来のキャラクターを出してきているみたいだ。
きっかけは何だっていい。
俺はチャンミンがこうなってくれることを、ずっと望んでいたから。
・
「...今も、頭が痛いことあるんか?」
スプーンですくった、とろっと柔らかいレアチーズケーキを口にほおばった後、チャンミンに尋ねた。
冷たくなめらかな舌ざわりと、ブルーベリージャムの酸味、甘さ控えめのチーズクリームが絶妙でスプーンの手が止まらない。
チャンミンは、少しの間を置いた後、
「...あるといえばあるし。
...なんともないよ」
軽く笑って、そう言った。
「どっちだよ!」
「うーん...支障はあるかな、日常生活に」
チャンミンはスプーンをくわえたまま、ぐるっと視線を天井に向けた。
チャンミンが注文したチーズケーキは、ケーキというよりプリンに近くて、切り分けることもできず、そのままスプーンですくって食べている。
床に直接座って、一つのケーキを二人で分け合ってる。
(全く、俺たちはいつも、何かを食べている。
一週間前は、ヨーグルトを食べてたんだっけ?
一週間!?
まだそれだけしか経っていないんだ!)
「週明けには、病院へ行くんだよ」
チャンンミンが淹れてくれた濃くて美味しいコーヒーをすする。
「薬を処方してもらわないと」
チャンミンは、口角を下げる。
「直接行かないとだめなのかなぁ。
ネットで済ませようと考えてたんだけど?」
「駄目だめ!
ちゃんと診てもらわんと」
「面倒だなぁ」
「自分の身体のことだろ?
俺が一緒についていってやらんと怖いのか、チャンミン?」
「...ユノ!
僕を小学生みたいに扱うのはやめて欲しい」
他愛のない会話をしているうち、大きなチーズケーキはあっという間になくなった。
「俺らって、大食いなんだね」
「8割はユノが食べた」
「逆だよ逆!
食いまくったのはお前の方だ」
「ユノは運動はしていないの?」
「してない。
毎日がエクササイズだ」
「そうなんだろうと思った」
「どういう意味だよ」
「体型がどうこうじゃなくて、ユノの性格的に」
「ストイックじゃないって意味か、こら?」
「深く考えないで」
「チャンミン。
お前こそ、何かやってんの?」
「どうして?」
「細いのに、ぺらっとしてないじゃん」
「そうかなぁ」
「も一回見せて」
「何を?」
「とぼけるな、チャンミン!
見せろ見せろ」
「やめろって、ユノ!」
「ペロッとめくってみせるだけでいいから!」
「恥ずかしいから!」
「今さらなんだよ!
お前の大事なとこも、もう見ちゃってるんだぞ、こっちは!」
「あの時の話はするなー!」
(あっ!)
リストバンドが震える。
(電話だ)
つかんでいたチャンミンの腕を放した。
(このタイミングに、これだもの)
「ごめん、電話に出ていいかな?」
俺はチャンミンに身振りで、部屋の外へ出ることを伝えた。
チャンミンの部屋のドアを開けて、廊下へ出る。
着信をボタンをタップして、通話状態にした。
「はい」
『こんばんは、ユノ』
思わず舌打ちしてしまう。
「夜遅く、何なんなのさ?」
(つづく)
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「あのな、俺らはいい年した大人なわけ。
キスしたくらいで、いちいち謝るな!
謝るくらいなら、キスするな!
謝るのなら...。
うーん、そうだな...」
ユノはしばし考えた後、
「酔った勢いでヤッちゃった後にしろ!」
一気に話すユノを見るチャンミンは、ぽかんとしている。
「...自分でも分からないんだ。
...つい、したくなって...」
「あー!
やめいやめい!」
「うぐっ」
ユノの片手が伸びて、チャンミンの口を塞いだ。
「いちいち説明せんでもいい!
余計照れるだろうが!」
(ユノは、どうってことないのか?
僕の胸はまだ、ドキドキしているのに)
「俺に謝らなくてもよろし」
ユノはチャンミンの口を塞いでいた手を、外した。
「ユノにとって...大したことないんだ?」
「そういう意味じゃないって!」
ユノは頭を抱えている。
「あーもー!
めんどくさい奴やなぁ!」
(!)
ユノの両手で、チャンミンの頬は挟まれた。
(近い近い!)
15センチの距離にあるユノの顔に、チャンミンののどがゴクリと鳴る。
ユノは両手に挟んだチャンミンの熱い頬と、見開いた彼の目を凝視する。
(丸い目しちゃって、可愛いなぁ)
「もう一回する?」
「な、何を?」
(とぼけてるのか、本気でわかってないのか...)
「決まっとるだろうが!」
「そ、それは...」
(あーもー。
面倒くさいやつだ!)
ユノの耳にも、チャンミンが鳴らすのどの音が聞こえる。
(緊張しちゃって、可愛い)
「嫌か?」
ユノはさらに、顔をチャンミンに近づける。
「い、嫌じゃ...ないです」
ユノの手の中で、チャンミンは首を振る。
「そっか」
「......」
チャンミンは、ギュッと目をつむる。
(目をつむっちゃって、女子高生か!)
ユノはチュッと音をたてて、チャンミンのおでこにキスをした。
(あれ?)
ユノの両手から解放され、目を開けたチャンミン。
ぽかんとしたチャンミンに、ほほ笑むユノ。
「お前がリードせんといかんよ、チャンミン」
「そ、そうだね」
(さらっと言っちゃうんだ)
「次はもっとロマンティックに頼むよ」
動揺を隠してユノは冗談っぽく言うと、チャンミンは白い歯を見せて笑った。
「そうするよ」
「はぁ?」
(はっきり言っちゃうんだ、そこ)
「素直に答えられても、反応に困るんだよ、チャンミン!」
ユノの言葉に、きょとんとするチャンミン。
(可愛らしい顔のくせして、この男...。
モジモジ君は撤回だ!)
・
「さぁ!」
チャンミンは、勢いよく両膝を叩いた。
「ユノ、デザートにしよう!」
「は?」
スタスタとキッチンへ歩いてゆく、裸足のチャンミン。
「いろいろあったから、お腹が空いた」
「もう?」
(いろいろあったって...何だよ。
俺の方だって、心がめまぐるしかったよ)
「お腹空いた、ってなぁ。
まだ30分しか経ってないぞ?」
ユノはチャンミンを追って、キッチンへ。
「俺も手伝うよ。
コーヒー淹れようか?」
ユノがコーヒーサーバーに水を入れようとすると、ひょいとそれをチャンミンから取り上げられた。
「ユノは皿を持って行って」
チャンミンはユノの背中を押して、キッチンから追い出した。
「ユノのコーヒーは恐ろしくて飲めない」
「何だとー!」
「泥のようなコーヒーを飲まされたからね」
「あは~。
ごめんな」
(つづく)
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~チャンミン~
目を開けると、ユノと目が合った。
ユノの真っ黒な瞳に映る僕と目が合う。
(わっ!)
彼のうなじから手を離して、身を引いた。
(僕は...何をしたんだ?)
絶対に、ユノは「馬鹿野郎!」って怒鳴るに違いない。
(もしかしたら、平手打ちを食らうかもしれない)
固唾をのんで、ユノを見守った。
(あれ...?)
口を両手で覆ったユノは、パタンとソファの背もたれに倒れた。
「......」
ユノは、そのまま身動きしない。
「......」
「...ユノ?」
ユノはソファの背もたれに頭をもたせかけて、天井をあおいだ格好のままだ。
「ごめん」
不安になった僕はユノの横に座って謝った。
「ホントに、ごめん」
ユノの瞳がキョロリと動いて、僕と目が合う。
「えっと...そんなつもりはなくて...」
へどもどする僕。
(やっぱり、殴られるかもしれない)
「ユノ...?」
ソファの上に膝立ちをして、ユノを見下ろした。
「チャンミン」
「う、うん!」
(怒ってるよな......ん?)
まだ口を覆ったままのユノの瞳が三日月の形になった。
「チャンミン!」
「うわっ!」
名前が呼ばれた直後、僕の頭はユノの腕にタックルされていた。
「ちょっ...!」
僕の首に巻かれたユノの腕は力強い。
「また、僕を絞め殺すつもりか?」
「......」
髪をぐちゃぐちゃにされた。
「ストップ!」
僕の頭はユノの脇に挟まれているわけで、押し付けられた固い胸を意識してしまう。
(参ったなぁ...)
「ストップだって......って、わっ!」
いきなりパッと解放された僕は、反動でソファから転げ落ちてしまった。
「ったいなぁ!」
「おい、チャンミン君!」
見上げると、ユノは腕を組んで仁王立ちしている。
「なんだよ?」
ふくれて答える。
ユノに振り回されっぱなしの僕。
「ごめん、とはどういうことだよ!」
「えっ?」
「ごめんとはどういうことだよ!」
僕には、ユノの言葉の意味が分からなかった。
「それは...ユノに、悪いことしたなって」
「ほほぅ」
「だから、ごめん」
「悪いことしたって、チャンミン君、何しちゃったの?」
「ぐっ」
(口に出して言えないよ、そんな恥ずかしいこと)
「悪いことって、な~に?」
ユノは小首を傾けて、にっこり笑った。
「教えて、チャンミン?」
「ユノに...その...キ、キスしちゃって...悪かったなって」
ユノはニヤニヤ笑っている。
(ユノはまた、僕をからかっている!)
「ねぇ、チャンミン」
仁王立ちしていたユノは、再び僕の隣に座った。
「後で謝るくらいなら、キスなんてするな!」
「え?
どういう意味?」
(つづく)
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