(24)時の糸

 

 

「あと30分!」

 

(リビングOK。

注文した食材は届いた)

 

チャンミンは仕事後、大急ぎて帰宅し、準備で大忙しだった。

 

グラスも食器も1つずつしかなかったから、それも注文した。

 

(ユノがうちに来る!)

 

チャンミンは嬉しくて仕方なかった。

 

(自宅に誰かを招くのは、初めてだ)

 

(ところで...)

 

ふと手を止めて、考える。

 

(うちまで訪ねて欲しい、と言ってはみたけど、おかしかったかな?

人と、どう接して、どういった会話が正解なのか...僕にはわからない)

 

(手順が分からない)

 

29歳のチャンミンは、何もかもが初めてだった。

 

自分の経験を元に行動してみようと、記憶をたどろうとすると決まって、意識が遠のくような気がして出来なかった。

 

霞がかかったようで、曖昧なのだ。

 

(経験不足なのか、単に覚えていないのかを追及することは、後回しだ)

 

仕方なくネットの情報を頼りにして、チャンミンは必死だった。

 

チャンミンは、リビングを見渡して「よし」と頷く。

 

「次は...着替えないと!」

 

チャンミンは、外出着のままなことに気づいて、クローゼットに向かう。

 

 


 

 

ユノは、地下10階から上昇するエレベーターに乗っていた。

 

地上に到着し、ドアが開くのも待てずに飛び出し、駆け出す。

 

(急げ急げ!)

 

会議の閉会式が長引き、撤去作業もずれ込んで、チャンミンとの約束の時間まで、あと1時間だった。

 

(忘れちゃいかん!チャンミンへの土産!)

 

ユノは自室のあるマンションにいったん寄り、あらかじめ注文しておいたものをピックアップする。

 

チャンミンのマンションまで、徒歩15分の距離だったが、迷わずタクシーを呼ぶことにした。

 

「ふぅ」

 

タクシーのシートに座ると、ユノは息を整える。

 

(チャンミン、ごめん)

 

ユノは膝の上の、チャンミンへの土産が入った袋を抱え直した。

 

 

 

 

ユノは艶消しアルミのドアの前に立っていた。

(待ちきれない)

時刻を確認すると、約束より15分早い。

(チャンミンのことだ、頓着せんだろう)

荒くなった呼吸を整える。

​​

(よし!)

チャイムのボタンを押す。

 

(......)

 

​インターホンの応答がない。

 

もう一度押す。

 

​(......)

 

「ったく、またかよ!」

 

​舌打ちをしたユノはさらに3回チャイムを鳴らし、きっかり1分ずつ待つ。

 

(何やってんだか!)

​在宅ランプが灯っているので、部屋にいるのは確か。

 

(...今日も...風呂か?)

ユノはニヤリとする。

(出てこないチャンミンが悪いのだ)

 

 

(つづく)

 

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(23)時の糸

 

 

~ユノ~

 

 

​で、結局、だらだらと2時間も話してた(俺が)。

(そろそろ、電話切ろうかな。

はっ!

もう12時じゃないか!)

あくびが出る。

(明日も早いんだよなぁ...。

​チャンミンの奴、結局、雑談だけのために電話してきたんかなぁ?)

 

『ユノ』

チャンミンが、俺の名前を呼ぶ。

「はいはい」

(さすがにしゃべり疲れた...)

『明日終わるのって、何時頃?』

「うーん、片付けがあるから、18時くらいかなぁ」

(すきっ腹に、酒はいかん、酔ってきた。

​トイレに行きたい...)

​『えっと...』

(眠い...寝たい...風呂に入らんと)

 

「それじゃ、そろそろ寝るわ」

 

会話を打ち切ろうとしたら、まさかのチャンミンの爆弾発言。

 

驚き過ぎて、ソファから転げ落ちたもんね。

『明日、うちに来てください』

 

「ぶはっ!」

​ベタな反応だったけど、本気で吹き出してしまった。

「なんやってぇ!?」

『明日、僕のうちに来て欲しい』

「ななな、なんやって?」

『ユノに、来てもらいたいんだ、うちに』

 

全くの予想外のチャンミン発言に、全身から汗が噴き出してきた。

​「なんでぇ?」

(馬鹿!

うちに来て欲しい、ってことは、アレだよアレ!

理由をはっきり聞いちゃあかんのに)

 

​『ユノに用があるからだよ!

​ユノは出張でいなかったし。

​職場じゃ、ゆっくり話せないし』

 

「そっかー...」

 

『...無理なら、いいよ。

忘れて』

「わかった」

『嫌ならいいよ』

「行くよ」

チャンミンが「すっ」と、息を吸う音が聞こえる。

​『いいんですか?』

(なぜ、敬語?)

​チャンミンの声が明るくなった。

「出張から戻ったら、まっすぐ寄るよ」

『よかった!』

(めちゃくちゃ嬉しそうじゃないの)

「うーんと、18時頃かなぁ...いい?」

『じゃあ、夕飯を用意しておくよ』

「美味しい物買っていくから、いい子でな」

『子供扱いは、止めてくれないかな、ユノ』

 

 

 

 

電話を切った後、ソファに寝ころんでぼんやりと考える。

この数日の間で、チャンミンの中で何が起こったんだ?

客観的に見ると、間もなく三十路になる男にしては言動が中高生レベルで、十分過ぎるほどキモイ。

でも、チャンミンならセーフ。

なぜだかは、分からないけど。

​照れることをスルっと発言できちゃうあたりが、単なる「ウブ」でもないわけで。

なかなかどうして、興味深いキャラクターだ、チャンミン君。

​チャンミンの『やる気スイッチ』を押してしまったのか?

​『やる気スイッチ』って、なんのやる気だよ!

先日のMとの会話を思い出す。

​『チャンミンのプライベートって凄そう、こわーい』

​チャンミンが隠している「素の姿」はすごいんだろうか...?

どきどき。

 

 


 

 

チャンミンは、洗面ボウルの縁にかけた手に体重を預け、ゆっくり呼吸した。

 

洗面所の鏡の前で、髪を整えようとした直後だった。

 

(まただ...)

 

視野が暗くなって、耳鳴りがする。

 

(もうすぐユノが来るのに...)

 

チャンミンは強く目をつむって、大きな深呼吸を繰り返した。

 

(!)

 

チャンミンは、自分の肩の上に重みを感じ、後ろを振り返った。

 

 

(つづく)

 

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(22)時の糸

 

 

~チャンミン~

 

 

僕は耳に装着してあるイヤホンの位置を、何度も直した。

 

ふうとひと息ついてから、リストバンドを操作する。

 

僕はユノに電話をかけようとしていたのだ。

電話番号はMに教えてもらった。

​「なんでまた、どうして?」と、Mは理由を知りたがって、「どうしちゃったの~?」としつこくて、参った。

​呼び出し音が鳴っている。

ドキドキと鼓動が早い。

手の平は汗ばんでいる。

 

(いい年した大人なのに)

呼び出し音が鳴っている。

(出ない...)

ごくっと唾を飲み込んだ。

​(まだ出ない...)

イヤホンから聞こえる、呼び出し音に集中する。

(......)

​これ以上呼び出したら、執拗だと思われるかもしれない。

終了ボタンを押そうとしたら、

『どちらさんだぁ?』

​ユノの声。

ただ、怒っているような、尖った声だ。

心の準備ができていなくて、うまく言葉が出てこない。

「あの...」

​『もしもーし!』

(もしかして、電話したらマズいタイミングだったかな)

『おい!

どちらさんか?って聞いてんだよ、こっちは』

苛立っているユノの声。

​「ぼ、僕です」

『僕って誰だぁ?

さっさと名乗れ!』

(そっか、ユノは僕の番号知らないんだった!)

すっとひと息ついて、僕は言う。

「チャンミンです」

「......」

​沈黙。

​固唾をのんで、待つ。

『どうした、どうしたチャンミン?』

「......」

​(Mと同じ台詞を言わなくても!)

ムッとした僕。

​電話をしたことを後悔してきた。

『なあ、チャンミン?』

ユノの声のトーンが、優しくなった。

『電話をもらえて嬉しいよ』

「...ユノ」

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

「疲れた...」

​俺はブーツを脱ぎ捨て、ソファに倒れ込む。

格納ベッドを出す時間も惜しいくらい、ヘトヘトだった。

(明日で終わる。

あと1日だ!)

会議の日程は2日間だったが、俺は準備委員会のメンバーだったため、設営準備も含めて、3日間缶詰状態だ。

(テレビ会議で済むのに、どうしてわざわざ一同を集める必要があるわけさ。

ったく、時間とエネルギーの無駄だとしか思えない)

「おしっ!

酒だ、酒のも!」

俺は勢いをつけて起き上がって、備え付けの冷蔵庫から缶入り酎ハイを取り出した。

「ん?」

リストバンドが振動しだした。

ディスプレイを見る。

 

(知らん番号...無視だ無視!)

酎ハイをガブリと飲む。

(......)

酎ハイをゴクゴクとあおる。

(......)

酎ハイを飲み干す。

(しつこい、しつこい、しつこいぞ!)

通話ボタンをタップして、不機嫌さを前面に出して応答する。

​「どちらさんだぁ?」

 

『あの...』

​(男か)

​「もしもーし!」

『......』

(ん...?)

嫌な予感がする。

「おい!

どちらさんか?って聞いてんだよ」

 

(もしや...)

​『ぼ、僕です』

​(はあぁ?)

嫌な予感は膨らむ。

「『僕』って誰だよ!」

(こいつ...変態野郎だ!

​はぁはぁ言って、いやらしいことしてるんだ!)

酎ハイの缶を握りつぶした。

「おい!

どちらさんか?って聞いてんだ、こっちは」

​『あの...』

​相手の息づかいが聞こえてくる。

(こいつ、興奮してやがる!

...変態野郎確定だ!)

​「僕って誰だぁ?

さっさと名乗れ!」

『チャンミンです』

(え...えええぇぇぇぇ!!)

 

 

俺の手から、酎ハイの缶が転げ落ちた。

 

 

 

 

チャンミンとは共通の話題なんてないから、会話が続かないったら。

俺が一方的に、会議のバカバカしさや、肉まんの食べ過ぎで腹が痛いとか、どうでもいいことばかり喋ってしまった。

チャンミンはいちいち相槌をうってくれた。

チャンミンが何の用事で、電話をしてきたのかは分からない。

普段の彼を知ってるから、​ウブで『僕ちゃん』な彼だから、さぞ勇気を振り絞っただろうなぁ、って。

​チャンミンと話しながら、そう思った。

温かな気持ちになった。

チャンミンとの距離が近くなって、たったの数日なのに、無表情で無口な彼の変化が、微笑ましく思った。

不意打ちの電話は、嬉しかった。

 

 

(つづく)

 

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(21)時の糸

 

 

~チャンミン~

 

 

「チャンミンさん、ため息ばっかりっすよ」

僕は砂利をならしながら、知らず知らずのうちため息を漏らしていたらしい。

カイ君はスポーツドリンクを喉をならして飲むと、口元を手首で拭った。

今日で、第3植栽地の復旧作業は終わりだ。

カイ君が助っ人で入ってくれたおかげで、作業は随分とはかどった。

カイ君は線が細そうにみえるが、タフで、暑い重い作業にも関わらず、弱音を吐かず楽しそうに仕事をしていたのが、好印象だった。

 

 


僕がため息をついていた理由は、ユノがいないから。

2泊3日の出張で不在だという。

職場が一緒だからと言っても、顔は合わせはしても、案外会話ができる機会は少ないものだ。

 

だから、ユノがいてもいなくても変わりはしないのだろうけど、​無意識で彼を探している自分がいた。

​近頃は自分の心境の変化に、いちいち驚かなくなっていた。

(ユノに会いたい。

顔が見たい!)

素直にそう思う。

​ユノは今夜帰ってくるとのこと。

昨夜、僕は一大決心をして、あることをした。

 

思い出すだけで、汗が出てくる。

「チャンミンさん、顔が赤いですよ、恋わずらいっすか?」

カイ君が、冷たい飲み物を僕に渡しながら言った。

「えっ?」

​「今の言葉で動揺したみたいだから、当たりでした?

チャンミンさんが、心ここにあらずなとこは、元々ですけどね」

僕はよっぽど驚いた顔をしていたんだろう。

「かまかけてみたら、図星だったんですね」

カイ君は、やれやれと首を振って、

「いつもポーカーフェイスだから、チャンミンさんって分かりにくいけど、

僕って、けっこう人のこと観察してますから、変化に敏感なんです」

僕の肩を叩く。

「スピードが大事です、チャンミンさん!」

(恋わずらい...なのか、これは?)


 

僕は、薬局の売場で立ち尽くしていた。

これは、3日前の仕事帰りのこと。

ネット注文してもよかったが、香りを確認できないのがネックだ。

実際に手に取って購入できる実店舗は少ないから、職場の近くのこの薬局は珍しい。

 

カラフルなボトルを手に取ったり、元に戻したりしているから、防犯カメラは僕にピントを合わせていたに違いない。

どれがいいのだろう?

『高原を吹き抜ける風のように爽やかで、フレッシュな香り』って?

​全然イメージがわかない。

 

頭を抱えていると、見かねて近くにいた買い物客の女性が、「どうしました?」と声をかけてくれた。

「どれを選んだらいいのか、分からなくて...」

候補の3本を指し示す。

「香りで迷っているのね」

「はい」

「甘ったるくて色っぽいのと、お花のように華やかなもの、ハーブ系のリラックスできるもの、の中から選べばいいのね?」

彼女は、説明書きを読んで、僕にも分かりやすいようかみくだいて説明してくれた。

「うーん」

 

(この3つとも、何か違う...イメージに合わない)

黙り込んでしまった僕を見て、彼女は助け舟を出してくれる。

「これはどうかしら?」

商品棚から別の1本を手に取って、僕に渡した。

「これは柑橘系だから、レモンやグレープフルーツの香りね。

​ただ、香りは残りにくいわよ?」

 

「これです、これにします!」

僕が求めていたイメージにぴったりだった。

「よかったわね」

 

「ありがとうございます」

深々とお辞儀をする僕に、その女性は「いいのよ」と笑って、自分の買い物に戻っていった。

レジに通して、僕は足取り軽く家路を急いだ。

 

 

(つづく)

 

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(20)時の糸

 

 

「チャンミンたら、顔が真っ赤だったわね~」​

Mは可笑しそうに言って、ユノの脇腹をつつく。

「お礼ってなんだったの?」

「病院に付き添ってあげた」

ユノはチャンミンからもらった袋の中身を、膝の上に出している。

7種類の中華まん。

(チャンミンったら、的が外れているというか、なんというか...)

「ふうん。

例の頭痛?

風邪?

美味しそうね、1個ちょうだい」

 

​「あ、いいよ。

どうぞ」

「僕にも下さーい!」

カイがやってきた。

「あれ?

チャンミンさんは?」

「赤面して、どっかいっちゃったわよ」

Mはカレーまんを頬張りながら、ケラケラ笑った。

「チャンミン、可愛いじゃない!」

​ユノは動揺しつつも、嬉しさで胸がいっぱいだった。

胸がいっぱいになってしまって、これ以上食べられなかった。

(夜、食べよう)

ユノはチャンミンからの「お礼」を胸に抱えて、仕事場に戻った。

(チャンミンが可愛すぎる!)

 

 


 

 

午後の勤務中。

チャンミンは、ぬかるんでしまった畝を鍬でかきならしていた。

摂氏35度のハウスは暑い。

 

5分もしないうちに、汗が噴き出してくる。

(やることリストの1つは果たせた。

次は、ユノにマフラーを返すことだ。

​...おっと、忘れてた)

作業する手を止めて、ポケットから薬のボトルを取り出す。

錠剤を1錠口に含んで、ミネラルウォーターで流し込んだ。

「チャンミンさん、どこか悪いんですか?」

半袖Tシャツになったカイは、吸水ポリマー入りの大きな袋を3袋抱えている。

チャンミンも上着を脱いでも暑いので、Tシャツの袖を肩までまくり上げていた。

「チャンミンさん、頭が痛いんですか?

​...よっこらしょ」

カイはドサリと重い荷物を下ろして、腰をトントン叩いた

「よっこらしょ、なんて、年寄りみたいだな」

「24歳は年寄りですよ、10代に戻りたいっす」

「そういうものかな?」

チャンミンは、袋を水が溜まっている箇所に移動させる。

(よしと、余分な水分はなくなるはず)

カイのウェーブかかった髪も、汗でひたいに張り付いている。

「チャンミンさんこそ、どうなんです?

30歳でしたっけ?」

​「29だよ、悪いかー?」

「ハハハハハ!

チャンミンさんも、10代に戻りたいって思います?」

「10代?」

チャンミンは汗で濡れた前髪をかきあげた後、じっと考え込む。

「チャンミンさんの10代って、どんな風でした?」

(僕の10代の頃って...どうだったっけ?)

気持ちを集中させて、10年以上前の自分を思い浮かべようとした。

「10代...?」

(駄目だ、霞がかかったかのように、曖昧だ)

 

頭をはっきりさせるかのように、チャンミンは頭をぶるっと振った。

(僕は、ぼんやりと生きてきたから、印象に残るようなエピソードなどないのかもしれない)

そう納得させようとした、その直後。

チャンミンの視界が、左右に揺れる。

(まただ!)

チャンミンが、まぶたを覆ってよろけた。

​「チャンミンさん!」

カイは素早く駆け寄って、彼を支えた。

チャンミンはカイに支えられたまま、ギュッと目をつむり、深呼吸を繰り返した。

「平気だよ...ありがとう」

チャンミンの眩暈は一瞬のことだったようで、今はしゃんと立っていられる。

「チャンミンさん、顔が真っ青です。

​休んだ方がいいですって。

​​後は僕ひとりで出来ますんで」

カイは眉をひそめて、チャンミンを心配そうに見る。

「冷たいものを飲めば、気分もよくなると思う。

カイ君、飲みたいものある?

買ってくるよ」

 

心配をかけまいとチャンミンは立ち上がって、そう言った。

 

 

(つづく)

 

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