(19)時の糸

 

 

~チャンミン~

 

 

ランチタイム。

 

​​僕はカイ君とハウスを出て管理棟へ戻るところだった。

​カイ君は僕の隣で、カボチャの原種がどうだとか、熱く語っている。

ふと、回廊を目をやると、ユノとMがベンチで昼食をとっているのを見つけた。

(ユノ...)

短い黒髪と、白いトレーナー、黒のスリムパンツとレースアップブーツ。

(モノトーンが、少年のようなユノの雰囲気によく合っている)

鼓動が早くなった。

​今朝はユノのおふざけと、Tさんに邪魔されて、ユノとちゃんと話ができなかった。

「ごめん、また後で話をきくよ。

用を思い出した」

カイ君に断って、回廊に向かって走る。

近づいてくる僕に気づいたユノとMが、走る僕に注目している。

(恥ずかしいな)

「チャンミン、急いじゃって何かしら?」

Mが僕に尋ねたけど、僕は「どうも」とだけ頷いてみせてから、ユノに向き直った。

ユノは、もりもりとサンドイッチを食べている。

「ユノ!

あのっ...」

「どうしたどうした?」

ユノは、口の中の物を飲み込んで言った。

「ユノ、それは食べないで」

「は?」

​「いいから、食べないで。ストップ」

「おい!

これは今朝買ったばっかりだから、悪くなってないよ」

ユノは、サンドイッチのパッケージの消費期限をチェックしているようだ。

​「もう半分は食べっちゃったよ」

「残りは食べないで」

 

「なんで?」

 

「いいから!

食べないで」

「う、うん。

意味わかんないけど...わかったよ」

「ちょっと待ってて」

 

僕は、ぽかんとしている二人を残して、事務所へ急ぐ。

(もう少しマシな言い方ができればよかったのに...!)

自分のロッカーを開けて、今朝用意しておいた袋を持って再び二人の元に戻った。

(絶対、ユノは喜んでくれる)

ユノは食べるのをやめて、僕のことを待っていてくれていた。

「ユノ。

これ...お礼です」

手にした袋をユノに渡した。

「お礼?

よくわかんないけど、ありがと」

その時、僕の顔は多分、無表情だったかもしれないけど、内心ワクワクと楽しい気持ちだった。

「なんなのさ」

ユノは袋の中を覗いている。

隣のMも、ユノの手元を覗き込んだ。

「は?」

あんぐりと口を開けてるユノ。

「チャンミン。

お前、これ一人で食べろってことか!?」

「うん、そうだよ」

​「あのな。

お前さんは、限度ってものを知らんのか?」

「だって、ユノ。

中華まん食べたいって言ってたから。

​あの時は買ってあげられなかったし」

​ユノは迷ったら全種類買うタイプだと知って、僕は中華まんを全種類買ってきたのだ。

誰かにお礼の品を用意する経験がない僕は、正解が分からない。

 

「俺を豚にするつもりか?

ま、いいや。

美味そうだねぇ」

​ユノは文句を言いつつも、嬉しそうだ。

僕も嬉しい。

​とっても。

 

 

(つづく)

 

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(18)時の糸

 

 

~ユノ~

 

 

午前中は、全く仕事にならなかった。​

 

計測の手順を間違えてばかりで、機器のアラーム音を何度も鳴らしてしまった。

(たった2日の寝不足が、三十路にはこたえる...)

コーヒーのがぶ飲みで、トイレも近い。

少し前、作業着を泥だらけにしたカイを見かけたが、クリーンな今の時代、なかなか見られない姿だ。

やることの多くが手仕事、力仕事で、うちの職場の平均年齢が若い理由もうなずける。

催促されている報告書も仕上がっていない。

時刻を確認すると、あと15分でお昼休憩だ。

(ちょっと早いけど)

​俺はランチが入ってるバッグを持って、ドームへ向かうことにした。

ドームの回廊ベンチで、Mは既にランチを終えたばかりのようだった。

(早っ!)

今日のMは、パステルピンクのワンピース姿で、ゆるく巻いた髪を複雑に編み込んだヘアスタイルにしてる。

(一種の職人技やな。

Mこそ、現場仕事が向いてるんじゃないかな)

 

​Mのヘアスタイルを見て、いつもそう思う。

「ユノ!

お先~」

「受付カウンターを無人にしといていいの?」

Mの隣にドスンと腰を下ろして、俺もお昼ご飯を取り出した。

「アポなしで来る人なんてほとんどいないから大丈夫」

俺がノーマルだったら悩殺もののMの笑顔。

「あんたの神経は図太いけど、ちんまりしか食べんのやな?」

「万年ダイエッターですから」

「Mは痩せんでもよろし。

​胸がでかいのは、羨ましいかぎりだって。

カイ君なんかあんたの胸にくぎ付けよ」

「やめてよユノ。

彼、若いからね、24だっけ?

性欲バリバリの年ごろじゃない。

...私は年下には興味がないの。

やっぱり年上よね~...Tさんみたいな?」

Mは不敵な笑みを浮かべて俺を見る。

「本日のTさんは、どうだった?」

「まままままま。

それはまぁ...いただきます!」

Tさんネタを今は振って欲しくない俺だったから、大きな音をたててサンドイッチの封を開けた。

「あら!珍しい...ほらユノ!」

「何?」

ピンクのマニュキュアのMの指さす方向を見る。

​ドームの中央辺りの小道を、チャンミンとカイ君が談笑しながら歩いている。

そういえば、昨日のトラブルの復旧作業をカイ君が手伝うとかなんとか、今朝Tさんが話していた。

あの時、チャンミンはものすごく不機嫌そうな顔してたっけ。

感情をほとんど表に出さないから、珍しいと思ったんだっけ。

Mは二人の様子を眺めながら言う。

「チャンミンと会話が成立するのかな?」

「相手次第なんじゃない?」

「ねぇ、なかなかの光景じゃない?

​二人とも、いい男なんだよねぇ」

「そうかもね」

(興味ないふりも難しい)

 

「カイ君はマメだからモテるよね、絶対。

チャンミンは...むっつり君。

プライベートではオオカミなのよ...こわ~い」

サンドイッチを齧りながら、俺もMと一緒になって眺める。

チャンミンもカイ君も、頭が小さく、抜群にスタイルがいい。

 

二人ともきれいな顔立ちだけど、タイプが違う。

チャンミンの頬骨は高く、目鼻口のパーツが大きくて、鼻筋も太いのに対し、

カイ君は、奥一重なのに大きな目で、女の子のような細くて高い鼻梁。

といった風に。

(って、おい!

ちゃっかりしっかり観察してるんだ、自分ってば)

 

あれこれ考えこんでいたら、Mが俺の背中を叩く。

「Tさんのこといい加減に諦めて、二人のうちどっちかにしなよ、ユノ~」

「うぐっ」

「年下も新鮮でいいかもよ~」

口いっぱいにサンドイッチを頬張っていたから、むせてしまう。

 

「俺は男だぞ?

俺に迫られて、困るのは二人だろうが?」

 

「そんなの、迫ってから心配しなさいよ」

 

「アホか」

 

世の中、Tさんのように人間が出来ている奴ばかりじゃないのだ。

「ユノはどっちが好み?」

Mはとても楽しそうだ。

 

「分かんないよ。

そういう目で見たことないし...」

​「私だったら~、チャンミンかなぁ。

奥に秘めてる感がそそるじゃない?

で、ユノは?」

顔が熱くなっているのが分かる。

(おいおい。

なにドキドキしてんだ!)

「お、俺は...カイ君かなぁ?」

 

「えーそうなんだー」とケラケラ笑うMをよそに、

(なぜそこで、逆を言っちゃうんかなぁ)

​赤面しているのがバレないよう、ゴクリと水を飲んだ。

 

(つづく)

 

 

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(17)時の糸

 

 

「チャンミンさん」

 

声をかけられて振り向くと、カイだった。

「昨日のこと聞きました?」

「ああ」

カイは早歩きのチャンミンと共に、ドームに向かう。

カイも長身でチャンミン並んでもほとんど差がない。

​「ぶわ~っと水があふれて、みんなてんてこ舞いだったんですよ」

カイは、大学卒業後にこの植物園に就職した24歳の快活な人物で、愛嬌たっぷり、屈託のない明るい性格だ。

​「うちの職場って、いい男が揃ってるのよねぇ。

恋が生まれないのはなんでぇ?」

 

と、Mがしょっちゅう嘆息するのも当然。

カイの髪と瞳、肌は色素が薄く、すっきりとした目鼻立ちで繊細な雰囲気を持っている。

人より一歩下がった態度のチャンミンに臆することなく、持ち前の人懐っこさでチャンミンに接するカイ。

「チャンミンさん、安心してくださいね、今週いっぱい僕が手伝いますから」

「あ、ありがとう」

チャンミンはカイの勢いに押されつつも、彼の明るさに微笑がもれる。

薄暗い廊下を抜けると一気に視界が開けて、そのまぶしさに目を細めた。

ドームを一周できる回廊には、クラシカルな円柱が立ち並ぶ。

リズミカルに通り過ぎる円柱越しに緑あふれる景色を見られるのも、ここに勤める者だけの特権だ。

二人は回廊を出て、区間分けされた畑が広がるフィールドを突っ切る。

「チャンミンさん、足早過ぎってば!」

「ごめん」

​​

言われて気づいたチャンミンは、歩を緩める。

チャンミンは、誰かと肩を並べて歩くことに慣れていないのだ。

「そんな歩き方じゃ、女の子にモテませんよ」

「え?」

「チャンミンさんって、俺についてこいタイプっぽいですもんね」

歩き方とモテるモテないが繋がらず、意味が分からなかったチャンミン。

カイは首を傾げているチャンミンを追い越して、ビニルハウスの扉を開けた。

水漏れ被害を被った第3植栽地は、ビニルハウスで保護されている。

​主に乾燥地を好む植物を植栽しており、乾燥した空気と土壌を再現するため、大型のエアコンも取り付けられている。

「暑いっすね、ここは」

乾いた熱風にカイは顔をしかめる。

​チャンミンは表情を変えることなく、中へ突き進んで被害状況を確認する。

「...よかった」

想像していた程被害が大きくないことに、チャンミンはホッとする。

​とは言え、畝には小川のように水が溜まり、排水が逆流した箇所は土砂が削れ、畝に石が転げ落ちている。

​溜まった水を取り除いて、崩れた石垣は積み直せば元に戻せる。

​逆流した水の勢いで外れたパイプは、Tがシリコンで固定してあった。

パイプの破損については、明日やってくる業者に任せればよい。

​チャンミンのこめかみを、つーっと汗が流れる。

(暑い中にいると、頭痛が始まるから、気を付けないと)

頭痛の予感に、ポケットの中の薬を意識する。

「チャンミンさん、まずは水を汲みだすんですよね?」

カイは腕をまくって、頑張るアピールしている。

「さぁ、アナログな仕事をやっつけましょう!」

「ありがとう、助かるよ」

カイはチャンミンの顔をしばし見つめていたが、

「へえ。

チャンミンさんも笑うんですね。

じゃあ、道具取りに行ってきまーす」

元気よく言ってハウスを出て行き、終始カイの勢いにおされっぱなしだったチャンミンが残された。

(ユノとはタイプの違う元気のよさだな)

思わず、クスクス笑ってしまった。

 

 

(つづく)

 

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(16)時の糸

 

 

ユノとTは、マスクとゴーグルをかけた格好で、保管室にいた。

 

エポキシ樹脂が半量まで入ったシリコン型の液面が水平を保つよう、慎重にUVライトのスタンドの角度を変えた。

 

ほぼ一日中、PC相手の仕事が多いユノにとって、資料保管の作業は化学実験のようで、いい息抜きになっている。

 

材料の計量を、真剣な眼差しで行っているTの横顔を、ユノはちらりと見た。

 

(相変わらずのハンサムさんやなぁ)

 

ユノより6歳年上のTは、知識豊富で頭がよく冷静で、ユーモアのセンスがあって優しい。

 

加えて背も高く、笑顔爽やかな大人の魅力たっぷりの人物だ。

 

ユノはTと同じ部署に配属されて以来、Tの魅力にジワジワやられてしまい、はた目からもバレバレな位、彼に夢中だったのだ。

 

スタッフたちの間でも、「ユノ=Tのことが好き」の図式ができていて、からかいの種にもなっていた。

 

何事にもはっきりさせたいのがユノの性格。

 

つのる想いに耐え切れず告白したが、「付き合っている人がいる」とあっさり玉砕。

 

(付き合ってる人がいなくても、俺は男だしなぁ。

フラれても当たり前か...)

 

大人のTは告白以前と変わらない態度で接してくれたので、一切気まずくなることはなかった。

 

「ああ、やっぱ、Tさん、カッコいい...」と、ますますユノは、Tに惚れ込んでいた。

 

(Tさんにメロメロだったのに、今日は胸キュン度が著しく低い...)

 

ユノは、作業するTに道具を取ってあげながら、自分の心の変化を分析してみる。

 

(よだれを垂らしたワンコみたいだったのに...。

今日の俺は、とっても冷静な気持ちでTさんを見ているぞ)

 

ユノが率先してTを手伝うのも、彼と30cmの距離に接近できるから。

 

(いつもは心臓ドキドキ。

「俺のことを好きになってクダサイ」アピールしまくってたのに。

Tさんの側にいても穏やかな気持ちでいられてる、俺...)

 

「手がお留守になってるよ、ユノ」

 

考え事をしていたら、ユノの手は知らず知らず止まっていたらしい。

 

「すみません!」

 

「寝不足だったからな、ユノは」

 

Tはにこやかに笑いながら、ゴーグルを外し、ユノの肩をポンと叩く。

 

(こらこら、そういう誤解を生むスキンシップはやめなされ)

 

「はぁ、頭がちゃんとまわってません」

 

ユノは素直に認める。

 

(爽やかな笑顔やなぁ、相変わらず。

その爽やかスマイルに、何度やられたことか!)

 

ユノもゴーグルとマスクを外して、乱れた髪を整える。

 

(笑った時の目尻のシワとか、たまらんかったのになぁ...)

 

Tは「やれやれ」といった風の微笑を浮かべて、ユノを見下ろしていた。

 

「ミスが起きたら困るから、ユノは自分の仕事をしておいで。

あとは、僕がひとりでやるから」

 

「すみません」

 

ユノはTに謝ると、資料保管室を出て、自分のデスクがある部屋へ戻ることにした。

 

振り返ると、天井灯を消して暗くした部屋で、作業テーブルの上のライトが青白く、彫の深いTの横顔を照らしている。

 

(あんなカッコいい顔見ては、メロメロやったのになぁ、俺...。

Tさんは、相変わらずパーフェクトなんやけどなぁ。

もう、違うんだよなぁ...)

 

ぼやきながらユノが歩いていると、ドームへ続く渡り廊下へ向かうチャンミンの姿を見かけた。

 

(おっ、チャンミン!)

 

その後ろ姿が消えるまで見送った。

 

 

(つづく)

 

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(15)時の糸

 

 

「おーい、ユノ。

チャンミンをいじめるな」

開け放たれた事務所の戸口から、Tが笑いながら入ってきた。

「!」

ふざけあっていた二人は、ぴたと動きを止めた。

ユノはパッと、チャンミンから離れた。

「Tさん、ひどいなぁ。

​心優しい俺がいじめる訳がないじゃないですかぁ」

(チャンミンとじゃれ合ってるとこを見られてしまったー!)

「いじめてたじゃないか~」

Tは手にしていたタブレットをコツンと、軽くユノの頭を叩く。

「Tさんこそ、暴力反対です」

顔を赤くしたユノは、ポットの置いてあるカウンターへ。

チャンミンは思う。

(何赤くなってるんだよ)

チャンミンは二人のやりとりを無言で観察していた。

「今朝は早いんだね、チャンミン」

Tはチャンミンに声をかけた。

​「あぁ、はい」

​チャンミンは姿勢を正して、Tに会釈する。

(なんか、イライラする)

「はい、Tさん、コーヒー」

​「ああ、ありがとう」

爽やかな笑顔を見せてTは、ユノからマグカップを受け取った。

Tは立ったまま、ひと口コーヒーすする。

「ちょうどいいね」

「Tさん、薄いのが好きでしたよね」

「さすが、分かってるね」

チャンミンはユノとTの会話を聞いているうち、不機嫌になってきていた。

(なんだよ、あれ。

​このようなユノとTのやりとりは、いつものことなのかもしれない。

​​一昨日までは、目にしてはいたけど、全く気にならなかったのに。

​今は、すごく、すごく気になる)

Tは仏頂面のチャンミンに気付いて言った。

「チャンミン、昨日はいなかったから、知らないだろうけど、大変だったんだ。

​カイ君が出勤してきたら、一緒に行って様子をみてくるといい」

「何かあったんですか?」

ユノから何も聞いてなかったし、チャンミンは出社してから未だ、業務記録をチェックしていなかった。

「排水関係がね。

カイ君に聞くといいよ」

じゃっと手を挙げて、Tはユノの方を向く。

「ユノ、始業前に悪いんだけど、ちょっと手伝って欲しいんだ」

「いいですよ」

事務所を出る際、ユノは振り向いて、

「じゃあ、チャンミン、また後でね」

と、手を振った。

​そして、Tと肩を並べて彼らの仕事場へ行ってしまった。

 

ひとり残されたチャンミン。

ユノとふざけ合ったことがくすぐったかったし、ユノが「また後でね」と言ってくれたし。

同時に、ムカムカとした思いも抱えていた。

(なんだよ、Tさんは。

ユノの先輩だからって...。

僕は、彼が気に入らない)

チャンミンには、自分の気持ちの正体がまだ分かっていなかった。

胃の辺りがぎゅっとする、不快な感覚。

「あっ!」

(僕はユノと話したいことがあったんだ)

昨夜、チャンミン自身が挙げた3つのリストについてだ。

(ユノは後で、て言ってたから、その時にしよう)

自分の席に座り、デスクの上の自分のマグカップに気づく。

ユノが淹れてくれたコーヒーの存在をすっかり忘れていた。

カップに口をつけて、

​「うわっ!」

どろどろに濃くて苦いコーヒー。

​ユノの仕業だ!

ユノの小さな悪戯を可愛らしく思えて、ひとり笑いをするチャンミンだった。

 

 

(つづく)

 

 

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