(90)NO?

 

~チャンミン~

 

「私みたいなおっちょこちょいが来て、チャンミンさんを煩わせてしまいました」

 

「煩わせてなんかいない...。

僕は民ちゃんが来てくれて、楽しかったんだ。

リアとじゃなくて、民ちゃんと...」

 

「ダメですよ!」

 

民ちゃんの鋭い声に僕は、びくりとした。

 

「よそ見してたらダメですよ」

 

「え...!?」

 

民ちゃんはもしかして...僕の気持ちに気付いて...いる?

 

「美味しいご飯を作ってくれてありがとうございました。

お洋服もいっぱい貸してくれて助かりました。

それから...。

コンテストを見に来てくれて嬉しかったです。

それから...。

お部屋探しを手伝ってくれてありがとうございました」

 

「待って、民ちゃん」

 

全部がお別れの言葉に聞こえてきた。

 

「花火...出来ませんでしたね」

 

「いつだってできるだろう?」

 

民ちゃんは首を横に振った。

 

「怪我をしていっぱい心配をかけてしまってごめんなさい。

リアさんとの邪魔をしてごめんなさい。

それから...。

チャンミンさんは...。

チャンミンさんは...。

もう一人お兄ちゃんができたみたいで、心強かったです」

 

「僕は、民ちゃんのこと一度だって『妹』なんて思ったことはないよ。

だって僕は...」

 

民ちゃんの片手が僕の口を塞いだ。

 

「私もチャンミンさんのことを、お兄ちゃんだと思ったことはありませんよ。

血が繋がっていればよかったのに...。

悩まなくてすんだのに...ね?

ふふふ」

 

「それって、どういう意味...?」

 

勢いよく民ちゃんは立ち上がった。

 

「引っ越しは一人で大丈夫です!」

 

「手伝うよ!」

 

「段ボール箱5つしかないんですよ?

宅配便で送る手続きをしましたから。

私は身一つでOKなのです」

 

今度こそ民ちゃんが遠くにいってしまう。

 

「今までありがとうございました。

1か月の間、おうちに置いてくださって。

チャンミンさんったら、私にそっくりなんだもの...。

人生の中でベスト3に入るくらいの一大イベントでした」

 

「おうちに遊びに来てくださいね」の台詞は聞けなかった。

 

ユンだとか、『例の彼』だとか、ライバルの存在よりももっと恐れなくてはならないこと。

 

それは、例え僕に対して恋愛感情がなかったとしても。

 

異性の一人として見てくれる心...。

 

民ちゃんの心が僕に向けて開かれていなければ、僕の出番はずっと訪れない。

 

「リアのことは誤解だ、放っておいていいんだ」と言い切って、自分の気持ちを民ちゃんにぶつけてしまえばよかった。

 

「リアさんのことを放っておくなんて、チャンミンさんは酷い男ですね」と、軽蔑の目で見られること。

 

それが怖かったんだ。

 

どう思われるかにばかり意識がいってしまって、本音を言い逃してしまう。

 

この一瞬の躊躇が、せっかくのチャンス...。

 

民ちゃんが与えてくれたチャンス...を逃してしまった。

 

民ちゃんのことを、単純で騙されやすい子だと見くびっていた。

 

あの大きな、綺麗な眼は、ちゃんと相手の心の機微も読み取っていたのだろう。

 

「本当にありがとうございました」

 

深々と頭を下げた民ちゃんの、白いガーゼが痛々しかった。

 

民ちゃんは、ずずっと鼻をすすって、左右非対称に涙目を細めた。

 

「私たちって、顔だけじゃなく性格も似てますね」

 

「え...?」

 

民ちゃんの顔がすっと近づいた。

 

ふわっと民ちゃんの甘い香りに包まれる。

 

「あ...」

 

あっという間のことだった。

 

「おやすみなさい!」

 

耳を真っ赤にした民ちゃんの後ろ姿を、茫然と見送った。

 

僕は民ちゃんの唇が触れた頬を押さえて、馬鹿みたいに呆けていた。

 

リアの帰宅を待ち続けた自分と、今の自分は全然変わっていなかった。

 

 

 

引っ越しの朝。

 

6畳間を覗いたら、民ちゃんはもういなくなっていた。

 

カバーもシーツも外された布団は3つ折りにされ、クローゼットも空っぽだった。

 

きっちりと畳まれたストライプのシャツの上には、スペアキーと、紙幣の入った封筒。

 

そして、

 

『ありがとうございました。

さようなら』

 

と書かれた便せんが置かれていた。

 

 

 

 

民ちゃんがいなくなって1か月経った。

 

Tからは、お礼の品だと言って郷里の米やら、名産の果物やらが届けられた。

 

さりげなく民ちゃんの近況を尋ねたら、「元気そうだ」とのことでホッとした。

 

ユンのオフィスへは、一度だけスケッチをとるために足を運んだ。

 

巧妙に時間をずらしているのか、民ちゃんと顔を合わせることはなかった。

 

ユンの方も、打ち合わせ場所に自身のオフィスではなく、ホテルのロビーや僕の会社を指定するようになったから、あの日以来民ちゃんと会っていない。

 

全てが虚しかった。

 

民ちゃんの新しい住まいがどこなのか、僕は知っている。

 

だって、一緒に選んだ部屋なのだから。

 

それなのに。

 

僕はまだ、民ちゃんの部屋を訪ねていけないでいる。

 

 

(つづく)

 

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(89)NO?

 

 

~チャンミン~

 

翌朝、朝食のテーブルを僕と民ちゃんは囲んでいた。

 

「携帯電話を盗まれてしまったので、今日、新しいものを買いに行ってきます」

 

「ないと不便だよね」

 

「バッグもなくなっちゃいましたね」

 

「何か貸そうか?

そうだ!

あげるよ、僕のものでよければ?」

 

「ありがとうございます。

でも、エコバッグがあるので、それで十分です」

 

「財布も新しいものがいるよね」

 

「そうなんですよねぇ。

中身よりお財布の方が高かったんですよ。

買わないといけませんね...」

 

民ちゃんのその言葉に、お財布を贈ろうと心に決めた。

 

次の休みに、民ちゃんを連れだして好きなものを選んでもらおう。

 

民ちゃんに何かを贈りたいとずっと思っていたから、いい口実ができたと喜んだのもつかの間。

 

あ...!

 

次の休みと言えば、民ちゃんの引っ越しの日じゃないか。

 

もう、その日が来てしまうんだ。

 

民ちゃんは僕の家を出て行ってしまうのか。

 

ここにいるのもあと2日しかないのか。

 

のん気に財布を贈ろうなんて、計画している場合じゃない。

 

 

 

 

「ユン...じゃなくてユンさんは、どんな風だ?」

何かいやらしいことされていないか?」

 

夕食後のTVタイム。

 

僕はビール、怪我のためアルコールがNGな民ちゃんはマンゴージュースを飲んでいた。

 

話したいことは本当は別にあるのに、口火を切るきっかけが作れない僕は、ユンのことを尋ねていた。

 

「まさか!」

 

僕の突然の質問に、きょとんとした顔だ。

 

ユンが民ちゃんの顎に触れたあの指、計算づくの行動だと分かった。

 

民ちゃんは気付いていないだろうけど、ユンは民ちゃんに気があるんだよ。

 

ユンは多分、男もいける口だから、民ちゃんなんか恰好の餌食なんだよ。

 

でも。

 

ユンの気持ちもよく分かる、と思った。

 

ぱっと見は男そのものなのに、思考や話し言葉、仕草が女で(民ちゃんは女の子だから当然だけど)、それなのに、カマっぽいのとは違うんだ。

 

民ちゃんは自分に似合うものをただ着ているだけだし、女っぽくみせようと無理もしていない。

 

のびやかに自然体なんだ。

 

ところが、不意打ちに無意識の色気を出してくるから、それにあてられる。

 

「ユンさんは、どんな人?」

 

「えーっと...よく分かりません...」

 

「どういう意味?」

 

「びしっと決めた外の顔しか見たことがありませんから。

だから、大人で成功していて、才能がある人だとしか言えません」

 

同じような台詞を前にも聞いたことがあった。

 

「年上の人が好きなの?」

 

曖昧にぼかして尋ねてみた。

 

「そんなつもりはないのですが。

私を、ありのままの私を褒めてくれた人が、たまたま年上の人だったってことで。

褒められてすぐにその気になっちゃうなんて、つくづく単純ですね」

 

民ちゃんは今、誰を思い浮かべて語っているのだろう。

 

上司であるユンのことなのか、それとも『例の彼』のことなのか。

 

どちらについて語っているのか分からなかった。

 

民ちゃんが突然、パチンと手を叩くから驚いて飛び上がった。

 

「はい!

ユンさんの話はこれでおしまいです!

そんなことより!

私...チャンミンさんに聞きたいことがいっぱいあるんです」

 

「きたか」と覚悟した。

 

民ちゃんが何を尋ねたいのか、わかっていた。

 

「聞きたいことって、何?

何でも答えるよ」

 

「チャンミンさんは私に説明する義務はありませんし、

そのことをチャンミンさんに質問する権利は私にはありません。

単なる私の子供っぽいヤキモチなんです」

 

「民ちゃんがヤキモチ?

どうして?」

 

少し嬉しくてとぼけたフリをした。

 

民ちゃんに質問されるまま、全部説明しようと考えたのだ。

 

民ちゃんのことだ、細かく質問してくれるだろう、と。

 

ところが。

 

「チャンミンさん。

今日も頭を洗ってくれてありがとうございます」

 

話題が変わってしまった。

 

「大したことないよ。

民ちゃんがここに来る時に、Tから任されていたから。

やるべきことをやったまでだよ」

 

僕が言いたいのはそんなことじゃないのに。

 

「チャンミンさんとの『恋人ごっこ』楽しかったですよ」

 

「僕も楽しかったよ」

 

「これが現実だったら、すごいなぁと思いました。

チャンミンさんが本当の彼氏だったら、楽しいだろうなぁ、って。

どうしてなのか...チャンミンさんはわかりますか?」

 

「それは...」

 

民ちゃんの顔が今にも泣き出しそうで、うろたえてしまった僕はうまく言葉が紡げない。

 

「でも、そういう訳にもいきませんし、ね?」

 

「え...」

 

「チャンミンさんにはリアさんがいるし、リアさんのことを大事にしなくちゃならない時ですよね?」

 

「違うんだ」

 

普段のんびりとした話し方の民ちゃんが、口をはさむ隙のない早口だった。

 

「チャンミンさんはリアさんのことを大事にしなくっちゃ!

リアさんのことを放っておけませんよね?」

 

民ちゃんは透き通った美しい1対の目で、まっすぐ僕を見ていた。

 

ここは頷くべきなのか。

 

リアは浮気をしていたこと。

 

妊娠騒ぎも僕が関与しないことだったこと。

 

はっきりと否定して、民ちゃんの誤解を解くべき時だったんだと思う。

 

どんな言い方であれ、責任逃れの言葉に聞こえてしまったとしても。

 

でも、一瞬の間に浮かんだ「無責任な男には思われたくない」との思いが、絶好の機会を失わせてしまった。

 

民ちゃんが与えてくれた、言い訳のチャンスを僕は自ら逃してしまったのだ。

 

後になって、この時の自分を悔やんだ。

 

心の底から。

 

 

(つづく)

 

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(88)NO?

 

 

 

~チャンミン~

 

本調子でないからか、民ちゃんはお代わりもせず、「痛み止めの薬って眠くなるんですよねぇ」と言って、早々と布団にもぐり込んでしまった。

 

「今日はお迎えに来てくださって、ありがとうございます」

 

民ちゃんは、布団から目だけを出してにっこりと笑った。

 

「おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

 


 

 

~民~

 

ねぇ、チャンミンさん。

 

どうして説明してくれないんですか?

 

リアさんとのこと。

 

「リアとは籍を入れて、お腹の子と3人で暮らしていくことになりそうだ」って、宣言しないんですか?

 

今日のタクシーの中で、また私の手を握りましたよね。(寝たふりをしていたんですよ)

 

宣言をしてくれれば、手を繋いだり私に優しくしてくれることも、単なる友情(?)同志愛(?)みたいなものと受け取るしかなくなって、簡単なのに。

 

でも、そんな宣言をチャンミンさんの口から聞かされたら...やっぱりショックです。

 

おめでたいことなのに、私は全然歓迎できません。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

私が質問するのを待っているのですか?

 

チャンミンさんが私に触れる度、優しくしてくれる度、私は何度も本気にしてもいいのかな、と迷いました。

 

チャンミンさんって鈍感ですね。

 

嫌だったら払いのけるでしょう、普通は?

 

チャンミンさんに手を握られて、私は嬉しかったんですよ。

 

気付いてくださいよ。

 

チャンミンさんばかり責めてて...駄目ですね、私って。

 

チャンミンさんは身動きがとれないのに。

 

好きな人がいる、って打ち明けていたのは私の方なのに。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

私って、勝手な女ですね。

 

「彼はどんな人?」と問われて、惚気ていたのは私なのに。

 

私って、欲張りな女ですね。

 

ユンさんのことも好きだし、チャンミンさんには側にいてもらいたいし、と。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

私は弱虫なので、チャンミンさんに質問できません。

 

「私のことをどう思っていますか?」と。

 

答えを知ったら、苦しくなるから。

 

でもね、なんとなく...答えは知ってます。

 

恋人ごっこの時のことです。

 

私もチャンミンさんも、『本当のこと』を言っていたんですよね?

 

「大切な言葉だから胸に仕舞ってあるんだ」と言ったチャンミンさん。

 

この言葉で、チャンミンさんの本心に触れた、と思いました。

 

私たちって、照れ屋ですね。

 

あれが現実の話になったらいいなぁ。

 

無理だってこと、分かってますよ。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

本気にしないようにしていた理由、分かりますか?

 

リアさんのことがあるからですよ。

 

チャンミンさん。

 

新しいお部屋で、チャンミンさんと花火がしたかったです。

 

 

(つづく)

 

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(87)NO?

 

 

~チャンミン~

 

「ああーーーー!!」

 

悲鳴に近い大声に、鍋をかき回していたお玉を放り出して、洗面所へ駆けつけた。

 

「どうした!?」

 

「チャンミンさん...どうしましょう...」

 

キャミソール姿の民ちゃんに、ドキリとした。

 

シャワーを浴びるために、洋服を脱ぎかけていたのだ。

 

頭を覆っていたネットが外され、髪があっちこっちくしゃくしゃになっている。

 

「どうしたの?」

 

民ちゃんの両眉が下がり、口角もぐっと下がった。

 

そして、くるっと僕に背を向けるから、訳が分からずにいた。

 

「頭を見てください」と、後頭部を指さしている。

 

これは痛いはずだ...民ちゃんの頭の傷は三又に分かれていて、10針近く縫われている。

 

周囲が丘のようにぽこりと腫れていて...。

 

「!」

 

「そうなんです...。

ハゲになってます...」

 

これだけの怪我をしたら、治療のために髪の毛を刈って当然だ。

 

「うっ、うっ...うっ」

 

しゃくりあげる民ちゃんの背中をぽんぽんと優しく叩いた。

 

「ハゲですよ、ハゲ!」

 

いっそのこと短くしてしまえば目立たないよ、なんて提案はできない。

 

無理に女らしい恰好をしないけど、同時に無理に男らしい要素を取り入れたがらない民ちゃん。

 

髪を今より短くするのは嫌に決まってるから。

 

「帽子をかぶったら?」

 

「帽子は頭がムズムズするから好きじゃないんです。

それに...男度がアップします」

 

「うーん...」

 

キャップをかぶった自分の顔を思い浮かべて、なるほどそうかもしれない、と民ちゃんの指摘に納得する。

 

「そうだなぁ...」

 

「元通りになるのに、どれくらいかかりますかねぇ?」

 

「3か月くらい?」

 

「そんなあ...」

 

「そうだ!

K君に相談してみたら?」

 

「おー!

グッド・アイデアですね」

 

たちまち機嫌を直した民ちゃん。

 

「髪は僕が洗ってあげるよ。

一人じゃ、洗いにくいだろ?」

 

「そうですね。

...じゃあ、お言葉に甘えて」

 

ズボンの裾をたくしあげ、腕まくりをした僕は、シャワーの湯加減をみてから、民ちゃんを手招きした。

 

「おいで」

 

民ちゃんの手を引いて、空のバスタブの中に座らせた。

 

「首を伸ばして」

 

「はい。

濡らさないでくださいね」

 

窮屈そうに両脚を折り曲げた民ちゃんは、バスタブの縁から身を乗り出した。

 

「心配ご無用」

 

細い首からつながる背骨の凸凹が、女性らしく華奢だなと思った。

 

傷口にかからないよう、水量を弱めたぬるま湯で髪を濡らす。

 

「痛くない?」

 

「大丈夫です」

 

手の平でシャンプーをたっぷりと泡立てた。

 

民ちゃんの形のよい頭を、指先だけで注意深く、丁寧にマッサージするように。

 

民ちゃんは僕に頭を預けて、じっとしている。

 

こんな感じ、映画のワンシーンであったな。

 

外国の映画だった。

 

逃亡中の男女がいて、ホテルのバスルームで、男が彼女の髪を洗ってやっていた。

 

そのシーンがとても色っぽいと思ったことを覚えている。

 

ぴんと立った耳に泡がついていたから、そっと拭ってやる。

 

白いうなじと、僕と同じくせっ毛。

 

少しだけ...。

 

少しだけなら。

 

ほんの少しだけなら...。

 

民ちゃんの耳たぶにそっと、気付かれないようにそっと軽く唇を押し当てた。

 

胸がきゅうっと苦しかった。

 

昨夜は恋人のフリをするだなんて、大胆なことが出来たのに。

 

本腰をいれようと威勢のいいことを考えていたのに。

 

いざ、素に戻って民ちゃんを前にすると、肝心な言葉が出てこなくなる。

 

変わってしまうことが怖いから。

 

雰囲気が悪くなったり、拒絶されることが怖いから。

 

黙っていれば、今のままでいられる。

 

恋人のフリをした理由も説明できていない。

 

民ちゃんが僕のことを忘れたふりをした理由も、質問できていない。

 

リアとのいざこざを耳にしたはずの民ちゃんに、そうじゃないと誤解を解くこともできていない。

 

民ちゃんが話題に出すまで、黙っているつもりでいる僕は臆病だ。

 

無残な有様の、民ちゃんの後頭部を痛まし気に見る。

 

痛かっただろうな。

 

可哀想に。

 

「湯加減は?」

 

「ちょうどいいです」

 

丁寧に濯ぎ終えて、バスタオルでそっと民ちゃんの頭を包みこんだ。

 

押すようにやさしく水気をとってやる。

 

「チャンミンさん。

鼻に泡がついてますよ」

 

そう言って民ちゃんは、人差し指で泡を拭ってくれた。

 

 

(つづく)

 

 

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(101)NO?

 

 

~チャンミン~

 

「ぶはっ!!」

 

マグカップを揺らしてしまい、

 

「あぢぢぢぃぃぃっ!」

 

火傷しそうに熱い珈琲を太ももにこぼしてしまった。

 

なななななにを突然言い出すんだ、この子は!

 

そうだった!

 

民ちゃんは「こういう子」だったんだ!

 

「チャンミンさん!!

ズボンを脱いで下さい!」

 

と、悲鳴をあげると、民ちゃんは僕のデニムパンツを脱がせようとするから、慌てた僕は彼女の手首をつかむ。

 

「わー!

駄目だって、民ちゃん!」

 

「火傷がひどくなります!」

 

パンツ一丁姿は恥ずかしいし、でも太ももは焼け付くように痛いし、結局民ちゃんの馬鹿力によって脱がされてしまった。

 

「真っ赤ですね。

...痛そうです」

 

水で濡らしたタオルと、よく冷えたジュースの缶で患部を冷やしてくれる。

 

「ちょっとはマシになったよ...」

 

「......」

 

「民ちゃん?」

 

僕の太ももを冷やす民ちゃんの手が、止まっている。

 

「?」

 

民ちゃんの視点が、あの一点に固定されていることに気付いて、僕は民ちゃんからタオルを奪い取った。

 

「民ちゃん!」

 

そうだった、民ちゃんはこういう子だった!

 

「......」

 

民ちゃんは腕を組んで、何やら考え込んでいる。

 

「...民ちゃん?」

 

「以前、『彼氏彼女ごっこ』をしましたよね」

 

「う、うん。

したね」

 

あの時のこっぱずかしい茶番劇を思い出した。

 

記憶喪失になってしまったと勘違いした僕は、何をとち狂ったのか「民ちゃんの彼氏」と嘘をついた。

 

それを信じ切ったふりをした民ちゃんと、『恋人ごっこ』をしたのだ。

 

「チャンミンさんの設定では、

付き合って『2週間以内』に

『真っ昼間』にエッチしたんでしたよね」

 

民ちゃんは、「2週間以内」と「真っ昼間」を強調して言った。

 

「...うん、そんなこと言ったような言ってないような...」

 

あの時の自分の発言は、一字一句はっきりと覚えている。

 

密かに隠していた僕らの本心が、分かりにくい方法で露になった時のことだ。

 

「場所はチャンミンさんのお部屋。

それからそれから、私から迫った設定でしたよね?

...これって、チャンミンさんの願望ですか?」

 

さすが民ちゃん...全部覚えてる。

 

「え...えっと...それは...」

 

民ちゃんの突っ込んだ質問に、僕は頭フル回転で思いついたことを、苦し紛れに回答した。

 

ひそかに思い望んでいたことが、ぽろりと出てしまった瞬間だったのだ。

 

「...そうだったの、かな...?」

 

「チャンミンさんは、2週間後にエッチをする予定なんですね?」

 

「いや...それは、あくまでも仮定の話であって...」

 

「2週間ですか...そうですか...。

早いですね」

 

「だからっ!

実際にそのつもりでいる、っていう意味じゃないから!」

 

そうなんだよなぁ。

 

僕の彼女となった民ちゃんと、いずれは『そういうコト』をするわけでして...。

 

でもなぁ。

 

民ちゃん相手に『そういうコト』をしたら恐れ多いというか、そういう対象で見たらいけないというか...躊躇する気持ちは確かにある。

 

(しょっちゅう民ちゃんを触りまくっていた過去については、脇に置いておく)

 

けれども、まさか今夜中に告白してしまうつもりはなく、さらには即OKをもらえるとは予想もしていなかったから、その後については正直、全然考えていなかった。

 

告白後すぐに、『そういうコト』の心配をしてしまうあたりが、民ちゃんらしいというかなんというか...。

 

「そうですか...。

そうなんですね」

 

民ちゃんは難しい顔をして、腕を組んだままだ。

 

眉をひそめて唇を尖らせて、何やら考え込んでいる。

 

突拍子もない言葉が飛び出すんじゃないかと、ワクワクしていた僕だけど、目の前の民ちゃんが可愛すぎた。

 

脚を2つに折って座った民ちゃんの膝小僧は小さく、最後に会った時より伸びた髪が片目を隠している。

 

僕の手がオートマティックに動いて、民ちゃんの前髪に触れ、そうっと耳にかけていた。

 

とっさの僕の行動に驚いた民ちゃんの、上瞼がふるりと震えて、僕の下腹がきゅっと緊張した。

 

民ちゃんの耳たぶに触れていた僕の手は、欲求に突き動かされて、彼女の髪の中に滑り込む。

 

丸い目がますます大きく丸くなって、民ちゃんの口が「まあ」といった風に開く。

 

金縛りにあったみたいに、かちかちに固まってしまった民ちゃんが可愛らしい。

 

その次の行動もオートマティックだった。

 

斜めに傾けた顔を、民ちゃんに近づけた。

 

「もう一度だけ...」

 

と囁いて、開いたままの民ちゃんの唇を自分のもので覆いかぶせた。

 

びくんと震えた民ちゃんが逃げないように、彼女のうなじにかけた手に力を込めた。

 

どう頑張って見ても男の子にしか見えないし、加えて僕と瓜二つの顔。

 

そんなことに僕は騙されない。

 

民ちゃんの気持ちを知って、ますます女っぽく色っぽく僕の目に映っている。

 

どうしようかな、と一瞬迷い、恐る恐る舌先を出しかけて、やっぱり引っ込めた。

 

『私はピヨピヨのヒヨコなんですよ』と言っていた民ちゃん。

 

驚かせたら可哀想だ。

 

「っ、チャンミンさんっ...!」

 

「!」

 

胸をどんと押されたことで、引きはがされるように僕らの顔同士が離れる。

 

「駄目です...チャンミンさん。

付き合ったその日にもうエッチしちゃうのは、私の理想じゃないです」

 

「いや...そういうつもりじゃ...!」

 

「いーえ!

チャンミンさんはその気満々でした!」

 

「ほんとに違うって!」

 

「チャンミンさんったら...。

パンツ一丁になってるじゃないですか」

 

「これはっ...民ちゃんが脱がしたんであって...」

 

「臨戦態勢じゃないですか。

暴れてるじゃないですか!?」

 

「ええぇぇぇ!?」

 

民ちゃんの目線がついと下がったから、タオルで隠した中を確認してしまうじゃないか。

 

「嘘です」

 

「もぉ~、民ちゃん」

 

いつものごとく民ちゃんにからかわれてばかりだけど、僕はつくづく思う。

 

民ちゃんと一緒にいると、とても楽しい、って。

 

そして、大好きだって。

 

 

(第一章終わり)

(第二章につづく)

 

 

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