【67】NO?

 

~タンクトップ姿の君~

 

~リア~

 

先ほどから白いプラスティック製のものを凝視していた。

 

判定窓にピンクのラインが出るか、出ないか。

 

「はぁ...」

 

深いため息をついたリアはそれを箱に戻しかけ、ふっと頭に浮かんだ思いつきからその手を止めた。

 

午前10時。

 

チャンミンも民も仕事へ行って、この部屋にはリアだけだった。

 

手にした小箱を洗面台の脇に置いたリアは、洗面所の照明を消した。

 

 


 

 

~ユン~

 

 

週が明けて、民が出勤してきた。

 

依頼されていた作品制作も佳境を迎えていた俺は、階下の掃除機の音が止むのを待って、民を大声で呼ぶ。

 

「はい!」

 

元気のよい返事の後、次なるミューズが螺旋階段を上がってきた。

 

髪色がブラウンに、ウェーブがかった前髪がさらさらのストレートになっていて、印象ががらりと違っていた。

 

片側は眉が見えるくらい短く、反対側は目を覆うほど長くアシメトリな前髪だ。

 

洗いざらしのTシャツみたいに飾りっ気のない素朴な姿、女のようにワンピースを着てかしこまった姿、そしてコンテストのステージで見せた未来的なメイクを施した姿。

 

この子は実に、様々な顔を見せてくれる。

 

次は、俺の手でどんな色に染めてやろうか。

 

今日の民の姿を見て、ますます楽しみになってきた。

 

「袖をまくってくれないか?」

 

作業中の俺の手はペースト状の粘土で汚れており、肘からずり落ちた袖口を顎で指した。

 

「はい!」

 

民の細くて長い指が、俺のシャツを慎重に折りたたんでいく。

 

民の指先が腕に触れる度、柄にもなくぞくりとした。

 

顔同士の距離がぐんと近づいたから、意地悪をしたくなった俺は民の方へ顔を寄せてみた。

 

産毛が見えるくらい近くに。

 

民の肌から漂う甘い体臭をすっと吸い込んだ。

 

「あ!」

 

俺の吐息がかかって顔を上げた民は、至近距離に俺の顔があることに気付いたようだ。

 

瞬時に赤面するから、その初心さが可愛くて仕方がない。

 

「えっと...あの...できました...。

下に戻ってもいい...ですか?」

 

おずおずと尋ねる民を、俺は眼力をこめて見つめた。

 

「行かなくていい。

今から、始めようか?」

 

「えっと...。

やっぱり...その...モデルは...」

 

民は俯くと、もじもじとシャツの裾を白くて細い指でいじっている。

 

「たった今、インスピレーションが湧いたのに。

ああ!

早くしないと、イメージが逃げていってしまう!」

 

敢えて大きな声を出し、ふざけて身悶えして見せると、まんまと引っかかった民が慌てだした。

 

「ごめんなさい!

分かりました!

やります!

やりますから!」

 

「ありがとう」

 

俺は微笑むと、粘土にまみれた手で民の手をとった。

 

粘土で汚れてしまった民の手。

 

男の手にしては小さく、華奢な手だ。

 

長いまつ毛に縁どられた、民の大きな瞳がみずみずしく揺れている。

 

不安半分、期待半分のはざまで。

 

「それじゃあ、着がえようか」

 

奥の部屋へ行くよう、民を促した。

 

 


 

 

~民~

 

ユンさんに案内されたのはカーテンに仕切られた小部屋で、ニスのボトルや粘土ベラなどの道具が整然と並ぶ棚が三方を囲んでいる。

 

棚に引っかけてあるハンガーには、牡丹が描かれたキモノがかけられていて、ドキッとした。

 

鼓動が早い。

 

チャンミンさんから借りたシャツの胸元をぎゅっと握る。

 

「用意が出来たら、出ておいで」

 

用意って...やっぱり...脱ぐ?

 

「は、はい...」

 

綺麗な作品に作ってもらいたい、だなんて一時でもうっとりとした自分を後悔した。

 

でも、ユンさんの豹のような眼で見すくめられたら、縦に頷くしかない。

 

ふうっと一息ついた私は、震える指でシャツのボタンを外す。

 

どうしてこんな展開になっちゃったんだろう。

 

冷房がよくきいたアトリエは、タンクトップ姿には寒いくらいで鳥肌がたった。

 

腕をクロスさせて最後の1枚を脱ぐ。

 

ズボンも脱ぐのかな...見下ろしたら、冷気で縮こまった自分の胸が見えて、ブラなんて必要がない自分の身体が情けなくて、泣きそうになる。

 

ハンガーからキモノをとって羽織ると、衿をかき合わせてアトリエへ出て行った。

 

ユンさんのアトリエは7階の半分を占めていて、床も壁もコンクリート製だ。

 

「あの...?」

 

おずおずと声をかけると、操作していた携帯電話から顔を上げたユンさんは、一瞬目を丸くしたのち、ぷっと吹き出した。

 

「はははっ!

民くんは面白い子だねぇ」

 

「え...?」

 

片手で口を覆って湧き上がる笑いを堪えきれない風のユンさんに、私は訳が分からない。

 

「ヤル気満々な姿には感心するけど、そこまで脱がなくていいんだよ」

 

「へ?」

 

「今日はスケッチをとるだけだ。

上のシャツを脱ぐだけでよかったんだ」

 

深読みした自分に赤面してしまうしかないけど、「脱いで」なんて言われたら、裸になるって勘違いしちゃうじゃないですか。

 

「......」

 

ムッとしていると思ったのか、ユンさんは私の頬を軽く撫ぜながら、

 

「笑ったりなんかして、申し訳ないね。

機嫌を直して」

 

アトリエの中央に置いたスツールの方へ、私の背中を押した。

 

「そこに座って」

 

キモノを抱きしめるようにして、スツールに浅く腰掛けた。

 

 

(つづく)

 

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【66】NO?

 

 

~チャンミン~

 

 

僕には未解決のことがある。

 

リアの件だ。

 

別れを受け入れてもらうのを、待たないことに決めた。

 

贅沢なこの部屋を借り続けられるのも、あと1か月が限界だった。

 

先週のうちに、退去の連絡を入れ、引き落とし専用口座に翌月分の家賃の入金を済ませた。

 

リビングやキッチンでリアと無言ですれ違う。

 

リアはちら、と僕と目を合わせるとすぐに目を反らしてしまう。

 

何かを言いたげなのに何も言わない。

 

僕の方も声をかけられずにいて、我ながら臆病者だと思う。

 

入浴後のバスタオルを巻いたままのリア、下着姿でソファに座ってTVを見ているリア、同じベッドで眠るリア。

 

僕は全然、欲情しない。

 

あれほど愛していたのに、今の僕は早く離れたくて仕方ない。

 

リアへの想いではち切れんばかりだった僕の愛情も、1年をかけてしゅるしゅると抜けていって、今じゃ空っぽだ。

 

その空っぽになったスペースに、いつの間にか別の女性の存在が侵入してきて、もうすぐ満タンだ。

 

リアなしじゃ生きていけないと言い切っていたのが、今じゃこうだもの。

 

人の心なんて頼りにならず、未来がどうなるか分からないものだ。

 

 

 

 

翌日、引っ越し先が決まりもしないうちに、僕は荷造りを開始した。

 

民ちゃんは手伝いを買って出てくれた。

 

僕らは引っ越し業者が置いて行った段ボール箱に、運び出すものを詰めていく。

 

(民ちゃんの荷造りは簡単だ。僕のうちに来た時の5つの段ボール箱が、彼女の持ち物の全てだ)

 

「電子レンジはどっちのです?」

 

同棲した末の別れで一番頭を悩ませるのは、持ち物の線引きだ。

 

「僕、かな。

コーヒーメーカーも僕のだよ」

 

僕のものだけれど...正直、どれもこれも色褪せてしまった感が否めない。

 

荷物なんて全部置いていってしまっても、全然構わなかった。

 

そんなことしたら、リアに迷惑をかけてしまうから、やむを得ず持って出る。

 

一から新しい生活を築きたい。

 

そんな心境だった。

 

「食器は?」

 

「いくつかは棚に残しておいて。

まだしばらくは使うからね」

 

「はーい」

 

民ちゃんは新聞紙でお皿やらグラスやらを手際よく包んでいる。

 

(お店に勤めていたから、こういう梱包作業は得意なんです、と言っていた)

 

「あの...チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「TVとか、冷蔵庫とか...家具はどうするんですか?

半分に割るわけにはいかないでしょう?」

 

リアと資金を出し合って購入したものたちだ。

 

「次の住まいには大き過ぎる。

置いていくつもりだよ」

 

1LDKか2Kあたりの部屋を念頭に置いて、そう答える。

 

家具も家電ももう一度、少しずつ買いそろえればいいことだ。

 

「寝室の方は、私はタッチしない方がいいですよね?」

 

「クローゼットの中はそのままでいいよ。

全部リアのものだ」

 

「はーい。

次はどこを片付けましょうか?」

 

「洗面所をお願いしていい?」

 

「はーい」

 

洗面所へ向かう白い足首が、床にあぐらをかいた僕の前を通り過ぎる。

 

「タオルはどうしましょう?」

 

「うーん...どうしようかなぁ...」

 

2人で使ったタオルを残されてもリアは困るだろうし、恐らくゴミ箱行きになりそうだ。

 

「2、3枚だけ持っていくよ」

 

「はいはーい。

チャンミンさん、この収納棚は備え付けですか?」

 

「ああ。

中身を出さないとね。

化粧品系はリアのものだからね」

 

「了解でーす」

 

僕はTVボード内のDVDやゲームソフトの選別にかかっていた。

 

 

 

「ひっ!」

 

「ん?」

 

「......」

 

「民ちゃん?」

 

「......」

 

返事のない民ちゃんに心配になった僕は、洗面所へ顔を出す。

 

「民ちゃん?」

 

開け放ったキャビネットの前で、民ちゃんは手にしたものをじっくりと観察している。

 

(ミミミミミミミンちゃん!!)

 

僕は扉を閉め、民ちゃんの手から問題の物を取り上げた。

 

「チャンミンさんたち...お盛んだったんですねぇ...」

 

つぶやいた民ちゃんは、信じられないといった表情で僕を見る。

 

「何箱も...通販ですか?」

 

(恥ずかしいから口に出さないで!)

 

「使いかけって...生々しいですね」

 

かぁっと顔が熱い。

 

民ちゃんに見られたくないものを見られてしまった。

 

「こういうものって、ベッドの側に置いておくものじゃないですか?」

 

ゴミ袋に全部突っ込むのを見た民ちゃんったら、とんでもないことを言い出すんだから。

 

「あれ?

持っていかないんですか?

勿体ないですね」

 

「持っていくわけないだろう!」

 

僕の大声にひるんだ民ちゃんに、僕は「ごめん」と言って彼女の頭を撫ぜた。

 

リアとの暮らしの名残は、全部捨てていく。

 

夕方には、現段階で詰められるものは全部、箱に詰め終えた。

 

「チャンミンさんの持ち物って...少ないんですねぇ」

 

リビングの片隅に積み上げられた段ボールの数に、民ちゃんは感心している。

 

引っ越し業者に依頼せずとも、レンタカーで運んでしまえそうな数だった。

 

「そうかな?」

 

家具や家電はそのままだったから、ぱっと見には片付いた感はしないけど、引き出しの中にはもう、僕のものは入っていない。

 

晴れ晴れとした気持ちの一方、寂寥感のようなものを拭えずにいた。

 

どんな形であれ、恋の終わりは心がすうすうとして、とても辛い。

 

「民ちゃんのおかげで早く済んだよ、ありがとう。

夕飯を御馳走するよ。

何か食べたいものはある?」

 

「出前のピザが食べたいです。

フライドチキンを付けてください」

 

宅配ピザのメニューを楽しそうに眺める民ちゃんに口元がほころんでしまうが、心の半分はリアのことを考えていた。

 

リアは次の部屋を見つけられるのだろうか、引っ越し費用は用意できるのだろうか...と心配だった。

 

リアに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったんだ。

 

僕にできることは手伝ってやろう、と。

 

こういう中途半端な優しさが僕のいけないところだってことは、分かってはいるんだけど。

 

 

(つづく)

 

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【65】NO?

 

 

~チャンミン~

 

「チャンミンさん...ごろーんってして下さい」

 

「へ?」

 

「いいからいいから」

 

先に寝っ転がった民ちゃんに手を引かれて仕方なく僕も横になる。

 

「あ...」

 

「ね?」

 

天窓から、青空が見えていた。

 

「この下にベッドを置くことに決めました。

星空を眺めながら眠りにつく...素敵です」

 

ここは都会、あの天窓から星空が見えない可能性が高かったけど、僕は黙っていた。

 

「天窓とか、バルコニーとか、フローリングとか憧れます。

このお部屋は全部叶えてくれます。

ここがいいです」

 

しばらく僕らはフローリングの床に寝転がって、無言で想像の星空をあの天窓から眺めていた。

 

「遊びに来てくださいね」

 

「え...?」

 

横を向いたら、民ちゃんの青みを帯びた白目と長いまつ毛に僕は見惚れた。

 

「僕なんかじゃなくて、例の...彼を呼ぶ方が先じゃないかな?」

 

心にもないことを口にしていた。

 

民ちゃんの片想いの相手、X氏についてさりげなく探りを入れるために。

 

「どうでしょうか...。

来てくれないと思います」

 

「どうして?」

 

「『そういう』人じゃないんですよねぇ...庶民的じゃない、というか...」

 

「そうなの?」

 

頭を浮かした僕は、民ちゃんを見下ろした。

 

「暮らしのステージが一段上の方です」

 

「その彼と...どういったきっかけで知り合ったの?」

 

「それは...」

 

民ちゃんは言いかけて、少しの間迷った後、

 

「私が店員さん、彼がお客さんでした。

私の接客を褒めて下さって...。

...多分、私の片想いで終わってしまうと思います。

私なんかじゃ、太刀打ちできません」

 

「僕より年上だったっけ?」

 

「はい」

 

「そっか」

 

ルーフバルコニーと天窓の部屋に決めた僕らは、不動産屋へ徒歩で向かっていた。

 

全くもって、デートみたいだった。

 

隣を歩く民ちゃんの揺れる右手と手を繋ぎたかった。

 

「私...ここまでたどり着きました。

仕事を見つけて、一人暮らしのお部屋も決まって...。

チャンミンさん...ありがとうございます」

 

前を向いたまま話しているのは、照れているからだ。

 

民ちゃんの顔も耳も赤いのも。

 

「あなたのおかげでここまで来ました」

 

僕はぴたりと立ち止まった。

 

あなた。

 

その一言が僕の心を甘く切なく痺れさせた。

 

いつか民ちゃんは、あの部屋にX氏を呼ぶことになるかもしれない。

 

その前に。

 

「僕と...一緒に住まないか?」

 

心の中で僕は、そうつぶやいてみた。

 

 

 

 

契約書を交わす民ちゃんの隣に、僕は保護者然として座っていた。

 

民ちゃんはリュックサックから厚みのある封筒を取り出すと、その中から契約金を支払った。

 

「向こうでバイトを掛け持ちして貯めたんです。

だから、お洋服を買う余裕がなくて...。

チャンミンさんが貸してくれて、助かりました」

 

ふふふっと、恥ずかしそうに笑った。

 

いつも同じ格好をしている民ちゃんのワードローブの乏しさに納得した。

 

でも、1着1着大切に着ている民ちゃん。

 

そっか...民ちゃんはそうまでしてX氏の側に来たかったのか。

 

僕じゃ太刀打ちできないかもしれない、と自信をなくしそうになる。

 

「チャンミンさんのお部屋探し、手伝いますよ?」

 

マンションへの帰り道、僕らはコンビニエンスストアで買ったアイスコーヒーを飲みながら並んで歩く。

 

(民ちゃんったら、ガムシロップを3個も入れるんだから)

 

しみじみと、まるでデートみたいだと思った。

 

「えー。

民ちゃんじゃ頼りない」

 

汗に濡れる民ちゃんのうなじから目を離せずにいた僕は、慌てて目を反らして民ちゃんの腕を軽く小突いた。

 

「ひどいですね。

いい空気が流れているかいないかは、分かりますから」

 

「じゃあ...来週。

僕の部屋探しに...付き合ってくれる?」

 

「もちろんですよ!」

 

よかった。

 

まるで、デートの約束みたいだ。

 

冷たいコーヒーのミルキィな甘さが、民ちゃんの首筋から漂うミルクみたいな甘い香りと結びついて、僕の胸はやっぱり甘く痺れるのだった。

 

こうして民ちゃんの引っ越しは来週に決まった。

 

次は僕だ。

 

 

(つづく)

 

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【64】NO?

 

 

~君と見る夜空~

 

~チャンミン~

 

 

コンテストの日、帰社して携帯電話にメールが届いていたことに気付いた。

 

気取ったポーズをとった写真、首から上のアップ写真、横顔の写真、KさんとAちゃんとの集合写真。

 

それから...僕が一番気に入ったのが、民ちゃんがくしゃくしゃな顔をして笑った写真だ。

 

鼻にしわをよせて、両頬をきゅっとあげて、歯並びのよい白い歯をのぞかせた笑顔。

 

何度見ても、ぽっと心が温かくなる。

 

僕も同様なんだけど、思い切り笑うと歯茎が見えてしまうんだよなぁ。

 

でも、邪気のない清潔そうな口元なんだ。

 

「チャンミンさん!

顔がエロくなってます」

 

「えっ!?」

 

携帯電話から顔を上げると 僕をじぃーっと見つめる丸い眼。

 

知らず知らずのうちに、顔がにやけていたみたいだ。

 

「いやらしいことを考えていたんでしょう?」

 

今日の僕らは、民ちゃんの部屋探しのため物件の内覧巡りをしていた。

 

午前中に3物件を回った後、目についたカフェで昼食をとっていた。

 

民ちゃんは2つのバゲットサンドを平らげていた。

 

僕に劣らず民ちゃんは大食漢なのだ。

 

隙間時間があれば、民ちゃんの写真を眺めているなんてバレるわけにはいかない。

 

携帯電話を後ろポケットに滑り込ませて、残りのサンドイッチを口に放り込んだ。

 

オープンテラスの席で行き交う人々を眺めながらのランチタイム。

 

まるで、デートみたいだ。

 

僕がアイスブルーのデニムパンツで、民ちゃんはスリムなインディゴブルーのデニムパンツ。

 

揃って白いTシャツを着ていたから双子感著しいけど、僕は全然OKだ。

 

民ちゃんのきりっとした眉毛が、斜めに流した前髪から覗いている。

 

日光が当たるとレッドブラウンに透けた髪色が、民ちゃんによく似合っていた。

 

「いい色でしょ?」

 

はにかんだ民ちゃんは、首を左右に向ける。

 

「さて、次を回りましょう。

チャンミンさんったら厳しいんですもの。

こんなんじゃ、100軒回っても見つかりっこないですよ」

 

民ちゃんのお財布事情を考慮しながら、安全面・立地面、そして設備が整っている部屋探しに難航していた。

 

「ここでいいです」ってよく見もせず決めようとする民ちゃんに、僕は「待った」をかけるのだ。

 

民ちゃんときたら、安くて雨露がしのげればいいなんて言ってるんだもの。

 

家具のないがらんとした部屋は、声がよく響く。

 

ひなびた匂い。

 

民ちゃんはバタンバタンとキッチンや靴箱の戸を開けたり閉めたりしている。

 

「民ちゃん。

ここはパス」

 

「えー、どうしてですか?」

 

「隣の家の庭木がバルコニーにかかっている。

木をよじのぼったら、民ちゃんの部屋に侵入できるから。

民ちゃんは女の子だよ?

防犯を考えると、ここは駄目だ」

 

「私の部屋なんて、誰も覗きませんったら」

 

いろんな趣味の人がいるんだから、とは民ちゃんには言えない。

 

「とにかくここは駄目!」

 

納得がいかないといった風の民ちゃんは、しばらく考え込んでいた。

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「チャンミンさんのパンツを下さい!」

 

「パンツ!?」

 

目を白黒させていると、

 

「やだなぁ。

チャンミンさんったら、何を想像してたんですかぁ?」

 

僕の背中をバシッと叩いた(民ちゃんは力持ちだから、かなり痛い)

 

「チャンミンさんのパンツを頭からかぶったり、匂いを嗅いだり、そういう用途で欲しいわけじゃありませんってば。

私のパンツと一緒に干すんです。

男の影をちらつかせるためです。

このアイデアは、何かで見たことがあります」

 

「民ちゃん...」

 

僕は大きくため息をつく。

 

民ちゃんのおパンツは、全部黒でボクサータイプだ。

 

(なぜ知っているかというと、民ちゃんは洗濯したまま忘れて乾燥機に入れっぱなしにしていることがしょっちゅうある。

 

それを見つけた僕は、畳んで引き出しにしまってあげているのだ)

 

女性ものの下着には全然見えないよ、と指摘したら民ちゃんは悲しむに決まっているから、黙っていることにした。

 

「お風呂とトイレは別だし、家賃は安いし...ここにしたいなぁ...」

 

「駄目!」

 

民ちゃんの手を引いて、次の物件へGOだ。

 

「ここはどうですかねぇ?」

 

「う~ん...」

 

「冷蔵庫が備え付けですよ?」

 

「そんなに小さい冷蔵庫で民ちゃん、大丈夫?」

 

民ちゃんは食いしん坊だから。

 

「それは、困りますねぇ」

 

「次のところを見よう」

 

候補物件残り1軒となった時、

 

「ここが気に入りました」

 

「賛成」

 

僕も納得、即答だ。

 

築年数は古いもののサッシ窓は2重鍵、壁紙も張り替えてあり、広さも十分だ。

 

ルーフバルコニーがこの部屋の最大の特徴だ。

 

日当たりも風通しもよい。

 

「日光浴が出来そうですねぇ。

プランターを並べて、家庭菜園が出来そう。

野菜を沢山育てれば、食費が浮きますねぇ」

 

「楽しそうだね」

 

「花火ができそうですね」

 

「花火...」

 

深夜のコンビニエンスストアで、心惹かれて衝動買いした花火の存在を思い出した。

 

民ちゃんと顔を寄せ合って、次々と火をつけて、煙が目にしみて。

 

オレンジ色の火花に照らされた民ちゃんの頬や、彼女の秀でた額と鼻筋が作る濃い影。

 

そんな光景を想像していた。

 

 

(つづく)

 

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【63】NO?

 

 

~民~

 

 

「結果がどうであれ、この舞台に立てただけで凄いこと」と、チャンミンさんにポロリと本音を漏らした自分に反省した。

 

ステージの上では優勝者に称賛の拍手送っていたAちゃんは控室に戻った号泣した。

 

椅子に座りこんだKさんは無言のまま肩を落としていた。

 

「準優勝だったから、よかったじゃないですか」などと、気休めの言葉なんて一切かけられない空気に、彼らの姿を遠巻きに見ることしかできない。

 

優勝者は、私が「お!」と注目したレインボーカラーの作品で、超越したカラーテクニックと、テーマの解釈が斬新だとの総評をもらっていた。

 

私にはとても理解できないアートの世界だけど、人の心を打つものは理屈や理由は不要なんだと思う。

 

ユンさんの作品もそう。

 

ホテルのフロント前に展示されていた鳳凰の彫刻。

 

荒々しさと繊細さがひとつの作品の中で表現されていて、胸を打ったのだ。

 

「綺麗に作ってあげるから」とユンさんは私に囁いた。

 

自分自身の世界を作り上げるテクも知恵もない私は、誰かの手によって素敵に作ってもらえるのなら、それは素晴らしいことだなぁ、って。

 

今回のカットモデルのお仕事で、そう思った。

 

作品のモデルだなんて恐れ多いし、恥ずかしい気持ちでいっぱいだけれど、少しだけ楽しみになってきた。

 

「次がありますよ」って、AちゃんはKさんを慰めている。

 

更衣室がいっぱいだったので、仕方なくその場で着替えた。

 

背中に手を回してコルセットのホックを外すと、締め付けていた胸が解放されて緊張と共に全身でホッとした。

 

コルセットを外して隙間なく並ぶスタッズを見て、KさんとAちゃんが夜なべをしてひとつひとつ縫い付ける姿が目に浮かぶ。

 

あんなに頑張ったのに...。

 

「ん?」

 

視線を感じて周囲を見回すと、控室中のあちこちで私を見ている。

 

「わっ!」

 

大慌てでコルセットを抱きしめた。

 

男なのか女なのか不明な私はコンテストの間中、興味本位の視線を浴びていたんだった。

 

裸になる度、鏡に映る少年のような自分の身体が嫌いだ。

 

今ので周りの人たちは絶対に、私は男だと確信したに決まっている。

 

泣きそう...。

 

私の様子に気付いたAちゃんが大急ぎでケープを首に巻いてくれて、ショートパンツを脱いでいつものデニム姿に私は戻った。

 

うなだれていたKさんが、むくっと顔を上げ、

 

「もらった賞金で次のコンテストを目指します!」

 

と、宣言した。

 

「Kさん...」

 

「来年もこの大会を目指します!

次はシニア部門になるので、強敵揃いになりますが。

近々の大会は来月にあるので、まずはそれに向けて頑張ります」

 

「え~。

少しは休ませてくださいよぉ」

 

Aちゃんはうんざりした表情だったけど、その目はワクワクに満ちて輝いている。

 

本当に...彼らが羨ましかった。

 

サロンに戻った私はメイクを落とし、カラーリングのし直しと痛んだ髪をトリートメントしてもらった。

 

「民さんのしたいスタイルにしてあげますから、遠慮なく言ってください」

 

疲れているだろうに、Kさんは気を遣ってくれ、お言葉に甘えてフルコースの施術を受けた私。

 

「わぁ...」

 

Kさんにお任せしたら、自分で言うのもなんだけど「いい感じ」になったのだ。

 

私の本質を分かってくれてる、と思った。

 

「Kさん...凄いです...!」

 

変身した私を見て満足そうなKさん。

 

「今までありがとうございました」

 

アルバイト代の入った封筒をうやうやしく受け取った私は、頭を下げた。

 

「民さん!」

 

サロンを出ようとした時、後ろからKさんに呼び止められた。

 

「はい?」

 

「チャンミンさん...民さんのお兄さんみたいな人」

 

「みたいな?」

 

「お兄さんだと最初勘違いしてましたが、本当は違いますね。

間違っていたらすみません」

 

驚いた。

 

「どうして分かったんですか?」

 

「会場にいらっしゃってたでしょう。

お二人が並んでいるところを見て...兄妹じゃないんだな、って思ったんです」

 

「どこでそう思ったんです?」

 

「なんとなく。

お二人の間で流れる空気、というか...。

うまく説明ができなくて申し訳ありませんが、兄妹じゃないな、って。

あ!

意味深な意味で言ってるわけじゃありませんよ」

 

Kさんの観察眼はすごい。

 

双子みたいな私とチャンミンさんを、他人同士だって見抜くなんて。

 

「民さーん」

 

半泣きのAちゃんが私に抱きついてきた。

 

「私を綺麗にしてくれて、ありがとうね」

 

私は身をかがめて身長150センチのAちゃんの背中を撫ぜる。

 

私より若いのにしっかりしていて、夢を追いかけていて、一生懸命な女の子。

 

「Aちゃんは、もしかしてKさんのことが...?」

 

Aちゃんの耳元で囁いたら、ぼっと頬を赤くした。

 

「内緒ですよ!」

 

「もちろん!

お似合いだと思うよ」と、こっそり囁いた。

 

阿吽の呼吸のKさんとAちゃんだもの、きっとうまくいくはず。

 

サロンの外まで見送りに出てくれた二人に手を振って、私は帰路につく。

 

賞品のシャンプーやヘアパック、ドライヤーを片手に、私はチャンミンさんのお家へ向かっている。

 

チャンミンさんのアドバイス通りに、髪を染めてもらいましたよ。

 

ぱっと見は茶色だけど、光があたると深みの赤が感じられる色ですよ。

 

私は幸せで胸いっぱいだった。

 

 

(つづく)

 

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