【57】NO?

 

 

~民~

 

 

今は仕事中だから、休憩時間に見てくれるといいな。

 

きっと驚くだろうな。

 

こんな私でも、綺麗に見える時があるんですよ、って。

 

そこで、初めて気づいた。

 

綺麗に撮れた写真を真っ先に見てもらいたいのは、お兄ちゃんや友達や、それからユンさんでもなく、チャンミンさんだということに。

 

平日開催のコンテストに、会社勤めのチャンミンさんを誘うわけにはいかなかったが、もし週末開催だったとしたら、絶対にチャンミンさんを招待していたのに。

 

実は、ユンさんを招待したことをほんの少しだけ後悔していたのだ。

 

ランウェイでユンさんを見つけた時、嬉しさよりも猛烈な恥ずかしさが自分を襲った。

 

「見られたくなかった」と思った。

 

仕事を通じた顔しか知らないユンさんに、私の赤裸々な部分を見せるのは、まだタイミング的に早いと思った。

 

そして、ユンさんは秘密だらけで、求められてもいないのに自分をさらけ出すのは怖いと思った。

 

憧れの人には、丸ごとの自分を見せたくない。

 

でも、チャンミンさんには丸ごとの自分を見せても大丈夫だという安心感があった。

 

なんでだろうね。

 

顔が似ているから?

 

チャンミンさんは優しい人だから?

 

分からない。

 

私はため息をつくと空いているベンチに腰掛け、ロビーのあちこちで写真撮影をする人々を眺めた。

 

KさんとAちゃんは、「また後で」とどこかへ行ってしまった。

 

今後の勉強のため、気になるスタイリングを写真におさめにいったのだ。

 

私の方も可愛いモデルさんが何人かいたので、見かけ次第声をかけて写真を撮らせてもらことにした。

 

ごく稀にプロのモデルさんもいるけれど、大半はスカウトされたり、知人友人関係なんだとか。

 

「失礼ですが、男の方ですか?」と、何度か尋ねられた。

 

いつもだったら苦笑まじりに「女です」と答えていたけれど、今日は「はい、そうです」と真逆なことを言える余裕があった。

 

Kさんと同じテーマの「フューチャー」のモデルさんたちは、シルバーや白、ブルー系統でまとめているものが多い。

 

ステージ上で「お!」と思ったのが、3人向こうにいたレインボーカラーに染めた「作品」

 

「フューチャー」なのに7色にカラフルでポップだったから、同じテーマでも解釈によってガラリと世界観が変わるんだ、と思ったのだ。

 

グラデーションに染めるのは難しいとKさんは苦労していたから、どうやって染めたんだろうと、そのテクニックが凄いと思った。

 

そう。

 

私たちモデルは、選手たちが作り上げた「作品」なのだ。

 

今の私は「私」じゃない。

 

Kさんの「作品」なのだ。

 

私という髪と顔と身体がキャンバスになっただけなのだ。

 

打ち込めるものと才能を持つKさんやAちゃんが羨ましかった。

 

私も、自分自身の手で私自身を創ることはできるのだろうか。

 

自分の特技や趣味ってなんだろう、と考えていたら、

 

「民くん」

 

背後から聞き覚えのある声をかけられ振り向くと、ユンさんだった。

 

「ユンさん!」

 

慌てて立ち上がると、頭を下げた。

 

今日のユンさんは、麻のパンツにスモーキーピンクのサテン素材の開襟シャツを着ていた。

 

見慣れた白いシャツにチノパン姿とは違ったコーディネートに、ドキッとした。

 

豊かな黒髪を真っ直ぐ背中に垂らしているのに、涼し気な雰囲気だった。

 

半分裸みたいな恰好が恥ずかしい。

 

ユンさんを前にすると、自分のこと全てが恥ずかしくなってしまうのだ。

 

ユンさんはふっと笑って、指を伸ばし私の頬に触れた。

 

ユンさんの指がラメやグリッターで汚れてしまう、と心配した。

 

「民くんが綺麗を通り越して可愛らしくなっていて驚いたよ」

 

「嬉しい...です」

 

視線を落とすと、ジュート素材のスリッポンが目に入り、「ユンさんは、何もかもが完ぺきだな」と冷静に思っていた。

 

「結果は未だ?」

 

「はい。

あと30分か1時間くらい後に」

 

「優勝すると海外に行けるんだって?」

 

「はい」

 

「手ごたえは?」

 

「どうでしょうか...。

私の目には、全部優勝候補に見えてます」

 

ユンさんは周囲を見渡していたからきっと、Kさんを探しているだんと思った。

 

「集合時間までは解散なんです」

 

「そう。

じゃあ、しばらく俺が居ても大丈夫だね?」

 

「はい」

 

ユンさんに促されて私は、再びベンチに腰掛ける。

 

「民くんは本当にスタイルがいいんだね?」

 

「いえいえ、背が高いからですって」

 

「俺は事実を言っているんだよ?

もっと自信を持ちなさい」

 

少し前もユンさんから同じことを言われた。

 

「とても、よかった」

 

「ありがとうございます」

 

「次は...俺のモデルになるんだよ」

 

「あ...」

 

「綺麗に作ってあげるから」

 

ユンさんは私を覗き込むと、念を押すようにそう言った。

 

ユンさんの香水のスパイシーないい香りが、鼻腔をくすぐった。

 

 


 

 

~ユン~

 

 

俺はヘアスタイリングをもって表現する世界は知らないが、アーティストの目から言わせてみれば、民に似合い過ぎている。

 

民の持つ透明感を活かすあまり、本来のテーマが薄れてしまっている。

 

民の個性が出過ぎてしまっているようだ。

 

固く閉じた身体、少女性が見え隠れした無垢な顔、揺れる透明な瞳に不安感が見え隠れしている。

 

無垢が故に染まりやすいのだ。

 

今の民そのものを表しているじゃないか。

 

 

(つづく)

 

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【56】NO?

 

 

~チャンミン~

 

 

スクリーンに民ちゃんが映る。

 

前髪のひと房だけを青く染め、上瞼ぎりぎりで切られた前髪の下で光る透明な瞳。

 

高い頬骨に塗ったグリッターが濡れたように光っている。

 

そういえばK君がコンセプトについて説明をしてくれた。

 

「『フューチャー』です。

民さんの中性的なスタイルはアンドロイドのようです。

でも、優しい目付きをしていますから、アイライナーで囲ったりせずナチュラルに仕上げたいと思います。

つまり、メタリックなBODYに反して、顔は人間的で温かみがある感じにしたいのです」

 

無機質なメタル感ある衣裳とラメが輝く手足。

 

ぺったりと額にはりついた前髪のほかは、バサバサに逆立ててドライ感をだしている。

 

僕が試着した時よりもパンツは短くカットしてあり、民ちゃんの細くて長い脚がまっすぐ伸びている。

 

メインステージにKさんを残して、民ちゃんは会場に向かって歩く。

 

いつもの民ちゃんの歩き方だった。

 

まっすぐ膝を伸ばしてかかとから着地するしっかりとした脚運び。

 

(歩き方は男っぽいんだけど、立っている時は少し内股なんだ)

 

民ちゃんのことだ、神妙な面持ちだけど、きっと恥ずかしくてたまらないんだろうな。

 

スポットライトが民ちゃんを正確に追いかける。

 

ランウェイの突き当りで立ち止まり、顔を交互に傾けて会場の面々にスタイリングを披露する。

 

10数秒後、Uターンしてメインステージに引き返す。

 

少し余裕がでてきたのか、客席の方へ視線を向けている。

 

その時、民ちゃんと目が合ったと思った。

 

ライトを浴びた民ちゃんには、ここにいる僕の姿なんて絶対に見えるはずないのに。

 

内緒にしていたから、会場に僕がいるなんて知らないのに。

 

民ちゃんが一瞬、照れ笑いをした。

 

目を細め鼻にしわをよせた、いつもの民ちゃんの笑い方だった。

 

スクリーンに映し出された民ちゃんの両耳が真っ赤だった。

 

ぞくぞくっと寒気が背筋を走る。

 

もし僕が今、民ちゃんと同じ衣裳を身に着け、同じヘアスタイル、メイクをしたとしても、こうはなれない。

 

僕は男で、民ちゃんは女だからなんてことが理由じゃない。

 

僕にはなくて民ちゃんだけが持っている透明感の差なんだろうと思う。

 

涙が溢れていた。

 

民ちゃんの魅力に最初に気付いたのは僕だ。

 

民ちゃんの魅力に誰も気づかないで。

 

これ以上、綺麗にならないで。

 

いつものTシャツ姿に戻って欲しい。

 

ねえ民ちゃん、僕のことを見て欲しい。

 

 

 


 

 

競技とショーイングを終えた面々は、結果発表を待つだけとなった。

 

KとA、民は自販機で買った冷たい飲み物で一服をしていた。

 

競技会では審査員たちがボードを片手に、ステージにずらりと並ぶモデルをつぶさに見て審査していく。

 

息がかかるくらい顔を近づけてカットラインを観察したり、中には胸ポケットに入れたコームでカラーの染まり具合を確認する審査員もいた。

 

その間、民は息を止めて腰に片手を当てたポーズをキープしていた。

 

長時間の同じ姿勢でいたのと大勢の人からの視線、眩しく熱いライトで、民はへとへとだった。

 

「記念写真を撮りましょうよ」

 

一息ついた後、AはKと民を誘う。

 

「いいね!」

 

「民さん、あの柱の前に立ってください」

 

Kは携帯電話を片手に、背景にうってつけの太い柱を指さした。

 

写真を撮られることが苦手な民だったが、一生に一度あるかないかの晴れ姿だ。

 

ステージに上がった高揚感も手伝って、Kの指示通りにポーズをとる。

 

「私の携帯電話でも撮ってください」

 

「もちろん」

 

「最後は3人一緒に!」

 

近くにいた者にカメラマンを頼んで、3人顔を寄せ合って笑顔の1枚をおさめた。

 

短い期間だったが共に頑張った「戦友」同士の記念写真だ。

 

民は口元をほころばせながら撮影した写真を1枚1枚見ていく。

 

 

(カットモデルをやってみてよかった。

 

KさんもAちゃんも、いい人だった。

 

一生懸命になってる人たちの側にいられて、楽しかった。

 

それから...こんな自分は初めて!)

 

かかとは靴擦れを起こしてヒリヒリしていたし、肩も腰もバリバリと音がしそうなくらいに凝っていたけれど、民は幸せだった。

 

その中の1枚に、気取ってポーズをとった後恥ずかしくなって顔をくしゃくしゃにして笑った写真があった。

 

目は糸のように細く、思い切り笑っていたため歯茎も見えてしまっていたが、「この写真が一番好きだ」と民は思った。

 

(チャンミンさんに送ってあげよう)

 

撮ってもらった中から、選りすぐりのものを5枚ほど続けさまに送信した。

 

 

(つづく)

 

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【55】NO?

 

 

「ランウェイだなんて...聞いてませんよ」

 

「民さん、じっとしていてください!」

 

Aは衣裳に着がえた民の背後に立って、メイクに余念がない

 

隣のKは「ケープ、水スプレー、タオル、コーム、トリマー...それからハサミ!」

 

と、つぶやきながら、ステージへ持ち込む道具のチェックを行っている。

 

「Kさんはコンテストが近づくと『ゾーン』に入っちゃうんですよ。

 

周りが見えていないから、地方大会の時に駅構内でモデルさんとはぐれたこともあります」

 

「Aちゃん。

ガスって持ってきたっけ?」

 

Kは先ほどからショルダーバッグをかきまわしていた。

 

ステージ上では電源が使えないため、ヘアアイロンやドライヤーはガス式のものを使用する。

 

「絶対に忘れてくると思ったから、予備をいくつも持ってきてますよ」

 

マスカラを塗る手を止めて、Aはスーツケースを指さした。

 

「サンキュ」

 

(アートセンスが長けてる人って、こういうものなのかな)

 

サロンにいる時とはうって変わって、気もそぞろな気ぜわし気なKが民には新鮮だった。

 

「Kさんはね、すごいんですよ。

靴を忘れてきたこともあるんです。

仕方なく、モデルさんは裸足でステージに上がったんです」

 

(ひとつのことに夢中になっている人って、輝いてる)

 

控え室には長机と折りたたみ椅子が並び、エントリー番号札に従ってあてがわれた場所に3人は陣取っていた。

 

衝立で囲われただけのフィッティングルームは着替えをするモデルたちで溢れ、その場で服を脱ぐモデルも多い。

 

(みんな、綺麗な人...)

 

ぽかんと口を開けていると、「民さん!」とAに注意をされる。

 

Aの手によって凛々しい民の顔が、青白い儚げな少女の顔に変身していった。

 

早朝4時から最後の仕込みが開始し、民の眉の脱色を済ませると、電車に乗って3人は会場入りした。

 

会場に近づくにつれ、大きなバッグを肩から下げた者、スーツケースを転がす者やカラフルな髪色をした者が続々と増え、否が応でも民の緊張感は高まったのだった。

 

受付を済ませるとリハーサルが開始し、バックステージからメインステージに出た直後、民はこの仕事を引き受けたことを後悔した。

 

客席の真ん中を真っ直ぐ伸びるランウェイを目の当たりにした民は、Kの腕をつついた。

 

「まさか、まさかのまさかですけど、あそこを歩くんじゃないでしょうね?」

 

「あれ?

言ってませんでしたっけ?」

 

「初耳です!」

 

「あれ?

言い忘れてたかもしれませんね」

 

「Kさん!」

 

「民さんなら大丈夫ですよ、ははは」

 

絶句する民に気付いたKはそう言って笑った。

 

「ウォーキングなんて、私は知りませんよ。

ひょこひょこ歩いて、恥かいちゃいますよ?」

 

「審査員は民さんの髪と衣裳しか見ていないから、大丈夫ですよ」

 

「それならいいんですけど...」と民はいぶかし気につぶやいたのだった。

 

 

 

 

リハーサルを終えた一行は控室に戻り、メイクや衣裳の着付けが始まった。

 

気の毒にも衣裳が完成していなかったり、破れたりほつれたりのハプニングもあって、裁縫道具や両面テープの貸し借りの声が周囲で上がっている。

 

ステージ入りを知らせる放送が鳴った。

 

「いよいよですよ」

 

目の下に隈をつくったKが民の背中を叩いた。

 

「頑張りましょう!」

 

「はい!」

 

首にケープを巻いた状態で、エントリー番号順に列を作ってバックステージに向かう。

 

ファイナル進出者50名に、50名のアシスタント、50名のモデルの総勢150名。

 

10㎝を越えるヒールを履くモデルの中でも、民の長身は男性モデルや欧米モデルに次いで目立っていた。

 

「緊張しますね」

 

「僕はこの緊張感が好きなんです」

 

「Kさん!

靴の紐がほどけてます!」

 

 


 

 

~ユン~

 

 

ビルの管理会社との打ち合わせを終えた俺は、ナビに従ってハンドルを繰る。

 

外は摂氏35℃は越えており、サングラス越しでもフロントガラスを焼く日差しの厳しさがよく分かった。

 

民がモデルとして参加するコンテストの見物に馳せそんじることになった。

 

カットコンテストなど興味はそそられなかったが、民の晴れ姿は是非目にしたかった。

 

この車の中で民の唇を奪って以来、顔を合わせていなかったこともあって、久しぶりに民の顔を見られるのが楽しみだった。

 

この高揚した気分は、悪くない。

 

夢中になる対象の存在は、俺の制作意欲をかきたててくれる。

 

恋愛は、莫大な力を生んでくれる。

 

受付で名前を述べたら、「Reserve」席へと案内された。

 

途中、知った顔に何人か会い(雑誌編集部員やサロン経営者など)、簡単な挨拶を交わした。

 

下調べはしてこなかったが、メンツを見る限り想像以上に大掛かりなイベントのようだ。

 

民は俺の為にランウェイ横の席を用意してくれていた。

 

「綺麗なモデルさんがいっぱいいますよ」と民は言っていたが、目の前を通り過ぎるモデルの誰一人、俺の心に響かない。

 

あくびをかみ殺しながら、目前に迫るステージの構造を観察していた時、青白いふくらはぎが通り過ぎた。

 

はっとして顔を上げると、全身が銀色に鈍く光る衣裳を纏った民だった。

 

ストレッチのきいた薄い生地のおかげで、歩を進めるごとに尻の筋肉が交互に盛り上がる様がよく分かる。

 

うっすら付いた脂肪を感じられる民の尻を目にして、俺の欲に火が灯る。

 

ランウェイの突き当りで全身を披露する民の後ろ姿に、熱い視線を注いだ。

 

男でもない女でもない妖しさが、無駄な筋肉をつけていないすんなり細い脚から伝わってくる。

 

上半身はコルセットだけで薄いデコルテがむき出しになって、細いチェーンを巻いているおかげで長い首が際立っていた。

 

この衣裳を思いついた人物...メインステージに立つ小柄な若者は、民の魅力を存分に引き出すことに成功していると感心した。

 

民のスタイルについてはさておき、顔がよかった。

 

先日見た時は白髪だったのが、今は漆黒になっている。

 

直線的な前髪が民の思慮深げな眼差しを引きたて、眉もまつ毛も白く美神バルドルのようだと思った。

 

メインステージへ引き返してきた民が、俺の存在に気付いたようだった。

 

軽く手を挙げると民は一瞬目を見開き、照れ隠しなのか視線を遠くの客席に向けた。

 

可愛らし過ぎて、羽を折りたくなった。

 

今すぐステージから民を引きずり下ろし、アトリエに直行したい欲求を抑えた。

 

一刻も早く、本気をみせないとな。

 

 

 

(つづく)

 

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【54】NO?

 

 

~好きが加速~

 

~民~

 

 

甥っ子たちをお風呂に入れていたら、「コケッコー」と携帯電話が着信を知らせた。

 

ユンさんからの電話だ。

 

「民くん?

ご家族の方は?」

 

ユンさんの低い声が、私の耳と胸を甘くくすぐる。

 

私を呼び捨てに呼んでいたのが、「民くん」に戻っていた。

 

そのことにがっかりしたのは分かるけど、なぜかホッとした。

 

慣れない事柄が立て続きに起こると、キャパシティの狭い私の心はすぐさまいっぱいになる。

 

感情の処理ができなくて、大渋滞を起こしてしまう。

 

「みんな元気です。

明日にはお義姉さんが退院するので、お役御免になります。

ご迷惑おかけしてしまって、申し訳ないです」

 

ユンさんがふっと笑う吐息が、電話越しに聴こえた。

 

まるで耳の中に直接息を吹きかけられたみたいに感じられて、ぞくっとした。

 

「仕事の方は心配しなくていい」

 

「ありがとうございます。

お仕事を休んでおきながら、コンテストのバイトなんてしていて非常識ですよね」

 

ふっと笑ったユンさんの吐息が再び、私の耳をくすぐった。

 

「お義姉さんのこともコンテストのことも、面接の時に前もって知らせてくれていたから、構わないんだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「そのコンテストは、どこであるの?」

 

問われた私は、場所と時間を伝えた後、

 

「あの!

お時間があったら、見学にいらっしゃいませんか?」

 

と、思わずユンさんを誘っていた。

 

「えっと...その...、

会場には沢山、綺麗なモデルさんがいますし、ユンさんのお眼鏡にかなう人がいるかもしれませんし...」

 

「へぇ。

見学させてもらおうかな。

ところで、部外者が行ってもいいのかい?」

 

「えっ!?」

 

「忙しいから」と断られると思ったのに、あっさり承諾の答えを得られて私は一瞬、放心してしまった。

 

どうしよう!と、軽いパニック状態になる。

 

「はい。

全国から沢山の美容師さんたちが見学に来ますし、一般の人たちも入場できます。

ちょっとしたLIVEみたいな雰囲気だと聞いています」

 

「そうか。

それなら、時間を作って行くよ」

 

「は、はい。

お待ちしております!」

 

どうしてユンさんを、誘ってしまったのだろう。

 

私とユンさんの関係は、雇い主と従業員だ。

 

プライベートなことに、誘ってしまってよかったのだろうか。

 

私のことを知ってもらいたかったから?

 

着飾った私を見て欲しいから?

 

女らしくもない、特技もない私だ。

 

ユンさんに振り向いてもらうためには、今回のイベントは格好のチャンスだと思ったのかな。

 

私みたいな者が、ユンさんに『振り向いてもらう』のを望むなんてお門違いだ。

 

リッチな食事を御馳走してもらい、戯れみたいなキスを1つもらっただけで、その気になってる自分が恥ずかしかった。

 

だとしても、思いがけない展開になって、鼓動が早かった。

 

「民くん。

そろそろ次の作品制作にとりかかりたいんだ」

 

「え...?」

 

「民くんがモデルになる話」

 

「モデル...」

 

先日ユンさんに、作品のモデルになってくれないかと依頼された件だ。

 

服を脱ぐ必要があると聞かされていた。

 

絶対に断る話だった。

 

落ち着いた口調なのに有無を言わせない眼で見つめられて、私は身がすくんで、気付けば「YES」と頷いていた。

 

「NO」と答えたらユンさんをがっかりさせてしまう恐れを感じていた。

 

「不安になるのは分かるよ。

服を全部脱げとは言っていないから、安心しなさい」

 

「そうでしたね。

私なんかに、務まるんですかね...ははは」

 

「民くんだから、お願いしているんだ。

...それから、もっと自信を持ちなさい」

 

 

 

 

ユンさんの声を聞いて、私の胸はきゅっとときめいた。

 

やっぱり自分はユンさんに憧れているし、好きなんだと確認できた。

 

どうして確認する必要があったの?

 

だって、想いを寄せているユンさんという存在がいるにもかかわらず、今の私はチャンミンさんのことでも胸がざわつくから。

 

今夜、チャンミンさんの誘いをどうして断ったの?

 

もし、チャンミンさんに触れられることがあったら、今の私は自分の感情を処理できない。

 

私は単純だから、全ての行為を意味ありげに捉えてしまうから。

 

ユンさんもチャンミンさんもカッコよくて、その二人からのキスを受け取って、私の頭は沸騰寸前なのだ。

 

先日のチャンミンさんの突然のハグには、思考が止まった。

 

男子トレイの鏡に映った自分が、チャンミンさんにそっくりで男そのもので、悲しくなった。

 

私の視線の高さが、チャンミンさんのそれと同じで悲しくなった。

 

チャンミンさんのハグは、こんな私のことを可哀想だと思ったからなのかな。

 

そんなのヤダな。

 

チャンミンさんからのハグで一番驚いたのは、抱き寄せられてドキッとしたことや、肩の力が抜けてなぜだかとても安心したことじゃない。

 

鏡に映る私が、とろんとした女の目になっていたことなのだ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「1時間半後に迎えに来てくれ!」

 

「はあ、いいっすけど」

 

僕は後輩Sの運転する社用車から下りると、早く行けと手を振った。

 

冷房をきかせた車内から蒸し風呂状態の外気に包まれ、僕の全身から汗が噴き出す。

 

ルート途中にこの近辺を通りかかれるように、アポイントの予定日を繰り上げたり遅らせたりと、数日前からスケジュール調整をしていたのだ。

 

後輩Sを昼食に行かせている間、僕には行きたいところがあった。

 

突き刺さるような日光をまぶしく照り返す石畳を、早歩きする僕の黒い革靴。

 

そこは広大な敷地で歩けども建物に近づけず、急いでいる僕は焦れる。

 

国際的なスポーツ競技会やアーティストのLIVEが行われることもある体育館目指していた。

 

壁面には巨大な垂れ幕が下げられ、僕でも知っているビューティーブランド名に続いて『Trendvision 20××』とある。

 

民ちゃんがカットモデルとして出場しているのはここだ。

 

広場やエントランス周辺にたむろす大勢の中に混じった小洒落た若者たちは美容師か。

 

ネットで調べてみたら世界的に有名な大会で、今回の優勝者は世界大会出場へ駒を進めることができるとか。

 

審査員も司会者も、BGMを担当するDJも有名どころを集めている。

 

線の細いK君や今どき風のAちゃんは、実は才能あふれる子たちだったんだと、文化祭のノリなものだと馬鹿にしていた僕は心の中で彼らに謝った。

 

受付カウンターで入場チケットを買い、案内スタッフに従って薄暗いホールへ足を踏み入れた。

 

座席はほぼ満席だったが、僕は出来るだけステージに近い席を求めて空席を探す。

 

ファッションショーさながらアリーナの真ん中にランウェイが貫いている。

 

巨大なスクリーンがステージ上に設置され、大音量で流れるEDMにのってランウェイをモデルが歩いていた。

 

エントリー番号のあと、選択したテーマ名、選手名、サロン名の順にアナウンスされる。

 

モデルと選手がメインステージに登場すると、会場から歓声が上がった。

 

(民ちゃんの番は終わっていないだろうな)

 

プログラムによると、カットとスタイリングの競技は午前中に終了していたが、その後のショータイムは今、真っ最中だ。

 

パンフレットを指でたどってK君の名前を探す。

 

(よかった、間に合った)

 

タイミングよく、僕が席についてから5組目が彼らの番だった。

 

スタイリングや衣裳のレベルを競うものかもしれないが、それを纏うモデルの素質も大きなウェイトを占めると思う。

 

ランウェイを歩くモデルの中には、いわゆる『普通の子』も混じっていて、どうしても見劣りしてしまうのだ。

 

だから、民ちゃんがステージに現れた時、僕は鳥肌がたった。

 

やばい、と思った。

 

 

(つづく)

 

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【53】NO?

 

 

~民~

 

 

小さな甥っ子3人のお世話は想像以上に大変だった。

 

お義姉さんを見舞った後、帰宅したお兄ちゃんとバトンタッチした私は、へとへとの身体でKさんたちの待つサロンに通った。

 

コンテスト前々日に、ブリーチして真っ白になった髪を、今度は真っ黒に染めたから驚いた。

 

「一度色を抜いてから色を入れると、綺麗な黒髪になるんですよ」

 

私の髪にパーマ液を染み込ませながら、Kさんは教えてくれた。

 

「へぇ...、そういうものなんですか」

 

パーマ液が冷たくて、頭皮がひりひりした。

 

「沁みますよね。

申し訳ありません。

何度もブリーチを繰り返しているから、頭皮が傷むのです」

 

うねりのあるくせっ毛の私の髪に、ストレートパーマをかけているのだ。

 

コンテスト前日に、黒く染めなかったひと房の髪をヘアマニキュアでブルーからワインレッドへとグラデーションに色に染めた。

 

Aちゃんは、Kさんを阿吽の呼吸でアシストしている。

 

衣裳合わせに行くことのできない私の代役に、チャンミンさんにお願いした。

 

チャンミンさんが電話で「大変だった」とぼやいていた理由がわかった。

 

初日の衣裳合わせの時はミニスカートだったのが、身体の線が出るショートパンツに変更になってしまった。

 

チャンミンさんはさぞ慌てただろうなぁ。

 

その光景を想像すると、可笑しくてぷっと吹き出してしまう。

 

「少しだけハサミを入れさせてください」

 

お洒落に気を配る余裕がないのだろう、黒のTシャツと黒のパンツ姿のKさんのふわふわヘアがくしゃくしゃになっている。

 

私の前髪はパツンと斜めにカットされ、うなじ部分はトリマーを使って刈り上げられた。

 

「今夜は僕らは、徹夜です」

 

サロンの端ではAちゃんが床に座り込んで、衣装に合わせるサンダルにせっせと銀糸を巻き付けている。

 

「民さんは一度帰宅して、お風呂に入ってきていいですよ。

ただし、髪は濡らさないでくださいね」

 

「私だけ...いいんですか?」

 

「僕らがどれだけ汚い恰好していたって、採点に響きませんからね」

 

Kさんにヘアキャップとタクシー代を手渡された私は、サロンを出た。

 

もう真夜中過ぎなのに、外気はむっと蒸し暑く、首の後ろにじっとりと汗がにじんだ。

 

お兄ちゃんの家に戻ろうか、それともチャンミンさんのところでシャワーを借りて仮眠をとろうか迷った。

 

距離を考慮すると、チャンミンさんのマンションは歩いて行けるほど近い。

 

「うーん...」

 

決められなくて歩きながら空腹なことに気付いた私は、目についたコンビニエンスストアに寄った。

 

店内の冷たい空気で、汗がすぐにひいていく。

 

かごの中に、サンドイッチやカレーパン、牛乳、栄養ドリンクなどを次々と入れていった。

 

「ひゃっ!」

 

ぽんと肩を叩かれて振り向いたら、チャンミンさんだった。

 

「民ちゃん...?」

 

見慣れた変な柄のTシャツと黒いハーフパンツ、ビーチサンダル姿。

 

お風呂上がりの匂いをさせて、くろいだ雰囲気を漂わせているチャンミンさん。

 

うっすらヒゲが伸びていたけれど、チャンミンさんってカッコいい人だなぁ、ってあらためて思った。

 

私と同じ顔、背格好をしているのにも関わらず、チャンミンさんは私とは別物だと、初めて会った時から思っていた。

 

双子みたいとか、他人なのに似すぎて気味が悪いとか、全然思わなかった。

 

その理由は多分、私自身、鏡に自分の姿を映すことが嫌いだからなんだと思う。

 

男みたいな自分の顔が嫌いで、まじまじと鏡の中の自分の顔を見ないようにしている。

 

自分から切り離した心でチャンミンさんの姿を見ることができるから、チャンミンさんのスタイル抜群なところや整った顔を見て、素直にカッコいいなぁって思える。

 

考え事をしていて気づかなかったけど、知らないうちにチャンミンさんのおうちから最寄りのコンビニエンスストアに来ていたみたいだ。

 

私の足は自然と、チャンミンさんのところに向いていたっていうこと。

 

「どうも」

 

3日ぶりのチャンミンさんにどぎまぎしてしまって、ぶっきらぼうな挨拶になってしまった。

 

なぜだかチャンミンさんの顔を恥ずかしくて見られず、うつむいてしまう。

 

電話越しなら平気なのに、変なの。

 

スニーカーの足先で意味もなく床を蹴った。

 

「そっか、サロンはこの近くだったね。

夜遅くまで大変だね」

 

「そうなんです。

本番は明日ですから。

朝4時から最後の仕込みをするんですよ」

 

「疲れてるでしょ?」

 

「それが疲れないんです。

文化祭の前日みたいに興奮しています。

私は座っているだけなんですけどね。

Kさんたちは、てんてこまいですよ」

 

「髪の色が黒くて、すぐには分からなかったよ」

 

いつまでも俯いていられなくなって顔を上げると、まぶしそうに眼を細めて私を見るチャンミンさんがいた。

 

「どうですか?

似合いますか?」

 

チャンミンさんの前で、くるりと回って見せた。

 

「うん、いい感じだよ」

 

ほほ笑んだチャンミンさんは、私の買い物かごを取り上げた。

 

「え、えっと...?」

 

「一緒に会計するよ。

もう欲しいものはない?」

 

そう言って、手にしていた缶ビールと一緒にレジに行ってしまう。

 

「これも、お願いします」

 

おにぎりを追加したら、チャンミンさんはハハハって笑った。

 

「食いしん坊でごめんなさい。

コンテストのアルバイト代が入ったら、チャンミンさんにご馳走しますから」

 

「気を遣わなくていいって。

引っ越しでお金がかかるんだから、ね?」

 

「そう言えば、そうでした」

 

「これからどうするの?」

 

「お風呂に入って、少しだけ寝ます」

 

「僕んちにおいでよ、近いんだし」

 

「でも...」

 

どうして迷うんだろう。

 

たった3日留守にしただけで、チャンミンさんのおうちが遠く感じていた。

 

タクシーの中でのキスや、男子トイレでのハグに惑わされていた。

 

チャンミンさんとリアさんが絡んでいる光景を目にして、自分がのけ者になってしまった気がしていたんだった。

 

もやもやと重苦しい嫌な思いを抱えて、チャンミンさんのお家に居心地の悪さを感じたんだった。

 

「民ちゃんの部屋でもあるんだから、おいで」

 

「でも...」

 

迷う理由は、それだけじゃない。

 

「あの...やっぱり」

 

私を覗き込むチャンミンさんから、思い切り顔を背けた。

 

「お兄ちゃんのとこに戻ります。

お弁当を作ったり洗濯したり、やることがあるので」

 

明日はお兄ちゃんはお休みだから、やることなんて何もないのに。

 

チャンミンさんのおうちに寄った方が近くて便利なのに。

 

どうして断ったんだろう。

 

チャンミンさんとリアさんのやりとりを目にしたくないからなのかな。

 

それからもうひとつ、夕方のことがあったからだ。

 

 

(つづく)

 

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