(41)麗しの下宿人

 

「暑い~暑い~、なんて暑さだ~♪

かき氷、食べたいなぁ~♪」

 

僕はでたらめな即興唄を小声で口ずさんでいた。

 

「今日も暇~、明日も暇~、なんにもすることな~い♪

友達いな~い♪」

 

下宿屋2階の欄干に腰掛けていた。

部屋の鍵は常に開けっ放しで、ユノとは気安い関係で、あっても、ユノの部屋に無断で入るわけにはいかない。

ここはユノの隣の部屋で、角度的に庭木が邪魔をして通りすべてを見渡すことはできなかった。

枝と枝の隙間を塗って、桜のあるT字路の辺りから目を反らさない。

ユノがいつ帰ってくるか分からないからだ。

 

「僕は早起き~♪

ららら~♪」

 

人通りのない辺りは小鳥の鳴き声がするくらいで、早朝の空気は過ごしやすい適温といえた。

昨夜、生まれて初めての『オメガ』の薬を1錠飲んだ。

体調の変化に注意を払っていたけれど、だるさや気持ち悪さもなんともなかった。

今朝の分は台所のテーブル上にある。

飲み忘れ防止のため、箸入れ脇に置きっぱなしにしておくことにしたのだ。

 

「はやく~、ユノちゃん~、帰ってこないかなぁ~♪」

 

ユノとは昨日、病院で別れた以来だった。

かれこれ30分、バイト先から朝帰りするユノを待ち構えていた。

 

「今日は~何しようかなぁ~♪

あっ!」

 

近所迷惑になるから、押し殺した声量でユノの名を呼んだ。

 

「ユノちゃん!」

 

ユノの視線の矢が、パッとこちらへ放たれた。

僕のところからはユノの表情までは見分けれないけれど、ほころんだように見えた。

ぶんぶんと手を振る僕に応えて、ユノも片手を上げた。

「おかえり」と、口だけをパクパクさせた。

 

「あっ!」

 

この時、僕は身を乗り出し過ぎてしまったようだ。

ぐらりとバランスを崩し、欄干から転落しそうになった。

 

(落ちる!)

 

僕の鈍い運動神経も、命の危険を目の当たりにするとそれなりに機能するようだった。

とっさに両手で欄干にしがみつき、額をしたたかに打ち付けた程度で難を逃れることができた。

 

(び、びっくりした)

 

心臓がバクバク打つ胸をなでおろした。

 

「チャミ!」

 

名前を呼ばれて見下ろした僕は、心底驚いた。

欄干の真下にユノがいたのだ。

僕が欄干から落下しそうになった時、ユノは未だ桜の家の門の辺りにいた。

ところが今この時、ユノは下宿屋の敷地内にいる。

僕の危機を察したユノは通りをダッシュし、高さ1.5メートルの塀をジャンプして乗り越えたということになる。

この間、1秒もなかった。

ユノは僕を助けるために『アルファ』の力を発揮したのだ。

 

「ユノちゃん...凄いね」

 

僕の考えを読み取ったユノは、「もう隠す必要がなくなったから」と照れくさそうに笑った。

 

「朝ご飯は?

用意してあるよ」

「サンキュ。

そっちに行くよ」

 

ユノの姿は玄関のひさしの中へ消え、僕も室内へと頭を引っ込めた。

僕は階段を駆け下り、洗面所で顔を洗うユノの元へと急いだ。

部屋で待っていられなかったのだ。

ざぶざぶ豪快に洗顔するユノの腰に腕を巻き付た...餌をねだって足元にまとわりつく子犬のように...。

 

「......」

 

ユノの腰はがっちりと固く、広い背中は激しく身体を動かしたせいで熱かった。

 

「どうした、チャンミン?

変だぞ?」

「...ユノちゃん、いい匂いがする」

 

バイトのユノは、外出前にコロンか何かを付けて行っているようなのだ。

 

「そう?」

 

ユノはシャツの襟口をくんくんと嗅いだ。

 

「うん、いい匂い。

香水付けてるの?」

「少しだけね」

「ユノちゃんはバイトに行くときお洒落をしていくんだ?」

「夏は汗臭いかもしれないだろ?」

「そんなことないと思うよ」

 

常々、仕事内容が何なのか気になっていたのだ。

夕暮れ時に出かけ、夜明け過ぎに帰宅しているから、夜の仕事だということは分かっている。

夜の仕事といえば、終夜営業のレストランや道路工事の仕事しか思いつけない。

「ユノちゃんのバイトって何?」

「俺のバイト?」

「ユノちゃんってどんな仕事してるの?」

僕は脱衣所まで、金魚のフンのようにユノの後を追いかけて行った。

ユノは「店だよ、酒を出す店」と答えると、両腕をクロスさせ、着ていたシャツを一気に脱ぎ捨てた。

「!」

ユノの裸の背中を目の当たりにして、瞬時に全身の血の巡りがよくなった。

これ以上見ていられなくなった僕は、くるっと180度身体を回転させた。

 

「チャンミン?」

「何でもない!」

熱くなった頬をユノに見られなくて、両手で包み込んで隠した。

「何だよ?」としつこいユノから頑固なまでに背中でガードしているうちに、彼はやっとであきらめてくれた。

「変な奴」

 

『アルファ』と『オメガ』の関係性を聞かされてしまったことで、見慣れていたものに強く意識してしまう。

 

それは決して嫌悪感ではない。

「チャミ、行かないのか?」

着替えがないユノは半裸のまま、自室のある2階へと階段を上っていた。

 

(もう...目のやり場に困るんだよねぇ...)

僕の動揺に気づいていない風のユノが憎たらしい。

逆三角形の背中を追いながら、僕は「ああ、しんどい」とため息をついた。

 

「チャミの分もあるんだ?」

「うん。

一緒に食べようと思って...待ってたんだ」

 

当下宿屋の朝食サービス。

ユノは湯気で曇ったラップを外し、ほのかにまだ温かいおにぎりにかぶりついた。

僕もユノの真向かいに座り、彼の真似をして大口でかぶりついた。

「うまい」

「あははは。

ほら、付いてるよ」

ユノの唇の端に見つけた1粒の米粒をつまみ、極めて自然な流れでパクっと自分の口へ運んだ。

とっさに出てしまった極めて自然な行動だったため、ユノの驚いた表情を見るまで、自分の大胆さに気づいていなかった。

「チャミ...。

俺より年上みたいだな」

慌てて手を引っ込めた僕に、ユノはとっても優しい微笑みを唇の端に浮かべた。

「薬飲んだだろ?」

「うん。

分かる?」

ユノはにじり寄ってくると、僕の首筋に顔を寄せた。

すん、と耳たぶの下で空気が動き、鳥肌がたった。

 

「ああ。

匂わない」

「これでユノちゃんの側にいられるね 」

「ああ。

これまで通りだ」

と、ここでユノは大きなあくびをした。

 

昨日は1日中病院行きに付き添ってくれた上に、日をまたいで働いてきたのだ。

 

「悪い、チャミ。

寝かせてくれ」

「あ...ごめんね」

眠くて仕方がないのに、部屋まで押しかけてきた僕を追い払わずにいてくれた。

ユノはどさっと、敷きっぱなしの布団に仰向けに横たわった。

 

「ここにいてもいい?」

「ここにいても暇だぞ?...」

 

ユノのまぶたはすでに半分閉じられていた。

眠りにつこうとするユノを眺めていたくて、真向かいの壁にもたれた。

「昨日...ユノちゃんはお医者さんと何を話したの?」

「ん~と。

チャミが安心して暮らせるためのノウハウ。

チャミの為に何をしてあげられるか、っていう話し合い。

俺って『アルファ』だろ?

チャミにとって、俺は危険な存在なんだ」

ユノは目をつむったまま言った。

「やっぱ、今まで通りにはいかない」

「お母さんもおんなじこと言ってた」

「だからって、俺はここを出るつもりはないよ」

「うん。

僕んちにずっと住んでて」

「いるよ...」

「風邪ひくよ」

タオルケットをかけてあげようと膝立ちになったとき、目をつむっていたはずのユノの目がぱっちりと開いていた。

「寝てるかと思った」

「俺が見つけたんだ。

チャミが『オメガ』だって...俺が見つけたんだ」

「ふふ、そうだね」

「こっちおいで」

「うん」

ひらひらと僕を誘うユノの手に従った。

こてん、とユノの腕の中に転がり込んだ。

「言っとくけど、俺はロリコンじゃねぇし、そういうんじゃないからな」

ユノは犬のようにワシワシと、僕の頭を撫ぜまわした。

「分かってるよ」

「チャミと話したいことがたくさんある。

ごめん、今は寝かせて。

マジで疲れてるんだ...」

ユノは僕の頭から手をほどくと、そのままぱたりと布団の上にその手を落とした。

すぐにすーすーとユノの寝息。

僕は指の背で、ユノの真っ黒な前髪を梳いた。

カーテンを閉めなくては。

全開にした窓からさんさんと朝日が差し込んでいて、ユノの額が汗で光り始めていた。

今日も暑くなりそうだ。

僕はユノの側からそろりと抜け出て、扇風機のスイッチを入れた。

(つづく)

(40)麗しの下宿人

 

「チャンミン君もユノさんも、『ベータ』たちと比較すると何かと苦労が多いでしょう。

ユノさん、そうでしょう?」

 

そう訊ねた医師に、ユノは「まあ...それなりに...」と語尾を濁した。

「そうなの?」と問いかけの視線を送ると、ユノは一度だけ頷いて苦笑しただけだった。

僕は「大丈夫だ平気だよ」の頷きなんだろうと受け取ることにした。

ユノが普通の人とは違うだなんて、今まで全く気付かなかった。

これまでの僕は無知だったから、『アルファ』だったことを隠し通すのは容易だったろうけれど、僕が『オメガ』になったせいで、これからのユノは苦労することになる。

それは嫌だなぁ、と思った。

 

「今日は沢山、脅かしてしまったわね」

 

並んで立つと医師の身長は母よりも高かったが、母がとても小柄なため、比較対象にしにくい。

 

「チャンミン君」

 

医師は僕の視線に合わせて、身をかがめた。

 

「ざっくりと今日の話をまとめるわね。

『ベータ』たちは、『オメガ』や『アルファ』の影響を受けません。

『アルファ』と『オメガ』が、強力な磁力で引き寄せ合っていると言ってもいいの」

 

医師は声量を落とした。

 

「つまり、ユノさんとあなたは強く引き寄せ合う、ということです。

『アルファ』と『オメガ』の引き寄せ合いは、性別を問いません」

 

診察室で見せられた『アルファ』と『オメガ』夫夫の写真を思い出した。

 

「それって、何を意味すると思う?」

 

ここでエレベータが到着し、扉が開いた。

 

「何って何を?」

 

首を傾げる僕に、医師はもっと声量を落とした。

 

「ユノさん“以外”の『アルファ』も、チャンミン君に引き寄せられる...という意味です」

「ユノちゃん以外...?」

「そう。

『オメガ』にとって『アルファ』は危険な存在です。

チャンミン君を護ってくれる『アルファ』はユノさんだけ...それくらいの危機意識でいてくださいね」

「はい。

薬、ちゃんと飲みます」

 

ユノと母は先にエレベータに乗り込み、僕と医師の会話が終わるのを待っていた。

医師の声は囁き声と言ってもいいほどの声量だったから、母の耳には届かなかっただろうけど、ユノならば聞き取れていたと思う。

 

「モヤモヤすることがあったら、いつでも気軽にここにいらっしゃい」

 

僕は頷いた。

 

医師はエレベータの扉が閉まりきるまで、手を振ってくれた。

 

 

ここへ受診に訪れる『オメガ』は、1日平均3名ほどだという。

「それっぽっち!?」とは思えなかった。

3人もいるのだ。

彼ら一般社会に紛れて暮らす『オメガ』たちは、薬や相談相手を求めて地下行きのこのエレベータに乗る。

 

 

全ての用事を終え、病院を後にすることとなった。

医師の説明にあったように、会計は不要だった。

玄関ドアまでいったところでユノは立ち止まり、「僕らとは一緒に帰れない」と言った。

 

「どうして?」

「診察室に戻らないといけないんだ。

先生との話が途中だったんだよ」

「何の話をするの?」

 

僕は行かないでとばかりに、ユノの手首をつかんだ。

熱い肌と固い骨、浮き出た血管。

今日の僕は、何度も何度もユノの手に触れていた。

触れていないと心細いというのもあるし、触れることで胸が高鳴る感じが気に入った。

 

「それはな」

 

ユノは手首をつかんだ僕の手を取り、握りしめた。

厚みのある手の平に反して、細く長い指。

 

「『どうやってチャミを守れるか?』という話を、先生と相談するんだよ」

そう言って、ユノはわしわしと僕の頭を撫ぜた。

 

「先生もさっき言っていただろ?

チャミを狙う『アルファ』から、チャミを守るのが俺の役目」

「あなたを巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません」

 

深々と頭を頭を下げた母の行動に、ユノは「頭を上げてください」と慌てていた。

「チャンミン君の通院にもできる限り付き添います」

「いえ、私が付き添いますから、ユノさんはお気になさらないでください。

今日、一緒に来てくださったことだけで十分です」

 

僕の心の中に、嬉しいとごめんなさいの2つの感情が同時にあり複雑な心境だった。

僕が『オメガ』だと見抜いたからと言って、ユノの時間を削ってしまっていいのだろうか、親子そろって、下宿人の一人に過ぎないユノの好意に乗っかってしまっていいのだろうかと、遠慮の気持ちがあった。

 

「いいえ。

僕が付き添うべきなんです

こうなることは、決まっていたのです。

どういうことか...お母さんはご存知でしょう?」

 

 

ユノの言葉を受けて母がハッとしたのが、はた目にも分かった。

 

「......」

 

母は何も言い返さすことなく、見透かされてしまったことを恥じるようにユノから顔を背けてしまった。

ブラウスの衿を直し、後れ毛を直すかのようにうなじを撫ぜる、一連の母の手の動きを見守っていた。

 

(ご存知...?

母が知っていることって、何だろう?

そのことをユノが指摘できるのはなぜだろう?)

 

はっきりわかるのは、僕には未だまだ知らないことが沢山ある、ということだ。

『オメガ』の母と『アルファ』のユノが何ごともなく、並んで立っていられるのは、やっぱり薬のおかげなのだろう。

夕飯を一緒にどうかと母は申し出たが、今夜はバイトがあるからとユノは申し訳なさそうに誘いを断った。

 

「じゃあ、また後で」

 

僕らは手を振り合い、カウンター前で別れた。

 

「チャミ」

 

正面玄関の自動ドアが開いた時、僕を呼び止めるユノの声に振り向いた。

 

「チャミ」

 

ちょいちょいと手招きされて、ユノの元へ引き返した。

 

「チャミ」

「何?」

 

ユノは身をかがめ、僕の耳元で囁いた。

 

「俺...チャミが大事だから」

「え?」

「小学生のガキと仲良くなるなんてな。

不思議なことに、年の差が全然気にならないんだ。

チャミはガキで俺はオッサンだけど...気にすんな」

「ぷっ。

ユノちゃんはオッサン、ホントだね」

 

「お前こそガキんちょのくせに」と細められたユノの目を見て、僕は今日一番、心からホッとできた。

いつものユノの笑顔が見られてよかった、って。

 

「とにかく何でも、俺に任せろ。

な?」

ユノは僕のタオルを巻き直しながら、そう言った。

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(39)麗しの下宿人

 

あなたは『オメガ』です、はい分かりました、お大事に、さようなら...で帰れるわけにはいかなかった。

 

医師はプラスティック製のカードを僕に手渡すと「この部屋までのパスポートだと思ってください」と言った。

 

「パス...ポート?」

 

緑色の縁取り模様のある白いカードで、病院名と僕の名前が刻印されていた。

 

「ここは一般の人は入ることはできません。

ごく一部の...役職のついたスタッフしか存在を知りません。

その他のスタッフたちには、自由診療のカウンセラールームだと思わせてあります」

 

『オメガ』だと分かったからには、これからずっと専門家の指示に従わなければならない。

 

僕の小さな頭が理解し、心が身体を受け入れられるまで、相当な時間がかかるだろう。

 

「あの...先生。

『アルファ』は男の人だけなんですか?」

 

そして僕は、なぜなぜの海から水面に浮かんでくる疑問をひとつひとつをすくいあげ、医師やユノ、母に投げかけてゆくのだろう。

 

話の流れを無視した、唐突な僕の質問に対して、彼らはきっと丁寧に回答してくれると思う。

 

「女性の『アルファ』もいます」

 

「え...!?

女の人の『アルファ』は『オメガ』を襲わないんですか?

だって...だって、『アルファ』は妊娠させたいんでしょ?」

 

「それについての話は、おいおい説明してゆくわね。

今日はこの辺にしておきましょう。

疲れたでしょう」

 

さっきまでぐったり死んだ魚の目をしていたくせに、突如身を乗り出して質問を繰り出す僕に、医師は「落ち着いて」と繰り返した。

 

僕はとても不安定になっているみたいだ。

 

 

母が必要書類に記載をしている間、僕はユノと一緒に待合室でぼうっとしていた。

 

僕が抱えたA4サイズ封筒の中には、国と専門機関の支援内容説明書や『オメガ』の心得などをイラスト付でまとめたパンフレットが入っている。

 

「途中で落としたりなんかするなよ?」

 

ユノは僕の隣で、パンフレットの1冊(タイトルは『アルファとは?』)をぱらぱらめくっていた。

 

「するもんか!」

 

ユノが心配する通り、帰りの電車の中でこれらの1枚でも落としたら大変だ。

 

「薬はちゃんと鞄に入れたか?」

 

「うん」

 

『オメガ』の薬は処方箋を貰うのではなく、院内処方されたものをついさっき受け取ったばかりだった。

 

僕はユノの肩にもたれかかり、1枚のプリント用紙を広げた。

 

新たに『オメガ』になった者たちが、ひと月平均1〜3名ほどここを訪れるという。

 

『オメガ』だと認定された者と家族は、『オメガ』と『アルファ』の知識や生活を送る上での注意事項などを学ぶ機会が設けられる。

 

病院地下に設けられたこの場所自体が、『オメガ』を支援するためのサポートセンターだった。

 

ひとりひとりに生活指導を行う担当者がつき、メンタル面をケアするカウンセラーも常駐している。

 

ユノは僕の手元を覗き込むと、「早速来週にあるんだな」と言った。

 

「うん、3時スタートばかりだね」

 

僕が手にしたプリント用紙に、向こう2カ月間のスケジュールが記載されているのだ。

 

「終わるのが5時...。

ねぇ、ユノちゃん、アルバイトは大丈夫?」

 

「そうだなぁ...」

 

と言葉を切り、あごをさするユノは考えているようだった。

 

ユノのアルバイトは夕方から早朝にかけての勤務だ。

 

生活費をアルバイト代で賄っているユノにとって、僕の通院に付き合っていたら死活問題になってしまう。

 

「僕、ひとりでも行けるよ。

薬飲んでれば大丈夫なんでしょ?」

 

「それはそうなんだけどさ」と、ユノは僕の顔をじっと見た。

 

あまりにも長い時間見つめるものだから、僕も目を反らせずにいた。

 

睨めっこはいつもの定番の遊びだけど、ユノの正体を知った今は...遊びなんかじゃなくてもっと真剣なもの...まるで彼に捕らえられたような感覚を覚えてしまった。

 

「できる限り付き添うよ」

 

「いいの?」

 

「なんとかするから、チャミは心配すんな」

 

ユノは僕の頭をポンポンと、軽く叩いた。

 

「無理しないでね」

 

「ああ」

 

手続きを終えた母が待合室に戻ってきた時、僕はある心配事に気付いた。

 

(病院のお金はどうしよう!!)

 

僕んちは母子家庭だ。

 

週に1度の通院に、検査や薬の処方もある。

 

『オメガ』になってしまった息子を抱えて、母はもっと頑張らないといけない。

 

ところが、この心配は杞憂に終わった。

 

『オメガ』は国の支援サポートを受けられるため、通院費や薬代は無料と至れり尽くせりなんだとか。

 

「今日はお疲れ様」

 

医師はエレベータの前まで僕ら3人の見送ってくれるという。

 

「制限のある生活を送らなければならない『オメガ』は 平均的に収入が低い傾向にあります。

だから、国をあげて支援をするのです。

...最初に話したように、『オメガ』は貴重な存在なので絶やすことができないのです」

 

「どうして?」

 

僕の問いかけに、医師はこう言った。

 

「全部説明したら、明日の朝までかかってしまいそうね。

それについても、これから知ってゆきましょう。

チャンミン君が知らないといけないことは、まだまだ山ほどありますからね」

 

そうなのかぁ。

 

これからの僕には、今日のように新しい情報を得てはその都度ショックを受ける...その繰り返し...そんな生活が待っているのか。

 

僕は無意識に、ユノのシャツの裾を握っていた。

 

僕はこの時、ふと湧き上がった質問を医師に投げかけてしまった。

 

なぜこの疑問が浮かんだのか、なぜ今なのか?

 

きっと、気持ちが不安定になっているのと、なぜなにの感情に支配されていたせいだと思う。

 

「先生は『ベータ』ですか?」

 

母とユノは僕の質問にギョッとしたようだった。

 

それはそうだろう、あまりで唐突で無神経な内容に、「チャンミン!」と母は小声でたしなめた。

 

ユノもとっさに、僕の肘をつかんだ。

 

ところが医師は、

 

「私は『ベータ』」ではありません」

と、1秒のためらいもなくそう答えたのだ。

 

「!」

 

母は口を覆い、絶句していた。

 

ユノへ驚きの視線を投げかけたら、彼も見開いた目で僕を見返した。

 

僕は息を吸い込んだまま、呼吸を止めたままだった。

 

僕ら3人とも、予想外の答えに驚嘆するがあまり、しばらく一時停止していた。

 

3人を代表して僕は訊ねた。

 

「先生は、『オメガ』ですか?

『アルファ』ですか?」

 

「さあ...どちらでしょう?」

 

医師は僕らを試すような、イタズラを仕掛ける子のような笑みを浮かべるだけだった。

 

「えっと...分からない」

 

「お母さんは、どう思われます」

 

「...どうでしょう。

ごめんなさい、分からないわ」

 

「じゃあ、ユノさんは?」

 

医師の問いかけにユノは首を振った。

 

「ね?

教えられないと分からないものでしょう?

『オメガ』や『アルファ』であるあなたたちでさえ、私の属性を見破ることができない。

すべて薬のおかげです」

 

「...」

 

「ユノさん。

最近は『アルファ』対応の薬が開発されたことをご存知ですか?」

 

「いいえ...ずっと診てもらっていないんで、情報には疎くなっています。

『アルファ』用の薬があるという噂は聞いたことはありましたが、まだ実験段階にあるとかいないとか」

 

「いよいよ認可されたようです。

紹介文を書くから、その時は言ってね」

 

「『アルファ』用の薬があるの!?」

 

驚きの声を上げる僕に、医師はユノから僕の方を視線を移した。

 

「性的衝動を抑えるものです」

 

「......」

 

「そのことよりも、チャンミン君。

まずはあなたよ。

絶対に薬を飲み忘れたらだめよ」

 

結局、医師が『オメガ』なのか『アルファ』なのか分からずじまいで済んでしまった。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(38)麗しの下宿人

 

 

僕はしばらくの間、意識を失っていたようだ。

 

僕の心身は疲労のあまり、白い煙を吐いてオーバーヒートを起こしたんじゃないかなあ。

 

腕を持ち上げると、パリッと糊のききすぎたシーツはかさかさと衣擦れの音をたて、枕は四角く固かった。

 

僕はキョロキョロと目だけで見まわし、ベッドは薄黄緑色のカーテンで四方を囲まれていることを確認した。

 

最初この場にいる理由が分からず、どっちが夢でどっちが現実の話か区別がつかなかったことにパニックをおこしかけたが、頭をふり絞り、朝起きてからの出来事を順に思い出していった。

 

(ここは病院。

...これが現実か)

 

「アルファ...ベータ...オメガ」

 

声に出してみたところ、びっくりするほど耳に響いてくるものだから、鼻の上まで布団を引き上げて、「アルファ。ベータ、オメガ」と繰り返した。

 

布団の中で僕の声はくぐもって聞こえる。

 

ちょっとだけ声変わりが始まっていて、思えば音楽の合唱の時、高音が出しづらくなってきたかもしれない。

 

夢精で下着を汚したり、おちんちんが大きくなったり、ユノから「チャミは早熟だなぁ」とからかわれたり、身体は大人の男に近づいているのに、実は男じゃないってどういうことなんだよ。

 

冷房がよく効いた部屋に、乾いた清潔なシーツがさらさらと気持ちがよくて、僕は再びうとうとしかけた。

 

「?」

 

間仕切りカーテンの向こうから話声がするのだけれど、ぼそぼそとした小声で聞き取れない。

 

(ふん。

どうせ僕のことを話しているのだろう)

 

この場での主役は僕で、注目を浴びることが大嫌いな僕にとってストレスの連続だった。

 

「...1時間になりますね。

すみません、起こしてきましょうか?」

「...こちらは構いませんよ。

しばらく休ませてあげましょう。

今日は他に通院の方はいらっしゃいませんから」

「...じゃあ、俺が側についていていいですか?」

「...お願いします。

目覚めたら教えてください」

 

会話の中にユノの声を見つけた途端、僕の目はぱっちり開いた。

 

「!」

 

直後、カーテンをめくろうとするユノの気配を察し、あわてて僕は目をつむった。

 

ユノは足音を忍ばせてベッドに近づき、椅子がきしむ音も控え目だった。

 

身をかがめた時に空気が動いた。

 

その空気をすんすんさせてみたら、無臭だった。

 

アルファ特有の匂いがあるのかな?ってな具合に、僕もユノの匂いが気になるようになってきたのだ。

 

ユノは僕の寝顔をじぃっと見下ろしているんだろうな。

 

「......」

 

口元がぴくぴく動いてしまうのを、じっと堪えた。

 

すると、僕の手が布団の中から引っ張り出された。

 

(わ~お!)

 

心の中で黄色い悲鳴をあげた。

 

規則正しい呼吸を保つのに必死だった。

 

ユノの手の中で、僕の手はだらりと力を抜いていた。

 

「う、う~ん...」

 

仰向け寝から寝返りをうつついでに、たまたま手の中にあったものを無意識に掴んじゃった、みたいな感じにユノの手を握りしめた。

 

そうしたら、ぎゅっと握り返されて、僕は心の中で歓喜の大声をあげていた。

 

(やっぱり僕は、ユノとスキンシップするのが好きになってしまったみたいだ)

 

横向きになったのを幸いに、うっすらと薄目を開けてみたら、僕の目の高さからだとユノのシャツが見えた。

 

もうちょっと視線を上げたら目が合ってしまう。

 

「......」

 

息を詰めているのも苦しくなってきて、深呼吸をしたくなってしまった。

 

鼻の穴がふくらまないよう慎重に、空気を出し入れした。

 

繋いだ手の平が汗で蒸れてきたのも、気になってきた。

 

異常な汗の量が恥ずかしくって、シーツで拭いたかったけれど、僕は今、眠っていることになっている。

 

(我慢だ...)

 

ついでに鼻がむずむずしてきた。

 

我慢できなくなり、塞がっていない方の手で小鼻をポリポリやろうとしたら、その手は素早く阻まれてしまった。

 

「!!!」

 

右も左もユノの手に拘束されてしまったわけだ。

 

ハッと目を開けると、ニヤニヤ顔のユノが驚くほど近くにあった。

 

「嘘寝してるのバレバレ」

 

「知らんぷりしてたな!

ひきょーもの!」

 

「ふっ。

チャミの顔が

まぶたが痙攣しているし、面白かった」

 

「ふん、だ」

 

恥ずかしいのと腹がたつのとで、ぷいっと顔を背けた。

 

「こっち向けって」

「やだ」

 

行儀よくしていたご褒美に、駄々をこねて甘やかされたくなった僕はユノに背を向けた。

 

「ごめんな、チャミ」

「......」

 

僕の手首をつかんだユノの手をふりほどこうと抵抗したが、全く歯がたたない。

 

「離してよ!」

 

誰かに聞かれたら誤解されそうな言葉と声量に、ユノの手が離れた。

 

「もぉ、ユノちゃんってば馬鹿力」

 

僕の細い手首に、ユノの指の痕が赤くついてしまっていた。

 

僕は手首をさすりながら、「アルファって力が強いんだね?」と訊ねた。

 

「これくらい...大人の男だったら普通の力さ」

 

「僕こそごめんね...」

 

「何が?」

 

不思議そうな顔をするユノに、僕は「それ...」と彼の手を指さした。

 

ユノの手の甲に僕の歯型がある。

 

僕の歯並び通りに、点々と赤い鬱血痕と一部血が滲んでいる箇所があった。

 

内診の間、恐怖と違和感で叫び出しそうになるのを、ユノの手の甲を噛みしめたおかげで押し殺せたのだ。

 

「チャミって頑丈な歯を持ってるんだなぁ」

 

ユノは笑った。

 

「ごめんね」

 

「へ~き。

アルファって傷の治りが早いんだ」

 

「そうなの!?」

 

「...と言われている。

他と比べたことがないから、分からんが」

 

「力も強いんでしょ?

本気を出したらどれくらい?」

 

「う~ん...そうだなぁ」と言葉を濁すユノに、「ねえ、教えてよ」とねだった。

 

ユノはこれまでずっと、『アルファ』であることを隠していたのだ。

 

見た目もとびぬけてよく、頭がよく、素早さと力を備えた肉体...そして『オメガ』限定の妊娠力。

 

もっとも、『アルファ』の存在を知る人たちは少ないというから、意識して隠す必要はなかっただろうけども。

 

「チャミ...お前。

超人的なものを想像しているだろう?」

 

「車を持ち上げるとか?

100メートルを5秒で走るとか?

ビルから落ちても平気だとか?」

 

ユノはため息をついた。

 

「発想が小学生だなぁ。

片手でリンゴを握りつぶせる程度かなぁ」

 

「凄いじゃん。

やったことある?」

 

「ない」

 

「ユノちゃん!」

 

「...チャミ。

黙ってて悪かったな」

 

「ううん。

ここに来る前に、『アルファ』のことを教えてもらっても、僕にはちんぷんかんぷんだったよ」

 

「はは、確かにそうだな」

 

「ユノちゃん、ごめんね」

 

「何が?」

 

「大きい声出して」

 

さっきの抵抗の言葉は、『アルファ』が『オメガ』に乱暴している風にきこえてしまう言い方だった。

 

大声を出した直後に「しまった!」と、ひやっとしたのだ。

 

「そうだなぁ。

この場所だと特に誤解されたらマズかったな」

 

「...ごめん」

 

「怒ってないよ。

乱暴した俺が悪かった」

 

「謝ってばかりだね」

 

僕は、ユノの正体を知ってショックは受けたけれど、ユノが『アルファ』でよかったと思ってしまった。

 

僕とユノは、まるでこの地球上でたった2人の宇宙人みたいだと思ったからだ。

 

 

「処置室でもうしばらく横になる?」

 

カーテンの隙間からひょっこり、医師が顔を出した。

 

僕は首を横に振った。

 

「もう話は聞きたくない。

わけわかんなくなった」

 

「わかってるわ」

 

医師は「今日はもうおしまいにしましょう」と言って、やさしく微笑んだ。

 

「...よかったぁ」

 

僕もユノと笑顔を見せ合った。

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]

(37)麗しの下宿人

 

「むやみに『アルファ』を怖がらなくてもいい。

ユノさんがチャンミン君を護ってくれると言っても、油断はできない。

そこが哀しいところね」

 

ユノ自身自身、『チャンミン君を襲わないように』といった言い方をしていた。

 

「そういう場面が訪れないように、チャンミン君は薬を飲まないといけないのです。

チャンミン君がフェロモンを出している間、ユノさんは我慢しています」

 

「そうだったんだ...」

 

数日前、僕が放つ匂いに耐えかねて、鼻を塞ぎ汗をかいていたユノは辛そうだった。

 

医師はデスクの引き出しから銀色のシートを取り出した。

 

「チャンミン君に処方される薬です。

『アルファ』に襲われないように、フェロモンの放出を防ぐ働きがあります」

 

ユノや母が口を揃えて言っていた薬がこれなのか。

 

それは何の変哲もない小さな白い錠剤が封入されたシートで、『サンプル』のシールが貼られていた。

 

「普通だね」

 

もっと派手派手しい色とサイズのものを想像していた。

 

ユノは僕の耳元で「ちゃんと忘れずに飲めよ」と囁いた。

 

『オメガ』には服薬の必要があるワケが分かった。

 

「ユノさん、申し訳ありません。

『アルファ』であるあなたには、ここは居づらかったと思います」

 

頭を下げた医師に、ユノは「いいえ、本当のことですから」と手を振った。

 

「なあ、チャミ」

 

ユノは僕に話しかけた。

 

「『アルファ』が『オメガ』を乱暴したくなってしまうのは事実だ。

でも、誤解して欲しくないことがある。

ここで言う『乱暴』ってのは殴る蹴るの暴力ではないんだ。

分かるだろ?」

 

「分かってるよ」

 

「俺は...つまり『アルファ』は『オメガ』と、ただセックスがしたくて襲ってしまうのではない」

 

ユノの口から「セックス」の言葉が出て、僕の心臓はどきんと音を立てた。

 

言葉の意味は知っているけれど、恥ずかしくて口にできない言葉。

 

今の僕には縁のない言葉...でも、耳ざとく反応してしまう言葉。

 

「性的に満足するためではなく、『オメガ』を妊娠させたいだけなんだよ」

 

首を傾げる僕に、ユノは「つまり...快楽を求めているだけじゃないってことさ」と付け加えた。

 

これで何度目になるのか、蒸した部屋で絡み合う2人の男性のシーンがフラッシュバックした。

 

肌色。

 

汗で光る背中。

 

ユノと誰か知らない男の人。

 

胸が苦しい。

 

「あの...先生。

『アルファ』の人たちは、『オメガ』だけじゃなく普通の人たちのことも襲いたくなるのですか?」

 

「いいえ。

『アルファ』は平均的に性欲が強いと言われていますが、『ベータ』に対して特別な欲求が湧くことはあり得ません」

 

「そうだぞ、チャミ。

もしそうなら、俺はとっく犯罪者だ」

 

ユノは医師の言葉に続けてそう言うと、ハハハと笑った。

 

僕はつられて笑う気になれなかった。

 

ユノが可哀想に思われてきたのだ。

 

「極めて動物的な欲求だけど、純粋に『オメガ』だけを求めています。

『アルファ』とは、『オメガ』を求め続ける属性、と言ってもいい。

性犯罪者とは全く違います」

 

「...チャンミン、そうなのよ」

と、母の手が伸びてきて、僕の二の腕をさすった。

 

僕のユノの間に新たな絆が築かれようとしているのを邪魔しないように、今日の母は1歩斜め後ろに控えているように思われた。

 

僕がユノを頼りきっていること、ユノが僕を支えてくれること...これは僕の想像だけれど、母はユノ宛の手紙の中で頼んだのではないだろうか?

 

僕を支えて欲しい、と。

 

『アルファ』を付き添いに初めての診察にいらっしゃる『オメガ』の方は、ほとんどいらっしゃいません。

チャンミン君は、ご家族や周囲の方が気付いて受診したパターンになります。

あなたは平均より早熟なのね。

8割以上の方が中学生の検査で判明します」

 

「...検査じゃない方法で分かる人たちもいますか?」

 

「とても、言いにくいんだけど...」と、医師の表情が途端に曇った。

 

「さっきの話に繋がります。

フェロモンの香りのせいで、『アルファ』を刺激してしまって...」

 

その後の話は想像がついた。

 

僕はラッキーだったのだ。

 

『アルファ』だけが『オメガ』のフェロモンを嗅ぎつけることができる。

 

『オメガ』だと気付いたのがユノだったから、僕は無事だったのだ。

 

(ユノでよかった...)

 

気が重くなる事実と、それを打ち消すプラスの事実が交互にやってきて、その都度僕の感情は浮き沈みした。

 

「『アルファ』の言葉を滅多なことで口にできない理由がここにあります。

性的なことからむと、人々はどうしても歪んだ理解をしがちです。

獣のようだとか、下半身でものを考えているだとか、性的に乱れているだとか。

ここでいう人々とは、『ベータ』のことです」

 

「そんなの...ひどい」

 

「この誤解に加えて、『アルファ』はひがみ感情にさらされやすい。

能力とカリスマ性から、『アルファ』は勝ち組の人生を歩む率が高いですから。

でも、『アルファ』に面と向かって対抗できる『ベータ』は滅多にいません。

国や企業、学術研究のトップに『アルファ』が多いとききますから。

...あくまでも想像ですが...」

 

僕は猫背になって、しゅんとしていた(いつもならここで、『姿勢が悪い』とユノに背中を叩かれるところだ)

 

「『オメガ』『アルファ』の属性も知らず、縁のない生活を送る人々が大半ですが、知っている人もいます。

『オメガ』も含め、『アルファ』は差別の対象ととらえていいでしょう。

だから、口にしてはいけないのです」

 

数時間にわたって受けた検査や診察、説明の結果、僕が知り得たのは、知るべき情報のほんの一端に過ぎないのだと思う。

 

自分が『オメガ』だったと知っただけじゃなく、家族の次に身近な人が『アルファ』だと知らされたらWパンチだっただろう。

 

さっきから生あくびがとまらない。

 

「先生...僕、気持ちが悪いです」

 

昼食のカレーライスが消化不良を起こしかけているみたいで、胃のあたりがムカムカした。

 

「吐きそうです...」

 

医師や母が椅子から腰を浮かせかけた瞬間、ユノの腕が誰よりも早く僕の肩を抱いた。

 

「今日はもう終わりにできませんか?

顔色が悪い」

 

(もうギブアップだ)

 

クラスメイトたちがアイスクリームを食べたり、プールで泳いでいる真昼間の今、僕は病院で人生をかけた重い話を聞かされている。

 

もとから薄い関係の、ややもすれば好きじゃなかったクラスメイトたちが、もっと遠い存在になった。

 

皆は『ベータ』で、僕だけが『オメガ』

 

クラスメイトの中に『アルファ』予備軍の者がいるかもしれない。

 

今日を境に、世の中を見るモノサシが変わった。

 

「横になりましょう」

 

行儀よく椅子に座っているのも限界だ。

 

だからと言って、現実を受け止めきれずに泣きわめくことができない僕だった。

 

それならば、頭から布団をかぶってダンゴムシみたいに丸くなって眠りたい。

 

医師の目配せで、看護師が僕の二の腕に血圧検査のベルトを巻きつけた。

 

空気が送り込まれるポンプの音は、蝉の鳴き声みたいな耳鳴りでかき消された。

 

水が渦を巻いて排水口に吸い込まれていくみたいに意識が遠のいていった。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]