(15)オトコの娘LOVEストーリー

 

~B~

ユノとチャンミンが揃って帰宅した時、BはTVを観ながらペディキュアを塗っていた。

ユノの「ただいま」に対してBは、アイスブルーに塗られた爪を満足そうに眺めていて、顔も上げずに「おかえり」と答える。

ユノのスラックスと続いて、水色と白色のストライプ柄のスカートがBの視界に入った。

けだるげにソファから身を起こした。

「帰り、遅くない?」

Bの視線はユノの隣に立つ、プラチナホワイトの髪をしたワンピース姿の人物にくぎ付けになった。

その人物から目を離さず、「この人、誰?」とユノに訊ねた。

「説明するよ」

ユノはBの前まで進み出ると、彼女の手から転げ落ちそうなマニキュアの瓶を取って、ローテーブルに置いた。

「彼女はチャンミンちゃん。

この子をしばらく預かることになった」

チャンミンはぺこり、と頭を下げた。

「ご挨拶が遅れましたが、チャンミンといいます。

ぼ、僕は、ユノさんの...」

「聞いてないわよ?」

チャンミンの挨拶を遮ったBは怒りの目をユノへ移した。

「誰?」

その尖った口調にチャンミンの背筋が伸びた。

「Tの妹。

Tを知ってるだろ?

チャンミンちゃんはあいつの妹なんだ」

「仕事が見つかるまで、こちらにお世話になります。

ご迷惑おかけします」

チャンミンはぺこり、と頭を下げた。

「Tんちは今...」

「どうしてうちに?

なんで?」

Bはユノの事情説明を遮った。

「どこに住むの?

いつまで居るの?

いくつなの?

前もって教えてくれなかったのは、どうして?」

 

ユノはBの質問に対して、ひとつひとつ答えていった。

ただひとつ、正直に説明しづらかったのは、事前相談しなかった理由だった。

 

「俺だけの一存で決めてしまってごめん。

相談できればよかったんだが、時間が取れなくて...。

すれ違いだっただろ?」

「ふ~ん。

仕事が忙しい私が悪いってこと?」

「そういう意味じゃない」

「あなたってどれだけいい人なのよ」

 

Bはチャンミンの顔から脚の先まで舐めまわすように観察した。

 

(なるほどね。

部屋の荷物の持ち主がこの子ね)

 

無表情のBは、「回ってみて」とチャンミンに命じる。

チャンミンはBの命令に首をかしげながらも、素直にBの前でくるりと回って見せた。

 

「......」

 

(大柄な女、だと言えないこともないけど...。

やっぱり『男』だわ。

不自然さはないし、とってつけたような違和感はないけれど...女の目は誤魔化されないわよ!)

 

Bはチャンミンのパーツひとつひとつ、じっくりと見た。

 

(悔しいけれど、脚は綺麗だし、彫りが深いわりには可愛らしい部類の顔をしている。

でもね、眉や目、鼻や口の主張が強いのよ。

肩幅も広いし、手足も大きい)

 

この間、チャンミンは直立不動だ。

 

(そうなのよ!

全体的に丸みが感じられないのよ!

なるほど、あのワンピースの謎が解けた。

この子は『男』なんだけど、女物の洋服を着て『女』になる時があるのね。

見た目は男だけど、ハートは女なのかもしれない。

喋り方も、女っぽいし...)

 

「ねぇ。

ユノは気づいてないの?」

「何が?」

「本気で気づいてないの?」

「気づく、って何が?」

 

困惑したユノの様子から判断するに、質問の意図が分からないというのは、本当のように見える。

 

「嘘でしょぉ!?

私をからかっていないわよね?」

「からかうはずないだろ」

(あの子が『オトコ』だって、ユノは本気で分かっていないわけ?)

 

Bも困惑した。

ユノとチャンミンがBをからかおうと、示し合わせている可能性もあったからだ。

Bはチャンミンを指さした。

 

「この子の正体が何なのか、ホントにわかってないの?」

 

チャンミンはBの言葉にぎくり、としたが、口論中のユノとBはそれに気づけなかった。

 

(つづく)

 

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(14)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「さっきからジロジロ見てしまって、ごめんな。

視線を感じるだろ?」

「いいえ。

そうだったんですか?」

 

横を向いた彼女と目が、バチっと合った。

一瞬目をそらした俺の片頬に、彼女の視線が放たれていた。

俺たちの身長はほぼ同じなため、目線はお互い真正面からぶつかることになる。

 

「減るものじゃないので、ジロジロ見てても構いませんよ。

その代わり、僕も遠慮なくユノさんのことをジロジロ見させていただきます。

ふふふ」

「?」

 

彼女の視線が俺を通り越したところに注がれていて、チャンミンは横を向く。

ショーウィンドウにディスプレイされた夏物が気になっているらしい。

ノースリーブのサマーニットに、ペールイエローのフレアスカート。

 

「こんなに可愛い洋服...僕には似合いません。

女装しているみたいになります。

第一、サイズがありません」

「チャンミンちゃん...」

 

高すぎる身長、平らな胸に小さなお尻、太め眉の男顔。

 

「さっきの話の続き。

昨日、チャンミンちゃんをジロジロ見ていた時に、思ったことなんだけど」

生温かい風が吹いて、俺は彼女の左目を隠した前髪を人差し指を伸ばして耳にかけてやった。

驚いた彼女の瞳がかすかに揺れて、俺は胸が詰まった。

 

「俺の目には...君はファッションを楽しんでて、幸せそうに見えてるよ。

昨日の服も、部屋着も、今のワンピースも似合ってる。

自分が好きなものをよく分かってる」

「...ホントですか?」

 

彼女の表情がみるみるうちに輝いてきた。

 

「褒めてもらえたの、今日で2回目です」

「へえ」

 

俺は彼女の知り合いがこの街にいたことを意外に思った。

 

「美容師さんです。

僕の髪を染めてくれた人です」

「よかったね」

「実は僕、もう1着凄いワンピースを持っているんですよ。

もっともっと本格的なやつ。

それを着て出かけたことは、未だありません」

「例の好きな人とのデートで着ていったらどう?」

「そんな日が来るといいですね」

 

気付けば俺は、ふふふと目を細めて笑う彼女の頭を撫ぜていた。

俺の手の平に感じる彼女の柔らかい髪。

「僕、子供みたい」と照れる彼女の赤い頬。

 

(今日の俺は、彼女に触り過ぎているな...。

セクハラだな、これは)

 

「実はもう一個、びっくりすることがあったんです」

「へぇ。

どんなこと?」

「今はまだ内緒です」

「気になるなぁ」

「ふふふ」

 

 

彼女には“気になる人”がいる。

彼女の肩をつかみグラグラゆすって、“気になる人はどんな奴?”と問いただしたくて仕方がなかった。

実のところ、驚くことに、彼女の告白にショックを受けていたのだ。

余裕かました大人の男のフリに保つことで、ショックを受けた理由についての自問自答は後にしようと思った。

『内緒ごと』も気になる。

気になるが、彼女の私生活にどれだけ踏み込んでいいのか、線引きが難しい。

親友の妹。

近くて遠い、近づき過ぎてはいけない存在だ。

 

 

俺たちはマンションのエントランスでエレベーターを待っていた。

俺は舌打ちをした。

Bからの不在着信が入っていたのだ。

 

「どうしました?」

「いや、何でもないよ」

 

着信時刻を確認すると、チャンミンとビールを飲んでいた頃だ。

昼間チャンミンの通話後、Bへ電話をかけたがBは出ず、午後3時にBから着信があったが、打ち合わせ中で出られなかった。

駅前でチャンミンを待つ間にBへ折り返した時も、Bは出なかった。

そこでチャンミンと連れだって帰宅する前に、簡単な説明だけはしておこうとメール文を打ちかけた。

かなりの長文になってしまったことと、『大事な話をメールで済ませるってどういうこと?』とBを不機嫌にしてしまう予感がしたので、言い回しに気を遣ったメール本文を削除してしまった。

 

(すれ違いばかりじゃないか)

 

結局、何の操作もせずスマートフォンをポケットにおさめた。

 

「緊張しますね。

ドキドキします」

 

マンションのエレベーターの中で、彼女は胸をさすっている。

 

「僕のこと、上手に紹介してしてくださいね?」

「任せておいて」

 

...と自信たっぷりに請け負ってみたものの。

 

(つづく)


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(13)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「もう一回、乾杯しましょう」

「かんぱーい」

 

俺たちはガチンとビールジョッキを合わせた。

ジョッキを持つ指が細かった。

 

「ユノさん」

「ん?」

 

目尻を赤く染めた彼女が色っぽくて、目をそらす。

 

「安心してくださいね」

「安心って?」

「アレの時は、僕、イヤホンして音楽聴いてますから」

「アレ?」

 

意味が分からず首をかしげていたら、彼女はふんと鼻をならした。

 

「セックスです」

「!!!」

「Bさんとユノさんがセックスするときです。

イヤホンして、大音量で音楽聴いてますから。

僕に遠慮せずに、いつも通りセックスしてくださいね」

「チャンミンちゃん!」

 

...何を言い出すかと思えば。

不意打ちの発言に驚かされて悔しくなった俺は、意地悪をしたくなった。

 

「チャンミンちゃんこそ、つけようね」

「ツケル?」

「ブラ」

「!!!!」

 

彼女は素早く胸を隠した。

 

「俺はいちお、男だから。

目のやり場に困るんだ」

 

彼女は消え入るような声で「はい」と答えた。

 

 

チャンミンちゃん。

俺らはセックスレスなんだよ。

それどころか、この数か月間は、まともに会話すら交わしていないんだ。

俺が誘ったときにBがその気じゃなくて、深夜遅く帰宅したBがベッドに滑り込んだ時、背中から抱きしめたら、腕をはねのけられた。

そんな夜が続けば、「もういいや」って諦めてしまう。

Bと喧嘩をしたことがない。

「仕事が忙しすぎやしないか?」

「もっと早く帰ってこられないのか?」

「たまには一緒にでかけようよ」と言えればよかったんだけど。

Bと衝突したくなかったのが理由だとしたら、俺は臆病者なんだろうな。

同棲を始めた当初の俺はBに夢中で、彼女と共にすること全てが幸せだった。

けれど、今は違う。

B、あの部屋はホテルじゃない。

俺は君と、『生活』がしたかった。

もう『留守番役』は沢山なんだよ。

Bが俺のことをどう思っているのかは、分からない。

そろそろ何かしら決着をつけなければならないなと思っていた時、チャンミンが登場した。

いかにBとの生活がむなしいものだったのかが、はっきりしたよ。

 

 

「お腹いっぱいですね」

 

彼女はテーブルの上に散乱した食器やナプキンを、一か所にかき集め始めた。

 

「帰りましょうか。

Bさんが待ってますよ」

 

スパイシーなおつまみとアルコール、生温かい空気で彼女のおでこが汗で光っている。

 

「うーん...」

 

俺の浮かれた気分がしゅんとしぼんだ。

 

「ピリ辛チキン美味しかったですね。

Bさんにテイクアウトして帰りませんか?」

「いらないって!」

 

彼女は俺の鋭い口調に驚き、肩を震わせた。

 

「ごめんなさい」

 

彼女は目元に落ちた前髪をささっと耳にかけると、リュックサックを背負った。

 

「僕ってば、人との距離の取り方が下手なんです。

馴れ馴れしかったですね。

ごめんなさい...」

 

(しまった!

思わずキツイ言葉を発してしまった)

 

彼女の口から、Bの名前が出ることに苛立っていた。

 

(Bのことに触れて欲しくない。

Bの話題が出ると苦々しい気持ちになる。

今の俺は、Bのことで惚気られない)

 

俺の後ろをとぼとぼと、歩く彼女をふり返った。

 

「俺こそごめんな。

Bは脂っこいものは食べないんだ。

気を遣ってくれてありがとうな」

 

彼女はうつむいたまま、こくんと小さく頷いた。

気まずい雰囲気のまま俺たちはエレベーターに乗り込んだ。

 

「そうですよね。

Bさんは綺麗な人だから...。

スタイルキープが大変なんですね。

僕みたいなオトコオンナと同じように考えちゃダメですよね」

 

小声で話す彼女は、頭上から吹き付ける空調の風が寒いのか、二の腕をさすっている。

鳥肌の立った彼女の腕は、体毛がなくすべすべしていて、肘までシャツをまくり上げた自身の腕と見比べてしまう。

 

「オトコオンナだなんて、そんな言い方するなって。

初めて会ったとき...正直に言ってしまうけど、背も高いし、すらっとしてるし、ボーイッシュな子だなぁ、って思ったんだ。

メイドさんの服にもびっくりしたけど。

あ!

悪い意味じゃないよ。

褒め言葉だよ。

ボーイッシュな子が着るから映えるっていうか...う~ん。

うまく言えなくてごめん」

「ふふ。

“ボーイッシュ”ですか。

うまい言い方をして下さるんですね」

 

俺たちはデパートを出て、自宅へと並んで歩きだした。

 

「チャンミンちゃんは、俺と初めて会ってどう思った?

怖そう、とか、老けてるな、とか」

「まさか!

ユノさんはイケメンだって予備知識があったのです。

兄から聞いてました」

「イケメン?

俺が?」

「そうですよ~」と、彼女は口を尖らせた。

「あまりもかっこよくて、目ん玉ぶっ飛ぶくらいびっくりしました」

「ぷっ...目ん玉って...」

 

と、吹き出した俺は隣を歩く彼女に目を向けた。

 

(綺麗な横顔をしている...)

 

俺は彼女に見惚れてばかりだ。


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(12)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

チャンミンはアルコールが大して強くないみたいだ。

ビールジョッキ2杯目の時点で、顔は真っ赤で目付きがとろんとしている。

食べっぷりは俺以上で、ぴり辛ソースを絡めたチキンバスケットの中身の大半は彼女が平らげた。

よほど美味しかったらしく、もう一皿オーダーしていた。

彼女の口の中に、美味しい料理が次々と吸い込まれていく。

それなのに、食べ方がきれいだった。

ひと口サイズに(彼女のひと口サイズは大きい)箸で切り分け、あーんと口に運んで、もぐもぐとしっかり咀嚼する。

飾り野菜も食べてしまうから、お皿の上には食べかすひとつ残っていない。

俺のジョッキが空になる前に、「ビールでいいですか?」とお代わりのオーダーを、新しい料理が届くと最初に俺の取り皿に、たっぷりとよそってくれるのだ。

軟骨まできれいにこそげた骨が、空いた器に山となっている。

3杯目、4杯目とジョッキを追加しながら、俺はぼんやりと彼女を眺めていた。

Bとの外食は、俺ひとりだけ食べてリアはちんまりとしか食べない。

Bはモデルだから仕方がないのだけれど、一緒に食事をしているのに独りで食事をしているかのようだった。

 

「ユノさん、もうお腹いっぱいなんですか?

いらないのなら、僕がもらっちゃっていいですか?」

 

俺の取り皿の上のチーズコロッケを、物欲しげな目で見る彼女の唇にケチャップが付いていて、やっぱり可愛いと思ってしまった。

 

「駄目、あげない」

「あっ!」

 

コロッケをひと口で食べてしまったら、彼女は心底残念そうな顔をした。

頬をふくらまして紙ナプキンで口元を拭う彼女に「チャンミンちゃんのその色、ホントに似合うよ」と白金の髪を褒めた。

俺はほろ酔いで、普段だったら照れくさくて難しいこと...つまり女性を褒めることができてしまう。

 

「嬉しい、です」

 

彼女はにかんだ。

 

「ユノさんさん、かっこいいですー。

Bさんが羨ましいです。

僕もユノさんみたいな“彼氏”が欲しい、ですー。

ふふふふ。」

 

彼女の言葉を受けて照れてしまったことがバレないよう、微笑みだけで流した俺は、チャンミンに尋ねる。

お約束の質問だ。

 

「チャンミンちゃんは、彼氏はいないの?」

「いません」

 

彼女は眉を下げ泣き真似をした。

 

「嘘!ホントに?」

 

(と、驚いたふりをしたけど。

彼女を傷つけてしまうから絶対に言えないけど。

彼女が男と並んで歩くシーンを想像できない。

高すぎる身長もそうだが、メイド服の隣に立つには相当の精神力が必要そうだ)

 

「好きな人は?」

 

すると、彼女の顔がふにゃりと緩んだ。

 

「いますー」

「えー、どんな人?」

「年上です」

「それだけの情報じゃ分かんないよ」

「ユノさんより年上です。

密かな片想いなので、これからちょっとずつアピールしていくつもりなんです」

「へえ。

ってことは、近くにいるんだ?」

「ふふふ。

そうなんですよ」

 

彼女は両手で顔を覆って身をよじった(ヤバイ...可愛い)

 

「もしかして、チャンミンちゃん。

彼を追いかけてきたの、ここまで?」

 

ぼっと彼女の頬と耳が真っ赤っかになった。

 

「ま、まさか~」

 

目が泳ぐ彼女はは分かりやすい。

そっか。

田舎を出てここに越してこようと決めた理由が、「男」だったとは...。

兄Tはこのことを絶対に知らないはずだ。

酔ったはずみに、ポロっとこぼしてしまったんだろうな。

 

「Tには内緒にしててやるよ」

「はい、お願いします」

「チャンミンちゃんの片想い、応援するよ」

「ありがとうございます、うふふふ」

 

左右非対称に細められた目を、昨日に続き見ることができた。

男っぽい容姿と趣味全開なファッションセンスはハンデかもしれないけど、俺の目には、十分女っぽく映っている。

 

(片想いの彼が、君の魅力にちゃんと気付いてくれることを願うよ)

 

彼女は照れ笑いをしている。

鼓動が1.2倍速くなった。

俺はこんな笑顔は作れない。

 

(つづく)


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(11)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

俺は駅前のモニュメント前でチャンミンを待っていた。

ワイシャツ姿でスーツのジャケットは脱いで腕にかけ、改札口を出る人並に目を凝らす。

 

(なぜか、わくわくどきどきする)

 

空気は蒸し暑く、じとりと首も腕も汗ばんでいた。

ポン、と肩を叩かれた。

 

「おっ!」

 

顔を上げたら目の前に彼女が立っているものだから、驚きで飛び上がった。

 

「ユノさん...。

そこまでびっくりしなくても...」

 

彼女はぼそりとつぶやき、眉を下げた。

分かってはいても不意打ちは心臓に悪い。

彼女の髪色が、明るく変わっていた。

 

「チャンミンちゃん、髪を染めたんだ」

「はい。

イメージチェンジも兼ねてます」

 

鼻にしわを寄せて笑う彼女の目元に、長い前髪がはらりとかかった。

どき。

彼女の澄んだ瞳に、俺が映っていた。

そして、とっさに俺は彼女の前髪に指を伸ばしていたのだった。

 

「ごめん!」

 

俺は腕をひっこめると、やり場を失ったその手で自分の前髪をかきあげた(彼女の側にいると、こうやって誤魔化すパターンが増えてきた)

 

(またやってしまった。

つい触れようとしてしまう。

危ない、危ない。

髪を明るくしたせいか、それも鈍色なせいか、中性的な妖しさが加わった気がする)

 

「ユノさん。

ほら」

彼女はつんつんと俺の腕を突いた。

 

「!」

 

肘までまくり上げていた腕に産毛が逆立った。

 

どき。

 

「屋上ビアガーデンですって!」

「へぇ」

「いいですねぇ。

行きたいですねぇ」

 

ラティス格子で囲われたデパートの屋上に、提灯の赤い灯りが連なっている。

伸びやかな首筋。

惜しいことに彼女の喉は、縁がフリルになったハイネックで隠れてしまっている。

デパートの屋上を見上げる彼女の喉から目が離せなかった。

ビールをごくごく飲む彼女を見てみたいと思った。

 

「なあ、チャンミンちゃん」

 

突如沸いた素敵な思いつき。

 

「ビール飲もうか?」

「え?」

「ビアガーデン、行こう」

「今から?」

「もちろん」

「Bさんは?」

 

彼女に指摘されて、俺は顔をしかめた。

 

「Bのことは、いいから」

「でも...」

 

彼女と飲むビールは、美味しいに決まっている。

逡巡する彼女の手をとった。

 

「え、え、え?」

 

彼女の手をとるまでは、躊躇する隙のない自然な動きだった。

ところが俺の手の中におさまった彼女の、自分のものより幾分小さく薄い手の平を意識したら、ぼっと身体が熱くなった。

女性の手を握ることに、今さらドギマギするような年じゃない。

でも、彼女相手だと違う。

手を触れたらいけない気にさせられる。

そんなことを思いながらも、ちょくちょくと彼女に触れてしまっているのだけれどね。

 

 

「行こう行こう」

 

俺はぐいぐい彼女の手を引っぱって、エレベータに乗り込んだ。

照れ隠しで、必要以上に引っぱった。

操作ボタンを押す時になって、「ああ、ごめん」とクールさを装って手を離した。

手を握ることくらいどうってことないさ、大人の男だから、ってな風に。

 

「いえ...」

 

真っ赤な顔をした彼女は、俺に握られていた手を開いたり閉じたりしている。

伏せたまつ毛が、赤らめた頬に影を作っていた。

 

(ヤバイ...可愛い...)

 

彼女のTシャツの胸元に目をやって、俺は安堵した。

 

(よかった...ブラを付けてる)

 

今朝見たノーブラチャンミンが、ぼわーんと頭に浮かんできてしまって慌てて打ち消した。

バスケットボール選手のように体格はよいけれど、内股気味の膝頭と足先。

メンズサイズのスニーカーなのに、でかい足なのに(チャンミン、ごめん)、可愛らしく見えるのだ。

 

「ユノさん...大丈夫ですか?」

「え?」

「顔が赤いです。

汗がだらだらです。

具合が悪いのですか?」

 

じーっと彼女に顔を覗き込まれて、俺の心拍数が急上昇した。

 

「!」

 

額に手を当てようとするから、「大丈夫だって」って制しようしたら、つかんだ手首が細くてたまらない気持ちになった。

ポーンという音と共に扉が開いた途端、蒸し暑い空気と軽快な音楽、がやがや楽し気な喧噪に俺たちは包まれた。

さあ、ビールを飲もうか!

 

(つづく)

 

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