(58)時の糸

 

 

 

「ユノが、好きです」

 

「......」

 

「ユノ?」

 

無言のままのユノに不安になったチャンミンは、ユノの背中をつついた。

 

ユノを覗き込まなくても分かった。

 

寝息。

 

「寝ちゃったのか?」

 

チャンミンは深いため息をつくと、再びこぼれ落ちた涙を手の甲で拭った。

 

「なんだよ...」

 

(初めてだったのに。

ユノったら、寝てしまうなんて...。

僕の「好き」を聞いてもらえなかった)

 

目尻から次々とこぼれた涙がこめかみを通って、髪を濡らしていく。

 

(どうして涙が出るんだよ...!)

 

「恥ずかしい...」

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

俺の心臓は痛いくらいに拍動していた。

 

驚き過ぎて、どう反応すればいいのか分からなくなって寝たふりをしてしまった。

 

どうしよう!

 

チャンミンに応えてあげないといけないのに!

 

チャンミンの告白はびっくり仰天、予想外過ぎた。

 

チャンミンの好意は、さりげない言動から伝わっていたけれど、まさか実際に言葉にしてくるとは思いもしなかった。

 

「任務」のために、チャンミンのことを1年間モニタリングしていた。

 

チャンミンの「変化」を注意深く観察していた。

 

チャンミンが熱を出したあの日を境に、彼に『変化』が訪れた。

 

無感動、無感情だったのが、みるみるうちに感情を取り戻していった。

 

実のある会話を交わせるようになってきた。

 

チャンミンの心は、足跡ひとつない朝の新雪。

 

固く閉じられていた扉が開いて、最初の足跡をつけたのは俺だ。

 

チャンミンが俺に向ける愛情は、「刷り込み」に近いものだったとしても、あんなに綺麗な男の子(男の子っていう年じゃないけどね)に、「好きだ」と言われちゃったりしたら...涙が出るほど嬉しい。

 

こういうことはよくある、と話はきいていた。

 

感情が花開いたその場に立ち会うことの多い『観察者』は、『被験者』たちの変化に感動する。

 

長期間つかずはなれず側で見守り続けてきたからこそ、その感動が大きいのだ。

 

今の段階で俺の口から真実を伝えることは、規則で禁止されている。

 

今すぐ教えてあげたいのに。

 

チャンミンの気持ちに応える前に、教えてあげたい。

 

俺の正体を知らせてあげてから、チャンミンの気持ちに応えたい。

 

俺もチャンミンのことが好きだよ、って。

 

「俺も好き」と伝えたら、チャンミンはどうするんだろう。

 

好きと気持ちを伝えたその先、どうしたらいいのか分からないだろうな。

 

キスのその先を、チャンミンは知らない。

 

「先のこと」なんていいじゃないか。

 

今の気持ちに素直になればいいじゃないか。

 

素直になれないのは、恐れていることがあるからだ。

 

それは、近い将来に真実を知らされたチャンミンが、拒絶の目で俺を見るかもしれないこと。

 

そして、俺のことを嫌いになるかもしれないこと。

 

でも、これらは全部俺の悪い予感に過ぎないかもしれないじゃないか。

 

真実を知った後の気持ちの変化については、チャンミン自身が持つ性格や思考癖に左右されるものだから。

 

過去のデータだと、拒絶される場合とより親密になる場合と半々らしい。

 

そんなことを、わずか30秒くらいの間に考えた。

 

全身がかっかと熱く、頭がボーっとしているけれど、フル回転で考えた。

 

チャンミンに拒絶されるのが怖いから、チャンミンの「好きだ」を無視する気なのか?

 

チャンミンのことが好きなんだろう?

 

拒絶されたらその時だ。

 

受け止めようではないか。

 

チャンミンのぎこちない思いやりの示し方や、ぶっきらぼうなところ、奥手そうで実は積極的なところ。

 

的外れなところも多いけれど、それは仕方がない。

 

彼なりに一生懸命考えて、よちよち歩きで成長しているんだ。

 

それに...。

 

「!」

 

ベッドサイドに置かれた洗面器を見て、ヒヤリとした。

 

『アレ』を見られちゃったな。

 

びっくりしただろうなぁ。

 

チャンミンのことだから、気付かないふりをしていそうだな...。

 

やだな。

 

涙が出てきた。

 

なんでだろ。

 

さらに30秒の間で、結論が出た。

 

ユノさんは肚をくくったぞ。

 

チャンミンとのキスのその先を、2人で楽しもうじゃないの。

 

よし!

 

「ユノ...?

寝ちゃったのか?」

 

チャンミンが、俺の背中を突いている。

 

ため息をついて「恥ずかしい」とつぶやいている。

 

俺は勢いよく寝返りを打って、チャンミンと向き合った。

 

「チャンミン」

 

「ん?」

 

仰向けになったチャンミンが、横目で俺を見た。

 

泣いてるのか?

 

薄暗い灯りの元、チャンミンの目が光っていた。

 

鼻をぐずぐず言わせていた。

 

どうしてチャンミンが泣いているんだよ...。

 

 

(つづく)

 

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(57)時の糸

 

 

(いちいち言葉にするな!)

 

チャンミンの切羽詰まった表情に、ユノはうんうんと頷いた。

 

チャンミンは気持ちを落ち着かせようと、ふぅっと息を吐いた。

 

斜めに傾けた頬をユノに寄せる。

 

(緊張する)

 

熱で潤んだユノの瞳が、かすかに揺れた。

 

額同士をくっつけると、互いの鼻先が触れた。

 

2人の額は、熱く火照っていた。

 

(ドキドキする!)

 

ユノはぎゅっと目をつむった。

 

唇同士が触れるだけの、軽いキス。

 

次は、互いの唇の柔らかさを確かめるキス。

 

頬の傾きを変えて、唇の形をたどるキス。

 

恐る恐るだったチャンミンにも勢いがついてきた。

 

唇も顔も閉じ込めるかのように、ユノの両頬を手で包み込んだ。

 

(チャンミンのキス...不器用だけど...いい感じ)

 

わずかに開けた唇の隙間を通して、二人の舌が触れ合った。

 

「!!」

 

とっさにチャンミンは舌をひっこめたが、ユノの熱い手が、チャンミンのうなじにかかって、ぐいっと引き寄せた。

 

「!!」

 

ユノの熱い舌がそっと忍び込んできて、躊躇していたチャンミンもそっと伸ばす。

 

(柔らかい...。

そして、気持ちいい...)

 

いったん唇を離し、顔の傾きを逆にして口づける。

 

さっきより深く。

 

ユノの舌がチャンミンのそれに絡んだとき、チャンミンは自身の中に火がついたのがはっきりと分かった。

 

チャンミンもユノに応えて、彼の中に舌を忍ばせる。

 

知らず知らずのうちに、ユノの頬を挟む手に力がこもった時、

 

(マズイ!

これ以上はマズイ!)

 

下半身の疼きに気付いたチャンミンは、内心焦りだした。

 

頬を包んだ手を、胸に、腰にと滑らしていきたくなった。

 

(...するわけには、いかない...)

 

と、首に巻き付けられたユノの腕がゆるみ、同時に2人の唇が離れた。

 

「ふう...」

 

チャンミンは尻もちをつくように座り込んだ。

 

(ドキドキする。

この感覚は、一体なんなんだ!)

 

ユノに負けないくらい、全身が熱かった。

 

胸に当てた手の平の下で、鼓動が早い。

 

「一緒に寝るか?」

 

ユノはポンポンと、マットレスを叩いた。

 

「えっ!?」

 

思いがけず大きな声が出してしまったことに、チャンミンは驚く。

 

「それとも、うちに帰って寝るのか?」

 

「いやっ、それは...」

 

「寝るだけだろうが。

まさか...チャンミン!

俺とどうこうしようって、考えてたのか?」

 

(どうこうするつもりはなくても、抑えられるかどうか...自信がない)

 

「そばにいて、朝まで」

 

ユノの言葉に一瞬固まったチャンミンだったが、素直に「うん」と頷いた。

 

顔を赤くしたチャンミンは、

 

「失礼します」と言うと、そろそろとユノの隣に横たわった。

 

「!!」

 

(おいおいおいおい!

冗談で言ったのに、本気にしたのか!?)

 

ギョッとしたユノは、触れ合わんばかりに接近したチャンミンを横目で見る。

 

(忘れてた。

チャンミンには冗談が通じないんだった!)

 

「......」

「......」

 

(熱が出てしんどいどころじゃなくなった。

もっと熱が出そう!)

 

(ユノのお世話をする僕が、ユノのベッドに寝てどうするんだ!)

 

いろいろあった1日だった。

 

 

(病院へ行った。

 

ユノとカイ君が一緒にいるところを見て、不快になった。

 

ポンプ室でユノと閉じ込められた。

 

震えるユノを抱きしめた。

 

家に帰って、自分の気持ちを振り返ってみた。

 

その時、自分の気持ちの答えが見つかった。

 

ユノの顔が見たくなって、居ても立っても居られなくなって彼の家を訪ねた。

 

ユノの足の秘密を知った。

 

初めて涙というものを流した。

 

それから...それから...)

 

 

「ユノ...」

 

「ううーん...?」

 

丸まったユノの背中に向けて、チャンミンは言葉を紡ぐ。

 

「僕がここに来たのは、ユノに話があったからなんだ。

その話っていうのは...」

 

チャンミンは深呼吸して、続きの言葉を紡ぐ。

 

「伝えたいことがあって、ここに来たんだ。

あの...。

僕は...」

 

「......」

 

「僕はユノが好きです。

好き、です」

 

「......」

 

「ユノ?

聞こえた?

僕はユノのことが、好きです」

 

 

(つづく)

 

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(56)時の糸

 

 

チャンミンの顔は切なげに歪んでいた。

 

ユノの上唇に触れる指は、優しい弾力で押し返されて、熱い吐息で湿り気を帯びてきた。

 

チャンミンの喉がごくりと鳴り、その指を引っ込めてこぶしを握る。

 

熱のせいで目の縁も赤く色づかせて、伏せたまつ毛が扇状に広がっている。

 

(ユノの顔って...綺麗なんだな)

 

美醜に無頓着だったチャンミンが、ユノの外貌が整っていることに初めて気づいた瞬間だった。

 

チャンミンはマットレスに片頬をつけて、ユノの顔の向きに合わせた。

 

寝ぐせだらけのユノの髪を指ですいてやる。

 

数日前、ユノに寝ぐせをからかわれたことを思い出した。

 

チャンミンの指は耳のラインにたどり、ピアスホールの開いた耳たぶを柔くつまんだ。

 

(柔らかい...)

 

数日前、ピアスを付けたユノの耳に触れたことを思い出していた。

 

手の甲で頬を撫ぜた。

 

(熱い...苦しそうだ)

 

ユノの首筋まで滑らすと、手の甲にドクドクいう脈動が感じられた。

 

チャンミンの脈拍も早かった。

 

(ユノに...キスしたい...)

 

下腹部を押えたチャンミンは身体を起こすと、眠るユノを見下ろしていた。

 

(濡らしたタオルで首を冷やしてやったら、少しは楽になるよな)

 

玄関に向かって左のドアが洗面所で、人感センサーで照明がついた。

 

棚にはバスタオルが2枚、タオルが数枚だけ。

 

洗濯洗剤のボトルが1本、持ち上げると軽い。

 

歯ブラシと残り少ない歯磨き粉。

 

チャンミンの口元が緩んだ。

 

(そんなことだろうと思ってたんだ)

 

買い物袋を置いたベッド脇にとって引き返し、目当ての物を持って戻ると、青りんご味の歯磨き粉、シトラスの香りの洗濯洗剤、マゼンタ色の歯ブラシを棚に置いた。

 

(ユノの部屋にマーキングしているみたいだな。

何やってんだ、僕)

 

チャンミンはタオルを1枚取ると、洗面器を探す。

 

洗面台下の戸棚を開け、中を覗き込んだ。

 

(あった!)

 

伏せられた洗面器を手に立ち上がろうとした時、チャンミンの視界をかすめたものがあった。

 

「ひっ...!」

 

勢いよく引っ込めた手から洗面器がカラーンと音を立てて、床に転げ落ちた。

 

洗面台脇に置かれたバスケットの中に、人の足が...くるぶしから下の部分があった。

 

チャンミンはたっぷり1分間、それを凝視していた。

 

唾を飲み込んで、もっと近くで見られるようにバスケット脇にしゃがんだ。

 

(...義足、か。

よく出来ている)

 

皮膚に透けた血管や、肌の赤みのむら感や、薄ピンクの爪。

 

両手でそっと持ち上げた。

 

肌に吸い付くような、柔らかさと弾力も感じられた。

 

(ユノの...。

ユノがいつも、編み上げブーツを履いているのも、これのせいだったのか。

事故か何かかな...?)

 

チャンミンは宝物を扱うかのように、そっと元あった場所に戻した。

 

洗面器を拾い上げると、脱衣所のドアを閉めた。

 

(見てはいけないものを見てしまったのかな。

ユノの「帰れ」に抵抗して居座ってる僕だけど、彼にとって本当に迷惑だったのかもしれない。

僕には人の言葉の真意がはかれない。

無神経なことを、いっぱい口にしていたんだろうな)

 

チャンミンはユノが臥せっているベッドを見つめながら、そう思った。

 

水を張った洗面器に残りの氷を全部あけたものを、ベッドサイドへ運んだ。

 

躊躇していたチャンミンの手が、掛布団に伸びる。

 

めくった布団の下から、ユノのむき出しの脚があらわれた。

 

(ユノ、ごめん...。

僕は今、とても失礼なことをしている)

 

膝の位置で丸まっていた毛布を引っ張って、ユノの左足とくるぶしから先を失った右足をくるんでやった。

 

(あれ...おかしいな)

 

いつの間に浮かんだ涙を、チャンミンは袖で拭う。

 

熱にあえぐユノの姿と、彼が抱える秘密を目にして、チャンミンの胸が締め付けられるように痛んだのだった。

 

(これは...涙?

どうして僕は、泣いているんだ?)

 

拭った後から次々と溢れてくる涙の理由が、チャンミンには分からない。

 

頬をつたう涙はそのままに、チャンミンはベッド脇にひざまずく。

 

キンキンに冷えた水にタオルを浸して、ゆるく絞った。

 

両手で広げたタオルでユノのあごを包むと、ユノからため息が漏れた。

 

「気持ちいい?」

 

うっすらと目を開けたユノの目が、真上から見下ろすチャンミンに驚き、大きく丸くなった。

 

「チャンミン...まだ帰ってなかったの?」

 

「帰って欲しかった?」

 

(チャンミンのバカ。

弱っている姿なんて見せたくなかったのに。

そんなに優しくしないでよ、慣れていなんだから)

 

ユノが首を横に振ったのに満足したチャンミンは、濡れたタオルでユノの耳の下を冷やす。

 

「気持ちいい?」

 

「うん」

 

ユノの手が、タオルに添えられたチャンミンに重ねられた。

 

「チャンミン...ありがとな」

 

「......」

 

(駄目だ...我慢できない)

 

「ユノ...あの...。

こんな時に、駄目だってことは分かってる。

ユノの体調が優れないときに...こんなこと。

でも...」

 

「おい!

こっちは頭が朦朧としてるんだ。

言いたいことがあるなら、はっきり、端的に言え!」

 

チャンミンは深呼吸をする。

 

「...キス、してもいい?」

 

「!!」

 

(キ、キス!?)

 

「...しても、いい?」

 

 

(つづく)

 

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(55)時の糸

 

 

 

(うっ...)

 

第三ボタンまで開いたユノのパジャマの胸元から、チャンミンは目をそらした。

 

(目の毒だ。

ボタンを閉めないと...)

 

「...ったく」

 

チャンミンはユノの胸元に伸ばしかけた手を、瞬時に引っ込めた。

 

(いかにもユノらしいことを、しないで欲しい)

 

パジャマのボタンが1段ずつずれている。

 

(ボタンをかけ直してやるのは...僕には...できない)

 

「布団をかけろって、寒い!」

 

「ごめん!」

 

寝返りを打ってしまったユノの背中に、チャンミンは声をかける。

 

「どうして欲しい?」

 

「......」

 

「食べられるものはある?」

 

「......」

 

「プリンとゼリーと、どっちがいい?」

 

「チャンミン、帰れ」

 

ユノは右足首の先が気になって仕方がない。

 

「嫌だ」

 

「チャンミンのくせに生意気だぞ」

 

「ははっ。

この前のお返しだから。

ユノの要望にだいたい応えられるよう、いろいろ用意してきたんだ。

何でもあるよ。

で、何が欲しい?」

 

「ラーメン」

 

「ラーメンは...ない」

 

「冗談に決まっているだろ?

ラーメンなんか食べられるわけないだろうが」

 

「そうだ!

ユノ、熱を測ろう!

体温計も用意してあるんだ」

 

チャンミンはキッチンカウンターから、買い物袋ごと持ってベッドに戻ってきた。

 

「ほら、脇に挟んで」

 

「うーん...チャンミンがやって」

 

「え!?」

 

「チャンミンにできるわけないよなぁ。

貸して、自分でやる」

 

「薬にアレルギーはないよね?

熱冷ましの薬を飲もうか?」

 

ギュッと目をつむったユノは、こくんと頷いた。

 

「水がいるね」

 

キッチンカウンター下の扉をバタバタ開けて、ようやくグラスを探し出し、水道の水を汲んでユノの元へ戻る。

 

「はい、薬だよ。

身体をちょっとだけ起こせる?」

 

「...無理。

口移しで飲ませて」

 

「えっ!?」

 

「冗談だよ」

 

(具合が悪いくせに!

そうそう氷枕!)

 

冷凍庫の中を見て「やっぱり」とつぶやくと、買ってきたばかりの氷をボウルに出す。

 

(ユノの冷蔵庫の製氷皿は空っぽだろうと、予想した通りだった)

 

「頭を上げるよ」

 

シャラシャラと氷がぶつかる音をさせるゴム製の枕に、ユノの頭を乗せる。

 

「このままじゃ冷たいよね。

タオルを巻こうか。

洗面所は...?」

 

「タオルはいらん」

 

チャンミンの手首をユノの熱い手がつかまえた。

 

(洗面所に行ってもらったら困るんだ)

 

「わかったよ。

体温計を渡して。

うーん、38.5℃か。

これは辛いね」

 

(チャンミンが、優しいよぉ。

...ぐすん)

 

チャンミンの声音が優しくて、看病する手がぎこちなくて、朦朧とした頭であっても泣きそうに感動していた。

 

チャンミンは床に腰を下ろすと、ベッドにもたれた。

 

「用があったら、僕を呼びなよ」

 

「俺のことはいいから、早く帰れ」

 

「嫌だ」

 

「もう欲しいものはない。

来てくれて、ありがとうな。

寝れば治る。

バイバイ。

帰りな、チャンミン」

 

「僕はユノの看病をするって決めたんだ。

だから、帰らない」

 

「......」

 

ユノはチャンミンの方へと寝返りをうった。

 

横になったユノから見えるのは、チャンミンの後頭部。

 

膝の上に置いたタブレットが放つ青白い光が、チャンミンの顔を照らしていた。

 

「チャンミン...一緒に寝るか?」

 

「え?」

 

振り向くと、熱のせいでうっとりとした表情のユノがこちらを見ていた。

 

「俺と一緒に寝るか?

ここに」

 

「......」

 

「こら。

何を想像してた?

顔が赤いぞ、チャンミン」

 

「ユノの方こそ、真っ赤っかだよ」

 

「熱があるんだから、当然だろうが」

 

「熱があるなら、大人しくしてろ!」

 

「してるじゃんか...。

チャンミンがうるさいんだよ...。

...帰れって言ったのに...」

 

そこまで言うと、ユノは眠りについた。

 

ふうっとチャンミンはため息をついた。

 

ベッドにあごをのせると、目の高さにユノの寝顔があった。

 

眉間にしわを寄せて苦しそうで、ユノの熱い息が感じられるほどその距離は近かった。

 

チャンミンは人差し指でユノの眉間のしわをのばした。

 

閉じたまぶたに、その指を移した。

 

指の下で、まぶたがふるふると震えている。

 

小さな鼻先まで指を滑らす。

 

苦しいのか軽く開いた上唇に、チャンミンの震える指先が触れた。

 

熱い息がかかる。

 

チャンミンの心臓は早鐘のように、速く強く打っていた。

 

 

(つづく)

 

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(54)時の糸

 

 

「寒い...寒い...」

 

ユノは布団にくるまって震えていた。

 

(悪い予感的中。

真冬の滝行で、熱を出しても当然のこと、か)

 

何か温かいものを口にしたかったが、悪寒と高熱でキッチンに立つことさえしんどかった。

 

(喉が渇いた...しかし...冷蔵庫が...遠い。

俺はこのまま死んじゃうのかな。

これだから独り身は辛い。

Sを呼び出そうかな...駄目か...。

旦那とよろしくやってることだろうよ。

それに、チャンミンとのことをあれこれ質問攻めされるのは辛い)

 

うだる頭で悶々としていると、枕もとに外しておいたリストバンドが振動した。

 

気怠い手を伸ばしてスピーカーフォンに切り替えた。

 

「はいはい」

 

『ユノ?』

 

(この声は...チャンミン!?)

 

「はいはい。

どうした?

おりこうさんしてるか?

腹減ったのか?

ちゃんとご飯食べるんだよ。

あのな、俺は死にそうだから、あんたの相手はしてあげられないの。

じゃあな」

 

ユノは抑揚つけずに一気に話すと、通話を打ち切ろうとした。

 

『死にそうって、どういうことだよ!』

 

チャンミンの大声に驚いて、ユノは枕に沈めていた頭を起こした。

 

「うーん...風邪ひいたっぽいんだ。

だからごめんな、もう寝かせて」

 

通話終了ボタンを押そうとしたら、

 

『部屋は何号室?』

 

「は?」

 

『部屋の番号を教えて』

 

(うるさいなぁ)

 

「なんで?」

 

『いいから、早く教えろ!』

 

チャンミンの剣幕に押されて、ユノは部屋番号を伝える。

 

『今、ユノのマンションの下にいるんだ。

エントランスのドアを開けて!』

 

(マンションの下に、チャンミンが来てる?)

 

「わ、わかった」

 

(家に帰ったんじゃないのかよ。

なんでチャンミンがここに来てるんだよ。

うー...キツイ...)

 

熱で朦朧としているユノは、これ以上の思考は断念した。

 

数分後ドアチャイムが鳴ったが、ユノには玄関先まで立ち上がれない。

 

(ここまで来やがった。

今はチャンミンの相手をしてやれないんだよ。

無視していれば、そのうち帰るだろう...)

 

執拗なチャイム音に、ユノは布団を頭までかぶった。

 

(しっつこいなぁ!)

 

痺れをきらしたチャンミンから、電話がかかってきた。

 

『ユノ!

早くドアを開けろ!』

 

「るさいなぁ」

 

ユノはリストバンドを操作して、玄関ドアを開錠させた。

 

「開けたから、勝手に入っておいで」

 

ユノはそれだけ言うと、通話を切ってかたつむりのように身体を丸めた。

 

(具合が悪すぎて、面倒くさいチャンミンの相手なんかできないんだよ、今の俺は!

それにしても寒い!)

 

 

 

 

ドア脇のランプが緑に変わったのを確認すると、急く気持ちを抑えながらチャンミンはユノの部屋に足を踏み入れた。

 

(ユノの部屋を訪ねるのは、初めてだ。

緊張する)

 

「おじゃまします」

 

小声でつぶやくと、照明がしぼられた奥の部屋へ進む。

 

(意外だな)

 

ユノの部屋は、がらんと何もなかった。

 

ごちゃごちゃと物にあふれて散らかった部屋を想像していたのが、予想が外れた。

 

広いワンルームの一番端にベッドがあって、布団がこんもりと膨らんでいる。

 

チャンミンは買ってきたものをキッチンカウンターに置いて、ベッドまで近づいた。

 

ベッドの端に腰を下ろし、頭の先まで布団をかぶっているユノを見下ろす。

 

「ユノ?」

 

布団をそっとめくると、ユノが真っ赤な顔をして臥せっていた。

 

「辛いのか?」

うっすらとユノは目を開けた。

「寒い。

布団をかけて」

ユノの額に手を当てると、案の定とても熱い。

「病院で診てもらおうか?」

「病院は、嫌い。

明日の朝まで様子をみる」

「僕の時は、無理やり連れて行ったじゃないか」

「あんたはあんた。

俺は俺」

「なんだよ、それ...。

担いででも、連れていくよ」

ユノは布団に隠れた右足首の状態を思い出して青ざめた。

外したままの補助具は、洗面所に置いたままだ。

(チャンミンにバレないようにしなくては!)

ユノの両脇に手を差し込まれた途端、「離せ!やめろ!」と大暴れした。

「ユノ!

大人しくしろ!」

「このまま寝かせてぇ」

(布団から出るわけにはいかないのだ)

チャンミンは、起こしかけたユノのほかほかに熱い身体をそっとベッドに戻した。

(ユノ...パジャマ)

パジャマ姿のユノは、髪を乾かさないまま寝たせいか、短い髪が盛大にはねている。

熱のせいで潤んだ瞳が不謹慎ながらも、色っぽいと感じたチャンミン。

(う...。

お腹の底がうずうずする...)

チャンミンは立ち上がると、頭をがしがしかきむしりながら、キッチンカウンターに置いた買い物袋の中を漁り出した。

そして、取り出した冷却シートを、ユノの額に貼ってやった。

(つづく)

 

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