(14)時の糸

 

 

「おはよう、ユノ」

出勤してきたユノが資料室のドアを開けると、Tがヘラでボウルの中身をかき混ぜている。

「Tさん、早いですねー」

ユノはロッカーから、仕事用のジャケットに羽織る。

​​

普段、始業時間の1時間前には出社しているユノ。

自分より早く、他のスタッフが出勤しているのは珍しい。

「昨日は大わらわだったからね。

3時間のロスを取り戻しているんだよ」

植栽エリアの地下にある排水パイプが詰まり、大量の水が逆流したトラブルのことだ。

「大変でしたよね、昨日は...ふわぁぁ」

ユノが大あくびをすると、Tはぷっと噴き出す。

「寝不足?」

「ちょっとだけ」

​「目が充血してるよ」

おとといの夜は病院でチャンミンに一晩付き添い、昨夜は興奮し過ぎで寝付けず、ユノは睡眠不足だった。

「濃いコーヒーを飲んできま...ふぁぁぁ」

​「ははは。僕もこれが終わったら、一杯もらおうかな」

「はあい」

Tは、バッドに据えられたシリコン製の型に、ボウルで混ぜていた粘性の高い液体を注ぎ込む。

植栽場で採取された種子を、アクリル樹脂で封じる作業。

アクリル樹脂に閉じ込められた種子は、数十年、数百年後に取り出され芽吹くだろう。

時を閉じ込じこめる作業だ。

空気が入らないよう慎重にボウルを傾けるTを後に、ユノは廊下へ出た。

(眠い...眠い...眠すぎる...)

ユノは首を回しながら、電気ポットのある事務所へ向かった。

築100年を超える老朽化はなはだしいこの建物は経費の都合上、備品もクラシカルだ。

(おっと!)

デスクで頬づえをついているチャンミンがいた。

(チャンミン!)

顔がほてるのがわかる。

 

チャンミンも昨夜なかなか寝付けず、悶々として朝を迎え、職場が開錠する時刻になるや出社してきたのであった。

ぼんやりと無心でいるのは、いつものごとくのチャンミンだったが、胸の辺りがざわざわとして、落ち着かない。

ゆったりと落ち着いているように見えたとしても、実際はチャンミンの心臓は高まっていった。

つまり、チャンミンはユノが出勤してくるのを、「待っていた」のだ。

(緊張するなぁ。

​まず「おはよう」と挨拶して...次に何話そうかなぁ)

一方、不意打ちのチャンミン登場で、ユノの眠気はあっという間に消えてしまった。

「おはよ、チャンミン!」

何気なさを装ってユノは、元気よくチャンミンに声をかけた。

「......」

チャンミンは、気づかない。

(無視かよ!)

肩すかしをくらってムッとしたユノは、ガチャガチャと乱暴にカップを用意し始める。

(いつものチャンミンに戻っちゃってる。

​なんだよ~、意識してるのは俺だけかよ)

ユノはインスタントコーヒーにを自分のマグカップにスプーン3杯入れ、T用に2杯、チャンミンの方を振り返って、

(しゃあないな。

優しいユノさんだから)

と、チャンミン用に7杯入れ、ポットからお湯を注いだ。

(くくく、とんでもなく、苦いやつを作ってやったぞ)

小さないたずらにユノはニヤニヤしながら、

「チャンミン、はいどうぞ」

​ぼ~っとしているチャンミンのデスクに、マグカップを置いた。

チャンミンは目の前のマグカップを見、それから振り仰いでユノを認めると、

 

​「!」

 

チャンミンの表情は気の抜けたものから、硬直したものに変わった。

(おい、なぜ顔が固まるんだよ)

「おは...よう、ございます」

(やっぱりいつものチャンミンに戻っちゃってる)

内心がっかりするユノだった。

「あれ?」

チャンミンの後頭部の髪がひと房、カーブを描いて突っ立っている。

(珍しい。

毎日、ビシッときめてくるのにさ)

「チャンミン、はねてるよ」

「?」

ユノは自身の頭の後ろを指さすが、彼には意味がわからないようだ。

(飛び跳ねる?)

「ほらぁ、そこ、そこだよ」

​「え?」

チャンミンの頭を指さすと、彼は後ろを振り返る。

「しょうがないやつだなぁ」

ユノはチャンミンの後ろにまわって、彼のツンとはねた髪に触れる。

「!」

ユノに触れられて、ビクッとするチャンミン。

「怯えんでもいいやないの」

彼の髪を撫でつけながら、ユノは彼の後頭部をまじまじと観察してしまう。

(お!

チャンミンのつむじ、可愛い)

チャンミンは、ユノに触れられた頭から背筋まで、ゾクっとしたしびれを感じていた。

(あ...!)

鳥肌がたっている自分に気づく。

(まただ...。

僕はユノのスキンシップに弱い)

ユノはチャンミンの髪をツンツンと引っ張る。

​「痛っ」

 

「宇宙からの信号を受信しとるんか、お前は?」

ユノがチャンミンの頭を、ふざけてぐいぐい押さえつけているうち、チャンミンもだんだん可笑しくなってきた。

「電波妨害してやる!

これでどうだ!」

調子にのったユノは、チャンミンの頭をつかんで、前後に揺する

「やめろよ。

首の骨が折れる」

チャンミンはすっかり楽しくなって、大げさに首をすくめてみせる。

「ユノは、怪力だから」

「なんだとー!」

​「アハハハ」

(ユノと一緒にいると楽しい)

(チャンミンが笑ってる!)

​ユノは初めてチャンミンの笑い声を聞いた。

ますます楽しくなってきた二人。

「せっかくだから、全部ボサボサにしてやる!」​​

「やめろって」

「朝から元気だね」

​「わ!」

「!!!」

 

事務所入り口の方からの声にチャンミンとユノは同時に振り返った。

(つづく)

 

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(13)時の糸

 

 

~ユノ~

 

 

(どうにかなりそう!)

 

火が出そうに顔が熱い。

 

俺の心臓はバクバク、喉から飛び出しそうだった。

チャンミンのマンションを出た途端、どっと疲れが出た。

涼しい顔を保つのも、ここまでが限界。

あまりに恥ずかしくって、恥ずかしがってるとこを見られたくなくて、平静を装ってみたけど、まぢでキツかった。

俺の馬鹿!

​あんな醜態をさらすなんて!

​自宅への道を、大股で歩いた。

いくら死ぬほど心配だからって、不法侵入した上に、だ、抱きついてしまうなんて!

おまけに、泣くなんて!

いい年した大人が何やってんだ。

しゃがんだ膝に顔を伏せた。

「落ち着け~」

いつの間にか、息が荒くなってた。

興奮してんじゃねーぞー。

​​

自分に正直になろう。

チャンミンの裸をバッチリ見ちゃった。

バッチリ記憶に焼き付いているんだから。

ぐふふふふ。

顔がニヤついてしまう。

でもなぁ...。

全裸の男が、魅力的な男に抱き付かれたりなんかしたらさ。

 

欲望にボッと火がつき、彼を押し倒す...。

 

​ってのが、普通だろが!

全くそんな気配の、けの字もなかったし...。

待て待て、俺は何考えてんだ!

俺は男にドキドキする質だけど、チャンミンの性癖は知らん。

 

男に抱きつかれたりしたら普通、ドン引きするよなぁ。

それに、エロい雰囲気になるのをぶち壊したのは俺だったし、大泣きしちゃってたからなぁ。

バスルームの床に伸びてるチャンミンを予想してたから、洗面台の前に立っている彼を見てまずビックリ。

さらに、全裸でビックリ。

驚愕過ぎて、一瞬頭の中が真っ白になっているにも関わらず、チャンミンの全身を舐めるように観察してしまったし。

サンキュー、チャンミン。

いやぁ、いいモン見させてもらった。

ひょろっと縦に長いから、薄っぺらくて、なよっとしてるかと予想していた。

 

ところがどっこい、いい意味で予想を裏切ってくれたぞ、チャンミン。

めちゃくちゃ鍛えてるじゃないの。

静的で大人しいのに、ジムに通い詰めてんのかな?

ギャップ萌え。

抱きついたときの胸、背中、お腹の堅い筋肉具合といったら。

ごちそうさまです、存分に堪能させてもらいました。

欲求不満たっぷりの三十路男の妄想。

おいおい、俺は乙女か!

ここで、一応言い訳。

チャンミンが無事と分かって、腰が抜けるくらいホッとした。

膨らませに膨らませた悪い予想が裏切られて、ケロッとしているチャンミンを見て、彼に対しても、自分に対しても腹が立ったし。

目をまん丸にして、あの驚いた顔があまりにも可愛らしくて。

そんないろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、チャンミンに突進してしまった。

昨夜、チャンミンがずぶ濡れの子犬みたいに弱ってて、俺に抵抗できずに結局言いなりになってて。

可愛いんだもの。

日頃のむっつりした彼を見ているから、ギャップ萌えだな、やっぱり。

きっと頭のネジはゆるんで、どこか彼方、宇宙まで飛んでいってしまったに違いない。

俺は知らぬ間に、彼にやられてしまったらしい。

俺は、チャンミンに「男」を感じてしまった。

 

俺も男だけどね。

まずいなぁ。

今回のハプニングでうっかり油断してたら、こうなるんだもの。

チャンミンは、単なる...単なる...?

好きなったりしたら、面倒なことになるのに!

 

 

 

 

​リストバンドが、メッセージ着信を震えて知らせる。

送信元は確認しなくても、分かってる。

 

俺は大きく舌打ちをしてつぶやいた。

 

「このタイミングに、これだもの」

​俺はタクシーを呼ぶと、自宅へ向かっていた足をUターンさせて大通りへ出た。

 

 

(つづく)

 

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(12)時の糸

 

 

~チャンミン~

 

「俺もいっただきまーす」

ユノは、もう一つの袋から続々と食べ物を取り出し始めた。

「えっ...これ全部ユノが食べるの?」

ユノの体型を見、ずらり並んだ食べ物を見、絶句してしまった。

「馬鹿もん!

んな訳ないだろ!

いろんな種類があって迷ったから、全種類買ってみたまでのことよ」

最後に缶入りのカクテルが出てきた。

「おっと、お前は飲んじゃいかんよ、風邪なんだから」

ユノは手を伸ばす僕の手を、ピシャリと叩いた。

「痛いよ、ユノ」

僕はがっかりして、ストロベリーヨーグルトを選ぶ。

 

仕方なさそうにヨーグルトを食べる僕を見て、

​「余った分は、明日のチャンミンの朝食だ」

「えー、残り物...」

「ままま、拗ねなさんな。

あー、うまい!」

ユノは唐揚げをかじって、カクテルで流し込んでと、美味しそうに消費していく。

​知らず知らず、ごくごくと飲むユノの白い喉から目が離せない。

「チャンミン」

ユノが僕から目をそらし、ヨーグルトをすくう僕のスプーンを見つめている。

「はい」

「さっきはごめんね。

その~、ブツを見ちゃって」

「うっ」

僕は30分前のハプニングを思い出して、一瞬でカーっと顔が熱くなる。

今度は、真面目な表情で僕を見た。

​「でも、見てないからな!」

「最初に『見た』って言ったじゃないか」

(こっぱずかしい姿を見られて...あぁ、あの時を消し去りたい)

​「だーかーらー、見たけど、見なかったことにしてやる、ってことよ」

(どうして、ユノはケロッと涼しい顔でいられるんだよ?)

ユノはカクテルを飲み終えて、ゼリー飲料のキャップを開けている。

「俺に記録されたメモリを消去してやった、って意味だよ」

​「意味わかんないよ」

「照れるな照れるな。

可愛いやつだなぁ、チャンミン」

​ユノはニヤニヤ笑っている。

「女の前で裸になるのなんて、何度もあるくせ...」

と言いかけて、ユノはパッと手で口を押さえた。

「おっ、もうこんな時間だ!」

​ユノはリストバンドを見て、勢いよく立ち上がると、

「そろそろ帰るね。

​ちゃんと薬飲んで、おりこうさんしてるんだぞ」

バッグを持って玄関の方へスタスタ行ってしまう。

​その間、僕は何も言えず、(多分)真っ赤な顔をして、床に座ったままだった。

「チャンミン」

玄関へ向かう廊下の角から、ユノは顔を出した。

「何?」

​「データがうまく消去できなくて、思い出すこともあるかも、ぐふふ」

「ちょっ、ユノ!」

わっはっはと笑いながら、「おやすみぃ」と言い残してユノは帰ってしまった。

(なんだよ、からかって)

​僕は頭を抱えて、髪をぐちゃぐちゃ混ぜる。

「はぁ...」

 

まったく、ため息ばかりついてる一日だった。

ハプニング続きで、頭がついていけないよ。

​はたと、大事なことを3つ思い出した。

その1

ユノにお礼を言うこと。

その2

ユノはどうやって、僕の部屋に入れたのか追及すること。

その3

​ユノから借りたマフラーを返すこと。

 

 

(つづく)

 

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(11)時の糸

 

 

~チャンミン~

「えっと...」

行き場を失った、僕の両手。

「えーっとね、ユノ?」

僕の背中に回された、ユノの両手を意識する。

ゆうべのようにひんやりとした手じゃない。

汗ばんで、熱い熱い手だった。

僕の喉はからからだった。

(参ったなぁ)

ユノは、僕の胸に顔を押し付けたまま、低い声でつぶやいている。

「...心配したんだから」

「あのさ、ユノ?」

「......」

ユノは僕の胸に頭を押し付けたまま動かない。

ユノに驚かされて、現状把握できずにいたけど...。

この状況は、かなり...かなり...恥ずかしい...。

僕はなんて格好をしてるんだ。

ユノの涙も止まったみたいだ。

 

「あのね、ユノ?」

「......」

 

「あのね」

 

僕は出来るだけ優しい声を意識して、ユノに話しかけた。

「僕...パンツを履いても...いいかな?」

「!」

ぴたっと、ユノの動きが止まった。

僕は、じっと彼の動きを見守っていた。

ユノは、そうっと腕をといた。

小さな声で「失礼しました」と言うと、ロボットのように回れ右をして、バスルームを出て行ったのであった。

(えっ?)

「はぁ...」

僕は深く深く、ため息をついた。

(びっくりしたー)

今日の僕はため息をついてばっかりだ。

​急展開過ぎて、追いつかないよ...。

湯上りだった身体も、すっかり冷えてしまった。

脇の下にひどく汗をかいていたようだ。

僕は下着をつけ、黒いスウェットパンツとTシャツを身に着けると、ユノを追った。

ユノの想像力が、ずいぶんとたくましいことを、ひとつ学習した僕だった。

 

 

 

 

「さあさあ、たんと召し上がれ」

 

ユノはビニール袋からどんどん取り出す。

 

ダイニングテーブルじゃなくて、ここがいいとユノが言うから、床に座って彼からの差し入れを食べることにした。

 

僕はあぐらをかいて、ユノと対面して座る。

 

「ねぇ、ユノ...。

セレクトが妙というか、変わってるというか、偏っているというか...」

 

「えっ?

どこが?」

 

ユノも床の上に胡坐をかいて座り込み、グラスにスポーツドリンクを注いで僕に手渡した。

 

「飽きたらいかんと思って、バリエーション豊かにしてみたんよ」

 

ゼリー飲料レモン味、ゼリー飲料マスカット味、ゼリー飲料ライチ味、ゼリー飲料アップル味。

 

(おいおい)

 

プレーンヨーグルト、ストロベリーヨーグルト、ブルーベリーヨーグルト、アロエヨーグルト、オレンジゼリー、ピーチゼリー、マスカットゼリー、アップルゼリー、コーヒーゼリー...各3個。

 

(おいおいおい)

 

「こいつら液体だからさ、めっちゃ重いのなんのって」

 

コラーゲンドリンク、プロテインドリンク、滋養強壮タウリン3000mgドリンク、ビタミンドリンク、マムシドリンク...。

 

(おいおいおいおい!)

 

「お前は風邪っぴきだろ?

冷たくてさっぱりしてて、消化がよくて、身体への吸収がよくて。

ビタミンが摂れるっていえば、これらしかないでしょ?

ユノさんの心遣いに、涙がでちゃうね、チャンミン?」

 

さっき大泣きしていたユノは、真っ赤に充血した目を三日月にしてにっこり笑った。

 

僕はどう反応したらよいかわからなかった。

 

嬉しさ反面、呆れていたし、ユノの極端なところに、どう反応したらよいかわからなかったのだ。

 

「......」

 

黙りこくっている僕の様子に、

 

「どうした、チャンミン?

頭が痛いのか、僕ちんは?」

 

ユノは僕の肩に手を添えて、僕の顔を覗き込んだ。

 

(まただ。

僕はこれに弱いみたいだ)

 

さっきの涙で目尻を赤く染め、目元がうんと幼い感じになっている。

 

「呆れてた」なんて言ったけど、実はじわじわと感激していた。

 

嬉しかった。

 

 

(つづく)

 

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(10)時の糸

 

 

~チャンミン~

 

 

髪だけ濡らすつもりだったけど、ついでだからと、シャワーを浴びることにした。

今日2回目のシャワーだ。

シャンプーボトルを手にして、しばし考える僕。

ごくごく普通の、どこででも買える安価なものだ。

ユノから香ったシトラスの香りを思い出す。

(あの香りは...シャンプー?

それとも香水だろうか?

いい匂いだったな...)

僕はシャンプーをたっぷり泡立てて、頭をごしごし洗った。

僕のシャンプーは、普通の石鹸の香り。

泡だらけの髪をすすいだ後、シャワールームを出た。

湯気で曇った鏡をタオルで拭くと、鏡に映る自分と目が合う。

髪はびしょ濡れで、上気した頬は熱いシャワーのおかげ。

(眉...目...鼻...口...)

顔のパーツをひとつひとつ、触れながら点検する。

こんなにまじまじと、自分の顔を観察するのは初めてだ。

​僕って、こんな顔してたっけ?

僕は29歳。

顔を右、左と向けてみる。

ごくごく普通の、顔。

両手を両頬に当てる。

29歳って、そこそこの年齢だよなぁ。

ん...?...29歳...?

 

途端、ぐらりと視界が回る奇妙な感覚に襲われた。

「あっ...」

シャンシャンと耳鳴りもする。

立ちくらみか?

視界がぐるりと回る。

洗面台に両手をついて、目をぎゅっと閉じて耐える。

はぁ...びっくりした。

1分後には、元に戻った。

何だったんだ、今のは?

 

「さてと」

​髪を乾かさないと。

​寝ぐせがついたら困るから。

壁にかけたドライヤーを手に取りコードをコンセントに刺す。

「ん?」

僕の背後の空気が、すぅっと動く感じがした。

 

 

 

悲鳴は同時だった。

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」

「うわあぁぁぁぁっ!」

 

 

僕は自分でも驚くほどの大声を出していた。

 

こんな大声を出したのは、生まれて初めてかもしれない。

 

目をまん丸にして、尻もちをついているのは...ユノじゃないか!

 

ユノの視線が、僕の顔からゆっくり下りていく。

 

僕はハッと気づいた。

 

「わっ!」

 

大急ぎで僕は、タオルで下を隠す。

 

ユノは僕に視線をロックオンしたまま、固まっている。

 

(見えた...よな?)

 

なんて間抜けな姿してるんだ、僕は。

 

尻もちをついた姿勢から、ゆっくりと立ち上がった。

 

(は、恥ずかしい...!)

 

ぐんぐんと全身が熱くなってきたのが分かる。

 

「あっちへ行って...」と言いかけたその時。

 

ドスンと、僕に突進してぶつかる衝撃。

 

「!」

 

ユノが僕に体当たりするかのように、抱きついてきたのだ。

 

ユノは僕の首を絞めんばかりに、腕を強く巻き付けている。

 

「えっ...」

 

濡れた僕の体に、ユノの乾いた洋服が押しつけられているのがわかる。

 

「あの...」

 

(困った、困ったぞ...)

 

さらにぎゅうっと、ユノの腕の力が増す。

 

「く...」

 

息ができない...。

 

「く、苦しい...」

 

僕のものを隠していたタオルがポトリと落ちる。

 

「......」

 

ユノは黙ったまま、僕にかじりついたままだ。

 

「ぼ...」

 

たまらなくなって、ユノの両肩を持って引きはがした。

 

「ぼ、僕を締め殺す気か!?」

 

え...?

 

驚いた。

 

僕に両肩をつかまれたままの、30センチの距離のユノが泣いていた。

 

泣きながら、僕を睨んでいる。

 

「ば、馬鹿者―!」

 

ユノが大きな声を出すから、驚いて僕は彼の肩をつかんだ手を離してしまった。

 

ユノの充血した目から、ボロボロと大粒の涙が落ちてきた。

 

「ユノさんに心配かけさせやがって...。

めちゃくちゃ、心配したんだぞー!」

 

「!!」

 

今度は、ユノは僕の胸にしがみついてきた。

 

えっ.....?

 

「うわーーん」

 

大泣きしだした。

 

「ホントに、心配したんだぞ!」

 

「......」

 

「もう、死んじゃったかと思ったんだぞ!」

 

「は?」

 

僕が、死ぬ...?

 

「えっ...と、僕はただ、シャワーを浴びていて」

 

ユノが何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。

 

どこでどう繋がると、僕が死んじゃうことになるんだ?

 

ユノの熱い涙が、僕の胸を濡らしている感触がよくわかる。

 

次から次へと、流れている。

 

一体全体、この状況はなんなんだ?

 

「お見舞いに来たのに、チャンミンは出てこないし...っく...。

倒れたままなんじゃないかと思って。

昨日、具合が悪かったし。

うっく...っく...。

だから、うちの中探し回ったのに...。

チャンミン、どこにもいないし。

ひっく...風呂場で死んでるんじゃないかと思って」

 

そういうことか...。

 

ずずーっと鼻をすする音。

 

きっと僕の胸は、ユノの涙と鼻水でベタベタだ。

 

僕の頬に、ユノのショートヘアがさわさわと触れている。

 

また、シトラスの香りがした。

 

参ったなぁ...。

 

なんだか...もう...たまらない気持ちになった。

 

 

(つづく)

 

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