(5)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「おはようございます、ユノさん」

コンロに向かっていたチャンミンは、起床してきた俺にきづいて振り向いた。

「!」

昨日から我が家に滞在していることを忘れていた。

目が覚めた。

「おはよう」

彼女はTシャツワンピース姿で、肩まであるくせ毛はシュシュでまとめられている。

メイド服は似合わないとは言わないけれど、個人的に言うと今のようなリラックスした恰好が好きだ。

(!)

ここで、俺はあることに気付いてしまった。

彼女のワンピースから慌てて目を反らすしかなかった。

挙動不審な俺に対し、彼女は「この服...変ですか?」と不安そうに眉を下げた。

「いやっ!

変じゃないよ」

(変じゃないけど!

全然変じゃないけど!)

薄い生地ごしにつん、つんと2つの突起物が浮き出ている。

(乳〇が透けてる。

『君はブラをしないんだ?』...なんて本人には絶対に言えない)

「こっちで暮らす時用に買ったワンピースです。

ちょっと丈は短いですけど」

彼女は俺の前でくるりと回って見せた。

膝上丈のカットソー生地がふわっと広がって彼女の白い太ももが露わになり、俺は再び目を反らすこととなった。

無駄な贅肉のない細い太ももだった。

ターンし終えた彼女は「ユノさんって...男の人なんですね」としみじみと感心したようにつぶやいた。

「どこが?」

「あらためて言われるようなところなんてあったっけ?」と首をひねる間もなく、彼女が何を指しているのか分かってしまった。

(しまった!)

俺はスウェットパンツをつまんで、腰をかがめた。

(油断していつものように起きてきてしまった!

男の朝の生理現象を見られたか!?)

「いえ。

そこじゃなくて」

「へ?

どこ?」

「ヒゲです。

泥棒さんみたいな顔になっています」

俺の顔を指さしくすくす笑う彼女に、仕返しのつもりでこう言った。

「そういうチャンミンちゃんこそ、髭面になってるよ」

「ひっ!」

彼女の顔が一瞬で凍り付いた。

「どうした?」

彼女は両手で顔を覆うと、俺に背を向けた。

「見ないでぇ!!」

「えっ?」

「恥ずかしいから、僕を見ないでください!」

「チャンミンちゃん?」

彼女が洗面所へ駆けていってしまった理由が分からず、俺はぽかんとその後ろ姿を見送るだけだった。

(どうしたんだ?

君に髭が生えるわけないじゃん。

...冗談がきつかったのかな)

焦げ臭い匂いが漂ってきた。

「卵!」

俺はコンロに飛びつき火を止めた。

調理が途中放棄されたフライパンの中身は、黒焦げになってしまった。

 

 

数分後、洗顔を済ませたチャンミンと朝食のテーブルについた。

メニューは珈琲とバタートースト、そして彼女が再チャレンジした卵料理だ。

彼女は「オムレツのはずが、炒り卵になっちゃいました」と申し訳無さそうに言った。

料理は...下手な方かもしれない。

俺は皿の上に乗った黄色いぐちゃぐちゃを見下ろした。

ひどい仕上がりだったとしても、誰かに用意してもらった朝食は久しぶりだった。

コンソメスープ(レトルトもの)のカップに口を付けかけたところで、

「Bさんは?

まだ寝ていらっしゃるんですよね?」

と訊ねられた。

「明後日まで帰ってこないんだって。

それに、Bは朝ごはんを食べない主義なんだよ」

と答え、次いで心の中で「体重管理に命をかけているからな」と付け足した。

今朝、枕もとで点滅するスマートフォンに「撮影旅行で3日程留守にする」と簡潔なメッセージが届いていた。

「そうですか...」

「Bのことはいいから、食べよう!」

「はい」

チャンミンがBの席に座っている。

1年前まで俺とBはほぼ毎日、こんな風にに向かい合って朝食をとっていた。

西欧の血が混じった美しい顔とパーフェクトな身体をもつBに、見惚れる気持ちをまだ持っていた頃のことだ。

 

 

あの頃は、Bの恋人が自分であることが自慢で幸せだった。

Bの仕事が忙しくなると帰りが遅くなったり、外泊する日が増えてきて、数日間顔を合わせない日が当たり前になってきた。

深夜にベッドに滑り込んできたBを後ろから抱きしめると、鬱陶しがって僕の腕を跳ねのけられる日もあったっけ。

かと思えば、ベッドサイドに置いた俺の携帯電話をチェックしていることもある。

褒められた行為じゃなかったとしても、ちゃんと俺のことが気になっているんだと、少しだけ嬉しかった。

B以外の女性と浮気なんてあり得ない。

Bの方が浮気をしているとか...?

まさか。

自分以外の男と浮気だなんて絶対にない、と根拠のない自信があった。

どんなに帰りが遅くなろうと外泊が続こうと、Bは必ず俺たちの部屋に帰ってきたから。

ここは俺とB、2人の家だった。

...しかし、今はどうなんだろう。

これまで俺はBの帰りを待ち続けてきた。

この部屋で1人を過ごす日を積み重ねていくと、それが当たり前になってくる。

実は俺は寂しかったんだろうな。

だから、Tからの依頼に渋々な様子を装いながらも承諾したんだ。

「Bが嫌がるのでは?」と一瞬迷ったし、Bが納得するように何て説明しようか頭を悩ませたけれど、結局はチャンミンちゃんを受け入れた。

この停滞した部屋に、新しい風を取り込みたかったのかもしれない。

 

 

「そうでした!」

お代わりの珈琲を飲んでいた時、チャンミンは胸の前でパチンと音を立てて手を合わせた。

「?」

「今日、実家から荷物が届くんです。

受け取りまで家で過ごしててよろしいですか?」

「いいに決まってるだろう。

俺の許可はいらないよ。

好きに使っていいから」

「ありがとうございます。

僕、早く仕事を見つけて住むところを見つけますね」

「慌てなくていいよ」

「そういうわけにはいきません。

早く出てゆきますから」

「いいんだ。

いくらでも居てていいからね。

大歓迎だ」

だなんて、余裕めいたことを言っているが、俺は未だ肝心なことを後回しにしている。

 

(つづく)

(4)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

深夜過ぎ、僕は喉の渇きで目を覚ました。

フローリングに直接敷いた布団のせいで、少し腰が痛かったこともある。

音を立てないよう引き戸を開けて、リビングをつま先立ちで通り抜けた。

就寝前、優しいユノさんは「何でも自由に使っていいよ」と声をかけてくれたのだ。

冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、流しに伏せてあったグラスに注いだ。

ユノさんの家は、全てのものがあるべきところにあってきちんとしている。

お風呂を使わせてもらったときも、僕のために新品のボディタオルが用意されていた。

大雑把で声が大きくて、ごついお兄ちゃんの友達だと信じられない。

僕は冷たい水を飲みながら、キッチンカウンターの上に整然と置かれた電化製品をひとつひとつ見ていく。

ピカピカに磨き上げられたそれらには、ご飯粒ひとつコーヒーのシミひとつない。

使ったグラスをきれいに洗って、食器かごに伏せておいた。

(さて、寝直そう)

ボトルを元に戻そうと冷蔵庫の扉を思いきり開いた瞬間のことだ。

ガツンと取っ手に衝撃が走り、同時に悲鳴が上がった。

「いでっ!」

扉の後ろで、ユノさんが鼻を押さえてうずくまっていたのだ。

 


 

~ユノ~

火花が散った。

自分の身の上に何が起こったのか、直ぐには分からなかった。

衝撃で背後によろめき、床にへたりこんだ。

遅れて激痛が鼻に走った。

「まあ!

ごめんなさい!」

声の主はチャンミンだった。

「まさかそこにいらっしゃるとは気づかなくて!」

彼女は俺の傍らにしゃがむと、苦痛に歪む俺の顔を覗き込んだ。

彼女が勢いよく開けた冷蔵庫の扉が、俺の鼻に直撃したらしい。

「鼻血出ましたか!?」

「どう...かな...」

「何か...何かないかしら」

彼女はカウンター周りを見回し、目についたものを俺に手渡した。

「これで押さえててください!」

「だ、だいじょうぶ...だから」

「僕ったら...どうしましょう」

手渡された布状のもので鼻を覆い、痛みが引くのを待った。

「どうしましょう。

どうしましょう」

おろおろする彼女があまりに可哀そうで、ひらひら手を振って問題ないことをアピールした(実際はめちゃくちゃ痛い)

「ユノさんの高いお鼻が折れたらどうしましょう!」

「大丈夫。

折れてたら、もっと痛いと思う」

つむっていた目を片方開けてみると、間近に彼女の顔があった。

今にも泣き出しそうな表情をしている。

彼女の吐息が頬に感じられるほどの近さに、鼓動が早くなった気がした。

「血、出てませんよね?」

鼻に押し当てていた布を見せた。

「ほら、鼻血は...出てないよ」

「よかったぁ」

彼女はよろめきながら立ち上がる俺の腕を支えた。

「くくくく」

彼女がとっさに渡したものがオーブンミトンであることが分かり、可笑しくてたまらなかった。

「何が面白いんですか?」

「いや...可愛くってさ。

これ...鍋つかみだよ。

くくくく」

「必死だったんです。

それしか見つからなくて」

「ありがとう」

俺たちはキッチンカウンターに並んで立った。

「チャンミンちゃんは、身長はいくつあるの?」と訊ねると、身長に触れられることが嫌なのだろう、彼女は鼻にシワをよせ消え入りそうな声で答えた。

「185か6センチです...多分」

「高いね」

「でか過ぎですよね。

コンプレックスなんです。

ドレスが似合うようになりたいのですが」

「いいんじゃない?

そのままで」

「ホントですか!

ユノさんにそう言ってもらえると、嬉しいです」

ほっそりとした指で前髪を耳にかける仕草に色気を感じた。

彼女は俺の食い入るような視線に気づくと、「どうしました?」と小首をかしげた。

「い、いや、なんでもない...」

「痛いんですよね?」

「いや...そうじゃなくて」

「見せてください」

「いやいや、大丈夫だ」

顔を近づける彼女から逃れようとしたところ、

「逃げないでください!」

彼女に手首をつかまれ、有無を言わさず俺の両手は脇へと下ろされた。

抵抗したくとも、彼女の腕力は凄まじかった。

その男並みの馬鹿力に驚く間もなく、彼女の視線が真正面からぶつかった驚きで、まぶたを閉じることになる。

彼女は指先で俺の眉間に触れた。

「...っ!」

鏡で見ていないから分からないが、赤く腫れているかもしれない。

どれどれと、鼻先が触れ合わんばかりに近づけるものだから、数センチ身動きしたらキスできるほどだった。

俺と同じシャンプーの香りを吸い込み、妙な気持ちになった。

 

(つづく)

 

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(3)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

俺たちはダイニングテーブルについていた。

「できあいのものばかりで悪いんだけど、好きなものだけ食べていいからな」

彼女の好みが分からない俺は、彼女が昼寝をとっている間に何種類もの総菜を買いこんできていた。

「お皿に移しかえるなんて、ユノさんはきちんとされている方なんですね」

と彼女に褒められて、俺は照れるよりも寂しく虚しい感情に陥っていた。

 

(Bだったら、こんな小さなこと絶対に気付かない。

チャンミンが座っている席には、普段はBがいる。

もっとも俺たちが共に食事をすることはほとんどなくなった。

俺が帰宅する前にBは出かけてしまい、俺が出かけた後にBは帰宅する)

 

「Bさんはお仕事ですか?」

「えっ?」

急に同棲相手の話が出たことで、総菜を皿によそう手が止まりむせてしまった。

「Bさんに申し訳ないです。

彼氏さんと住んでいるところにお邪魔しちゃって」

そう言ってチャンミンは眉をひそめた。

「あ~...あいつは。

あいつはほとんど家にいないから、気にするな」

何と俺は、チャンミンがしばらくここに寝泊まりする件をBに知らせていなかったのだ。

典型的なサラリーマンの俺と、自由業のBの生活時間帯が重なることがまれだった。

すれ違い続きで滅多に顔を合わせないくせに、嫉妬深いところがあるからトラブルの種になりそうな今回の件は伝えづらかった。

(変わったファッションに身を包んではいても、チャンミンは美人だ。

Bは気にするだろう。

親戚関係にしておくのが最善かもしれない。

あとでチャンミンと打ち合わせておかないと)

「Bさんは、どんなお仕事をされているんですか?」

「えっと...モデルをやってる」

俺は口ごもった後、渋々答えた。

「へぇぇ」

チャンミンは目を見開いた。

「モデルさんなんですか。

お2人が並んで歩いたら、美男美女で周りは振り向くでしょう?

ユノさんは背が高くてかっこいいんですもん」

頬を赤らめる姿が可愛らしくて、彼女の笑顔から目が離せずにいた。

 

(この子はきっと、素直に育ってきたんだろうな。

笑顔を見れば、そんなことすぐわかる。

それに、感動するくらい目が綺麗だ)

 

チャンミンは夕飯をきれいに平らげると、「私は居候なんです。せめてこれくらいさせてください」と食卓の片づけを買って出た。

「ありがとう」

こちらに背を向け食器を洗う彼女を遠慮なく観察していた。

半袖から伸びたしなやかな腕や長い脚、頭も小さくモデルといっても通じるだろう。

(何かスポーツでもやっているのだろうか)

スレンダーとはいえ平均的な女性よりは肩幅はあり、バスケットボール選手のように体格はよい。

視線を下に移すと、俺並みに大きな裸の足にくぎ付けになる。

「大きなサイズも用意されているんだな」と、彼女が昼間履いていたワンストラップシューズが思い浮かんだ。

「オーダーメイドなのかな?」と、想像を巡らせた。

突然、テーブルに置かれたスマートフォンが震えた。

「はいはーい」

チャンミンはTシャツの裾で濡れた手を拭って、電話に出る。

「あ~、兄ちゃん?

うん...すごくいい人だよ...そうなの!

びっくりした!」

兄が相手だと、俺との時と違ってくだけた口調で受け答えてしている。

まだ初日だから仕方ないけれど、彼女とこんな風に言葉を交わせるようになりたいと、俺は思った。

 

「ユノさん」

「...」

「ユノさん!」

いつの間にか兄Tとの電話を終えたチャンミンが、俺の肩を揺らしていた。

「あ、ごめん!

ぼーっとしてた、何?」

「あの~、お風呂を貸してくださいませんか?」

「気が利かなかったね。

どうぞ、自由に使って」

俺はバスルームへ彼女を案内した。

すみずみまで掃除をしたバスルームは、爽やかなレモンの香りがする。

「タオルはここ。

シャンプーなんかは、ボトルにシール貼ってあるから。

洗濯機も自由に使っていいよ」

「はい」

「俺のと一緒に洗ってもいいのなら、洗濯機に放り込んでいいから」と冗談を言ってみたところ、彼女は「その方が効率的ですね。そうさせてもらいます」と答えるものだから、俺は焦ってしまった。

家族でもあるまいに、他人の...それも男のものと同じ洗濯機で洗われることに抵抗はないのだろうか。

例えば「一緒に入浴する?」と彼女に提案したりなんかしたら、「その方が時間もお湯も無駄になりませんね」と答えて従ってしまいそうだ(さすがにそれはないか)

「あの...ユノさん」

「?」

「何から何まで、ありがとうございます。

しばらくの間、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

深々と頭を下げるチャンミンに、俺は慌てて言う。

「そんな!

気にしないでいいから。

Tの妹さんなんだから。

いろいろと気付いてやれない時は、遠慮なく言って。

自由になんでも使っていいからな」

すると彼女は「ありがとうございます」と深々と頭を下げたのだった。

 

 

T。

お前の妹のユニークさに驚いた。

「あ~ん」とスプーンを近づければ、雛鳥のように「あ~ん」と素直に口を開けそうだった。

世間知らずの“お嬢さん”。

お前の妹だから、うかつなことはできないけれどあの子を見ていると、妙な気分になるんだ。

 

(つづく)

 

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(2)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「この部屋を使って。

物置に使ってたから、散らかってるけど」

換気のため開けておいた掃き出し窓からそよぐ風が、無地のカーテンを揺らしていた。

フローリング敷きの平凡な6畳間において、チャンミンの存在はひどく浮いていた。

「エアコンのリモコンはここ。

悪いんだけど、テレビはないんだ

クローゼットも引き出しも空けておいたから、自由に使ってくれていいからね」

「いい部屋ですね。

ありがとうございます」

チャンミンは細く長い脚を折って正座すると、俺を見上げてにっこりと笑った。

ぷくりと膨らんだ涙袋が可愛らしかった。

「敬語はいらないから。

気楽にいこうよ」

「はい」

「疲れただろ?

着替えたら横になるといいよ」

彼女のファッションは装飾が多く、ウエストはコルセットで締め付けてあるようで、くつろげなさそうだった。

「布団を干したから、気持ちいいよ」

俺はチャンミンを迎え入れるため、前日のうちにひと汗かいていた。

掃除機をかけシーツは洗濯した。

押し込まれていた恋人の私物は...服や靴、雑誌、美容グッズ...まとめて箱に詰めた。

ひと拭きごとに黒くなるタオルを見て、ここに越してきて以来、初めてのガラス拭きであることに気付いたんだ。

 

 

あの頃のワクワクとした気持ちはもう、思い出せない。

『同棲』という甘い響きに憧れていた頃。

Bと同じ屋根の下で暮らせる幸せ。

スーパーで一緒に買い物すること。

Bと同じベッドで眠ること。

「おかえり」「ただいま」を言い合うこと。

ささいなことが、くすぐったく幸せだったことも既に過去の話だ。

 

 

「お言葉に甘えて、お昼寝します」

“お昼寝”という言葉が俺の耳に微笑ましかった。

「夕飯の時間になったら、起こすよ」

俺はシーツを敷くチャンミンを手伝ってやる。

「ユノさん、やっと笑いましたね」

「そうかな?」

「僕のことをお化けでも見るかのような目で見ていたでしょう?

とんでもない服装の奴がやってきたぞ、って」

「あ...」

チャンミンに指摘されて、無遠慮に観察していた自分に気付いたのだった。

「見慣れました?」

チャンミンは小首をかしげて微笑んだ。

柔らかそうな髪から、つんと立った両耳がのぞいている。

耳たぶに小さなピアスが光っていた。

「あの...、ユノさん?」

「ん?」

「あの...着替えたいのですが?」

「ゴメン!」

気の利かない自分に赤面し、慌てて部屋を出た。

 

 

俺はTに電話をかけた。

「服装にびっくりしただろ?」

Tはいたずらをしかけて成功した小学生のようだった。

「お前の妹としても、弟としても通用するから、

お前の彼女がヤキモチ妬くことはないよ」

(ヤキモチなんか妬くものか。

「同棲している」を連呼してたけど、実際の俺たちもう終わっている。

最後にセックスをしたのは、一体いつだったか思い出せない)

 

 

「ああ...分かった...じゃあな」

電話を切って顔を上げると、チャンミンが戸口の前で突っ立っていた。

大きなTシャツの下から、黒のレギンスに包まれた細い脚が突き出ている。

時刻は午後5時過ぎで、彼女はまる2時間眠っていたことになる。

「ごめん、起こした?」

「いえ、ぐっすり眠れました。

ありがとうございます」

ついTシャツ越しに彼女の胸元辺りに目をやってしまう。

想像通り、痩せた薄い胸をしていた。

チャンミンが俺の側を通り過ぎる時、彼女の後頭部の髪が何房かはねているのに気付いた。

直してやろうと彼女の髪に触れる間際、無遠慮な行動だと気づいた俺は伸ばしかけた手をポケットに突っ込んで誤魔化した。

「セクハラだと思われたらどうしよう」と冷や汗をかいていると、チャンミンは後ろを振り向き「どうしました?」と訊ねた。

「いや、なんでもないよ」

(初めて会った人物にいきなり触れようとするなんて...!)

その理由は俺は考えた。

(なんだろう...どこか隙だらけなんだ。

危なっかしいというか護ってあげたくなるような...。

まるで...)

レースとリボンの鎧を脱ぐと、羽根が生え揃っていない雛鳥のような“女性”だと思った。

 

(つづく)

 

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(1)オトコの娘LOVEストーリー

 

 

「悪いな」

「......」

友人Tに平身低頭で頼まれ、俺はしぶしぶ首を縦に振るしかなかった。

「悪いな。

うちには空いてる部屋がないんだ。

赤ん坊も生まれそうだし」

Tが説明するには、彼の妹が就職活動のため都会に出てくるとか。

ところが、彼には3歳になる三つ子とさらに臨月の妻もいて、家の中が戦場状態。

とてもとても妹を迎え入られる状況ではなく、2LDKと余裕のある部屋に住む俺に白羽の矢が立ったのだ。

「お前に妹がいたなんて初耳なんだけど?」

Tは高校の同級生だった。

「俺のオヤジ、再婚したんだ。

再婚相手の連れ子だ。

...会ったら驚くぜ」

「ふん。

で、その子は体重100キロだとか?

それとも超美人だとか?」

「さあ、どうかな」

そう濁したTは「くくくっ」と笑っている。

「美人だったら困るなぁ」と暗い気持ちになった。

「どんな奴かは会ってからのお楽しみだ。

妹の電話番号はメールで送るよ。

来週あたりに向かわせるから」

「1か月だけだからな」

俺は再度念を押した。

Tとの電話を切ると、俺はため息をついた。

(面倒なことに巻き込まれた。

Tは昔から強引な奴だった)

気持ちを重くさせるTからの依頼だったが、わずかながらも好奇心もかきたてられた。

そして、一週間後、俺はTの妹との初顔合わせで、息が止まるほど驚くことになる。


待ち合わせは最寄り駅前で、平日の昼間とあって改札口を通る人の数もまばらだった。

この日のために俺は有休を取っていた。

電話で聴いたTの妹の声は、女性にしては低めで話し方も落ち着いていて、俺は安心した。

キャピキャピした子だったら、ますます気が重くなっていたところだ。

改札口を正面から眺められる駅前のモニュメント前の土台にもたれて待つことにした。

(なんだかんだ言いつつも、ちょっと楽しみだったりして。

ヒゲが生えてるんじゃないかくらいの、男みたいな女の子だっても嫌だな)

俺が分かっていることといえば、

1.年下だということ

2.Tと血は繋がっていないこと

3.肥満体でも美人でもないこと。

針のように痩せている、革ジャンを着た刈り上げヘアのあの子か...?

違う。

赤いキャップをかぶった、厚底スニーカーのあの子か...?

違う。

電車が到着するたび、改札口から流れ出る人波に目を凝らす。

待ち合わせ時間5分前。

改札を抜けたその子は、真正面に立つ俺が待ち合わせの者だとすぐに分かったようだ。

(え!?)

ずんずんと俺に向かって歩いてきた。

(え!?)

女性にしては背が高かった。

大の男を運搬できそうな程巨大なスーツケースを2つ転がしている

(おいおい)

俺が驚いたのは、彼女の背の高さでも荷物の多さでもない。

枯草色に脱色した髪や整った顔立ちでもない。

(すげぇな...)

驚愕のあまり、俺は息が詰まって言葉が出ない。

「貴方がユノさん、ですね?」

俺の正面に立つと、身長差は5センチほどだと分かる。

「あ、ああ」

俺の顔を二重瞼の大きな丸い眼でじぃっと眺める。

電話越しで聴いたとおり、落ち着いた低めの声だった。

「......」

「兄が話していた通りですね。

いい男です。

あらら」

彼女は片手を口に添え、くすくす上品に笑った。

「びっくりさせちゃいましたね」

「あ...まあ、そうだね。

驚いたよ。

申し訳ないけど」

と、正直に認めることにした。

「僕の名前はチャンミンといいます」

「『僕』?」

見た目に反した一人称が意外過ぎて、つい反応してしまう。

「変ですよね。

でも、僕は『僕』なので」

俺の反応は承知の上なのだろう。

「じゃあ、行きましょう」

彼女は俺に先だって、巨大スーツケースを転がし始めた。

「俺が持つよ」

遠慮する彼女から奪ったスーツケースは案外軽かった。

「じゃあ、1つだけお願いします」

俺は薄ピンク色のスーツケースを、彼女は薄紫色のスーツケースを自宅に向けて転がしてゆくことになった。

「歩いて10分くらいだよ」

「はい」

車輪がアスファルト面を転がるガラガラ鳴る音がうるさい。

1週間降り続いた雨が止み、梅雨の晴れ間の本日は比較的過ごしやすい1日になりそうだった。

雨粒が大気を洗い、青空が綺麗に見える。

俺はついつい、隣を歩く彼女に目をやってしまう。

ひとつにくくった髪束からこぼれた一筋が、白いうなじで揺れていた。

カチューシャの白いレースも揺れている。

「こんなデカい奴がこんな格好、変でしょね?」

俺の好奇に満ちた視線が鬱陶しかったのかもしれない、無言で歩いていた彼女が口を開いた。

「好きでやってるだけです。

兄にもいい加減にしたらどうだ?と小言を言われます」

「似合ってるよ。

ただ、モデルさんみたいに背が高いし、スタイルがいいから...その...雑誌から抜け出したみたいに見えるだけ」

リップサービスなんかじゃない、俺の本音だった。

「ありがとうございます」

くすくすと彼女は笑った。

きりっとした眉が一気に下がって、目は左右非対称に細められた。

「ユノさんは優しいですね。

兄が言った通りです」

彼女の二重瞼は長いまつ毛に縁どられ、その下の黒い瞳が澄んでいた。

(見た目のインパクトも凄いが...)

青みを帯びた白目には濁りがなくて、俺は見惚れていた。

(綺麗な子じゃないか!)

「ユノさんは、彼女さんと暮らしているんですよね?」

「...Tから聞いたんだ?」

「ええ。

カノジョさんがいるから邪魔しないように、って」

「気を遣わなくていいよ」

俺たちがマンション前に到着した時、彼女はくるりと俺の隣から真正面へと回り込んだ。

その動きに遅れて彼女のスカートがふんわりとひるがえった。

「...B」

最初の一言が喉にひっかかってしまった。

(恋人の名前を口にするのが、こうも気が進まないこととは)

「カノジョさんの名前は?」

「Bさん、ですか。

分かりました」

エントランスのガラス窓に、ちぐはぐな組み合わせの2人が映っている。

トレーナーとデニムパンツ姿の俺の隣に、メイドさんが立っている。

 

(つづく)

 

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