(6)NO?-2章-

 

~ユン~

 

ふぅん、そういうことか。

 

俺が現れるなり、背筋を伸ばしたチャンミン君と民。

 

喜怒哀楽が分かりやすい子だと見込んでいた民の方が、平静を装うのが上手いのが意外だった。

 

反面、チャンミン君といえば首筋の血色がよくなっていた。

 

俺に食いつかんばかりのチャンミン君の眼の色には、前々から気付いていた。

 

チャンミン君は民に気がある...恋愛感情を抱いている。

 

俺に横恋慕している民。

 

俺に唇を塞がれた時の、見開いた眼、キスに慣れていない風の固く引き結ばれた唇。

 

「彼氏がいる」と、涙ぐんだ眼で俺を睨みつけていた。

 

この二人は兄弟だと長らく勘違いしていたが、赤の他人同士だと知って余計に面白くなってきたと、俺は満足した。

 

見れば見るほど同じ顔をしている。

 

この二人を絡ませてポーズをとらせた時、禁断の双子愛の姿を作品中に昇華できそうだ。

 

内心でこのような企みでぞくぞく舌なめずりしていることを、彼らに悟られるわけにはいかない。

 

これはアーティストゆえの純粋な制作意欲だが、凡人には理解できまい。

 

「お二人さんには以前からお声掛けをしていた件です」

 

携えてきたスケッチブックを広げ、ラフ案を見せた。

 

「以前から...?」

 

チャンミン君は表情を曇らせ、民の方を窺った。

 

「あわわ」

 

民は口を押えて、チャンミン君から顔を背けた。

 

初耳らしい。

 

「民くんには依頼をしていてね。

何度かスケッチを取らせてもらっていたんですよ」

 

スケッチブックをめくって、件のページを見せた。

 

タンクトップ姿のもの、胸にキモノを抱きしめ背中をむき出しにしたもの...。

 

見れば見るほど美しい。

 

ところがチャンミン君は、描かれた民の姿に感動するどころか、はた目にも分かるほど顔色が青ざめていった。

 

「民ちゃん?」

 

チャンミン君は未だ顔を背けたままの民を、キッと睨みつけた。

 

太ももにおいたこぶしが震えている。

 

分かりやすい男だ。

 

「ご覧の通りにヌードではありませんよ。

ま、裸同然だということは認めますがね、ははっ」

 

「......」

 

「チャンミン君...これは、あなたのとこのカタログ用の作品なんですよ?」

 

「...っ...」

 

チャンミン君は担当として、俺に仕事を依頼している立場を思い出したようだ。

 

『3本の腕』のイメージを説明したことがありますが、もっと大型の作品にしたいと考えたわけです」

 

「写真撮影の際、搬出搬入ができませんよ?」

 

「私のアトリエで撮れば問題ないでしょう?

初回もそうしたでしょう?」

 

「...その通りですが」

 

無言が続き、この間チャンミン君は思考を巡らしているようだ。

 

民は落ち着きなく、スケッチブックや隅に置かれた筆記用具を入れたトレーなどを見ている。

 

「お受けします」

 

「ええっ!?」

 

驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてしまった民は、口を押えた。

 

「ユンさんのご希望に沿いましょう」

 

「それは、ありがたい。

引き受けてくださり、非常に嬉しいです」

 

「ただし!」

 

「はい。

条件があるのでしょう?」

 

チャンミン君の次の台詞は予想がついた。

 

「服を脱ぐのだけはお断りします」

 

「そういうわけいかないよ」と、心中でつぶやいた。

 

「平日は仕事があるので、夜か休日に限られます」

 

「その辺は承知してます」

 

チャンミン君は、うつむいたままの民を窺うと、

 

「これも仕事です」

 

と答えた。

 

つくづくチャンミン君は分かりやすい、ほくそ笑んだ。

 

 


 

~チャンミン~

 

民ちゃんは円形の柱にもたれて僕を待っていた。

 

頭上の時計は待ち合わせ時間3分前を指していた。

 

駆け寄る僕に気付かず、ぼぅっと目の前を行き交う人混みを眺める横顔に見惚れた。

 

民ちゃんと待ち合わせをするのは、初めて会った時以来だった。

 

あまりにもぼぅっとしていて、民ちゃんは肩を叩かれるまで僕の接近に気付かなかったようだ。

 

「わっ!

びっくりするじゃあないですか!?

私はサプライズが苦手なんですよ?」

 

胸をなで下ろす民ちゃんの胸の薄さに、「ぺちゃぱいを気にしていたなぁ」と、くすりとしてしまう。

 

「...チャンミンさん」

 

民ちゃんのどすのきいた声音とすっと細められた目。

 

「どこを見ているんですか?

何が可笑しいんですか?」

(『ペチャパイで悪かったですね!』と、民ちゃんを悲しませてしまう)

 

「民ちゃんを見ていたんだよ。

いいなぁ、と思って...」

 

僕は民ちゃんの手をとって、歩き出した。

 

「わっ!」

 

民ちゃんを黙らせるには、こうするのが手っ取り早い。

 

民ちゃんは自身が予期しないタイミングで、愛情を込めた言葉や肉体的接触があると、途端に無口になってしまう。

 

僕を凍り付かせる言葉をポンポン投げかけるのに、いざ自分が口にする番になると、口ごもってしまうのだ。

 

(『エッチはいつしますか?』『チャンミンさんのソコ、暴れています』とか...凄いよ、民ちゃん)

 

だからきっと、「好きです」も、「会えて嬉しいです」の言葉も、勇気を振り絞ったものなんだろうなぁ。

 

声も囁くように小さかった。

 

民ちゃんからの言葉を期待するよりも、僕自身が彼女に沢山、大事に想っている気持ちを伝えてやろうと思った。

 

僕に引っ張られる格好であっても、手をふりほどくことなく、僕の後ろをついてくる民ちゃん。

 

改札口を抜けた時には、僕らは肩を並べてホームへの階段を上っていた。

 

そして、民ちゃんは僕に握られた手首を引き抜き、僕の手を握った。

 

隣の僕を見て、照れくさそうに笑った。

 

手を繋ぐだけで、こんなにドキドキするなんて。

 

帰宅ラッシュの混雑する時間帯。

 

スーツ姿のサラリーマン風とカジュアルな装いをした双子の二人が、手を繋いで電車を待っている。

 

民ちゃんは緊張しているみたい。

 

だって、僕の手の中で、民ちゃんの手の平が汗で濡れている。

 

この汗はもしかしたら、僕のものかもしれない。

 

重なり合った手の平は、僕ら二人分の汗で温かく湿っていた。

 

 

(つづく)

 

 

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(5)NO?-2章-

 

 

~チャンミン~

 

民ちゃんは、テーブルを挟んで斜め前の僕を上目遣いで見つめている。

 

民ちゃんはやっぱり、可愛い。

 

告白をし合い、キスを交わした日以来、顔を合わすのは初めてだった。

 

(僕は2日連続で残業で、民ちゃんは兄の家の夕飯にお呼ばれしていたのだ)

 

僕は途端に照れくさくなり、コーヒーカップに口をつけた。

 

(民ちゃんが淹れたコーヒー...美味しい。

僕と暮らしていた頃は、コーヒーの分量を間違えてばかりで下手くそだったのに)

 

民ちゃんの成長が嬉しい半分、寂しさも半分と複雑な心境だ。

 

「チャンミンさん!」

 

民ちゃんは小声で僕に話かけた。

 

「何?」

 

僕も小声で答える。

 

「急に来るなんて...聞いてませんよ!」

 

「ごめん。

驚かせようと思って」

 

民ちゃんは僕の足を蹴飛ばした。

 

「私はサプライズに弱いんです!

びっくりしてびっくりして、びっくりしました」

 

「少しでもいいから会いたくてね。

ちょうどここに用事があったんだ」

 

僕は優しく、民ちゃんの足をつつく。

 

頬を真っ赤に染めた民ちゃんが、もっともっと可愛らしいと思った。

 

この子をどうして2か月近く、放っておいたのだろう。

 

ぐずぐずと先延ばしにしてきた、意気地のない自分が馬鹿みたいだ。

 

これからの僕は、民ちゃんの手を離さないようにしないと。

 

「さよなら」と言って僕の元を離れていった日、民ちゃんの僕への気持ちに気付いた。

 

そして、僕のことが好きだと告白してくれるまで、民ちゃんの気持ちに確信がもてなかった。

 

それくらい民ちゃんは、巧妙に気持ちを隠していられる子だ。

 

本人には隠すつもりはないのだろう。

 

ほにゃららとした言動に誤魔化されて、民ちゃんが何をどう思っているのかまで、僕は見抜けずにいた。

 

民ちゃんには好きな人がいたはずだ。

 

その人への恋心はどうなってしまったんだろう。

 

民ちゃんはそのことに一切触れなかった。

 

つまり、こういうことなのだ。

 

民ちゃんは肝心なことを教えてくれない。

 

だからこそ、だ。

 

民ちゃんの手をしっかり握りしめていないと、僕の気付かないうちにふわふわっとどこかへ行ってしまいそうだった。

 

その上、ユンというオオカミの元で、民ちゃんは働いている。

 

民ちゃんを見つめる、ギラギラと欲の浮かんだ厭らしい目。

 

民ちゃんは絶対に気付いていない!

 

ユンと民ちゃんの身長は同じくらい。

 

ユンは厚みのある逞しい身体付きで、民ちゃんは華奢だ。

 

この二人が並んだところを想像してみて、お似合いかもしれない...と思いかけて、それを打ち消した。

 

「民ちゃんに会いたかったんだ」

 

僕は重ねて言った。

 

民ちゃんの眉根にしわがよった。

 

(あれ?何かマズいことを口にしてしまったのかな?)

 

僕は未だに、民ちゃんの怒らせポイントをつかめずにいる。

 

「チャンミンさん...。

いつから...」

 

「あでっ!」

 

民ちゃんがさっきより強めに、僕の足をポンと蹴ったのだ。

 

「いつからプレイボーイになったんですか!?」

 

「思ってることを口にしただけだよ」

 

「チャンミンさんがそんなキャラだったなんて...知りませんでした!」

 

「僕は前からこうだったでしょう?」

 

「いーえ!

前のチャンミンさんはもっとこう...奥ゆかしい人でした。

...それなのに、それなのに...。

急に『たらし』になっちゃって...」

 

「『たらし』って...酷いなぁ」

 

『会いたかった』のひと言に、民ちゃんは照れくさくて仕方がないのだろう。

 

これくらいで照れてしまう民ちゃんだ、彼女自身もこの手の言葉をなかなか口に出せない性格なんだろうなぁと思った。

 

大胆な発言で僕を慌てさせるくせに、さ。

 

「民ちゃんにしか言わないよ、『会いたかった』だなんて。

だから、素直に受け取って、ね?」

 

民ちゃんは相変わらず眉根を寄せたまま、僕の言葉について考えこんでいるようだった。

 

「チャンミンさんの気持ちは、十分伝わりました。

あの...」

 

民ちゃんはうつむいてしまう。

 

『エッチはいつしますか?あと10日ですよ?』とか言い出しそうだった。

(民ちゃんのことだ、2週間という期限を忠実に守りそうだ)

 

「あの...私も...嬉しかったです。

チャンミンさんに会えて」

 

「...民ちゃん」

 

予想外の言葉に、僕はじんと感動してしまうのだ。

(エロい方向につい考えてしまった僕ときたら...)

 

「それにしても!

今夜会えるじゃないですか!

いきなり登場しないでくださいよ!」

 

民ちゃんは僕の足を蹴った。

 

「仕事だから仕方ないだろう?」

 

僕も民ちゃんの足を蹴り返した。

 

「いったぁっ!!」

 

叫んだ民ちゃん。

 

「ごめん!

ごめんね」

 

僕はテーブル下にしゃがみこんで、民ちゃんの足の具合を確かめた。

 

「痛かった?」

 

すると、身をかがめて民ちゃんがテーブル下を覗き込んだ。

 

「嘘です」

 

「もぉ。

びっくりするじゃないか」

 

目を半月型に細めた笑顔に、僕はすぐさま許してしまうのだ。

 

「お返しです」

 

僕らは顔を見合わせてクスクス笑っていると、コツコツとノック音が。

 

スケッチブックを持ったユンだった。

 

「お待たせしました」

 

もしかしたら、僕らのじゃれ合いをパーテーションの向こうで聞いていたのかもしれない、とひやっとした。

 

 

(つづく)

 

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(4)NO?-2章-

 

~くすぐったい~

 

「いらっしゃらなかったので...。

14時じゃありませんでしたか?」

 

壁の時計を見上げるユンに、チャンミンはムッとした表情になってしまうのを堪えた。

 

「いいえ。

メールで連絡した通り、15時でした」

 

チャンミンは失礼にならない程度に、きっぱりと言い切った。

「申し訳ない。

アシスタントが間違えて伝えたようですね」

 

事務所に通されたチャンミンは愛想笑いを浮かべ、いつもの打ち合わせテーブルについた。

 

(民ちゃんのせいにするなんて...。

本当に失念していたのか、わざとなのか...)

 

チャンミンの気持ちを読みとったのか、ユンはしれっと「私が勘違いしていたかもしれませんね」と言った。

 

ユンはテーブル隅に置かれた電話の受話器を取ると、「お客さんだ」とアシスタント(民ちゃん)に指示をする。

 

「民」の言葉ひとつで、ムカムカとしていたチャンミンの心は平和を取り戻すのだった。

 

「では、見せていただけますか?」

 

チャンミンはクリアファイルごとユンに渡す自分に、「大人げないな」と少しだけ反省する。

 

「説明文の表現もライターさんに修正してもらいました。

『インスピレーション』がありきたりだと仰るので、このように...」

 

身をのり出して、とんとんと修正箇所を指さした。

 

(ここまで感情的になるなんて、僕らしくない。

やっぱり、ユンに対して僕のパトライトが点滅している証拠だ)

 

ユンの後ろのパーテーション向こうに、意識が向いてしまいそうになるのを抑える。

 

「う~ん...イマイチですねぇ。

『突き動かされる直感を従って』なんて...ありきたりです」

 

ユンに校正用紙を押し返され、チャンミンの片眉がピクリ、と震えた。

 

と、パーテーションの曇りガラスをコツコツとノックする音が。

 

「...失礼します」

 

「あ...」とチャンミンは心の中で、驚きの声をあげる。

 

コーヒーを乗せたトレーを持って現れた女性...民の姿に、チャンミンの心がキュッとしなった。

 

なぜなら、よそ行きの顔をした民を目にするのは初めてだったから。

 

「あ...」と民も声をあげそうになるのを我慢した。

 

(チャチャチャンミンさん!?)

 

ぐんぐん頬が熱くなるのが分かる。

 

(どうして前もって教えてくれないんですか!)

 

どっきんどっきん鼓動が早くなり、手が震え、カップとソーサーがカタカタ音を立てた。

 

真っ赤に染まった民の両耳に、チャンミンは心の中でほほ笑んだ。

 

民への想いがだだ洩れの表情をユンに見せてたまるか、と警戒したからだ。

 

同様に、民も仕事中のチャンミンの姿を目にするのは初めて、「チャンミンさん...か、かっこいい...」と感動していた。

 

(おかしいな...。

スーツ姿のチャンミンさんなんて、一緒に暮らしていた時にいっぱい見ていたのに。

...私はチャンミンさんのことが好きなんだ。

ドキドキするー!

そっか...この前...この前、私たち!

きゃーーーー!)

 

ところがユンは、民を見上げるチャンミンの優しい眼差しを見逃さなかった。

 

手が震えるあまり、ソーサーからスプーンがすべり落ち、それはガラス製のテーブルにぶつかり派手な音を立てた。

 

「す、すみません!」

 

おろおろする民に、チャンミンは「僕はブラックだから構わないよ」と気遣った。

 

「いえ、そういうわけには...。

か、代わりのものを持ってきます」

 

「民くん」

 

ユンは振り向きざまに、きびすを返した民の手首をつかんだ。

 

「!!」

 

当然のことながら、チャンミンの表情は険しくなる。

 

民から手を離したユンが姿勢を戻す間際に、チャンミンは表情を戻した。

 

(民ちゃんに触るな)

 

「でも...」

 

民がユンにつかまれた手首をさすっていると、ユンは、

 

「民くんもここに座りなさい」と、椅子の一つの座面を叩いた。

 

「?」

 

「?」

 

ユンの発言に、チャンミンも民も同時にユンに注目した。

 

「お二人が揃ってちょうどよかった。

あなたたちに頼みたいことがありましてね」

 

頼み事の見当がつかず、民とチャンミンは顔を見合わせた。

 

「なんでしょう?」

 

「その前に見てもらいたいものがあります」

 

ユンはそう言って立ち上がると、その何かを取りに、パーテーションの向こうに消えた。

 

ユンのアトリエは広々としており、木製ブラインドから午後の陽光がふんだんに注ぎ込んでいた。

 

ボリュームを絞ったクラシック音楽がかけられている。

 

(悔しいけれど、ここがリラックスできる空間だと認めざるを得ない)

 

チャンミンは自身のマンションの部屋を思い浮かべ、がっかりしてしまうのだった。

 

 

(つづく)

 

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(3)NO?-2章-

 

 

~チャンミン~

 

僕の彼女は民ちゃん...。

 

民ちゃんの彼氏は僕...。

 

こんな日が訪れるなんて...時間はかかってしまったけれどね。

 

民ちゃんの雇い主がユンだったり、リアとの別れ話に妊娠騒ぎ、僕がちゃんとしていなかったばかりに誤解をさせてしまった。

 

曖昧な態度のせいで、一度は民ちゃんと離れてしまったこともあった。

 

民ちゃんの部屋の近くに引っ越したりと、ストーカーまがいな行動に及んでしまった。

 

民ちゃんに料理を届けに行ってよかった。

 

あれがなければ、この先もずっと、民ちゃんとの距離を縮められずいただろう。

 

「!」

 

突然、目の前につきだされたクリアファイルに飛び上がった僕は、デスクに膝をぶつけてしまった。

 

「先輩!」

 

顔を上げると、後輩Sがあきれ顔で立っていた。

 

知らず知らずのうちに、ニヤついていたらしい。

 

「顔がゆるんでますよ。

新しい彼女でもできたんすか?」

 

「えっ!?」

 

Sは同棲していた彼女(つまり、リア)と別れた事情を知っている。

 

(さんざん、飲みに付き合わせたからなぁ)

 

「幸せいっぱいなのは分かりますけど、ちゃんと仕事してください」

 

「あっ...うん。

そうだね、うん」

 

「否定しないんですか。

僕なんていない歴1年なんすよ。

うちは女性率が高いのに...はぁ...出会いがないんすよね」

 

僕が勤務している会社は、サプリメントの製造、通信販売を行っている。

 

化粧品も扱っているし、商材がサプリメントということもあって、女性社員の占める割合が高い方だ。

 

だからと言って、男性社員がモテるかといえばそうでもない。

 

(...そうでもないか。

リアと交際する以前、僕は社内恋愛をしていたのだ。

いろいろとうまくいかなくて破局に至り、のちにその彼女は別の男と結婚してしまった。

...結局のところ、僕がフラれたのである)

 

恋愛ごとにかまけている場合じゃないと、Sから手渡されたクリアファイルの中身をあらためた。

 

「これは?」

 

「次のカタログの校正です。

指示された箇所は直っているはずです。

明度が足りないと注文されたので」

 

「例の人の?」

 

例の人とは、つまりユンのこと。

 

予定変更、ドタキャンは相変わらずで、僕らは振り回されている。

 

名前を呼ぶのも忌々しくて、「例の人」呼ばわりをする僕をSは倣ってくれている。

 

「はい。

今日は先輩が行ってきてくださいよ。

僕にばっかりお使いをさせて。

あの人...若造だからって馬鹿にした感じがムカつきます」

 

確かに。

 

民ちゃんと再会するまでの僕は、ユンと顔を合わせるのが嫌で、書類を届けるなどの用事は全部、Sに任せっきりだったのだ。

 

ユンは民ちゃんの雇い主だ。

 

ユンがおかしなことをしないように見張っていないといけないのに。

 

いざという場面で逃げ腰になってしまうところが、僕が直さなければならない性格。

 

民ちゃんが僕の彼女(この言葉の響きにじーんとしてしまう)となったから、より一層注意していないと!

 

打合せや撮影で対面した時など、ユンのオーラに圧倒されてもいた。

 

悔しいことに。

 

ユンの事務所で打合せをしている間、民ちゃんが顔を出してくれないかなぁと期待しているのに、これまで一度も姿を現したことがない。

 

この建物の中にいないのだろうか?

 

それとも、ユンが敢えて民ちゃんを出さないようにしているのだろうか。

 

僕が民ちゃんに特別な感情を抱いていることを、ユンは嗅ぎ取っている。

 

カットコンテストの会場で、「バレた」と思ったからだ。

 

...いくらなんでも考えすぎか。

 

螺旋階段の上を意識して、ちらちらと視線を向ける僕に、ユンは唇の端をわずかに持ち上げてみせた。

 

ユンが僕と民ちゃんの関係をどうとらえているかは分からない。

 

十中八九、兄妹とみなしているだろう(兄妹じゃなく、兄弟)

 

民ちゃんに関することとなると、顔色を変える僕。

 

そんな場面は、民ちゃんが出場したカットコンテスト会場と、彼女の病室で3人が顔を合わせたきりだけど。

 

あの時の僕の無言の怒りに、ユンは気づいている。

 

過保護な兄に映っているだろうなぁ。

 

兄妹だと思われていた方が、民ちゃんは安全なのだ。

 

でも、僕と民ちゃんが他人同士だと見抜いていたら、僕が彼女に愛情なり執着なりを抱いていることは見破られているはずだ。

 

他人の恋人を奪うことを楽しむ、サディスティックな性質を持っていそうな人物だから。

 

そう考えてきたけれど...。

 

早い段階で、僕と民ちゃんは恋人同士だとユンに知らせておいた方がいいかもしれない、と考え直した。

 

仕事の発注者である会社の担当者の恋人にちょっかいを出すような真似は、ユンにとって不利に働くだろうから、下手な行為は慎むだろう。

 

ユンの元を訪問する前に、と携帯電話を取り出しメッセージを作成する。

 

『今夜、一緒にご飯を食べに行こう。

待ち合わせはどこにする?』

 

 

社用車で向かう途中、信号待ちをする度に助手席に置いた携帯電話に目をやってしまう。

 

僕がユンの元を訪ねていくことは、内緒にしておこう。

 

「ふふふっ」

 

(※チャンミンは民と結ばれて、相当浮かれている。

彼女を心底愛しているがゆえ、大目にみていただきたい)

 

間もなくユンが所有するビル(最近知ったこと。いまいましいことに、ユンはリッチだ)の駐車場に着いた時、通知ランプが光っていた。

 

『18時まで仕事なので、18:30はどうですか?

××駅の大きな時計の下はどうですか?』

 

ユンとの打ち合わせに憂鬱だった気分も、たちまち晴れた。

 

好きな子からのメッセージに、胸がこそばゆくなるのはいつ以来だったろう。

 

リアとの頃を思い出しかけて、その記憶をシャットアウトした。

 

 

(つづく)

 

 

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(2)NO?-2章-

 

~ユン~

 

事故に遭ってショック状態が続くのかと予想していたところ、意外にケロッとしている民に感心した。

 

この子はなかなか肝のすわった子だぞ、と。

 

獲物を前にしていざ行動に移すまでに、これほど時間をかけることになるとは。

 

俺らしくもない。

 

慎重になっていたんだな。

 

民を見舞った病室でのことだ。

 

民を怯えさせたり、とりこにさせた挙句に容赦なく切り捨てた後、彼を嘆き悲しませたくない、と身構えたのだ。

 

とは言え、俺の中の欲情はそろそろ抑えがきかなくなってきたようだ。

 

急な仕事が割り込んできたせいで後回しにしていた、民をモデルにした作品に一刻も早くとりかかりたい。

 

タイトなパンツに包まれた民の尻に、どうしても視線を注いでしまうのだ。

 

午後には、通販カタログの次の号の打ち合わせのスケジュールが入っている。

 

よし、打ち合わせ場所はここにしよう。

 

チャンミン君と民を2人並べてみよう。

 

ついでにスケッチをとらせてもらおうか。

 

「ユンさん?」

 

考えにふけっていたせいで、作業する手が止まっていた俺は、民に呼ばれて顔を上げた。

 

俺の手元の下で、土台を支えていた民の顔がすぐ間近にある。

 

俺の腕が、民のうなじに吸い寄せられるように動いた。

 

そして、民の唇を俺のもので覆う。

 

「ユ...!?」

 

民の身体がびくりと震えて、硬直する。

 

もう片方の手で民の手首をつかむと、俺の方に引き寄せた。

 

一度唇を離し、角度を変えてさっきより柔く押し当てた。

 

民の身体から力が抜けた。

 

口づけながら、大きな目を縁どる長いまつ毛が、羽のようにまばたきするのに見惚れた。

 

引き結ばれた唇の感触から、「キスに慣れていない」ことが伝わってくる。

 

息継ぎされないよう、俺の頬で民の鼻を覆う。

 

「んっ...」

 

つかんだ民の手首から抵抗を感じる。

 

「んんっ...」

 

苦しくなった民が、俺のキスから逃れようと小刻みに首を振っている。

 

だが、俺はうなじに置いた手に力をこめて、それを許さないのだ。

 

「んっ...」

 

空気を求めて開いた唇の隙間から、舌を侵入させた。

 

「んんー!」

 

喉奥に引っ込んだ民の舌を引き出そうと、彼の口内をかき混ぜた...。

 

「!」

 

どん、と胸を突かれて後ろによろめいた。

 

さすが男の力だ。

 

俺の束縛から逃れた民が大きくあえいで、涙ぐんだ目で俺を睨んでいる。

 

「...ユンさんっ...」

 

俺は無言で、眉間にしわを寄せた民から目を反らさない。

 

息が整いつつあると、俺の様子に不安になったのか、民の表情が俺を窺うものに変わってきた。

 

「民くんは今、恋人はいる?」

 

「え...?」

 

俺の問いに答えるまでに、数秒あった。

 

おや、と思った。

 

「...います」

 

「俺とキスしても...構わないよね。

黙っていればいいことだ」

 

「...よくないです」

 

民はふるふると首を横に振った。

 

「ユン!」

 

アトリエから居住エリアを繋ぐドアが開き、俺を呼ぶ声が。

 

舌打ちをした俺は、早足でドアが開ききる前に押さえた。

 

アトリエには絶対に顔を出さないよう、常々念を押していたのに。

 

「一旦、休憩にしようか。

15分くらい待っててくれる?」

 

民にそう言い置いて、ドアの向こうに俺は消えた。

 

「ユン...。

ねぇ」

 

俺となかなか別れたがらない女。

 

甘い顔を見せていたらこの有様だ。

 

俺にしなだれかかる彼女の手を引いて、アトリエを後にした。

 

 


 

先ほどのキスを思い出し、民の顔は熱くなる。

 

その時に身動きできなかった自分、抵抗しきれなかった自分をはしたなく思うのだった。

 

(どうしよう。

ユンさんとキスをしてしまった...!

私にはチャンミンさんがいるのに...いるのに...。

浮気だ!

私ったら、浮気をしちゃった!

どうしよう!)

 

民はポケットの中から携帯電話を取り出した。

 

(ユンさんへの気持ちは...憧れだ。

その気持ちは今もある。

ユンさんへ恋愛感情はあるかどうか問われれば...ない。

だって、昨夜確信したのだから。

恋愛感情というのは、チャンミンさんに対して抱くものなのだ。

ユンさんは...。

田舎を出てくる背中を押してくれた人、私を雇ってくれた人。

いろんなきっかけを作ってくれた人。

感謝しているし、才能豊かで尊敬している。

凄いなぁと見上げるだけの人。

憧れの人だからこういうことをされると、困ってしまう)

 

動揺した気持ちを落ち着かせようと、昼時に届いたばかりのメール...チャンミンからの...を表示させ、その文面を何度も読み返す。

 

『今夜、一緒にご飯を食べに行こう。

待ち合わせはどこにする?』

 

じん、と胸が熱くなったが、先ほどの行為を思い出して、ずんと気持ちは盛り下がった。

 

(チャンミンさんとさえ、あんなキスはしたことがないのに...!

まだ2回しかしていないのに...!

ユンさん、酷いよ。

私の反応を見ようと面白がっているみたいだ)

 

「...でも」

 

(ユンさんは黙っていれば分からない、って言ってた。

...そうしよう。

チャンミンさんに報告する必要は...ないよね。

私は嘘つきでずるい)

 

 

(つづく)

 

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