(100)NO?

 

~君が大好き~

~チャンミン~

 

僕の胸にほっぺをくっつけて、民ちゃんは僕にこう言った。

 

「チャンミンさん...好きです」

 

互いの気持ちを確かめ合うとは、今みたいなシーンを言うんだろうな。

 

僕がずっとずっと、夢見ていたことが叶ったんだ。

 

民ちゃんに「好き」と言われたりなんかしたらもう...天にも昇る思いをするだろうって。

 

うん、そうだった。

 

30余年の間で、嬉しかったことベスト3にランクインするほどの出来事だった。

 

初めて彼女が出来た時も確かに、飛び上がるほど嬉しかったが、当時のものは「彼女ができた」満足感の方が勝っている。

 

ある程度の恋愛を経験したからこそ比較できるんだけど、民ちゃんに関してはそんな浅い喜びじゃないんだ。

 

ああ、幸せだ。

 

僕は民ちゃんが大好きだし、民ちゃんも僕のことを好きだと言ってくれた。

 

やっぱり、ベスト1かな。

 

民ちゃんは階段の1段下に立っていて、僕の肩あたりに彼女の頭のてっぺんがきている。

 

僕らはその場でハグしたまま。

 

僕の心にじわじわと、民ちゃんからの「好き」が染み入っていく。

 

「チャンミンさん?」

 

「......」

 

「好きって、言ったんですよ?

聞こえてます?」

 

「うんっ...」

 

「チャンミンさんが好き、って。

私...告白したんですよ」

 

「うん...っく」

 

「チャンミンさん?

何か言ってくださいよ?」

 

「うぅっ...くっ...うっ...」

 

「ええ!?

チャンミンさん、泣いてます?」

 

「うん...うっ、うっ...」

 

幸せで幸せで、幸せ過ぎて、涙は次々と溢れてくる。

 

嬉し泣きなんて、生まれて初めてかもしれない。

 

「チャンミンさ~ん。

号泣じゃないですかぁ」

 

僕は民ちゃんの頭を、もっともっと強く肩に引き寄せ、抱きしめた。

 

形のよい小さな頭。

 

民ちゃんの髪を洗ってやった夜、あの時は彼女が遠かった。

 

気づかれないよう民ちゃんの耳たぶに口づけた。

 

あの時と今は大きく違う。

 

民ちゃんが僕の胸の中にいる、こんなに近い、僕のものになった。

 

誰かを所有するという考えは決して褒められたものじゃないけれど、民ちゃんが相手だと自分の一部になったかのような感覚なんだ。

 

きっと、僕と民ちゃんは双子以上にそっくりだからだ。

 

血のつながりのない他人同士なのに、瓜二つな女の子が、僕の目の前に現れること自体が奇跡で運命だ。

 

大袈裟だって?

 

分かってる。

 

でも、そう思わずにはいられない。

 

自分はここまで感動屋だなんて、初めて知ったよ。

 

「うんっ...んっ...うっ...」

 

「もぉ。

仕方がないですねぇ」

 

民ちゃんは階段を1段上り、僕と同じ目の高さになった。

 

「よしよし。

私より泣いちゃってどうするんですか?」

 

民ちゃんは僕の後頭部を撫ぜてくれるんだ。

 

ますます感動してしまって、涙が止まらない。

 

「チャンミンさんは嬉しいんですね?」

 

「...うんっ」

 

「私も嬉しいですよ」

 

「ううぅぅぅ...っ」

 

「泣きすぎですよ。

チャンミンさんは泣き虫だったんですね」

 

そういう民ちゃんだって、ぐずぐず声だ。

 

「好き」の言葉だけで、ここまで大泣きできるなんて。

 

ステップに二人分の脚、とても狭い。

 

民ちゃんの腰を支えていないと、彼女は階段を真っ逆さま。

 

「ここじゃ危ないですから、上がりましょうか?

お部屋に行きましょう、ね?」

 

ずずっと民ちゃんは鼻をすすった。

 

「...うん。

...っく...そうしようか」

 

僕もずずっと鼻をすすった。

 

「行きましょう」

 

民ちゃんは僕の手を握ると、先だって階段を上り出した。

 

そして後ろの僕を振り向き、にっこり笑った。

 

 

「お、お邪魔します...」

 

民ちゃんが1人暮らしする部屋。

 

恥ずかしさと緊張で、僕の手足はぎくしゃくしていた。

 

この部屋は一緒に探したんだよなぁ、と懐かしく思い出した。

 

あれは夏の頃だった。

 

「あったかいものを飲みましょうか。

お茶を淹れますから、その辺に座って待っててくださいね」

 

「ありがとう」

 

ついさっきまでのラブシーンのせいで全身ホカホカで、温かいものよりキンキンに冷えたものが欲しいくらいだったけど。

 

キッチンに立つ民ちゃんのお尻に...身体に張り付くほどぴったりとスリムなパンツ...視線が吸い寄せられる。

 

僕は「どこ」を見てるんだ?

 

民ちゃんと想いが通じ合ったとたんに、民ちゃんを見る目に変化が生じたのだ。

 

以前からそうだったけど、もっと強く、民ちゃんから「女」を感じるようになった。

 

シャツの襟から覗く首のつけねの骨だとか、耳後ろの襟足の髪がくるんとしているところとか。

 

まじまじと観察してしまう。

 

じわじわと幸福感が湧いてきた。

 

民ちゃんが...僕の「彼女」に!?

 

じーんと感動していたら、マグカップを両手に持った民ちゃんが、「ん?」といった表情になる。

 

そして、眉間をよせて言う。

 

「チャンミンさん...にやけちゃって、いやらしい人ですね」

 

「えっ!?」

 

「もうエッチをすることを計画しているんですか?」

 

「なっ!?

違う違う!」

 

「ふぅ~ん」

 

「民ちゃんから好きと言ってもらえて...。

ああ...幸せだなぁって思っていたんだ」

 

「幸せ...ですか」

 

「うん。

民ちゃんは?」

 

「私もハッピーです」

 

民ちゃんは僕の正面に膝を折って座った。

 

民ちゃんの部屋は未だ家具もほとんどなく、もともと持ち物が少ない子だったから、ガランとした印象だ。

 

カーテン代わりにラズベリー色の布を吊るしている。

 

例の天窓の下に、布団が敷いてあった。

 

僕の視線に気づいた民ちゃんは、僕の顔と布団を3度ほど交互に見た。

 

(しまった...。

勘違いさせてしまったかな...)

 

「で、チャンミンさん」

 

「何?」

 

「私たち。

いつ、エッチをしますか?」

 

「!!」

 

 

(つづく)

 

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【98】NO?

 

~民~

 

チャンミンさんは、リアさんの「本当のこと」を知らない様子だった。

 

リアさんに部屋まで来るように誘われて、そこで聞いた「本当のこと」

 

身体のラインが丸分かりの、スリムなワンピースを着ていたリアさん。

 

真っ先にお腹に視線を向けた私に気付いて、リアさんは自嘲気味に言った。

 

「赤ちゃんはいないわ」って。

 

あの夜、聞いてしまったチャンミンさんとリアさんとの会話は、とても深刻そうだったから、

 

「赤ちゃん、残念でしたね」としか言えなくて。

 

そうしたら、

「そもそも妊娠なんてしていないの」って言い出すんだから。

 

ぽかんと口を開けた私。

 

「驚く顔もチャンミンにそっくりね。

ところで、チャンミンは元気そう?」

 

尋ねられて、「元気そうです」と答えた。

 

「あの...。

よく分からないのですが、『妊娠していない』って、どういうことですか?」

 

リアさんが手にしていたグラスの中身は、ジュースじゃなくてお酒で、「あなたも飲む?」と勧められたけど、断った。

 

「もう知ってると思うけど...。

浮気してたのよ、私」

 

「ええええーーー!!!」

 

「チャンミンから聞いていないの?」

 

大きく頷く私に、リアさんは「チャンミンらしいわね」と苦笑した。

 

「妊娠を疑っていたのは本当。

検査薬の箱を、たまたまチャンミンが見つけて。

その結果が、あの騒動よ。

最初は、自分が父親だと思い込んだみたい。

すぐに気付いたみたいだけどね。

だって、アレをしていないのに、出来るわけないじゃないの、ね?」

 

リアさんは可笑しそうにクスクス笑った。

 

慌てふためくチャンミンさんの姿が思い浮かんだけど、そんなチャンミンさんを笑って欲しくなかった。

 

「チャンミンの反応を見てみたかったのよねぇ...。

どれだけ慌てるか。

騎士道精神を発揮して、『僕が責任をとる』とか言い出しそうだし。

浮気相手の子を妊娠してると思い込んだまま、チャンミンは出て行ったわ。

私にべた惚れだったチャンミンが、まさか本当に出て行くとは思わなかった」

 

ムッとした顔の私に気付いて、「怒らないで」と言ったリアさんの美しい顔。

 

胸も大きくて、女の人そのもののカーブを描いた、華奢な身体。

 

華やかで、赤い口紅が似合って、長い髪の毛、高い声。

 

リアさんは私にはないものを全部持っている。

 

この綺麗な女の人を、かつてのチャンミンさんは抱きしめたり、キスをしたり、「好きだよ」って言ったり...してたんだ。

 

よじれるくらいに胸が痛くて、苦しくなった。

 

これは嫉妬だ。

 

涙がこみあげてきたのを、ぐっと堪えた。

 

「チャンミンは、『例の彼女』とうまくいってるの?」

 

「例の彼女?」

 

全くの初耳ネタで、きょとんとしてしまった。

 

「チャンミンが私と別れた理由。

あなたは聞いていないの?」

 

私が知っている範囲では、すれ違い生活に耐えられなかった云々、だったから。

 

「チャンミンったら、好きな子ができたんだって。

だから、私をフッたの。

どんな子かしら。

どうせ、大人しくてか弱い、守ってやりたくなるような子なんでしょうね」

 

チャンミンさんの好きな人。

 

それは、私のことだ。

 

すぐに分かった。

 

「己惚れるのも甚だしい、自分の成りを見てみろ」と、以前の自分だったらそう思った。

 

チャンミンさんの好きな人は、私だ。

 

ふらふらとマンションを出た。

 

鼓動が早く、幸せと苦しさが混じったみたいな、変な気分だった。

 

駅まで着いたとき、チャンミンさんに電話をかけなくっちゃと思い至った。

 

新しい住所を教えてくれなかったチャンミンさんを、叱りつけないと!

 

メッセージを無視し続けていた私が、言える立場じゃないんだけどね。

 

と、バッグの中で携帯電話が発信音を鳴らしだした。

 

空のタッパーが邪魔をして、電話に出るまでに時間がかかってしまった。

 

ディスプレイに表示された名前に、「さすが私たち。以心伝心」と得意な気持ちになった。

 

ところが...呑気そうなチャンミンさんに、腹がたってきて「馬鹿!」って怒鳴ってしまった。

 

 

チャンミンさんには、言えない。

 

チャンミンさんの慌てる姿を見たくて、お芝居をしたリアさんの話は言えない。

 

リアさんのことで身動きがとれずにいたチャンミンさんを、私は責めた。

 

チャンミンさんを振り切るようにあの部屋を出て、届くメールを無視し続けた。

 

いっこうに会いにこないチャンミンさんを、責めていた。

 

チャンミンさん、ありがとう。

 

美味しいご飯で釣るなんて、私のことをよく分かってますね。

 

チャンミンさんらしいです。

 

チャンミンさんの馬鹿。

 

私も馬鹿。

 

何やってんだろ、私たち。

 

照れ屋過ぎますよ、私たち。

 

 

私たちは、身体のサイズがほぼ同じ。

 

私の背に回されたチャンミンさんの腕が力強くて、「そっか、男の人だったんだ」と妙に感動してしまった。

 

私のおでこがチャンミンさんの胸のあたりにきたら、理想的なんだけどなぁ。

 

私を抱きしめる理由は、ちゃんと分かってる?

 

分かってる。

 

抱きしめられて震えるくらいに嬉しい理由は、ちゃんと分かってる?

 

分かってる。

 

私のほっぺにチャンミンさんのほっぺがくっついている。

 

チャンミンさん...苦しいです。

 

力いっぱい抱きしめ過ぎです。

 

思わず喘いでしまったら、チャンミンさんの腕がびくっと震えた。

 

 


 

~チャンミン~

 

「チャンミンさん...っ苦しいです」

 

そう言った民ちゃんの、吐息混じりの喘ぎが僕の耳にかかる。

 

鳥肌が背中まで走った。

 

民ちゃん...声が色っぽいよ。

 

民ちゃんを深く抱き直した僕は、甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 

苦しがっても、今夜の僕は民ちゃんを離す気持ちはないんだ。

 

ずっと、こうしたかった。

 

女の人を抱きしめる経験なんて初めてじゃないくせに、じわじわと幸福感が沁みてくるこの感じは...生まれて初めてだ。

 

僕が女の人を抱きしめる時、頭の中でエロいことが70%は占めている。

 

民ちゃんを愛おしむ気持ちでいっぱいだったから、今のハグに不純なものは何も混じっていない。

 

「...チャンミンさん...人が来ます...」

 

背後から咳払いがした。

 

「あ...」

 

慌てて振り向いたらアパートの住民らしい男性が、塀すれすれに僕らを避けて通り過ぎ、何度か振り向きながら階段を上がっていった。

 

公衆の場で抱き合う僕らは非常識極まりないけど、常識的な僕なのに、抱く腕は緩めない。

 

「...チャンミン、さん?」

 

無言でいる僕に不安を感じた民ちゃんが、身をよじって僕を覗き込んでいた。

 

「どうしましたか?

顔が...怖いですよ」

 

民ちゃんとハグが出来たことの感動を噛みしめていて、大事なことを忘れていた。

 

「え...っと」

 

「ここじゃ寒いですし、外ですし。

部屋に上がりますか?」

 

「え?」

 

僕の腕の中からするりと抜け出た民ちゃんは、僕の手を握った。

 

「手が冷たいです。

ストーブで温まりましょうよ」

 

「待って、民ちゃん!」

 

「待つ、って何をですか?」

 

じとっと睨む民ちゃんの三白眼、暗がりの中でも白目が際立っている。

 

「待ちくたびれました。

私はもう、待ちたくありません。

ほら!

チャンミンさん、行きますよ」

 

力いっぱい引きずられる。

 

こんなシーン、前にもあった。

 

ラブホテルに引きずり連れられた日があったな、そういえば。

 

「懐かしいな」と緩めた口元を、目ざとい民ちゃんに目撃されてしまい、

 

「チャンミンさん...顔がエロいですよ。

今からエッチをしよう、って言ってるんじゃないんですからね。

勘違いしないで下さいね」

 

「民ちゃん!」

 

慌てる僕に民ちゃんは、「あははは」と大きな口を開けて笑った。

 

僕に先立ち階段を上る民ちゃんを追いかける。

 

「!!」

 

突然立ち止まった民ちゃんの背中に、鼻をぶつけてしまった。

 

「どうした?」

 

くるりと振り返った民ちゃんが、ニヤニヤ笑っていた。

 

どうせ『エッチなことで頭がいっぱいなんでしょう?』とかなんとか、言うのかなと思った。

 

 

(つづく)

 

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【76】NO?

 

 

 

~民~

 

 

「お前、チャンミンちを家出でもしたのか?」

 

「家出?」

 

似たようなものかもしれない。

 

「喧嘩したのか?」

 

首を横に振る。

 

「チャンミンの奴...めちゃめちゃ心配してたぞ。

俺の話を最後まで聞かないんだから...。

大袈裟にとらえてなければいいんだが...」

 

「心配してた...?」

 

「すっ飛んでくるよ」

 

今はチャンミンさんの顔を見たくない。

 

だってチャンミンさんは、リアさんの側にいるべき人なんだから。

 

だから余計に、ユンさんに甘えたい、と思った。

 

常に落ち着いていて、首につけたキスマーク以外で私の胸をざわつかせることをしなかった。

 

チャンミンさんは、私をビックリさせる人だ。

 

首にキスしたり、手を繋いできたり、抱きついてきたりするくせに、リアさんと抱き合ってるんだもの。

 

やってることがちぐはぐなんだもの。

 

タクシーでの出来事を勘違いしなくてよかった。

 

保留にしておいてよかった。

 

あと数日もしたら、わたしはチャンミンさんちを出て新しいお部屋に引っ越す。

 

一か月近くお世話になった感謝の気持ちをちゃんと伝えたら、チャンミンさんとは距離を置こう。

 

うん、そうしよう。

 

お兄ちゃんは「じゃあな」と片手を挙げて、病室を出て行った。

 

頭がズキズキと痛む、手の平はヒリヒリする。

 

痛み止めの薬でうとうととした眠気の中、ぼーっと白い天井を見上げていた。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

タクシーを飛び降りた。

 

「くそっ」

 

締め切った正面玄関に舌打ちをして、救急出入り口まで走って回る。

 

自動ドアに肩をぶつけて2度目の舌打ちをし、夜間受付のカウンターに顔を突っ込む。

 

「民は!?

僕は...兄です!」

 

 

集中治療室とかじゃなくて、一般病棟を案内されて安堵の息を吐く。

 

意識不明の重体なんだと、最悪の事態のつもりでいたから。

 

どこでどうすると民ちゃんが救急車で運ばれることになるのか、全く想像がつかなかった。

 

泥酔状態でふらふら歩いていて、車道によろけてしまってはねられた、とか?

 

Tがあれこれ説明していたけど、パニックになってた僕はこれっぽっちも話を聞いていなかった。

 

消灯時間間際の病棟の廊下は静かで、面会時間を過ぎていたが、急患患者の家族(本当は違うけど)ということで許可された。

 

ネームプレートで民ちゃんの名前を確認した僕は、身なりを整える。

 

ゆるんで斜めになったネクタイは外し、はみ出た背中のシャツをスラックスにたくし込み、汗でくしゃくしゃになった髪を撫でつけた。

 

一息ついて、そっと引き戸を開けた。

 

ここは2人部屋で民ちゃんは窓側のベッドだ。

 

「民ちゃん?」

 

枕元灯の光が漏れるカーテンから、僕は顔をのぞかせる。

 

胸が痛くなるほど美しい青年が横たわっていた。

 

眠ってはいなかったようで、カーテンの隙間の僕にゆっくりと視線を向けた。

 

枕元灯に片方から照らされて、額と鼻筋がくっきりとした影を作っている。

 

あらかじめ教えてもらっていなければ、民ちゃんは男性そのものだ。

 

でも、僕の目というフィルターを通すと、骨ばって薄い身体つきから、儚げな女性らしさを感じ取られるし、可愛らしいキャラクターを続々と引き出せられる。

 

ほとんどの人が気付いていないんじゃないかな。

 

酷似している僕だから、出来たことなんだと分析している。

 

民ちゃんを褒めることは、イコール自分を褒めることですね、と笑い合った頃を思い出した。

 

見た目は酷似しているけど、僕と民ちゃんは全くの別物なんだ。

 

よかった...。

 

張り詰めていた全身の力が、抜けていった。

 

頭に白いネットを巻いている以外は、サイズの合わない病衣から長い腕を出していて、顔は傷一つなくて...よかった。

 

僕と目が合った民ちゃんは、一瞬顔をこわばらせた後、僕をじぃっと無表情で見つめている。

 

その眼差しが固くて、「わぁ、チャンミンさん」って笑顔を見せるかと予想していた僕の心が冷えた。

 

怒ってる?

 

怒るのは僕の方なんだけど?

 

やっぱり、リアとのことで不貞腐れてるんだ。

 

「大丈夫?」

 

「......」

 

急にいなくなって、さんざん心配をかけた挙句、病院に運び込まれた民ちゃんを叱りつける気持ちなんて、Tの電話で吹き飛んでしまっていた。

 

民ちゃんに何かあったのでは、と、ここまで生きた心地がしなかった経験は生まれて初めてだったんだ。

 

出来る限り温厚で、礼儀正しく、常識的でありたい僕だったのに、寝付けないは、仕事に手は付かないは、走り回るやらと、滑稽なほどの慌てぶりだった。

 

民ちゃんと僕を繋いでいたのが携帯電話だけで、しかもそれも通じないとなると、民ちゃんの行方の見当がつかなかった。

 

見た目がいくら似ているといっても、所詮僕らは他人同士だ。

 

僕らの関係性はこんな程度に弱いものなんだ。

 

民ちゃんが僕の部屋を出て行ってしまったら、彼女と2人きりで会うには「口実」が必要になるんだ。

 

そんな現実を突きつけられた。

 

今の関係性じゃダメだって。

 

ぐいっと踏み込まないと。

 

民ちゃんのお尻を叩いて説教してやる、だなんて、ジョークに決まってるじゃないか。

 

「民ちゃんが死に瀕している」だなんて、思い込むにもぶっ飛び過ぎだ。

 

ここまでの気持ちをいつの間に、育てていたんだろう。

 

彼女への想いの正体が恋愛感情なんだ、とはっきり自覚したのは、一体いつだったんだろう。

 

一か月前、改札を抜けた民ちゃんを、僕はモニュメントの台座に座って出迎えた。

 

僕と生き写しの姿に息が止まるほど驚いた。

 

同じ目の高さから僕に注がれた...長いまつ毛の下の瞳、青みを帯びた白目...僕まで清く透明になれそうだった。

 

多分...一目惚れだったんだ。

 

 

(つづく)

 

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【74】NO?

 

 

~リア~

 

 

人の好いチャンミンのことだから、「僕がなんとかするよ」って、責任をとろうとすると予想していたのに。

 

もしかしたら覚えていないだけで行為はあったかもしれない、って思いこむかと予想していたのに。

 

疑うことをしない、純朴な大型犬みたいな人だから。

 

私にぞっこんだったのに捨てようとした負い目から、別れを撤回してくれるかと思ったのに。

 

浮気を知って、「僕じゃ物足りなかったんだね、ごめん」って。

 

不甲斐なさから謝ってくるかと思ったのに。

 

浮気の末の妊娠で、その浮気相手を頼れないといった状況で、途方にくれているような私を、ほっとけない人だったのに。

 

あんなに怒るなんて。

 

「僕には関係ない」なんて、チャンミンらしくない。

 

私の見込み違いになってしまった。

 

どうしたらいいの?

 

チャンミンは血相を変えて出かけて行った。

 

『好きな人』とやらに会いにいったのかしら。

 

チャンミンの方こそ、『浮気』してるじゃない。

 

私と別れたがったのも、私が留守がちだのあれこれ理由を述べていたものの、結局は「好きな人ができた」のが理由だったなんて。

 

どこの誰?

 

チャンミンのことだから、仕事繋がりでしょうよ。

 

直近に盗み見したチャンミンの携帯電話の履歴を、思い出そうとした。

 

新しく加わった名前はなかった。

 

私は切羽詰まっていた。

 

ぬくぬくと温かい居場所を失いそうだったから。

 

「あの人」には未だ、切り札となるこのことは伝えていない。

 

先の心配は、「あの人」の反応をみてからにしよう。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

身を投げ出すようにソファに横たわった。

 

これで何十回目になるのか、携帯電話を睨みつける。

 

結局、今日一日待ってみたが、民ちゃんから連絡はなかった。

 

あの子は何やってんだよ。

 

「どれだけ心配してるか...」

 

知らず知らず、口に出していた。

 

「いい年して、家出かよ...」

 

帰ってきたらお尻を叩かないと。

 

お尻を叩いて説教しないと。

 

 

 

 

「ただいま、です」

 

僕に怒鳴られることを分かっているのか、両眉を下げて上目遣いで、足音をたてないように民ちゃんが帰ってきた。

 

ソファに横になった僕の傍らに正座した民ちゃんは、「ごめんなさい」って小さな声で謝る。

 

僕は仏頂面で、しばらく目を合わせてやらない。

 

民ちゃんは僕の手を握って、「ごめんなさい」と今度ははっきりとした声で謝った。

 

民ちゃんの長い前髪が、はらりと片目を覆ったけど、今日の僕は指を伸ばす気にもならない。

 

民ちゃんの手を払いのけた。

 

僕の乱暴な行為に、民ちゃんは拒絶された手をそのままに、下がった眉をもっと下げた。

 

「今まで、何してたの?」

 

「えっと...」

 

俯いて言いよどんでいる。

 

僕はむくりと身体を起こし、床に座った民ちゃんを怖い目で見下ろす。

 

民ちゃんの目は赤くなっていて、僕の怒りに怯えた表情をしていた。

 

折り曲げた小さな膝頭や、細い鎖骨や太ももの上で握った小ぶりの手から、目を反らす。

 

「どこで、何をしてた?」

 

「散歩を...してました」

 

「こんな時にふざけるな!」

 

僕の剣幕に、民ちゃんは身をすくめた。

 

「本当です。

歩いてました」

 

「誰といた?」

 

僕が最もしたかった質問を、とうとう口にしてしまう。

 

「え...?

一人ですけど」

 

「嘘をつくな!」

 

「......」

 

「誰といた?」

 

民ちゃんの澄んだ綺麗な瞳が揺れた。

 

「...ユンさんです」

 

「!!!」

 

 

 

 

手の中のものが、振動と共にけたたましい音をたてて僕は飛び起きた。

 

発信者はT。

 

「もしもし!」

 

最初はTの喋る内容が、頭に入ってこなかった。

 

病院、だとか。

 

事件、だとか。

 

救急車、だとか。

 

警察、だとか。

 

「どこ?」

 

全身が冷えていった。

 

ぶわっと皮膚の表面に冷や汗が浮かんだ。

 

意識がどうの、と言っている。

 

電話の向こうのTは、相変わらず声が大きかった。

 

緊急事態であっても慌てている感じがしないのは、Tとはそういう奴だからだ。

 

連絡を受けた僕の方が、よっぽど慌てふためいている。

 

電話を繋いだまま僕は玄関に走る。

 

脱ぎ捨てた靴をつっかけて、部屋を飛び出す。

 

表通りへ出て、タクシーの空車に向かって手を挙げる。

 

『チャンミン、落ち着けって。

今夜は俺だけで十分なんだって』

 

「そっちに行くから!」

 

『おい!

チャンミン!

話を...』

 

通話を打ち切った僕は、タクシーのシートに身を預けた。

 

額を流れる汗を手の甲で拭った。

 

さっきの民ちゃんは、夢枕に現れたのだろうか。

 

この世を去る前に、僕に別れを告げにやってきたのだろうか。

 

くっくっと胸が痙攣した。

 

こぶしで嗚咽を堪えた。

 

 

(つづく)

 

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【73】NO?

 

 

~チャンミン~

 

 

足をひきずるように帰宅した時には、午前2時を回っていた。

 

いつものコンビニにもいなかった。

 

近所の目についた飲み屋はひととおり覗いてみた。

 

不要な心配をかけてしまうと分かっていたが、Tへ電話をかけてみた。

 

「民?

いや、来ていないけど。

彼氏んちにでも行ってるんじゃないか?

彼氏がいればの話だが...ハハハハハ。

お前も心配性だなぁ。

兄の俺より心配してどうする?

もう大人なんだし、明日には帰ってくるさ」

 

Tの言う通り、民ちゃんは大人だし、外見もか弱い女の子風とはかけ離れている。

 

しっかりとした性格だし...。

 

それでも無性に心配してしまったのは、民ちゃんの無防備さが危なっかしいから。

 

「彼氏がいればの話だが...」のTの言葉。

 

嫉妬で胸が焦げそうになるけど、『例の彼』と一緒にいるのならまだ安心だ。

 

でも、僕の許可なく無断で外泊しているとしたならば、心穏やかでいられない。

 

民ちゃんは僕の恋人じゃないのだから、僕の許可なんかいらない、本来ならば。

 

身寄りのいない子犬に寝床と食物を与え続けたのに、その愛犬がもっと美味しい食べ物を求めて家を出て行ってしまった...そんな心境。

 

こんな考え...僕は何様だよ。

 

民ちゃんに衣食住を与えていただなんて...。

 

僕と民ちゃんは対等ではなく、民ちゃんは僕を頼らないとダメな子なんだって、そう考えていたかったんだな。

 

民ちゃんの部屋で、三つ折りにした彼女の布団を抱きしめるように、顔を埋めた。

 

民ちゃんの甘い香りがする。

 

我ながら変態じみている。

 

そんなこと、分かってる。

 

民ちゃんは僕にそっくりで、あんなに大きななりをしてるのに、男みたいな顔をしてるのに、どうして女の子なんだよ。

 

僕の分身みたいに瓜二つなところが、身内のような、自分の分身みたいな親しみさを生んだ。

 

もし、血の繋がりがあったとしたら、それこそ近親相姦になってしまうが、全くの他人であることに安心した。

 

この世に存在するという3人のうちの1人と出逢えたことが、非現実的で奇跡みたいで、そんな民ちゃんは貴重な存在。

 

こうやって挙げたことよりも、もっと大きな理由。

 

僕が民ちゃんに惹かれた理由。

 

他の人たちだったら見逃してしまうようなこと、僕とそっくりだからこそ気付けること。

 

それは何だろう、って今あらためて探っていた。

 

待て。

 

今はそれどころじゃない。

 

僕は布団に埋めた顔を上げ、起き上がってリビングに戻った。

 

リアは寝室にいるのか、出かけているのか分からない。

 

確かめる気も起きない。

 

例の小箱はリアが持っていってしまったようで、ここにはもう無かった。

 

アレの精度はどれくらいなのか、中身を確かめたかったから。

 

リアのことも、民ちゃんのことも、2人の女性のことで僕の心はキャパシティを超えそうだ。

 

2本立ての事件で息つく間もない。

 

民ちゃんが帰ってこない。

 

『例の彼』のところにいるんだ、きっと。

 

「あ...!」

 

僕の中にぽっと浮かんだ考え。

 

僕とリアとの会話を聞いてしまって、「リアが妊娠」とか「僕のこども」とかのワードにショックを受けていたとしたら...。

 

誤解を解きたい。

 

そして、誤解してショックを受けて欲しい。

 

僕とリアとのことで嫉妬して欲しい。

 

 

 

 

興奮状態のせいで眠くならない。

 

出勤時間のぎりぎりまで待ってみたけど、帰ってこなかった。

 

電話も通じない。

 

民ちゃん、何してるんだよ。

 

直接仕事に行っているかもしれないと思い至って、忌々しいけれどユンのオフィスへ電話を入れた。

 

「やあ、チャンミンさん。

どうしました?

写真の校正はSさんへ渡しましたよ」

 

どこか面白がるような言い方にイラッとした。

 

「民ちゃ...じゃなくて、民は出社していますか?」

 

妹(または弟?)を案じる兄のような口調で、質問する。

 

「え?

民くんですか?

...それが、出社していないのです」

 

「そんな...」

 

僕の心臓はうるさいくらいに鼓動していた。

 

「どうしたのでしょう、あの子が無断欠勤とは。

あの子らしくないですね、お兄さん?」

 

「...突然、失礼しました」

 

と、電話を切ろうとした。

 

「待ってください。

どうしたのです?」

 

ユンは僕の様子がおかしいと察したようだ。

 

「チャンミンさんは、民くんと一緒に住んでいるのですよね?」

 

「...はい。

昨夜、帰って来なかったものですから」

 

「...そうですか。

昨日は元気よく仕事に来ていましたよ。

友人のところにでも、外泊したのでないですか?」

 

そう考えるのが普通だろうな。

 

「そうかもしれませんね。

無断で仕事を休むなんて...民に代わってお詫びします。

申し訳ありませんが、もし民が出社してきたら僕のところまで連絡をくれるように伝えて下さいませんか?

お願いします。

...では、切ります」

 

僕は目をつむって、焦燥感を落ち着かせようと大きく深呼吸をした。

 

着信がないか何度も確認した。

 

取引先との通話を終えて受話器を握りしめたまま放心している僕に気付いたSも「最近の先輩は変です」と呆れている。

 

プライベートで何があろうと、職場には一切持ち込まなかった僕だったのに。

 

民ちゃんに関することだと、平静でいられない。

 

参った、本当に参ってる。

 

ユンからも民ちゃんからも連絡がない。

 

そして、10何度目かの発信でも、繋がらない。

 

そう。

 

僕を不安に陥れている理由は、受話器から流れる音声。

 

『おかけになった番号は、電源が切られているか電波の届かない場所に...』

 

もの凄く嫌な予感がした。

 

 

(つづく)

 

 

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