(前編)次はどこいく?

 

 

こんな一週間だった。

 

大きな出来事もなく、激しい感情のぶつかり合いもなく、気怠く、淡々とした一週間だった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

その地に降り立った時、小腹が空いていた僕と機内食でお腹が膨れていたユノとの間で、小さないさかいをした。

 

乗り換えを含めると、半日近く飛行機の狭いシートに押し込められていたことになる。

 

脚はむくむし、腰も痛い、旅行は始まったばかりというのに、2人とも疲労でピリピリしていた。

 

「チャンミンだけ1人で食べておいでよ。

俺はコーヒーでも飲んで待ってるから」

 

「なんですか。

僕1人でご飯なんて、嫌ですよ」

 

「でも、お腹が空いているんだろ?」

 

「せっかく2人でいるんですよ。

いきなり別行動ですか?」

 

『2人で』することに、僕はこだわっていた。

 

だって僕たちは普段、滅多に会えない。

 

だから今回の旅行は、2人べったり一緒にいられる貴重な時間。

 

それなのに今は、戯れのひとつみたいに、僕たちは敢えて不機嫌さを隠さない。

 

普段は、喧嘩をする隙さえないくらい、僕たちは会えないから。

 

「おい!」

 

機嫌が悪い僕に対して機嫌を悪くしたユノは、僕を置いてずんずんと先へ歩いて行ってしまおうとする。

 

追いかけても、ユノは振り向きもせず大きな歩幅でずんずん行ってしまう。

 

ユノの後ろ姿が怒っていた。

 

今回の旅行にそなえて、ユノは髪を短く切ったのだという。

 

暑い国にいくから、って。

 

整えられた襟足からすっと伸びる首が、怒っている。

 

ユノの後ろ姿が、どんどん遠くなる。

 

ユノは振り返らない。

 

ユノが雑踏の中に隠れてしまう。

 

僕に別れを告げユノが、立ち去るシーンを想像してみた。

 

こんなに悲しいシーンを想像してしまっても、僕は平気だ。

 

僕たちは交際中で、今の僕は幸せだから。

 

僕は柱の陰に隠れる。

 

もうすぐ、ユノは振り返る。

 

僕がついてきていないことに気付く。

 

キョロキョロと周りを見渡して、僕を探す。

 

あ、来た!

 

目の前をユノが走り過ぎた。

 

ふふふ、慌ててる。

 

真剣な横顔だった。

 

ユノが引き返してきた。

 

笑いをこらえる僕を見つけたユノは、驚きで目を丸くし、心からホッとした安堵の表情を見せた後、眉をひそめてぎりっと僕を睨んだ。

 

「子供みたいな行動をとるなよ!

ったく!」

 

舌打ちをしたユノは、再び僕を置いて行ってしまおうとした。

 

10メートルくらい先へ進んだユノは、くるりと回れ右をした。

 

つかつかと引き返してくると、僕の手首をぎゅっと握った。

 

「ほら、行くぞ。

腹が減って機嫌が悪いんだろ?

何か食いに行くぞ。

ほらほら!」

 

ユノの手が、痛いくらい力強い。

 

ユノにひきずられながら、僕は幸せだ、と思った。

 

引きずられるように歩く僕に気付いたユノは、歩をゆるめて振り返った。

 

隠れたのは、貴方の気持ちを確かめるつもりじゃないんだよ。

 

普段できないプチ・喧嘩を、ここぞとばかりに2人で楽しんでいるんだよね?

 

苦笑した貴方の顔が、「その通り」って言っている。

 

貴重で、待ちに待った、2人だけの旅が始まった。

 

 

 

 

~ユノ~

 

 

全てがくすぐったく、笑顔ではじけていて、夢見心地で、けだるげだった。

 

観光はしなかった。

 

ずっとホテルで過ごした。

 

食事どきだけ、地元のマーケットをぶらついた。

 

チープでくだらないものを、半分ジョークで買ったりした。

 

不気味なお面を買おうとしたら、チャンミンに全力で止められた。

 

「だってさアレ、チャンミンの顔にそっくり!

耳なんてびょーんってでっかいし、目の形なんかも...ぷぷぷっ」

 

「ひどいですね!

あのお面なんてどうです?

ユノが笑った時の顔にそっくり...ぶぶっ」

 

3本買えば1本おまけに付けるの言葉にのせられて、俺が大量に買ったグリーンカレーペーストの瓶は、チャンミンのリュックサックの中に入っている。

 

一生記憶に残るくらい美味しいもあったし、お互い目を見合わせるくらい不味いものもあった。

 

プールで泳いで、冷たい飲み物をオーダーしてそれぞれ持参した本を開く。

 

「もう手遅れですよ。

真っ黒な顔をしてます」

 

日焼け止めを塗りなおしてばかりいる俺を、チャンミンは笑う。

 

「チャンミンこそ、サングラスの痕がついてるよ」

 

「えぇっ!」

 

慌ててサングラスを外したチャンミンは、眩しすぎる日光に目を細めた。

 

「日焼け止め、塗ってください!」

 

目を閉じて顔を突き出して、大人しく俺にクリームを塗られるがままのチャンミン。

 

頬と鼻先は赤く火照っていて、唇は日焼けしてひびわれていた。

 

ぬるま湯のシャワーを「沁みる!」「痛い」と大騒ぎしながら浴びた後、お互いの背中に化粧水を塗り合った。

 

ベッドにうつ伏せになったチャンミンの熱い背中に、化粧水をたっぷりパッティングしてあげた。

 

「日焼け直後は、保湿が大切なんだってさ」って。

 

「ユノ...美容に詳しいですね。

...昔の彼女に教えてもらったんですか?」

 

じとりと俺を睨みつけ、機嫌を損ねたチャンミン。

 

チャンミンが指摘する通りだった俺は、「まーね」と認めてやった。

 

ヤキモチを妬くチャンミンに、胸がこそばゆくなる俺は意地悪だ。

 

「僕だって、昔付き合ってた人とこの国に来たことあるもんね」

 

そう言い放って、洗面所に行ってしまうチャンミンに、俺はベッドから飛び起きた。

 

「なんだって!?」

 

「......」

 

「そうなの?

聞いてないよ、そんな話」

 

歯を磨くチャンミンを背中から抱きしめて、「いつの話?」「ホントにそうなの?」と聞いたのに、ぷりぷりに怒った彼は俺を無視してる。

 

チャンミンの長い首を、はむはむする。

 

日に焼けて火照った肌は、チャンミンの汗でしょっぱい味がした。

 

「くすぐったい!」

 

チャンミンは首をすくめて、俺のみぞおちに肘鉄する。

 

そのパンチ力に、これは相当怒ってるな、と。

 

30年以上も生きていれば当然、過去に恋人がいたことはある。

 

プールで泳いだり、土産屋を冷やかしたり、ベッドで抱き合ったり...過去の恋人とチャンミンがそういうことをしている光景が浮かんできて、嫉妬の炎で俺のハートがくすぶっている。

 

じわっと涙が浮かんできた。

 

「そっか...」

 

俺はチャンミンの腰に回した腕をほどき、洗面所に彼を残してベッドルームに引き上げた。

 

がっかりした感を目一杯漂わせて、肩を落としてとぼとぼと。

 

「!」

 

俺を追ってきたチャンミンに、力いっぱい背中を突き飛ばされた。

 

そして二人まとめて、ベッドにダイブする。

 

マットレスが大きく揺れて、スプリングがきしんだ。

 

「昔の話は発言禁止」

 

俺たちは唇を吸いながら、互いのボトムスを脱がせ合う。

 

「チャンミン...ぷぷっ」

 

いい雰囲気だったのに、俺は吹き出してしまった。

 

「何ですか?」

 

チャンミンの履いたハーフパンツを下げたら、焼けた肌となまっちろい肌がくっきりしていた。

 

「日焼け止め塗ったのに...」

 

褐色の背と脚に対して、小ぶりのお尻だけが肌色でなまめかしい。

 

ムラムラっとしてしまって、お尻のほっぺをがぶっとしてしまった。

 

「ひゃあっ!

いったいなぁ!」

 

「だって...可愛いケツなんだもん」

 

「ユノだって、似たようなものですよーだ」

 

すばしっこく背後に回ったチャンミンは、俺のジャージパンツを下着ごと一気に引き下ろした。

 

「おい!」

 

「お!

ユノも焼けましたねぇ。

ユノの場合、明日海パンは要りませんね」

 

「なんでだよ?」

 

「ユノったら...えっろ!

ベージュのビキニパンツ履いてるみたい。

...ダメかぁ...真ん中に毛皮のアップリケが付いてるし、尻尾が生えてる...」

 

「お前の方こそ、もじゃもじゃの毛皮のパンツじゃん」

 

「毛深くてすみませんねー」

 

色っぽい雰囲気は消し飛んでしまったけど、大丈夫。

 

俺たちには時間がたっぷりあるから。

 

 

 

(つづく)

 

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【BL短編】失恋~さよならはエモーション~

 

 

時間が解決してくれる、とはよく言ったものだ。

 

深夜過ぎのコンビニエンスストアへ、さしたる用事もないのにふらりと立ち寄ってしまったのは、正直に認めてしまうけど、寂しくて仕方がなかったからだ。

 

冷たく乾いた北風が、湯上りだった俺をぶるりと震わす。

 

手渡されたレシートは、くしゃりと握りつぶして捨てた。

 

ビールでも...と思ったが、温かい缶コーヒーを購入したのだ。

 

熱々のそれを、左右の手に交互に転がす。

 

甘いコーヒーを、ちびちびとすすりながら、自宅アパートへの道をとぼとぼと歩く。

 

時間が解決してくれる...ふざけるな!

 

解決できるまでの時間がいばらの道なんだよ。

 

泣くもんか。

 

泣いてたまるもんか。

 

泣いてしまったら、事実になってしまう。

 

それでもぶわりと涙が浮かんできて、それがこぼれ落ちないようにと、天を仰いだ。

 

見上げた星空が綺麗で、こんなに腐った心を抱えていても、感動できる自分がいて、捨てたものじゃないなぁ、と思った。

 

ある人を思い出していた。

 

俺の脳みその120%は、そいつのことで占められていた。

 

 

 

 

毎晩、深夜0時にコンビニエンスストアで缶コーヒーを買うルーティンが加わった。

 

失恋を癒やすには、そこから早く抜け出すために、淡々と、小さなルーティンを繰り返す。

 

俺は必死だったんだ。

 

深夜バイトの子も、毎晩必ず同じ銘柄の缶コーヒーを買いにくる俺を覚える。

 

入店する俺を認めると、注文する前にレジカウンター横の保温機から、その缶コーヒーを差し出してくれる。

 

これですよね?ってな風に。

 

俺は軽く頷いてみせる。

 

そのバイト生のささやかな気遣いにすら、泣けてしまうのを堪えるのだ。

 

そして今夜も、甘ったるい缶コーヒーをすすりながら、夜道を歩く。

 

あいつと暮らした部屋へ、一人帰るんだ。

 

 

 

 

俺たちは10年間、ともに暮らしていて、概ねうまくやってきたと思っていた。

 

帰宅するとあいつが待っていて、俺の帰りが先の場合は、あいつが帰宅するのを待つ。

 

変わった酒や菓子、日常生活にこれっぽっちも役に立たないくだらない物などを買ってきては、あいつの反応を見るのが面白かった。

 

喧嘩することもあったけれど、楽しかったなぁ。

 

あいつと過ごした全てが、キラキラと眩しい思い出だ。

 

 

 

 

物には罪はない。

 

だが、あいつが選んだ柔軟剤のボトルひとつですら、今の俺にとっては凶器だった。

 

全て捨てた。

 

ゴミ袋の山ができた。

 

この部屋の中のものが全部、あいつにまつわるものだった事実に、ぞっとした。

 

これだけのものに囲まれていたら、過去にとらわれたままでいて当然だ。

 

「ははっ...」

 

乾いた上っ面な笑い声が、がらんとした部屋に虚しく響いた。

 

「馬鹿やろう...」

 

大声で叫べれば、どれだけ楽になるだろう。

 

壁をこぶしで殴り、共に買ったマグカップを叩き割ってしまえたら、どれだけ楽になることか。

 

それが出来ない俺は、ぼそりとつぶやくのがやっとだった。

 

俺は死ぬほどあいつのことが好きだった。

 

ずっとずっと、一緒にいたかった。

 

でも、無理だった。

 

当然だ。

 

俺たちの関係は、「その先」がない。

 

どれだけ愛し合っていても、ゴールがない。

 

ゴールを求めたあいつを、俺は責められない。

 

今の俺は、1ミリも幸せじゃない。

 

でも、あいつの幸せは祈っている気持ちがある。

 

この想いが、俺を苦しめてるんだよなぁ。

 

 

 

 

いつも通り起床して、電車に乗って職場に向かう。

 

会議資料をまとめ、クレームに頭を下げ、後輩と昼飯を食い、得意先を訪問して回る。

 

ふと見た窓の向こう、アイスブルーの冬空が透き通っていて綺麗だった。

 

今頃あいつは何しているかな。

 

笑っているかな...笑っているだろうな。

 

頭の中のあいつが「元気にしてる?」と、俺に尋ねる。

 

元気じゃねぇよ。

 

泣かないようにするのに必死なんだ。

 

辛くて仕方がないんだよ。

 

あの頃に戻れたらなぁ...無理だって分かってるよ。

 

ふうっと息を吐き、手元の書類に意識を戻す。

 

いつか笑える時がくるといい。

 

その日の訪れを、俺は指折り待ち望んでいるんだ。

 

 

 

 

深夜のコンビニエンスストア。

 

いつものバイト生がいつもの缶コーヒーを、レジカウンターにことりと置くのを待った。

 

「あの...すみません...。

商品の入れ替えがあって...」

 

心から申し訳なさそうに言う彼と、真っ直ぐ目があった。

 

彼の顔をまともに見るのは、その時が初めてだった。

 

「...そっか...」

 

困ったな...いばらの道をやり過ごすためのルーティンが途絶えてしまった。

 

がっくりと肩を落とした俺に、彼は慌てたようだった。

 

「これ!

これなんか、どうですか?」

 

彼は保温機から取り出した飲み物を、俺の手に握らせた。

 

「ミルクティ?」

 

「嫌いですか?

じゃあ、これは?」

 

レジカウンターの上に、色とりどりのホットドリンクが並んだ。

 

一生懸命な彼に、思わず俺はクスリとしてしまって、「全部ちょうだい」と言っていた。

 

「え?」

 

俺の言葉に、彼はポカンとした表情でいた。

 

へぇ、可愛い顔してるなぁ、って思った。

 

21か22の大学生かな、若いなぁ。

 

買い物袋を手渡す彼の手と、受け取る俺の手が一瞬触れた。

 

「わあ!

すみません!」

 

これくらい大したことないのに、大げさな反応をする彼に...真っ赤に顔を染めた彼に、俺は感動していた。

 

この子はきっと、心が引き裂かれるような失恋は経験したことはないのだろうな。

 

喪失の苦しみから抜け出る術を、まだ知らないのだろうな。

 

若く、新品な彼が羨ましかった。

 

 

 

 

酷い風邪をひいた。

 

自分の身体をないがしろにしていた罰があった。

 

会社を病欠し、布団にもぐりこんで一日震えていた。

 

あいつに看病してもらえたのは、過去の話だ。

 

喉がからからなことに気付いて、もぞもぞと布団から抜け出る。

 

膝に力が入らず、ぐらりと揺れる身体。

 

熱で朦朧とした視界と思考。

 

この熱が下がったら、新しい自分になれそうだ。

 

たかが風邪ごときに望みを託すくらい、俺は必死だった。

 

このままじゃ駄目だ、前へ進まないと。

 

ふらつく身体をおして、深夜のコンビニエンスストアへ向かう。

 

 

 

 

「大丈夫ですか?

...大丈夫じゃないですね」

 

いつものバイト生、両眉を目いっぱい下げて俺を心配する。

 

微笑み返すのがやっとの俺は、ホットレモンのボトルを手に店を出る。

 

開きかけた自動ドアに肩をぶつけてしまって、その勢いで片膝をついてしまった。

 

「わあぁ!」

 

彼の叫び声に、俺の方が驚いた。

 

駆け寄る彼に肩を貸してもらい、俺はなんとか姿勢を立て直した。

 

背が高いんだな。

 

「僕にもたれてください」

 

俺の背を支える腕が力強くて、このまま頼ってしまいたくなる。

 

弱り切っていた自分に、あらためて気づいた。

 

「ここで待っててください」

 

店前のベンチに俺を座らせると、彼は店内へ駆けていった。

 

深夜過ぎだというのに、交通量の多い幹線道路。

 

火照った頬に冷たい夜風が気持ちがいい。

 

「さあ、行きましょう」

 

バタバタと足音がし、俺の脇に腕が差し込まれた。

 

「家はどこですか?

送っていきます」

 

「え...?

君...仕事は...?」

 

「早退です」

 

「え...?

そんなの...悪いよ」

 

「あと30分でしたし、いいんです。

ほら、もっともたれてください」

 

彼は頼もしかった。

 

「いつもの時間にいらっしゃらないから、心配してました」

 

「風邪ひいてて...今まで寝てたんだ」

 

「そうですか...辛いですねぇ」

 

彼が言う「辛い」は体調不良についてのことだ。

 

でも、その時の俺には、違う意味に聞こえた。

 

辛かった。

 

本当に辛い毎日だった。

 

涙がこぼれた。

 

「僕に任せてくださいね。

明日は休みだし...あ、もう今日になっちゃいましたね。

ああ!!

泣くほど辛いんですか?」

 

綺麗な横顔をしている、と思った。

 

「家はどこですか?

そっちですね」

 

優しい子だな、と思った。

 

「ごめんな、サボらせてしまって」

 

「いいんです。

貴方が心配で、仕事になりませんでしたから」

 

「自己紹介しないとな。

俺は、ユノ。

君は?」

 

「チャンミンといいます」

 

 

 

 

朝までぐっすりと眠ろう。

 

心配性なこの子のことだから、帰らないだろうな。

 

辛かった日々は、39℃の熱と共に昇華するはずだ。

 

明日になったら、この子に美味いものを食わせてやろう。

 

「ありがとな」

 

「どういたしまして」

 

 

(おしまい)

 

 

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(後編)距離感

 

寝込みを襲う形になってしまうけれど、後先のことは...後になって考えればいい。

僕の軽はずみな行動は、浴びるほど摂取したビールと焼酎のせいにすればいい。

 

 

シャツをたくしあげ、引き締まった下腹をひと撫ぜした。

そして、彼のものに顔を寄せぺろり、と先端を舐めてみた。

つるりとした舐め心地で、汗の香りがした。

頭を垂れていたものが、そのうち歯を当てたら弾けそうなほど張り詰めていった。

僕は頭を上げ、ユノの様子をうかがった。

 

彼は眠ったままだった。

 

僕は続きに戻った。

僕の唾液ととめどなく湧くそれとが混ざり合い、口を離すと糸が引くのが分かった。

ユノは呻き膝を立て、身をよじる。

下腹部の違和感の正体を探ろうと伸ばされたユノの手を、僕は払いのけた。

眉間にしわを寄せ、切なさげな表情を見ていると、僕も興奮してくる。

パンツのジッパーを下げ下着をずらすと、むき出しにしたそれをしごいた。

寝返りを打たれても、僕はコバンザメのように彼のそこに吸い付いたままでいた。

自分がされて気持ちがよいと思う動きを、口と喉、指を使って再現した。

イカれた行為にふける自分を軽蔑し、卑しい自分に興奮した。

 

あ~あ、やっちまった。

 

ぬるま湯とはいえ、長年保ってきた良好な距離感をぶち壊している。

信頼を損なう手段などいくらでもあるけれど、僕の願望も同時に叶えられる手段はやはり、性的なこと。

僕だけの秘密、ユノの内ももの柔らかない皮膚をきつく吸い付いた...付けられた本人はまさか鬱血痕だとは思いもしないだろう。

開けた窓から侵入した蚊でも刺された程度に思うはずだ...ここが超高層で超ラグジュアリーな空間で、不快害虫が入り込む隙などない点を無視した場合の話だが。

いよいよ彼のものが爆ぜた。

続けて僕のものも爆ぜて、放たれたものは手の平で受け止めた。

 

「はあはあはあ...」

 

彼の下着を汚すわけにはいかなくて、僕は全部を飲み干した。

美味くはないが、不味くもなかった。

相方の精液を飲むとはぶっ飛んだことをしたものだ。

 

 

僕は部屋を出た。

僕の背後で、カチリとドアが施錠される電子音がした。

明日も...日付が変わってしまったから今日...ユノと顔を合わせるスケジュールになっている。

口淫されても目覚めないほどユノはぐっすりと眠っていたし、濡れた箇所は綺麗に舐めとったから、気づかれていないはずだ。

僕はタクシーで帰宅し、缶ビールを1本飲んだのちベッドに入った。

ぬるいビールはユノの精液よりも不味い、と思いながら。

 

 

昨夜の行為は現実のものだと信じられないほど、健康的な青空だった。

僕は口内に残る、ユノの形と固さ、熱さと味を思い返していた。

寝込みを襲うという犯罪行為を犯しながら、罪悪感が無いことが不思議だった。

為すべきことを為した満足感が強い。

これが吉と出るか凶と出るか...ぬるま湯に大量の氷をぶち込んだのか、もしくは熱湯を注いだのか、僕らの仲はどう変化するのだろう。

昨夜の行為にまったく気づかれなくても寂しいし、バレてしまったことで「変態」だと避けられてもショックを受けるだろうな。

 

 

二日酔いのユノは真っ青な顔色で、水ばかり飲んでいた。

ぷんとアルコールのすえた匂いをまとっていたが、午後を過ぎた頃になって元気を取り戻したようだった。

休憩時間、ユノはスタッフたちと談笑し、僕は彼らから離れてスマートフォンをいじっていた。

 

「チャンミン」

 

ちょいちょいと手招きされ、トイレに引きずり込まれた。

 

「な、何するんだ!?」

 

ユノは意味ありげに目を細め、ずいっと僕に顔を寄せた。

 

「...凄いなお前」

 

一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 

「なんの...こと?」

 

「とぼけるなよ。

昨夜のことだよ」

 

「ああ~。

『あのこと』ね」

 

ここは目を泳がすなり、動揺する場面のところなのに、全く隠すつもりがなかった僕は真っすぐユノの目を見つめ返した。

ユノの瞳孔が一回り縮み、すぐに元通りになった。

僕の態度が堂々としているものだから、ユノは動揺したようだった。

 

「気づいてたんだ?」

 

「あ、あれだけのことされて、気づかないなんておかしいだろう?」

 

ユノは僕から身を引くと、施されたメイクを気にもせず、すくった水で顔を洗った。

 

「寝てたふりをしてたんだ?」

 

「半分夢見心地だった」

 

「じゃあ、べろんべろんに酔ったのはフリだったの?」

 

「ああ...3割増し」

 

「どうして?」

 

ユノはペーパータオルを乱雑に2、3枚引き出すと、濡れた顔の水気を取った。

 

「最近、なんだかダルいな、って思っててさ。

身体がダルい、っていう意味じゃない」

 

「仕事?」

 

「違う。

...お前との関係」

 

ユノは洗面カウンターにもたれかかった。

鏡にはユノの背中と、彼と色違いのスーツを着た僕が映っている。

 

「お前に近づくための口実」

 

「いつも一緒にいるじゃないか」

 

「オフィシャルな場ではね。

そういえば、プライベートでお前と遊んだことないな、って思ったわけ。

今さらだけどな。

周りのやつらはどんどん身を固めてゆくし、今の生活に満足はしてるんだけど...。

してるんだけどさ。

たまに、こんなんでいいのか、って思うわけ。

何か足らないって思うわけ」

 

ユノは立てた親指で自身を指さした。

 

「こう見えて、俺って本命を前にするとかっこつけてしまって、言いたいことが言えないんだ。

そんなわけで、酒の力を借りてみた」

 

「軽蔑したか?

僕がしたこと。

...変態だろ?」

 

「ああ、変態だな」

 

「だろ?」

 

「でも、悪くない。

どうせなら、素面んときがよかった」

 

ユノはペーパータオルをくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に投げ捨てた。

 

「何言ってんだ?」

 

「素面んときがよかった、ってこと。

酔っぱらってたら、感覚が鈍くなる。

夕べ、イクのに時間がかかっただろ?」

 

ユノは片脚を伸ばすと、つま先を僕の股間に添えた。

 

「!」

 

ラインストーンが全面に縫い付けられ、つま先がとがった靴だ。

足の甲で、僕の股間を撫ぜた。

 

「...っ」

 

「次の休み...チャンミンちに行ってもいい?」

 

「え?」

 

「酒は禁止。

素面で。

いいか?」

 

僕は、こくりと頷いた。

 

そういえば...ユノを招いたことがなかった。

 

僕の部屋に。

 

(おしまい)

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(後編)青春の瞬き

 

 

「シム君、成績いいよね」

 

「君の次にね。

余裕があるんだね」

 

ゲーム機をあごでしゃくった。

 

球技大会をサボって、試験勉強をするわけでもなく、ゲームだなんて余裕たっぷりじゃないか。

 

チョンユンホにジェラシーを覚えた。

 

陰でこそこそ勉強している自分が、恥ずかしく思えた。

 

「これはね、息抜きなんだ。

俺、大げさじゃなく一日6時間以上は勉強してるんだよ。

これには、学校の授業は含めてないぞ。

休みの日は、一日中。

俺はがり勉だよ。

人一倍勉強しているから、テストの結果がいいだけのこと。

シム君は、もともと頭がよさそうだね」

 

「そんなことないよ」

 

「参加できない球技大会で、もどかしい思いしてストレス溜めたら、試験勉強に影響が出るだろ?

だから、ゲームしてるわけ」

 

チョンユンホは少しだけ哀しそうな表情だった。

 

 

 

 

「どっちがいい?」

 

自販機で買ってきたジュースを、ユンホに差し出した。

 

「お茶は売切れていた。

オレンジジュースとリンゴジュース、好きな方選んで」

 

「シム君が先に選んでよ。

俺、どちらも好きだから」

 

『どちらでもいい』じゃなくて、両方好きと言ったのが新鮮だった。

 

「シム君、弁当は?」

 

「売店で適当に買ってくるつもりなんだけど?」

 

「売店なんか行ったら、友達に見つかるぞ。

午後からの試合に引っ張り出されるぞ」

 

「それは嫌だなぁ」

 

「俺の弁当分けてあげるよ」

 

「悪いよ」

 

「お菓子もいっぱいあるから、大丈夫」

 

「ありがとう」

 

「足りなかったら、あとでタコヤキ食べに行こうよ」

 

「駅前の?」

 

「行こ行こ」

 

僕らは顔を見合わせた。

 

「うん」

 

ユンホの前で、僕は初めて笑顔を見せた。

 

 

 

 

参考書もノートも、バッグの中だ。

 

僕は勉強なんてどうでもよくなっていた。

 

今日はやらない。

 

「シム君っていつも渡り廊下にいるだろ?」

 

ユンホの指摘通り、渡り廊下の手すりにもたれ、ぼーっとすることが多かった。

 

使い過ぎた脳みそを、そよ風に吹かれて冷却したくて。

 

休憩時間の教室で、試験直前の殺気立った空気に飲み込まれそうで、僕はその場を離れるのだ。

 

「シム君のさ」

 

ユンホが指で僕のうなじに触れた。

 

ぞわっと電流が背筋を流れた。

 

「ここが、くるん、ってなってる」

 

僕の髪はくせ毛で、耳の後ろの髪が内巻きにカールしている。

 

「渡り廊下ですれ違った時、シム君、手すりにもたれてぼーっとしていた。

その時に見たんだ、くるんを。

可愛いなぁ、って思ってたんだ」

 

男から可愛いと言われて、僕は返答に困ってしまう。

 

「喜んでいいのか、悪いのか...」

 

ユンホにはからかっているつもりは、全くないようだった。

 

しごく真面目にそう言っているのだ。

 

「可愛いかった」

 

うっとりそう言ったユンホは、僕を見てふわりと笑った。

 

「そこ?」

 

僕は照れ隠しに咳ばらいをした。

 

「うん、『そこ』

シム君って背も高いし、勉強もできるし、かっこいい」

 

ユンホの声は、低いのに甘く優しい。

 

「かっこいいって部分はどうかと思うけど...身長に関してはそうだね」

 

「それなのに...髪の毛がくるん、ってしてて」

 

笑顔のユンホの歯が白くて、清潔そうな口元だった。

 

ユンホこそ、笑顔がめちゃくちゃ可愛かった。

 

「そこが、いいなって思ったんだ」

 

「そこ?」

 

僕も吹き出した。

 

「テスト結果の表に、俺の左側に並んでるシム君には注目してたんだ」

 

肩が触れ合わんばかりに接近した僕らの間に、ピンと緊張した空気が流れた。

 

ユンホの印象的な眼...濃いまつ毛で弓型にふちどられた上まぶたはすっきりとしている...その下の黒い瞳は濡れ濡れとしている。

 

僕はユンホの後ろを、テストの点数を競って追いかけていた。

 

競っていたつもりは僕の方だけで、ユンホの方はそんなつもりはなかったと思う。

 

ユンホの眼に吸い寄せられて、僕は頬を傾けた。

 

彼の白い顔に、そこだけ紅く色づいた唇が間近に迫った。

 

 

 

 

制服に着替えて、表彰式が行われているグラウンド脇を避けて、裏門から外へ出た。

 

ユンホのバックを、僕の自転車のカゴに入れてやった。

 

トートバッグの重さに、彼も必死に勉強をしている身なんだと実感した。

 

駅までの道のりを、僕は自転車をひいて、ユンホはその隣を歩いた。

 

いろんな話をした。

 

それぞれが通っている予備校の、ユニークな講師のこと。

 

解答欄を1段ずらしてしまった夢をみたこと。

 

誤植のせいで永遠に解けない問題のこと。

 

駅前で、やけどしそうに熱いタコヤキを2人で分け合った。

 

ソースが唇の端についたユンホを見て笑って、シャツの胸元をソースで汚した僕を笑った。

 

ユンホが差し出した水色のハンカチで拭いたら、ますます汚れが広がってしまって、可笑しくて2人で笑いこけた。

 

頭の中の公式と単語がこぼれ落ちないよう、常に補充し続けていた僕ら。

 

眉間にしわをよせ、全身が緊張状態だった僕らが得た、つかの間の小休止だった。

 

駅についても離れがたくて、学校まで引き返す道中もずっと話をした。

 

「今日は予備校を休む」

 

ちろりと舌を覗かせて、ユンホは笑った。

 

僕の方も忘れていた。

 

「明日から頑張るから、大丈夫」

 

日が暮れて、お互いそろそろ帰宅しなければならない時間が迫っていた。

 

「じゃあ、ね」

 

「今日は楽しかったー。

それじゃあ、お互い頑張ろう」

 

改札口へ向かうユンホの手首を、僕は捉えた。

 

もう一度、と思ったんだ。

 

顔を近づけると、ユンホも伏し目になって僕を待ち受けていた。

 

唇同士が触れ合うだけ。

 

清く、尊いキスだった。

 

 

 

 

ユンホと会話を交わしたのは、あの日限りだった。

 

理数系校舎に繋がる渡り廊下をうろついて、彼の姿を探した。

 

休み時間、行きかう生徒たちの中に、彼に似たシルエットを見つけると、思わず顔を伏せてしまった。

 

恥ずかしかった。

 

ガリ勉なのに、そうは見えないユンホの姿をずっと探していた。

 

翌週行われた期末試験結果が張り出されたとき、僕の名前は一番右端にあった。

 

あり得ないと思って、連なる名前を順に追って探した。

 

ユンホの名前がなくなっていた。

 

 

 

 

猛烈な受験勉強にも関わらず、僕は第一志望を落とし、第二志望校へ進学した。

 

浪人生ができるほど、僕の家は経済的余裕がなかった。

 

得たものがあったのかなかったのか、よく分からない高校生活だった。

 

ひたすら机に向かっていた3年間だった。

 

何かを始めるための、準備期間だったんだろうか。

 

進学できた暁に、その何かを始められたのだろうか。

 

意識しないうちに、始まっていたんだろうか。

 

延々と続くかのように思われた重苦しく黒い道程で、

 

ユンホと過ごした数時間が、ポツンと瞬く光だった。

 

そう振り返られたのは、ずっとずっと後のこと。

 

渡り廊下の灰色の床と、白い靴下と白い上履き、制服のズボンの裾。

 

わんわんと蝉の鳴き声が降り注ぎ、グラウンドからの笛と歓声。

 

手の平をついた苔むしたコンクリートの湿った感触。

 

頬を斜めに傾けた先の、彼の紅い唇。

 

彼の汗の香り。

 

これら映像と感覚が、僕の記憶に焼き付いている。

 

 

 


 

 

得意先に無事サンプル品を届け終え、普段利用しない駅に向かっていた。

 

初夏を迎え、ネクタイに締め付けられた首まわりが暑苦しかった。

 

信号が変わり、横断歩道を渡る。

 

ぎらぎらと照り付ける日光が、シャツの背中を濡らしていく。

 

彼だとひと目でわかった。

 

ストライプシャツに細身のブラックデニムを履いていた。

 

色白なのは変わらないが、肩のラインががっちりとしていた。

 

雑踏の音が消え、彼の姿に吸い寄せられた。

 

涙が出そうなくらい、綺麗だった。

 

僕と目が合ったとき、彼の目が見開いた瞬間を見逃さなかった。

 

僕は渡りかけた横断歩道を戻って、こちらへ渡ってきた彼と合流した。

 

「ユンホ君...」

 

「シム君...?」

 

パッと笑った口元から、白い歯がこぼれる。

 

僕の額から汗が噴き出していた。

 

暑さだけが原因じゃない。

 

「暑いなぁ」

 

ユンホが差し出した水色のハンカチを受け取った。

 

「急いでる?」

 

「30分くらいなら」

 

「冷たいものでも、飲もうか?」

 

「シム君の方こそ、大丈夫なの?

仕事中じゃないの?」

 

「30分くらい大丈夫!」

 

始まるか始まらないかなんてわからないだろう?

 

声をかけなければ、何も始まらないだろう?

 

 

まぶしいのは、ぎらつく太陽の光だけじゃない。

 

 

ユンホの瞳の中に見つけていた。

 

 

見失ってしまったはずの、あの時の瞬く光を。

 

 

 

(おしまい)

 

 

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(前編)青春の瞬き

 

 

中間テストの結果発表が、職員室前の掲示板に張り出された。

興味のないふりをして、僕は自分の名前を見つけ、軽くため息をつく。

2番だ、今回も。

1番は、Hクラスの「チョン」とある。

 

名前から判断すると...男か。

僕はわりと成績のよい方だったし、日々の勉強も苦にならないたちだったけど、どうしてもあと一歩、彼には負ける。

 

僕のクラスはAクラスで、彼のいるHクラスは隣の校舎だったから、「チョン」がどんな奴なのか、まだ知らなかった。

 

難関校を目指すFからIクラスの生徒は、勉強はできるが、あか抜けない生徒の集まりだ。

 

きっと彼も、青白い顔色して、シャツの一番上までボタンをかけたような奴なんだろう。

 

外履きを脱いで、自分に割り振られた下駄箱の扉を開けると、上履きの上に白い封筒が置かれていた。

 

あまりに古典的過ぎて愉快な気分になった僕は、中身の指示に従って放課後に自転車置き場に向かった。

 

その子はすでに来ていた。

 

周りを見回してみたけど、彼女の友達が陰から見守っている気配はない。

 

珍しい、一人なんだ。

 

僕が来たことに気付いて、その子はパッと顔を上げた。

 

つるんとした頬をした可愛い子だったけど、僕は丁重にお断りした。

 

「ごめん」

 

泣き出しそうなその子の表情を見て、自分が彼女を傷つけていることを実感する。

 

でも、好き好んで断っているわけじゃない。

 

付き合うとか付き合わないとか、僕にはそんな余裕がないんだ。

 

その子はぺこりと僕におじぎをすると、くるりと背を向けた。

 

ひとつに結んだ長い髪を揺らして小走りで駆けていった。

 

僕は深く息を吸い込み、吐いた。

 

(それどころじゃないんだよ)

 

僕は高校三年生。

 

将来を左右する大きな試験を控えているんだ。

 

 

 

 

僕ら三年生にとって、息抜きとなるべく最後の行事は、クラス対抗球技大会だ

 

ソフトボール、バスケットボール、バレーボールの3球技分、1クラス内でチーム分けする。

 

僕はくじ引きで、ソフトボールだった。

 

気合の入っているクラスはチームTシャツまで作っている。

 

よく晴れた日だった。

 

ソフトボールはグラウンドだから、日に焼けて、さぞかし暑くなるだろうと想像してゲンナリしていた。

 

赤、緑、青のジャージ姿の生徒たちが1,200人。

 

3タイプの生徒に分けられる。

 

最高の思い出を作ろうと、底抜けに楽しめる奴。

 

大人数で集まって苦手なスポーツをすることが、ただ苦手な奴。

 

貴重な勉強時間を削られることに苛立ちながら、嫌々参加する奴。

 

第一試合が始まり、笛の音を合図にグラウンドから歓声が沸く。

 

「おーい、チャンミンそろそろだぞー」

 

チームTシャツを着て、鉢巻きをした級友に呼ばれた。

 

「腹の具合が悪いんだ。

先に行ってて」

 

「なんだそりゃあ」

 

集合場所へ向かう彼らに背を向けると、僕は校舎の裏手にまわった。

 

喧噪が遠のき、裏山の木々が影を作っていて涼しい。

 

僕は球技大会なんて、最初から参加するつもりはなかった。

 

メンバー数が多いソフトボールに決まって助かった。

 

裏山のブロック塀と自転車置き場に挟まれた場所を目指す。

 

校舎内にいたら、サボる生徒はいないか巡回している教師たちに見つかってしまう。

 

僕は来週行われる期末試験に備えたかった。

 

ボール遊びに興ずる同級生たちをよそに、試験勉強だなんて抜け駆けしているみたいで、僕は卑怯だ。

 

でも気にしない。

 

それくらい試験とは僕にとって、大切なものなんだ。

 

ところが、先客がいた。

 

(マジかよ)

 

独りになりたかったのに、とあからさまに舌打ちしてしまった。

 

「嫌な顔すんなって」

 

一瞬嫌な顔をしたのを、見られてしまったようだ。

 

ジャージの色から僕と同じ三年生。

 

いかにもスポーツが得意そうな体型と、いかにも人気者そうな垢抜けた雰囲気の男子生徒だった。

 

じめじめしたブロック塀にもたれ、足は...ジャージに包まれた長い脚を邪魔くさそうに折り曲げている...車庫の壁に押しつけている。

 

とにかく独りになりたかった僕は、ここは諦めて別の場所を探そうと踵を返そうとした。

 

「邪魔はしないから」

 

呼び止められて、僕は無精そうに彼の隣に腰を下ろした。

 

ひと目から逃れて過ごせる特等席はここ位しか思いつかないから、仕方がない。

 

「サボり?」

 

そう言いながら、彼が手にしたゲーム機に咎めの視線を送る。

 

「厳密に言うと違うけど...それに近いかな。

手首を痛めてしまって...」

 

彼は固定具を付けた左手を上げて見せた。

 

僕の方を振り向いた細面の端整な顔に、はからずも胸がドキリとした。

 

「ハンサム」の言葉にはとても当てはまらない。

 

男のくせに、それくらい上品に整った顔をしていた。

 

こんな奴が同学年にいただなんて知らなかったから、恐らく理系クラスの奴なのかもしれないな。

 

「応援に回るのもつまらない。

どうせ俺のクラスは弱小チームだからね。

きっと最下位だ、ははっ」

 

彼のTシャツの胸の刺繍が目がとまった。

 

「H組?」

 

「ああ」

 

彼は僕の胸ポケットを見て、「...シム、君ね」と、意味ありげだ。

 

「あんたは...ええっと、チョン君はどこ目指してるの?」

 

進学校だということもあって、「志望校はどこ?」は決まり文句のようなものだ。

 

志望校の難易度によって、各々の学力も自然にはかられてしまう。

 

「『どこ』、というより、なりたい職業があるんだ。

それになるには、どうしても学べる大学が絞られてきてしまう」

 

「そうなんだ」

 

「シム君は?」

 

志望校を言うと、彼は目を見開いて「凄いね」とつぶやいた。

 

僕はリュックサックから、問題集とノートを膝の上に広げた。

 

おしゃべりする時間が勿体ない。

 

問題集に視線を落とした僕をじっと数秒見つめていた後、彼はゲームの続きに戻ってしまった。

 

「なんてゲーム?」

 

問題を数問解いた後、僕は隣に声をかける。

 

イヤホンを付けた彼は僕の問いかけに気付かない。

 

無視された感じが不快だったから、彼の腕をつついてもう一度同じ質問をした。

 

「ごめん...気付かなくて」

 

イヤホンを外して、ディスプレイを見せてくれる。

 

「恋愛攻略ゲーム」

 

「...はあ」

 

いかにもモテそうな見た目と雰囲気なのに、恋愛攻略ゲームかよ。

 

呑気なものだと思った。

 

僕はため息をついて、試験問題を1つ1つこなしてゆく。

 

彼もイヤホンをはめ直して、ゲームに夢中になっている。

 

「はい、飴をあげる」

 

トートバッグから、お菓子を出して僕にすすめてくれた。

 

蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。

 

ポイントが入ったらしく、校舎の向こうから歓声が沸いた。

 

僕と彼がいるここからは、うんと遠い世界だ。

 

どうしても解けない問題があった。

 

バッグから参考書を出して、ページを繰ってみたが答えを導いてくれそうなヒントを見つけられない。

 

イライラして何度も髪をかき上げていると、彼は僕の手元に顔を寄せてきた。

 

じっと問題集とノートを交互に見つめていた。

 

彼の頬に、伏せたまつ毛が影をつくった。

 

白くてきめの細かい肌だな、と思った。

 

突然、彼は僕の手からすっとシャープペンシルを抜き取って、ノートの隅にさらさらと公式を記した。

 

「え!?」

 

この問題は、志望校で実際に出題された試験問題だった。

 

正解率が10%未満の難問のはずだった。

 

「そっか、チョン君は理系だったね。

えっと、H組はやっぱり頭がいいやつばっかりなんだろ?」

 

「そうだなぁ。

医者になりたい、とか薬剤師になりたい、とか明確な子の集まりかもね。

でも、普通の子もいっぱいいるよ。

たまたま数学や物理が得意で、Hクラスになっちゃった子たちとか」

 

「へえ」

 

彼は笑った。

 

「えっと...」

 

僕は、気になって仕方なかった疑問を口にした。

 

「君のクラスに、学年トップの奴がいると思うんだけど?」

 

「チョンユンホのこと?」

 

「うん。

どんな感じ?

ガリ勉タイプ?」

 

彼は、ふっと息を吐くと、

 

「俺」

 

「え?」

 

「チョンユンホは、俺」

 

「えっ...!」

 

僕は絶句した。

 

Hクラスにはチョン姓が3人いたこと。

 

目の前の彼が『チョン』だと名乗った時も、『チョンユンホ』だとは結びつけなかったこと。

 

 

 

(つづく)

 

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