義弟(32-2)

 

~ユノ33歳~

 

ずかずかと上がり込んだX氏の背を追った。

 

両足を抱えて座ったチャンミンは、ガウンに顎までくるまっていた。

 

例の三白眼で、X氏を睨みつけるように見上げていた。

 

嫌悪感丸出しな目付きに、見ていてヒヤヒヤした。

 

X氏は好きになれない類の人物だが、彼の仕事を受注した立場として、チャンミンの態度は褒められたものじゃない。

 

「Xさんは、相変わらず強引ですねぇ。

佳境にさしかかっていたんです。

こっちが遅れたら、Xさんの方の仕事に支障が出てしまいますよ?」

 

苛立ちを隠し、抗議の意味をやんわりと込めるだけにした。

 

本心は、背中を蹴り飛ばして、このアトリエから追い出したかった。

 

「なんだ...ヌードじゃないのか?」

 

ガウンの下からズボンの裾が覗いているのを、目ざとく見つけたらしい。

 

「私だって、ヌードばかり描いているわけじゃありませんよ。

チャンミンは年ごろですし」

 

チャンミンのすがる視線を受け止め、俺は「安心しろ」といった風に頷いてみせた。

 

力作過ぎて、誰にも見せられない特別な作品になってしまったとは、絶対に言えない。

 

俺とチャンミンだけの秘密の作品だ。

 

キャンバスのこちら側に回り込もうとするX氏に、俺は立ちふさがる。

 

佳境を迎えているなんて大嘘で、新たに手掛けたそれは未だ下描き段階のものだったから。

 

「ああっ!」

 

チャンミンが軽い悲鳴を上げたのは、X氏が突然、隣にどかっと座ったせいだ。

 

「チャンミン君、って言ったよね?

顔を見せて。

...へぇ...近くで見ると...やっぱり綺麗な顔をしてるね」

 

X氏の巨躯で、ソファが軋み音を立てた。

 

「...っ」

 

「そこまで嫌がらなくていいだろう?

私が怖いのか?

そうだろうねぇ、『オーナーの顔はいかつい』ってスタッフたちに恐れられているからなぁ。

ガハハハハハ!」

 

「......」

 

顔を寄せるX氏に、チャンミンは顔を反対側に背けている。

 

自身の膝を抱える指に力がこもっていた。

 

「男にしておくのが勿体ないね」

 

「Xさん!」

 

チャンミンが穢されるようで、たまらずに俺はX氏の肩に手をかけた。

 

「この子をからかわないで下さいよ。

内気な子ですから、Xさんのノリについてこられないんです」

 

俺の手にこもった力に本気を感じたのだろう。

 

X氏はチャンミンにのしかからんばかりに傾けていた身体を起こし、立ち上がった。

 

「すまなかった。

ふざけ過ぎたな、ガハハハハハ!」

 

「そうですよ...全く」

 

「チャンミン君は、『内気』な子なんだ、へぇ?」

 

「妻は誰とでもすぐに打ち解けるタイプなんですけどね。

弟のチャンミンは、奥ゆかしい子なんです」

 

「どうだろうね。

そういう子ほど、年長者の目が届かないところでは、はじけているものなんだ」

 

「若者に詳しいですね、ははは」

 

X氏の言葉に、平静を保つのがやっとだった。

 

チャンミンの両親...姉である俺の妻、その他からの目を盗んで、俺たちがやっていること。

 

妻帯者、17歳差、未成年、妻の弟、姉の夫、高校生...。

 

道徳的に真っ黒だ。

 

「ところで、私に何か要件があったのでは?」

 

チャンミンから引き離したくて、X氏をオフィスの方へ誘導する。

 

「ああ。

当初の予定では無かったんだが、店舗の外壁に...」

 

この男をとっとと、ここから追い出して、怯えたチャンミンを慰めてやらないと、とそのことばかり考えていた。

 

ビジネスの話を始めれば、X氏は事業家の顔に戻り、半時間ほどで打ち合わせはまとまった。

 

「来週には内装工事が入るから、それまでにラフ案を2つ3つ、頼むよ」

 

「承知しました」

 

先に出た俺は、玄関ドアを押さえ、靴を履くX氏を待つ。

 

「チャンミン君が心配だよ」

 

「?」

 

「ああいう寡黙な子はね、何を考えているか分からない。

大人の目を盗んで、とんでもないことをしていたりするんだ。

綺麗過ぎる顔も心配だ。

『そんな子のはずがない!』って、大人たちを驚かせるようなことをね」

 

「...チャンミンが?」

 

「奥さんの弟だ。

兄弟じゃないんだ。

私生活を全部、知っているわけじゃないだろう?

チャンミン君がそうだ、って言ってるわけじゃない。

単なる一般論だ」

 

エレベーター扉が閉まるまで、X氏を見送った。

 

「ふう...」

 

帰り際のX氏の言葉が気になった。

 

この2人に個人的な付き合いがあるはずないが...。

 

意味ありげなX氏の目線と、異常なまでに嫌悪感を見せるチャンミン。

 

X氏は色事に奔放な人物だが、好みの子に見境なく近づくような馬鹿じゃない。

 

俺の知らない何かを、X氏は知っているのだろうか。

 

 

(つづく)

 

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義弟(32-1)

 

~チャンミン16歳~

 

 

「でかい靴だね...モデルは男?

ははあ...チャンミン君だろ?」

 

玄関から最も遠いアトリエまで響く、よく通る笑い声だ。

 

「制作中なので、今日は勘弁してください」

 

義兄さんの制止など、構う人物じゃない。

 

「上がらせてもらうよ」

 

「Xさん!」

 

慌ててシャツに手を伸ばそうとしたが、それはアトリエの隅にあって、間に合わない。

新しい作品では、僕は上を脱いだだけの恰好だったから助かった。

 

僕はガウンの衿を深く合わせ、それでも足りなくて両腕で胸を抱きしめた。

 

 

義兄さんと結ばれた後も、X氏と関係を持っていた。

 

「チャンミン君...見なさい。

感じている時の君の顔...子供のくせにいやらしいね」

 

そう言って見せられたスマホ画面に、僕は全身の血の気が引いた。

 

どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 

X氏のぎょろついた眼で見据えられると、首を横に振ることができない。

 

彼からはっきりと指摘されたわけじゃないけれど、僕の想い人が義兄さんだと知っているに違いない。

 

春先のカフェで、義兄さんと一緒にいた時のX氏の表情から、なんとなく...そう思った。

 

度胸と知識が欲しくて、ほんの数度だけのつもりでいたのに。

 

こんな状況、望んでいなかったのに。

 

X氏の腹の上で身をくねらせながら、僕は義兄さんを想った。

 

「君のそこは、私のものを簡単に飲み込むんだな。

彼氏は不思議に思わないかなぁ?」

 

「...え!?」

 

「君の彼氏はノンケなんだよね?

経験のない者でも、君のように慣れていたら、おかしいと思うけどね?」

 

義兄さんと初めてした時の、彼の反応を思い起こしてみた。

 

驚きと疑問の混じった、困ったような表情で、「平気なのか?」と僕に尋ねた。

 

義兄さんのことが好き過ぎるあまり、僕の身体は抵抗なく彼のものを飲み込んでしまう...そう思って欲しかった。

 

大胆なことができるのも、義兄さんへの恋情の深さゆえによるものだって、信じて欲しかった。

 

義兄さんは...疑ったんだろうか...。

 

妙に慣れているな、って。

 

僕の初めてが義兄さんじゃないことに、気付いただろうか。

 

その疑念が僕を不安にさせ、X氏の上で揺らしていた腰が止まってしまった。

 

破裂音の直後、左尻がかっと熱くなり、X氏に尻を張られたことが分かった。

 

「知ったら...彼氏は軽蔑するだろうね?

...もしくは、場慣れした子だって、君を軽く扱うかもしれないね」

 

「...そんな」

 

「普通の男女のお付き合いとはわけが違うことに、そろそろ気付いた方がいいんじゃないかな。

君はまだ16だろう?

16のくせに、中年オヤジの上で尻を動かしてるんだ。

...普通じゃないよ」

 

「義兄さんが初めてです」と言ってあげたかった。

 

でも、義兄さんのことだ。

 

僕の嘘なんてすぐに見破って、それどころか騙されたフリをし続けてくれそうだ。

 

義兄さんが欲しいあまりに選択した行動が、今になって僕の首を絞めてきた。

 

いかに軽率だったかを、今さら後悔してももう、遅い。

 

僕の腰をつかむX氏の腕からすり抜け、僕はバスルームへ走った。

 

身体の穢れを洗い流さないと...遅すぎるけれど。

 

 

(つづく)


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義弟(31-2)

 

 

~チャンミン16歳~

 

玄関ドアの向こうから、切羽詰まった風の義兄さんが現れた。

 

慌てるような事が起こったのでは、と身構えた。

 

「...義兄さん?

どうかしたんですか?」

 

メールのやりとりが主だった義兄さからの突然の電話、モデルの日じゃないのに僕を呼び出した義兄さん。

 

姉さんに僕たちの関係がバレた、とか?

 

僕と義兄さんが会うのは週に1度、昼間の数時間のみだ。

 

僕は男で高校生だ、自分の夫の浮気相手がまさか「弟」だなんて想像つかないだろう。

 

義兄さんの強張った表情に、「浮気がバレた」としか発想できない僕は幼稚だ。

 

でも、僕の姿を認めて直ぐに、義兄さんの表情がふっと和らいで、嫌な予感は消えた。

 

「待ってた」

 

義兄さんに二の腕を掴まれ、部屋に引きずり込まれた。

 

その乱暴な動作に、ドキドキは抑えられない。

 

この後の展開に期待を膨らませていたところ、

 

「やり直しだ」

 

アトリエまで僕を引っ張ってきた手を放すと、義兄さんはイーゼル上のキャンバスを親指で指した。

 

「...嘘...!」

 

キャンバスは真っ白だった。

 

意味が分からず、固い表情に戻ってしまっていた義兄さんを見上げた。

 

「あの絵は...駄目なんだ」

 

女の人しか描かなかった義兄さん。

 

初めて男を描き始めたけれど、出来が悪くて中断することにしたんだ。

 

絶句する僕に、義兄さんは優しく微笑み、僕の肩をポンポンと叩いた。

 

「出来が良すぎた...怖いくらいにね。

それに、誰にも見せたくないんだ」

 

「誰にも...?」

 

「大切な人の写真を肌身離さず持ち続ける...たまにそっと取り出して見る。

あの絵は、そういう類のものなんだ」

 

大切な人...って、僕のことですか?

 

義兄さんの言葉を、そのままの意味で受け取っていいのかな。

 

「分かるだろ?

つまり...そういうことだ」

 

遠回しだったけれど、義兄さんからの好意の気持ちを耳にするのは初めてだった。

 

耳もうなじも熱くなってきて、嬉しい気持ちをストレートに顔に出せなくて...慣れていないんだ...僕は俯くしかなかった。

 

「描き直す」

 

「今から!?」

 

義兄さんの絵は写実的で緻密なものだ。

 

男娼の絵も、数か月かかっても未だ完成に至っていないくらいなのに。

 

「間に合うのですか?」

 

「アクリルで描く。

油彩より早く仕上がるんだ」

 

心配そうな僕を安心させようと、華やかで美しい、あの花開く笑顔を見せた。

 

「やっつけ仕事じゃない。

新しい画材に挑戦する意味でも、いいことなんだ」

 

「凄いなぁ」と感心していたら、義兄さんの腕に抱かれていた。

 

「その前に...」

 

こじ開けられた口に、義兄さんの舌がぬるりと侵入してきた。

 

 

チャイムの音。

 

義兄さんは舌打ちすると、パステルをワゴンに乱暴に投げ捨てた。

 

「チャンミン、これ羽織って」

 

義兄さんが放ったガウンに腕を通した。

 

衿をかき合わせ立てた膝を引き寄せて、突然の来訪者が去るのを待った。

 

義兄さんに執拗になぶられた胸の先端が熱をもっている。

 

玄関口で、義兄さんと来訪者が押し問答している。

 

「今はちょっと...モデルさんがいるんです...困ります」

 

「私だって芸術が分かる人間だ」

 

X氏だ!

 

その野太く低い声に、僕の鼓動が早くなった。

 

 

(つづく)

 

 

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義弟(31-1)

 

 

~ユノ33歳~

 

 

キッチンで誘われた時、Bとする気は全くなかった。

 

チャンミンの絵を見たいと、Bは軽い気持ちでねだったんだろうが、俺は動揺していた。

 

アレはいけない。

 

網ストッキングと真珠のネックレスだけを身につけた、10代の少年。

 

アート作品から大きく脱線してしまった、淫らな官能画だ。

 

チャンミンに抱く愛情を濃厚に漂わせた、非常に個人的なものになってしまった。

 

見る者が見れば、あの作品に込められた念をキャッチするだろう。

 

Bは鈍感な女じゃない。

 

「いいよ」と頷けるはずもなく、かと言って「駄目だ」と拒絶するのもおかしな話だ。

 

Bは俺の妻だ。

 

返答に困った俺は、Bの腕を寝室まで引っぱって、ベッドに押し倒した。

 

その場を取り繕うための行為に、俺はなんて最低だ、と自分自身に嘲笑した。

 

 

 

 

「ユノ」

 

洗面所に向かう俺の背を、Bは呼び止めた。

 

「赤ちゃんが欲しい」

 

思考がストップした。

 

俺の背中が震えたことに、Bが気付かずにいてくれたらいい。

 

「...B?」

 

ゆっくりと振り向いた。

 

Bの表情が微笑みから、目を丸くした驚いたものに変わった。

 

その目元がチャンミンに似ていた。

 

「ユノったら...そんなに驚いた顔しなくても」

 

「いらない、って言ってなかったっけ?」

 

咎める口調にならないよう、慎重に発音した。

 

「言ってたわね。

でも...この前、友だちの赤ちゃんを抱っこさせてもらったの。

私、感動したの。

赤ちゃん...欲しいなぁって」

 

「......」

 

「だから...今度から避妊はしなくていいから」

 

「...そうだな」

 

Bが伸ばした手を優しく握ってやって、その手を放した。

 

Bは気まぐれな女だ、そのうちこの件も忘れるだろう。

 

そう自分の中で締めくくった。

 

 

 

 

俺たちの結婚がきっかけで、陰気で湿った目を持つ、美貌の少年...チャンミンと出逢った。

 

チャンミンに会いたくなった。

 

Bが浴びるシャワーの音を確認し、洗面台に置きっぱなしにしてあったスマホを手に取った。

 

「チャンミン?」

 

『...義兄さん?』

 

電話に出たチャンミンの口調が、意外そうなものだったのも当然だ。

 

俺からチャンミンへ電話をかけるのは、非常に稀なことだったからだ。

 

「今から、こっちに来られるか?」

 

『あの...すみません。

...今、学校です』

 

ひそひそ声に、「そうだろうね」と、非常識な時間にかけてしまったことに思い至る。

 

「これだから、自由業は駄目だな。

曜日感覚が抜けていたよ...ははは。

電話に出て、大丈夫なのか?」

 

『休み時間です。

...義兄さん?

どうかしたんですか?』

 

「チャンミンの絵を描きたくなって...」

 

『さすが義兄さんは芸術家ですね』

 

俺は『芸術家』でも何でもないよ。

 

お前を前にした俺は『芸術家』なんかじゃない。

 

恋に溺れた30男に過ぎないんだ。

 

お前をモデルに描いたあの絵はもう、芸術作品の性質を失いつつある。

 

「急に電話して悪かった。

じゃあ...週末に...」

 

『待って!

行きます、今から行きます』

 

「学校は?」

 

『大丈夫です。

今すぐ行きますから』

 

「待ってる」

 

高校生に学校をサボらせて呼びつける俺は、どうかしている。

 

実は、それくらいBの発言に動揺していたのだ。

 

 

 

 

チャンミンを待つ間、スキャニングした手描きの線画に、PCディスプレイ上で色付けする作業に没頭していた。

 

X氏のカフェの仕事が好評で、多方面から仕事が舞い込んだ。

 

Bへ言い訳した「忙しい」も、あながち嘘ではないのだ。

 

一息つこうとアトリエへ行き、イーゼルに掛かったままのチャンミンの絵の正面に立つ。

 

第3者の目でそれを眺めた。

 

キャンバスの中でチャンミンが、艶やかで不敵な微かな笑みを浮かべて、俺を見つめ返している。

 

コレはいけない。

 

人に見せられるものじゃない。

 

描き始めの当初は浅黒い肌をしていたのに、今じゃ桃色に肌を染め、引き結んでいたはずの唇は、半開きになり濡れて光ってた。

 

情事の後の脱力した気だるげさと、湿った濃い空気を漂わせている。

 

誰にも見せたくない。

 

「はあ...」

 

俺は嘆息し、キャンバスをイーゼルから下ろし、アトリエ奥に裏返しに置いた。

 

出品予定の展覧会の趣旨から外れ過ぎている。

 

「駄目...か...」

 

その直後、チャイムの音に俺ははじかれるように玄関ドアへ走る。

 

昨日会ったばかりなのに、まだ足りないんだ。

 

チャンミンへの想いを深く分析し過ぎて、難しく考え過ぎていた。

 

チャンミンが囁いた数えきれない「好き」に答えずにいたのも、理詰めで導かれる答えを探っていたからだ。

 

もうそんなことは、どうでもよくなった。

 

求められたら、何倍にもして求め返す。

 

俺はチャンミンに恋をしている。

 

開けたドアの向こうに、無表情のチャンミンが立っていた。

 

ところが、俺の顔を見た途端、不安で揺れた眼がぱっと輝いた。

 

そんな顔を見せられたりしたら...。

 

吸った息を吐くのも忘れてしまうくらい、感激していた。

 

 

 

(つづく)

 

 

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義弟(30)

 

~ユノ33歳~

 

あの午後を境に、チャンミンは俺の愛人となった。

 

チャンミンには申し訳ないが、今のところこれ以上の相応しい言葉が思いつかないのだ。

 

 

「僕は後でいいです」と遠慮するチャンミンを、浴室に押し込んだ。

 

チャンミンが身動きする度、尻の割れ目に当てがったティッシュペーパーも動いて、欲情を誘う光景だった。

 

制服をきっちり着込んでオフィスに戻ったチャンミンと入れ替わりに、俺もシャワーを浴びる。

 

後頭部でシャワーを受け止めながら、頭の隅にぽっと浮かんだ違和感と対峙していた。

 

男相手のセックスは初めての経験だった。

 

チャンミンとの行為は、成り行き任せ勢い任せなものだった。

 

それでも、なんとかなるもんだと満足していたところが、気になることがあったのだ。

 

女とは勝手が違うくらいの知識はあった。

 

痛がりもせず、俺のものを易々と受け入れていた。

 

...ということは、俺とこういう関係になることを見越して...準備をしていたのか?

 

繋がりやすい体位を既に知っているようにも見えた。

 

その手の情報サイトから仕入れた知識なのだろうか?

 

いや...まさか。

 

男相手は俺が初めてじゃないという可能性もある。

 

そう思い至ると、胸が焼け付きそうに痛んだ。

 

Mちゃん相手に感じたのとは比べ物にならない程の痛みだった。

 

まだ16歳だぞ?

 

人付き合いが苦手そうなあの子が、いつの間に...。

 

でも、あり得ると思った。

 

チャンミンの美しさにある程度の免疫がついていた俺でさえ、彼に手を出してしまった。

 

あれほどの美少年だ。

 

その手の趣味がある者だったら、裸に剥いて己のものにしたいと望んでもおかしくない。

 

「...くそ...」

 

浮かんだ疑問をチャンミンにぶつけていいものかどうか、俺は迷っていた。

 

 


 

 

~チャンミン16歳~

 

目に映る何もかもが、色鮮やかに息づいている。

 

研ぎ澄まされた僕の五感は、義兄さんの全てを吸収する。

 

あの日から、僕の目には義兄さんしか映っていなかった。

 

「好き...」

 

つぶやいた僕は、人差し指で義兄さんの身体の窪みを、ひとつひとつ確かめた。

 

ほっそりとしているのに、デッサン彫刻のように逞しく美しい義兄さんの身体。

 

「くすぐったいよ、チャンミン...」

 

くくっと笑って、義兄さんは僕の首筋を甘噛みする。

 

僕の心は幸福で満たされて、溢れたそばから「好きです」と言葉に紡ぐ。

 

義兄さんのお腹に、胸の谷間に、耳朶に...そして唇にキスをした。

 

脱ぎ捨てたズボンから、義兄さんを呼ぶ着信音。

 

「義兄さん...電話...?」

 

出て欲しくないと祈りながら、どうってことない風を装った。

 

義兄さんの腕の中から身を乗り出して、ソファ下のズボンに手を伸ばすふりをした。

 

「出なくていい。

後からかけ直すから出なくていい」

 

蛇みたいに僕の身体に手足をからみつけた義兄さん。

 

義兄さんの爪先が僕の網ストッキングに引っかかり、その個所を確かめたら、案の定、引きつれた筋が出来ていた。

 

「また買ってあげるから」

 

僕の脇腹に鼻づらを埋めて、義兄さんはそう言った。

 

 

週に一度のモデルの日が待ち遠しかった。

 

あらぬ方向を見据えた義兄さんの意識は、おそらく作品世界にどっぷりと浸っているんだ。

 

キャンバスに棲みついたあの少年に会いにいっているの?

 

描かれている自分の姿にすら嫉妬してしまう。

 

作品制作も、細部の描き込みに差し掛かっていた。

 

2時間たっぷり、義兄さんの前でポーズをとる。

 

そして、筆を洗う義兄さんの背後に忍び寄り、背中から抱きすくめる。

 

「ごめん、今日は時間がないんだ」と断られることもある。

 

腕の中でくるりと向きを変え、僕の唇を乱暴に吸いながら、オフィスのソファに押し倒すこともある。

 

本当はもっと会いたかったけれど、聞き分けのない子供みたいな真似はしたくなかった。

 

一度だけ「明日もここに来て、いいですか?」と尋ねた時の、義兄さんの困った顔。

 

がっかりした顔を見せたくなかったから、「冗談です」と誤魔化した。

 

きっと明日も、明後日も、僕じゃない子を描かないといけないんだろう。

 

待って...もしかしたら、再び姉さんを描き始めたのかもしれない。

 

 

不安であっぷあっぷしかけた僕は、Mの部屋を訪ねた。

 

僕を見るなり、服を脱ぎ出したMの手を押さえた。

 

「よかった。

チャンミンのはけ口にされるのも、キツくなってきたのよね。

私ってこんな見た目だけど、結構傷つきやすいのよ?」

 

「...ごめん」

 

Mの言う通りだった。

 

 

 

「ホントにゴメン...」

 

「ちゃんと謝ってくれたから、許す。

私って見た目通り、根にもたないタイプなの」

 

Mは肩をひょいとすくめて、解いた髪を束ねながら僕に尋ねた。

 

「Xさんと...どうだった?」

 

「あー、それは...」

 

「教えてもらった?」

 

「...うん」

 

「それで...ユノさんと...した?」

 

「......」

 

「したんだ...そっか...」

 

平静を保っていたつもりだったのに、あっさりとバレてしまった。

 

喜怒哀楽が分かりやすい人間にだけはなりたくなかっただけに恥ずかしかった。

 

「先越されちゃったなぁ...」

 

ぽつりとつぶやいて、Mは両手で顔を覆って俯いてしまった。

 

泣いてる...?

 

「M...ちゃん?」

 

自分の思い煩いに気をとられていて、Mのことなんて全然頭になかった。

 

恋は当事者以外にはとことん、無神経に振舞えるものらしい。

 

持ち上げた腕の行方に迷った後、ひくひくと震えるMの肩を抱いた。

 

義兄さんの固く分厚い肩とは全く違う...小さく華奢な肩だった。

 

「やだな...もう...。

チャンミン相手じゃ、かないっこないよ...もう」

 

「Mちゃんだって頑張れば...」

 

「馬鹿じゃないの?」

 

「!」

 

「ユノさんを落とせるように、私も頑張れって言ってるの!?

本気で言ってるの?

嫉妬しないの?

私の絵ももうすぐ完成してしまうのよ?

アトリエへ行く口実がなくなってしまうのよ?

せいぜい、チャンミンの彼女のフリをしてアトリエに行こうかと考えてたのに。

ユノさんとくっついちゃったチャンミンに、『彼女』がいたら変でしょ?」

 

「僕と義兄さんは、付き合ってるとか、そういうんじゃないんだ。

ただ会っているだけ...それだけだよ」

 

義兄さんとの関係性をMに説明しながら、あらためて思い知らされる。

 

僕らの繋がりはなんて曖昧で、頼りないものなんだろう。

 

欲しくて仕方がない。

 

求められたくて仕方がない。

 

抱きあう関係になれたけど、それだけだ。

 

義兄さんの恋人にはなれない。

 

「苦しそうな関係ね。

でも...ユノさんを好きになるって...そういうことだもんね」

 

「......」

 

義兄さんとこの先、どうなりたいかなんて、具体的なビジョンはなかった。

 

考えたって仕方がないのだから。

 

美しい義兄さんの瞳に、一糸まとわぬ僕の姿が映る。

 

それだけで十分、幸せなんだ...多分。

 

「ねえ、チャンミン。

私、心配」

 

「心配って、何が?」

 

「チャンミンって、思い詰めるタイプに見えるから」

 

「思い詰めるって...何のことだよ?」

 

「私はチャンミンが心配。

必死過ぎるチャンミンが心配」

 

Mの心配は見当違いで心外だ。

 

したいようにしているだけだし、僕はいたって冷静なんだ...多分。

 

 

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