義弟(25-1)

 

 

~ユノ33歳~

 

「義兄さん、少し痩せましたか?」

 

チャンミンの肘をつかんだ俺の手の甲に、彼の指がかかったままだった。

 

節の目立つ指に、「やっぱり男の手なんだよな」と思ってしまって、「やっぱり」ってどういう意味だ?と、自問した。

 

「僕たち、通行人の邪魔になっているみたいです」

 

歩道の真ん中で突っ立ったままの俺たちだったから、チャンミンの腕を引いて脇に寄る。

 

「チャンミン、この辺に用事でも?」

 

この通りは、チャンミンの自宅とは正反対に位置しているから、疑問に思って尋ねてみた。

 

「それは...」と、チャンミンは一瞬言いよどんで、

 

「書店に行きたかったし、それから...。

ずっとモデルをサボっていたから、義兄さんに謝ろうと思って。

アトリエに顔を出そうと思ってて...」

 

この通りを数百メートル行ったところに、俺のアトリエがある。

 

チャンミンの言葉に喜んでいた。

 

よかった、嫌われていたわけじゃなかったわけだ、と。

 

「立ち話もなんだから、店に入ろうか?

ちょうど昼飯をとっていたところなんだ。

チャンミンも何か食べていかないか?」

 

「でも...」

 

握った手の下で、チャンミンの腕が引き締まった。

 

「無理なら、いいさ。

本屋に行くんだったよな?」

 

昼間の外出先で、チャンミンと差し向かいでお茶でもするなんて、したことがなかったから。

 

チャンミンと話がしたかった。

 

1か月前のことをなかったことにするつもりはなかった。

 

チャンミンを呼び止め、振り向いた彼を見た時、「この子が、好きだ」と確信したから。

 

身体の欲求に誘われるまま、手順を無視して急接近し過ぎた。

 

理性が邪魔をして、行為を途中で止めてしまい、チャンミンに恥をかかせるような真似をしてしまった。

アトリエまで会いに来ようとしてくれ

た気持ちが嬉しすぎて、引き留めたかった。

 

「僕は構いません。

義兄さんと話をしたかったので...」

 

「よかった」

 

俺に先立ってカフェへ向かうチャンミンの後ろ姿が...細身のスラックスに包まれた腰が、丸みを帯びているように見えてしまう。

 

一度そういう関係になりかけた現在、視線の質まで変わってしまうらしい。

 

やれやれ、重症だなぁ、と心中で嘲笑した。

 

 

席にバッグを置いたまま突然店を飛び出していったため、カフェスタッフはテーブルの皿を片付けてよいものやら迷っていたらしい。

 

彼らに謝り、チャンミンのオーダーを伝えて、俺たちは席についた。

 

「髪...切ったんだ?」

 

「はい」

 

前の方が似合っていたのに、と言うのは止めた。

 

耳にかけられるほど長かった前髪が、眉上までの長さになり、チャンミンの凛々しい眉が露わになっていた。

 

一か月前までは確かにあった、中性的な儚い美しさが薄れてしまったことが残念だった。

 

だとしても、チャンミンは圧倒的に美しかった。

 

わずか一か月でこうまで変わるものかと驚くほど、色気が感じられた。

 

「義兄さん?」

 

無言で見惚れる俺に居心地が悪くなったのか、テーブルに置いた手にチャンミンの指が触れた。

 

通りでもそうだったが、チャンミンの指が触れるだけで、妙に反応してしまうのだ。

 

一か月前なんか、チャンミンの口内を舐めまわし、敏感なところを愛撫したくらいなのに。

 

思い出して下半身に血流が集まる感覚を覚えて、俺は慌てる。

 

制服姿のチャンミンに色気を感じてしまうのは、前回のことがあるせいだと結論付けた。

 

俺もとうとう、ここまできたか、と。

「絵の中のチャンミンは前髪が長いからな

想像力で補って書くよ」

 

「すみません。

また伸ばしますから...」

 

「冗談だよ。

今の髪型もよく似合ってる」

 

チャンミンは、照れくさそうに微笑んで、視線をテーブルに落とした。

 

アイスコーヒーのストローを、指先で弄ぶチャンミンの細い指に釘付けになる。

 

「そう...ですか」

 

はにかんでいたチャンミンの表情が、突然びくりと強張った。

 

ん?と思った直後に、俺を呼ぶ太く低い声が背後から発せられて、振り向いた。

 

声の持ち主はオーナーのX氏だった。

 

 

(つづく)

 

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義弟(24)

 

~チャンミン16歳~

 

 

Mが紹介してくれたのは40代半ばの男で、Mが付き合っている今彼の知人。

義兄さんがデザインを手がけたカフェのオーナーという彼...X氏...は、男でも女でもどちらでもイケる口とのこと。

既婚者で僕と同年代の子供がいるのに、後腐れのない『そういう関係』をあちこちに結んでいる遊び人だ。

X氏の車に乗り込んだ時、ガチガチになっている僕の緊張をほぐそうと、笑いを誘う話題を振ってくれた。

義兄さんの仕事関係の人だから、得体の知れない人物ではないはずだ。

だから、大丈夫。

どういう説明をMから受けていたのか分からないけど、X氏は僕の事情を追求することはなかったし、遊びのひとつだと捉えているみたいだったから、その点は気が楽だった。

車の中で、遠慮なく身体をまさぐられてたらどうしよう、という心配も不要だった。

身なりもきちんとしているし、手首に巻かれた腕時計もきっと高級品で、ハンドルを握る指の爪も綺麗に整えられていた。

 

(絵筆を持つ義兄さんを見つめ続けるうちに、人の指先に注意が向くようになっていたんだ)

 

カーウィンドウの外を流れ去る風景を、見るともなく眺めながら、「僕は一体、何をしようとしてるんだろう」と、自分の思いつきに愕然としてみたりして...。

X氏の野太い声は心地よく耳に響いた。

義兄さんに逢いたかった。

でも、今は未だその時じゃない。

翌日は休日で、この日学校から帰宅するとすぐ私服に着替えた。

夕飯について質問してきた母親に(塩味か味噌味か、どちらがいい?というもの)、友人の家に泊まりにいく旨を伝えた。

 

「友達って学校の?

あなたばっかり泊りに行って、向こうのご家族は迷惑じゃないの?」

 

母親がそう心配するのは当然のことだから、僕は「友達んちは両親がいないんだ」と適当なことをでっち上げた。

 

「あら...」と気の毒そうにする母親に、僕はしまったと思い、「そういう意味じゃなくて、両親とも夜は仕事でいないんだ」と、取り繕った。

 

自宅に呼んで呼ばれての、親しい友人なんて僕には一人もいない。

休み時間や選択教室へ向かう廊下で、雑談に講じる程度の級友がいるくらい。

僕の頭の中は、義兄さんのことでいっぱいだったし、義兄さんの存在を知らずにいる彼らがガキくさかった。

「一緒に食べなさい」と、母親におかずを詰めたタッパーを持たされ、「余計なお世話だ」と突き返せるほどの反抗心もない僕は、素直に受け取った。

さすがにこれを持ったまま、約束の場に行くわけにはいかない。

母親に見送られて玄関を出てすぐ、庭にまわり、サンルームの床下にそれを隠した。

待ち合わせ場所の例のカフェへは、早く到着し過ぎてしまい、飲めもしないエスプレッソを前にそわそわとしていた。

手の中にあるスマホを見つめながら、義兄さんの声が聞きたい、と、彼のアドレスを表示させた画面で、通話ボタンを押すか押すまいか迷っていた。

 

でも、今じゃない。

 

義兄さんから届いたこれまでのメールの文面を、ひとつひとつ読み返していると、ポンと肩に乗った手。

不意打ちだったから、X氏を見上げた時の僕は間抜けな顔をしていたと思う。

「食事をしていく?」の問いかけに、僕は首を横に振る。

お腹なんて全然空いていなかった。

自分が決めたことだし、覚悟は決めていたけれど、やっぱり怖気付いてしまう。

僕の不安なんて、X氏には手に取るように分かるんだろう。

 

「ユンホ君の奥さんの弟さんだって?」

 

「はい」

 

「世間は狭いなぁ」と言って、X氏は笑った。

 

X氏は縦にも横にも大きい人で、大らかな人柄っぽく見せてるけど、ぎょろりとした眼は鋭く観察するものだった。

多分、大丈夫...この人に任せていれば大丈夫。

ドキドキする胸を押さえて、内心で言い聞かせていたら、

 

「安心しなさい。

私に任せて、リラックスしていればいい」

と、僕の気持ちを見透かしているから、さすがだなぁ、と感心してしまった。

 

 

「あのっ...キスは...ダメです」

 

唇を寄せてきたX氏から顔を背けて言った。

 

「唇は好きな人のためにとっておきたい、わけね。

いいねぇ、若いなぁ」

 

大きな手...義兄さんの手よりも大きく分厚い...が、僕の裸の胸に押し当てられた。

 

「ドキドキしているね。

大丈夫?

今なら引き返せるよ?」

 

「...大丈夫です」

 

いよいよ始まるのだな、と深呼吸する。

そんな僕を見て、X氏は「ガハハハッ」と大きな声で笑うから、僕はビクッとしてしまう。

 

「君みたいな綺麗な子を前にすると、まるで犯罪者の気持ちになるよ」

 

「!」

 

「会った今日すぐに出来るわけないだろう?」

 

「え...?」

 

「君は本当に『何も知らない』んだなぁ。

可愛いね」

 

おいで、とベッドの上に手を引かれて、X氏に言われるままの姿勢になった。

ベッドの上で四つん這いになった僕の真横に、X氏は腰掛けた。

肩を上から押されて、X氏の方へお尻を突き出す姿勢にされた。

膝が震えているのが、自分でもよく分かる。

 

「大丈夫だから、リラックスして」

 

「でもっ...!」

 

「力を入れたままだと、痛いよ?」

 

「っひっ...!」

 

お尻にとろりとぬるいものが。

 

「最初は変な感じがするかもしれないが、我慢してるんだよ?」

 

「...はいっ」

 

僕の穴の周囲を、X氏の指が円を描く。

 

「...う...あっ...」

 

「息を吐いて...そうそう...いい子だ」

 

X氏の指が完全に僕の中に埋められた時、声にならない掠れた悲鳴を喉の奥で殺した。

 

 

「私の方も、気持ち良くさせてくれないかね?」

 

目の前に突き出されたモノに一瞬、たじろいだ。

嫌悪感に襲われたけれど、男を相手にするのはこういうことなんだ、と自分に言い聞かせた。

義兄さんのモノも、こんなに大きいのかな。

顔を背けたくなるのを必死でこらえて、咥え込んだ。

さんざん鑑賞したAVや、Mがしてくれた行為を思い出しながら、舌をつかった。

今の僕は、義兄さんを気持ち良くしてあげているんだ。

 

 

別れ際、X氏に握らされたものの正体が分からず首を傾げていると、彼は僕の耳元で囁いた。

 

「私からの贈り物だ。

次までに慣らしておくんだ、いいね?」

 

自宅前まで送り届けられたのはいいけれど、時刻は23:00。

早寝の両親はもう就寝した後で、見上げた窓はどれも真っ暗だ。

母親には泊まってくると出かけたのに、日付が変わる前に帰宅したら変に思うだろうな。

Mの説明通りX氏は、“そういうコト”だけしてお終い、の人のようだった。

てっきり一泊するものだと、思い込んでいた自分が恥ずかしい。

どうしようかな...。

義兄さんの顔がまた浮かんだ。

今からアトリエに行くには時刻は遅いし、もう帰宅しているに決まっている。

義兄さんが帰る場所...姉さんと暮らすマンション。

義兄さんの顔が見たかった。

今頃、義兄さんは姉さんとヤッているんだと想像すると、胸がギシギシ痛んだ。

落ち着け。

姉さんなんかとより、僕との方が断然よくなるから。

サンルームの下から母親に持たされたものを回収し、物音を立てないように家の中に忍び込んだ。

タッパーの中身を無闇に捨てるなんてことは、僕にはできない。

自分がひどくお腹を空かせていたことを思い出した。

あっという間に中身を平らげてしまった自分が誇らしかった。

X氏とのことなんて、取るに足らない事...僕は平気だ。

平気だ。

 

 

例のカフェの前で、義兄さんに呼び止められた日までに、僕はX氏と4回関係を持った。

自分でも慣らしていたけれど、いざコトに及ぶとなると難しくて。

怖がり痛がる僕を案じたX氏は、膝の上に僕をまたがらせて、時間をかけて慣らしてくれた。

X氏のものを受け入れられるようになったのは、3回目のときだ。

深く差し込んだまま、腰を前後左右に揺さぶられると、下腹の底からはじける快感の強さに悲鳴があがる。

ひんひんと喘ぐ僕の姿にたまらなくなったのか、キスしようとしたX氏の顎を押しのけた。

 

「駄目っ...駄目です」と。

 

身体の奥底がぞくぞくと痺れるこの感覚...。

 

「君は女みたいに柔らかい関節をしているね」

 

膝が床につくほど身体を折りたたまれて攻められていた時、X氏はこう言った。

 

「素質があるね」

 

「...あっ...あ...素質...って...?」

 

「『受け』の素質。

君の身体は、女みたいだ」

 

よかった、と思った。

X氏は僕を抱きかかえて立ち上がり、僕の背を壁に押しつけた。

X氏の首に両腕を、腰に両足首を巻きつけてしがみつく。

僕は目をつむり、義兄さんを想う。

僕は今、義兄さんに貫かれている。

 

「いいね。

締め付けてきている」

 

あそこが熱を帯びて、じんと痛い。

少しだけ義兄さんに近づけた気がして、僕は幸せだった。

これでよかったんだ。

僕が決めたことだ。

後悔はしていない。

 

(つづく)

義弟(23)

 

~チャンミン16歳~

 

 

「経験してみたいんだ」

 

Mに相談した。

 

「『経験』って...もしかして...?」

 

僕は大きく頷いた。

 

「チャンミン、必死過ぎ!

そんなことしても、ユノさんは喜ばないよ」と、怒った。

 

「黙っていればいい。

僕の身体をどうするかは、Mちゃんに関係ないよ」

 

そう言ったら、Mは傷ついたような表情をした。

 

ストレッチ素材の薄いカットソーが、Mの大きな胸を強調していた。

 

先程まで彼女の胸を揉んでいたこの手が、義兄さんのアソコに触れたくて仕方がないのだ。

 

義兄さんの指であっさり昇天してしまった自分は、幼稚だった。

 

次は僕の指で、義兄さんを昇天させたい。

 

義兄さんに滅茶苦茶にされたい思いと、義兄さんを滅茶滅茶に悦ばせたい思い。

 

それから、僕ばっかり夢中でいるのは愉快じゃない。

 

だって、こんなに若くて綺麗な子が身を任せようとしていたんだよ。

 

あんなに盛り上がっていたのに、寸止めできるなんて、ずいぶんと余裕があるもんだな、って、すごく悔しかった。

 

「関係がないって...チャンミンって口が悪いのね」

 

「ごめん」

 

僕らはわりと何でも打ち明けあえる仲ではあるけど、身体を合わせている今この瞬間、思い浮かべているのは別の人。

 

僕はMと繋がりながら義兄さんを想い、Mの方も義兄さん、もしくは別の彼氏のことを想っているのだろう。

 

「心配してくれてありがとう。

ちゃんと考えた末のことだから。

Mちゃんだって好きな人がいても、セックスは別口だろ?」

 

「別口って...ひどいわね!」

 

Mはさっきよりも顔をゆがめた。

 

「心と身体は切り離せられないものよ。

私は同時進行派なだけ。

心と身体はセットよ。

チャンミンの場合は、心はユノさん、身体は誰か別な人のつもりでしょ?」

 

「違う。

今のままじゃ、義兄さんへの想いが強くなりすぎて処理できないんだ。

熱を逃そうかな、って思ったんだ」

 

「だからって、別な人とヤルだなんて...。

まだ高校生でしょ?

身体張りすぎ!」

 

「それだけじゃなくて...経験しておいた方がいいと思うんだ」

 

「ユノさんと経験すればいいでしょう?」

 

「...多分だけど...義兄さんも経験がないと思う。

姉さんと結婚してるし...そういう趣味がある人じゃないんだ」

 

Mを納得させるには、筋の通った説明ができないといけない。

 

「僕と初めてする時、義兄さんが手こずる姿は見たくない。

だから...せめて僕だけでも慣れていたいんだ」

 

「...チャンミン」

 

「僕は、セックスに“向いてない”んだろう?」

 

「そう言ったかも。

でも、そんなに深刻に受けとられてしまったなんて...罪悪感」

 

「ううん。

Mちゃんの言葉で、霧が晴れたみたいなんだ。

それなら、“向いている”ことをすればいいんだろ?」

 

僕の顔をあっけにとられた風に見ていたMは、しばらくの間無言だった。

 

『ユノさん、盗られちゃうよ』の言葉を受けて、僕が考えた結果がこれだった。

 

Mはため息をつくと、ベッドの下に転がったスマホを拾い上げて操作をする。

 

「...相手は誰でもいいの?」

 

「変な奴じゃなければ」

 

「結婚している人の方がいいよね。

本気になられても困るでしょ?」

 

「うん」

 

「チャンミンは綺麗で、カッコいいからねぇ」

 

スマホに視線を落としたMのまつ毛が長かった。

 

そういうツテがあるMはすごい。

 

Mの恋愛は縦割りで、同時進行ができる。

 

僕の恋情はただ一人に向けられていて、悲しいことに思い通りにいかない。

 

だから、少しでも近づけるように、自分を磨かないといけないんだ。

 

義兄さんとの初めてのキス以来、どんな顔をして会えばいいか分からなくて、モデルのバイトを2回すっぽかした。

 

行けない理由も、リアルっぽい内容にしてみたけれど、そんなの嘘だとバレているだろうな。

 

次に会う時まで、僕は変わっていないといけない。

 

僕と...男と...抱きあうことなんて、大したことないんだよ、って義兄さんの重荷を軽くしてあげないと。

 

 

(つづく)

 

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義弟(22-2)

 

~ユノ33歳~

 

出来上がったラフ案を見せるため、例のカフェに来ていた。

 

このカフェのオーナーX氏との打ち合わせを終え、「自由にオーダーしてくれ」に甘えて遅い昼食をとっていた。

 

店内一番奥の窓際が気に入りの席で、店内をぐるりと見渡せる。

 

5月の午後の陽光が、天井まである窓から降り注いでいた。

 

チャンミンと1か月以上、会っていなかった。

 

絵のモデルを4回、用事があるとか、体調が悪いとか、試験勉強とか理由を述べていた。

 

その連絡も、電話ではなくメールだったことに、がっかりしていた。

 

あんなことがあったから、仕方がない...か。

 

あの夜の記憶を思い起こしてみる。

 

チャンミンの唇の柔らかさ、そこから漏れる掠れた声。

 

女にはないもので、興奮と快感を俺の指に熱く伝えていた。

 

多分、最後まで進めてしまうのが正解だったのかもしれない。

 

途中で止めてしまったことに、チャンミンは傷ついただろう。

 

俺からの拒絶だと捉えたに違いない。

 

だから、俺の元を尋ねてこなくなった。

 

でも。

 

それでよかったのかもしれない。

 

結婚生活は壊したくない。

 

人生を複雑にしてしまうのは、御免だった。

 

テーブルに頬杖をついて、ガラス向こうの薄着になった人並みを眺めていた。

 

若い男も通り過ぎるが、チャンミンほどの端正な奴は当然、ひとりもいない。

 

若い女性に観察対象を移してみても、同様だ。

 

16歳の男子高校生に、想い煩うなんてなぁ。

 

夕方にはまだ早い時間、学生服姿が目立つから多分、テスト期間か何かなのだろう。

 

「あ...」

 

俺は席を立ち、店内の客に注目されるくらいバタバタと、店を出た。

 

十数メートル先の背中に向かって、俺は走る。

 

「チャンミン!」

 

振り向く前に、チャンミンの肘をつかんだ。

 

真ん丸の眼とは、こういうのを言うのだろう。

 

髪を切ったのか、前髪が短くなっていた。

 

濃いグレーのスラックスに黒のローファー、襟章のついた白いシャツとえんじ色のネクタイ。

 

高校生のチャンミン。

 

美しすぎる高校生。

 

「...義兄さん」

 

肘をつかんだ俺の手の上に、チャンミンの指がかかった。

 

放して下さいと...今度は俺の方が...拒絶されるのと思った。

 

ところが、チャンミンはふっと身体の力を抜き、小さく笑った。

 

「驚かさないで下さい」

 

「ごめん...見かけたから...」

 

チャンミンの肘から手を放そうとしたら、彼の指に力がこもった。

 

「久しぶりです」

 

「あ、ああ」

 

俺がどもってしまったのは、チャンミンの優しい笑顔を、初めて目にしたからだった。

 

まずいな。

 

やっぱり俺は、チャンミンが欲しい。

 

 


 

~チャンミン16歳~

 

 

Mの言葉。

 

「ユノさん、盗られちゃうよ」が、あれ以来ずっと、僕の頭にこびりついたままだった。

 

それは困る。

 

ただでさえ、姉さんに義兄さんを盗られているんだ。

 

義兄さんが僕のことを「いい」と思ってくれて、姉さんと別れて僕だけを見てくれるようになったとき...。

 

あり得ない、と思った。

 

だって、僕は義兄さんと結婚ができるわけがないし、まず第一に、彼は僕を拒絶した。

 

果たして、そうだったのかな?

 

「今日はここまでだ」の意味は、その言葉通りの意味で、「続きはまた今度」だったらいいな。

 

義兄さんに全てを任せるつもりでいたけれど、男を目の前にして、彼は困ってしまったのかもしれない。

 

女の子とのセックスに関しては、Mとの関係で大体のところは知っている。

 

Mとの行為は確かに気持ちがいいし、ムラムラを発散できるけど、心と身体が伴わない。

 

ヤレばヤルほど、心と身体の距離が広がっていく。

 

「僕がしたいのはこれじゃないんだ。でも、気持ちがよ過ぎて腰は勝手に動いてしまうし、どうしたらいいいんだ!」って。

 

Mのことは好きだけれど、それは恋愛感情じゃない。

 

Mには付き合っている人がいるし(それが例え中年男だったり、2股3股していても)、義兄さんに片想いしているから、僕とMは性欲解消のためのもの。

 

こんな風にいったらセフレみたいに聞こえるだろうね。

 

Mのとの行為を通して僕が知ってしまったのは、恋愛感情がなくてもセックスはできる、ということ。

 

腰の奥が弾ける瞬間、僕の心のもやりが消えてしまう。

 

他のことがどうでもよくなってしまう...日々溜めに溜めてパンパンに膨れ上がった不快なものを、腰の痙攣と共に吐き出してしまえるんだ。

 

Mとの会話は気楽だし、興味深い。

 

義兄さんに片想いしている同志で、互いが相手を義兄さんだと想定して貫いたり、貫かれたりしているんだと思う。

 

でも、僕は貫かれたい。

 

経験がないから、どんな感覚かは想像もできない。

 

女の子を押し倒すよりも、誰かに力づくで押し倒されたい。

 

男の人に...義兄さんに。

 

僕のセックスは下手くそで、セックスに向いていない、と言ったMの真意は多分、こうだ。

 

女の子とやるんじゃなくて、男とやる方に向いている。

 

僕はそういう意味に捉えたんだけど...間違っているかな?

 

(と言いつつも、女の子の裸にムラっとくることもあるから、自分の嗜好がよくわからない)

 

Mとの会話を通して、義兄さんが僕との行為にストップをかけた理由が、僕には分かってしまったんだ。

 

僕の胸を愛撫している手つきから、男との経験がある可能性を そうじゃなくて、義兄さんはただ、僕の身体を女の子として扱っただけなんだ。

 

だけど、いざコトに及ぼうとした時、目の前に横たわる身体が男のもので、怖気付いてしまったんだ、きっと。

 

全てにおいて経験豊富に見えた義兄さんでも、未経験のことがあるんだって。

 

それを知ってしまった僕の気分は、急上昇した。

 

なあんだ、簡単なことじゃないか。

 

義兄さんが未経験でとまどってしまうのなら、僕がリードしてあげればいい。

 

姉さんやその他の女の人たちなんか、足元にも及ばないくらい、僕の身体に溺れてしまえばいい。

 

「女とやるより、全然いい」と言わしめればいいんだ。

 

 

(つづく)

 

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義弟(22-1)

 

~ユノ35歳~

 

マンションの地下駐車場に車を停めた。

 

俺とBの部屋へと先を歩くチャンミンの背中を追いながら、俺は思う。

 

チャンミンとの関係をこのまま続けていけるだろうか、と。

 

Bと別れずにいる俺。

 

心を決めなければならないのに、ずるずるとここまで来てしまったのは、チャンミンとの関係は断ち切ってはならないからだ。

 

そのために、俺は当分は不甲斐なく、狡い男でい続けなければならない。

 

妻の弟と俺は、いわゆる『不倫関係』にある。

 

出逢った時、15歳だったチャンミン。

 

鼻下を隠せば、女の子と言ってもおかしくない優し気な目元が印象的だった。

 

俺を威嚇するように睨みをきかせていても、その眼はにごりのない純真そのもので。

 

当時のチャンミンは、ふっくらとした頬と、すらりと華奢な身体付きをした少年だった。

 

どこか不安げで、俺を探るように見る、儚く危なっかしい雰囲気の持ち主だった。

 

本当に、綺麗な子だった。

 

あれから2年半、身長も俺を越えるくらい伸び、がりがりだった身体も厚みを増した。

 

これだけの容貌だ、寄ってくる女も男もいくらでもいるだろうに。

 

チャンミンの眼には俺しか映っていない。

 

これは己惚れじゃない。

 

2年以上、チャンミンと関係を持ってきて分かったことだ。

 

チャンミンはなぜ、俺にこうまで執着するのだろう。

 

きまぐれな猫のようなチャンミン。

 

俺を振り回すような言動を繰り返すところは変わっていない。

 

実際に振り回されていたのは過去のこと。

 

近頃のチャンミンは、俺の顔色をうかがう様子を見せるようになった。

 

ひた隠しにしてきたはずの苛立ちが、言葉に出さずとも表情や仕草に現れてきたのだろう。

 

チャンミンは鋭い。

 

チャンミンのことは愛している。

 

でも、俺たちの関係は何も生まない。

 

チャンミン、お前はどうして欲しい?

 

待ちくたびれていないか?

 

 

玄関ドアを開けると、たたきに並ぶ靴の数と、リビングの方から賑やかな人声。

 

聞かされていなかったが、Bは客を呼んでいたようだ。

 

チャンミンと俺、Bの3人きりだったら気づまりだと、気乗りしていなかったからホッとした。

 

リビングに入るなり、談笑中の面々は俺たちに注目し、「やあ」とか「ひさしぶり」とひととおりの挨拶を交わす。

 

チャンミンの方を見ると、何を言われて照れていたのかは分からないが、鼻にしわを寄せた笑みを浮かべていた。

 

驚いた。

 

俺の知らないうちに、多少なりとも社交術を身につけていたのか。

 

ビールの入ったグラスを勧められ、チャンミンは「未成年ですから」と手を振って断っている。

 

ビールなんか、俺の前では堂々とがぶ飲みしているくせに。

 

客たちは、俺とBの仕事関係の者、旧友、知人の類が十数人。

 

Bは客を呼ぶことが好きな質で、弟のチャンミンと正反対だ。

 

そうだとしても、相談なく大人数の客を招待していたりしたら、さすがにムッとする。

 

そんな小さな怒りは飲み込んで、気のきいた話題とくつろいだ風の笑顔と、如才なく立ち回る。

 

「!」

 

手洗いに立っていたらしい客の一人が戻ってきて、その人物を認めた途端、俺の体温が1度下がった。

 

以前、彼が経営するカフェの内装デザインを、俺が手掛けたことがあった。

 

40代後半の大柄な貫禄ある体躯と、目鼻口のパーツが大きい濃い顔立ち。

 

声も大きいが、自信に満ちた態度も大きく、いくつもの飲食店を成功させた経営者だ。

 

妻Bを介して彼、X氏との交流がスタートし、小さな仕事を回してもらうようになった関係性だ。

 

「お久しぶりです」

 

俺は立ち上がってX氏を迎え、肩や腕を叩きあって挨拶を交わす。

 

X氏が飲み物を取りに席を立った隙に、チャンミンがいる方をうかがった。

 

窓枠にもたれかかったチャンミンは、X氏の背中を凝視していた。

 

無表情の怖い顔をしていた。

 

ところが、俺の視線に気付くと、固く引き結んだ口元を緩めて、ふっと小さな笑みを見せた。

 

(義兄さん、心配してるんですか?)

 

(当たり前だろう?)

 

(ふっ。

僕の方は平気ですよ)

 

(どうだか...)

 

(義兄さん、僕を信じてください。

僕はあなたのことを愛しているのですよ)

 

分かった、という風に、軽く頷いてみせた。

 

視線だけで交わす言葉。

 

不意に訪れるチャンミンと心が通い合う瞬間。

 

チャンミンから注がれる愛情を持て余して、彼から逃げ出したくなっていても、こういう瞬間でキャンセルされるのだ。

 

この繰り返しだ。

 

だから、チャンミンを手放してはいけないと思うのだ。

 

 

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