(7)添い寝屋

 

 

ユノと彼女がそれぞれ差し出したものを使って作られたシェイク。

 

均一に攪拌された美味しそうなミルクシェイク。

 

その大半を、ユノが全部飲んじゃった。

 

シェイクの例えを用いて、僕なりの解釈をユノに説明してみたら、「そうだ」と彼は頷いた。

 

「彼女の熱量みたいなものを、俺が吸い取ってしまったわけだ。

俺の中には二人分の熱があるんだ。

しかも単なる二人分じゃなくて、日を追うごとに増殖していくからさ...もう大変さ」

 

「......」

 

5年眠っていない話も信じがたいし、寝た相手の熱を取り込んでしまった話も科学的に説明できるものじゃない。

 

でも、僕の反応をじっと待つユノの表情は真剣だ。

 

僕をからかっている風でもないし、頭がおかしい風でもない。

 

僕の部屋を訪れた時から抱いていた印象、ユノはどこか異次元な雰囲気を漂わせていた。

 

「この話をするのはチャンミンが初めてになる。

俺の話...チャンミンは信じるか?」

 

「信じるよ」

 

僕はきっぱり、言いきった。

 

だって...僕も似たような体験をしたことがあったから。

 

「次は、チャンミンの話を聞かせてよ。

冷たい身体になってしまったワケとか...昔の話が嫌なら、最近のこととか教えてよ。

添い寝屋を始めたきっかけが一番、知りたいかな?」

 

「うーん...」

 

大いに気が進まなかった。

 

この仕事を始めたきっかけを説明するには、冷たい身体になってしまった理由を話さないわけにはいかない。

 

でも...ユノ相手には、なぜか嘘八百を語ってはいけない気がした。

 

僕が超がつく「冷え性」になってしまったきっかけ...ユノに話してしまおうかな、とちらっと思った。

 

言葉を選んで、NGゾーンに踏み入らないように話せばいい。

 

考えを巡らせていたから、しばらくの間無言でいたことに気付かずに、ユノのひと言で飛び上がった。

 

「風呂に入ろう」

 

「え?」

 

「リフォームしたっていう風呂場を見せてよ」

 

「でも...その...

僕の仕事場はベッドの上に限られるわけでして...」

 

「違うよ。

風呂に入るのは、俺の仕事の方。

チャンミンが希望したオプションサービスのひとつ」

 

「お風呂に入る、なんてオプションをつけた覚えはないよ!」

 

ユノはふふん、と得意げな笑みを浮かべると、パーテーション裏に置いた自分のバッグを持って引き返してきた。

 

「いい具合に調合したマッサージオイルなんだ」

 

バッグから出てきたのは、外国語のラベル(手書きかな?)が貼ってあるミルク色の小瓶だった。

 

「匂いを嗅いでみろ。

...な?

いい匂いだろ?」

 

「...うん」

 

柑橘類とスパイスが混じった...ほのかにミントの香りがした。

 

「待って...!

これを...僕のあそこに塗るの?

スース―しちゃうじゃないか?」

 

後ずさりし過ぎてベッドから転げ落ちそうになり、ユノの腕にキャッチされる。

 

敏捷な動作が猫みたいだ。

 

「...チャンミン...。

重症だなあ、チャンミン」

 

「え?」

 

「なんでもかんでも“そっち系”に話を持っていくんだから...。

困った添い寝屋さんだなぁ」

 

「え、違うの?」

 

「誰がこのオイルで、性感マッサージをしよう、って言ったんだよ?」

 

「だって...」

 

ユノはべたべたと触ってくるし、オーダーしたオプションサービス内容のこともあったし、そう勘違いしてしまっても仕方がないだろう?

 

自分が恥ずかしくて、赤くなってるだろう頬を見られたくなくて俯いた。

 

 

ユノはピュッと口笛を吹いた。

 

「すごいなぁ」

 

僕は得意になって、バスルームの設備の説明を事細かにしてしまう。

 

バスジェルの泡はしぼんで消えてしまっていたけど、湿度高い温かい空気はラベンダーの香りで満ちている。

 

「凝りをほぐしてくれるとやらのジェットバスを試してみようか?

チャンミン、パジャマを脱げよ」

 

この展開についていけなくてまごまごしている間に、ユノは自身のパジャマを脱ぎ捨ててゆく。

 

見惚れてしまった。

 

恥ずかしげもなく裸身をさらすユノに、見惚れてしまった。

 

「綺麗...だね...」

 

「そう?」

 

ユノは自身の身体を見下ろしていたが、ぽぉっとした僕の表情に気付いてほほ笑んだ。

 

「身体も商売道具だからな。

体型管理も仕事のうち。

近ごろは食欲もなくなってきたから、太る心配ないしな」

 

「ですよね」

 

「間違えるな。

俺は『添い寝屋』だ。

男娼じゃない」

 

ここに来てからのユノの行いに、ユノのメインの仕事が“そっち系”なんじゃないかと、思いかけていたから、「ごめん」と謝った。

 

「チャンミンも脱げよ。

風呂に入って温まろう」

 

「う、うん」

 

ところが、パジャマのボタンにかけた指が止まる。

 

煌々と明るい下で裸になるのは...それも同性の前で...恥ずかしすぎる!

 

壁際のスイッチに飛びついて、明かりを落とすと、バスタブ内に仕込まれたライトがぼうっと浮かび上がる。

 

しまった...ムーディな雰囲気になってしまった。

 

気合をいれてリフォームした浴室...特にバスタブは機能満載なのだ。

 

客観的に見て、バスタブに男2人の光景は...なんだか変だ。

 

まるで...まるで、ゲイカップルみたいじゃないか...!

 

先に身を沈めていたユノは、バスタブ前でもじもじしている僕の手を強く引く。

 

勢いがよすぎて、僕は頭からバスタブに突っ込んでしまった。

 

僕の頭はユノのお腹に受け止められ、あられもなく恥ずかしい恰好で。

 

ざぶりと湯の中から救出された僕は、恥ずかしくてたまらなくて、バスタブの反対側で膝を抱える。

 

むすっとした僕に、ユノは「怒った顔も可愛いなぁ」なんて言うんだ。

 

添い寝屋同士がどうしてお風呂に一緒に入っているんだよ?

 

「あ!」

 

僕の足が引き寄せられた。

 

バスタブ縁に置いた小瓶の中身を、手の平にたっぷりと落とし揉み込むと、僕の足を両手で包み込んだ。

 

足裏がユノの親指でほどよい圧力で押される。

 

「あぁ...」

 

いた気持ちよさで、うめき声が漏れる。

 

「どう?

ここは...痛い?」

 

「う...ん、いい。

痛いけど...気持ちがいい。

ん...んんっ...」

 

「ここは?」

 

「あっ...ううっ...いい。

いたっ...いててて。

そこはもうちょっと...優しく」

 

「固いな、ここ。

こりこりしてる」

 

「いたっ、いたたた!

あ...いい感じ」

 

「氷みたいだなぁ」

 

ユノの手は熱くて、凍えた足先を溶かしてくれる。

 

気持ちがいい。

 

「どう?」

 

「あん...!」

 

ユノのマッサージする手が止まった。

 

「...チャンミン。

足裏をマッサージしてるだけだぞ?

色っぽい声出すなよ」

 

「だ、だって...」

 

慌てて口を押えた。

 

確かに、“それ”っぽい声が出てしまった。

 

ユノの指がもたらす感触が、気持ち良すぎるんだ。

 

氷の塊が痛みを伴いながら溶かされ、押し流されていくんだ。

 

気持ち良かったから...つい。

 

「チャンミンの話を聞かせてくれ」

 

ドキッとした。

 

ユノの手は、僕のふくらはぎに移り、「細い脚だなぁ。ホントに飯食ってるのか?」とか、ぶつぶつつぶやいている。

 

「俺にも仕事をさせてくれ。

俺も打ち明けたんだ。

次はチャンミンの番だ」

 

「...わかったよ」

 

僕は観念した。

 

 

 

「...僕には当時、付き合ってる人がいたんだ」

 

「いつの話?」

 

「...普通だったとき」

 

僕は、片脚はユノにゆだね、折り曲げた方の片膝にあごをのせて、小声で答えた。

 

「勃ってられた時ってこと?」

 

「...うん」

 

「それから?」

 

「彼女と...デートしてた時に、ある出来事があって。

それが原因だと思う。

僕がその...そうなっちゃったのは」

 

「ショッキングなこと?」

 

「うん。

とんでもなくショッキングなことだった」

 

「ショッキングなことがあって、“不能”になったんだ?」

 

「そのショッキングなことが直接の原因じゃなくて。

直接的な原因の原因を作ることになったんだ」

 

「チャンミンの話はわかりにくいよ。

にごさずズバッと、全部ぶちまけろ」

 

仕方ないなぁ。

 

ゆらめく妖しい明かりが、ユノの肌を舐めている。

 

深呼吸したのち、僕の世界が一変してしまったストーリーを語りだした。

 

 

 

(つづく)

 

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(6)添い寝屋

 

 

再び僕は飛び起きて、PCの元に走る。

 

マウスを操作し、登録しているサイトの管理画面を開くと、確かに予約が入っていた。

 

頭がスカスカな僕は、「予約不可」設定をし忘れていた。

 

その結果、本日18:00からの予約を受け付けてしまっていて、それすらチェックをし忘れていた。

 

「ひっ!」

 

「チャンミンは売れっ子の添い寝屋というから、どれだけ凄いのか期待してる」

 

背後に立ったユノに抱きしめられて、思わず身体を固くしてしまう。

 

足音をたてずに近寄ったユノは、猫みたいだ。

 

「緊張してるね...。

もっとくつろげよ」

 

「だってっ...!

...あっ...!」

 

さーっと背筋に電流が流れ、腰の力が抜ける。

 

「おっと!」

 

とっさに伸びたユノの腕に、力強く腰を支えられた。

 

ユノったら、僕のうなじに唇を押し当てて、それだけじゃなく舌を這わすんだもの。

 

「チャンミンは、感度がいいね」

 

「......」

 

「さあ。

ベッドに行こうか?」

 

 

 

 

消えてしまった僕の「欲情」

 

ムラムラして女性客を襲う心配をしなくてもいいから、好都合だった。

 

僕は眠い時は客に構わず眠ってしまう「不良添い寝屋」。

 

脱力系スタイルを貫き通していたら、意外に好評価で、予約が途切れることがなくなった。

 

おかげで贅沢な部屋を手に入れることができたし、部屋から一歩も出ずに仕事ができるなんて、最高だと思った。

 

ところが、次第にむなしさを感じるようになった。

 

身体も冷えていった。

 

このまま僕は淡々と、他人の隣で眠るしかできないのか。

 

こんなことを考えていたら、まるで僕の心を読み取ったみたいにユノは尋ねる。

 

「添い寝屋が辛いのか?」

 

「辛くはないです。

自分に合っていると思っていました」

 

「過去形だね」

 

「『欲』がないことにイライラしてきました」

 

なんだかんだ言ってても、『不能』は虚しい。

 

食欲ではカバーできない。

 

医者にかかればいいことだけど、それも出来ないし、それ系の出張サービスを利用したこともあった。

 

くたりとしょぼくれたままのモノに、彼女たちは憐みの眼差しを向けた。

 

情けなくて、自尊心や自信がしゅるしゅると抜けていった。

 

こんなんじゃ、恋人も作れないし結婚も絶望的だ。

 

焦ってきたのだ。

 

「辛いんだろ?」

 

「...はい」

 

潔く認めてしまえ。

 

僕をまるで抱き枕のようにしているユノ。

 

カイロのように熱を放つユノの体温が、じわじわと僕の肉体に沁みていく。

 

気持ちが良かった。

 

ああ...肉体が感じる『気持ちいいい』という感覚...久しぶりだ。

 

そうそう!

 

ユノは僕のお客でもあったんだ。

 

僕だけ癒されてて駄目じゃないか。

 

ユノの話を聞かなくっちゃ。

 

「ユノ。

どうして僕を雇ったのですか?」

 

ユノは僕の身体に巻き付けていた手をほどくと、肘枕をついた。

 

「聞きたい?」

 

「聞きたいも聞きたくないも...ユノは僕のお客です。

僕にも仕事をさせてください。

お悩み相談室じゃないですけど、眠れないわけがあるのなら、吐き出してしまいましょう?」

 

プロっぽいことを言ってる僕だけど、仕事のためじゃなく、ユノに興味があった。

 

ちょっとだけ迷って、引っ込めかけた手を伸ばして、ユノの頬を包んだ。

 

僕の方からもユノに歩み寄らないと、と思っても、どんなことをすればよいか分からなくて、とっさにとった行動。

 

僕の手の平の下で、ユノの頬がぴくりと震えた。

 

僕のことをさんざん撫でまわすのに、人から触れられるのは苦手なのかな、と思った。

 

「チャンミンを雇った理由は、さっきから言ってるように、不眠を何とかして欲しい。

それから、身体を冷まして欲しい」

 

熱を冷ますために、抱いたり抱かれたり...とかユノは言っていた。

 

「でも...僕はそういうことは出来ませんからね?」

 

「俺はそんなことは求めてないよ。

ん?

なんだなんだ、チャンミン?

残念そうな顔しちゃって。

求めた方がよかった?」

 

ムッとした僕は、ユノの頬に乗せた手を引っ込めようとしたら、がしっと手首を握られた。

 

熱い手だ。

 

「冗談だよ。

“そういうこと”に関しては、客のチャンミンにしてやるからな。

チャンミンは俺の言う通りにしていればいい」

 

「それはっ...!」

 

僕のオーダーが全部、ユノにバレてるから恥ずかしくて仕方がない。

 

「手はそのままに...冷たくて気持ちがいいから」

 

分厚い氷が熱く熱したものと接して、しゅわしゅわと音をたてて溶けていく。

 

そんな感じ。

 

かじかんだ指先に血が通う。

 

「話を戻そうか」

 

ユノの顔はやっぱり小さくて、僕の手で全部覆ってしまえるくらい。

 

すごいなぁ...こんなに綺麗な人が存在するなんて。

 

顔のパーツ全てが小作りで、行儀よくおさまっていて、女の人みたいな優美さもあるのに、女の人には見えない。

 

「...5年も眠れなくなって、身体も...。

原因は何も見当がつかないのですか?

きっかけみたいなもの...心当たりはないのですか?」

 

「明らかに『この日』だと言いきれるよ。

でも...不思議な現象の話だから...。

馬鹿にせず、最後まで聞いてくれるか?」

 

「はい」

 

そしてユノは、高くも低くもない不思議な声音で語りだした。

 

 

 

 

「恐らく、あのことがきっかけだったと思うんだ。」

 

「“あのこと”?」

 

ユノは仰向けに寝がえりをうち、大きく息を吐いた。

 

僕は乱れた毛布をユノの肩にかけ直してやった。

 

天井を仰ぐユノの横顔に見惚れながら、話の続きを待つ。

 

「5年前、俺はある女性と出会った。

かなり特殊な場所で」

 

特殊...?

 

どんなところだろう?

 

「その女性と出会ってしまったのが、きっかけだ。

うん...そうだ、そうに違いない」

 

「彼女と出会ったことが、熱くてたまらない身体になってしまったことに、どう繋がるのです?」

 

「彼女の顔を思い出そうとすればするほど、デティールが逃げていってしまうんだ。

覚えているのは、感触みたいなものかな。

いや、感触どころじゃない...ガツンと頭を殴られたみたいな衝撃だ」

 

「運命...の人...とか?」

 

「さあ...どうだろう?

彼女と経験して、脳みそが溶ける思いをした。

身体の芯までしびれてしまうくらいの凄いやつを」

 

「...ってことは、その...つまり...?」

 

「身体の相性がよかったんだろうなぁ」

 

「!」

 

ユノは5年前、とある女性と出会って、とあること(セックスのことだよね)をして、とんでもなく相性がよくて...。

 

「よく分からないのですが、身体の相性がよかったことと、不眠がどう繋がるのですか?」

 

ユノはふっと笑って、仰向けのまま眼球だけをこちらに向けた。

 

「身体がかっかしてたら、寝付けないだろう?」

 

「うーん...寝付けないでしょうね」

 

今の僕にはとても想像できないけど、同意してみせる。

 

「俺の身体と彼女の身体が、比喩じゃなくて、真の意味でひとつになったんだ。

どこからが彼女でどこからが俺のものかが分からないくらいに。

イメージわくかな?」

 

僕は首を振る。

 

「チャンミンがミルクで、俺が果物だとする。

このふたつをジューサーに入れて、シェイクを作るとする。

出来上がったシェイクを見て、どれがチャンミンで、どれが俺か...分かるか?」

 

僕は首を振る。

 

「ここからが、俺の話の重要ポイントだ。

いつまでも繋がったままじゃいられないだろ?」

 

「はい」

 

「身体を離した時にさ、彼女が俺の中に入ってきた」

 

「は?」

 

「彼女の熱いものが、俺のアソコを通して俺の中に入ってきたんだ。

彼女のものまで、俺が奪ってしまったんだ」

 

「!?」

 

 

 

 

僕は添い寝屋、ユノも添い寝屋。

 

僕はユノの客、ユノは僕の客。

 

足して引いてゼロになって、僕とユノは対等の立場。

 

僕の仕事部屋...寝心地の良い大きなベッド...防犯カメラに映された僕ら。

 

パジャマを着た二人の青年が向かい合った姿勢で、横たわっている。

 

誰にも言えずにいた秘密を、ひとつひとつ明かしていく。

 

想像すると、とても不思議で興味深い光景だ。

 

 

 

(つづく)

 

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(5)添い寝屋

 

 

ユノが...同業者だった!

 

飛び起きた僕はリビングまで走り、スリープ状態だったPCを立ち上げ、メールフォルダを開く。

 

ざっとしか目を通していなかったけど、予約確認メールを確認すると、ユノの言う通り「17:30から5日間、有料オプション付きの“スーパープレミアム”...」

 

待てよ。

 

僕が予約をした店から“出張”してきた“添い寝屋”が、果たしてユノなのかどうかの証明ができないじゃないか。

 

「“恋する男は己の能力以上に愛されたいと願望する人間だ”」

 

「?」

 

振り向くと、半身を起こし、ヘッドボードにもたれたユノはニヤニヤ笑いを浮かべている。

 

「俺はホンモノだ。

予約受付メールをよく読んでみろ。

成りすましが現れないように、客の元には合言葉をランダムで送信してるんだ」

 

確かに、ユノの言う通りの言葉がある。

 

風俗関連のポータルサイト経由で辿り着いたのが、僕が予約をした添い寝屋斡旋店。

 

客の一人から聞いた限りでは、極上の添い寝屋が、極上の眠りを約束するとか。

 

目ん玉がとび出る金額の追加料金を支払えば、客の希望に応じたサービスを受けることができる。

 

こちらから指名はできないから、その添い寝屋がやってくるまで男なのか女なのかもわからない。

 

やけくそになっていた僕は、全てのオプションを付けて予約をし、50%の前金もあらかじめ振り込んでいた。

 

余裕たっぷりだったユノの言動も、これで納得した。

 

客だと思い込んでいた自分がこっぱずかしい。

 

「そんなとこにいないで、こっちに来いよ」

 

PCの前で考え込んでしまった僕に、ユノは両腕を広げて「おいでおいで」と手を振った。

 

「......」

 

「今夜のチャンミンは、俺の“客”だ」

 

ベッドに戻ると、ユノの力強い腕でかき抱かれて、彼の胸に飛び込む格好となった。

 

「僕が雇った添い寝屋がユノ、というのは分かりました」

 

「可愛いなぁ、チャンミンは。

俺を雇うとは、よっぽど疲れているんだなぁ」

 

僕の後ろ髪に鼻先を埋めるようにして、話すんだもの、熱い吐息がかかって頭皮がびりびりした。

 

ユノの言う通り、最近の僕は頭がすかすかで...違うな、頭の中に砂が詰まっているみたい、と形容する方がぴったりかな...ぼんやりしていることが多い。

 

客の深刻な打ち明け話を聞き逃したり、氷のような僕の手足に苦情を言う客が増えてきた。

 

これまでは「冷え性なのです。男なのに珍しいでしょ」とかなんとか、適当なことを言っていて、彼らも「ふぅん」と納得していた。

 

僕に添い寝をしてもらいたくて僕を買ったのだし、基本的に自分の話を聞いてもらいたくて仕方のない彼らは、僕の「冷え性」についてすぐに興味を失ってしまうのだ。

 

ところが、僕の冷え性は尋常なく酷くなってきて、不快がるお客対策として毛糸の靴下を履いたりと工夫はしている。

 

「疲れている、とは少し違います。

身体だけじゃなく、心までしんしんと冷えてきているような気がします。

身体を温めればいいのかなぁ、と飲み物は全部、温かいものにしたり、日向ぼっこをしたり、お風呂に入ったり...効果ゼロです」

 

「心が冷えると...チャンミンは何に困るの?」

 

「他人への興味を失うというか...何事にもおいて感動が薄くなるというか...。

生きている価値が希薄になる、というか...。

...虚しいんです」

 

口にしてしまった。

 

僕の本心を!

 

僕の背中に回されたユノの腕に、力がこもった。

 

熱過ぎる体温で、僕のこわばった背中を溶かそうとしているみたいに。

 

「僕の元には毎日、いろんな客が来ます。

客に添い寝してやって、お金をもらって、シーツを洗って、また客を呼ぶのです。

その繰り返しです。

大勢の人が僕の腕の中を通過していきます。

彼らは僕に添い寝をしてもらうことで、何かしらメリットを得て帰っていきます。

じゃあ、僕は?って」

 

「へぇ...意外だな。

チャンミンは、自分の職業について達観してるかと思ったよ」

 

「これまではそうでした。

でも...すっきりした顔で帰る客を見ていると、取り残されているみたいな感じに襲われるようになりました。

ユノは言いましたよね?

客の悩みを受け止め続けていて、溜まらないのか?って。

そうじゃないんです」

 

「じゃあ、何なんだ?」

 

「客たちに吸い取られているんです。

体温と一緒に、僕の心も...!」

 

暴露してしまった!

 

「......」

 

黙り込んでしまったユノが気になって、僕はユノの中から半身を起こした。

 

フットライトだけの薄明りのもと、ユノの人形のような白い顔がぼうっと浮かんでいる。

 

落ち窪んだまぶた、削げた頬。

 

それでも、一対の眼はつやつやと光っていてみずみずしい。

 

「チャンミンの悩みは、以上?」

 

「...はい」

 

一瞬の間ができてしまい、その一瞬の迷いはきっと、ユノにバレている。

 

「でもさ。

添い寝屋を呼んで、虚しさから抜け出せるのか?」

 

「......」

 

「客に添い寝してばかりいるから、こうなっちゃったんです、多分。

だから、逆に添い寝してもらえばいいのでは?って考えたのです...」

 

「違うな...それだけじゃないな。

チャンミン...お前はいろいろと隠し事が多いなぁ」

 

やっぱりバレている。

 

「添い寝してもらいたいのに、オプションサービスを追加するかなぁ?」

 

「......」

 

それまで真顔だったのに、目尻が切れ上がった目が細くなって、笑っているそれに変わった。

 

「ま、いっさ。

少しずつ教えてもらえばいいことだ。

5日もあるんだし」

 

「...はい」

 

ユノの声は上品だ、と思った。

 

大声を出したことはないのだろう、抑えた声量と低く過ぎず高すぎない、しっとりとした声質。

 

ユノの胸に耳を押し当ててその声を聞いていると、うとうとと眠たくなってくる。

 

添い寝屋としてのレベルは高そうで、それに比例して料金が高いのも納得だ。

 

 

 

 

「次は俺の番。

俺の悩みを聞いてくれる?」

 

「お客は僕の方ですよ?

お客が添い寝屋の悩みを聞いてどうするんです?」

 

「まあまあ、ケチくさいこと言うなって」

 

それまで仰向けになったユノの上に乗っていた僕を、後ろ抱きの姿勢にする。

 

そして、僕の二の腕ごとぎゅうっと抱きしめた。

 

「俺の中では、熱がこもってるんだ。

その熱を冷ましたくて、プールに通ったり、冷やしたり、エアコンを最低温度に設定してみたり...いろいろやってみた。

体力を使い果たせばいいんだって、抱いたり抱かれたり...毎晩」

 

「えっと...それはつまり。

抱いたり抱かれたりって...“そういうこと”でしょうか?」

 

「俺の添い寝スタイルは、金さえ払ってくれれば何でもサービスする」

 

「熱を冷ましたいから、ですか?」

 

「オプションサービスを付けてくれた時に限ってるよ、当然。

それ以外は、“そういう”お友達とね」

 

「毎日?」

 

「毎日」

 

「朝昼晩と?」

 

「朝昼晩、いくらでも」

 

「はあ...そうですか...」

 

中性的とも言えるユノが、実は絶倫だったとは...!

 

「チャンミンとくっ付いていると、やらしい気分になってくるなぁ」

 

「でしょうね」

 

「お尻にあたっているの、気づいているんだろ?」

 

僕は無言で頷いた。

 

ユノは男の僕相手に、欲情しているらしい。

 

お尻に押しつけられている硬くて適度な弾力のあるもの。

 

「ムラムラするねぇ」

 

「僕をっ...そういう対象で見ないで下さい!」

 

「こればっかりはどうしようもできないさ」

 

今の僕のものはしょぼくれてるけれど、かつての感覚を思い起こせば、どうしようもできない点では同意できる。

 

「そういうわけで、俺の高ぶりと、不眠を治して欲しい」

 

「ユノの不眠症を治して欲しいと、僕に頼むのはおかしくないですか?

僕は客ですよ?」

 

「チャンミンの自己紹介の欄で、

『高ぶる精神を鎮めて、心地よい眠りを提供します』

基本料金もまあまあ高い。

これは相当、自信があるんだな、と」

 

「僕のことを調べたんですか!?」

 

「当然だろう?」

 

ユノの店では、添い寝してやる客を事前に調査するんだ、おかしな客だと困るからね、特に添い寝以外のサービスもする高級添い寝屋なら特に...と思っていたら...。

 

「俺はお前の“客”でもある」

 

「え!?」

 

「俺も予約した。

 

チャンミン指名で」

 

「ええっ!?」

 

 

 

(つづく)

 

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(4)添い寝屋

 

人間というのは、5年間も眠らずに生きていられるものなのだろうか。

 

「大袈裟に言ってると思っただろう?」

 

僕の考えを見越して、ユノはそう言うとニヤリと唇の片端を持ち上げた。

 

「自分でも気づかないうちに、うたた寝でもしているんじゃないですか?」

 

「そうだなぁ、うたた寝くらいはしているかもしれないね。

俺んちすべてにカメラを仕掛けてみたんだ。

寝室は当然、風呂場にもトイレにも。

3日間、家を出ずにカメラで監視してみた」

 

「それで?」

 

「ずっと起きてた。

客がしょっちゅう訪ねて来て、その相手で忙しかった」

 

ユノは社交的なキャラクターみたいだ。

 

独りぽつねんと生きている僕とは真逆だ。

 

「氷を抱いているみたいだ。

こんなんで客からクレームがつかないか?」

 

ユノは僕を抱き直し、カイロのように熱を発する裸足の足を、僕のふくらはぎに絡ませた。

 

太ももにかけてびりっと電流が流れる。

 

「...結局、添い寝屋の役目は客の話を聞くことです。

彼らは悩みを打ち明けたくて仕方がないのです。

自分のことで精一杯なのです。

悶々と眠れない人は、概して火照った身体をしています」

 

僕はここで言葉をきり、ユノを振り返る。

 

ほんのわずかだけ、ユノがぎくり、とした気がした。

 

底なしの湖のような瞳にさざ波がたったように見えた。

 

「ユノはなぜ、火のように熱い身体をしているのですか?

寂しさや怒り、不安を抱えた人たちが、僕のところにやってきます。

幸福な人が、そもそも添い寝屋を雇ったりしません」

 

「客たちの不幸にまみれてばかりいて、チャンミンの方こそ、一緒になって不幸に沈んでしまったりはしないのか?」

 

「どうでしょう...。

僕の場合、そういうのはありません。

底なしなんです、きっと。

北極の氷なんです。

ヤカンで沸かしたお湯をかけられた程度で、僕の冷えた身体を温めることはできません」

 

客が抱える問題に、踏み込まないようにしていた。

 

「それは辛いですね」と相づちを打つか、無責任で月並みなアドバイスを口にするくらい。

 

それでも不満そうだったら、「お眠りなさい」と毛布でくるんでやるのだ。

 

ところが、ユノの場合はもう一歩、彼の心に踏み込みたくなった。

 

熾火のように火照った身体を持て余し、げっそりとやつれていて気の毒だった。

 

心配と同情もしたけど、それ以上に、ユノに興味があった。

薄幸の美人...ユノは過去に何があったんだろう、と。

 

ユノがさりげなく話を反らしたことに気付いていた僕は、話題を戻す。

 

「眠れなくなったきっかけは何ですか?」

 

「チャンミンに俺の熱を分けてやれたらいいのにな」

 

「話を反らさないでください」

 

「交換条件でいこう」

 

「交換条件!?」

 

「教えてあげるから、チャンミンの方も氷の身体になった理由を話して?」

 

「うー...」

 

やっぱりユノは、面倒くさい客だ。

 

「...いいですけど」

 

「もうひとつ条件がある」

 

「何ですか?」

 

「俺をまともな身体に戻してくれ」

 

「それは!

僕の仕事の範疇じゃないです」

 

「代わりに、冷血人間チャンミンを普通に戻してやるよ」

 

「はあ?」

 

「ついでに、チャンミンの勃起障害も戻してやる」

 

ユノの言うことは出鱈目で、滅茶苦茶だ。

 

全然期待してなかったけど、面白そうだったから同意した。

 

「難題ですよ?

ふふふ」

 

「俺の方も、難題だぞ?」

 

 

 

おかしな展開になってしまったけど、ワクワクする。

 

防音対策ばっちりなこの寝室は、しんと静まり返っている。

 

僕の首筋を温め湿らせる、ユノの吐息の音と、うるさいくらいに打つ僕の鼓動の音だけ。

 

「触っていい?」

 

僕は思いっきり顔をしかめて、「駄目です」と答えた。

 

ここに来てからユノは、何かと僕に触ろうとする(ハグしている時点で、十分密着してるんだけどね)。

 

パジャマの裾から忍んできたユノの手の甲を、ぴしゃりと叩いた。

 

「脱いで?」

 

「な、何を言うんですか!?

“そういう”のは無しだって、最初に言ったでしょう?」

 

「ケチ」

 

「さっさと寝て下さい...あ、眠れないんでしたね。

5年ですからねぇ...。

僕じゃ手に負えませんって」

 

「熱を冷ませば、眠れるかも。

だから、脱いで?」

 

「イヤです」

 

「パジャマが邪魔だろ?

俺は熱いし、チャンミンは冷たいし。

裸になった方が、効率がいいだろ?

チャンミンはきっと、冷たくて気持ちがいいだろうなぁ?」

 

「僕は男の人と、裸で“そういうこと”をする趣味はないんです」

 

「“そういうこと”するとは、一言も言っていないぞ?

ただ、裸になってチャンミンにくっつきたいの。

...やっぱり、ホントは俺と“そういうこと”をしたいんだろ?」

 

「したくありません!」

 

「ムキになっちゃって...可愛い添い寝屋さんだなぁ」

 

「あ...!」

 

「可愛い」と言われてムカッとしてたら、その隙をついて僕の下腹にユノの手が。

 

「ちょっ!」

 

「...へそに毛が生えてる...」

 

ユノの指がこそこそと、おへその周囲をくすぐるから、身をくねらすと、僕の胴に巻き付いたユノの腕に力がこもる。

 

「は、恥ずかしいことをいちいち口にしないで下さい!」

 

「下も触っていい?」

 

「駄目に決まってるでしょう!?」

 

肘鉄を軽く食らわせたら、ユノの指の動きは止まった。

 

「チャンミン、じゃんけんしよう?」

 

「何ですか?」

 

話題をころころと変えてくるユノに、僕はついていくのに必死だ。

 

「いいからいいから。

じゃーんけん」

 

僕の脇から通したユノがこぶしを握って、上下に揺すっている。

 

仕方がないなぁ、と付き合ってあげることにした。

 

「じゃーんけん、ポン」

 

僕はチョキ、ユノはぐー。

 

「これで決まり。

チャンミンが先に、悩み事を打ち明けること。

チャンミンのブツが使い物にならなくなった話を聞かせて?」

 

「...僕のは使い物にならないんじゃなくて、もっと深刻です」

 

「それは何?」

 

「性欲そのものがないんです。

ムラムラっとすることがないんです。

さっきからユノが触ってきましたよね?

僕にとってはくすぐったいだけなんです。

僕を触るのが、男の手だという理由もあるでしょうが」

 

本当は、感電したみたいに肌が痺れたことは黙っていた。

 

きっと、もっとふざけて触ってくるに違いないから。

 

「性欲がなければ、添い寝屋するのに都合がよさそうだけど。

チャンミンが自覚していないだけで、欲求不満がじわじわ溜まっているのかもしれないぞ?」

 

「そうかもしれません。

僕の身体は冷える一方です。

性欲だけじゃなく、他の欲も冷えていくでしょうね、そのうち」

 

「食欲は?」

 

「あります。

3人前が基本です」

 

「やせの大食いだな。

じゃあ、睡眠欲は?」

 

「あります。

寝すぎるところはありますね。

毎日18時間は寝ています」

 

「寝すぎだろう?」

 

「残りの6時間が仕事時間です。

一緒になって寝ちゃうことも多々ありますが...」

 

「物欲は?」

 

「人並みだと思います。

最近の買い物と言えば...浴室をリフォームしました。

家の中を整えるのが趣味ですね。

この布団カバー、いいでしょう?

深い紺色が、落ち着けます。

いい生地を使ってるんですよ」

 

おっと、いけない。

 

自分のことをぺらぺらと喋り過ぎてしまったと、口を押えた。

 

「性欲と睡眠欲以外は、普通っぽいなぁ」

 

「確かにそうですね...」

 

現状と問題点を実際に声に出して挙げてみると、考えが整理されて楽になったみたいだ。

 

頭の中で考えているだけだと、解決できそうにない深刻な問題だと思い込んでいたものが、実はたいしたことなかったり、いの一番に取り掛かるべきことが明確になる。

 

「それでチャンミンは、性欲を取り戻したいと?」

 

「...そういうことになりますね。

ムラムラが戻ったら、添い寝屋はやりにくくなりますね」

 

「そんなことないさ。

“そっち方面”のオプションサービス付きの添い寝屋になればいいだけさ」

 

「なるほど...」

 

「ということで、俺もそろそろ仕事に取り掛かることとするよ」

 

ユノの言葉の意味が理解できず、首を傾げた。

 

 

「俺も『添い寝屋』だ」

 

「!!!!」

 

「チャンミンが予約した『添い寝屋』は俺だ」

 

「え...え...えっと...」

 

「予約は17:30。

5日間貸し切りの出張コース。

何でもありのプレミアムコース」

 

「え...え...えっと...」

 

「キャンセルメールが届いたけど、無視した。

玄関ドアまで来てたし、無視した」

 

「...え...っと...えっと...」

 

「オプションサービスも確かに承っているよ。

俺に任せろ」

 

ユノは親指を立て、にかっと笑った。

 

えええーーー!!!

 

 

(つづく)

 

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(3)添い寝屋

 

 

「触って欲しそうだったから、さ」

 

ユノはくすくす笑っている。

 

からかわれたと知ってむっとした僕に、ユノは「ごめんごめん」と謝って、掛布団を持ち上げた。

 

挙動がおかしい客には慣れているはず、いちいち動揺していたら添い寝屋は務まらない。

 

「触ってもいいですけど、変なことはしないで下さいよ」

 

ベッドに上がって、再びユノの隣に横たわる。

 

「変なことって、例えばこういうこと?」

 

「わぁっ!」

 

ズボンのウエストに差し込まれたユノの手首を、つかんで制した。

 

「だからっ!

“こういうこと”は、本当に困るんです」

 

「どうして?」

 

頭だけひねって、背後にいるユノを睨みつけた。

 

「どうして、って...」

 

僕は確かに、勃起できない『不能者』だ。

 

それどころか、僕の身体は冷えたままで、ムラムラすることもない。

 

けれども、ユノの手が僕の素肌に触れたとき、吸い付くような感じと触れられた箇所がじんと痺れた。

 

久方ぶりの感覚に、まるで神経を直接触られたみたいに刺激が強くて、痛みを覚えるくらいだった。

 

鼓動は早くなって、うなじのあたりがじとりと汗が浮かぶ。

 

この感覚は『むらむら』とは違う...変なの。

 

パニックを起こした身体を、どう扱ったらいいか分からない。

 

「添い寝屋さん、早く仕事に戻ってくださいな」

 

ユノの眼からは、さっきまでの面白がる色は消えて、しんと静まり返った冷めたものになっていた。

 

吸い込まれてしまったら、二度と浮上できないのではと恐怖を覚えるほどの。

 

暗くて、真っ黒な瞳の湖に。

 

それにしても...ユノという客...全くもって、やりにくい。

 

やりにくいけど...。

 

照明をぎりぎりまで絞っているここでは、はっきり顔色は確かめられない。

 

でも濃い影が顔面の凹凸を際立たせていて、落ちくぼんだ上瞼やそげた頬があからさまになっていた。

 

それでも、ユノは綺麗な顔をしていた。

 

シャワーを浴びてきたばかりと言った通り、ユノからは嫌な臭いはしない。

 

しないどころか、無臭だった。

 

疲れ切っている者は大抵、疲労臭を漂わせているものだ。

 

彼らの疲れを癒してやることは出来なくても、破裂しそうに溜まったタンクの蛇口を少しだけひねって、その水量を少しだけ減らしてやる。

 

僕が解釈している『添い寝屋』の仕事は、その程度のものだ。

 

それ以上踏み込んで、彼らの悩みや苦痛を取り除いてやろうと意気込んだら、100%僕はつぶれてしまう。

 

過去にそれをやって、大変な目に遭ったから。

 

ユノには打ち明けていないことは、沢山ある。

 

僕が添い寝屋を始めたきっかけもそうだし、客との距離感をドライな位にとる理由も。

 

客であるユノ相手に、赤裸々に語る必要はないんだけどね。

 

「ふぅ」

 

気持ちを切り替えるために、深呼吸をした。

 

さて、仕事にとりかかりますか。

 

 


 

 

僕とユノは、ひとつの枕に二つの頭を乗せて、顔と顔を30センチの距離で向かい合わせにしている。

 

「ユノは...不眠症なのですか?」

 

僕の質問に、ぴくりともしないユノの口元。

 

おかしいな、大抵の客はこの質問に揺らぐのに。

 

不眠具合を具体的に挙げたり、なぜ不眠なのかの自己分析を語りだしたりするのに。

 

「チャンミンは、不眠症?」

 

低いのに女性的な柔らかな声音で、ユノは僕に尋ねた。

 

「いいえ。

僕はいつでもどこでも、ぐっすり眠れます」

 

「ふぅん、そりゃ幸せ者だ」

 

ユノの答えに、「ふむ、ユノは眠れないのだな」と僕は解釈した。

 

「...食事は...とれていますか?」

 

ここに訪れた時のユノの立ち姿に、まるで作り物のようだと感じてしまったのは、恐ろしいほど全身のバランスがよかったからだ。

 

革のコートも、革のパンツも身体のラインをそのまま拾う細身のもので、スタイル抜群。

 

高身長な者はいくらでもいるけど、ユノの場合は頭がぎゅっと小さい。

 

僕の目前で、枕に片頬を埋めた、僕のこぶしくらいしかないんじゃないかと、怖くなるくらい小さな頭。

 

ユノの全身が、削れる部分は全部、身を削っているみたいで痛々しく見えたんだ。

 

だから、「食事はとれていますか?」と質問した。

 

大きさを確かめてみたくなって、ユノの頬を包んでいた、気付いたら。

 

僕の突然の行動に、ユノの頬がぴくりと震えた。

 

「すみません...」

 

手を引っ込めようとしたら、ユノに手首をつかまれた。

 

「このまま...このまま、触っていて」

 

「は、はい...」

 

僕の手首を包み込んだ、ユノの乾いた手の平や、力強い指の圧力...それから、熱いくらいの体温。

 

「あの...風邪でもひいているのですか?

...その、手が熱いです...それから、顔も」

 

僕の手首がじんじんする。

 

「体温が高い方なのかな?

風邪じゃないから、安心して。

チャンミンに伝染す心配はない」

 

「消化のよいものでも、食べますか?

お粥を作ってきましょうか?」

 

弱った風のユノを、栄養で満たしてあげたくなった。

 

冷凍したご飯があったはず、卵もネギもあったはず...と、ベッドを出ようと身を起こした瞬間、

 

「わっ!」

 

力いっぱい引き寄せられて、ユノに抱きとめられた。

 

ぴたりとユノの身体と密着した僕の背中が熱い...。

 

「飯を食いにここに来たんじゃないんだ。

チャンミンは『添い寝屋』なんだろ?

今は俺に添い寝してくれ」

 

「はい」

 

「それから...俺と話をしよう」

 

「はなし...」

 

ユノの熱い吐息が僕の首筋にかかる。

 

「俺の話をきいてくれればいい。

チャンミンのことも...話せる範囲でいいから、話して」

 

客相手に、自分の身の上話なんてしない。

 

したとしても、僕は「架空の僕」の話をする。

 

リアルな話をするわけないじゃないか。

 

客が望む「添い寝屋のチャンミン」の身の上話を、適当にでっち上げて話してあげる。

 

そうすると客は、気心がしれたと安心してくれる。

 

「分かりました。

でも、変な質問には答えませんよ?」

 

「それって、反応しないブツのことをか?」

 

「...うるさいですね。

僕のが勃とうが、勃たまいが、ユノには関係ないでしょ?」

 

打ち明けるんじゃなかったと、後悔した。

 

「関係あるかもよ?」

 

「なっ!」

 

「ははは。

話がそれてしまったね。

チャンミンの勃起障害については、脇に置いておこう」

 

「......」

 

「チャンミンが指摘した通りだ。

身体がかっかと熱い」

 

そういえば革コートの下が、半袖のTシャツ1枚きりだった。

 

「熱くて熱くて、俺は眠れないんだ」

 

「なにかに...興奮しているのですか?」

 

「さあ...。

熱を冷ましたくて、いろいろ試してみたんだけどね。

発散すればいいのかな、とか」

 

発散って、何をするんだろう...?

 

僕の首筋にユノは唇を押し当てた(この柔らかさは、唇にきまってる!)。

 

あからさまにビクッとしたのは、やっぱり、じんと肌が痺れたせい。

 

ぎゅっと手をにぎって、その痺れをやり過ごす。

 

身体を硬直させた僕に、ユノはふふっと微笑した。

 

「なあ、チャンミン?」

 

「...はい」

 

「気付いてるんだろ?」

 

「......」

 

「俺の身体が熱いのは、その通りだけど。

それだけじゃないんだってこと...。

わかってるんだろ?」

 

「......」

 

「チャンミンが冷たすぎるんだ。

こんなに氷みたいな手をして...」

 

背後から回されたユノの大きな手が、僕のこぶしを包み込んだ。

 

「......」

 

「冷え切った身体をしてさ」

 

「......」

 

「寒いわけじゃないんだよな?」

 

僕は頷いた。

 

「どうしてなのかは、無理に訊き出さないよ」

 

ほっと息を吐いたら、「今のところはな」とユノは笑う。

 

「ユノこそっ...!

風邪でもないのに、どうして熱いんですか?

異常ですよ、この体温は!」

 

「...眠れないだ」

 

やっぱり、と思った。

 

「眠れない日を重ねるごとに、俺の身体は火照っていく」

 

「そう...ですか...」

 

「常に微熱状態なんだ。

不快なものだよ」

 

「辛いですね」

 

火照る感じなんて忘れてしまった僕は、相づちを打つしかでいない。

 

「俺はかれこれ、丸5年眠っていない」

 

「ええぇぇっ!!」

 

筋金入りの不眠症が僕の元にやってきた。

 

(つづく)

 

 

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