(63)時の糸

 

 

 

頭の芯が痺れそうになったユノは、ぐいぐい攻めてくるチャンミンの舌を押し戻す。

 

(待て待て...これ以上は...)

 

チャンミンは体重をかけると、ユノを仰向けに押し倒した。

 

「待てったら!」

 

ユノはチャンミンの両頬を挟んで引き離した。

 

「病人を押し倒してどうすんだよ?」

 

「あ...!」

 

「ちゃんと寝てろって言うけどさ、『寝る』の意味が違うんじゃないかね?」

 

「......」

 

片手で口を覆うと、チャンミンの顔が真っ赤になった。

 

「ごめん...そういうつもりじゃ...」

 

「そういうつもり満々じゃないかよ?」

 

「いや...その...僕はそういうつもりは全然なくて...」

 

「俺を『押し倒す』とは!」

 

「いやっ...それは...!」

 

(これ以上責めたら、チャンミンが可哀想だ)

 

ユノはしどろもどろのチャンミンを睨みつけていたが、きっぱり言い放つ。

 

「もう帰れ」

 

「え!?」

 

きょとんとしているチャンミンに、ユノは目を見開く。

 

「...え?

今夜も泊まっていくつもりだったわけ!?」

 

「え...そのつもりだったんだけど...?」

 

(やっぱり)

 

「あかんあかん!」

 

「どうして?」

 

「俺はもう、一人で大丈夫だから。

看病は十分だ、お腹いっぱい、ありがとな。

ってことで...帰れ」

 

「いや...でも、ユノをお風呂に入れないと...。

髪の毛べたべただろ?」

 

「嘘っ!?

臭い?」

 

ユノはくんくんと自分を嗅ぐ。

 

(待て...。

風呂に入れる...だと!?)

 

「チャンミン!

あんた、俺を裸にしたいのか?」

 

「!!」

 

「俺の見事なボディを見たら、おさまりがつかなくなるだろ?

いいのか?

ヌードは近いうちに見せてやるから。

今夜は早くお帰り。

子供の寝る時間だよ?」

 

壁にかけた時計を指さす。

 

「!」

 

「...おやすみ」

 

耳まで真っ赤にしたチャンミンが玄関ドアの向こうに消えて、ユノは大きく息を吐いた。

 

(キャラクターが安定していないせいか、こっちの方が振り回されてるよ、全く)

 

 

翌日、事務所で顔を合わせた二人は、滑稽なほどぎょっとし合った。

 

「お!

チャンミン君、顔を赤くして初々しいのぅ」

 

照れ臭くて仕方がないユノは誤魔化すようにバシっと、チャンミンの背中を叩く。

 

「違っ!

寒いところから暖かい部屋に入ったから...それで顔が赤くなって...」

 

もごもごと言い訳をするチャンミン。

 

「着がえなくちゃ!」

 

両耳を赤くして、ロッカールームへ早歩きで向かうチャンミンの後ろ姿をユノは見送った。

 

(俺はこの背中にくっついて寝ていたんだな...。

 

何なのこのトキメキは...恋だねぇ)

 

 


 

 

「...報告書にある通り、被験者186番は順応度が高まってきていると思われます」

 

60代の白衣の男性の前で、ユノは直立不動になってそう報告を終えた。

 

その男性は手元のディスプレイを睨んだまま、たっぷり1分近くも無言でいた。

 

「Q所長?」

 

ユノに声をかけられ、はっとしたようにQ所長は顔を上げると口元を緩め、

 

「失礼。

予想以上に早くて驚いていたんだ」

 

「やはり、相性がよかったからでしょうね」

 

この部屋には、ユノを含め十数人の男女がひとつのテーブルを囲んでいた。

 

同じテーブルについた白衣の40代男性が

「あの時の高熱は、順応しかけた兆しだったのでしょうね。

頭痛、発熱、痙攣、一時的な意識混濁...過去の事例も多くは、体調の急変です」

と言った。

 

大型ディスプレイに顔写真を幾枚も並べて見せる。

 

「ユノ君があの場に居合わせて、M大学病院に運んでくれたおかげだ」

 

白衣の40代男性...チャンミンを急患で診た医師は、立ったままのユノに座るよう促した。

 

「半年前から、頭痛に悩まされていました。

彼の場合、他人への無関心さが特に目立っていましたので、受診のきっかけ作りに苦慮していたのです」

 

「186番については、しばらくの間順応の具合を観察しよう。

稀に見るペースですから、慎重に進めないと」

 

「しばらく、とは、どれくらいの間でしょうか?」

 

ユノはおずおずと尋ねる。

 

「彼の場合はまるで読めない」

 

「怖いのは感情の暴走ですね。

彼は薬の服用は続けているようですか?」

 

「はい」

 

チャンミンの自宅で、さりげなく確認した薬のボトルの中身が減っていたことを思い浮かべながら返事をした。

 

(ごめん、チャンミン。

あんたが服んでる薬は、ただの頭痛薬じゃないんだよ。

処方箋も薬のラベルも全部デタラメなんだよ)

 

「ユノ君はこれからも彼の観察を続けるように。

慎重を要する時期にさしかかっているから、より注意深く。

君からの報告をもとに、ここへ戻すタイミングを判断する」

 

「はい」

 

「それでは、次の被験者についての報告は?」

 

 

(よかった...。

 

これでもうしばらくチャンミンの側にいられる。

 

でも、お役目御免になったら、次の任務では遠方に行かなければならなくなるかもしれない。

 

この仕事を続けている限り転勤族だし、被験者にべったりと張り付くことになるから、誰かと交際するのは難しい。

 

かつての被験者と結婚したSは賢い。

 

以前担当していた被験者はほんの子供だったから、恋に落ちることはなかった。

 

恋愛感情は心を呼び覚ましやすい理由から、大抵は異性を担当する)

 

地下奥深くから高速で上昇するエレベーターで、ユノはため息をついた。

 

地上に戻ったユノは、エントランスホールに飾られた巨大な絵画を見上げる。

 

額に角を生やした白い馬に跨るのは、長い黒髪をたなびかせた目鼻立ちのくっきりとした女性。

 

左下の隅に『Changmin』とサインがある。

 

これを目にするたび、ユノの胸はしくしくと痛むのだった。

 

 

(つづく)

 

 

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(62)時の糸

 

 

「チャンミンさんは初めてでしたよね?」

 

小型フォークリフトをリモコンで操作しながら、カイは背後で作業をするチャンミンを振り返った。

 

「ああ。

僕はここに来て、1年経ったばかりだから」

 

外は真冬の風が吹きすさぶのに、ドームの中は温められた空気でジャケットなしでも平気だった。

 

(1年前のことすら僕はほとんど覚えていない。

『心配するな』とユノは言うけれど、

色鮮やかに記憶している今を思うと、それ以前の僕は濃い霧の中で彷徨っていたかのようで...。

このギャップに怖くなる)

 

「ビニールを剥いでください」

 

カイから手渡されたカッターナイフでシートを切り裂くと、圧縮されていた枯れ葉が飛び出した。

 

植物園ではあるイベント開催のため、この1週間浮ついた空気が流れていた。

 

年に一度の恒例イベント『落ち葉焚き』だ。

 

火気厳禁のドームだったがこの日だけは特別で、防火対策を万全にした上で焚火をするのだ。

 

スタッフの家族や友人も招待して、焚火料理を振舞って飲み食いを楽しむ。

 

炎を見る機会が皆無の世の中だから、赤い炎、ものが焼ける音、灰色の煙...。

 

燃焼する様を眺められるこのイベントを、皆心待ちにしている。

 

日頃のメンテナンスで大量に出る枯れ葉や枯れ枝の処分は専門業者に任せているが、『落ち葉焚き』イベントのために一部はよけておく。

 

チャンミンとカイは、ドーム中央辺りの収穫を終えた畑に落ち葉の山を作る役目だった。

 

チャンミンは知らず知らずのうちに、ユノを目で追っていた。

 

「チャンミンさん、何か楽しいことでもあったんですか?」

 

「えっ!?」

 

カイはフォークの持つ手に顎を預けて、動揺するチャンミンを面白そうに見ている。

 

「さっきから心ここにあらず、って感じです」

 

「そうかな...」

 

カイの指摘が図星だったチャンミンは、くるりと背中を向けて作業に没頭するふりをした。

 

(最近のチャンミンさんは、全くもって変ですよ)

 

先ほどのチャンミンの視線の先...回廊をMと並んで歩くユノの姿を認めたカイは、おや、と眉を上げた。

 

 

 

 

『あの夜』の翌日。

 

熱の下がらないユノを案じたチャンミンは、「医者なんぞ絶対に行かん!」と駄々をこねるユノを無理やり、文字通り引きずるようにして病院に連れて行った。

 

診察室から出てきたユノの不貞腐れた顔を見て、連絡もせず仕事をサボっていたことにチャンミンははじめて気付いた。

 

この1年間、何の疑いも抱かずオートマチックに自宅と職場を往復していたチャンミンだったから、この日の自分の行動に愕然とした。

 

(前日の「好き」とか「キス」とか、「好き」とか「キス」とか...。

僕の頭はこのことでいっぱいだ)

 

タクシーの後部座席に並んで座るユノのくしゃくしゃ髪の後頭部。

 

チャンミンは片腕を伸ばしてユノの肩にかけると、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。

 

ユノの頭がことんと肩に落ちた。

 

視線を落とすとチャンミンのとっさの行動に目を丸くしたユノと目が合った。

 

熱のせいで目尻の縁が赤く、ユノの黒い瞳はやっぱり熱のせいでうるんでいた。

 

蛍光灯が一つだけだったボイラー室や、間接照明だけのユノの部屋ではぼんやりとしていた。

 

こうして昼間の陽光の元で見るユノ。

 

(これまでの僕は、彼のどこを見ていたのだろう?

「視界に入っていたのに、見ようとしていなかった」自分にあらためて気づかされた)

 

「ちゃんと寝てろよ」

 

ユノがベッドに横になったのを確認してから、チャンミンは出勤していった。

 

仕事を終えると真っ先にユノの部屋へ戻る。

 

食料品や日用品を買い込んだ袋を抱えて。

 

ベッドを抜け出してタブレットを操作しているユノに、チャンミンはユノを怒鳴りつけてしまった。

 

「駄目じゃないか!」

 

大きな声を出すチャンミンに、ユノは「うるさいなぁ」ってわざとらしく両耳を押さえてベッドに戻る。

 

「なんだか調子が狂うなぁ...」

 

買ってきたものを冷蔵庫にしまうチャンミンの背中を、片肘をついて眺めていたユノはつぶやいた。

 

「え?」

 

「チャンミンに世話をされるなんて......ムカつく」

 

「ムカつく、ってどういう意味だよ!?」

 

「世話をするのは俺の方、って感じだったから」

 

「なんだよ、それ」

 

レンジで温めたスープを手に、チャンミンはユノの枕元に座った。

 

「チャンミンのくせに生意気だ、って意味じゃないからな。

うーん...なんていうのかなぁ...うん、そうだ!

こんな風に優しくされることに慣れていないんだな、きっと」

 

ユノの言葉に、チャンミンは考え込んでしまった。

 

自分の行為のどこが「優しい」ことなのか、判断基準が分からなかったからだ。

 

(僕はしたいと思ったことをしているだけなんだけど...。

もし、的外れなことをしちゃって迷惑をかけているんだとしたら、どうしようか)

 

「ありがとうな」

 

そう言って、ユノの視線はカップを持つチャンミンの手に落とされる。

 

(まじまじとチャンミンの手をみるのは初めてかも。

神経質そうな指先が、チャンミンらしい)

 

視線を袖口に転じると、毛玉ひとつない黒のニットから覗かせたシャツが真っ白で「チャンミンらしい」と思った。

 

「ありがとうって、お礼を言われるようなことしたっけ?」

 

「いっぱいしてもらったよ。

挙げだしたらキリがないけどな、はははっ」

 

(チャンミンの言うこと、することは全部、見返りを求めていない純粋な気持ちからきていることは分かっているよ。

根が優しいんだ。

感動するよぉ...)

 

チャンミンは湯気がたつカップの中身を、スプーンですくってふうふう息を吹きかけた。

 

「口開けて」

 

口元に突き出されたスプーンにムッとしたユノは、チャンミンを睨みつける。

 

「子供扱いするな!

汁なんぞ、一人で飲める!」

 

「病人の看病は、こうやるものなんだって。

ほら、口を開けて」

 

「ったく」

 

よく冷ましたコンソメスープを大きく開けたユノの口に、ゆっくりと流し込んだ。

 

スプーンに触れる柔らかそうなユノの唇に、チャンミンの喉はごくりと鳴る。

 

気付けばチャンミンは、斜めに傾けた顔を寄せユノの唇を塞いでいた。

 

「チャ...」

 

スプーンがチャンミンの手からこぼれ落ちて、床に転がった。

 

「待て...」

 

ユノは口づけたままチャンミンの手からカップを取り上げると、手探りでサイドテーブルに置いた。

 

チャンミンは、両手でユノの頬をすっぽりと包んでキスに夢中になっている。

 

(おいおい)

 

間近に迫るチャンミンの閉じたまぶたとまつ毛を観察してしまうユノ。

 

(病人相手に...何するんだ!)

 

とまどうユノの唇をこじ開けて、チャンミンの舌が侵入してきた。

 

「んっ」

 

(この坊やは...なかなかどうして...。

 

積極的で...強引で... 。

 

ん?

 

ん?

 

おいおいおいおい。

 

どこでこんなキス覚えたんだよ!

 

上手すぎるだろ!)

 

 

(つづく)

 

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(61)時の糸

 

 

 

「子供の頃、事故に遭ったんだ」

 

チャンミンの気迫ある眼差しに負けて、ユノは語り始めた。

 

「どんな事故?」

 

「列車事故だよ。

脱線して横倒しになって、炎上して...酷かったよ」

 

「......」

 

「その時に、足をやられたわけ。

命が助かっただけでも幸運だった」

 

「怖かった?」

 

「当ったり前だろうが」

 

「そうだよね、ごめん」

 

「気付かなかっただろ?

最近の義足はよく出来てるんだ。

サンダルとかは無理だけど」

 

「気付いてやれなくて、ごめん。

水に浸かって...冷たかっただろ?」

 

「あんたに気付いてもらおうなんて、これっぽっちも考えてなかったし、ずっと言うつもりもなかったし」

 

「ひどいな」

 

「日常生活で特に困ってることはないし、20年も近く前のことだし、トラウマでどうこうってことはない。

...これで、俺の昔話はおしまい」

 

そう締めくくったユノは、寝返りを打ってチャンミンに背を向けた。

 

「もう寝よう。

おしゃべりするのは、ちとキツイ」

 

背後からチャンミンの手が伸びて、ユノの額に当てられた。

 

「薬が効いてきたのかな。

さっきよりは下がったみたいだね。

もっと冷やした方がいい。

氷を買ってくるよ」

 

チャンミンはベッドを抜け出して立ち上がった。

 

「...チャンミンの方は、頭痛は大丈夫か?」

 

「え?」

 

「大丈夫か?」

 

ユノの質問に、チャンミンはすっかり氷が溶けてしまった洗面器を両手で抱きしめる。

 

「ねぇ、ユノ」

 

「ん?」

 

「タンクの上で、僕が言いかけていたことなんだけど...」

 

「うん」

 

「ひとつは、ユノのことが好きだって言いたかったみたいなんだ。

あの時は、うまく言葉にできなかった」

 

「うん」

 

「もうひとつは...僕の悩み、というか。

僕には相談できる人がいないからね。

ユノしかいないんだ...だから、話してしまうけど」

 

(そうだよ。

そのために、俺はチャンミンの側にいたんだよ)

 

チャンミンが自分に話そうとする内容が、なんとなく予想がついたユノは身を固くする。

 

「ユノが足のことを教えてくれただろ?

子供の頃のこと」

 

「うん」

 

「それから、ユノのことを知りたいって、言っただろ?」

 

「うん」

 

「僕も、自分のことをユノに教えてあげたいんだ。

ユノはどう思っているかは分かんないけど、さ」

 

「......」

 

「思い出せないんだ。

子供の頃だけじゃなく、つい数年前...いや、1年前のことすら思い出せない。

まるで僕には過去がないみたいなんだ」

 

「...うん」

 

「頭が痛いのも、脳に何か腫瘍があるのではと疑った。

でも、検査では異常はないし、処方された薬も調べてみた限りでは特別なものじゃなかった。

何かを思い出そうとすると、ひどい頭痛に襲われるのは事実で...」

 

「そうか...」

 

「もっと詳しい検査をすれば原因はわかるかもしれない。

多分、僕の頭は何かしら問題を抱えているのは、確かなんだ。

ねえ、ユノ。

笑わないでくれよ。

...僕は少しずつ忘れていっているんだと思う」

 

「チャンミン!」

 

ユノはがばっと起き上がり、瞬間ぐらりとふらついて駆け寄るチャンミンに支えられた。

 

「寝てなくちゃ、駄目だよ」

 

「忘れていっているなんて、そんなんじゃないって」

 

「どうしてユノに分かるんだよ?

僕が鮮明に覚えていることといえば、ついこの間以降なんだ。

ユノと話をするようになってからのことだよ。

あとはうすぼんやりとしている。

思い出そうとすると、ずきずきと頭痛がする。

だから、思い出すことは避けているんだ。

おかしいだろ?」

 

「そっか...。

それは辛いね」

 

ユノはチャンミンの頭をくしゃくしゃと撫ぜたが、チャンミンは「子供扱いするな」とユノの手を払いのけなかった。

 

「検査で異常なしなら、急を要するような事態にはなっていないって。

精神的なものかもしれないし、な?」

 

ユノの肩に額をあずけたチャンミンの頭を、ユノは撫ぜ続けた。

 

「よしよし。

俺も調べてみるから。

あまり思い煩うなよ。

しばらく様子をみようよ。

俺に話してくれて、ありがとうな」

 

ユノはじっとしているチャンミンを覗き込む。

 

「もう寝ようではないか?

遭難しかけたからな、俺たちは」

 

ユノはベッドに横たわり、腰掛けたままのチャンミンの手を引っ張った。

 

「チャンミンも、ねんねしなさい」

 

「子供扱いするな」

 

「俺のおっぱいを触っていいからさ」

 

「!」

 

チャンミンの視線が瞬時に、ユノの胸元に移る。

 

「冗談に決まってるだろうが?

俺のどこにおっぱいがあるんだよ?」

 

「僕をからかうな」

 

と不貞腐れながらも、チャンミンはユノの隣にもぐり込む。

 

「知ってるか?」

 

「何を?」

 

「俺たちは、『恋人同士』なんだぞ?」

 

「!」

 

(やっぱり、無自覚だった)

 

「『俺はあなたが好き』『僕もあなたが好き』...で終わりなのか?

それでいいのか?」

 

「......」

 

「恋人同士なら、互いの想いや体験を共有し合っていくものなんだ。

昔のことを思い出せなくたっていいじゃないか。

これから思い出を作っていけばいいじゃん。

あれ、俺ってばクサいこと言ってるな、ははは」

 

「そっか!」

 

「それにさ、俺らは『恋人同士』になったんだから、一緒の布団で寝るものなの」

 

「うっ...」

 

「今夜の俺は、具合が悪すぎるから、アレは出来ん」

 

「うっ...」

 

(一応、知識としては知っていたか...。

どうしてもチャンミンをからかってしまう)

 

「おっぱい触るくらいなら、いいけどな。

ぺたんこだけどな!」

 

「ユノ!」

 

「ごめんごめん。

じゃあ、手を繋ごうか?」

 

「うん」

 

間もなくチャンミンのまぶたは閉じたままになった。

 

(やれやれ。

看病する側が先に寝てどうするんだよ)

 

ベッドサイドに置かれた冷却シートを貼りかえながら、ユノは熱い息を吐いた。

 

(こういうとこが、チャンミンらしいと言えるんだろうね)

 

 

(第1章終わり)

 

 

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(60)時の糸

 

 

「...となると」

 

(これからの俺らは、どうなるんだ?

『付き合う』ことになるのか?

チャンミンには、『俺らはこれから恋人同士になるんだからな』って宣言してやらないと。

教えてやらないとな。

あいつは誰かと深い関係を持つこと自体が初めてだから)

 

 

トイレの便座に腰掛けたユノがくすくす笑っていると、ドアがノックされた。

 

「ユノ?

大丈夫?」

 

「大丈夫!」

 

(チャンミンには友人もいない。

ひとりぼっちなんだよな)

 

「うーん...」

 

自宅と職場の間を往復するだけのチャンミンの毎日を知っているユノは切なくなった。

 

ある休日、チャンミンを尾行したユノは、どの日であろうと半日をジムで過ごした後、食料や日用品を買い物しただけのチャンミンを確認しただけだった。

 

 

(チャンミンの心は今、俺に向かって開かれている。

彼のことを大事にしてやらんとなぁ)

 

 

一方、チャンミンは部屋とトイレのドア前を何度も行ったり来たりうろうろしていた。

 

ユノがなかなか自分を呼ばないことを心配し出してきた。

 

 

(倒れているんじゃないだろうな。

起き上がろうとしたらふらつくくらい熱も高かった!)

 

 

ドアの前で耳をそばたててみると、「うーん」とうなる声がするだけでその他の物音がしない。

 

 

(呻いているのか!?

大変だ!)

 

「ユノ!!」

 

チャンミンは鋭くドアをノックする。

 

「大丈夫か!?

開けるよ!」

 

ユノの返事を待たずにチャンミンはドアを開けた。

 

「あっ!

こら!」

 

「ユノ...」

 

便座に腰掛けたユノを前にチャンミンは、ほっと息をつく。

 

「よかった...」

 

「あのなー。

いくら男同士だからって、用足し中を覗かれたら恥ずかしいぞ?」

 

「ごめん。

『大』だったんだね」

 

「おい!」

 

「10分も出てこなかったら、心配するだろう?

倒れてたらマズイと思ったんだよ」

 

ユノの指摘に顔を赤くしたチャンミンは、ユノを睨みつける。

 

「もう済んだ?」

 

「うん」

 

 

ユノの背中とひざ下に腕を回して、チャンミンはユノを抱え上げた。

 

「下ろせ!」

 

「うるさい」

 

(トイレの往復にお姫様抱っこだなんて、恥ずかしい!)

 

「歩けるってば!」

 

「その足じゃ無理だろう?」

 

「う...」

 

ユノをベッドに寝かすと、チャンミンもユノの隣に横になった。

 

「!!」

 

(おいおい、一緒に寝るつもりか?)

 

さも当然かのように行動するチャンミンの行動に、ユノはぎょっとしつつも新鮮な気持ちになる。

 

(そうだった。

チャンミンはちょっとズレてる君、だった)

 

 

「朝までここに居ても、いい?」

 

「え...?」

 

「欲しいものや、やって欲しいことがあったら、いつでも僕を起こしてよ」

 

鼻先までかぶった布団の端から、チャンミンの丸い両目がユノをまっすぐに見つめていた。

 

「よしよし」

 

思わずユノは手を伸ばして、チャンミンの頭をくしゃくしゃにする。

 

「子供扱いするのは止めて欲しい」

 

「あははは」

 

(この子を大事にしてやろう。

チャンミンの気持ちを、しかと受け止めよう)

 

「ねえ、ユノ」

 

「何?」

 

「ユノの足のこと...教えてくれるかな?」

 

「え...?」

 

「ユノのことをいっぱい知りたいんだ。

僕に教えて?」

 

(他人に無関心なチャンミンが、俺のことを知りたいだって。

感動する...)

 

「なんで?」

 

「ユノのことが好きだからに決まってるじゃないか?」

 

「......」

 

(ストレート過ぎる。

へぇ、チャンミンの本来のキャラって、こんな風なんだ)

 

「大したことないよ。

怪我をしただけ」

 

チャンミンはじぃっと、言い渋るユノを真剣な顔で見つめている。

 

詳しい話を聞くまで絶対に目を反らさない意気が、びしびしとユノに伝わってきた。

 

(そうだよなぁ、チャンミンは何も知らないんだよなぁ。

話したって構わないよね。

適当なことを言ってあしらうわけにもいかない)

 

そう思い直したユノは打ち明け始めた。

 

 

(つづく)

 

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(59)時の糸

 

 

「泣くなチャンミン」

 

ユノは指先でチャンミンの涙を拭った。

 

「ユノ...」

 

眉を下げたチャンミンの顔が、くしゃくしゃにゆがんだ。

 

「僕は...」

 

「!」

 

あっという間に、ユノはチャンミンの胸元に引き寄せられていた。

 

チャンミンは火の玉みたいに熱いユノを、力いっぱい抱きしめた。

 

(チャンミンにハグされるのは、これで...2度目か?

こらこら、冷静に何考えてるんだ、俺?)

 

「聞こえてた?」

 

「うん」

 

「僕の言ったこと、聞こえてた?」

 

「聞いてたよ」

 

「ユノ、寝たふりしてただろ?」

 

(どきぃ)

 

「寝てたよ!

うとうとと。

クスリ飲んだし、熱あるし、ぼーんやりなわけ」

 

「で?」

 

「『で』って?」

 

「僕は、ユノのことが好きです」

 

チャンミンはユノを抱く腕に力をこめる。

 

(潔い男だなぁ。

こうもはっきり言われると、調子が狂う。

おし!

俺も応えないと)

 

「俺も...」

 

ユノは熱めの湯船に浸かっているかのようだった。

 

38.5℃の体温と、緊張と照れで火照ったチャンミンに包まれて、のぼせそうだった。

 

「俺も...好き」

 

チャンミンの腕が一瞬ピクリとしたが、無言のままだった。

 

「......」

 

「こらこら、黙るな」

 

(聞えなかったのか?)

 

「俺も、チャンミンのことが好きだよ」

 

「......」

 

「おーい。

チャンミン?」

 

「......」

 

「おい!」

 

「......」

 

「好きだって、言ってんだよ!

聞こえただろ?」

 

チャンミンの胸がくっくと小刻みに揺れている。

 

「チャンミン?」

 

(まさか、面白がって笑っているのか?)

 

「おら!」

 

チャンミンを睨みつけようと、胸にくっつけていた顔を上げた。

 

「えぇっ!?」

 

チャンミンが嗚咽の声を漏らして、泣いていた。

 

「チャンミン...」

 

ユノはチャンミンの背中を撫でてやる。

 

「泣くなよ」

 

「だって...」

 

チャンミンはユノを深く抱きしめ直して、ユノの肩に目頭を押しつけた。

 

熱い涙が次から次へと溢れてきて、ユノのパジャマを濡らしていく。

 

(チャンミン、泣き過ぎだよ)

 

「僕は...嬉しい」

 

「うん、そうだね」

 

「ユノ...好きです」

 

「うん、俺も好きだよ」

 

「...嬉しい」

 

「俺も、嬉しいよ」

 

(幸せな気持ちというのは、今の気持ちを言うんだろうな。

僕は、幸せだ。

ユノが僕のことが好きなんだってさ。

幸せだ。

僕もユノのことが好きなんだ)

 

「好き」の応酬に疲れた2人。

 

顔を見合わせて苦笑し合う。

 

「チャンミン、鼻水垂れてるよ」

 

「え?

...ホントだ」

 

「しょうがないなぁ」

 

ユノはパジャマの袖口で、チャンミンの目と鼻をごしごし拭ってやった。

 

「......」

「......」

 

自分たちが置かれた状況にはたと気付いた2人の間に、気まずい空気が流れた。

 

(僕はどうして、ユノのベッドにいるんだ!?

看病するはずが、ユノと一緒に寝ててどうするんだ!?)

 

(ちっとばかし、くっつき過ぎやしないか?)

 

「チャンミン...腕、離して。

トイレに行きたい」

 

口実を思いついたユノは、チャンミンの胸を叩いた。

 

「ごめん!」

 

チャンミンの腕から抜け出すと、ユノは半身を起こした。

 

(いったん身体を離そう。

クールダウンが必要だ)

 

ぐらりと視界が回る。

 

「ユノ!

ふらふらじゃないか!」

 

すかさずチャンミンがユノを支えた。

 

「うん...だいじょうぶ...」

 

ユノの動きが止まった。

 

(足!)

 

床に下ろそうとした脚を素早く布団に隠した直後、

 

「わっ!?」

 

チャンミンに抱き上げられて、ふわっとユノの視界が高くなった。

 

「こらっ!

チャンミン!」

 

チャンミンの歩みに合わせて揺れるユノの裸足に、チャンミンは目をそらさないし、何も言わない。

 

(見られたくないものが、丸見えだ)

 

いたたまれなくなったユノは、チャンミンの首にしがみついて顔を埋めた。

 

「......」

 

意外にがっしりとしたチャンミンの首に、無言で頬をくっつけていた。

 

(お姫様抱っこなんて...照れるんですけど。

俺は男なんですけど...?)

 

チャンミンはユノをトイレの便座に下ろすと、「終わったら呼んでね」とドアを閉めた。

 

「...ふう」

 

ユノは白い天井を振り仰いだ。

 

(夢の中みたい。

吐きそうに具合が悪いのに、頭はふらふらなのに、喜びがふつふつと湧き上がってくる。

嬉しいよぉ)

 

心の中で「ひゃー」っと叫んで、ユノは自分を抱きしめる。

 

(チャンミンが俺のことを好きだって。

俺も言っちゃった。

両想いだって。

青春ドラマみたい。

大事件だ大事件だ!!)

 

 

(つづく)

 

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