(16)NO?-第2章-

 

~ボタンのかけ違い~

~チャンミン~

 

 

「僕が怒っているのはね。

僕はユンが好きじゃない。

はっきり認めるよ」

 

「......」

 

「そのユンのことを民ちゃんが好きだった。

もの凄く嫌な気持ちになった。

民ちゃんは僕が今、何を問題にしているのか分かる?」

 

民ちゃんの目に涙が膨らみ、いっぱいまで膨らんで目尻から頬へと滴った。

 

「私はユンさんを、今はもう男の人として好きじゃないです。

これは本当のことです。

信じてください」

 

「だからさ、ユンのことをなんとも思っていないのなら、ますます僕に伝える必要はないんだ。

それにさ...民ちゃんはユンのところで働いてるでしょ?

好きだった人が近くにいるんだよ?

僕がどう思うか考えなかったの?」

 

「考えました!

私とチャンミンさんはユンさんのモデルをすることになっています。

だから、伝えておかないと、って」

 

「聞きたくなかったよ。

教えてくれてありがとうなんて...とてもじゃないけど言えない」

 

僕は癇癪を起した子供のように、民ちゃんを責めつづけた。

 

つくづく大人げない行いだった。

 

民ちゃんはぽろぽろと涙をこぼし、口角を目いっぱい下げ、わっと泣き出してしまうのを堪えているようだった。

 

そんな民ちゃんを前にしても、僕の意地悪な気持ちはおさまらなかった。

 

「あのっ!

どうしてユンさんの話をしようと思ったかというと、続きがあるんです」

 

僕は続きを話そうとする民ちゃんを遮った。

 

「もういいよ。

怒ってないから」

 

肩の力を抜き、僕はため息をついた。

 

「民ちゃんの話はよく分かった。

僕に隠し事はよくないからって、正直であろうとしたんだよね?」

 

「あのっ...それだけじゃなくて」

 

「これ以上はもういいよ。

分かったよ、分かった」

 

「だからっ...」

 

「この話はもう終わりにしよう」

 

民ちゃんへ気持ちをぶつけたおかげで、とげとげした僕の気持ちは鎮まっていった。

 

僕はキッチンへ引っ込み、正座をしたままうつむいている民ちゃんに声をかけた。

 

「コーヒーを淹れようか?」

 

民ちゃんは首を左右に振り、トートバッグを引き寄せ立ち上がった。

 

「私...帰ります」

 

「えっ?」

 

「ごちそうさまでした」

 

頭を下げ、民ちゃんは足早に玄関に向かってしまった。

 

「僕はもう怒ってないんだよ?

僕に話すことですっきりしてもらえたのなら、それでいいんだ」

 

「ユンさんが関係してる話だから、絶対にチャンミンさんを怒らせるって分かってました」

 

確かに、民ちゃんの告白は僕の心をいたずらに揺さぶるだけのものだった。

 

「私っ...チャンミンさんにお願いしたいことがあったんです。

でも...いいです。

チャンミンさん、すごく怒ってるし」

 

「しつこいなぁ。

もう怒ってない、って言ってるでしょ?」

 

「しつこいなぁ」と発した瞬間、民ちゃんの表情はこわばった。

 

民ちゃんのいう『お願いごと』とは、こうじゃないかと僕は予想していた。

 

『好きだった人と同じ職場にいるけれど、気持ちは僕にあるから安心してください』みたいな...。

 

「もう...いいです」

 

「民ちゃっ...!」

 

身をひるがえした民ちゃんの腕をとっさにつかんだ。

 

「おやすみなさい!」

 

僕の手を振りきって、民ちゃんはドアの向こうに消えた。

 

帰っていった民ちゃんにあっけにとられた僕は、ぱたんと閉まった玄関ドアをしばし見つめていた。

 

追いかけるべきか、そのままにしておくか迷ってしまったのだ。

 

「民ちゃん!」

 

サンダルをつっかけ民ちゃんを追いかけた。

 

当然、内廊下から姿を消していた。

 

エレベータの階数ランプはひとつ上の階を示していることから、階段を使ったのだろう。

 

僕も階段を駆け下りた。

 

マンションを飛び出して、民ちゃんのアパートへの道を見渡してみたけれど、彼女の後姿はなかった。

 

民ちゃんのアパートまで追いかけようか、再び僕は迷った。

 

けれども、サンダル履きの足元と、コンロにかけっぱなしのヤカンを思い出し、部屋へ引き上げることにした。

 

民ちゃんの話の続きを聞けるほど、僕の気持ちは未だ納まっていなかった。

 

交際わずか1週間で、僕らは喧嘩した。

 

喧嘩なんかじゃないな...僕が一方的に腹を立て、民ちゃんを責めたてたものだ。

 

ユンの名前が登場した途端...要注意人物だとマークしていたから、僕は気色ばみ、冷静さを失ってしまった。

 

ずっと年上な僕が、こうまで心が狭く、嫉妬深い男だったとは...情けない気持ちになった。

 

 


 

 

「...っく...うっ...っ...」

 

民は帰り道の間中、泣いていた。

 

順を追ってうまく話ができなかった自分が情けなかった。

 

チャンミンの反応に、怯んでしまったのだった。

 

(伝えたいことの半分も口にできなかった。

...きっと、チャンミンさんは私のことを嫌いになってしまったんだ。

とても怒っていたから)

 

ブルゾンの袖で涙を拭いた。

 

コートの襟もとをかき合わせた帰路を急ぐ者たちとすれ違う。

 

民は、チャンミンとリアとが妊娠騒ぎで揉めていた夜を思い出していた。

 

(あの時も泣きながらひとり、夜道を歩いたんだった。

通り過ぎる人たちがみんな、幸福そうに見えた。

とても苦しかった。

...今も苦しい)

 

チャンミンの家を出て10分もかからずに、自身のアパートにたどり着いてしまう距離に民はもっと泣けてしまうのだ。

 

追いかけてこないチャンミンに、民は絶望していたのだった。

 

(私の話を最後まで聞いてくれなかった。

私のことを嫌いになってしまったんだ。

頼れるのはチャンミンさんしかいないのに...)

 

アパートに到着し、2階への階段を目にして、熱い涙がさらに膨らんできた。

 

キスを2度交わした前夜の甘い空気を思い出し、「この落差は一体何なんだろう」と泣けてきた。

 

「うっ、うぅぅ...」

 

部屋に帰りつくなり、民は三つ折りにした布団に身を投げ出し、大声で泣いた。

 

(何でもかんでも話したいわけじゃない。

ユンさんにキスされたことは絶対に教えたらいけないことだ。

そんなこと、分かってる。

私はただ、ユンさんのことで相談にのって欲しかったのに!

お願いしたいことがあったのに!)

 

「嫌われちゃった...」

 

(...それからもうひとつ。

午後に起きたあの出来事も、絶対に教えたらいけないことだ)

 

 

(つづく)

 

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(15)NO?-第2章-

 

~チャンミン~

 

僕の質問に答えない民ちゃんにキスをした。

 

下腹の底がぐぐっと痺れた。

 

重ねるだけのキスもいいけれど...1ステップ進んでみたいなぁ。

 

民ちゃん相手じゃ早いかなぁ...。

 

僕は男...エロい気持ちは抑えられない。

 

「入れてもいい?」

 

半分冗談、半分本気で尋ねてみた。

 

「!」

 

民ちゃんは僕の腕を振りほどき、ババっと飛び退いた。

 

「そ、そーゆーことっ!

いちいち聞かないでくださいよ!」

 

「駄目?」

 

顔をぐんぐん真っ赤にさせて焦る民ちゃんの反応が面白すぎた。

 

「駄目です!」

 

ぷいっと顔を背けてしまった民ちゃんを僕は許さない。

 

逃げる民ちゃんの二の腕を捕らえると、一度目の時より身体同士を密着させた。

 

「......」

 

上目遣いの民ちゃんと、5㎝の距離で目を合わせた。

 

「僕に言いたいことって、何?」

 

「う...」

 

「言わないと、もう一回するよ?」と言った途端、

 

「やめて!!」

 

どん、と民ちゃんに胸を押された。

 

その馬鹿力に僕は床に転がってしまい、慌てた民ちゃんに引っ張り起こされた。

 

「そ、そういう軟派なことはチャンミンさんらしくありません!」

 

「僕らしくないって言う前に、僕の質問に答えて」

 

「うっ...」

 

途端にだまりこくってしまう民ちゃんを、睨みつけた。

 

僕の睨みに負けた民ちゃんは、「ふう...」とため息をついてこう言った。

 

「分かりました。

言いにくかったのは、チャンミンさんを怒らせてしまうからです」

 

「僕を?」

 

悩み事だとか仕事上(ユン)で叱責を食らったとかの類じゃないことは、今夜の民ちゃんの様子でなんとなく読めていた。

 

僕に関することかなぁ、って。

 

そのままにしておけなくて、民ちゃんにしつこく迫っていたのだ。

 

「そうです。

言いにくくて...黙っていようとずっと思っていましたけど、チャンミンさんに隠し事はいけないですね」

 

「え~、怖いなぁ。

僕を怒らせてしまうこと?」

 

「はい」

 

おどけた風に腕をさすってみせたのは、モヤモヤとした不快感に襲われてきたのを隠すため。

 

真顔の民ちゃんは、脚を伸ばして座った姿勢から正座になった。

 

「チャンミンさんが私のことを嫌いになっちゃうかもしれません」

 

「嫌いに?」

 

付き合い始めて1週間足らずの間で、民ちゃんに嫌な思いをさせるようなことを、気付かないうちにしでかしてしまったのではと、ヒヤヒヤしていたから、彼女の言葉は意外だった。

 

ますます見当がつかなくなった。

 

「チャンミンさんがどうこうじゃなくて、私が悪いことなんです。

ですので、ジャッジするのはチャンミンさんです」

 

「ジャッジって...。

僕が民ちゃんのことを嫌いになるわけないじゃないか」

 

「...でも、分かんないじゃないですか」

 

「前置きはいいからさ、早く話して?

怒ったりしないから」

 

「分かりました」

 

僕ももたれていた壁から半身を起こし、民ちゃんの正面に胡坐をかいて座り直した。

 

「チャンミンさんのおうちで暮らしていた時です。

その時の私は好きな人がいるって、言ってましたよね?」

 

「ああ」

 

民ちゃんは彼を追って田舎を出てきたのだ。

 

彼のことを想う時、民ちゃんの顔はとろとろになっていた。

 

彼への想いがいつ消えて、僕へと移ったのか気になった僕は昨日、問いただしたのだ。

 

民ちゃんの答えは、『今はもう好きじゃない』だった。

 

「チャンミンさんにはお伝えしていませんでした。

なぜって、その人はチャンミンさんの嫌いな人だからです」

 

「僕が...嫌い」

 

民ちゃんの『その人』は、僕も知っている人...。

 

もしや...。

 

「私が好きだった人は...ユンさんだったんです」

 

「!!!!!!」

 

絶句した僕は今、どんな顔をしているのやら。

 

口をあんぐりとさせていた。

 

「ユン...」

 

「はい。

私が好きだった人はユンさんです」

 

「ユン...?」

 

「はい、ユンさんです。

『今も好きなのか?』とチャンミンさん質問しましたよね?」

 

『もう好きじゃない』と答えました」

 

「ユン!?」

 

「チャンミンさんに質問された時から、黙っているのはよくないと思うようになったんです」

 

「ユンが...好きな人?」

 

僕の声はかすれていた。

 

「好き『だった』人です!」

 

以前、民ちゃんが片想いの彼のことをこう称していた...暮らしのステージが上の人、成功している人...なるほど、ユンにそのままあてはまる。

 

能力を買って都会へ出るよう勧めてくれた恩人、とまで話していた。

 

ギリギリと胃のあたりが痛んだ。

 

身体は熱いのに、冷や汗をかいていた。

 

「どうして黙っているのはよくない、と思ったのかな?

わざわざ僕に知らせる必要はないんじゃないかな?」

 

知りたくもないことを、僕が彼氏だからと馬鹿正直に報告する民ちゃんに苛ついた。

 

「そうですね。

ずーっと黙っていればいいことでしたね」

 

「知ってしまった僕は、ユンを見る目が変わってくるんだよ?

僕は今、ユンと仕事をしている。

今後、仕事がやりづらくなるって考えなかったのかな?」

 

この時初めて、民ちゃんの生真面目なところに腹を立てた。

 

「まるで私がユンさんと付き合ってたみたいな言い方ですね?」

 

「付き合っていたのなら話は別だ。

片想いだったんだろ?

だからこそ、僕に報告する必要は余計にないんだ」

 

「やっぱり...怒りましたね?」

 

「怒るに決まってるよ。

ねぇ、民ちゃん?

確かに彼氏と彼女だったら隠し事はよくない。

でもね、なんでもかんでも教える必要はない」

 

「......」

 

民ちゃんの口はへの字にゆがみ、両眉も下がっている...もうすぐ、泣きだすだろう。

 

「全部知ってもらおうとか、知って欲しいとか...。

束縛って言うんだよ?」

 

いつしか僕は、理想の恋愛観を民ちゃんに語っていた。

 

民ちゃんにショックを与えるために、思ってもいない『束縛』だなんて強い言葉を使っていた。

 

「束縛とか...そうじゃないんです。

知ってもらいたいばかりじゃないんです。

そうじゃなくって」

 

「その通りだろう?」

 

民ちゃんのことをもっと知りたいと望んだそばから、自分にとって都合の悪いことは知りたくなくて彼女を責めた。

 

自分がここまで怒りっぽいなんて知らなかった。

 

 

(つづく)

 

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(14)NO?-第2章-

~キスしていい?~

~チャンミン~

 

体格のいい僕らは4人分くらい、きれいに完食してしまった。

 

テーブルを挟んで対面しているのも不自然で、僕は民ちゃんの隣に壁にもたれて座った。

 

民ちゃんがちらちらと、隣の寝室へ視線を送っていることに気付いていたけれど、気付いていないふりをしていた。

 

さて...これからどうしよう。

 

今日あったことは、ここに向かう道中で話したし、テレビで仕入れた世界情勢や事件や事故、話題のスイーツを話題に出すべきか...。

 

僕らは共通の話題がないし、僕は民ちゃんのことをよく知らない。

 

民ちゃんは恋愛にかけてはピヨピヨのひよこだと自身を称していたけれど、僕も含めて...僕らは初心者のひよこなんだなぁ。

 

僕らは始まったばかり。

 

焦らずゆっくり、近づいていこうと思った。

 

ここでひとつ発見したことがある。

 

僕らは双子じゃない。

 

けれども、同じ顔をしている点が他の恋人同士とは違っていて、有利に働いていると思う。

 

探り合いの気遣いの負担が少ない...つまり、沈黙に気まずい思いをしないでいられるのだ。

 

「チャンミンさん、お風呂に入ってきていいですよ」

 

「風呂!?」

 

沈黙をやぶって飛び出た民ちゃんの言葉は、相変わらずだったけども...。

 

「はい、お風呂です」

 

「うそっ...匂う?」

 

「いいえ。

チャンミンさんの匂いがします。

チャンミン臭です。

さっぱりしたいでしょう?

お仕事お疲れ様です」

 

下げた頭を起こした民ちゃんは、ニヤついてもいないし真顔でもない。

 

ごく自然について出た台詞だったようだ。

 

「いやっ...それは...。

僕だけお風呂に入るのもおかしいでしょう?」

 

「ここはチャンミンさんのお部屋ですよ。

私に気兼ねせず、のんびりくつろいでください」

 

「くつろいでるよ」

 

「いーえ!

そわそわと落ち着きがないです」

 

緊張で固くなっていた民ちゃんが気になって、僕までも緊張していただけだ。

 

「民ちゃんだって似たようなものじゃない。

リラックスしていいんだよ。

民ちゃんだって...正座していないで、のんびりしたら?」

 

「そうですね」

 

民ちゃんは僕と並んで壁にもたれて、長い脚を伸ばした。

 

「僕だってほら、くつろいでるよ?」

 

民ちゃんに倣って、脚を伸ばしてみせた。

 

「テレビでも見てさ?」

 

民ちゃんにテレビのリモコンを手渡したが、「テレビは見たくありません」とぴしゃりと断られてしまう。

 

「私ひとり部屋に残すのが、怖いんでしょう?

チャンミンさんがお風呂に入っている間、家探しして、チャンミンさんが隠したえっちな本を見つけ出すとでも?」

 

「は!?」

 

「もう見つけちゃいましたけどね」

 

一瞬ドキッとしたが、大丈夫、この部屋にはない。

 

「民ちゃん!」

 

「たとえ彼氏であろうと、プライバシーは尊重します。

だから安心してください」

 

「民ちゃんがそんなことするなんて、思ってないから。

それに、見られて困るものは何もないし!

どうぞ、好きに見て構わないよ」

 

「『私も一緒に入る』と言ったら、チャンミンさんはお風呂に入ってくれますか?」

 

「は?」

 

「自分ひとりお風呂に入るのは、寂しいんでしょう?

一緒に入りましょうよ」

 

民ちゃんは立ち上がると、僕の手を引っ張った。

 

「......」

 

バスタオルはあるか、シャンプーは切らしていないか、僕のTシャツを貸してあげようか...僕んちに泊まっていくってことか!?

 

「冗談です」

 

民ちゃんはにっこり笑った。

 

「もぉ、民ちゃ~ん」

 

「ハハハっ。

やっとでいつものチャンミンさんに戻ってくれました。

肩に力入ってましたよ。

リラックスできました?」

 

「うん。

...じゃあ、お風呂は...?」

 

「ひとりで入って来て下さい」

 

「いやいや...せっかく民ちゃんが来てるのに...」

 

「チャンミンさんがお風呂に入っているうちに、私、帰っちゃったりして...」

 

「そんな!」

 

「嘘です」

 

「...民ちゃんったら...もう」

 

いつものやり取りだったけど、なんとなく...何かを誤魔化すために僕をからかったんじゃないかって...なんとなく、そう思った。

 

 

来客中に家主が入浴するなんて、不自然なことをできるはずもなく、僕らは肩を並べて壁にもたれ座っていた。

 

せっかくのお家デート。

 

甘い雰囲気になりきれず、ぴんと張り詰めた空気を払拭できないまま、帰宅してから1時間が経っていた。

 

床に座りっぱなしでお尻が痛い。

 

ソファを買うべきだな、フローリングの床の上じゃあ、くつろげなくても当然か。

 

引き寄せた両膝に顎を乗せた民ちゃんの目が、とろんとしている。

 

「眠いの?」

 

「はい...ふあぁぁ」

 

大きなあくびをした民ちゃんが可愛すぎた。

 

民ちゃんの肩を抱いて引き寄せた。

 

僕の腕にくるまれた民ちゃんの肩はかちこちで、彼女の視線は自身の膝に注がれたままだった。

 

「ねえ、民ちゃん。

何かあったの?」

 

「いいえ」

 

横顔を見せたまま答えた民ちゃんは分かりやすい。

 

「民ちゃん?」

 

「......」

 

より近く、民ちゃんへと頬を寄せた...彼女の吐息が感じられるまで。

 

「僕んちでご飯を食べたいって...僕に話があったんでしょう?」

 

「...いいえ」

 

昨夜の民ちゃんと昼間の電話の民ちゃん、そして今夜の民ちゃんとは違っていた。

 

民ちゃんはうつむいたままだ。

 

「悩んでることあるの?」

 

まるで保護者みたいな質問だな。

 

「いいえ」

 

「キスしていい?」

 

「いいえ。

...えっ!?

えっと...はい」

 

うつむいた民ちゃんの顎に手を添えて、こちらへと振り向かせた。

 

「えっ、えっ!?」

 

ぽかんと開いた民ちゃんの口を、すかさず塞ぐ。

 

民ちゃんの唇は柔らかくて、彼女の首筋から立ち昇る甘い香りにくらくらした。

 

(真ん丸びっくり眼のままでいるところも可愛い)

 

 

(つづく)

 

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(13)NO?-第2章-

 

 

~チャンミン~

 

フードコーナーは混雑していて、ずらり並ぶショーケースには、煌々と明るいライトに照らされて、つやつやと美味しそうな料理たち。

 

揚げ物の匂いが空腹の僕らの食欲を誘った。

 

「チャンミンさんは何が食べたいですか?」

 

「民ちゃんが好きに選んでよ」

 

民ちゃんは立ち止まる先々で、ショーケースの中をじぃっと食い入るように見ている。

 

「あれが食べたいです」と口にする前に、僕は次々と会計していくのだった。

 

デパートを出る時には、僕らはぎっしり料理がつまった買い物袋を下げていた。

 

駅や電車の中といった場で見る民ちゃんは...頭ひとつ分飛び出ている...背が高いなぁとしみじみ思うのだった。

 

混みあった電車内で、ドアにぴったり身体をくっ付けて立つ民ちゃんを、片腕をドアに突き背中を盾にして彼女をガードする。

 

民ちゃんは長身だし力も強い。

 

そうだとしても、民ちゃんは女の子で僕の彼女。

 

守ってあげたいなぁ、って。

 

民ちゃんの後ろ髪が僕の口元をくすぐった。

 

ふわふわと鼻先もくすぐるから、僕はくしゃみを我慢していた。

 

(あれ?)

 

うつむき加減の民ちゃんの両耳が真っ赤になっていた。

 

夜の車窓に車内の景色が映り込んでいる。

 

民ちゃんがどんな表情をしているのか、彼女の頭が邪魔で確かめることはできなかったのが残念。

 

 

僕の部屋まで向かう道中、「あれ?」と思うことがあった。

 

なんとなくだけれど、民ちゃんの様子が変だなぁと、待ち合わせ場所で合流した時から感じていたのだ。

 

「おうちデート」に緊張しているのか、照れているのかな、と思った。

 

人並みに流されてはぐれそうな民ちゃんの手を引いた時、「人が見てます」と言って、僕の手を振りほどいたのも、恥ずかしかったんだろうなぁ、って。

 

電車の中でも、今こうして夜の住宅街を歩く 民ちゃんは言葉少なげで、僕ばかり一方的に話している。

 

僕の話に相づちをうっては、「あははは」と大きな口を開けて笑ってはくれているけれど...どこか上の空なのだ。

 

やっぱり緊張しているんだ、と僕は結論づけた。

 

僕の部屋で民ちゃんと二人きりになる。

 

民ちゃんに誤解されるような言動は控えよう。

 

...自分自身への戒めも、守れるかどうか自信はないんだけどね。

 

 

「ここで待っててね」

 

まさか今夜、民ちゃんを部屋に招き入れるとは予定していなかった。

 

民ちゃんを部屋の外で待たせると、リビングに干しっぱなしの洗濯物を寝室に放り投げ、散らかったままの雑誌や空のペットボトルも同様にした。

 

窓を開けて空気を入れ替えた。

 

独身男の部屋は似たようなものだと思う。

 

「お待たせ」

 

「お、お邪魔します」

 

部屋に通された民ちゃんの声は消え入りそうに小さく、ギクシャクとロボットのように靴を脱いだ。

 

「適当に座ってて。

お茶を淹れるから」

 

「...はい」

 

民ちゃんは物珍しそうに、室内をきょろきょろと見回している。

 

ここに引っ越ししてきたばかりの当時、虚しさを抱えていた僕は生活に関しては投げやりで、荷解きも中途半端だった。

 

ところが、民ちゃんと想いが通じ合った夜、「このままじゃいけない」とヤル気に火がついたのだ。

 

全ての段ボール箱を開け、あるべき場所に物を納めた。

 

家財のほとんどをリアの部屋に置いてきてしまったため、買い直さないといけない状況だった。

 

それなのに、唯一買った家具らしいものといえば、ローテーブルだけなのには理由がある。

 

食卓テーブルやベッド、ソファなど、民ちゃんの存在を意識するがあまり、適当に選べずにいたのだ。

 

民ちゃんとひとつ屋根で暮らしていた頃、何度もよぎった願望があった。

 

民ちゃんと一緒に暮らせたら...。

 

密かにそんな願望を抱いていて、「一緒にベッドを選ぼうか?」なんて提案したら、民ちゃんはひと足もふた足も飛び越えた結論に至りそうだ。

 

お湯を沸かしながら、リビングの民ちゃんの様子をうかがった。

 

正座をした民ちゃんは、太ももにこぶしを置いて、姿勢正しくカチカチになっている。

 

「牛乳は?」

 

「いりません」

 

「砂糖は?」

 

「いりません」

 

ミルクも砂糖もたっぷりいれたコーヒーがお好みの民ちゃんなのに、珍しい。

 

そっか...「初めてできた彼氏」の部屋に「初めて」いるんだから、仕方ないよなぁ。

 

それにしても、民ちゃんの恥ずかしポイントがいまいち、僕には分からない。

 

大胆なことを言って僕を凍らせるくせに、これくらいのことで緊張するなんて。

 

1か月とはいえ、僕と一緒に暮らしていたのに。

 

でも当時は、僕らの間に恋愛は絡んでいなかった。

 

僕の場合、自室に女性を招き入れることは、過去の恋愛でも幾度かあったシチュエーションだ。

 

同棲経験もある今の僕は、おどおどドキドキの20歳男子じゃないのだ。

 

あらためて民ちゃんは誰かと付き合うことが初めてなんだ、と、その初々しさに頬がほころぶのだった。

 

なおさら、民ちゃんをびっくりさせるような行動は慎まなければ。

 

でもなぁ...彼氏彼女ごっこをした思い出話が加速して、「交際2週間後」にそういう関係になるものだと、民ちゃんは思い込んでいる。

 

マグカップを持つ指が震えている民ちゃんに、「あと10日程でそういう行為に及ぶのは、早すぎだろう」と思った。

 

「ん?

チャンミンさん...えっちな目でじろじろ見ないでください」

 

こういうところは、民ちゃんらしいんだけどなぁ。

 

 

(つづく)

 

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(12)NO?-2章-

 

 

~民~

 

キスされる!

 

金縛りにあってしまった私は、顔を背けることも出来ず、ユンさんの顔が近づいてくるのを待つしかなかった。

 

ぎゅっと目をつむり、ユンさんの唇を着地するのを覚悟した。

 

ユンさんの両腕と胸に閉じ込められた。

 

ユンさんの体温で温められたスパイシーな香りは、私の全身を麻痺させる。

 

呼吸も忘れていた。

 

私の頭の中はパニックの嵐だ。

 

ユンさんに片想いをしていたことは事実だ。

 

チャンミンさんへの恋心に気付かなかった頃だったら、夢みたいと舞い上がっていただろうシチュエーションだ。

 

でもそれは過去のこと。

 

今はそうじゃないことを知らせなくては。

 

これはれっきとしたセクハラ行為なのに、そう思えない自分、そう思いたくない自分がいた。

 

ユンさんはただ、私の反応を楽しんでいるだけなんだよね。

 

アーティストだし、ハンサム過ぎるほどハンサムだし、きっともの凄くモテる人...つまり、プレイボーイみたいな?

 

だってほら、チャンミンさんだって、私の気持ちを確かめる前に首とかおでことかに、キスてきたし、抱きついてきた時もあったんだし。

 

ホンモノのキスだって、告白する前にしたんだし!

 

そうだ!

 

大人の男の人は、こういう生き物なのだ!

 

そして...ユンさんは私の恩人なのだ。

 

憧れの人であることは、今も変わりがないのだ。

 

そのせいなのか、不思議なことにユンさんのキスに嫌悪感を抱いていない。

 

ビックリして石になってしまうのは、身体だけじゃなく心も同様だから、ときめかない。

 

ドキドキしなかったのなら、ユンさんのキスはセーフなのか?

 

そうであっても、彼氏以外のキスを許す私は、ふしだらな浮気者だ!

 

(あ...れ?)

 

いつまで経っても、キスは落とされない。

 

そうっと目を開けると、鼻の先が触れんばかりに接近したユンさんの顔があった。

 

目が笑ってる。

 

「考え事は終わった?」

 

「へ...?」

 

ユンさんは傾けていた上半身を起こすと、エレベータの反対側の壁にもたれた。

 

空気が動いて、ユンさんのいい香りがふわりと遠のいた。

 

エレベータは既にアトリエの階に到着していて、扉が開いたままになっている。

 

「民くんに恋人がいると知って、妬けてしまってね。

意地悪をしてしまった」

 

「はあ...」

 

あっけにとられた風の私に、「怒ってる?」と尋ねた。

 

首を左右に振ったのは、実際、腹を立てていなかったからだ。

 

「職業柄のせいだね。

これまで百人以上のモデルに、手取り足取りポーズを指示した。

何千時間も...何万時間かな?...ヌードの彼らを前にしてきたせいもあるね。

だから、スキンシップに抵抗がないんだ」

 

「...私には抵抗があります」

 

「そうだろうね。

悪かったね。

深い意味はないから、安心していい」

 

そう言ってユンさんは、私の頭をポンポンと叩いた。

 

「降りようか?」

 

ユンさんは閉まりかけたドアを押さえ、私を先に降ろした。

 

エレベータ前に立ちどまった私を追い越して、アトリエへと先立つユンさんの...広い肩幅と背中を覆う艶やかな黒髪を、観察していた。

 

チャンミンさん以上に長身で、逆三角形のがっちりとした後ろ姿。

 

違うなぁ。

 

チャンミンさんの場合、私と姿形が似ていることもあって、身体つきから『男らしさ』を感じることは、あまりないのだ。

 

自分の体形が、女性らしさが欠如したものなせいもある。

 

贅沢なことに、私の身近に2人の男性がいる。

 

タイプの違う2人の男性。

 

一人は憧れの人、もう一人は好きな人。

 

一人は恩人、もう一人は恋人。

 

「そうだ!」

 

ユンさんは振り返った。

 

「俺からのアドバイス。

恋愛を長続きさせるにはね...」

 

「?」

 

「嘘も方便だ。

全てを正直に伝えることが、必ずしも誠実な姿勢だと言い切れない。

相手のことを思うのなら、真実を歪めることも必要だよ」

 

ユンさんは、この前のことを言っているのだろう。

 

「でもね。

隠し事はいけないよ。

嘘と内緒は違う。

後ろめたい内緒ごとは、早いうちに打ち明けておいた方がいい。

時間が経てば経つほど、相手に与える傷は広がる一方だ」

 

ユンさんの言葉がよく理解できない。

 

嘘と内緒...。

 

私は男の人のことがよく分からない。

 

誰かとお付き合いすること自体が初めてだ。

 

頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

翌々号の打ち合わせも兼ねていたため、ライターのエムさんとの打ち合わせは2時間にも及んだ。

 

エムさんからの告白を受けた後、リアとの恋愛にかまけていたおかげで、仕事上の付き合いは以前と変わらずに済んだ。

 

交際を断られたからといって、エムさんの態度もこれまで通りだったため、僕の中の彼女の好感度は高まった。

 

次回の打ち合わせ日程を決めると、エムさんは帰っていった。

 

 

自分で言うのもなんだけど、恋愛において僕はなかなかの優等生だと思う。

 

他の女性によろめくことがほとんどない点が、カノジョに対して誠実だったと自負している。

 

エムさんに告白された僕は、嬉しいよりも困惑していた。

 

エムさんは可憐な美人で、その時の僕がフリーな立場だったら、迷っていただろう。

 

でも、当時の僕にはカノジョがいたし、よそ見する余地はゼロだった。

 

カノジョを前に、僕が見たいものしか視界に入れないところ、見たくないものはとことん視界に入れないところ。

 

...「カノジョにはこうあって欲しい」と願いが強すぎるあまり、例えばリアのように、浮気をされていたことに気付かない愚鈍なところが僕にはある。

 

でも...民ちゃんに対しては、「こうあって欲しい」と望むものは何もない。

 

民ちゃんは民ちゃんでいて欲しい。

 

この点が、これまでの恋愛と違うところなんだなぁ...なんて、しみじみ考えながら民ちゃんを待っていた。

 

(来た!)

 

巨大時計の円柱柱にもたれた僕をいち早く見つけて、民ちゃんはずんずんと早歩きで近づいてくる。

 

口元がふにゃけてしまうのを、ぐっと堪えた。

 

一方、民ちゃんはきりっと引き締めた表情で、僕に狙いを定めてずんずんと歩いてくる。

 

黒のブルゾンに白いシャツ、黒のパンツに、白いトートバッグ。

 

そうだ、民ちゃんに洋服を貸してあげないと。

 

「お待たせ、です」

 

敬礼でもしかねない真剣な言い方が面白い。

 

「10分遅刻をしてしまいました。

ごめんなさい」

 

僕の機嫌を探る上目遣いが可愛らしい。

 

「大丈夫。

僕もついさっき、来たところだから」

 

30分待っていたことは内緒だ。

 

「今日は...何食べようか?」

 

小洒落たところじゃなく、メニューが多くて低価格帯の大衆居酒屋にしようと予定していたのだ。

 

「チャンミンさんちで食べましょう!」

 

「へ?」

 

「デパ地下でいろいろ買って、チャンミンさんちで食べましょう!

...嫌ですか?」

 

「嫌じゃない。

そのアイデア、いいね」

 

駅に隣接したデパートへと、民ちゃんに手を引かれていったのだった。

 

そうかぁ...お家デートかぁ。

 

 

(つづく)

 

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