(5)ユンホ先輩

 

ユンホ先輩の言葉通り、彼の住まいは車で1分のところにあった。

仕事をサボってしまう後ろめたさより、アイスクリームが溶けてしまわないかヒヤヒヤする方が強かった。

何の権限もないくせに堂々とした「サボれ、俺が許す」発言に、「ユンホ先輩がそう言うならそうするしかないよね」と。

 

「ここだ」

 

慣れたハンドルさばきで外壁ギリギリ数センチに駐車するあたり、頻繁に一時帰宅していたのだろう。

 

「先輩!」

 

ユンホ先輩は車を下りると、僕とアイスクリームを残してすたすたと行ってしまおうとしたから、彼の背中に向かって怒鳴った。

 

「下りられないです!」

 

僕の大声に気づいたユンホ先輩は振り向き、にこにこ顔で手刀をきりながら戻ってきた。

 

「僕がいること頭になかったですね?」

 

「悪い悪い。

付録がついてくるのは初めてなんだ」

 

「付録って...僕のことですか?

酷いですね」

 

「俺んちに誰かくるのは初めてってこと。

ほら、こっちから出ろ」

 

ユンホ先輩は運転席のドアを開けると、僕の手首をつかんで引き寄せた。

固くて力強く、少し汗ばんだ熱い手で、とても病弱な者の手指じゃなかった。

 

 

どこよりも蝉の鳴き声を間近に感じられるのは、欅の巨木のせいだった。

旺盛に茂った枝が、レンガ色の瓦屋根を覆っていた。

築年数は経っているようで、よく見ると白壁にはヒビが入っていて、唐草デザインのベランダの鉄格子は色褪せていた。

キョロキョロ周囲を見回す僕は、足元がおろそかになっていた。

僕の靴底は軽やかな何かを踏み、くしゃりと乾いた音に驚いて、飛び退いた。

 

「どうした?」

 

ユンホ先輩は僕の革靴にスタンプされ粉々になったものを確認すると、呆れた表情をした。

 

「なんだ...蝉の抜け殻だよ。

落ち葉みたいにザクザク落ちてるんだ。

洗濯物にくっついていることもあるし。

...ん?

もしかして、怖い?」

 

「はあ...そんなところです」

 

虫が苦手だったから、あちこちに転がる抜け殻を踏まないようジグザグに歩いた。

 

「中身はないんだぞ?

空っぽなんだぞ?」

 

ユンホ先輩は抜け殻を1つ拾い上げて「ほれほれ」と、僕の方に差し出して見せるんだから。

 

「それでも無理です」と顔を背けた僕に、ユンホ先輩は「都会っ子だな」と笑った。

 

建物内の空気がひやりとしているのは、脇に立つ巨木のおかげなのかもしれない。

 

「もっと怖いこと言ってやろうか?

あの木の根元には何百、何千匹の蝉の幼虫が埋まってるんだ。

うじゃうじゃと。

怖いだろ~?」

 

「僕はそこまで虫嫌いじゃないですってば。

そういえば、蝉って大人になるまで何年も土の中にいるんですってね。

7年でしたっけ?」

 

「そう思われているけど、実際は3,4年で出てくるらしい。

土の中からもぞもぞと...怖いだろ?」

 

「しつこいですよ、先輩」

 

部屋までは内階段、内廊下になっている。

ユンホ先輩は「ここはエレベーターはないからな」と親指を上に立ててみせた。

エレベーターが無くて大丈夫なのかな...?

「身体が弱い」イコール「心臓がよくない」と、勝手にイメージしていた僕だった。

先立って階段を上るユンホ先輩のお尻が、僕の目の前にあった。

スラックスの生地が 左右交互に隆起する筋肉で張りつめるのを、目で追ってしまっていた。

吸い寄せられるように。

片手に下げていた買い物袋でそっと、固く反応しはじめた前を隠した。

アイスクリームの箱は汗をかいていて、柔くたわんでおり、半分は溶けかかっているだろう。

外はこんなにも暑くて、僕の身体は茹だっているみたいだ。

3階分の階段を上った僕の鼓動は、ドクドクと速かった。

 

 

このアパートはいかにも女性が好みそうな洋館風の建物だった。

意外だった。

『あの』ユンホ先輩なら、今にも崩れそうなオンボロアパートか、その真逆の高層マンションに住んでいそうだな、と予想していたからだ。

6年も同じ職場にいたけれど、互いの自宅を知らなかった。

新卒で入社した僕は世間知らずで、社会人とはそういうものなんだろうと疑問にも思わなかった。

ユンホ先輩のプライベートを知る機会は、いくらでもあったのだと思う。

 

「先輩んちで飲みましょうよ」と甘えてみたり、酔っぱらったユンホ先輩を家まで送っていったり...。

 

あいにく僕は懐っこいタイプじゃない。

豪快かつ隙だらけのユンホ先輩。

実際は近寄りがたい人だったのだ。

ユンホ先輩からは昼食に連れ回される程度で、終業後のプライベートタイムに僕を引きずり込むような誘いは一切なかった。

早退または定時退勤のユンホ先輩だったから、気付くとオフィスから姿を消していた。

そんなユンホ先輩の部屋に今、僕は招かれている。

 

いいのですか?

 

部屋に入ってもいいのですか?

 

僕の胸はドキドキしています。

 

 

(つづく)

(4)ユンホ先輩

 

ユンホ先輩とのやりとりで、強烈に印象に残っている出来事がある。

ユンホ先輩に対して抱いていたイメージが、吹き飛んでしまった日でもあった。

豪快に見えるユンホ先輩の正体...実は脆く繊細な一面があったことを知ってしまったのだ。

ちょっぴりであっても、ユンホ先輩のことを小馬鹿にしていた自分を恥じた。

 

 

入社6年目、コンビニエンスストアでアイスクリームを物色中のユンホ先輩と遭遇した、夏の日のことだ。

冷凍庫に色とりどりのアイスクリームが詰め込まれていた。

ユンホ先輩は僕に発見されてぎくり、ともせず、「よぉ」と片手をあげ、爽やかな笑顔を見せた。

 

「...先輩...サボりですか?」

 

ユンホ先輩の担当地区は、ここから50kmは離れたところだった。

 

「いや、休憩中」

「休憩ばかりじゃないですか...」

「新規開拓中」

「嘘ばっかり」

 

アイスクリームを買ったユンホ先輩と連れだって店を出ると、店前に設置されたベンチに腰掛けた。

蒸した熱気に全身が包み込まれ、僕の頭にユンホ先輩のこめかみから顎、喉元をあせがしたたり落ちる映像が浮かんだ。

 

「俺ってね、身体が弱いの。

いつもいつも休みながら仕事をしているの」

 

「...え?」

 

初耳だった。

ユンホ先輩は嘘をつく人じゃない。

 

「身体...弱いんですか?」

 

「そうだよ~。

早退や欠勤が多いのもそのせいだ。

それ以外の理由の方が多いけどね...あはははは」

 

つい先週は、玄関ドアが開かないから出社できないと連絡があった。

(本当の話。鍵穴に接着剤を埋められる悪質ないたずらに遭ったらしい)

 

「えっと...どこか悪いんですか?」

 

胸の奥がもわり、と嫌な感じがせりあがり、ドキドキ鼓動が早くなった。

ユンホ先輩は、僕の質問に答えずにこう言った。

 

「会社はね、俺をクビにできないの。

病気や障害を理由に解雇なんかしたら、大変だ。

会社には恩があるから、頑張って仕事をとってくるんだよ」

 

「...そうなんですか...」

 

ユンホ先輩は毎日ペースで僕を昼食に連れ出すけれど、そういえば、飲みに連れていってくれることはほとんどなかった。

きっと、身体を休めるために、早く帰宅したいんだ。

遅刻早退、欠勤も体調不良が理由の時も多かったのでは?

そういう目であらためてユンホ先輩を見ると、細身の身体つきや青白い肌が、病弱そうだ。

 

「だからチャンミン君、これからもっと先輩を労わるんだよ」

「はい。

あ...アイス溶けちゃいますよ?」

 

ユンホ先輩は10本入りの箱アイスを購入していた。

きっとアイスクリームが好きなんだろうけど、今は勤務中だ、10本もひとりで食べるのだろうか、と疑問に思っていた。

 

「あちぃなぁ。

涼しいところで食べたいなぁ」

 

「車に戻ります?

先輩の車で食べましょう」

 

「車ん中は狭いから嫌だ。

チャンミン、今から俺んちに来い。

ここからすぐにそこだ。

俺んちでアイスを食おう」

 

「え、え、え?

待ってください。

家?

仕事中なんですけど?」

 

「気にするな。

今日のチャンミンは十分、仕事をした。

明日の分まで仕事をした。

午後からのお前は仕事をさぼってもよい。

サボれ。

俺が許可する」

と、僕の異論を差し込む隙なくまくしたてた。

ユンホ先輩は僕の手首を握ると、自身の社用車に僕を引っ張っていった。

振り払ってもよかった。

でも、ユンホ先輩は身体が弱いと知ってしまった今、乱暴なことは出来るはずがなかった。

 

(つづく)

(3)ユンホ先輩

入社3年目の夏だったかな。

まるで蒸し風呂の倉庫で、ピッキング作業を行っている時のことだった。

「先輩って、どこを見ているか分からないことがあります」

「ん?

視線がうつろってことか?」

唐突な発言に、ユンホ先輩は手を止めて僕の方を振り返った。

Tシャツが汗で肌に張り付いていたため、後ろを振り向くときの、筋肉の動きをたどれるほどだった。

いかがわしい気持ち抜きで、いい身体だと思った。

ユンホ先輩は、首にひっかけたタオルで、顎から滴り落ちる汗を拭き取った。

「目がイっちゃってるってことか?

俺はそこまでイカれてないぞ」

「へぇ...自覚はあるんですね」

ユンホ先輩は腹を立てる風でもなく、唇の片端だけ上げた笑いには面白がる余裕があった。

似たような台詞をさんざん投げつけられてきたからだろう。

「俺がちょっと変わってることは、重々承知だ。

じゃなきゃ、単なる馬鹿だろ?」

「コンタクトレンズしてますか?」

「裸眼だ」

「そうですか...天然ものですか...。

先輩の眼って...黒目を大きくするコンタクトレンズってあるでしょう。

あんな感じなんですよ。

黒目が大きくて、白目の範囲が狭いんです」

「へぇ」

「そのせいで、どこに焦点を合わせているのか分かりづらいんです」

ユンホ先輩の視線に射られそうになったことが、たびたびあることは黙っておいた。

「褒め言葉だと受け取っていいんだな?」

歯ブラシのCMに出られそうに真っ白な歯を見せて、ユンホ先輩は笑った。

「はい、そうです。

先輩、こちらに来てもらえますか?」

僕はユンホ先輩を窓際へと手招きした。

ユンホ先輩の瞳の微細なところまで、見てみたくなったのだ。

深い角度で差し込む真夏の日光に、ユンホ先輩は目を細める。

「まぶしかったですね、すみません」

「くそっ...見えない。

真っ暗だ。

え~っと、これは明順応って言ったっけ?」

「逆です、これは暗順応です。

先輩、目を見せてください」

目をしょぼしょぼさせているユンホ先輩の顔を覗き込んだ。

僕はユンホ先輩の黒目に興味津々で、彼の唇まで10㎝の距離まで接近してしまっていることに気づかなかった。

もし影から覗き見する者がいたとしたら、キスする寸前に見えたと思う。

ユンホ先輩はじっとしていた。

目がくらんだことで瞳は潤み、薄暗い倉庫内に戻ったことで、瞳孔が大きくなっていた。

だから余計に、どこを見ているのか分からなくなった。

熱っぽく僕を見つめているのでは?と、錯覚しそうだった。

でも、入社3年目の僕は、彼の本質的な美しさを見逃してばかりいた。

違う。

ユンホ先輩の勤務態度の悪さに意識がもっていかれていたため、僕の中で芽生えていたものは、心の奥底に隠してしまっていた。

「ピュアっピュアな眼ですね」

男相手に「綺麗な眼です」とストレートに褒めるのは、さすがに気持ち悪い。

冗談めかして感想を述べるしかなかった。

ユンホ先輩は、「ふぅん、意識したことないなぁ」と、首にかけたタオルでゴシゴシ目元を擦った。

照れているな、と可笑しくなった。

 

(つづく)

 

(2)ユンホ先輩

入社2年目の冬のことだ。

午前中は確かにいたはずのユンホ先輩が、姿を消していることに気づいた。

僕は即座に、「逃げ出したな...」と思った。

月に1度の棚卸の日だったのだ。

面倒なことを前にすると、5回に1回は堂々と逃げ出す、ユンホ先輩に慣れっこになっていた。

「ったく...自由人なんだから」

無人の事務所で僕は大きなため息をつき、乱暴に席を立った。

 

 

2人分の量を僕1人でこなさないといけない、終業時間を待たずに作業を開始することにした。

スーツにシワや汚れがついたら困るから、用意してきたジャージの上下に着がえた。

倉庫内はしんしんと冷え切っていた。

上から済ませようと回廊へと上がり、天井にまで積まれた介護用オムツの箱をカウントしていった。

途中で数が分からなくなっては舌打ちし、かじかむ指にも苛立ってきた。

2階を終え、次は1階だ。

見上げ続けていたことで痛む首をさすりさすり、階段を下りた。

カンカンと金属的な音が、終業時間間際の倉庫内に鳴り響く。

ひとりコツコツと、与えられた業務を真面目にこなす自分が馬鹿馬鹿しく思われた。

嫌なモノは嫌だと正直になれる人...ユンホ先輩みたいな人物になれればいいのに...。

...駄目か。

ユンホ先輩はやる時はやる人だ、凡人の僕が彼を真似したら、単なるナマケモノになるしかない。

あると思った最後の1ステップが無く、そのつもりで下ろした足裏にずん、と重力を感じた。

かくんと膝の力が抜け、前のめりによろけてしまった。

転ぶ...!?

埃だらけのコンクリート床に、顔面から衝突するところだった。

...転ばなかった!

僕は誰かの胸に抱きとめられていた。

つんのめった僕の頭は、その人の肩にぶつかって、なぜだか直ぐにユンホ先輩だと分かった。

「わっ!」

僕の勢いが強すぎて、ユンホ先輩を後ろへ突き倒してしまった。

「...ユンホ先輩。

帰ったんじゃなかったんですか?」

「可愛い後輩がいるのに、帰るわけないだろ~」

「...明日はきっと、雨が降りますね」

「明日の降水確率はゼロパーセントだ。

...あのさ、俺の上から下りてくれないかな?」

尻もちをついたユンホ先輩を、組み敷く格好になっていた。

「すみません!」

...ひゃあ!」

「『ひゃあ!』って...悲鳴が可愛いんだけど?」

ユンホ先輩、飛び起きようとした僕のお尻を撫ぜたのだ。

「男に組み敷かれるのも、悪いもんじゃないね。

ほら。

チャンミンのチンが俺のチンに当たってる」

「なに言ってるんですか!?」

僕は即、股間を押さえた。

かっかと頬が熱い。

ユンホ先輩は下ネタが大好きな男だった。

「セ、セクハラですよ!」

「俺に触られて、嫌か?」

「ビックリするじゃないですか!?」

「嫌ではないんだぁ...ふぅん」

「変なこと、言わないでください!」

倉庫内にあははは、と笑うユンホ先輩の笑い声が響き渡った。

さっきの衝撃で床に散らばってしまったものを、ユンホ先輩と一緒に拾い集めた。

これらはきっと、ユンホ先輩が用意してくれた差し入れだ。

ユンホ先輩は「ほれ」と、スーツのポケットから熱々の缶コーヒーを出し、投げてよこした。

「ありがとうございます」

僕らは段ボールを敷いた床に並んで座り、砂糖たっぷりの甘いコーヒーをすすった。

空腹だった僕は、買い物袋の中身が気になった。

「...それ?

食べないんですか?」

「あ~、これは俺の夕飯」

「え~、差し入れじゃないんですか?」

「悪い悪い。

欲しければやるぞ?

天丼だけどいいのか?」

「いただきます。

棚卸を1人でやった僕へのご褒美です」

ユンホ先輩に遠慮はいらない。

1人でやらされたことに腹を立てていたから余計に。

「お昼から行方不明でしたよね?

どこに行ってたんですか?」

咎めの口調で尋ねた。

「新規開拓」

「...嘘つかないで下さい」

「ホント」

ユンホ先輩は本当のことしか口にしない人物であることを、思い出した。

「俺もね、やることはやってるの。

ある日突然、美味しい仕事が降って湧いてくるわけないだろ?」

ユンホ先輩の固い口調に驚いたけれど、今のは僕が悪かった。

ちょっとだけユンホ先輩を馬鹿にしていた空気が、彼に伝わったからだと思う。

 

 

ユンホ先輩は遅刻早退、欠勤の常習者だ。

体調不良や電車の遅延の場合は仕方がない。

それ以外の口実は、例えば、通勤中に交通事故に遭遇し、けが人に付き添って救急車に乗り込んだ、とか。

祖母が亡くなった、実家の猫が産気づいたなどなど、挙げだしたらキリがないほど、バリエーションは豊かだった。

亡くなった祖母が3人目となったとき、王道でバレバレな大嘘の口実に、入社2年目だった僕は呆れかえっていた。

ところが...全部、本当のことだった。

交通事故の件の場合、後日礼状が届き、菓子折りを携えた女性が訪ねてきた。

産気づいた猫の場合、ユンホ先輩から7匹の子猫の写真を見せてもらった。

祖母については?

「俺の母親が再婚するたび、俺の祖父母が1組ずつ増えるわけ。

俺って懐っこいから、血が繋がっていなくても、みんなに可愛がられてね。

今でも交流があるんだ」

「そうだったんですか...」

何かと誤解されても仕方がない僕の先輩。

「祖母が3人...本当の話だよ」

これまで2年間、ユンホ先輩に向けていた軽蔑の気持ちを見透かされていたんだ。

「...先輩?」

ユンホ先輩の肩がひくひくと震えていた。

亡くなったお祖母ちゃんを思い出しているんだろうな。

背中をさすってあげたかったけれど、遠慮があって出来ずにいた入社2年目の僕だった。

 

(つづく)

 

(1)ユンホ先輩

ユンホ先輩について語ろうと思う。

29歳まで勤めていた会社で、僕はユンホ先輩と7年間共に働いた。

「ユンホ先輩を超える人が今後現れるか?」と問われたら、僕は「現れない」と即答するだろう。

エネルギーの塊のような人なので、傍にいて疲れることも多かったけれど、僕とは真反対の素直な明るさに、救われたこともしばしばだった。

 

 

3歳年上のユンホ先輩は、同じ部署で僕と同様ヒラだった。

すっきりとした顔立ちで長身といった、見た目は仕事ができる風だった。

「できる風」と言ったのには理由がある。

ユンホ先輩は不良社員だった。

度重なる遅刻早退、欠勤。

外回り中のサボりは当たり前で、社に戻らず自宅に直帰してしまうこともしばしばだった。

当時は特に、世知辛いご時世。

常識的な会社だったらとっくの昔に解雇しているはずなのに、ユンホ先輩はこうして今もここにいる。

なぜ、クビにならないのか...?

僕ら他社員の3カ月分の売り上げを、ユンホ先輩はたった1日で達成してしまうのだ。

ユンホ先輩はなくてはならない人材だった。

キャラクターが多少、濃かったとしても、目をつむろうではないか...会社のスタンスはそうだった。

部署でただ一人、きれいに有休を使いきっても堂々としていた。

ぎょっとするほど大きな声で笑い、定年退職する課長の送別会で号泣していた。

ユンホ先輩が常連クレーマーからの電話に出た時のことだ。

話が長く理不尽な言いがかりに、

「気に入らないなら買うんじゃねぇ!

二度とかけてくるな!」

と一喝してガチャンと電話を切っていた。

僕は心の中で拍手していた。

(もちろん、上司たちも)

 

 

僕らの部署は、部長、課長、主任、ユンホ先輩、僕...以上5人所帯で、年の近いユンホ先輩と共に行動する機会が自然と多くなる。

入社したばかりの頃は、ユンホ先輩の言動をまともに受け取って振り回されてヘトヘトになっていた。

部長に泣きついたこともあったっけ?

「あの人は一体、何なんですか!?」と訴えると、「もうしばらく我慢してくれないか?」と僕の肩をポンポン叩いてなだめた。

(その翌週、ユンホ先輩は大口注文を取ってきて、昨対を落として焦っていた署員一同、拍手喝采だった)

 

 

数年も一緒にいれば、聞き流す術も上達する。

「天ぷらを食いにいくぞ」と、ユンホ先輩に昼食を誘われたけれど、蕎麦の気分だった僕は「先輩ひとりで食べてきてください」と、きっぱり断った。

ユンホ先輩相手の場合、おことわりの言葉も曖昧ににごしていたら駄目だ。

「チャンミン、お前は天ぷらが食べたいはずだ。

俺と天ぷらを食べていれば間違いなし!

チャンミンの今日の昼めしは、天ぷらだ!

天ぷらを食う運命だ」

と、強引に天ぷら屋に引っ張っていかれてしまう。

断られたからと言って、しょげるユンホ先輩じゃないし、その日の彼は独りで昼食をとる気分じゃなかったらしい。

「今日の昼めしは蕎麦にする」と、僕の後を追いかけてきた。

風邪気味で身体がだるかった僕は、「今日の先輩は、ひとりで天ぷらを食べる運命なんですよ」と、ユンホ先輩を追い払った。

ユンホ先輩はがっくし肩を落とすと、「可愛くない後輩だ」と僕とは逆方向へUターンした。

「先輩...天ぷら屋はそっちじゃないですよ」と呼び止めるべきなんだろう。

でも、後輩に断られて、多少は傷ついているユンホ先輩のプライドのために、開きかけた口を閉じた。

広い肩幅や高い腰の位置に、スタイルいいなぁと見惚れた。

僕はここで気付いた。

先輩に向かって無遠慮にズケズケと言えるのも、相手がユンホ先輩だからだ。

僕はユンホ先輩の前だと、自由に素直に振舞える。

これってなかなか、凄いことじゃないかな?

 

(つづく)